邪馬台国畿内説 Part28 [転載禁止]©2ch.net at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part28 [転載禁止]©2ch.net - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
15/01/06 14:41:14.91

2世紀末に建設された纏向遺跡が前代未聞の巨大祭祀空間であり
また北部九州を含む列島各地の文化を受容し融合し、そして全国に発信する中枢的な場であったことは夙に知られている

現・纏向駅近くに計画的に建築された大型建物群は3世紀前半のものと公式発表された
これに比肩するものは弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらない
付近で宗教的行事が行われた痕跡も発見された

この建物群は、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察される
建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いことを勘案すると
三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後箸中山古墳に葬られたと考えるのは合理的である

箸中山古墳は日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり
初期ヤマト政権の初代王墓と考えられるが、被葬者は女性であるという伝承が残る
その葬制の総花的性格から、初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性と考えられる

その死亡時期は3世紀中葉である
この地に中国文化が急速に浸透する時期が、列島が魏晋と通交した時期と重なることを勘案すると
箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、ここが邪馬台国の所都である

3:日本@名無史さん
15/01/06 14:41:46.15

この大型建物が廃絶時には解体され、柱まで抜き取って撤去されたことは後世の遷宮との関連も考えられるが、建物の主の死去に伴う廃絶と考えることに合理性があるといえる
したがって、この建物の主人の活動時期は卑弥呼と重なる

またこの建物は三輪山稜線からの日の出の遥拝を意図して設計された可能性があり、主人が女性である可能性を強く示唆する


2世紀末は、一時的に寒冷化が進んだ時期であることが知られている
これが農村の疲弊や北方民族の南下を引き起こし、中国は天下大乱の時期となった
倭国乱もこの時期である

寒冷化による海退は砂丘の発達を再開させ、温暖期に安定していた砂丘上に発達したいくつもの海浜集落を廃絶に追い込んだ
しかし、この寒冷化が過ぎると、次の古墳寒冷期が開始するまでの間、砂丘上には再びクロスナ層の形成が始まり、集落も再生する

このクロスナ層中の遺物の共伴するのが庄内併行期の土器である

4:日本@名無史さん
15/01/06 14:42:26.92

3世紀初頭から半世紀+αの時間幅が庄内併行期と呼ばれ、卑弥呼の活動期間が稍前倒し的にこれと概ね重なる

この時期は、先行する弥生Ⅴ期に引き続き畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことにその最終時期である布留0期に級数的に進展する
この流入は人的移動を伴うものと考えられており、宗像地区あたりを手始めに博多湾岸に広がり、河川に沿って内陸に浸透する
ちなみに、最後まで在地系の独自性を維持するのが糸島地域である

5:日本@名無史さん
15/01/06 14:42:51.57

日本列島の対外交渉は、古くは勒島貿易、ついで原ノ辻貿易、そして博多湾貿易と移行する
原ノ辻貿易の直接主体が壱岐のオウであり、そこに最も影響力を持っていたのが前原三雲の王であることが有名である
原ノ辻が活気を失い博多湾が対外交渉の主役に躍り出るのが、庄内併行期である

その最終段階では、大和や播磨から移住してきた人々やその二世世代が圧倒的シェアを占める港湾都市で、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする時代となる
前原三雲の王は静かに表舞台から退場していく

3世紀前半末に曹魏を通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纏向以外にありえない

6:日本@名無史さん
15/01/06 14:43:20.98

◆今後議論して整理していく重点項目
 *箸墓=卑弥呼冢説
 *△鏡舶載説

◆参考1
ネット上でも見られる、畿内説を取る代表的な学者のひとり
 寺澤薫が一般向きに書いた論説
纒向学研究 第1号(PDF)
URLリンク(www.city.sakurai.lg.jp)
纒向学研究 第2号(PDF)
URLリンク(www.city.sakurai.lg.jp)

◆参考2
文献ベースの入門的論説
西本昌弘「邪馬台国市論争の学史的総括」日本書紀研究17所収
仁藤 敦史「倭国の成立と東アジア」岩波講座日本歴史1所収


7:日本@名無史さん
15/01/06 14:50:05.69
>>1

8:日本@名無史さん
15/01/06 14:51:31.71


9:www
15/01/06 14:59:23.29
>>1

で前スレ最後は高地性集落のネタだったが

「高地性集落こそ九州無敵鉄器軍団(笑)の東征の証だ!」と飛びつく
ゴミクズレベル九州説は置いといてマジメな話w

昔に軍事的側面のみが強調された原因の一つ、と言うかその根本は
弥生集落の形態をあまりに一義的に一つのモデルで考えた結果だと思う

要するに集落の多様性をあまり考慮せず
「弥生社会=低湿地における水田稲作のムラ」という図式のみに固執しちゃった結果だと・・・

まあそのへんも徐々に改められてその内一般人のイメージの中でも昔の画一的な弥生社会のイメージは変わるんだろう

いまだ吉野ケ里のイメージに固執してるゴミクズレベル九州説とか過去の更に過去の遺物だなw

10:日本@名無史さん
15/01/06 15:07:17.59
後期高地性集落が北陸から九州まで分布している事実を見せつけられると黙ったけどね

11:日本@名無史さん
15/01/06 15:08:17.84
前スレ990の
>≪弥生時代後期から古墳時代初頭の高地性集落≫
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

実は同じ図を手元にあった本で見てたんだがwww

興味深いのは弥生後期から古墳時代の分布で大阪湾から伊勢湾のライン上に集落跡が見える点

マキムクの勃興の要因を交易・文物の往来の中継地点という地勢上に求める場合
いきなり東日本と九州その先の半島大陸からの舶載品…とかいう話じゃなくて

先ずは大阪湾~伊勢湾というライン上からスタートしたと見るほうが自然かと思う

12:孝霊厨
15/01/06 15:09:52.12
急にスレが加速してますね。
神武東征話が邪馬台国と関係あるとはあまり思えませんが。
あるとすれば神武神話=男王を持つ狗奴国側の
東遷論しか可能性は無いと思いますけどね。
結局邪馬台国は畿内で落ち着いてしまいます。

13:日本@名無史さん
15/01/06 15:11:52.45
もともと、纏向に新都が建設されたのも、瀬戸内・環大阪湾勢力と濃尾東海の勢力の和合のためではないだろうか

14:孝霊厨
15/01/06 15:14:38.08
平原の女性王らしき古墳が河内や伊勢方面の様式なのも
畿内方から派遣された航海の安全を守る役目の女性という訳です。

15:日本@名無史さん
15/01/06 15:21:29.95
神武東征を根拠に持ち出したい邪馬台国東遷説の前には、神話の史実性証明という高ぁい高い壁が聳えている

16:孝霊厨
15/01/06 15:26:21.38
今のところ最大公約数的な解釈では、かつて倭国は淡路島周辺に
都があり、そこが邪馬台国と呼ばれていたという結論でしょう。
個人的には磯城(信貴山~二上山周辺)が
可能性としては高いと思いますが。

17:日本@名無史さん
15/01/06 15:43:06.73
倭人は帯方の東南、大海の中に在り、山東に依りて国邑を為る。
帯方郡より倭に至るには、
帯方郡
↓韓国
↓【南】海岸水行7000里
狗邪韓国
↓【南】海渡1000里
津島国(方400里、千戸)
↓海渡1000里
一支国(方300里、三千家)
↓海渡1000里
末盧国(四千戸)
↓【東南】陸行500里
伊都国(千戸)※大率が置かれる
↓【東南】100里
奴国(二万戸)
↓【東】100里
不弥国(千戸)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)
↓【南】水行10日・陸行1月
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)→【東】海渡1000里、国あり皆倭種
↓【南】4000里
侏儒国
↓【東南】船行1年
裸国・黒歯国

◎女王国以北
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、鳥奴国、奴国
その南に狗奴国あり。男王・卑弥弓呼。その官に狗古智卑狗あり。女王国に属せず。
◎帯方より女王国に至るまで12000里
◎倭の地を参問するに、絶えて海中洲島の上に在り、あるいは絶えあるいは連なり、周施5000里

18:日本@名無史さん
15/01/06 15:55:26.58
旧唐書倭国伝

日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、
東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。


「日本」は小国だったんだね。

19:日本@名無史さん
15/01/06 15:56:52.56
>>16
>倭国は淡路島周辺に 都があり、そこが邪馬台国と呼ばれていたという結論でしょう。

はぁ、何言ってんだおまえ。

20:日本@名無史さん
15/01/06 16:03:28.99
URLリンク(www.ops.dti.ne.jp)

[第10回九州縄文研究会 九州の縄文住居で,
これまで松菊里型住居と呼んできたような住居跡がたくさん報告されたのです。
それも,従来言われていたよりも古い,縄文後期とかの例が]


松菊里型住居は奈良にもあったよね。

21:日本@名無史さん
15/01/06 16:04:53.11
古墳時代の皇后・妃に九州出身者は1人もいません。これが神武東征などなかった動かぬ証拠です。

22:日本@名無史さん
15/01/06 16:09:57.82
断言するけど、畿内説は、日本列島における支配者は皇統以外あり得ないという信仰
が生み出した幻想。

23:日本@名無史さん
15/01/06 16:11:52.61
>>18
唐書次代の地理は、魏志や宋書の頃と全然違うね。

24:日本@名無史さん
15/01/06 16:19:04.14
>>18
それ、11世紀時点で中国が入手した、古代日本に関するいくつかの説のひとつだから

25:日本@名無史さん
15/01/06 16:19:45.22
前スレ990の
>≪弥生時代後期から古墳時代初頭の高地性集落≫
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

>>990
この高地性集落図は、邪馬台国が北部九州にあったことの証拠になりそうだな。
北部九州のみが空白ではないか
あたりまえ
そこから進発したから空白である

26:日本@名無史さん
15/01/06 16:20:28.44
則天時、自言、其國近日所出、故號日本國。
蓋惡其名不雅而改之。(唐會要倭國)

倭国が日本に滅ぼされたのではなく
倭国が日本と改名しただけだ
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

27:日本@名無史さん
15/01/06 16:20:37.37
>>22
その断言は東遷説信仰が生み出した幻想。

28:日本@名無史さん
15/01/06 16:21:46.71
邪馬台国の鉄板、畿内説のスレです
もう確定なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつけつつ
敗者に肩を貸してやりましょう

↑滑稽すぎる!! 憐れすぎる!! 涙が出る!!  悲し過ぎる!!

