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グ・スーヨン著「ハードロマンチッカー」
「在日」である16歳の主人公の日常を綴った物語。
主人公は、学校へはあまり行かず、昼間からパチンコで稼いだり、ケンカをしたりの、つまり
不良だ。進学校に通うなど頭のよい彼は、「日本で在日韓国人が生きていくのは、とっても
大変だから。とっても大変だと、ついつい楽なやり方を選択してしまう。その楽なやり方って
のは、大抵の場合、悪いやり方とよく似てる」と、分析めいたことを口にする。これは、広島と
岡山の少年院に入っている少年の約半分が下関の人間で、そのほとんどが韓国人である
ことが証明しているそうだ。罪は、殺人、恐喝、障害、婦女暴行、集団暴走行為など、タチの
悪いものばかりとのこと。この本を読むと、「在日」であることはかなり厳しいものだ、という
ことが実感として迫ってくる。
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下関市
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戦前、関釜連絡船就航によって中国や朝鮮半島への玄関口として活況を呈した。
終戦時に下関港が在日コリアン送還の主要な出発港の一つになったこともあり、
現在は市内全域に多くのコリア系住民が居住し、とくに下関駅北側一帯はコリア・タウンに近い状態となっている。
重光武雄
韓国慶尚南道蔚山郡(現・蔚山広域市)出身の在日韓国人一世。本名は辛格浩(シン・キョクホ、またはシン・キョッコ)。
1922年 - 韓国の慶尚南道蔚山で誕生。
1942年 - 関釜連絡船に乗って来日。
1946年 - 早稲田実業学校卒業。
1948年 - 株式会社ロッテ設立。代表取締役社長に就任。
1966年 - 韓国ロッテ設立。
1971年 - 1月岸信介の仲介でロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)オーナーに就任。
釜関フェリー
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関釜フェリーとの共同運航を念頭に、在日韓国人で後に在日本大韓民国民団中央本部顧問となる
町井久之(鄭建永)が1969年(昭和44年)に資本金60万ドルで釜山に設立。