■■■▲▼▲【考古学NEWS速報 3刷目】▲▼▲■■■at ARCHEOLOGY
■■■▲▼▲【考古学NEWS速報 3刷目】▲▼▲■■■ - 暇つぶし2ch1:出土地不明
14/03/03 12:50:24.03 spJnUHhQ
もっと早く、もっと広く、もっと遠くへ。君に伝えたいことが、あるんだ。


■■■▲▼▲【考古学NEWS速報】▲▼▲■■■
スレリンク(archeology板)
■■■▲▼▲【考古学NEWS速報 2刷目】▲▼▲■■■
スレリンク(archeology板)

2:出土地不明
14/03/03 12:52:14.15 spJnUHhQ
イスに座る縄文時代の土偶…青森の遺跡で出土
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

イスに腰かけたような姿をした類例のない縄文時代の土偶が、青森県西目屋村の「水上(2)遺跡」で出土したことが
わかった。

同遺跡は、津軽ダム建設に伴い、同県埋蔵文化財調査センターが発掘調査している。縄文時代前期末から後期初頭
(約5000~4000年前)にかけての大規模な集落跡で、川沿いの斜面には、多数の土器や石器を捨てた「捨て場」が
形成されており、土偶もその中から出土した。

土偶は、高さ7・6センチ。人物の腰から上の部分と、大きく反った楕円だえん形の「台」が組み合わさった形。「台」には、
脚が1本残っており、痕跡から、もとは4本あってイスのような作りだったことがわかる。

縄文時代に詳しい小林達雄・国学院大名誉教授(考古学)は、「イスに座って行う何らかの儀礼の一コマを表現している
のではないか」と話している。

イスに座ったような姿の土偶
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

3:出土地不明
14/03/03 13:37:15.76 spJnUHhQ
平安の棚田造成で墳丘削られる 朝来・長塚古墳 兵庫
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

5世紀末の古墳時代後期に築造されたとみられる朝来市和田山町岡田の長塚古墳について、古墳内で棚田が造成された
平安時代末期、噴裾など古墳の一部が失われたことが同市教委の発掘調査で分かった。

長塚古墳は、但馬を治めた王族の墓が朝来市で唯一、集中して造られた岡田古墳群の一つ。全長約70メートルの
前方後円墳で、他の4基の古墳と同じく横穴式石室があるとみられる。今回の調査は、前方部南西角の位置を確認し、
墳丘規模を推定するため、前方部南西角の60平方メートルを対象に行った。

調査の結果、棚田を造成するために石積みの擁壁を築いた際、墳丘が大きく削り取られたことが分かった。古墳の裾部分
は完全に失われていたことも判明。古墳に立てられたとみられる円筒型埴輪(はにわ)や、平安から鎌倉期の須恵器杯類
など11点が出土した。

朝来市教委は今後の調査で、前方部の噴裾のラインを確認するなどして墳丘規模や形態を把握したいとしている。
現地説明会は2日午後1時半から行われる。小雨決行。長靴持参。問い合わせは同市埋蔵文化財センター

発掘調査が行われた長塚古墳前方部の南西角=朝来市和田山町
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

4:出土地不明
14/03/05 11:12:08.13 vm7IZlVc
太閤の石垣、30年ぶり目覚め…大阪城・再発掘
URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)

国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘、公開するプロジェクトを進める大阪市は、
現在の天守閣南東で豊臣期の城の石垣の一部を再び掘り出した。石垣の威容がよみがえるのは30年ぶり。

4日、報道陣に公開された石垣は幅約2メートル、高さ約6メートル。1984年の調査で発見され、自然石を使う古い技法
「野面積のづらづみ」が特徴。7~9日に一般公開する。

展示・公開施設の整備にとりかかるために再発掘し、昨秋の調査では石垣の上部のみを発掘して公開した。

30年ぶりに姿を現した豊臣期の石垣(4日、大阪城で)=里見研撮影
URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)


石垣が語る夏の陣…戦火で変色、剥落の痕跡

国の特別史跡・大阪城の地中から姿を現した豊臣期の城の石垣には、大坂夏の陣(1615年)の戦火を受けて変色したり、
剥落したりした痕跡も見える。石垣は落城した後、徳川幕府によって埋められた。7~9日の一般公開は、歴史ファンの関心を
集めそうだ。

URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)

再発掘した石垣は、豊臣期の城の最上部にあたる「詰ノ丸つめのまる」の南東角に眠っていた。切り出して整形した石を用いて
いる徳川期の城の石垣と異なり、自然石のほか、古代の建物の礎石、石臼なども使っている。表面が赤茶けた色に変わり、
そげたようになった石が複数見られ、落城した様子がうかがえるという。

発掘は、夏の陣から400年にあたる2015年に、豊臣期の石垣を展示・公開する施設の整備を進めるため、大阪市などが昨年
7月から続けている。今回、石組みが幅約2メートルの範囲で、約6メートル下まで続いていることが改めて確認された。

一般公開は午前10時~午後4時に実施する。無料で予約不要。問い合わせは、大阪文化財研究所・発掘現場事務所

天守閣の南東で進む発掘作業。豊臣期の石垣は中央のテント付近の地下に眠っていた(4日、大阪城で)=里見研撮影
URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)

5:出土地不明
14/03/16 13:40:08.13 4YrJF5Hj
栃木県下野市国分寺の甲塚古墳(6世紀後半)で、機織りをしている女性の埴輪2体が見つかり、
同市教育委員会が5日、発表した。市教委によると、機織り姿の埴輪の出土は全国初。
下野市は、ユネスコ無形文化遺産の結城紬の織物業が盛んな地域。
市教委は「古墳時代の機織り機の構造が分かり、
当時の技術水準や織物の歴史を知る手掛かりになる」と話す。
弥生―古墳時代の機織り機は、各地の遺跡で部材の出土例はあるが、全体構造は分かっていなかった。
埴輪は弥生―古墳時代後期に一般的だった古いタイプの「原始機」と、
結城紬の機織り機の原型とされる台を使うタイプの「地機」の2種類。

イメージ:栃木県下野市の甲塚古墳から出土した、機織りをしている女性の埴輪の合成写真(下野市教育委員会提供)
URLリンク(www.kahoku.co.jp)

ソース:機織り埴輪2体出土、栃木・下野 全国初、甲塚古墳 /河北新報
URLリンク(www.kahoku.co.jp)

別ソース(復元モデルあり)

URLリンク(mainichi.jp)

6:出土地不明
14/03/22 08:53:14.54 hZXyj4U2
子どもたち化石採集体験URLリンク(www3.nhk.or.jp)
化石の魅力を知ってもらおうと勝浦町で子どもたちが化石採集を行いました。
四国で唯一の恐竜化石「イグアノドン」の歯の化石などが見つかっている勝浦町の「立川層」で行われた化石採集には、
春休み中の子どもたちや化石愛好家ら50人が参加しました。
石の割れ目から化石が見つかることが多いため、子どもたちらは、ハンマーで沢などにある石を次々、たたきました。
1億3千万年前、海水と淡水が入り交じったとみられる場所では、根がなく流れ着いたシダ類の化石がまもなく
見つかりました。
子どもたちは、シダ類の葉や茎の模様が刻まれた石を見つけると愛好家らに見せに行き、化石の名や年代を教えて
もらっていました。
徳島市の小学5年生の男子は「石を割ったらいろいろ化石が出てくるので、ワクワクしました」と話していました。
徳島化石研究会の鎌田誠一会長は「1億年前の痕跡と巡り会った時の感動や命の尊さ、ロマンを感じてもらい
心豊かに育ってほしい」と話していました。03月21日 18時53分

7:出土地不明
14/03/29 17:21:21.34 YcMqQMoa
恐竜について学ぶ教室URLリンク(www3.nhk.or.jp)
春休みの子どもたちが恐竜の化石の発掘調査を行っている専門家から恐竜について学ぶ教室が岡山市で開かれました。
この教室は春休みの子どもたちにもっと恐竜について知ってもらおうと開かれたもので、会場となった岡山市東区の
「百花プラザ」には県内外から訪れた幼児から小学4年生までの親子連れおよそ50人が参加しました。
教室では瀬戸内市にある林原自然科学博物館の研究員でモンゴルやケニアで恐竜の化石の発掘調査を行っている
實吉玄貴さんが講師となり、モンゴルのゴビ砂漠で化石が発掘されたプロトケラトプスやベロキラプトルなどの恐竜の
特徴について話しをしました。
また、肉食恐竜のティラノサウルスの話題が出ると子どもたちは、次々に手を挙げて「ティラノサウルスとアロサウルス
はどっちが強いのか」と質問をするなどして興味深そうに話しを聞いていました。
また、会場にはモンゴルで発掘された恐竜の化石の実物が並べられ、子どもたちは実際に化石に手で触れて太古の
神秘について感じていました。
神戸市からきた小学1年生の女の子は「恐竜の名前をたくさん知ることが出来ておもしろかった」と話していました。
03月29日 14時11分

8:出土地不明
14/03/29 17:24:14.12 YcMqQMoa
県のアンテナS事業者募集URLリンク(www3.nhk.or.jp)
岡山県は鳥取県と共同で都内での出店を計画している県の特産品の販売などを行うアンテナショップについて、
運営する事業者を募集しています。
岡山県は、鳥取県と共同で、今年の秋以降、県の特産品の販売や商談の場として活用するアンテナショップを
東京・港区に出店する計画で、運営する事業者を募集しています。
募集しているのは、特産品を販売する「物販」と、地元食材を使った料理や地酒などを提供する「軽飲食」の事業者で、
いずれも岡山と鳥取の両方の県の品を扱います。
店舗の予定地は、JR新橋駅の近くの賃貸ビルで、「物販」のスペースはビルの1階の354平方メートル、
「軽飲食」のスペースは、ビルの2階の135平方メートルです。
また、事業者は業務を請け負う条件として、少なくとも売り上げの3%以上について岡山県と鳥取県に半分ずつ
納める必要があるということです。
岡山県と鳥取県は、4月4日に現地説明会を行った上で、4月21日まで企画提案書の提出を受け付け、
流通の専門家などが審査を行った上で、5月中に事業者を決める方針です。03月29日 14時11分

9:出土地不明
14/03/29 17:25:30.91 YcMqQMoa
誤爆すまそ

10:出土地不明
14/04/09 18:38:50.49 CJGEIKFi
【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市
スレリンク(newsplus板)

11:出土地不明
14/04/12 01:54:54.47 fNqY46PA
【中国】唐宋時代の「駅」遺跡見つかる 民家に排水システム―重慶市(画像あり)
2014年4月10日、重慶市永川区にある唐から宋(7世紀―13世紀)にかけて「重慶十八駅」と呼ばれた
「駅」(街道沿いに設置された物資の補給や宿泊に利用する施設)の遺跡、漢東城遺跡の発掘が行われ、
大量の陶磁器が出土し、下水管が通った民家が見つかった。

漢東城遺跡は永川区朱●鎮漢東村(●=さんずいにうかんむりしたにヒ)に位置し、中心部の面積が
2万平方メートル以上あり、これまでに約1000平方メートルが発掘された。
発掘で城壁、住宅跡、墓、灰坑、水溝、道路、陶窯などの跡101カ所が見つかり、新石器時代から
明清期までの遺物が多数出土した。遺跡の民家には下水道が通り、石造りの排水溝と陶土を焼成した
下水管がほぼ完全な状態で見つかった。下水管は直径が10cm余りある。

重慶市文化遺産研究院の白九江(バイ・ジウジアン)副院長によると、試掘だけで800点以上の遺物が出土した。
これはここが各地の商品の集積地として栄えた県城で、ある程度の規模を持った集落だったことを示している。

URLリンク(img.recordchina.co.jp)
URLリンク(img.recordchina.co.jp)
URLリンク(img.recordchina.co.jp)
URLリンク(img.recordchina.co.jp)

ソース:レコードチャイナ
URLリンク(www.recordchina.co.jp)

12:出土地不明
14/04/18 11:23:12.91 BYXdSVvA
今治で国宝の工芸品一般公開URLリンク(www3.nhk.or.jp)
今治市で出土して国宝に指定されている平安時代の工芸品が市内の美術館で公開されています。
今治市の玉川近代美術館で公開されているのは、「伊予国奈良原山経塚出土品」という平安時代の工芸品や銅銭
など25点で、昭和9年に市内の神社の境内で発掘されました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
このうち「銅宝塔」はお経の書かれた巻物が納められたもので、高さ71センチ余りで筒に屋根のような飾りが施された
平安時代末期の工芸品です。お経を納める器としては、極めて珍しい形だということで、考古学の貴重な資料です。
また、青銅製の「桜菊双雀鏡」は、直径13センチ余りで桜や菊の花、小鳥が丁寧に描かれています。
損傷もなくきれいな状態で見つかりました。
これらの品は、国宝に指定されているため、美術館では春と秋の2回、1年にあわせておよそ60日間しか公開していません。
見る機会が少ない品々とあって、訪れた人たちはガラスに顔を近づけるなどして見ていました。
70代の男性は「初めて今治の国宝を見ました。このような出土品があるとは勉強になりました」と話していました。
玉川近代美術館の国宝、春の一般公開は、5月11日まで行われています。04月18日 08時10分

13:出土地不明
14/04/20 11:06:54.88 fymmtNzr
【歴史】陜西で春秋時代の秦の墓4000基以上見つかる―中国[14/04/20]
スレリンク(bbynews板)

14:出土地不明
14/04/22 14:25:17.32 F8ZByYc8
平安時代に真鍮合金 江戸時代に普及との定説覆す発見/奈良大が分析 [4/22]
1 :かじりむし ★@転載禁止:2014/04/22(火) 14:19:37.34 ID:???0真鍮合金、平安期に - 定説覆す発見/奈良大が分析
URLリンク(www.nara-np.co.jp)
2014年4月22日 奈良新聞


 平安時代後期に書かれた装飾経「紺紙金字一切経」(荒川経)の金泥文字に銅
と亜鉛を合成した真鍮(しんちゅう=黄銅) が含まれていたことが、21日、蛍光
X線分析装置を使った奈良大学(奈良市山陵町)の調査で分かった。真鍮の合金
は、日本では江戸時代(18世紀)に普及したとされるが、12世紀に金の代用品と
して使われていたことが科学的に証明された。金工史上の画期的な成果。

 同大学文学部設置の蛍光X線分析装置を使い、2~5行の経典断片3点に書かれ
た計12文字を調査。金銀などとともに亜鉛と銅の成分も検出し、真鍮の粉を溶
かして使っていたことが分かった。確認のために行った東京文化財研究所など
の調査でも同様の結果だった。

 真鍮は紀元1世紀ごろ南コーカサス周辺で発見され、古代中国で「鍮石(ちゅ
うじゃく)」や「仮鍮(かちゅう)」と呼ばれた。日本でも正倉院宝物などに真
鍮品があるが、自然界に存在する真鍮を使用したと考えられてきた。

 調査を担当した奈良大学の西山要一教授(保存科学)は「今回の真鍮は不純物
が少なく、合金の可能性が高い。金が使われたと思われる江戸時代以前の製品
についても、今後、調査して確かめる必要がある」としている。

 紺紙金字一切経などは5月6~31日、奈良大学博物館で展示される。


URLリンク(www.nara-np.co.jp)
画像:真鍮が使われていることが分かった紺紙金字一切経の「智」の拡大文字=東京文化財研究所提供

15:出土地不明
14/04/24 16:41:07.24 WdI3hG9U
出土品で発掘調査結果を紹介URLリンク(www3.nhk.or.jp)
坂出市にある香川県埋蔵文化財センターが、昨年度、行った発掘調査の成果を出土品をとおして紹介する展示会が、
24日から始まりました。
会場には、香川県埋蔵文化財センターが、昨年度、発掘調査を行った4つの遺跡の出土品、58点が展示されています。
このうち、鉄ていと呼ばれる古墳時代中期の両端がバチ状に広がる薄い鉄の板は、地域の拠点集落の跡とされる
善通寺市の旧練兵場遺跡から初めて見つかったものです。
朝鮮半島で製作されたものといわれ、鉄製品の素材か、地域の有力者の権威を示すものとみられています。
また、鉄ていと一緒に多数出土した、装身具の管玉や臼玉は、祭りごとに使われたとみられています。
このほか、丸亀市飯山町の岸の上遺跡で、古墳時代後期の竪穴住居のかまどの跡から出土した煮炊きに使われた
甕も展示されています。
岸の上遺跡では、昨年度、6棟の竪穴住居の跡が確認され、今年度も発掘調査が行われることになっています。
この展示会は、7月15日まで香川県埋蔵文化財センターで開かれています。04月24日 12時40分

16:出土地不明
14/05/03 10:14:45.90 ZN5vn1TO
住宅展示場の連休イベントに恐竜出現URLリンク(www.rsk.co.jp)
ゴールデンウィークも3日から後半です。URLリンク(www.rsk.co.jp)
各地で様々なイベントが予定されていますが、恐竜のライブがちょっと意外な場所で行われます。
2本の足で立って歩く恐竜「ラプトル」のショーが行なわれるのは、岡山市北区の住宅展示場です。
3日と4日のイベントを前に、リハーサルがありました。
モデルハウスの一角で暴れまわる恐竜の姿は子どもたちでなくとも楽しめそうです。
また会場では、3本の角をもつ草食恐竜トリケラトプスの等身大バルーンも展示されます。
このイベントは、3日と4日の2日間、岡山市北区撫川のRSKハウジングプラザで行なわれます。

17:出土地不明
14/05/03 13:28:07.82 ZN5vn1TO
「野焼き」で縄文土器作り04月29日 14:45 URLリンク(setonaikai.co.jp)
新見市で縄文時代と同じとされる「野焼き」で土器などを焼き上げる催しが29日、開かれました。
新見市で縄文土器や土偶などを創作している陶芸家の猪風来さんらが開いたものです。
猪風来さんをはじめ愛好者などが手掛けた作品53点を焼き上げました。
まず作品の温度を徐々に上げるため「あぶり焼き」から始めます。作品が無事完成することを願い、
火の神や大地などに祈りを捧げます。その後「本焼き」に入り、火力を強めて約7時間焼き続けました。
完成した作品は新見市法曽の猪風来美術館に展示される予定です。

18:出土地不明
14/05/05 18:28:58.61 gQMSN/ge
葉佐池古墳レンゲソウまつり 松山市北梅本(愛媛県)URLリンク(w2.rnb.co.jp)
国指定の史跡である松山市の葉佐池古墳を広く知ってもらおうと、4日「葉佐池古墳レンゲソウまつり」が開かれた。
会場となったおよそ2ヘクタールの田んぼには、れんげ草の紫色の花が咲いていて訪れた人を楽しませていた。
また催しのメイン会場では地元の幼稚園児による歌と踊りなどが披露されたほか、レンゲソウの花びらを使った
ゼリーなども販売されていた。
そのほかにも餅つき体験やもち米を蒸して作る伝統の和菓子「りんまん」の手作り体験などがおこなわれ、
訪れた人たちは青空の下、ゴールデンウィークの一日を楽しんでいた。[ 5/4 16:04 南海放送]

19:出土地不明
14/05/08 16:02:32.91 H7d5fro4
高松の古墳から多様な埴輪発見URLリンク(www3.nhk.or.jp)
高松市にある3世紀から4世紀にかけての石積みの古墳からさまざまなタイプの埴輪が出土し埋葬された有力者の
広い交流関係をうかがわせるものと注目されています。
この古墳は、高松市北部の石清尾山にある「稲荷山姫塚古墳」です。
この古墳は3世紀後半から4世紀初めに石を積んだ積石塚と呼ばれる造りの前方後円墳で、高松市が去年行った
発掘調査で後円部から500個以上の埴輪の破片が出土しました。
それぞれを詳しく調べたところ同じ石清尾山にある「鶴尾神社4号墳」と同じタイプの壷型埴輪のほか、高松市南部や
東部の別の古墳から出土している口の部分が外側に広がった筒状の円筒埴輪と同じタイプのものが多数あることが
わかりました。
さらに、つぼを置く台かつぼの一部とみられるものなど、これまで香川県では出土の例がない土器の破片も
含まれていました。
高松市埋蔵文化財センターの高上拓文化財専門員は、「『稲荷山姫塚古墳』の埋葬者が高松平野のほかの地域を
はじめ海を隔てた地域とも交流があったことをうかがわせるものだ」と話しています。05月08日 09時31分

20:出土地不明
14/05/11 14:29:04.77 gMFV/bp8
スレリンク(psycho板:8番)
   ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑

21:出土地不明
14/05/19 09:52:20.26 +STUSeRf
「中生代」の生物化石を展示URLリンク(eat.jp)
恐竜が生きていたとされる中生代の生物の化石などを展示する特別展が、愛媛大学のミュージアムで開かれています。
この特別展は今から6500年から2億2500年前の、恐竜がいたとされる、「中生代の生物」に焦点をあてて紹介
するものです。
会場には国立科学博物館が所蔵する化石や、愛媛大学の学生らが発掘したものなど200点以上が展示されています。
また会場には、恐竜の塗り絵に色を塗り、カメラで立体的に映し出すことが出来るコーナーなどもあります。
この特別展は、愛媛大学ミュージアムで7月31日まで開かれています。

22:出土地不明
14/05/20 15:56:29.96 5eP1sZ7U
発掘資料を集めた展示会URLリンク(www3.nhk.or.jp)
弥生時代に四国と九州の間で交流があったことを示す土器など、貴重な発掘資料を集めた展示会が、南国市で
開かれています。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
会場の南国市の県立埋蔵文化財センターには、高知県内の遺跡から出土した土器や石器などの資料、
200点あまりが展示されています。
このうち、四万十市の「西ノ谷遺跡」から出土した弥生時代の土器は、「突帯」とよばれる刻みのついた縁取りが
あるのが特徴です。
同じような形の土器が大分県でも多く出土することから、当時、高知県西部など四国と九州の間で交流があった
ことを示しています。
また、高知市中心部にある江戸時代の遺跡、「追手筋遺跡」から見つかった唐津焼や美濃焼などの陶磁器の破片は、
当時は高級品で、身分の高い武士など一部の人たちしか入手できなかったと言われています。
県立埋蔵文化財センターの坂本憲昭さんは「出土品を通して高知がほかの地域とどう交流してきたのか、
多くの人に知ってほしい」と話していました。この展示会は土日と祝日を除いて来月21日まで開かれています。
05月20日 09時43分

23:出土地不明
14/06/03 17:19:13.65 y4SUq9FE
愛大で化石展URLリンク(www3.nhk.or.jp)
恐竜が生息していた時代の化石などを紹介する特別展が松山市で開かれています。
松山市の愛媛大学ミュージアムには恐竜が生息していた「中生代」の化石や恐竜の骨などおよそ130点が展示
されています。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
このうち、イギリスで見つかったおよそ1億5000万年前のイクチオサウルスの子どもの化石は頭骨から脊椎まで
ほぼ完全に残っています。
イクチオサウルスは海を泳ぐため、「魚竜」とも言われていて体は成長するとおよそ2メートルになり、イルカのような
姿だったとされています。
また、北海道でおととし見つかったおよそ8500万年前のアンモナイトの化石は殻が、とぐろを巻いたヘビのような形を
しています。
この変わった巻き方のアンモナイトは明治37年に日本で初めて見つかったことから「ニッポニテス」と名付けられて
います。
このほか、ステゴサウルスのイラストに塗り絵をして、特殊なカメラにかざすと立体的に動く映像を見られるコーナーも
設けられ、子どもたちの人気を集めていました。
愛媛大学理学部の男子学生は「恐竜が生きていた時代の化石をみると、いまの生きものと骨格が全く違うことが
分かっておもしろいと思います」と話していました。この特別展の入場は無料で、7月31日まで開かれています。
06月03日 09時06分

24:出土地不明
14/06/04 13:17:05.33 d8xWsGx3
三角縁神獣鏡チョコを作ろう! in 奈良きたまちウィーク2014
URLリンク(togetter.com)

コシの三角縁神獣鏡チョコ工人は新型を引っさげて今年もヤマトの国へと参上しました。

25:出土地不明
14/06/11 14:34:36.13 qWwPIAWI
縄文時代風アートの展示会URLリンク(www3.nhk.or.jp)
縄文時代の土器などの遺物をもとに制作したアート作品の展示会が新見市で開かれています。
新見市の猪風来美術館で開かれているこの展覧会は、縄文時代の文化を研究するとともに縄文時代の遺物を
もとにしたアート作品を手がける堀江武史さんが制作した作品18点が展示されています。
このうち「土の面湯船沢縄文人」は岩手県のシダ内遺跡から出土した縄文土器の模様を再現しようと粘土で型を
取って作った作品です。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
また、「縄文人ののこした16のカタチ」は、土の中に埋まって人の目に触れることのない縄文時代の土器の破片など
16個を拾い上げ、銀色のすずの泊を貼り付けて並べた作品です。
会場にはこのほか縄文時代の文化を現代アートとして表現した作品なども並んでいます。
堀江さんは「これらの作品を見てもらうことで、縄文時代の文化に関心を持つきっかけになれば」と話しています。
この作品展は8月31日まで新見市法曽の猪風来美術館で開かれています。06月11日 12時59分

26:出土地不明
14/06/14 17:29:10.37 KvpBNwGD
空港跡地遺跡で現地説明会hURLリンク(www3.nhk.or.jp)
弥生時代後期の集落跡が見つかっている高松市の空港跡地遺跡で14日、現地説明会が行われ生活排水を流す
溝の跡などが紹介されました。
現地説明会が行われたのは、今の高松空港が平成元年に供用を始めるまで空港として利用されていた高松市林町に
ある「空港跡地遺跡」で、これまでに弥生時代後期の集落の跡が見つかっています。
説明会には地元の住民や考古学の愛好者らおよそ50人が集まり調査を進めている高松市の担当者から説明を
受けました。
この中で担当者は、生活排水や田んぼの水を流すための溝の跡が見つかったことを紹介しすでに集団で生活が
始まっていたことを示す貴重な遺跡であることを説明していました。
また、コメを蓄えておくための土器や農作業に使われていたくわなどが展示されていて、参加した人たちは、
手に取って触ったり写真を撮ったりして弥生時代当時の生活に思いをはせていました。
説明会に参加した男性は、「長い時間をかけて少しずつ積み上げてきた人類の歴史を感じました」と話していました。
06月14日 12時30分

27:出土地不明
14/06/17 04:34:17.48 dR/dFTwU
讃岐国府跡に飛鳥時代の施設URLリンク(www3.nhk.or.jp)
坂出市にある奈良時代に設けられた役所の跡、「讃岐国府跡」の発掘調査で、国府跡の下の地層から飛鳥時代の
建物群の跡が見つかり、国府が置かれる以前から大がかりな施設があったことがわかりました。
「讃岐国府」は、奈良時代に中央政府が讃岐国を治めるために設けた役所で、香川県埋蔵文化財センターが
坂出市府中町で進めている発掘調査によって平成24年度に場所が特定されました。
さらに、これまでの調査で、国府跡の下の地層から大型の建物の跡を含め7世紀中頃の飛鳥時代の建物跡が
5棟以上確認されました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
このうち、大型の建物は縦12メートル横5メートルで、長舎と呼ばれる縦に長い古代の役所の建物の特徴を持っており、
いずれの建物も規則的に方向をそろえて建設されていました。
これらの建物群について、香川県埋蔵文化財センターでは作られた時期が中央政府が軍事拠点などとして山城の
「城山城」を築いた時期と同じであることから、建物群が山城に関係する施設だった可能性があるとしており、
なぜこの場所に国府が置かれたかを考える上でも重要な手がかりだとしています。06月16日 19時33分