人間狩りが得意な九州勢力(のちの大和朝廷)が
先住民(銅鐸族?)を使役してつくったのが
あの壮大な古墳群だよ
だから銅鐸発掘地と巨大古墳は微妙に近い場所にある
彼らは濠の中に住まわされてたんだぜ
だから、古墳の外周の濠を掘り返すと
かわらけ、生活雑器がでてくる

29:日本@名無史さん
15/01/06 16:24:47.88
倭国の男女は刺青をし、倭国には阿蘇山がある。
これは大和朝廷以前の原住民、土蜘蛛、蝦夷の類だ。

男女の多くが臂(肩から手首まで)、顔、全身に刺青をし、水に潜って魚を捕る。文字はなく、
ただ木に刻みをいれ、繩を結んで(通信)する。仏法を敬い、百済で仏教の経典を求めて得、
初めて文字を有した。卜筮を知り、最も巫覡(ふげき=男女の巫者)を信じている。

阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異となし、因って祭祀
を執り行う。如意宝珠があり、その色は青く、雞卵のような大きさで、夜には光り、魚の眼の
精霊だという。

URLリンク(members3.jcom.home.ne.jp)

30:日本@名無史さん
15/01/06 16:25:59.17
>>25
ほとんど東遷のルートだね。

31:日本@名無史さん
15/01/06 16:31:03.82
>>28
>人間狩りが得意な九州勢力(のちの大和朝廷)が

で、九州の何処から来たって?
それすら分からないのなら根拠なし

このテンションと馬鹿っぷりはサイキバか安曇東遷厨ぽいが誰にせよアホの妄想

32:日本@名無史さん
15/01/06 16:33:54.37
>>30
ほとんど東遷のルートだね。

先ず濃厚な分布を見せるのは九州でも畿内でもなく瀬戸内の中央部
年代も弥生中期から古墳時代で北陸まで広がる

「これを東征の証だ」と見る
東遷説カルト信者脳

もはや学術レベルなんてものじゃなく病院行きレベルwww

33:日本@名無史さん
15/01/06 16:34:06.11
9 :www:2015/01/06(火) 14:59:23.29 >>1
で前スレ最後は高地性集落のネタだったが
「高地性集落こそ九州無敵鉄器軍団(笑)の東征の証だ!」と飛びつく
ゴミクズレベル九州説は置いといてマジメな話w

どういう意図で貼ったのか不可解
右側の図12、東遷説を付会してね?

上の 弥生時代中期後半から後期初頭の
下の 弥生時代後期から古墳時代初期

上から下へ
赤い印(高地性集落)が 見事に東遷してるじゃん

おれはこの下の図を見て涙が出たよ
赤い印が濃くなってるだろ
最後の抵抗だよ

34:日本@名無史さん
15/01/06 16:35:13.70
>>21
>古墳時代の皇后・妃に九州出身者は1人もいません。これが神武東征などなかった動かぬ証拠です。

はぁ?
仁徳の后だった日向髪長媛(ひむかのかみながひめ)は?

35:ローガン
15/01/06 16:35:50.70
前スレ778
「石野博信氏は、箸墓は年代が合わないから卑弥呼の墓ではないと
言っている。長年かけて、必死で年代合わせをし、年代が合うから卑弥呼の
墓だと言ってきたのに、今になって年代が合わないといっている。 」

石野さんが、「今になって年代が合わないといっている」なんていうのは、嘘。
石野さんの1990年著書と内容は変わらない。君は嘘をついた。
嘘でなければ、無知だ。
いや、たとえ、無知でも君が貼った

URLリンク(yamatai.cside.com)
後半の討論部分まで読めば、石野さんの言う意味が理解出来るはず。
やはり、印象操作を目的とした嘘だな。そしてその目論見はあえなく失敗に終わったと


36:日本@名無史さん
15/01/06 16:38:01.26
>>25
だから阿蘇カルデラ内に弥生中期の集落跡はゴロゴロあるって言ってるだろ

37:日本@名無史さん
15/01/06 16:38:14.43
景行の妃にも日向出身者がいるな
つまり日向の沿岸部が畿内に征服されたのだろう
西都原古墳群の出現もこれを物語る

38:日本@名無史さん
15/01/06 16:41:00.28
>>33
>おれはこの下の図を見て涙が出たよ
>赤い印が濃くなってるだろ
>最後の抵抗だよ

馬鹿は涙をいくらでも流しておけw

「赤い点」は後期~古墳時代になっても九州にもあるし北陸は中期からある

まあ証明したければ集落としての実態のないそれこそ「砦」のようなもので
その近辺から征服者の痕跡が見えるものを抽出

それが年代を追って東進してる・・・って程度は出せよゴミクズレベル九州説君w

39:日本@名無史さん
15/01/06 16:41:29.32
旧唐書倭国伝

日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。

↑これも東遷説のことだから 「研究者」に故意に無視されてるが

神武・九州勢力が「近畿」をのっとって、日ノ本・日本と名乗りはじめた

あれ? 以前と変わってないか? おかしくね? シナ人はあやしんだということ
そのまま東遷説だよ、こんな簡略な文章で言い切ってるよ

40:日本@名無史さん
15/01/06 16:43:59.29
>>38
東遷説は邪馬台国畿内説の亜種だろうがよ
九州説攻撃の手段に使うなや田子作が

41:日本@名無史さん
15/01/06 16:44:49.81
しかし高地性集落についてもここのゴミクズレベル九州説・東遷説カルト信者は
見事に70年代辺りのイメージで止まってるなwww

本なんか読まずネットだけで知識仕入れるとしてもどうやったら
そんな周りの時間から隔離されたタイムカプセルの中にいるような芸当ができるんだ?w

やっぱり学問じゃなくて伝統芸能とか宗教なんだろうなwww

42:日本@名無史さん
15/01/06 16:45:13.49
>>37
>つまり日向の沿岸部が畿内に征服されたのだろう

いえいえ日向出身の神武に畿内が征服されましたから。

43:日本@名無史さん
15/01/06 16:45:24.54
九州説が畿内説にすりよってきたのが東遷説だろ田吾作が

44:日本@名無史さん
15/01/06 16:47:28.11
>>40
まあ東遷の時期が邪馬台国以前か以後かだな

だがこの板じゃあ東遷説といえば殆ど邪馬台国東遷説
つまり邪馬台国は九州にあったという九州説だろうがよカス
現実を見ろゴミ

45:日本@名無史さん
15/01/06 16:48:39.56
>>39
何言ってるのかわからん
神武東征は日本の国号が現れる7世紀後半なのか?
日本を名乗ったのが九州から東遷した勢力なら、
征服された近畿は倭国なのか?
九州にいた勢力は何国と名乗っていたのか?

