【神奈川新聞】坂本弁護士一家殺害、オウム事件の原点語り継ぐ…意見が違う人を許さない風潮、ヘイトスピーチに通じる[03/21]at NEWS4PLUS
【神奈川新聞】坂本弁護士一家殺害、オウム事件の原点語り継ぐ…意見が違う人を許さない風潮、ヘイトスピーチに通じる[03/21] - 暇つぶし2ch1:ダーティプア ★@\(^o^)/
15/03/21 12:19:46.21 .net
オウム真理教による地下鉄サリン事件から20日で20年。教団が手を染めた一連の凶悪事件の原点とされる坂本堤弁護士一家殺害
事件を振り返り、教訓を語り継ぐ勉強会が13日開かれた。主催したのは横浜弁護士会と東京弁護士会。坂本弁護士と親交が深かった
弁護士が口にした悔恨は事件が落とした影がなお晴れていないことを物語る。
1995年9月、新潟県の山中。捜査員が戸板に載せて運んできたのは坂本弁護士の遺体だった。捜索に立ち会った武井共夫弁護士は、
その光景が忘れられない。「生きて帰れと、ずっと考えてきたから」。声を詰まらせると壇上に並んだ6人の目が潤んだ。
同じ事務所の先輩で、親友だった小島周一弁護士は坂本弁護士と酒を酌み交わし、あるべき弁護士像を語り合ってきた。
出家信者の親から相談を受け、教団と関わるようになっていた坂本弁護士。「オウムはとんでもない団体だ」と語る姿が忘れられない。
「教団は出家信者が親と会うことも禁じたが、坂本弁護士は、人間の成長に必要なのはさまざまな考え方や価値感に触れ、悩み、考え
ながら進んでいくことだと繰り返し話していた」
意見の合わない人物との接触を避け、排除しようとする教団とは対極にいた。
弁護団を組織して被害救済に取り組み、テレビのインタビューで教団の問題点を指摘し、教団との対決姿勢を鮮明にしてゆく。
そして教団幹部との最後の面会。横浜にある弁護士事務所、弁護団の一員だった小野毅弁護士は帰り際のやりとりが気になっていた。
「教団幹部から『信教の自由というものがある』と言われ、彼は『他人を不幸にする自由は許されない』と反論していた」
緊迫したやりとりだったが、教団が暴力に訴えるようなことはないだろうと考えていた。「話せば分かると当時は思っていた」
4日後の11月4日未明、横浜市磯子区のアパートで妻子とともに殺害されることになる。
ソース:神奈川新聞 2015.03.20 11:30:00
URLリンク(www.kanaloco.jp)
続きます


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch