14/12/22 21:00:30.27 KsbD4fTQ0
文書は1868年のものだそうです。
他の列強に少し遅れ、なかなかどこかの藩と提携が結べなかったプロイセンの駐日代理公使のブラントは、
会津藩と庄内藩の言うように蝦夷地を占領し植民地とすることを宰相ビスマルクに進言したそうなのですが、
ビスマルクは普仏戦争に備え、これを却下したそうです。日本の政治に介入しようとしている他のヨーロッパ列強やロシアに配慮したとも考えられるそうです。
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>証拠の証文もドイツ公文書館にて
>3枚発見されている。
プロイセン駐日公使が与太話の書簡をビスマルクに送っただけ
契約書や証文ならば、松平容保か梶原平馬の署名がされて居る筈です。