【韓国】「戦争が起こったら帰国する」という人は半分にも満たない…在日学徒義勇軍について知らないという現実[02/15]©2ch.net at NEWS4PLUS
【韓国】「戦争が起こったら帰国する」という人は半分にも満たない…在日学徒義勇軍について知らないという現実[02/15]©2ch.net - 暇つぶし2ch1:ダーティプア ★@転載は禁止 ©2ch.net
15/02/15 11:38:52.77
ソウル市竜山にある戦争記念館。2階の6・25室(朝鮮戦争室)には、色あせた太極旗(韓国の国旗)が掲げられている。余白は、
墨をすって書いた漢字のスローガンでぎっしりだ。「憂国愛族精神」「共産軍打倒」「祖国愛」「愛国魂」…。1950年9月6日、東京で
暮らしていた20人の在日韓国人学生が1行ずつ書いた。学生たちは、南侵した北朝鮮軍に韓国軍が洛東江まで押されたという
ニュースを聞き、在日本大韓民国民団(民団、当時は在日本大韓民国居留民団)の事務所に集まった。「国を失ったら、勉強など
何の役にも立たなくなる」と、その場で故国に向かうことを決めた。

日本のあちこちから、1000人を超える若者が参戦を志願した。大阪に住むチョ・マンチョルさんは、一家の跡継ぎだった。1週間
断食してようやくいとまをもらい、家を出た。九州のシン・ヒョグンさんは一人息子だったため、どうしても参戦を言い出せなかった。
父親が腹痛を起こしたとき、医師に「睡眠薬を出してくれ」と頼んだ。シンさんは、父親が目を覚ましたら伝えてほしいと頼んで旅立
った。大阪の在日韓国系新聞『新世界』の記者だったキム・ソンウクさんは、参戦者の行列を取材し、自らも参戦を願い出た。
19歳の高校生をはじめ642人が、身体検査を経て選ばれた。

韓国が日本と国交を結ぶ前だったため、若者たちは東京の米軍極東司令部に向かった。そこでも断られると、若者たちはデモを
行い、血書を作った。号令・敬礼・整列の訓練だけを4日間受けて、9月12日に第1陣が米軍の輸送船に乗り込んだ。認識票も階級
もなかった。船内で小銃の扱い方を習った。仁川上陸作戦の2日後、仁川の地を踏んだ。在日義勇軍は、数回に分けて米軍と
韓国軍に配属された。52人が戦死し、83人が行方不明になった。

265人は、ローテーション配備される米軍と共に日本へ戻った。日本は、主権を回復すると「許可を受けていない出国者」だとして、
残りの義勇軍の帰還を妨げた。242人が家族と離れ、釜山やソウルを放浪した。兵籍記録がほとんどなく、「幽霊部隊」という話まで
あったが、1967年にようやく存在を認められた。戦死者は顕忠院に葬られ、数カ所に記念碑が建てられた。年金も毎月出た。

中東戦争(第3次)のときにイスラエルの海外留学生が帰国したという逸話は、愛国心の象徴のようになっている。在日義勇軍は
それより17年も早く、祖国の戦地に駆け付けた。兵役の義務もなかった。韓国政府はおととい、東京で老兵たちに護国英雄記章
を授与した。今では、存命者は両国合わせて30人にもならない。この人々が、今でも残念がっていることがある。韓国国民が、
イスラエルの留学生の話はよく知っているのに、在日義勇軍についてはあまり知らないという現実だ。世論調査では、「外国にいる
とき戦争が起こったら帰国する」という人は半分にも満たない。国のため犠牲になった人があまねく尊敬されてこそ、普通の国民も
進んで命をささげる気持ちになるのだ。

呉太鎮(オ・テジン)首席論説委員

ソース:朝鮮日報 2015/02/15 07:07
URLリンク(www.chosunonline.com)


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