28:出土地不明
14/06/20 19:29:49.59 i3cEGWAF
千足古墳一部が国史跡に追加URLリンク(www3.nhk.or.jp)
国の史跡に指定されている岡山市北区の千足古墳は、新たに確認された古墳の一部が国の史跡に追加指定される
ことになりました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
岡山市北区の造山古墳群の1つの千足古墳は、5世紀ごろにつくられたとみられる前方後円墳で、
大正10年に「後円」の部分が、造山古墳などとともに国の史跡に指定されました。
古墳の劣化が進んでいることから岡山市教育委員会では、改めて発掘調査を行い、前方後円墳の「前方」
の部分の詳細が明らかになりました。
これを受けて「前方」の周辺を含むおよそ2500平方メートルが、新たに国の史跡に追加指定されることになりました。
今回の指定で造山古墳群の史跡の指定範囲は、5万9000平方メートルあまりになります。
千足古墳では、昨年度の発掘調査で九州地方の装飾が施された従来の石室とは別のもう一つの石室が新たに
見つかっていて、研究者の注目を集めています。06月20日 18時43分

29:出土地不明
14/06/21 09:37:12.74 DdjZkWQK
国の史跡に追加指定を答申URLリンク(www.rsk.co.jp)
岡山市北区新庄下にある造山古墳群のひとつ、千足古墳の一部が国の史跡に追加指定されました。
追加指定されたのは、すでに国の史跡に指定されている千足古墳の北側で、URLリンク(www.rsk.co.jp)
前方後円墳の前方部にあたる部分とその周辺の約2500平方mです。
岡山市が2010年から去年にかけて行った発掘調査の結果、この部分から、
古墳を築く際に土をとったとみられる跡や多数の埴輪が出土したため、文化庁が追加指定を認めました。
追加指定されたエリアは、今は個人の所有地で、水田や畑となっていますが、岡山市は今後公有化し、保存する方針です。

30:出土地不明
14/06/22 16:14:31.65 fRrYq2VY
正貴寺跡 国の史跡に(徳島県)■ 動画をみるURLリンク(www.jrt.co.jp)
国の文化審議会は、藍住町の勝瑞城館跡の近くにある正貴寺跡を国の史跡に追加指定するよう文部科学大臣に
答申しました。URLリンク(www.jrt.co.jp)
藍住町の勝瑞城館跡は、室町時代に阿波の国を支配した三好氏の館などがあった場所で、2001年に国の史跡に
指定され、公園として整備されています。URLリンク(www.jrt.co.jp)
今回、国の史跡に追加指定されるのは、勝瑞城館跡の近く、JR勝瑞駅の西側の正貴寺跡です。
約7500平方メートルあり、藍住町が発掘調査をおこなったところ、大量の瓦や建物の基礎などが出土しています。
当時30を超す寺がこの地域に集まっていたことの裏付けにもつながるとされています。
史跡の指定範囲が広がったことで戦国時代に阿波の中心だった勝瑞の姿の解明が期待されます。[ 6/21 18:08 四国放送]

31:出土地不明
14/06/24 17:22:49.00 t0hY4u6R
6月24日12時04分更新 千足古墳 前方部を国指定史跡に追加指定へURLリンク(www.ohk.co.jp)
5世紀前半に作られた岡山市の千足古墳の前方部とその周辺が国の史跡に追加指定されることになりました。
岡山市北区新庄下の千足古墳は全国で4番目に大きい前方後円墳、造山古墳の周囲に築かれた古墳の一つです。
2012年度から昨年度にかけて行われた発掘調査で千足古墳も帆立貝型の前方後円墳だったことがわかり、
古墳に使われた土を掘った跡と見られる溝状の遺構や埴輪が出土しました。
壁に直狐文と呼ばれる幾何学模様が刻まれた横穴式石室を持つ後円部はすでに国の史跡に指定されているため
追加指定の対象は前方部とその周辺となります。
千足古墳は古墳時代中期の吉備と九州の密接な関係を示す重要な古墳で、岡山市教育委員会では保存のための
整備を進めていくことにしています。

32:出土地不明
14/06/30 18:08:21.18 zLnyqofg
6月30日12時06分更新 千足古墳 復元整備へURLリンク(www.ohk.co.jp)
国の史跡に指定されている岡山市の千足古墳について岡山市は来年度から古墳全体を整備し、
古墳が築かれた当初の姿に復元することを明らかにしました。大森市長が30日の定例会見で明らかにしました。
岡山市の千足古墳は全国で4番目に大きい前方後円墳、造山古墳の周囲に築かれた古墳の1つで、
2012年度の発掘調査で帆立貝型の前方後円墳と分かり、古墳全体が国の史跡に指定されることが決まりました。
古墳時代中期の吉備と九州の密接な関係を示す重要な古墳で市は雨水が侵入して破損する恐れがある石室の
保存整備工事を行うと共に、古墳全体を築かれた当初の姿に復元し、石室が見学できる通路を作ることにしました。
総事業費は1億5000万円で2018年度中の完成を目指しています。

33:出土地不明
14/07/01 09:06:58.74 QAJe3LGt
6月30日19時30分更新 千足古墳 復元整備へURLリンク(www.ohk.co.jp)
国の史跡に指定されている岡山市の千足古墳について岡山市は来年度から古墳全体を整備し、
古墳が築かれた当初の姿に復元することを明らかにしました。大森市長が30日の定例会見で明らかにしました。
岡山市の千足古墳は全国で4番目に大きい前方後円墳、造山古墳の周囲に築かれた古墳の1つで、
2012年度の発掘調査で帆立貝型の前方後円墳と分かり、古墳全体が国の史跡に指定されることが決まりました。
古墳時代中期の吉備と九州の密接な関係を示す重要な古墳で市は雨水が侵入して破損する恐れがある石室の
保存整備工事を行うと共に、古墳全体を築かれた当初の姿に復元し、石室が見学できる通路を作ることにしました。
総事業費は1億5000万円で2018年度中の完成を目指しています。

34:出土地不明
14/07/01 17:01:39.77 QAJe3LGt
千足古墳の保全整備計画URLリンク(www3.nhk.or.jp)
九州地方によく見られる装飾が施された石室が見つかっている岡山市北区の国の史跡「千足古墳」について、
古墳の上部に埴輪のレプリカを並べるなど一般の人に見学してもらうための詳細な整備方針を6月30日
岡山市が明らかにしました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
岡山市北区新庄下にある5世紀前半に作られた国史跡の前方後円墳「千足古墳」は、九州地方の古墳などに
よく見られる装飾が施された「石障」と呼ばれる石の板が設置された石室に加えて、去年、新たな石室が見つかるなど
話題となっています。
岡山市ではもともと見つかっていた石室に雨水が入り込み石障が劣化していたことなどから、
今後の保存と整備について検討してきましたが6月30日詳細な方針を明らかにしました。
それによりますと上部に新たに土を盛るなど防水対策を施した上で、長さ6メートルあまりのトンネル状の通路を
設けて、石室の内部を間近で見学できるようにするとしています。
また古墳の上部には、出土した埴輪のレプリカをおよそ50基ほど並べ、当時の様子を復元する予定だということです。
岡山市の大森市長は「吉備が輝いていた時代の古墳なので、整備を行って良好に保存すると共に、周辺の魅力
アップにつなげたい」と話しています。
岡山市ではこの方針に基づいて来年度から整備を始め、平成30年度の完成を予定しているということです。
07月01日 13時12分

35:出土地不明
14/07/07 21:55:00.30 qDSDlbuQ
スレリンク(scienceplus板)

【考古学】宇宙線ミューオンによって古墳内部を透視調査
1 :Cancer ★@転載は禁止:2014/07/07(月) 21:49:56.12 ID:???宇宙線:古墳内部を調査 名古屋大研究グループ

毎日新聞 2014年07月07日 14時18分(最終更新 07月07日 15時35分)

日本で初めてミューオンラジオグラフィーを実験した石神古墳=奈良県大淀町で2014年
7月4日午後2時20分、矢追健介撮影
URLリンク(mainichi.jp)

 ◇奈良・石神古墳で空洞確認

 名古屋大の研究グループが、物質を透過する力が非常に強い宇宙線「ミューオン」を
使って古墳の内部を探る全国初の試みを奈良県内の古墳で始めた。エックス線写真とほぼ
同じ原理で、飛来するミューオンの軌跡を写す高感度フィルムを解析し、古墳内部の空洞を
捉えることに成功したという。宇宙科学と考古学の融合といえる技術が確立すれば、人が
立ち入れない古墳の石室確認などに役立ちそうだ。

 奈良市で6日まで開かれた日本文化財科学会で発表した。調査しているのは、名古屋大
大学院理学研究科の石黒勝己・技術補佐(28)ら。火山のマグマの位置や原子炉の内部
などを探査する手法「ミューオンラジオグラフィー」を応用した。

