14/09/09 12:41:45.99 GZx+68Zu
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元産経新聞社長で、フジサンケイグループ会議議長だった故・鹿内信隆は
社長に就任時するや同紙を反共タカ派の拠点にする方針を掲げ、自分に
さからうリベラルなスタンスの社員のクビを片っ端から切っていった。800人に
及ぶそのリストラの凄まじさは当時、マスコミ界でも “産経残酷物語” といわれたほどです。
こういうことがあって、産経は今のゴリゴリの右派一色に染まった訳です。
その鹿内は戦中、陸軍経理部に招集されていたのだが、産経新聞社長就任後に
桜田武・元日経連会長との対談集 『いま明かす戦後秘史』 (サンケイ出版/絶版)を
出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。
○ 鹿内 軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
○ 桜田 そう、慰安所の開設。
○ 鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女が
いいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの “持ち時間” が
将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。
料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが 「ピー屋設置要綱」 というんで、
これも経理学校で教わった。
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