46:日本@名無史さん
15/01/06 16:49:17.47
九州説は巍史倭人伝等の古代文献を元に邪馬台国の存在を探るもの

畿内説は文献無視して何が何でも畿内にはめ込みたいゴッドハンド
東遷説はヤマト王朝が創作した記紀の東遷をこれまた神武に当てはめる妄想

根本的に畿内説と東遷説は亜種同士のカス

47:日本@名無史さん
15/01/06 16:52:44.99
九州にあった邪馬台国と畿内のヤマト王朝は別物

48:日本@名無史さん
15/01/06 16:55:53.29
高地性集落を倭国の大乱と関連付けたのは畿内説の誰かさんだよな。
しかも、年代までそれにあわせてしまった。

そもそも高地性集落がどのような性格の集落かを考えると、
第一に、瀬戸内海を監視するためのもの。あるいは逃げ込む場所と
いうのもあったかもしれない。要するに防御的集落といわれる。

何のために監視するのか。やはり敵がやってくるのを監視するためだろう。
九州では、紀元前から大陸を往来している。漢書・地理志にも書かれているし、
三国史記にも倭兵が攻めてきたという記録が多く残っている。

大陸まで行くのなら、瀬戸内海を往来するのは簡単。たびたび襲っていたの
かもしれない。これが高地性集落の発生の原因であり、だから九州には
高地性集落が非常に少ないといえる。

49:日本@名無史さん
15/01/06 16:58:00.35
>>46
お前がどうほざこうが東遷説の信者どもが
「邪馬台国は九州にあった」というのならそりゃ九州説とするしか無い

自分としてはそんなアホまで相手したくないんで別れて欲しいんだが
本人らもその看板下げる気はないんだから仕方がない
文句があるなら東遷説の信者どもに言えやカス

50:日本@名無史さん
15/01/06 16:58:13.13
>>48
何度も言わせるな
阿蘇カルデラ内の高地に弥生中期の集落跡はゴロゴロしている

51:日本@名無史さん
15/01/06 17:00:30.94
九州にあった邪馬台国と畿内のヤマト王朝は別物
九州にあった邪馬台国と畿内のヤマト王朝は別物
九州にあった邪馬台国と畿内のヤマト王朝は別物

52:日本@名無史さん
15/01/06 17:00:32.57
>>49
違うだろ
ヤマト王朝の元が邪馬台国と言うことにしたい畿内の輩の亜種だろうがよ

53:日本@名無史さん
15/01/06 17:03:37.59
>>48
>しかも、年代までそれにあわせてしまった。

合わせたんじゃない
当初は資料も合致してたんだよ
お前にかかれば全て陰謀論だなゴミクズ

>要するに防御的集落といわれる。

正確には「言われてた」だ
研究が進みそこに集落としての実態があるのが分かってきた

脳内の時計の針と言うかカレンダー調整しろよ馬鹿者
もう昭和でもなければ20世紀でもないぞ痴呆性の爺さんwww

54:日本@名無史さん
15/01/06 17:05:01.82
36 :日本@名無史さん:2015/01/06(火) 16:38:01.26 >>25
だから阿蘇カルデラ内に弥生中期の集落跡はゴロゴロあるって言ってるだろ

↑なんか参考資料はってみ  ↓自爆すんなよ 笑

前スレ990の
>≪弥生時代後期から古墳時代初頭の高地性集落≫
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

55:日本@名無史さん
15/01/06 17:08:43.92
>>54
阿呆もここまでくると病気だな
スキルが低くて自分がネットで探せないものは知識になくバカを晒すw

56:日本@名無史さん
15/01/06 17:09:09.85
石鏃形式や大型石鏃の出土状況から、九州と近畿、瀬戸内と近畿といったような大きな争は基本的にはなかったというのが考古学の主流的な見解

57:日本@名無史さん
15/01/06 17:11:34.09
東遷説って皆からの嫌われ者だね

58:日本@名無史さん
15/01/06 17:11:41.15
だから阿蘇カルデラ内に弥生中期の集落跡はゴロゴロあるって

↑これって邪馬台国と対立してた菊池彦の遺跡じゃね? さらなる自爆の予感 失笑

59:日本@名無史さん
15/01/06 17:14:49.82
>>41
>そんな周りの時間から隔離されたタイムカプセルの中にいるような芸当ができるんだ?w

自己レス

結局邪馬台国でアタマ一杯一杯のアホは自分の好みに合うセンセーショナルに書いてある物しか見ないってことなんだろう

そういう本は過去も現在もごちゃまぜにして学説を出してる
(例の「邪馬台国○会」もその傾向が強いので要注意)

だから高地性集落もン十年前のものしかアタマにない

もっとも今のものを見せられても
「東征はあったんだ」
というお話前提でしか見ることができないセルフ洗脳状態なので同じなんだがwww

60:日本@名無史さん
15/01/06 17:18:00.27
>>58
どこまで馬鹿を晒すのか

61:日本@名無史さん
15/01/06 17:21:27.20
>≪弥生時代後期から古墳時代初頭の高地性集落≫
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

この高地性集落図は、邪馬台国が北部九州にあったことの証拠
北部九州のみが空白
あたりまえ
そこから進発したから空白である

62:日本@名無史さん
15/01/06 17:25:11.70
ほれ
阿蘇市高森町幅・津留遺跡
URLリンク(kumanichi.com)

ちなみにこの大規模遺跡以外にも集落跡はゴロゴロしてるし古墳もあるで阿蘇カルデラ自体標高はかなりあるけどなw

63:孝霊厨
15/01/06 17:34:52.96
いくら頑張っても、奴国や狗奴国が東進した事で
説明ついてしまうのにね。
記紀の記述からも女王国は瀬戸内海しか有り得ない。

64:日本@名無史さん
15/01/06 17:38:05.76
東遷基地害は黙ってしまったなw
吉野ヶ里を凌ぐ遺跡の存在も知らず高地性集落だのなんだのアホすぎる
阿蘇には他にもたくさんあるで
URLリンク(kyouiku.higo.ed.jp)

65:孝霊厨
15/01/06 17:41:21.89
まぁ天孫降臨自体も、所詮は対岸の四国、土佐辺りから九州へですよ。
持ってる太刀は中国地方の形ですね。

66:日本@名無史さん
15/01/06 17:44:05.33
東遷基地外が反省するはずがない
他スレに出張してるだけだろ
共産党最高とか言ってそうだよ

67:日本@名無史さん
15/01/06 17:52:18.43
「高地性集落」とかなまじ考古学的なものを出すから返り討ちにあうんだよ東遷厨は・・・

68:孝霊厨
15/01/06 17:53:47.73
結局卑弥呼とは日女命でしょう。
個人名ではなく巫女王の総称みたいなもんで。

69:日本@名無史さん
15/01/06 17:56:12.52
唐がスメラミコトを聖武天皇の実名だと誤認したのと同じだろうね

70:日本@名無史さん
15/01/06 18:03:06.91
>>61
唐津って北部九州何だが、東遷説は無知でそんなことも知らない

71:日本@名無史さん
15/01/06 18:03:53.96
なまじ考古学的なものを出すから返り討ちにあうんだよ東遷厨は・・・

全然返り討ちに会ってない 笑

せっかく貼ってもらってなんだけど
お前、何も理解してない
この、熊本の遺跡、そもそも高地なのか
標高がどうとか意味ないから…

瀬戸内海や大坂の高地性集落と全然別物
緊迫感がなさすぎる
長閑すぎる
人間狩りからの逃避場所だよ
勉強しなおせ

72:日本@名無史さん
15/01/06 18:06:24.09
しっしっ

73:日本@名無史さん
15/01/06 18:11:17.67
>>16
論より証拠

74:日本@名無史さん
15/01/06 18:13:21.02
どんどん世間様に通用する代物からかけ離れていく東遷説

75:孝霊厨
15/01/06 18:13:27.02
結局は台与も卑弥呼なんでしょうかね?
丹後の系図でも日女命が複数存在してるので、
もしかすると台与の後にも卑弥呼がいたのかも知れない。
でもそのあたりは推測しようがない。
卑弥呼を個人と捉えた事で、後世に色々混乱したのかもね。

76:日本@名無史さん
15/01/06 18:19:16.06
水稲栽培も、中世以前は平地よりも洪水の心配のない水を求めて、
高地の平野に好適地を得たんだよな。

77:日本@名無史さん
15/01/06 18:19:21.68
結局ウソツキ東遷厨は>>35には答えられずに逃亡したわけね

78:孝霊厨
15/01/06 18:20:32.05
>>73
どんな証拠が必要なんだ?
少なくとも記紀では倭の国土の始まりは淡路島から。
国生みで生まれた島に神名があるが、女性神なのは
四国瀬戸内側、伊予二名島だけであとは全て男神。
普通に考えると、女性が神格化されてる国が女王国だろう。

79:日本@名無史さん
15/01/06 18:34:07.41
>>71 東遷厨
>長閑すぎる

長閑ねえ・・・

弥生の中期から古墳時代までの物に東征とか重ねようってのが余程に気の長いというかバカそのものだがwww

>瀬戸内海や大坂の高地性集落と全然別物
>緊迫感がなさすぎる

例えば大阪の観音寺山遺跡
環濠があったのは後期の初期頃でそれが埋まってしまってからも百年は集落としての実態が確認されてる

じゃあ砦として造られたものが再利用的に普通の集落になったのか?といえば集落の構成にも変化はない

東遷説のアホは70年代辺りのイメージで知ったかぶりで「高地性集落は~」とほざくが
集落個々において事情は違う

壮大な東征ストーリーに結びつけるのに必死だが
それはアホの所業というものですハイwwwwwwwww

80:日本@名無史さん
15/01/06 18:51:58.20
危機が去っても好適地なら残るし、危機がなくても好適地ならもともと存在する。

81:日本@名無史さん
15/01/06 18:52:03.45
>どんどん世間様に通用する代物からかけ離れていく東遷説

それってひょっとして東遷説カルト信者どもには褒め言葉なのかもwww

原理主義で
「この世の全ては神様がお作りになった」
「地球が丸いなんてウソ、パンケーキ型」
とか言って周囲から白い目で見られても

信者にすればそれは神の教えを守る自分に与えられた試練みたいなものとかってノリでwwwww

82:日本@名無史さん
15/01/06 18:56:52.45
ブーメランストリートの類か。
何十本刺さってるんだか。

83:日本@名無史さん
15/01/06 19:02:38.70
>>868
無知を晒し恥をさらし続けるす東遷厨にとって悲しい真実を見せてあげよう

≪弥生時代後期から古墳時代初頭の高地性集落≫
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

↑近年、これほど悲しい自爆をみたことがない

84:日本@名無史さん
15/01/06 19:10:20.39
>>82
刺さっては投げ刺さっては投げ
その命尽きるまで止めないサルの自慰行為w

85:日本@名無史さん
15/01/06 19:11:59.79
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)

ここでは神武東遷を紀元前後としているな
個人的にはそもそも神武東遷はなかったと思うが

86:日本@名無史さん
15/01/06 19:12:41.99
しかし九州に高地性集落がないとか書いてるWikiって
参考にした資料が余程古いのか?
それとも知っててわざと嘘を書いたのか?