 ミューオンは物質を透過する力がエックス線よりも強く、1キロ程度の幅のものまで透視
できる。古墳内に空洞があるとミューオンは透過しやすい。古墳を貫いたミューオンを、
古墳のそばに置いたフィルムで捉え、飛来角度と飛来数を解析することで古墳内の空洞の
大きさが計算できるという。

 実験現場は奈良県大淀町の石神古墳(7世紀)。標高約280メートルの丘陵頂部にある
円墳(直径約23メートル、高さ約4メートル)で長さ10メートル、最大幅2メートル、高さ
最大2.1メートルの石室がある。10センチ×12センチのフィルムを古墳近くに3月から1カ月間
置き、顕微鏡を用いた自動装置で、約5万本あったミューオンの軌跡を読み取った。結果、
石室がある部分と無い部分をほぼ検出できたという。

 石黒さんは「フィルムの設置数を増やせば、より精度を上げられる。今後は石と土の
違いを見分けることなどを目指し、技術を確立したい」と言う。実験や発表に参加した
奈良県立橿原考古学研究所の西藤(さいとう)清秀・技術アドバイザーは「古代日本の
研究に欠かせない大型古墳は人が入れない所が多い。埋葬施設の有無など、この手法で
新しい知見が得られることが期待できる」と話している。【矢追健介】

ソース:毎日新聞(2014年07月07日)
宇宙線:古墳内部を調査 名古屋大研究グループ
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)

原発表:日本文化財科学会第31回大会・2014年度総会 B-18
石黒勝己・西藤清秀・松田渡. 宇宙線ミューオンによる古墳埋葬施設の解析
URLリンク(www.jssscp.org) (PDF)

36:出土地不明
14/07/08 23:20:04.12 by9CfKHU
【京都】建設用地で古銭4万枚! 壺にびっしり 400万円以上[07/08]
1 :のっぺらー ★:2014/07/08(火) 23:08:20.09 ID:???
京都市下京区貞安前之町の駐車場建設用地から、
室町時代(15世紀)のものとみられる備前焼の壺(高さ66センチ、幅53センチ)が出土し、
なかから古銭4万枚以上がみつかったと、民間の発掘調査会社「イビソク」(本社・岐阜県)が8日、発表した。
同社は、1文は100円ほどと推定。「現在の価値に置き換えれば400万円以上では」という。

見つかったのは四条河原町にある高島屋京都店の南側。
文献によると付近には当時、
河原で染色などをしていた職能集団の集落があったとされるが、壺の持ち主はわかっていない。
ひびに沿って壺の一部をはがしたところ、中に古銭がぎっしりと詰まっていた。

古銭は「開元通宝」(初鋳年代621年)から「宣徳通宝」(同1433年)まで、
作られた年代が異なる約50種類が確認された。
97枚を1単位としてひもに通した「さし銭」という状態だった。

同社によると、古銭の大量出土は全国で200例以上あるが、
壺に収められた状況や、ひもを通している状態がそのまま確認できるのは珍しい。
壺に入れるのは貯金や隠匿、地鎮などの意味があるという。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

msn産経west 07/08
URLリンク(sankei.jp.msn.com) 

37:出土地不明
14/07/09 11:05:32.76 VOxhpGC1
石清尾山古墳群の講座開催へURLリンク(www3.nhk.or.jp)
全国でも珍しい石積みの古墳が集中する高松市の「石清尾山古墳群」の最新の調査成果などを紹介する一般向けの
講座が7月中旬から開かれることになりました。
高松市の石清尾山には、3世紀半ばから4世紀後半にかけの石積みの古墳が集中し、12の古墳が国の史跡に
指定されています。
講座は、その「石清尾山古墳群」を多くの人に知ってもらおうと高松市文化財課が4回にわたって開きます。
1回目は、7月19日に開かれ、高松市が国史跡への追加指定を目指して発掘調査を進めている「稲荷山姫塚古墳」の
調査成果などが紹介されます。
2回目は8月23日で、出土した埴輪などをもとに対岸の岡山にある古墳との関係性について、
また、3回目は9月20日で板状の石積みが見られる大阪・南河内の古墳との比較をとおして
ヤマト政権の本拠地畿内とのかかわりを考える予定です。
いずれも、会場は高松市中央図書館です。4回目は10月25日に、「稲荷山姫塚古墳」の発掘現場を見学する予定です。
講座への参加は自由です。高松市が「石清尾山古墳群」の講座を開くのは初めてです。07月09日 08時51分

38:出土地不明
14/07/12 09:16:15.86 n41O8V7d
千足古墳を前方後円墳に復元へURLリンク(www.rsk.co.jp)
岡山市は、造山古墳群のひとつで国の史跡にも指定されている千足古墳を、
作られた当時の姿の前方後円墳に復元する方針を示しました。
岡山市北区新庄下の千足古墳は、5世紀前半に作られ、九州以外で唯一、直弧紋という彫刻が施された石障が
見つかるなど、吉備と九州のつながりを示す重要な根拠だと言われています。
岡山市は、2018年度の完成を目指して、この古墳を当初の前方後円墳の姿に復元することにしました。
1億5千万円をかけ、墳丘に上がる遊歩道や石室を見学できる通路などが整備されるほか、調査で出土した埴輪の
レプリカも並べられます。URLリンク(www.rsk.co.jp)
千足古墳は、2009年に石障がある石室が水没し直弧紋が破損していることが判明してから、その保護や保存が
大きな課題となっていました。

39:出土地不明
14/07/12 18:55:04.15 e7kNO9a+
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

鹿田遺跡 烏帽子かぶった人骨出土 2014年07月12日 ◇岡大調査…鎌倉期の墓 藤原家家臣か
 岡山大は11日、弥生中期から江戸前期までの集落などが集積した岡山市北区の「鹿田しかた遺跡」で、
鎌倉時代の墓から、男性のかぶりもの「烏帽子えぼし」をかぶった状態の人骨が見つかったと発表した。
烏帽子はほぼ完全な状態で、同大学によると、烏帽子のみが出土した例はあるが、
かぶった状態で出土したのは初めてという。

 発掘調査にあたった同大学埋蔵文化財調査研究センターの岩崎志保助教によると、
立烏帽子と呼ばれるものとみられ、高さ約25センチ、最も広い幅で29センチ。
黒漆塗りで、木棺に納められていたとみられる人骨の頭上で見つかった。

 同遺跡は平安~室町時代、藤原摂関家の荘園「鹿田荘しかたのしょう」があった地で、
人骨の出土した場所は京都から派遣された荘園管理者の屋敷跡とみられている。
墓周辺からは副葬品の中国製青磁器2点、白磁器1点が出土。
岩崎助教は「埋葬者は比較的身分の高い藤原家の家臣だったのではないか」と話している。

 武田佐知子・追手門学院大教授(服飾史)の話「立烏帽子ならば、それなりに地位の高い人だったのだろう。
通常は一部が出土するのみで完全な形で発見されたものは見たことがない」

URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
鎌倉時代の墓から出土した烏帽子(中央の台形上のもの、岡山市北区の鹿田遺跡で)=岡山大提供

40:出土地不明
14/07/13 08:24:30.56 +6SGp1/q
松山市に古墳公園URLリンク(www3.nhk.or.jp)
国の史跡に指定されている松山市の「葉佐池古墳」が公園として整備され12日オープンしました。
松山市北梅本町にある葉佐池古墳は6世紀中頃の古墳時代後期の楕円形の古墳で、当時の埋葬儀礼がうかがえる
貴重な遺跡として国の史跡に指定されています。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
松山市はおととしから古墳の周辺を公園に整備してきましたが、12日オープン記念のセレモニーが行われ地元の
住民などおよそ60人が参加しました。
セレモニーでは松山市の野志市長が、「この古墳から、どのような人がどのように暮らしていたか、歴史文化を感じ
取って欲しい」とあいさつしました。
住民たちはさっそく公園の中を歩いたあと、見つかったときの状態が忠実に再現された古墳の石室がある建物の中に
入り、石室の中のひつぎや埋葬品などを興味深そうに眺めたり、写真におさめたりしていました。
訪れた70代の男性は、「地元に住むものとして、完成を楽しみにしていました。子どもたちと一緒に来て勉強したいです」
と話していました。07月12日 19時03分

41:出土地不明
14/07/13 12:46:58.54 +6SGp1/q
ebcで-た放送news 12日20:21 葉佐池古墳公園オ-プン
国の史跡に指定されている松山市北梅本町の葉佐池古
墳の整備工事が完了し古墳公園としてオ-プンした。
遺体が安置されていた石室を見られるほか、古墳の成
り立ちを学べる。原則土日と祝日に開園する。

2014.7.12 18:20葉佐池古墳公園オープンURLリンク(www.ebc.co.jp)
国の史跡に指定されている松山市北梅本町の葉佐池古墳の整備工事が完了し、古墳公園としてオープンしました。
葉佐池古墳は1992年に土地の所有者が造成のため掘り起こした際、偶然見つかった古墳です。
内部が荒らされていないため、およそ1400年前の葬儀の様子を知ることができる貴重なものとして、
国の史跡に指定されています。
松山市が整備した古墳公園では、遺体が安置されていた石室を間近で見ることができるほか、
パネル展示などで古墳の成り立ちを知ることができます。
葉佐池古墳公園は、原則、土日、祝日の午前9時から午後5時まで開園しています。

