11/10/26 21:21:29.56
>>334
Ⅱ-6 非行とスラム
この明友会は、「昭和二十八年ごろ、大阪・鶴橋
駅の高架下にある国際マーケットを根城に、韓国・朝鮮系の若者を主体に結成
された新興愚連隊で、三十年代に入ってミナミにも進出、急速に勢力を伸ばし、
当時は構成員千人を豪語するほどであった。組員らはドクロや生首の刺青を入
れた胸をはだけ、ステテコ姿でミナミの街を闊歩した」(無記名 2002:69)
のであった。
当時の生野での特に
在日朝鮮人・韓国人のいきざまは、マスコミや警察、一般社会からは犯罪の温
床の空間として、社会として捉えられることになる。毎日新聞昭和34年1月
17日の記事では、「明友会の暴力範囲もミナミから東大阪、南大阪に移った。
同会は最初生野区猪飼野付近に生まれ、ミナミに進出したが、あいつぐ手入れ
に交代、最近ふたたび生野付近を主な地盤としているようだ。そして、生野区、
住吉区など、場末の繁華街を足だまりに浪花会、生友会などの少年暴力団をは
ぐぐみ、下部組織として、勢力の拡張をはかっている」という、暴力団の供給
源が、中学生から生み出される機構が指摘される。
時代は少し下るが、昭和39年の記事においても、生野区を中心とする在日
朝鮮・韓国人コミュニティにおける非行の問題は、就職差別ともかかわりをも
ちながら、改善の兆しを見せていないことが読み取れる。
昭和33年4月7日の朝日新聞
の記事では、「野放しの中学生 不良が“会員拡張”に誘う 貧しさがカベ・
グループで悪へ」というタイトルで、中学生犯罪が目立って増えてきているこ
とをセンセーショナルに伝えている。特に「生野区の某中学などは一年間で六
十人が警察の厄介になっていた。…とくに大阪市の東部と北部に多いという。
この原因は家庭の無理解、先生の質的低下、社会の暴力的風潮などが挙げられ
る。