14/11/01 23:54:19.95 9e32LGif
>>378
「挺身隊(정신대)」・国軍挺身隊とも呼ばれた。
これらの英語表記はcomfort womanであり、日本語の慰安婦の英訳と同一である。
英語では韓国軍・在韓米軍慰安婦は一般にKorean Military Comfort Womenと表記される。
もっとも朝鮮戦争やベトナム戦争におけるこの種の行為について韓国内では全く議論になっていないため、
韓国最大手の新聞朝鮮日報でも「人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない。」
との記事を執筆するレベルの認識にとどまっている。
連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦
第二次世界大戦で大日本帝国が連合軍に敗北したため、朝鮮半島は1945年9月2日から、日本統治期より連合軍軍政期に移った。
朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ日本軍将兵を相手にした慰安所、
慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた。1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、
基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた。富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、
キャンプ・マーケット(Camp Market)、キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・へイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地だった。
第8軍の龍山基地周辺には梨泰院があり、これも日本軍将兵も利用した公娼地域であった。
ほかにも釜山、玩月洞、凡田洞(ハヤリア隊基地入り口)、大邱の桃源洞(チャガルマダン)、
大田の中央洞などの公娼地域も同様に引き継がれた。
1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって性病が蔓延したと主張し、
娼婦の性病検査は1949年まで続けられた。