【中韓古代史】 不老草求めて徐福が韓半島を訪れたことは韓国人には常識~古代、韓中日を結ぶ文化交流・徐福伝説を世界遺産に[05/26]at NEWS4PLUS
【中韓古代史】 不老草求めて徐福が韓半島を訪れたことは韓国人には常識~古代、韓中日を結ぶ文化交流・徐福伝説を世界遺産に[05/26] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★@\(^o^)/
15/05/27 01:35:23.76 .net
「秦の始皇の命により2200年余り前、不老草を求めて韓半島に発った徐福の話は伝説で片付け
てしまうことではありません。韓国と中国の交流がどれほど悠久なのかを示す象徴です。韓中関
係が修交20余年でこれほど接近したのは徐福の航海とともに長い間の交流の歴史があったから
です。」
張良群(チャン・ランジュン、76)中国徐福会副会長兼学術主任の持論だ。彼は徐福に関する単行
本4冊を出し、発表した論文を全部合わせれば文字数で60万字の分量に達する。その中で最も
愛着を持つのは『徐福と韓半島』だ。
徐福出港2222年目の2012年に出版した。チャン副会長は「自慢の様で恥ずかしいが、従来の中
国学界で空白として残っていた部分を埋めた著書と評価されている」と話した。徐福が不老草を求
めて韓半島にきたということは韓国人には常識だが、中国人にはそうではない。
チャン副会長が初めて知人らに『徐福と韓半島』を書くと言った時、大部分は「徐福は日本に行っ
たことまでは分かるが韓国とは何の関係があるのか」と聞き返したという。修交がはやく学術交流
が早くから活発だった日本との関連性について中国学者の研究が集中したせいで起きた現象だ。
チャン副会長は江蘇省連雲港市立放送局長などを経た元官僚だ。彼は連雲港が徐福の故郷とい
う縁で徐福研究に熱中することになった。そのうち関心領域が広がり、1995年から今まで韓国の
済州道(チェジュド)と慶南(キョンナム)南海・巨済(コジェ)など徐福の足跡が残るところを何回も
現地調査した。
西帰浦(ソギポ)正房滝の絶壁や南海錦山(クムサン)巨済島海金剛(ヘグムガン)などには「徐福
ここを過ぎる」と彫られた石刻が残っている。また、朝鮮時代、申叔舟(シン・スクチュ)の『海東諸
国記』など韓国に残る関連記録を隅々まで調べた。
これまでイ・セギ韓中親善協会会長、亡くなったホン・スンマン済州道徐福学会理事長などとの接
触が深まった。チャン副会長は「済州道徐福公園に温家宝元総理の親筆文字を刻んだ刻石が立
っており、習近平主席も浙江省党書記の頃にこちらに立ち寄った。2200年前の古代の偉人、徐福
が今も韓・中両国を繋いてくれる掛け橋になっている」と話した。
徐福の行跡を追うチャン副会長の踏査は日本まで続いた。日本では徐福一行が五穀の種を携帯
したという記録を土台に稲作文化を伝えた主人公と見る。チャン副会長は「徐福を介とした韓・中・
日3国の文化交流史は今日、多くの教訓をあたえる大切な資産。三カ国が力を合わせて遺跡と記
録などをユネスコの世界文化遺産無形文化財に登載すれば良い」と語った。
北京=イェ・ヨンジュン特派員
ソース:中央日報(韓国語) "秦始皇の不老草の話は伝説でない"
URLリンク(joongang.joins.com)


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