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●領土問題の世界的権威、半月城教授の見解 半月城教授GJ!
1900(明治33)年、大韓帝国は勅令41号を公布し、欝島郡の管轄区域を「欝陵島全
島」と「竹島」、「石島」としました。この石島は現在のどの島をさすのか、多くの人の
関心を集めてきました。石島が竹島=独島をさすなら、竹島=独島問題への影響は重大で
す。このように重要な石島を日本の研究者はどのように考えているのか、改めて整理した
いと思います。
1.梶村秀樹氏
最初に石島は竹島=独島であると主張したのは梶村秀樹氏でした。同氏はこう記しま
した。「この法文(勅令41号)中の「竹島」は欝陵島の小属島である竹嶼のことだろうが、
「石島」はもう一つの小属島である観音島をさすとは地形からしても沿革からしても考え
難く、いまの竹島=独島をさすと解するのが最も自然であろう。」
2.内藤正中氏
石島は竹島=独島であるとして、こう記しました。「1900年(光武四・明治三二)一〇月
二五日の大韓帝国勅令四一号で、欝陵島を「欝島」と改称し、島監を「郡守」と改正すると
ともに、「欝島郡」の区域に欝陵島、そして「竹島」と「石島」を含めると明定したことに
より、石島すなわち独島に対する大韓帝国の領有権が明確に示されたのである。」
3.大西俊輝氏
大西氏も石島は竹島=独島であるとして、こう記しました。「石島の文言のある勅令は、
中央官・禹用鼎と、地方官・裵季周の報告に拠ったもの、そこに立ち会うのがラ・ボーテで
ある。だから彼らの島の認識は一致していなければならない。勅令は鬱陵島の属島として、
竹島と石島を記す。そしてラ・ボーテの報告は、鬱陵島の属島として、竹島と于山島を記す。
となれば石島とは、すなわち于山島を指すものとなる。それは遙かな岩礁の島、独島(リアン
クール岩)のことだった。」
大西氏はチュクト(竹島、竹嶼)と于山島を明確に区別し、于山島を石島としている
のが注目されます。
研究者以外でも、公的機関で石島を観音島と主張するところは皆無です。外務省の公
式見解は『竹島、竹島問題を理解するための10のポイント』にみることができますが、
そこには石島を竹島=独島とすることへの疑問のみ記され、石島がどこであるかについて
はふれませんでした。
島根県は、勅令41号の「石島」を竹嶼と考えるなら、同勅令中の「竹島」を一体ど
こにするつもりでしょうか? 勅令の「竹島」をチュクトとすることに研究者間で異論が
ないことは上記に紹介したとおりです。島根県が多額の費用をかけ「竹島問題研究会」を
設置して得た研究成果がその程度だったとはあきれるばかりです。そればかりか、その誤り
に気づかず『フォトしまね』を発刊し、その後もそれを正さずにインターネットで流し続け
ています。一事が万事、島根県の水準が知れます。
以上のように研究者の意見を総合すると、石島はチュクトであるとか、観音島である
とかの説は根拠薄弱で、石島はトクソム、すなわち竹島=独島とするのが妥当です。
半月城教授GJ! 半月城教授GJ! 半月城教授GJ!