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―日本と東アジアを覆う歴史・領土問題のきしみは何に起因するのでしょう。
「今に続くアジアの相克は、実は終戦の時点にすでにはらまれていたと思う。戦後まもなく中国は内戦状態、
朝鮮戦争も始まり、日本の植民地から解放された朝鮮は、アジアの戦後秩序をつくる当事者から除外されて
しまう。米国は日本を経済的なアジアの橋頭 堡 (ほ) としてよみがえらせていく。朝鮮半島に対する日本の
植民地支配が何をもたらしたか、コンセンサスは形成されなかった。アジアの忘却は、日本の終戦のあり方
に関わっていた」
▽平和の対照
―日本にとっては、戦後は平和国家の始まりです。しかし、アジアにとっては違ったのか。
「戦後世界は、冷戦に突入したといわれる。しかしアジアは違う。アジアは熱戦だったんです。終戦からベトナム
戦争までをアジア三十年戦争という人もいる。しかしベトナム戦争への前線基地だった沖縄は別に、日本本土
は天と地のように違う平和と民主主義を享受し、その対照、コントラストは激しかった。韓国が開発独裁で
いびつな近代化がなされる傍らで、日本は成熟した社会に変貌し、民主主義の違いも歴然としていた」
―戦後民主主義には今、日本の針路を誤らせたという批判もあります。
「日本の戦後は何より戦争体験から始まったんです。戦争への嫌悪感が戦前との断絶を意識させ、その痛切
な思いが戦後民主主義とか平和主義と呼ばれた。政治学者の丸山真男さんをはじめ戦後民主主義の旗手と
された人は、それが米国から与えられたのだとしても、戦争体験を裏打ちして足元に引きつけ、血肉とすること
ができると考えた。民主主義を、敗戦を通じて実現させようという思いが、階層や思想を超え多くの人をとらえた。
それは確かなことで、虚妄ではなかったと思う」
ソース:47NEWS 2015年5月28日
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インタビューに答える姜尚中さん=東京都内のホテル
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姜尚中さんはインタビューで、東アジアの未来に希望をかけた=東京都内のホテル
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ホテルの階段でたたずむ姜尚中さん=東京都内のホテル
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