15/04/13 09:24:12.64 .net
#ウンウイェン・タン・ラン(当時15歳): 午前4時、爆撃が始まった。 慌てて防空壕に入った。
7時から銃声が聞こえた。 ますます近づいてきた。 人々のうめき声が聞こえた。 お母さん
は祈った。 16時、虎のマークを付けた軍人が出てこいと手まねをした。 お母さんに銃口を
突きつけた。 老人や子供たちも引き出した。 丸く集まって座らせた。 頭を上げさせない
ようにした。 韓国軍が大声を上げた。 手榴弾が飛んできた。 腕と足が切れ、はらわたが、
脳髄が流れた。 私のかかとに手榴弾が落ちた。 気絶し、目覚めた。 村の人々が妹を
埋めた。 お母さんも埋めた。 お母さんの祈祷はとどかなかった。 私はまた気を失った。
また目を覚ますと、この世に私一人になっていた。
#ウンウイェン・ティタン(当時8歳): 兄さんが先に出て行った。 銃で撃たれた。 五歳の弟
は水際まで走った。 叔母は銃に撃たれなかった。 軍人たちが家に火を付けた。 叔母が
驚いて立ち上がった。 刃物でめった切りにされた。 私は台所まで走った。 腹を銃で撃た
れたのに痛くはなかった。 弟は息をするたびに血を吐いた。 抱けなかった。 助けるには
お母さんを探さなければならなかった。 突然喉が渇いた。 水を飲もうと頭を下げると
はらわたが出てきた。 押し込んでお母さんをまた探した。 また見つからなかった。
ベトナム戦争終戦40周年をむかえ、 民間人虐殺被害者たちが4月9日に大邱を訪問した。
ウンウイェン・ティタン(NGUYEN THI THANH、57)氏と ウンウイェン・タン・ラン(NGUYEN
TAN LAN、64)氏だ。
URLリンク(misc.labornetjp.org)
▲左からウンウイェン・ティタン、フイン・ノクボン、ウンウイェン・タン・ラン氏
URLリンク(misc.labornetjp.org)
ソース:レイバーネット 2015-04-11 21:42:46
URLリンク(www.labornetjp.org)
続きます