15/06/25 05:49:28.16 .net
<アンカーコメント>
6・25戦争当時イ・スンマン政府の対処に対して、歴史的論議が少なくないのですが。
その中の一つが「日本亡命政府要請説」です。
イ・スンマン政府が実際に、当時の日本政府に「6万人亡命意思」を打診し、日本が「韓国人避難キャンプ」
計画をたてたという内容の日本側文書を、KBS取材陣が初めて確認しました。
パク・ジェウ特派員です。
<リポート>
6.25当時、イ・スンマン政府の「日本亡命要請説」を確認するために山口県図書館を探しました。
山口県の公式歴史記録.
朝鮮戦争勃発二日後、日本外務省は山口県知事に、「韓国政府が6万人規模の亡命政権を山口県に樹立したい」
と知らせ、可能かどうかを尋ねたが、当時の田中知事は「日本国民も配給が不足している状態では難しい」という返事をします。
だが、しばらくして田中知事は韓国人5万人を受け入れる内容の「非常措置計画書」を出します。
米軍政記録です。
山口県阿武市など4箇所に20の避難キャンプを作って、臨時テント1ヶ所に200人ずつ、全250個のテントに5万人を
受け入れるという計画でした。
<インタビュー>ジョンオジョン(博士/京都、大谷大学)「宿泊施設や衛生施設、食糧問題などを、5万人規模で準備しました」
田中知事はこの英文計画書を米軍政に提出して、予算支援を要請しました。
当時、山口県は「朝鮮情報室」という別途部署を作って、韓半島の情報を詳細に記録した「朝鮮情報」という文書を
総理など政府閣僚にいつも報告しました。"
「朝鮮情報室」は、韓国戦勃発の二日前、「北朝鮮による南への侵略の危険報告書」を日本政府に提出したりもしました。
文書によれば、イ・スンマン政府は亡命を打診したが、実行はされはしません。
事実ならば6・25初期政府の状況がどうだったのか、赤裸々に見せる大きな課題です。
山口からKBS ニュース パク・ジェウです。
KBS 2015-06-24 21:32 (原文は朝鮮語:ソース元にニュース映像があります)
URLリンク(news.naver.com)