東遷説カルト信者による仕業の可能性ありや?w

87:日本@名無史さん
15/01/06 19:21:32.02
刺さっては投げ刺さっては投げ
その命尽きるまで止めない近畿説論者の自慰行為w

>集落の分布状況から、弥生中期~後期にかけて、北部九州~瀬戸内沿岸~畿内の地域間で軍事衝突を伴う
>政治的紛争が絶えなかったとの推測もなされている。
>豊中市勝部遺跡の木棺から石槍が背に刺さった遺体や石鏃を数本打ち込まれたらしい遺体も発見されている。
>これらの遺体は争乱の犠牲者とみられる。

88:日本@名無史さん
15/01/06 19:23:13.28
弥生中期~後期
何世紀かかってんだよw

89:日本@名無史さん
15/01/06 19:26:11.66
>>87
で、その「豊中市勝部遺跡」のものが対東征勢力の戦いの中で生じたものだという根拠は?

九州無敵軍鉄器団(笑)の東征がなけれbは戦いなんて起こらないとでも考えてるのかな?
東遷カル信者の脳はお花畑満開でwwwwww

ホレさっさと言わんかゴミクズwww

90:日本@名無史さん
15/01/06 19:27:48.72
2世紀の低墳丘後さえない奈良ワロタwww

3世紀からの高塚は外来勢力によるもの。

91:日本@名無史さん
15/01/06 19:28:56.70
神武東征は弥生中期に起きたのか
すると3世紀に邪馬台国は畿内にあったのだな

92:日本@名無史さん
15/01/06 19:32:06.57
記紀によれば神武天皇が御東征遊ばされる時
北部九州でも瀬戸内でも皇軍を阻む勢力はいなかった
途中で戦闘が起きたなど嘘っぱちだ

93:日本@名無史さん
15/01/06 19:32:14.53
東遷厨の新春一発芸大会まだまだつづくよ~

94:日本@名無史さん
15/01/06 19:33:41.95
>>83
徐々に大河川の中流域に進出していったわけだな。

95:日本@名無史さん
15/01/06 19:34:30.68
こういうのは一発芸ではない
馬鹿の一つ覚えというのだ

96:日本@名無史さん
15/01/06 19:35:58.36
九州というだけで九州の何処から来たのか分からないのが東遷説w
で今度は高地性集落を持ち出すなら年代は弥生中期から古墳時代までの数百年間

何処から来たのか?いつ来たのか?
・・・分からないけれど九州から来たということにすれば満足するアホの集団が東遷説www

97:日本@名無史さん
15/01/06 19:36:06.00
高地性集落遺跡については、倭国大乱の時期とほぼ同じ時期(弥生後期の第二期)のものが顕著な形で
近畿地方に残っており、これは神武の近畿侵入に対応する可能性がある。
森浩一氏は、その争乱の深刻さは自身で遺跡を踏破した人しか理解できないほどで、
室町時代の“戦国期”にも相当する旨、記しているから、あるいは神武の軍隊は吉備辺りでかなりの軍備を
整えたのかもしれない。大和岩雄氏も、①「二世紀後半の倭国の争乱の時期の高地性集落は、
東部瀬戸内から畿内にかけての地域と紀伊水道の東岸で、吉備以西には認められない」、
②神武東征伝承において、「吉備で戦闘準備をし、長期間滞在したという伝承は、吉備勢力の存在を認めている。
この東征伝承では、難波から河内に入り、敗れて紀伊国に上陸しているが、第五期前半の高地性集落が、紀伊水道の東岸にまでみられることと、なぜか合う」、という理由をあげて、「吉備を東征の拠点としている伝承と、
倭国争乱時の高地性集落は、適合する」と記している(前掲「邪馬台国と初期ヤマト政権」)。

神武の大和侵入は、その結果として畿内から銅鐸を祭祀具とする文化とその奉持者を駆逐した。
なかでも、伊勢・伊賀辺りを本拠としていた伊勢津彦らの一族は、東に逃れて諏訪氏族の母体となり、
これと同行した伊豆・服部氏族の祖からは武蔵などの東国諸国造家や磐城などの陸奥諸国造家が多く分出したことから
みて、その衝撃の大きさも知られる。

森浩一氏は、その争乱の深刻さは自身で遺跡を踏破した人しか理解できないほどで、

↑立派やね…  それに比べて、「近畿厨」!!  アホすぎる、長閑すぎる

98:日本@名無史さん
15/01/06 19:36:13.20
大和朝廷が誕生したのは
神武東遷よりも前。
出雲国譲りの時だ。

99:日本@名無史さん
15/01/06 19:38:23.96
九州説イコール東遷説という決めつけは止めてくれないかな。
東遷説じゃない九州説もあるんだけど。俺としては、東遷説と畿内説主流派
(ハシハカは卑弥呼またはトヨの墓説)の根は同じ(邪馬台国が大和朝廷に
なった)と見ているんで、畿内説派が東遷説ばかり攻撃するのが意味不明だ。

100:日本@名無史さん
15/01/06 19:40:00.25
九州説も東遷説も同じ穴のアナル

101:日本@名無史さん
15/01/06 19:42:46.41
>>97
>高地性集落遺跡については、倭国大乱の時期とほぼ同じ時期(弥生後期の第二期)のものが顕著な形で
>近畿地方に残っており、これは神武の近畿侵入に対応する可能性がある。

そりゃ古墳時代のものまであるんだから年代を合わせよってんならよりどりみどりw

が結局神武東征コースに外れる北陸のもの弥生中期のものまで出てるんだから
森だろうが誰だろうがそれを結びつけての論は牽強付会

本当ゴミクズレベル九州説って普段畿内説を「学者の言うことに黙って従う」とかほざくが
自分達こそ都合のいいことを言ってくれる学者をマンセーするお調子者w

102:日本@名無史さん
15/01/06 19:43:32.56
>>100
わかってないな。東遷説じゃない九州説というのは、邪馬台国は西進した
大和朝廷によって滅ぼされたという立場だよ。邪馬台国と大和朝廷は全く別という説。
「それは全く考えられない」というなら、それこそ非科学的の極みだな。
邪馬台国イコール大和朝廷だという絶対的根拠なんかあるわけない w

103:日本@名無史さん
15/01/06 19:45:01.76
>>87
で、その「豊中市勝部遺跡」のものが対東征勢力の戦いの中で生じたものだという根拠は?

・・・逃げるなよゴミクズ

自分に都合の良さそうなものを貼り逃げするだけのゴミクズ

104:日本@名無史さん
15/01/06 19:46:03.52
東遷説は「邪馬台国が大和朝廷になった」とはいうが
「九州にあった邪馬台国が、卑弥呼以後に東遷して大和朝廷になった」とするので
畿内説とは根本的に相入れない

105:日本@名無史さん
15/01/06 19:46:44.33
九州説と畿内説両方から邪魔者扱いされる東遷説って(笑)

106:日本@名無史さん
15/01/06 19:49:38.36
邪馬台国が九州の地方政権だったとするのは
考古学上での畿内と魏、九州と魏、畿内と九州の関係からしてあり得ない
文献的にも邪馬台国は九州島内に存在し得ない

107:日本@名無史さん
15/01/06 19:51:35.82
>>104
>「九州にあった邪馬台国が、卑弥呼以後に東遷して大和朝廷になった」とするので
>畿内説とは根本的に相入れない

ついでに
「邪馬台国は九州にあった当時畿内にヤマト王権がおきてたが邪馬台国とは別物」
という、まあ理論上は成り立つ九州説とも相容れないwww

九州に邪馬台国があっても既にヤマト王権がおきてたなら自分達は根こそぎ吹っ飛ぶ
教団の死活問題w

だから何が何でも年代は例えそれが畿内説の大先生によって提唱されたものであっても
九州と150年の開きがあるものでも
兎に角70年代辺りの環境に戻さないといけないと必死w

故に高地性集落の理解も大昔のものを平気で持ってくる馬鹿丸出し

108:日本@名無史さん
15/01/06 19:51:38.94
≪弥生時代後期から古墳時代初頭の高地性集落≫
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

が結局神武東征コースに外れる北陸のもの弥生中期のものまで出てるんだから

↑あほか  分布と遷移  基本的なことから真鍋 ネットの中だけ居丈高でこの先どうする
神武勢力にトっ捕まって古墳作らされるの嫌だから必死に北陸まで逃げたんじゃないか
逃げ遅れた奴隷の子孫がお前だがな 笑

109:日本@名無史さん
15/01/06 19:52:08.72
東遷説には記紀というテキストはあるけど、考古学調査の結果では小国乱立で、
東征するような力のある国があったという証拠は今のところないからな。

110:日本@名無史さん
15/01/06 19:52:25.54
2世紀の低墳丘墓さえない奈良ワロタwww

3世紀からの高塚は外来勢力によるもの

111:日本@名無史さん
15/01/06 19:52:42.42
帯方郡
↓水行七千里
狗邪韓国
↓海渡千里
津島国
↓海渡千里
一支国
↓海渡千里
末盧国
↓陸行五百里
伊都国
↓(東南)百里
奴国
↓(東)百里
不弥国
↓(南)水行20日
投馬国
↓(南)水行10日・陸行1月
邪馬台国

女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり


畿内説は、邪馬台国から東に海を渡った倭人の住む国を明らかにせよ!