42:出土地不明
14/07/14 07:48:01.95 hcdzcgWU
恐竜の最新研究を学ぶ講演会URLリンク(www3.nhk.or.jp)
恐竜に関する最新の研究を学ぶ講演会が、13日、松山市の愛媛大学で開かれました。
この講演会は、愛媛大学で開かれている、中生代の恐竜の化石やレプリカなどの展示会にあわせて開かれたもので、
学生や親子連れなどおよそ100人が参加しました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
講演では、日本の恐竜研究の権威として知られる、国立科学博物館の真鍋真さんが講師を務めました。
真鍋さんは、3年前にアルゼンチンで見つかり、ことし世界最大級の恐竜のものとわかった化石について紹介しました。
この化石は、大たい骨の特徴などから、草食で大型の竜脚類と呼ばれる種類の恐竜のものですが、
上腕骨などが見つかっていないため正確な大きさは分からないということです。
また、真鍋さんは、中国で化石が見つかった「アンキオルニス」という恐竜について、化石に残されていた羽毛の細胞の
大きさから体の色が判明したことを明らかにしました。
この恐竜は、赤色のとさかがあり、黒と白の羽毛が生えていたということで、訪れた人たちは、イラストを交えた説明を
熱心に聞いていました。
伊予市から訪れた男性は、「骨から大きさを推定する方法や色を知る方法など知らないことが多く勉強になりました。
恐竜にいっそう興味がわきました」と話していました。07月13日 18時56分

43:出土地不明
14/07/16 21:13:12.46 Fe2vFZ1p
700年前後の政庁「糟屋評」跡か 福岡・粕屋で発掘
【朝日新聞】 2014/7/16 05:35

福岡県粕屋町で、紀元700年前後の地方政庁の跡とみられる遺跡が見つかった。粕屋町教委によると、
「糟屋評(かすやのこおり)」と呼ばれる政庁跡とみられ、律令国家形成期の地方支配を考えるうえで貴重な
遺跡という。町教委は19日午前10時から現地説明会を開く。

遺跡は、同町阿恵の九大農学部付属農場の移転確認調査で発掘。町教委が昨年7月から調査を始めていた。
東西300メートル、南北100メートルの範囲で、政庁跡と倉庫跡がセットで見つかり、「糟屋官衙(かんが)
遺跡群阿恵遺跡」と名付けられた。

政庁跡は1辺55メートルほどのコの字形に並び、5棟の建物を確認。倉庫は高床式で6棟見つかり、税として
集めた米などを収納する「正倉」とみられるという。

糟屋評については、698年に鋳造されて京都・妙心寺に残る鐘(国宝)に「糟屋評造舂米連広國(つきしねのむらじ
ひろくに)」の銘があることで知られている。「評造(こおりのみやつこ)」は、当時の地方政庁の長官を
意味したとされる。(馬郡昭彦)

ソース: URLリンク(www.asahi.com)
画像: URLリンク(www.asahicom.jp)
 (コの字形に建物が配置された政庁跡=福岡県粕屋町阿恵、町教委提供)

スレリンク(newsplus板)

44:出土地不明
14/07/25 08:30:04.36 yUyjGNM4
陶棺のミニチュアづくりURLリンク(www3.nhk.or.jp)
津山市で夏休みの小学生たちが古墳時代の「陶棺」と呼ばれる粘土で焼き固めたひつぎのミニチュア作りに取り組みました。
この取り組みは、郷土の歴史に関心を持ってもらおうと津山郷土博物館が企画したもので
24日は事前に申し込んでいた津山市内の小学5、6年生6人が参加しました。
子どもたちはまず、博物館にある陶棺を見学し、陶棺が地方の有力者を埋葬するためのもので、
美作地方から全国の半数以上が出土していることなどを学びました。
この後、子どもたちは、粘土を使って長さ20センチほどのミニチュアの陶棺づくりに取り組みました。
まず、粘土を平たくして底になる部分をつくり、そこにひも状に伸ばした粘土を積み上げてひつぎの外枠を作っていきます。
そして外側に模様を彫り込み、自分だけの陶棺に仕上げていました。
参加し男子児童は、「昔の人は、大変なのに良く作ったなと思いました」などと話していました。
できあがったミニチュアの陶棺は自然乾燥させた後、8月、博物館の裏庭で焼いて仕上げるということです。
07月24日 19時29分URLリンク(www3.nhk.or.jp)

45:出土地不明
14/07/26 12:59:55.59 lckM117d
【考古学】奈良・古墳出土のガラス椀、ペルシャの高級品の可能性

スレリンク(scienceplus板)

46:出土地不明
14/07/27 05:38:12.05 h9moJnkD
ぜひ行ってください。
発掘された日本列島―新発見考古速報〈2014〉へ昨日、行ってきた。
文化庁長官、江戸博、九州博の鼎談を聞き、3時から、文化庁調査官の案内、解説を聞いた。
白滝の黒曜石遺跡は圧巻、石器、埴輪、土器など見応えがあった。
料金は、600円で通常料金(65歳以上のおれ、300円。 )
20日に間違って、行ってしまったが、再度いった。
東京国立博物館にも行ったが、よかった。石器、しゃこう土器、埴輪みごたえがあった。

47:出土地不明
14/08/01 13:33:01.59 CwtVJDBU
【考古学】青森・三内丸山遺跡に約5千年前の直線の溝、大規模な人工道か [14/08/01]

スレリンク(newsplus板)

48:出土地不明
14/08/06 13:20:26.57 M4h2bLix
URLリンク(www.afpbb.com)

2000年前のユダヤ戦争時代の硬貨、多数発見

【8月6日 AFP】1世紀のユダヤ戦争時代にさかのぼる、約2000年前の貨幣がエルサレム(Jerusalem)とテルアビブ(Tel Aviv)を結ぶ幹線道路近くの発掘現場で見つかった。
青銅貨114枚を含む貨幣は陶器製の容器に入っていた。
 貨幣は、イスラエル考古学庁(Israel Antiquities Authority、IAA)ユダ(Judah)地区担当の考古学者パブロ・ベッツァー(Pablo Betzer)氏率いる発掘チームが発見した。(c)AFP

49:出土地不明
14/08/07 10:17:09.56 ulR7Jcvo
URLリンク(www.asahi.com)

後鳥羽上皇の離宮か、大阪で発掘 池つき、眺めも良し

鎌倉幕府にあらがい「承久の乱」(1221年)を起こして隠岐に流された後鳥羽上皇(1180~1239)が造営した「水無瀬(みなせ)離宮」の一部とみられる宮殿跡が大阪府島本町で見つかったと、町教委が6日発表した。
離宮跡とみられる遺構は町内の別の場所で2009年に初めて見つかったが、今回の遺構は、洪水で壊れ、再建された離宮の一部と推定できるという。
 同町桜井3丁目の駐車場跡約1530平方メートルを発掘。池の跡や1メートル大の庭石2個のほか、鎌倉期に京都の瓦工房で製造された「軒平(のきひら)瓦」「軒丸(のきまる)瓦」などの瓦や陶磁器が大量に見つかり、庭園つきの宮殿だった可能性が高い。
 後鳥羽上皇に仕えた藤原定家の日記「明月記」などの文献によると、上皇は1199年、水無瀬川と淀川の合流地付近に離宮(下御所、現在は水無瀬神宮)を造成。
1216年に洪水で壊れたが、翌17年に新離宮(上御所)を山上に再建したという。

50:出土地不明
14/08/12 10:32:36.77 itRb8RR0
「積石塚」の本格調査を視察URLリンク(www3.nhk.or.jp)
全国でも珍しい石積みの古墳が集中する高松市の石清尾山で初めて行われている本格的な発掘調査の現場を、
11日、考古学の専門家が視察しました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
発掘調査が行われているのは、高松市の石清尾山にある3世紀後半の前方後円墳、「稲荷山姫塚古墳」で、
高松市の調査会議のメンバー3人が現地を視察しました。
「稲荷山姫塚古墳」は積石塚と呼ばれる石積みの古墳で高松市は、後円部に続いて7月中旬から前方部の
発掘調査を始めました。
今年度の調査では、これまでに後円部と同じように板状の石「板石」が重なっているのが見つかり、階段状に
築かれた古墳の表面を美しく見せるための石として、垂直に積み上げていたとみられています。
また、石を積んで古墳の基盤が造られていたこともわかりました。
調査会議のメンバーは今後の調査の進め方を市の担当者に助言していました。
石清尾山の積石塚の本格的な発掘調査は今回が初めてです。
調査会議の会長をつとめる香川大学の丹羽佑一名誉教授は「明らかになっていない『積石塚』の造り方を
調べようという今回の調査の意義は大きい」と話していました。
高松市は国の史跡への追加指定を目指してことし11月ごろまで発掘調査を続ける予定です。
08月12日 09時13分

