14/11/18 06:52:54.93 mTWvNqzf
模型に限らず、報酬であるとか確実な見返りが構造的に確保されないような
道楽って、「楽しむ」しかないと思うんだけどなあ?
でも、楽しむって、「楽する」とか「人から評価される」って事とは違うと思うんだよな。
自分で凝りたいと思うなら凝れば凝るほど楽しめる訳で、それに評価がついたとしても、それは
単なる余計なおまけみたいなもんでしょ?
その余計なおまけを求めるって、倒錯だと思う。
逆に、「楽しんでるんだから別に良いじゃん」的な居直りも何か違うように思う。
俺は昔のAMは楽しかった。
紙面から楽しんでる勢いを感じられて、購読しても楽しかった。
今のAMはたまに立ち読みする程度だけど、楽しさが伝わって来ないんだよね。
なんか、必死過ぎて余裕を感じない。
フィギュアがどうしたこうしたとか、ウェザリングがどうしたこうしたとか、それも、楽しさを追求する一環
としてなら解るんだけど、どうもそういうものを感じないんだよね。
世間って言葉好きじゃないけど、どうせ世間はこんなもの評価しないんだから関係ねえじゃん、徹底的に俺ら
の道楽の楽しさを追い求めようぜみたいな明るさを感じない。
世の中なんて、どうだって良いものがいっぱいないと、生きにくくて仕方ない。
とうだって良いものだって、そういう意味では役に立ってる。
AMとか、それに追従する人達って、自分のやってることを狭い意味でどうでも良いと思えないでいる感じ
がするし、必死さと余裕のなさを感じで楽しくない。
高石みたいに凝ったって良いんだよ、でも、なんか、
「暗い」