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■終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃
「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。約2000人
の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。武器を持たない日本
警官隊は米軍憲兵隊に応援を頼み、朝鮮進駐軍との間で大銃撃戦闘へと発展した。
戦後の在日朝鮮人は戦勝国民だと「朝鮮進駐軍」と名乗る武装集団が三万人も全国主要
都市に出現し暴れまくった。かれらは武装解除された日本軍の武器と軍服を着て武装し「
朝鮮進駐軍」と名乗り、この在日朝鮮人集団は無差別に多くの日本人市民を殺害した。GH
Qの記録に残っているだけでも四千人以上の日本人殺害記録が残されている。
戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日は土地の不
法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くしていた。
国有地も都心駅前一等地周辺も軒並み不法占拠されそのまま、パチンコ屋、飲み屋、風俗
等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至る。農家、農協倉庫を襲い、貨
車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ奪って行き、それらは全て
戦後の闇市で売りさばき暴利で財を成したのは彼らであった。
「朝鮮進駐軍」の朝鮮総連本部。また闇市で財を成した膨大な資金で政治進出、社会主義、
共産主義を掲げ進出。「首相官邸襲撃事件」の翌年1947年には彼らの初の政権、社会党
連立政権が誕生、彼らが襲撃した首相官邸にこんどは自らの首相が着任した。この社会党
連立政権が日本を取ってから、彼らの武装組織「朝鮮進駐軍」による、警官狩(殺し)、全国
警察署襲撃がますます激しくなっていった。しかし1950年に米軍施設にまで攻撃してきた
ことから、米軍が制圧に動き「朝鮮進駐軍」解体、米軍の軍法会議、収監送還、これで「朝鮮
総連」による日本支配は失敗に終わった。