【韓国】 「王桜(ソメイヨシノ)出生の秘密― 済州島が唯一の自生地という地位は堅固だ」 国立山林科学院キム・チャンス氏[04/17]at NEWS4PLUS
【韓国】 「王桜(ソメイヨシノ)出生の秘密― 済州島が唯一の自生地という地位は堅固だ」 国立山林科学院キム・チャンス氏[04/17] - 暇つぶし2ch1:LingLing ★@\(^o^)/
15/04/17 01:06:19.03 .net
[木曜談話]王桜出生の秘密
王桜は、どこから来たのか?王桜についての最初の公式記録は、1900年日本園芸雑誌45号
の上野公園桜についての記事にみられる。 そして、翌年正式学名をつけて学界に登場すること
になる。
論争はまさにここから始まった。 学名をつける際は基準となる標本を明確に提示しなければなら
ない。しかし、日本の大島地方で育つ、という程度で曖昧記録してしまったのだ。
問題は、ひょんなことから、済州島で起きた。
漢拏山で、王桜が採集されたのだ。 1908年4月15日、当時宣教師として活動していたフランス
人によるものだった。この標本はドイツのベルリン大学の教授が鑑定した。この美しい桜が大島
地方に自生するとばかり思っていた日本人はびっくりしたのだ。 まだ、済州島で王桜の自生地が
発見されなかったのなら、何の問題も生じなかっただろう。たとえ、王桜がどこから来たのかに
ついて、多少疑問があっても。
済州島に本当に、王桜の自生地があるだろうか?多くの場所に散在している記録と標本を検討
しながら次第に済州島が唯一の自生地という結論に定着して行った。 ところが、急に波紋が広が
り始めた。1916年当時、日本の桜を研究していたアーネスト・ウィルソンという学者が、王桜は、
江戸彼岸桜と大島桜の雑種と推定されるというものだった。
実際、日本で王桜についての話は大変興味深い主題だったため、多くの研究者たちが言及した。
王桜を日本ではソメイヨシノサクラと呼ぶ。 この名称について多くの学者たちが「明治時代初期に
東京にいる染井の苗木商によって、ヨシノサクラという名称で販売され始めた桜」としている。
そして、明治初期には交通が不便で、吉野山の桜の美しさを耳にするだけで実際に吉野山に
行って見ることが難しかったために、東京にいながら吉野の桜を見ることができるという意味で
ヨシノサクラと名付けて販売し始めたという記録もある。
それでは、この苗木商に聞いてみたら、桜がどこから来たのか調べるのは朝飯前ではないか。
ところが、幸か不幸か、「研究者たちがソメイヨシノ(王桜)の由来を知るために、染井の花園
(苗木商)を訪問した時には、既にこの桜の木が世に出てから長い歳月が流れ、これを販売し
始めた花園もすでになくなっていただけでなく、高齢者達もみんな他界してしまって、これを突き
止めることができなかった」という記録だけが残ることになった。
王桜の自生地についての論争が続いている。 これまで、ウィルソンの推定、染井の苗木商の
諸事情、これらを立証するため長い長い交配実験が行われてきた。 このような主張を立証する
ため、最先端の技術も導入されている。 それでも、どれ一つ明快に解決されたことがない。
王桜が済州島に自生することを否定する立場がある。その根拠は、わずか数本が沿道から遠く
ない場所に育っているということだ。 果たしてそうだろうか。今、漢拏山には数多い個体が発見
されており、もはやこれ以上調査する意味までも失いつつあるほどだ。 幼木から、200年と推定
される老齢木まである。漢拏山斜面の方位に関係なく、海抜400mから900mまで天然林に
分布する。 交雑種という根拠も希薄だ。
王桜の出生の秘密は何か。
そんなに努力してもこの疑問が解けないのは、今の漢拏山に育っている王桜のせいだ。
漢拏山にこれらの木々が育つ限り、済州島が王桜の唯一の自生地という地位は堅固だ。
<キム・チャンス国立山林科学院 暖帯亜熱帯山林研究所長>
ソース 漢拏日報 ※機械翻訳
URLリンク(www.ihalla.com)
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