15/01/15 03:50:47.05
中世も後半、終わり頃になりますと、だんだんと戦国大名が台頭してきます。
神社もお寺も広大な荘園を持っていたのですが、戦国大名との戦いによって失っていくのです。
要するに神社、お寺の勢力がだんだんと弱まっていきます。
そして、夙も神社との関係が切れてしまいます。完全な百姓村になってしまうのです。
周りの百姓と何ら変わらない。祭りがあっても特別なことは一切しないという百姓村になってしまいます。
江戸時代になりまして身分制度が整えられたときに、この夙の人たちは百姓身分になるのです。
賤民身分にはなりませんでした。百姓身分になるのですが、周りの百姓たちは自分たちとは違う、夙だと。
従来どおり結婚の行き来はしない、普段のつき合いも制限する、そういう態度を変えなかったのです。
その結果、現在、夙村であったところで部落になっているというところがたくさんあります。
特に、京都府、奈良県、和歌山県は夙系の部落というのが非常にたくさんあって、
やはり穢多系の部落と全く同様の結婚差別事件というのが起こったりしています。