112:日本@名無史さん
15/01/06 19:53:28.50
>>109
邪馬台国が畿内という証拠もないよね。

113:日本@名無史さん
15/01/06 19:55:17.57
>>106
それでもいわゆる「偽僭説」的なものを出せば可能性はゼロじゃないwww

実際地方の一勢力が外国に向かって日本の王であると名乗った事例はあるんだからwww

もっともそれは単なる可能性ってだけであったとことを証明するのはそれを主張する九州説側にある

で実際にそれがあっただろうと示唆するような材料がない

だから三角縁神獣鏡が国産で箸墓が卑弥呼の墓であることに疑問を持つ人間がゴマンといても
結局は畿内説しか無いわけwww

114:日本@名無史さん
15/01/06 19:57:29.81
>>102
それなら分かるが
どうせ九州説でパズルを解くことは不可能

115:日本@名無史さん
15/01/06 19:57:35.01
>>98
神武東征だけでなく、出雲国譲が、それとは別にあったとする人は、このスレ初かも。
出雲はどこにいて、どこを譲ったと考えてるのかな?

116:日本@名無史さん
15/01/06 20:01:03.29
>畿内説は、邪馬台国から東に海を渡った倭人の住む国を明らかにせよ!

坂東人とかいくらでも倭人はいるけど、どう考えてもいちいち記録に残すような価値はないわな

117:日本@名無史さん
15/01/06 20:01:28.96
>>92
畿内は既に、同じ民族の饒速日が制圧していたからね。
長髄彦という先住民族と共同でだけど。

118:日本@名無史さん
15/01/06 20:01:51.97
>>108
>神武勢力にトっ捕まって古墳作らされるの嫌だから必死に北陸まで逃げたんじゃないか

で北陸の高地性集落に畿内の痕跡があるのかな?
根拠なし
東遷厨のアホの毎度毎度の妄想

>逃げ遅れた奴隷の子孫がお前だがな 笑

まあそう言うコンプレックスが東遷説の根っこなのかな?
どの道大和王権が全国を支配する

九州にも前方後円墳が造られるんだから九州の人間も奴隷になるし他の地域もしかりw

でもその大和王権が「ボクの考えた無敵鉄器軍団(笑)」の後裔なら
自分はその外にいられるとwww

心配するなゴミカス

俺もお前もその奴隷とやらの子孫だよwww

仮に古墳時代まで遡れる家柄としても世代を遡るごとに倍々でご先祖さんは増える

何処かで奴隷の子孫の血が入ってるからwwwwwww

119:日本@名無史さん
15/01/06 20:05:49.38
>>78
>どんな証拠が必要なんだ?
>少なくとも記紀では倭の国土の始まりは淡路島から。

で、初めての都は九州だし、その後で東征してるよね。
少なくとも記紀では。

他に、どんな証拠が必要なんだ?

120:日本@名無史さん
15/01/06 20:06:48.20
学説とは無関係に、必死すぎる書き込みが楽しいスレだな

121:日本@名無史さん
15/01/06 20:06:48.80
>>92
畿内は既に、同じ民族の饒速日が制圧していたからね。
長髄彦という先住民族と共同でだけど。

↑両方とも九州から来たんだというところがポイント

122:日本@名無史さん
15/01/06 20:07:18.42
2世紀の低墳丘墓さえない奈良ワロタwww

3世紀からの高塚は外来勢力によるもの

123:日本@名無史さん
15/01/06 20:08:34.77
>>87
で、その「豊中市勝部遺跡」のものが対東征勢力の戦いの中で生じたものだという根拠は?

>>108
>神武勢力にトっ捕まって古墳作らされるの嫌だから必死に北陸まで逃げたんじゃないか

で北陸の高地性集落に畿内の痕跡があるのかな?

・・・ド低脳丸出しの 東遷説カルト教信者 はその場その場で思いつきをほざくだけ

後を続ける脳もなければそもそも根拠なんか考えてもない

もう東遷説は東遷説で九州説とは別の看板出してくれんかね?

 

124:日本@名無史さん
15/01/06 20:08:44.17
学説とは無関係に、必死すぎる書き込みが楽しいスレだな

↑シュリーマンはなんて言われたのかな?

125:日本@名無史さん
15/01/06 20:09:54.11
>>121
邪馬台国が内乱でグダグダになった後、大陸との交流を通じて最先端地域である九州勢力が、
軍事的優位をかさに、大稲作地帯である畿内に波状攻撃を仕掛けたわけか。

126:日本@名無史さん
15/01/06 20:11:09.97
>>124
女の敵レベルの巨乳好きだっけ?

127:日本@名無史さん
15/01/06 20:11:44.19
>>87
で、その「豊中市勝部遺跡」のものが対東征勢力の戦いの中で生じたものだという根拠は?

近畿地方に残っており、これは神武の近畿侵入に対応する可能性がある。
森浩一氏は、その争乱の深刻さは自身で遺跡を踏破した人しか理解できないほどで

128:日本@名無史さん
15/01/06 20:12:41.89
710 名前:日本@名無史さん :2015/01/06(火) 14:41:27.78
天照大御神は、子や孫を日本列島に送り込んだ。

孫の邇邇芸がまず落ち着いた土地は、韓国に向かう良い土地で、そこは朝鮮語で
都を現す、「くシフル」という所だった。

この時点で、天照大御神は高天原にいるし、その後も日本列島に来たという話は聞かない。

その後、邇邇芸の子孫が九州から畿内を征服した。

昔、天皇家は朝鮮半島南部に領土を持っていたという有力な説がある。
しかし、その土地は、朝鮮半島を統一しようとする新羅との白村江の戦いで完全に失った。

これらの話を統合し分かりやすくすると、天照大御神は朝鮮半島南部にいたが、
新羅に圧迫され、子や孫を新天地である日本列島に派遣した。
孫の邇邇芸の子孫が畿内の先住勢力を撃ち、王となった。

天照大御神の土地、朝鮮半島南部も維持しようとしたが、新羅の力が増し、同盟国百済
も滅ぼされそうになった。
そこで、最後の決戦を挑んだが完敗し、遂に天照大御神の土地を失った。

だから、日本列島には天照大御神の墓がない。

129:日本@名無史さん
15/01/06 20:15:16.85
>>127
何だそりゃ?

もしかして「根拠」を説明したつもりか?

そうなら結局「森浩一センセイがこういいました」としか言ってないぞゴミカス

お前らの根拠というのは考古学者が言えば考古学的根拠になるのかアホウwww

何の事はない学者の言うことを鵜呑みにするのがゴミクズレベル九州説www

無論自分らに都合が良ければだがwwwwwww

130:日本@名無史さん
15/01/06 20:15:22.09
時代が下れば食糧増産力も上がり、飢饉での戦争の頻度も激しさも上昇するよね

131:孝霊厨
15/01/06 20:17:24.54
>>119
初めての都が九州なんていう記述あったかな?
東征の事をいうなら初めての都は秋津島で奈良だよ。
九州は出身地にすぎないのだが。

132:日本@名無史さん
15/01/06 20:18:39.51
>>130
まあ稲作の比重が高まれば高まるほどハイリスク・ハイリターンになったとは想像できるだろうな

リスクを分散で考えれば米以外の堅果類、察穀類等々にも比重をおいたほうが安全だろうと

あと人口の集中もリスクが高い、もっともそれによるメリットも大きいんだろうが

133:日本@名無史さん
15/01/06 20:24:42.24
>>132
飢饉になれば村の面子の何割かが死ぬ。それが前近代では当たり前の話だった。
それが嫌だから、回りに奪えるものがあれば戦争を起こしてでも奪った。

そこが分からなければ、前近代の、特に古代の歴史は見えてこないかもね。

134:日本@名無史さん
15/01/06 20:30:41.61
大型古墳がつくれるほどに
土木灌漑技術が発達してから、
畿内は大発展を始めた。

それは三世紀後半から始まり、
四世紀後半ころにピークを迎える。

それまでは近隣と比べても、
大幅に遺跡数が少ない寒村に過ぎない。

135:日本@名無史さん
15/01/06 20:31:06.59
>>133
何か「自分は古代史が見えてます」って言いぶりだが
何が言いたいのかな?

