【アゴラ/池田信夫】「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない[12/11] [転載禁止]©2ch.net at NEWS4PLUS
【アゴラ/池田信夫】「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない[12/11] [転載禁止]©2ch.net - 暇つぶし2ch1:ロンメル銭湯兵 ★@転載は禁止
14/12/12 19:27:38.77
 きのう発売の『文藝春秋』に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」という朝日新聞の植村隆元記者の手記が掲載されている。
28ページにわたる記事のほとんどが「他社もやっていた」という言い訳と、彼が迫害されて職を失った話で、反省も謝罪もない。
 特に大きな問題は「女子挺身隊」という日本政府による徴用を意味する言葉を、私的な慰安婦に使ったことだ。問題の1991年
8月11日の記事はこうなっている。

   日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人
  従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取り作業を
  始めた。

 これについて植村は「意図的な捏造ではない」と主張し、「他社も挺身隊と書いていた」とか「朝日の記事でも過去にそうなっていた」
などという。

 この情報は当時のソウル支局長(小田川興)から教えてもらったと主張し、義母がその「挺身隊」を指弾する遺族会の幹部だったことは
偶然だという。慰安婦問題を取材しているうちに、同じ問題を調べている妻と出会って結婚し、あとから義母が遺族会の幹部であることを
知ったという。都合のいい偶然だ。

 最大の疑惑は、金学順が「戦場に連行された」と言ったのかという点だ。これについて1991年12月6日に提出された慰安婦訴訟の
訴状では「14歳からキーセン学校に3年間通ったが、1939年、17歳の春、『そこへ行けば金儲けができる』と説得され、養父に連れられて
中国へ渡った」と書いている。ところが12月25日の植村の記事では、こうなっている。

   その後は子守をしたりして暮らしていました。「そこへ行けば金もうけができる」。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました。
  仕事の中身はいいませんでした。近くの友人と2人、誘いに乗りました。17歳(数え)の春(1939年)でした。

 訴状には「14歳からキーセン学校に通った」と書かれているのに、17歳でいきなり「連行」されたように書いている。しかも訴状では
キーセンに仲介したのは養父(おそらく朝鮮人の女衒)だが、植村の記事では「地区の仕事をしている人」に連れて行かれたことになっている。

 訴訟が起こされたのは記事が出る前であり、彼は訴状を読んだことを認めている。それなのに14歳から17歳の部分を落としたのはなぜか。
彼は「弁護団の聞き取り要旨にはキーセンのくだりがなかった」などと言い訳をしているが、そのすぐ後で「キーセンだから慰安婦にされても
仕方がないというわけではない」と書いている。

 つまり植村は、キーセンに売られた経歴を知りながら落として「連行」の話にしたのだ。これは単なる誤報ではなく、芸者になる訓練をしてから
慰安所に売られたという金学順の話を「女子挺身隊の名で連行」されたという(本人が言っていない)話に仕立てた捏造である。

>>2以降へ続く)

アゴラ 池田 信夫 2014年12月11日17:12
URLリンク(agora-web.jp)

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