15/05/27 01:36:12.63 .net
URLリンク(www.sankei.com)
URLリンク(www.sankei.com)
ヘアアクセサリーの製造・販売を行う「リトルムーンインターナショナル」を起業した文美月さん=2015年4月23日午後、大阪市浪速区(南雲都撮影)
大阪でヘアアクセサリーの製造・販売会社を起業した文美月さん(44)は43歳のときに日本国籍を取得し、日本に帰化した。昨年12月には、衆院選で人生初の「投票」も経験。さまざまなことが、ひとごとから自分事に変わっていく実感を得たという。
43歳で得た「ひとつの結論」
海外に行くときに必ず通る出入国管理のゲートで、緑色(韓国)から赤色(日本)に変わったパスポートを見るたびに、祖父母の世代からの歴史が詰まっているのを感じます。
私は43歳で一つの結論を出しました。長かったアイデンティティー探しの旅を終え、日本国籍を取得し、日本に帰化したのです。
「文美月(ぶん・みつき)」という名で帰化したのですが、民族のルーツを残した帰化のケースはかなり珍しいといいます。多くの在日コリアンは通称名(通名)を使い、帰化する際にそのまま通名を本名にするケースがほとんどですが、私の場合は逆。
もう15年以上も通名を使わず、「文」で仕事をしていたので、今更日本名で帰化するほうが不自然だったのです。
友人からはこんな声が届きました。
「名前変えない帰化って、あんまり意味ない気がするけど…」
「別に、韓国籍のままでいいんじゃないの?」
一方で、民族のルーツを残しての帰化について、「変わっている」という人もいれば、「堂々としていて素晴らしい」と褒めてくれる人もいました。
自分の意思を通す生き方に変える
私は、在日コリアンというルーツから逃げていた自分と決別するのに苦しみ、通名をやめることを受け入れました。それなのに、帰化するといって「昔の自分」に戻るつもりなどありません。
日本は多様性ある社会とはまだ言い難いですが、私のような「コリアン系日本人」がいてもいいはずです。
帰化には、私なりの理由がありました。例えば、もう十分に自分と対峙(たいじ)してきたこと、日本が好きだということ。それと、40歳頃から決定的に強く感じるようになったのは、参政権(選挙権・被選挙権)の取得です。
今まで正直、日本の教育や政治には無関心でした。無関心というより、外国籍の人間からしてみれば、「どこかひとごと」で、「無関係」の分野でした。でも、私はそのままでいることがもどかしくなり、「自分事」として日本に関わりたいと感じていました。
大きな理由は、私が働く女性であり、経営者であり、そして子供を産み育てている1人の母だったからです。
それらの経験から、日本社会の良さと不条理さの両方をいろんな場面でよく感じてきました。だから、日本の政治や教育、社会制度に関心を抱くようになっていました。
「ここはおかしい」「こうすればもっと良くなるのに…」と思っても、私には参政権がありません。それなら参政権を得て、「投票で自分の意志を表す」生き方に変えたい。それが、帰化することを真剣に考えた理由だったのです。
初体験の「投票」
日本では選挙のたびに投票率の低さが問題になりますが、一票を軽視して投票に行かない人は「参政権は、与えられて当たり前のもの」なのでしょうか。私にとっての一票は、とても重いものです。
自分のアイデンティティーから逃げていた時期が長くあり、その分たくさん悩んで、考えて、勉強もしました。そうしたことを通して、私なりに自分と向き合ってきたつもりです。
本名・通名・帰化の選択は人それぞれ。もちろん、私の選択したやり方は在日コリアンの総意ではなく、あくまでも私が私自身に向き合って考え、悩み抜いた末の結論です。そして結果として、こう考えたのです。
「永住権があり、大好きな日本の国籍を取り、国政にも主体的に参加して生きていく。でも、民族のルーツは私の誇りでもあるわけで、それは消したくない」
URLリンク(www.sankei.com)
URLリンク(www.sankei.com)
URLリンク(www.sankei.com)
URLリンク(www.sankei.com)
URLリンク(www.sankei.com)
(>>2以降に続く)