まあ奪うたって相手も無抵抗でやられてくれるわけはない
それすらわからないのならトンデモに行き着いちゃう可能性があるなw

136:日本@名無史さん
15/01/06 20:36:36.91
>>121
>↑両方とも九州から来たんだというところがポイント

東遷厨 息する如く 嘘を言い

137:日本@名無史さん
15/01/06 20:40:34.53
>>121
>>92
>畿内は既に、同じ民族の饒速日が制圧していたからね。
>長髄彦という先住民族と共同でだけど。

>↑両方とも九州から来たんだというところがポイント

記紀では、神武は九州から畿内だけど、神武と親戚の饒速日は高天原からで、九州から
ではないよ。
このことからも、高天原は九州にはないことがわかる。

天照大神が、日本列島に居たとか来たとかいう事実はない。

138:日本@名無史さん
15/01/06 20:43:20.83
>>121
>↑両方とも九州から来たんだというところがポイント

東遷厨 息する如く 嘘を言い

北九州から近畿地方に遷住した氏族・部族は大和朝廷の主要豪族の殆どを占めるが、主なものについて
源郷等を例示すると、次の通り。なお、大伴氏族、中臣氏族等も北九州からの遷住の例外ではなく、
神武に随行かそれより早く畿内に移住していた。
① 物部氏族 太田亮博士の筑後平原起源説をはじめ、鳥越憲三郎氏『大いなる邪馬台国』や谷川健一氏『白鳥伝説』
などでも説かれて論者は多く、かつ、ほぼ妥当と思われる。
② 少彦名神一族 製鉄鍛冶部族としての色彩が濃厚で、物部氏もこの一族であるが、少彦名神と同人か兄弟の
天目一箇命の一族後裔が筑前国夜須郡から出て、出雲を経て近江国野洲郡に定住した。
その本宗は近江の三上祝であるが、畿内には凡河内国造・山背国造が分岐した。応神・継体を出した息長氏族も
この分岐であるが、出雲で分れて九州・四国さらに播磨を経由したという複雑な経路を辿った。
③ 阿曇氏など海神族 筑前国糟屋・那珂郡を源郷にして、畿内に入り、倭国造・和邇氏族・尾張氏族などを分岐した。
海神豊玉彦命・猿田彦命一族の流れである。このうち、“地祇”に分類されたのは阿曇連・倭国造であるが、
他は系譜仮冒して皇別とか天孫に位置づけられ、なかでも和邇氏族から分れた皇別の氏族は多い。
④ 三輪氏族 海神族の一派で味?高彦根命の後裔で、源郷は③に同じ。③も含め、畿内の先住民で“地祇”に
分類されたこれら氏族ですら九州から東遷したものであると、皇室の先祖が他の地域から大和に入ってきたことが
傍証されよう。

139:日本@名無史さん
15/01/06 20:44:42.43
>>135
奪いたくても相手が強いなら奪えない。
奪いたくても同盟などで奪い辛いなら奪えない。

奪える相手が比較的多かったのが古代と中世。少なかったのが上代と近世。

そんな当たり前の話を、今の社会の常識から離れられずに理解できない子って、
意外と多いんだよね。特に女の子。

政治的な主張とか、明らかに想像力の限界があるでしょ。なのに世界を救うためにとか
本人は信じてる。

140:日本@名無史さん
15/01/06 20:46:08.25
神武と親戚の饒速日は高天原からで、九州からではないよ。

↑最低限、先代公事本記はめくろうよ

141:日本@名無史さん
15/01/06 20:47:41.53
>>138 やっぱり 安曇東遷厨(包茎・脱糞が大好きっこの別名 スカトロ東遷厨) のアホだったかw

この場合第一次資料の記紀に書いてないのだからそこからの出た諸説の一つ出しても意味なし

嘘つきは 東遷厨の始まり

142:日本@名無史さん
15/01/06 20:52:43.03
>>138 安曇東遷厨(包茎・脱糞が大好きっこの別名 スカトロ東遷厨)

まあ弥生中期から古墳時代まで九州から何百年も東征し続けたとか言ってて恥ずかしくないのかゴミ?w

お前みたいなドキチガイでも邪馬台国畿内説ではあるんだろうがそれだけでもこっちが恥ずかしいわwww

143:日本@名無史さん
15/01/06 20:53:39.77
長脛彦が九州から来たとは初耳だ
是非根拠を示していただきたい

144:日本@名無史さん
15/01/06 20:55:51.43
すまん 誤解招いた
おれのいう両方は、神武とニギハヤヒ

145:日本@名無史さん
15/01/06 20:58:50.37
>>140
邇邇芸の兄弟なんだから、邇邇芸と同じように高天原生まれだろう。
邇邇芸は、高天原から九州に降りたが、饒速日は畿内に降りた。

高天原は、九州ではないんだよ。

146:日本@名無史さん
15/01/06 21:00:23.74
長髄彦は、文字通り脛が長い異民族でしょ。
縄文系だよ。

147:日本@名無史さん
15/01/06 21:03:00.13
ニギハヤヒと天火明命(ニニギの兄ないし子)を同一視すると、
ニニギの曾孫である神武の大叔父か曽祖叔父になるな
子が神武に降伏したとするには世代が合わない

148:日本@名無史さん
15/01/06 21:06:27.57
と に か く 

東遷説は東遷説スレでやれやゴミカス

ゴミはゴミ箱へ

149:日本@名無史さん
15/01/06 21:13:37.66
↑疲れてきた?

150:日本@名無史さん
15/01/06 21:22:27.43
>>148
議論する能力がないなら、黙っていればいいのに。

151:日本@名無史さん
15/01/06 21:35:06.90
正月三が日が過ぎて急に書き込みの勢いが増した感じだな

152:日本@名無史さん
15/01/06 21:46:06.57
畿内説は、記紀にある神武東征は認めないで、記紀にない卑弥呼は畿内を主張するんだよね。
不敬にもほどがあるだろ。

153:日本@名無史さん
15/01/06 22:06:03.98
2世紀の低墳丘墓さえない奈良ワロタwww

3世紀からの高塚は外来勢力によるもの

畿内人は征服されよったwww

腹痛いwww

154:日本@名無史さん
15/01/06 22:08:42.17
>>153 安曇東遷厨(包茎・脱糞が大好きっこの別名 スカトロ東遷厨)

文化の伝播ではなくて征服だったという根拠は?

ほざくことほざくこと尽く根拠が無いのが東遷説カルト教信者

155:日本@名無史さん
15/01/06 22:09:59.55
>>154
急激に現れる事は文化の伝播ではないのだよwww

支配者の移住www

156:日本@名無史さん
15/01/06 22:13:02.72
>>155 安曇東遷厨(包茎・脱糞が大好きっこの別名 スカトロ東遷厨)
根拠なし

そもそも急激か急激でないかの基準は?

馬匹文化の登場を急激とみなせば騎馬民族征服王朝説の出来上がりその他諸々

馬鹿すぎ

で東征勢力は九州のどこからいつやって来たって?

157:日本@名無史さん
15/01/06 22:17:28.10
あまりにも酷い日本人に対する暴行と
それが野放しにされてきた日本社会…

ボクたちが暴力的だったわけ
~朝鮮高校の青春~

著者 : 金漢一 (朝日新聞 編集部員)
URLリンク(www.amazon.co.jp)

とりあえずレビュー見て判断してみて…

158:日本@名無史さん
15/01/06 22:18:17.69
>そもそも急激か急激でないかの基準は?

低墳丘墓の系譜がないから。

>馬匹文化の登場を急激とみなせば騎馬民族征服王朝説の出来上がり

半島南部にはアルタイ系の地下式木槨墓が突然現れるが騎馬民族のものだと言われてる。

>で東征勢力は九州のどこからいつやって来たって?

