11/01/17 17:53:12
孫一家は正義が小学校にあがる頃、鳥栖の朝鮮部落を離れ、北九州市の八幡西区に移り住んだ。
(略)
孫一族が鳥栖を離れたもう一つの理由は三憲の生業<なりわい>が養豚や密造酒づくりから、金融業という“正業”
に変わったからである。三憲の金融業へのこの転身も、元はといえば、祖母の李元照が始めた水商売女相手の
小口融資に発端があった。
(略)
三憲は自宅に近い北九州市八幡西区黒埼に事務所を構えた。三憲に誘われて金貸しの世界に飛び込み、
三憲のカバン持ちになった大竹氏は言う。
「(略)
黒崎に事務所を構えたのは、近くに八幡製鉄所があったからです。
(略)」
大竹氏は製鉄所の社宅をターゲットにして、全戸の郵便ポストに片っ端からチラシを投げ込んだ。
「保証人・担保なし。5万円まで融資」というのが売り文句だった。
(略)
三憲は商売が上向きになると、顧客の幅をどんどん広げていった。年金生活者や生活保護受給者にも貸し付けた。
いまのように、多重債務者のブラックリスト名簿がコンピューターに登録されている次代ではなかったので、
完全な信用貸しだった。
「もちろん焦げつくこともありました。ですから顧客の幅が広がると同時に、取り立ても大変になってきた。まさに
夜討ち朝駆けの時代でした。ただ、三憲さんは、ヤクザのような厳しい取立てをやる人ではありませんでした。(略)」
三憲のこうした性格は祖母ゆずりだという。
「正義のお祖父ちゃんっていう人は、商売下手な人でね。廃品回収の仕事をしていたんだけど、ブツが盗品だと
わかると、慌てて返しにいくような人でした。正直者なんです。(略)」
(略)