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■スムーズで快適な交流
海外において、池田大作氏は周恩来の心に最も影響を与えた人物だ。国際舞台であろうと、創価学会内部であろうと、池田大作氏は常に周恩来首相の国民を思う気持
ちに学ぶことを人々に呼び掛けている。池田氏の影響を受けた多くの創価大学の卒業生たちは、卒業後に中国留学を選択する。その中でも、多くの人が選択する大学に、
周恩来首相の母校である南開大学がある。
交流をしていくうちに、紀教授は、日本の学生には多くの長所があることに気付いた。日本の学生は、自ら進んで交流を図り、交流する前にはしっかりと準備をする。
一人一人非常に自立しているが、新しいことを試す際には、素早く団結して、集団で協議をして行動する。日中の学生がそれぞれの良いところをお互いに学べるようにと、
紀教授は日中学生たちのために、小さな組織をつくり、不定期的に、人数を特定しない活動をさせる場を作った。
初めての交流の場では、日中学生はともに明らかに緊張しており、交流会は若干盛り上がりに欠けていた。しかし、交流が次第に深まると、雰囲気も徐々に良くなっていった。
若者たちはともに学び、遊び、すぐに友人となり、国籍の違いも忘れていった。
2006年12月5日、周恩来首相と池田大作氏が会談して32周年を迎えた記念日に、南開大学で「周恩来・池田大作研究会」が設立され、周恩来・池田大作の思想と実践を
研究する国内初の学生による学術サークルとなった。
■風評との戦い
近年、日本の政治家が靖国神社を参拝するのに伴い、尖閣問題、歴史教科書における戦争の問題など、日中関係はずっと冷え込んできた。このような状況下、日中友好を
提唱してきた「周恩来・池田大作研究会」は常に周囲から疑問や誤解を受けてきた。「ほとんどの場合、学生にその中の道理をわかりやすく説明し、これらの思想上の結論が
自然に誤解を解くことになり、問題だと思っていたことが客観的になる」と紀教授は語った。しかし、たとえそうであったとしても、民族の感情は、時に過激で極端な意見も
生まれてくる。ある学生は卒業する際に、紀教授に自分の意見をぶつけてきた。「友好的でない国に関わるのはよしたほうがいいのではないか?理知的でない人たちはいつも
紀教授の悪口を言っている。なぜなら、その人たちにとって、日中友好を提唱することは売国奴の行動にほかならないからだ」。
しかし、誤解されながらも、研究会のメンバーたちは熱心に活動に参加し、創価大学からも大きな支援をもらった。シンガポールからの留学生は、「周恩来・池田大作研究会」
には一種の奇妙な魅力があるという。最初の頃、研究会は室内の中だけで行われるものだと思っていた。しかし、のちにここは厳粛な学術セミナーであるだけでなく、それ以上
に非常に親密な交流の場であることがわかってきた。「ここでは、私たちは平和が起こるのを待つのではなく、人と人とのコミュニケーションと交流で、未来を創造している」と語る。
南開大学で、研究会のメンバーが努力していることには、もう一つ別の意味がある。1937年に旧日本軍が中国を侵略した際、南開大学は、初めて旧日本軍に砲撃を受けた
大学となった。校舎はほとんど破壊され、廃墟と化した。今の南開大学は、当時の状態から一つ一つ校舎を再建してきた。多くの校舎にはその歴史に関わる文字が彫られて
いる。周恩来・池田大作研究会の卒業生たちは当然この歴史について熟知していると同時に、「戦争の忌々しさを深く知ることによって、平和や友好の尊さをより一層大切に
感じられるようになる」ことを知っている。(提供/人民網日本語版・翻訳/MZ・編集/武藤)