大阪和泉に纏向遺跡に先行する墳墓がある。

つまりアズミだwwwwww

159:日本@名無史さん
15/01/06 22:22:07.07
しかしあれだな。
邪馬台国論争といえば、誰でも何とでも言えるパラダイスだったのに、
考古学の進歩である意味味気なくなっちまった。
まだ楽園追放されまいと頑張ってる人もいるみたいだけど。

160:日本@名無史さん
15/01/06 22:25:18.56
>>158 安曇東遷厨(包茎・脱糞が大好きっこの別名 スカトロ東遷厨)
>低墳丘墓の系譜がないから。

アホか系譜がないから外からインポートするんだろうがゴミ

>大阪和泉に纏向遺跡に先行する墳墓がある。

前方後円墳とてその源流は楯築とか言われてる
畿内周辺に先行事例があっても東遷説につながらない

それどころかわざわざ九州のものを入れなくても近くにお手本があったって話

馬鹿は自分で首を絞めてるのに気がつかないw

161:日本@名無史さん
15/01/06 22:25:36.35
日本書紀は、
魏志云 明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也
と、倭の女王を、神功皇后と並存する人物として記述している。

それなのに、記紀を軽視する人は、卑弥呼を記紀にある人物に比定しようとする。

162:孝霊厨
15/01/06 22:27:07.40
長脛彦、スネが長いかナーガ、スネーク彦かは悩むところ。
蛇男なら大物主だよね。

163:日本@名無史さん
15/01/06 22:27:50.73
未だに懲りずに邪馬台国朝鮮半島説を唱えてる人もいる
邪馬台国が比定されると職を失う人たちがいっぱいいて、
新事実が明らかになればなるほど必死になって悪あがきしてる
もはや学問じゃなくて労働運動だよ

164:日本@名無史さん
15/01/06 22:29:44.22
>アホか系譜がないから外からインポートするんだろうがゴミ

インポートで済んだら征服王朝がなくなってしまうよねw

>前方後円墳とてその源流は楯築とか言われてる
畿内周辺に先行事例があっても東遷説につながらな

そうだよ。
筑備讃播だねwwww

寺澤大先生も言ってる筑紫を忘れちゃダメだね、君。
九州最強鉄器軍団が怖いのかなwww

165:日本@名無史さん
15/01/06 22:30:05.07
謎のシンクロ「探偵eye」というドラマの主人公

そしてモレが信onというゲーム内に作成したキャラクター名
偶然だけど同じなんだよwちなみに風雲忍者ね

マイちゃん、メイちゃん、梅ちゃん
クリスタルにネプチューンマン、悪魔666にブルーなんとか

166:日本@名無史さん
15/01/06 22:31:37.72
>>158 安曇東遷厨(包茎・脱糞が大好きっこの別名 スカトロ東遷厨)
で東征勢力は九州のどこからいつやって来たって?

畿内周辺、九州以東に纏向の文物の源流があってもそりゃ文化の伝播を補強することになっても
東遷説にはマイナスだぞゴミカスwwwwwww

東遷説をほざきたければ
そのルーツが九州のある地域にしかなく
それも文化の伝播で説明しにくい例えば鏡なら同笵同型ぐらいのものを出せ馬鹿者w

 消火器の押し売り
   「消防署の方から来ました」
 東遷説の押し売り
   「九州の方から来ました」

167:日本@名無史さん
15/01/06 22:35:47.66
>>164 安曇東遷厨(包茎・脱糞が大好きっこの別名 スカトロ東遷厨)
>インポートで済んだら征服王朝がなくなってしまうよねw

だからインポートで済まないものを出せよゴミクズ君www

しかもわざわざ畿内周辺に先行事例があるものを出すって
馬鹿なの?アホなの?ド低能なの?

まあ所詮東遷厨www

>筑備讃播

筑紫はワンオブゼムだなそれがどうかしたのかな?www

168:日本@名無史さん
15/01/06 22:36:28.93
荒らしが来るという事は、書かれた事がヤバいのかな?

169:日本@名無史さん
15/01/06 22:37:17.37
>>166
>で東征勢力は九州のどこからいつやって来たって?

ニギハヤヒの痕跡の強い筑豊だろうね。

内行花文鏡ってホケノにも出てるけど、
圧倒的に九州だよね。

170:日本@名無史さん
15/01/06 22:37:49.97
九州説とか東遷説のやつって
話を聞かないから、うざい。

171:日本@名無史さん
15/01/06 22:40:56.43
>>167
>筑紫はワンオブゼムだなそれがどうかしたのかな

つまり今、君は【筑紫】を認めたわけだwwww

大進歩じゃないかwwww

172:日本@名無史さん
15/01/06 22:45:20.89
>>165
やあ、スカトロ東遷説くん
いつものようにつぶやき始めたね

173:日本@名無史さん
15/01/06 22:48:46.52
小心者ヘタレ畿内厨

おまえはワンオブゼムであろうが【筑紫】を認めたわけだ。

それでいいなwwwwwwwww

アホやこいつwwwwww

174:日本@名無史さん
15/01/06 22:50:17.87
小心者ヘタレ畿内厨 撃沈wwwwww


寝るわwwww

175:日本@名無史さん
15/01/06 22:51:51.74
最近、考古学関係者が近畿地方の弥生時代中期・後期について
語るのを良く目にするようになった。

その内容もだいたい同じで、近畿の弥生社会は階級意識の
欠如した社会であって、突如、巨大な古墳が出現する古墳時代とは
どうしてもつながらないとする意見。

中には、元桜井市教育委員会の清水眞一氏のように、
「別の地域の人が入ってきたと考えざるを得ないような状況であると見た。
ではどこから来たのか、考古学の史料からは特定の地域は限定できない。
とすれば、卑弥呼の邪馬台国は北部九州のどこかではないかと思われる。
URLリンク(yamatai.cside.com)

こういう意見も出てきている。

176:日本@名無史さん
15/01/06 22:54:30.36
>>175
そこのサイトは有名な邪馬台国九州説のサイトだよ。

177:日本@名無史さん
15/01/06 22:58:18.60
謎の暗号が出て来るでしょ「秘密基地」とか「さるた」?

「ロトちゃん」に通じるものがある

178:日本@名無史さん
15/01/06 22:58:52.98
こらっ、ジョーカー、お前は黙れ。お前は畿内説の立証はできないと認めたの
だろうが。そんな奴に発言する資格なんか有るもんか。恥知らず。カキコした
いのなら畿内説を立証してから書け。この○通の走狗め!。

179:日本@名無史さん
15/01/06 23:00:26.80
>>175

安本先生資料・・・

180:日本@名無史さん
15/01/06 23:03:32.79
>>175
>近畿の弥生社会は階級意識の欠如した社会

  ほーら出た、考古学特有の珍妙な解釈w 普通に考えてあり得ない。
 現代日本でもいわゆるニュータウン(多摩とか千里)では、地域内での
 階級意識は全くない。その自由さを気に入ってかつては超人気化した。
 しかし、それは地域社会だけの話。職業社会では厳然と階級(階層)差は
 ある。職住接近の弥生時代が階級差のないフラットな社会だったわけないって。
 
 これだから発掘物の解釈を間違い続ける考古学が信用されないんだよ。
 またいつか第二の藤村が出るぜ www

181:日本@名無史さん
15/01/06 23:03:36.85
>>169 安曇東遷厨(包茎・脱糞が大好きっこの別名 スカトロ東遷厨)
>ニギハヤヒの痕跡の強い筑豊だろうね。

そんなぼんやりしたもんじゃ話しにならん
お前がここまで散々ほざいてきた「九州の物」を全て備える遺跡なりを言えカス

筑豊ってことは宇佐あたりからか?
記紀の東征コースの宇佐より前は切り捨てか?w
流石ご都合主義の東遷説カルトwww

ちなみに宇佐に着く前に倭値のご先祖さん出てくるが
その出自が確認できないから古代氏族のラインナップから削除だなw

>おまえはワンオブゼムであろうが【筑紫】を認めたわけだ。

ん?最初から言ってるぞゴミクズ
いつ俺が畿内ヤマト・古墳文化が全て自前で発生発展しました・・・なんて言ったんだ?

誰と戦ってるんだゴミw

182:日本@名無史さん
15/01/06 23:03:59.28
昔、森浩一と石の博信の対談で、

(森)「やはり、九州の大勢力がある段階で大和を中心とした地域に
大きな影響を与えたということは、まず動かないと思います。」

(石野)「研究所の寺澤薫君は盛んにそう言いますね。
私はそこまでは行きません」

というのがあって、寺澤薫は元々東遷説だというのがわかる。
森浩一も元々東遷説。

183:日本@名無史さん
15/01/06 23:09:46.17
何となくわかる

ハトやイルカが出てきたり
風がさらった少女のゆびから、風船ね

同じような感じがするんだよな「マイク(三毛、みけつ)は偉大だな」

184:日本@名無史さん
15/01/06 23:10:01.72
>>179
それは佐賀新聞の記事であって、本人が言っていることだから。
畿内説って、安本というだけで目を背ける性癖があるんだな。

一方のいうことは無条件に信じる。もう一方は、無条件に拒否する。
これでは進歩がないな。

185:日本@名無史さん
15/01/06 23:15:00.57
>>180
前にも引用したが、ここにも、

要するに近畿の弥生社会は「国家に抗する社会」であり、階級社会を
拒絶する共同性が終始維持された、そういう状況だというのです。

と書かれている。
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

186:128
15/01/06 23:16:42.28
中国もギリシアもローマも起源は朝鮮

日本も起源は朝鮮

朝鮮人は古代世界征服したのだ

と空想すれば慰められる

現実の朝鮮の歴史など見たくない劣等感を感ずるだけだから

187:日本@名無史さん
15/01/06 23:16:56.67
>>175
>その内容もだいたい同じで、近畿の弥生社会は階級意識の
>欠如した社会であって、突如、巨大な古墳が出現する古墳時代とは
>どうしてもつながらないとする意見。

