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【コラム】ワシントンに桜が咲く
2015年05月05日16時20分
[中央日報/中央日報日本語版]
桜の花が散る風景は夢幻のようだ。生と死の境界が曇る。カミカゼは桜の花が刻まれた零戦に乗って死と衝突した。
4月末、安倍首相が戦後初めて米上下院合同議会で演説をした日にも、10万本の桜の花が一斉に降り、ワシントン
DCを覆ったはずだ。そのためか起立拍手を10回も受けた。米議会があれほど薄情に思えることはなかった。
「不動の軍事同盟」を担保に日本右翼の念願だった「平和憲法改正」に目をつぶったオバマ大統領もそうだった。
世界最強の軍事同盟になったというのに感激しないはずはない。さらに「軍隊のない国」の70年の歳月に終止符を
打ったのだから。安倍首相は感慨に浸り、賛辞を惜しまなかった。米国は日本民主主義の恩師であり、西側世界の
一員になったことは正しい選択だったと語った。原爆被爆国であり敗戦国の心情を十分に理解するというように、
戦勝国の米国は日本を抱擁した。真珠湾空襲、レイテ湾海戦は遠のき、あたかも両国が仲良く太平洋を分けていた
1919年以前に戻ったようだ。そこまでは第3国として何も言えない。しかし植民地国の血がにじむ歴史はどこへ
行ったのか。過去の帝国の新しい結合なら、少なくとも帝国主義が犯した人類史的犯罪に言及してこそ正しい。
米国の植民地は官僚間接統治で、日本は軍部直接統治だったことは誰もが知っている。直接統治も天皇にのみ従属
する形態だった。牽制のない暴圧政治がそのために可能だった。日本は善良な近隣諸国を銃刀で踏みにじった罪を一つ
一つ告げてこそ、民主国家の資格を取得する。戦後、西側世界の一員になったのなら、なぜ韓国を「西側との聖戦」に
追いやったのか理解と許しを求めなければならない。米国戦没将兵だけを哀悼するのではなく、徴兵、徴用された
数十万人の韓国人と虐殺された中国人がいる。終戦70年目に初めて招請された米議会演説であるだけに、「アジア
諸国民に苦しみを与えた」「痛切な反省」などの包括的な表現でごまかすべきではなかった。慰安婦問題が「韓国
疲労症」を生んでいるのかは知らないが、それは帝国的犯罪の象徴であり雷管だ。ところが安倍首相は「人身売買」
という商業的用語で本質を糊塗し、南京虐殺には言及もしなかった。なぜか。
日本精神史の盲点を突いた東京大の丸山真男教授の痛恨の概念が思い浮かぶ。日本の精神空間には過去の記憶の
欠片と異質的要素が混在する。それらの倫理的緊張を管轄する中枢的論理がない。すべての行為を正当化する源泉
である天皇は、支配集団の「共同謀議」に対する責任回避の公用安全弁だ。現実の擁護と未来の出口のためなら、
過去の記憶を再配置し、時には忘却の倉庫に送る。過去が自覚的に現実と向き合わないこうした構造を、丸山教授は
「無責任の伝統」と呼んだ。「過去を押しのけて新しいものにいちはやく取り替える」日本精神史の病理的症状だ。
それで「過去の歴史を十分に謝罪した」とか「韓国・台湾・中国の発展に寄与した」という没歴史的発言が可能に
なる。このような特質が遺憾なく発揮された安倍外交のワシントン決裁式が「大アジア主義」被害国には帝国侵略に
対する一括的免罪符のように見える理由だ。
宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大教授・社会学
URLリンク(japanese.joins.com)