51:出土地不明
14/08/12 22:22:35.35 F4pZtacO
陶棺を野焼きする体験講座URLリンク(www3.nhk.or.jp)
古墳時代の「陶棺」と呼ばれる粘土を焼き固めたひつぎのミニチュアを、夏休みの小学生たちが野焼きで仕上げる
体験講座が、12日津山市で開かれました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
この催しは、多くの陶棺が出土している津山市の津山郷土博物館が夏休みに合わせて子供たちに郷土の歴史に
関心を持ってもらおうと開いたものです。
12日は、小学生6人があらかじめ自分たちで粘土をこねて作ってあった20センチほどのミニサイズの「陶棺」を
博物館の裏庭で野焼きする作業に取り組みました。
子どもたちはまず、たき火の周りに自分の「陶棺」を並べてたき火の熱で乾燥させ徐々に火の中に入れて、たきぎを
加えて焼き上げていました。
「陶棺」を焼き上げるには2時間半ほどかかり、子どもたちは焼き上がりを待つ間、古代の人が火おこしに使っていた
「まいぎり」と呼ばれる道具で火おこしを体験したり、博物館を見学ししたりしていました。
参加した女子児童は、「きょうは、昔の人がやってた火おこしとかができて楽しかったです。陶棺は夏休みの宿題で
学校に持って行きます」と話していました。08月12日 20時50分

52:出土地不明
14/08/13 22:26:42.01 9i2g6Iev
【奈良】古代日本に"ピラミッド" 蘇我馬子の父、稲目の墓? 都塚古墳(画像と動画あり)

画像と動画
蘇我馬子の父、稲目の墓?都塚古墳、国内初の構造も(14/08/13)
URLリンク(news.tv-asahi.co.jp)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(i.ytimg.com)
URLリンク(www3.nhk.or.jp)

都塚古墳は“ピラミッド型”か
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
8月13日 17時55分

奈良県明日香村にある「都塚古墳」が、石を階段状に積み上げたピラミッドのような極めて珍しい形をしていた可能性が高いことが地元の教育委員会などの発掘調査で分かりました。
研究者からは、古代の「高句麗」の王族のものとみられる墓に形が似ていることなどから、渡来人と関係が深かった豪族の蘇我稲目が埋葬されたのではないかという説も出て、今後、議論を呼びそうです。

調査が行われたのは、6世紀後半に造られたとみられる「都塚古墳」です。
明日香村の教育委員会と関西大学が、古墳の上の土で覆われている部分を発掘調査した結果、直径10センチから30センチほどの数多くの石を階段状に積み上げた遺構が3か所で見つかりました。
1か所では4段の石組みが、ほかの2か所では低いところのそれぞれ1段が確認されたということです。
また、古墳のすその部分は一辺が40メートル余りのほぼ正方形とみられることも分かり、調査した教育委員会などは、石を階段状に積み上げた形をしていた可能性が高いとみています。
このように石を階段状に組んでピラミッドのような形にした古墳は、国内ではほとんど例がないということです。
「都塚古墳」は、昭和42年に行われた本格的な発掘調査で土器や鉄製品が見つかりました。
今は埋葬施設の石室の内部を見学することができ、中には家の形をした石のひつぎが安置されています。
しかし、土に覆われた古墳の上の部分は、今回の調査以前は調査が行われず、全体の形や規模は分かっていませんでした。
また、誰が埋葬されたかについても、明らかになっていません。
この調査結果については、今月16日に現地説明会が開かれます。発掘調査を行った明日香村教育委員会文化財課の西光慎治調整員は「長い間、この地域の古墳を調べてきたが、
今回のような形をしたものは初めてで、驚いている。強い権力を持つトップクラスの人が埋葬されたのではないか」と話しています。

「蘇我稲目を埋葬か」

今回の調査結果を受けて、飛鳥時代の古墳に詳しい京都橘大学の猪熊兼勝名誉教授は「都塚古墳は強大な権力を握った豪族の蘇我稲目が埋葬されたのではないか」と指摘しています。
猪熊名誉教授は、その根拠として主に3つの点を挙げています。
▽1つは、都塚古墳は6世紀後半に造られたとみられ、蘇我稲目が死んだ570年と時期がほぼ一致することです。
▽また、都塚古墳がある場所は、蘇我氏とゆかりの深い地域とされていることです。
北に400メートルほどのところにある「石舞台古墳」は、6世紀の古墳を壊して7世紀初めに造られたとみられ、蘇我稲目の息子の蘇我馬子の墓とする説があり、近くには馬子の邸宅の跡とされる「島庄遺跡」もあります。
▽さらに今回の調査で明らかになったピラミッドのような古墳の形は、大陸から朝鮮半島にかけて勢力を誇った「高句麗」の王族のものとみられる墓に似ている点を挙げています。
蘇我稲目は高句麗から来た2人の女性を妻にしたと「日本書紀」に記されるなど高句麗と関係が深く、特徴が似た古墳に埋葬されたのではないかと指摘しています。

URLリンク(www3.nhk.or.jp)

53:出土地不明
14/08/16 11:41:08.23 GUZsr1xv
屋島80年記念し企画展開催へURLリンク(www3.nhk.or.jp)
高松市の屋島が国の史跡と天然記念物に指定されてからことしで80年になるのを記念して、高松市と香川大学は、
屋島の史跡や地形などの天然記念物の調査成果を紹介する企画展を開くことになりました。
高松市の屋島は、中国・唐の高僧、鑑真が開いたと伝えられる屋島寺や源平の古戦場などの史跡があることや
「メサ」と呼ばれる頂上が平坦な溶岩台地の美しい地形がみられることなどから昭和9年に国の史跡と天然記念物に
指定されました。
指定からことし11月で、80年になるのを記念して高松市と香川大学は11月8日から12月23日まで高松市歴史
資料館で企画展を開くことになりました。
企画展では、屋島の史跡のほか高松市が香川大学に委託して2年間にわたって実施した屋島の地形や動植物などの
天然記念物の調査の成果が紹介されます。
また、高松市では、12月から来年1月にかけて4回にわたり、天然記念物の調査成果を専門家が解説する
一般向けの講座も開くことにしています。
高松市では、「企画展や講座をとおして屋島の価値を多くの人に知ってもらいたい」と話しています。08月16日 09時36分

54:出土地不明
14/08/18 18:35:51.20 wMHeZJBQ
自分だけのまが玉を作ろうURLリンク(www3.nhk.or.jp)
夏休み中の子どもたちに古代の歴史や文化財に興味をもってもらおうと、「まが玉」の形をしたペンダントをつくる催しが
丸亀市で開かれました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
この催しは子どもたちに歴史のおもしろさを感じ文化財に関心をもってもらおうと丸亀市教育委員会が開いたもので
市内の子どもたち22人が参加しました。
はじめに丸亀市教育委員会の職員がまが玉は古代の人の首飾りであることなどを解説し、子どもたちは10センチ
ほどの大きなものなどさまざまなまが玉を見せてもらいました。
そのあとさっそくペンダント作りに挑戦し、まが玉の形に削られた滑石と呼ばれる比較的柔らかい石を紙やすりで
磨いて思い思いの形に仕上げていきました。
そして、水につけながら磨いて表面をつるつるにしたあと、ひもを通して自分だけの「まが玉ペンダント」を完成させました。
妹といっしょに参加した女の子は「もともと歴史は好きですがさらに関心を持ちました。ペンダントは家に飾るか妹に
プレゼントします」などと話していました。
08月18日 12時26分

55:出土地不明
14/08/22 08:27:59.86 TJaiS5HD
讃岐国府跡の専門委員会発足URLリンク(www3.nhk.or.jp)
古代の讃岐国の役所跡、「讃岐国府跡」の調査について指導や助言を行う専門委員会が発足し、国の史跡指定に
向けて地元の坂出市と香川県埋蔵文化財センターが連携して調査を進めることになりました。
「讃岐国府」は、奈良時代に中央政府が讃岐国を治めるために設けた役所です。
香川県埋蔵文化財センターが坂出市府中町で進めている発掘調査で、これまでに、「讃岐国府」の中心施設と
みられる建物跡や塀の跡などが見つかっています。
こうした調査の成果を受けて、坂出市は、21日、「讃岐国府跡」の調査や保存・活用を検討する会議の中に、
専門家による委員会を立ち上げました。
委員は6人で徳島文理大学の大久保徹也教授を委員長に選んだあと「讃岐国府跡」と「讃岐国府」の中にあった寺院、
「開法寺」の跡を視察しました。専門委員会は、今後の発掘調査などについて指導や助言を行います。
「讃岐国府」の中心施設とみられる区画はおよそ70メートル四方と推定され、香川県埋蔵文化財センターは
区画の範囲や建物の配置を明らかにしたいとしています。
また、坂出市も、「開法寺跡」の調査を続け双方が連携して国の史跡指定を目指すことになっています。
08月22日 07時22分