恐らく階級階層化が一番ススンデルとされてるであろう九州には
吉備や出雲に出現した巨大墳丘墓も出なかった
平原なんかむしろサイズ的には後退してるw

とりあえず九州が古墳時代の母体そのものであったなんてのは無理筋w

188:日本@名無史さん
15/01/06 23:18:20.11
>>175
> 最近、考古学関係者が近畿地方の弥生時代中期・後期について
> 語るのを良く目にするようになった。
>
> その内容もだいたい同じで、近畿の弥生社会は階級意識の
> 欠如した社会であって、突如、巨大な古墳が出現する古墳時代とは
> どうしてもつながらないとする意見。
>
> 中には、元桜井市教育委員会の清水眞一氏のように、
> 「別の地域の人が入ってきたと考えざるを得ないような状況であると見た。
> ではどこから来たのか、考古学の史料からは特定の地域は限定できない。
> とすれば、卑弥呼の邪馬台国は北部九州のどこかではないかと思われる。
> URLリンク(yamatai.cside.com)
>
> こういう意見も出てきている。

その人も、卑弥呼のような王は皇統に属するという誤った先入観を持ってるね。

189:日本@名無史さん
15/01/06 23:27:29.74
畿内説は、記紀の皇族の中から 卑弥呼を探すから無理がある。
記紀には、卑弥呼のように長生きして生涯独身だった女王はいない。

記紀の登場人物で卑弥呼に最も近いのは、土蜘蛛のタブラツ姫だ。
これがトヨかもしれない。

190:日本@名無史さん
15/01/06 23:27:42.02
>>185
>階級社会を拒絶する共同性

  現代日本で言えば、地域の自治会の輪番制がこれに相当する。自治会長は
 1年ないし2、3年で交代とかね。しかし、歴史を見れば結局世襲権力が圧倒
 してきたわけだ。民主制だったローマも結局帝国になった。子供の棺だけで
 階級社会ではなかったと推定できるものなのか疑問。

191:日本@名無史さん
15/01/06 23:30:53.03
>>175
元々佐賀新聞主催のシンポだな(以前はサイトがあったが今見たら消えてた

で清水センセイ(九州説)のお話だが…

結局畿内ヤマトではないから消去法的にじゃあ九州…って話なんだよな

邪馬台国をどういう社会と仮定するにしても九州での出土物に基づき
「これらから九州の邪馬台国を想定する」・・・って話じゃない

まあ消去法を手段として認めないわけじゃないが
考古資料で九州邪馬台国を描き出した九州説なんて見た記憶が無い

結局は畿内でない可能性ってだけの話

192:日本@名無史さん
15/01/06 23:30:59.47
>>190
民主制だって階級社会だろが w

193:日本@名無史さん
15/01/06 23:32:37.32
また東遷馬鹿の妄想垂れ流しと
それへのつっこみでスレが埋まるのか
ID出るとこに移転してくんねえかな

194:日本@名無史さん
15/01/06 23:34:00.30
>>184
安本の理論武装に根本的に疑問があれからね。
少なくとも地名相似なんて子供騙しを言ってる以上は無理だよw

195:日本@名無史さん
15/01/06 23:38:51.54
邪馬台国論争は永遠に答えが出ない。
テキスト(倭人伝、記紀)は矛盾だらけ。発掘物は意味がわからない。

196:日本@名無史さん
15/01/06 23:41:06.55
まあ簡単に言えば、近畿地方の弥生時代の墓制からは、
偉そうな人物が浮かんでこない。みんなが同じように葬られる集団墓。

ところが古墳時代になると、個人のための巨大な古墳が作られるようになる。
それまで見られなかった副葬品も登場する。
このような変化をどのように解釈するか。よそからやってきたと言う解釈が
一番妥当。当然、個人墓、副葬品の内容からすぐに浮かぶのが北部九州。

197:日本@名無史さん
15/01/06 23:46:07.67
>>196
ハシハカという巨大墓は近畿の弥生時代のものじゃないのか?

198:日本@名無史さん
15/01/06 23:47:31.25
>>196
>このような変化

その変化は九州以東で先ずおきて畿内に到達してる

東遷説カルトは兎に角変化が急激だというがそりゃ奈良だけで見ればって話になるw

 ・周囲から隔絶した位置にあり墳丘1つを個人が占有
 ・豪華な副葬品(特に大型舶載鏡)

…という物を弥生王墓の条件とするなら実は九州でも糸島のものしか無い

199:日本@名無史さん
15/01/06 23:57:41.11
侵略/征服したとしか考えられないようではダメ
当時の中国も他の国と交易していた。

西方の人々が中国や朝鮮に滞在し、
その後、日本に来ていた可能性も考えられる。
わかりやすく言うと商人。

少人数かもしれないが、考えられなくもない。

200:日本@名無史さん
15/01/07 00:08:44.45
古代の本州人と九州人が互いの墓を見たなら・・・

 九州人
  「うわっケチくせえwそんな馬鹿でかい墓作っておいて中の副葬品それっぽっちかよw」
 本州人
  「おいおい副葬品なんか墓に入れたら外からじゃ分からないぞ、どれが王墓って?w」

まあ真逆の方向性www

201:日本@名無史さん
15/01/07 00:22:27.21
おいボコボコにされて逃亡中の負け組の色白野郎はどこに逃げたの?

また完敗して逃亡か?いつまで逃げてるんだよ論破されて逃亡中の負け犬野郎

きっしょい顔して勘違いしてる人生詰み野郎出てこいよw

202:日本@名無史さん
15/01/07 00:23:13.68
そういえば自称マスタ作成の仕事をしているのにスプリクトとか言ってる馬鹿はどこに逃げたの?

182 出土地不明 2014/10/19(日) 22:50:56.35 ID:/0KSF8XB
しょうがないから少し具体的に答えてやるが、ある企業のクライアントマスタ作成をしている。
お前の方はどうだ、一切答えないなら話せないじゃないか。
相変わらず卑怯だな。

197 出土地不明 2014/10/19(日) 23:15:46.03 ID:/0KSF8XB
パソコン詳しくなくてスプリクトで連投してます!w

809 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/28(火) 21:41:15.81 ID:+o6yTmSG Be:
得意のスプリクトだっけ?それで書き込みを貼り付けるしか出来なくなったのか。哀れだな。お前はもっとやってくれると思ってたのに。おもちゃはおもちゃらしく反応しろよ。

844 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/28(火) 23:24:18.34 ID:aXWTYB0+ Be:
フルボッキどんなスプリクト使ってんの?教えてよ。

203:日本@名無史さん
15/01/07 00:23:49.45
うわあああ常染色体で説明できないからhla、gm、mtdnaかよwww
性染色体否定してMTDNAwwwwwwwwwwwwww
まさか次は血液型じゃないよね?
ほら早く常染色体で説明しろよ
              , ‐- '⌒ヽ
            /.:::::::::::::::::::::::\
.            /.::::::::::/ヽ::::::::::::ヽ      キリッ
.          /::::::::::/ 、_ __,\:::::::::::.
      ー=≦:::::::ri:::/   bb)  Y:::::::ハ
       ー=彡::ハ|/    ゝ   i)::::八_     /     }ー┐           r┐   \
        ⌒ンノ∧   `ニ    从::::≧=‐   {     ノヽ / __  ヽ  /  |/    }
             . イ        /_   ̄`    \ ツ   /         、_/   O    /
.     , -‐  ´   !     ー   ´ ! ` ー-、
    /  __   ∧       |    ∧
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204:日本@名無史さん
15/01/07 00:33:50.39
断言するけど、畿内説は、日本列島には皇室以外の支配者はいなかったという
宗教が生み出す幻想だよ。日本書紀にも古事記にも、卑弥呼はいない。

205:日本@名無史さん
15/01/07 00:35:40.18
>>204
日本語大丈夫ですか?九州説さん

206:日本@名無史さん
15/01/07 00:56:45.51
>>195
既に畿内で答えは出てるよ。
だからここでファビょる九州バカが多いんだろw

207:日本@名無史さん
15/01/07 01:10:31.29
東遷馬鹿は某半島の半万年奴隷民族なのか
朝鮮馬鹿だったのか
それじゃあしかたないね

208:日本@名無史さん
15/01/07 01:43:32.33
そう言えば安曇東遷厨何百年にも渡り九州が本州四国を東征し続けたって話で

人の足りなさは半島の人間も一緒にやった…って言ってたな

なるほど畿内の人間を奴隷にしたってのは・・・察しw

209:日本@名無史さん
15/01/07 01:54:30.67
こっちだったw

鏡が見ている 鏡が見ている

悪や悪魔なんてものは自分のなかに潜んでいるもの
どのようにして打ち勝つのか、克服するのか

……

210:日本@名無史さん
15/01/07 01:58:18.23
墓制の問題だけではない。

古墳時代を境に近畿地方周辺の銅鐸は完全に消滅している。
石野博信氏が言うには、唐古・鍵遺跡が廃絶し、纏向が出来た頃、
周辺各地で銅鐸が叩き壊される出来事が起きているという。

また、弥生近畿ではまず見られなかった鏡が広く普及する。

纏向遺跡自体もそうで、ある時期、突然纏向は建設される。
いったい誰が作ったのか。>>2

一方で、記紀では皇室誕生のもっとも重要な出来事として
神武東征が書かれている。
これらをもっとも合理的に説明できるのが東遷説。


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