【ハンギョレ】広がる「嫌韓」...相次ぐ廃業で閑散とした韓流の街、新大久保[06/06]at NEWS4PLUS
【ハンギョレ】広がる「嫌韓」...相次ぐ廃業で閑散とした韓流の街、新大久保[06/06] - 暇つぶし2ch1:荒波φ ★@\(^o^)/
15/06/06 09:30:10.49 .net
「以前は無視しただけ。今のような軽蔑はなかったです」
先月19日、東京の「コリアタウン」と呼ばれる新宿区新大久保で会ったオ・ヨンソク新宿韓国人商人連合会長(63)が、長いため息をついてから話し始めた。
オ会長は、1983年に日本に渡り、1990年代の初めから、キムチなど韓国料理を日本に紹介した代表的な在日同胞企業家として知られる。
彼のように1965年の日韓国交正常化以降、日本に渡って定着した在日同胞を、解放前から日本に住んでいた在日同胞と区別して「ニューカマー」と呼ぶ。
今の新大久保は、職安通り、大久保通り、そしてこの二つの通りをつなぐイケメン通りを中心に、
500以上の韓国料理店と韓流商品店が密集している日本の代表的な韓流の街となった。
しかし、オ会長が日本で暮らし初めた当時、新大久保の韓国関連の店は新宿商会、武橋(ムギョ)洞食堂など4?5店に過ぎなかった。
ところが近く歌舞伎町のバーなどで働いていた韓国女性、ウェイターなどの宿泊施設がちらほら目立つようになり、彼らのための韓国関連店も本格的に増え始めた。
2001年1月、故李秀賢(イ・スヒョン)氏(死亡当時26)が線路に落ちた日本人を救おうとして亡くなったところも、JR新大久保駅だった。
1990年代を過ぎ、少しずつ進められた新大久保の成長に決定的な影響を及ぼした事件は、2002年韓日ワールドカップだった。
オ会長は「1980年代初めまで普通の日本人が韓国を理解するレベルは、『韓国』と『朝鮮』が区別できない程度だった。
そうするうちに2002年ワールドカップを通じて『私とあまり関係なかった韓国』が、身近な韓国、何だか魅力的な韓国へと変貌し始めた」と回想した。
日本人が韓国をどう思うかよく知っているオ会長のような在日同胞は、2003年のテレビドラマ「冬のソナタ」ブームが始まる時にも、韓流の持続性についてはかなり否定的だった。
自らを「1次韓国ブーム世代」と呼ぶ林原圭吾氏(39)にも、2000年の初めに吹き荒れた韓流ブームは「突拍子もないもの」だった。
鳥取県出身の林原氏が韓国に興味を持ったきっかけは、中学生だった1988年のソウルオリンピックだった。
彼はその後、1994年に東京外国語大学朝鮮語科(以降韓国語科に改称)に入学し、これまで200本以上の韓国映画とドラマに日本語字幕をつけてきた。
林原氏は「ある日、気がついたら、私も知らないうちに巨大な韓流ファンが存在していた」と語る。しかし、韓流に対する彼の評価はかなり冷静なものだ。
理由は簡明ながらも鋭い。韓流を「韓日の間に存在する複数の歴史的な問題についての悩みに目をつぶったまま、商業的な判断の元で行われた現象」として捉えているからだ。
3・1節と5・18光州民主化運動などの基本的な韓国史に対する理解もなく、韓流スターの誕生日だけを憶える韓流を通じて、
両国間の真の友好関係を築いていけるのか、というのが彼の問題意識だ。
2015.06.06 06:53
URLリンク(japan.hani.co.kr)
>>2に続きます。


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