日本の古代史 Part18at ARCHEOLOGY日本の古代史 Part18 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト600:出土地不明 14/11/11 01:50:49.90 +iqb9Vvk 江南の高床式「住居」は5000年前にはほとんど消滅している。 その頃の江南の住居はすでに「木骨泥墻」(もっこつでいしょう)。 江南から真っ先に伝わるべきは木骨泥墻のはずである。 つまり古代日本に高床式「倉庫」を伝えた地域は江南ではありえないという事。 弥生人が江南から来たなら木骨泥墻が伝わるはずだし、仮に高床式「倉庫」が 江南から伝わったものなら、なぜ列島に伝わった途端に住居利用しなくなるのか 全く説明がつかない。 >私が見たものでは高床建物を出す遺跡は右の二つだけで、あとは全部 >「木骨泥墻」を出すものでした。陰湘城がすでに述べたように木骨泥墻 >ですし、その東にある石家河遺跡がやはり木骨泥墻です。この遺跡は陰湘城 >と同じように環濠集落なのですが、はるかに巨大です。壕の長径は1.5キロ >メートルに達します。これはもう村というより都市だとされています。 >時代は石家河文化時代(前2600~2000年)です。右の情報を横並べに >してみると、次のようになります。 > > ①河姆渡第3~第4期(前5000~前4000年) > ロングハウス式高床建物 > ②屈家岺期(前3000~前2600年) > 木骨泥墻・環濠村 > ③石家河期(前2600~前2000年) > 木骨泥墻・環濠都市 http://www.kyoto-up.or.jp/jp/authorsessay01.html 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch