【朝鮮日報コラム】倭乱の義兵、MERSの医兵 日本軍とウイルスという違いがあるだけ[6/21]at NEWS4PLUS
【朝鮮日報コラム】倭乱の義兵、MERSの医兵 日本軍とウイルスという違いがあるだけ[6/21] - 暇つぶし2ch1:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/
15/06/21 08:24:32.24 .net
    日本軍とウイルスという違いがあるだけ
    システムの故障、国論の分裂、民が官の代わりを果たすところも類似
    医療戦士のおかげでこらえているが、400年前の戦備や人事の失敗を繰り返している点が残念
 1592年5月23日、壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)が起こったとき、国王の宣祖は当初数日にわたって
情報が得られない状態だった。日本軍が釜山浦に上陸してから四日が過ぎてようやく、慶尚左水使の最初の
報告書が朝廷に到着した。その時になって初めて、朝廷は慌てて防衛体制を組織したが、日本軍はすでに
忠清道近くまで押し寄せていた。宣祖が初めて報告を受けてからわずか六日で漢陽は陥落し、宣祖は宮殿を捨てて
逃避行に入った。
 2015年5月20日、MERS(マーズ。中東呼吸器症候群)との戦争が始まったとき、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領も
似たような立場だった。朴大統領が福祉部(保健福祉部。省に相当)長官から最初の対面報告を受けたのは、
第1号の患者が確認されてから六日後のことだった。未熟な初期対応で「ゴールデンタイム」は空費され、戦線は
食い止めようもなく広がった。
 柳成竜(ユ・ソンリョン)=1542-1607=の『懲ヒ録』(ヒは比の下に必)は、壬辰倭乱の恥辱を痛切に振り返った
反省文だ。MERS問題の渦中で同書をひもとくのは、どこかで目にしたかのような既視感があったからだ。MERS戦争と
壬辰倭乱は性格からして異なるが、失敗の本質的構造は驚くほどに似ている。危機を前にしてコントロールタワーは
めちゃくちゃ、国論は分裂、システムは故障を起こして稼働しなかった。「倭敵」を「ウイルス」に書き換えるだけで、
16世紀の『懲ヒ録』を2015年の韓国に置き換えても差し支えない。
 MERSの韓半島(朝鮮半島)襲来は、予見されていたことだった。中東でのMERS発生を受けて、疾病管理本部は
2年前に専門家を集め、MERS対策を樹立した。しかしマニュアルは粗雑で、それすらもきちんと作動しなかった。
中東のウイルスがここまで来るのかという「まさかの心理」のせいだった。
 柳成竜の『懲ヒ録』もまた、侵略への備えがなかった第一の原因を「怠惰」に求めた。「当時、国は平和だった。
朝廷と民、どちらも平穏だったせいで、城や兵営の築造労役に動員された民衆は不平をぶちまけた。ある長老は、
私に手紙を送って『この太平の世に城を築くとは、なんと突拍子もないことよ』と主張した」
 無気力な朝廷に、民心は離反した。柳成竜は、こう記している。「5月30日、国王の御駕(が、輿〈こし〉)が漢陽城を
脱出するや、興奮した民衆が宮殿に火を放ち、略奪した。景福宮・昌徳宮・昌慶宮が焼かれ、宝物や実録・史草などが
灰と化した。これは、敵が入ってくる前に、朝鮮の民衆がやったことだ」
 2015年のMERS戦争でも、民心は政府に背を向けた。リーダーシップを発揮できない大統領や右往左往する保健官僚に、
国民は不信の声を浴びせた。政府の防疫統制に従わない非協力の事例が続発した。MERSの疑いがあった42歳の患者が、
隔離場所の錠を壊して脱出する騒ぎまで起きた。倭乱で宮殿に火を放った民衆と変わらない。
 その渦中でも、依然として国論は分裂していた。野党やソウル市長は、MERSへの対応をめぐって政府と対立した。
およそ400年前、柳成竜も「戦争に対する意見は騒々しかった。そのため、国が抱えていた全ての力を1カ所に
集中させることができなかった」と記録した。
>>2以降に続く)
朴正薫(パク・チョンフン)デジタルニュース本部長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2015/06/21 06:06
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