14/11/01 21:40:32.73 +uYiQnKB
>>385
■上海の第二兵站病院に勤務していた麻生徹男軍医(産婦人科が専門)が、内地から到着したばかりの
女性たちの性病検診を命じられたのは、首都南京の陥落から三週間後にあたる一九三八(昭和十三)年一月二日だった。
麻生の回想記におれば日本人二十数人、朝鮮人八十人は北九州から来たが、前者は性病経験のある
ベテラン娼婦が多く、後者は若い未経験者が主力だったらしい(1)。
…石橋は他の同業者とともに、十二月に上海の兵站司令部の主計将校から前渡金一千円を渡され、
各自十五人ずつ集めて来いと依頼され、北九州を走りまわって、十八人の女をかき集め、
十日後には上海へ戻ってきたという。
(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」p71)
軍 オーナー・本部
業者 雇われ店長
と考えると分かりやすい。