【日韓】「韓国が併合望んだ」妄言製造機の石原慎太郎氏が落選、石原氏に次ぐ極右の田母神俊雄氏も落選[12/15]©2ch.net at NEWS4PLUS
【日韓】「韓国が併合望んだ」妄言製造機の石原慎太郎氏が落選、石原氏に次ぐ極右の田母神俊雄氏も落選[12/15]©2ch.net - 暇つぶし2ch1:ダーティプア ★@転載は禁止 ©2ch.net
14/12/15 11:36:50.83
「46年間の政治人生」の終わり
衆議院8選、東京都知事4選
2020年の東京五輪招致、言いたい放題で一時「人気」
石原氏に次ぐ極右の田母神俊雄氏も落選

妄言で知られている極右政治家・石原慎太郎氏(82)が14日、日本の第47回衆議院選挙で落選した。石原氏が最高顧問を務める
「次世代の党」もこれまでの19議席から2-6議席へと議席を減らすものとみられている。これで46年間にわたり衆議院で8選、
東京都知事で4選、環境庁長官・運輸大臣を務め、日本の政治・行政に強大な影響力を及ぼした石原時代が幕を下ろすことになる
見通しだ。石原氏は先月「老兵は死なず。消えていくのみだよ」と発言、衆院選不出馬を示唆したが、最後の最後で心変わりし、
自身が最高顧問に就任した次世代の党の比例代表候補として出馬した。次世代の党は各種世論調査で政党支持率が0%に近く、
当初から落選が予想されていた。

しかし、党の人気が低いために、石原氏は勝算のない選挙に出馬せざるを得なくなった。 2011年の東京都知事選で相手候補に
100万票近い差を付けて当選した石原氏の影響力を党が必要としたからだ。産経新聞などによると、次世代の党の新人議員の
一人は「根強い人気があるので、お国のためにクビを絞めてでも出てもらいたかった」と石原氏を説得したという。

韓国では極右政治家として知られているが、石原氏は1955年の大学在学中に発表した「太陽の季節」で日本の文壇の最高賞
「芥川賞」を受賞した小説家だ。享楽的で既成世代の価値観に不満を抱く若者たちを描いた同小説のタイトルにちなみ、
戦後日本の若者世代を意味する「太陽族」という新語が生まれたほどセンセーショナルな内容だった。

しかし、60年代後半から、石原氏は小説とは裏腹に、保守主義の政治家としての道を歩み始めた。68年に参院選全国区に出馬
して政界入りを果たし、72年に衆議院選挙に出馬(自民党)、8回連続で当選した。89年に自民党総裁選で敗れたことを除けば、
石原氏の政治家人生は順風満帆だった。99年には「東京から日本を変える」をスローガンに掲げて東京都知事に立候補、
4回連続で当選した。行政トップに転身してからはディーゼル車の排ガス規制強化、金融機関に対する税制改善を推進し、
人気を集めた。特に、2020年東京五輪招致推進は大きな成果となった。

その一方で放言も多かったため、常に「妄言製造機」というレッテルが付いて回った。その「南京大虐殺は作り話」「日本にA級戦犯
はいない」などの発言が代表的だ。また「日韓併合は韓国人が望んだもの」「従軍慰安婦は売春婦」などの発言は韓国世論を刺激した。
それでも石原氏は選挙で12回も勝つほどの人気だった。日本のメディアは「日本人は石原氏の言動を痛快に思っている」と分析している。
特に、極右主義者の広告塔的な役割を果たしたことで、大きな支持を得た。

石原氏は2012年、「太陽の党」という新党を立ち上げ、政界復帰を宣言したが、結成から4日で若い極右政治家・橋下徹氏が立ち上げた
「日本維新の会」に合流した。日本維新の会は同年12月に行われた衆院選で54議席を獲得、第3党に躍進した。ところが、橋下氏の
相次ぐ失言で日本維新の会の人気が急落、石原氏は橋下氏を公然と非難し、両者の関係が悪化、結局は石原氏の離党につながった。
その後、今年6月に「次世代の党」を結成、最高顧問に就任した。石原氏の後を引き継ぐ極右政治家として注目された同党の田母神俊雄氏
も今回の衆院選で落選した。

呉允熙(オ・ユンヒ)記者

ソース:朝鮮日報 2014/12/15 10:58
URLリンク(www.chosunonline.com)


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