56:出土地不明
14/08/26 06:12:38.53 v76S35R/
備前焼「甕壺」作りに挑戦URLリンク(www3.nhk.or.jp)
備前焼の大きなかめをモチーフにした備前焼のキャラクターを手作りする催しが24日備前市で開かれました。
この催しは備前市の備前市埋蔵文化財管理センターが開いたもので、24日は小学生などの子どもとその保護者
あわせて13人が参加しました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
作ったのは中世の時代に水や穀物などを入れる容器として生産された備前焼の大きなかめをモチーフにした
備前市埋葬文化財管理センターのマスコットキャラクター「甕壷」です。
子どもたちは備前焼作家の指導を受けながら当時の技法に基づき、まず粘土を細長いひも状にしてそれを一本ずつ
積み重ねていきます。そして粘土の表面を手でならしては形を整え、高さ10センチほどのかめの形に整えました。
そして親子で竹のヘラやクシを使い側面に顔を描いたり、手足を付けるなどしてマスコットキャラクターを完成させました。
体験した小学2年生の男の子は「とても楽しかったです。作ったかめの中にはキャンディーなどのお菓子を入れてみたいです」
と話していました。
出来上がった作品は備前焼作家の工房で焼き上げ、ことし10月には子どもたちの元へ届けられるということです。
08月25日 22時22分

57:出土地不明
14/08/31 08:57:23.15 3Z3TDKOm
須恵器の窯跡 発掘説明会URLリンク(www3.nhk.or.jp)
備前市で、備前焼のルーツとされる須恵器が作られた窯の跡の発掘調査の説明会が開かれました。
説明会が行われたのは、備前市佐山にある「東山窯跡」です。
岡山理科大学考古学研究室の亀田修一教授のグループが去年3月から断続的に発掘調査をしていて、
30日は一般の見学者70人を対象に発掘現場の説明会が開かれました。
亀田教授によりますと、この窯の大きさは幅およそ2メートル、全長は10メートルで、初期の備前焼を焼く窯と似た
構造をしており須恵器から備前焼に移り変わる奈良時代後期に築かれたとみられています。
窯の周囲には雨水を逃がすための溝が掘られていたほか、薪を入れる「たき口」の手前には灰や割れた器などを
捨てる「灰原」が見つかっているということです。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
また、器の破片も数多く見つかりこの中から漢字の「福」とみられる判が押されているものも見つかったということです。
亀田教授によりますと、福の文字を押した器のかけらがこの時代の窯跡から見つかるのは珍しいということです。
見学に訪れた人たちは備前焼のルーツに思いを馳せながら説明を聞いていました。
現在行われている発掘調査は明後日まで実施されるということです。08月30日 19時37分

58:出土地不明
14/09/04 07:41:01.22 7ppensBw
屋島に瀬戸内有数の製塩遺跡URLリンク(www3.nhk.or.jp)
高松市の屋島にある遺跡から海水を煮詰めて塩を作るのに使われた弥生時代から飛鳥時代までの土器が大量に
出土し、古代の塩作りの変遷をたどることができる瀬戸内でも有数の遺跡であることがわかりました。
この遺跡は、屋島の浦生地区にある「鵜羽神社境内遺跡」で、昨年度から徳島文理大学と高松市が共同で発掘調査を
行っています。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
これまでの調査で、海水を煮詰めて塩を作るのに使われた1世紀終わりの弥生時代後期から7世紀前半の飛鳥
時代までの土器の破片が大量に出土しました。
中でも、古墳時代の終わりから飛鳥時代の初めにかけての土器が多く見つかり、およそ30センチの厚さで積み
重なっている所もありました。
さらに、古墳時代前期の地層から焼けた粘土の塊が見つかり、塩を焼いて固めるのに使った炉の跡の可能性もあると
みられています。
徳島文理大学の大久保徹也教授は、「500年以上にわたって塩作りの変遷をたどることができる瀬戸内でも有数の
遺跡だ」と話しています。
屋島には、7世紀後半に築かれたとされる山城、「屋嶋城」の跡があり、「屋嶋城」が築かれる以前の屋島の状況を
知るうえでも重要な遺跡と注目されます。09月03日 16時11分

59:出土地不明
14/09/05 08:17:34.51 JjhWQMWD
地震で沈んだ遺跡を探せURLリンク(www3.nhk.or.jp)
過去の巨大地震で集落が海に沈んだという言い伝えについて調べている高知大学などの研究チームが4日、
須崎市で海底の調査を行いました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
高知大学と独立行政法人、海洋研究開発機構の共同研究チームは、大きな地震で集落が海に沈んだという、
高知県の沿岸部に今も残る言い伝えについて、平成25年から調べています。
きょうはことし3月の調査で海底の広い範囲が平らになっているのが見つかった須崎市の野見湾で再び調査を行いました。
研究チームのメンバーは採泥器と呼ばれる装置を使っておよそ40か所で海底の堆積物を採取し、ふるいにかけて
土器などの人工物が含まれていないか調べました。
また、4日は地元の漁師も調査に同行し、海底に井戸などが見えたとされている場所を案内しました。
4日の調査では明らかに土器の破片などと判断できるものは見つかりませんでしたが、研究チームでは採取した
サンプルを詳しく調べるとともに今後、ダイバーが潜って海底の地層を掘り出して詳しい年代などを測定することに
しています。
海洋研究開発機構の谷川亘主任研究員は「今後は県西部にも調査範囲を広げ地震で集落が海に沈んだという
言い伝えについて科学的に解明し防災教育などに役立てていきたい」と話していました。09月04日 21時00分

60:出土地不明
14/09/09 16:12:02.75 opt3uIZt
珍しい古代の“製塩施設”見つかる09月08日 18:34 URLリンク(setonaikai.co.jp)
高松市で古墳時代前期に土器を使って塩を作っていた施設の遺跡が見つかり、
発掘調査が進んでいます。URLリンク(www.youtube.com)
調査が進んでいるのは高松市屋島西町の鵜羽(うのは)神社境内遺跡です 先月から高松市と徳島文理大学の
調査団が詳細な発掘調査を行っていました 1m20㎝ほど掘ったところで古墳時代の製塩施設が見つかりました
備讃瀬戸では古くから製塩業が盛んでした 今から約1500年前の古墳時代には 土器に海水を入れて煮詰める
土器製塩と呼ばれる塩作りが行われていました 今回発見されたのは土器を火にかけるかまどのような施設の一部
上下の地層から古墳時代前期のものと特定 調査団によると全国的にも古い土器製塩の遺跡で貴重な発見だということ
飛鳥時代になると土器製塩で作った塩を更に熱して品質を良くする焼き塩という加工法が生み出されたとされている
調査団によると飛鳥時代の300もの前の遺跡で焼き塩を行っていた可能性もあるそうで 今後の調査によっては
日本の塩作りの歴史を塗り替える期待も持たれている 文理大文学部大久保教授 構造物の残骸が元々どういう配置に
なっていたかを復元することをやれば 手掛かりは今後の調査で得られると思う

61:出土地不明
14/09/09 16:31:13.40 opt3uIZt
なるほど!古代エジプト展始まるURLリンク(www.rsk.co.jp)
古代エジプト人の日々の暮らしを紹介する特別展、「なるほど!古代エジプト」が岡山市北区のオリエント美術館で
始まりました。初日の9日は、午前10時から開会式が行われました。
会場では、古代エジプト文明を生きた人々の一生が出土品や模型などを使って紹介されています。
誕生、結婚、労働や遊び、死などがテーマごとに紹介され私たちの暮らしとの対比を楽しむこともできます。
棺の蓋です。URLリンク(www.rsk.co.jp)
人の形に合わせて作られていて、鮮やかな色とビーズのような襟飾りが表現されているのが特徴です。
この特別展は11月16日までで、ESDユネスコ世界会議に合わせた講座やワークショップも開かれます。

62:出土地不明
14/09/10 13:37:33.51 sdqd0nqI
総社・神明遺跡で銅鐸出土 岡山県内 発掘調査で25年ぶり
URLリンク(www.sanyonews.jp)

発掘調査中の総社市福井、神明(しんめい)遺跡で、弥生時代中期(約2200年前)の銅鐸(どうたく)が見つかった。岡山県古代吉備文化財
センターが10日、発表した。発掘調査で銅鐸が出土するのは全国でも珍しく、県内では25年ぶり2例目。これまで謎が多いとされてきた埋め
方や年代の特定につながる貴重な発見という。

銅鐸は高さ約30センチ、裾部の長径15センチ。8月21日に見つかった。地下約20センチのところに、側面のひだ・鰭(ひれ)を上下にして
横たわっていた。弥生中期後半~後期のムラの端に位置する。

銅鐸は弥生時代を代表する青銅器の一つで、祭祀(さいし)に使用されたとされる。上部のひもを通すつり手部分・鈕(ちゅう)の形から製作
年代が四つに分類され、今回のものは2番目に古い外縁(がいえん)付鈕式と推定される。

銅鐸の下の土層の住居跡や土器片から、埋納されたのは同時代後期初めごろ(約2000年前)とみられる。文様はまだよく分かっていない。

銅鐸の出土は全国では約570例(岡山県内は今回が24例目)あるが、発掘調査での出土は今回を含めても20例のみ。掘削工事などで
偶然見つかることがほとんどで、埋められた年代や埋め方が分からないことが多い。

弘田和司・同センター調査第3課長は「全く想定していなかった発見。他の例との比較や時期の特定を急ぎ、弥生時代の祭祀を解明したい」
と話す。

同遺跡は国道180号改築工事に伴い同センターが今春から約6800平方メートルを調査している。

■埋納議論に進展も

難波洋三・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長の話  銅鐸の埋納は祭祀の度に掘り返された説と、ある時期に一斉に埋められたという説が
あるが、神明遺跡の銅鐸の埋納時期が特定されることによって、議論が進展する可能性がある。文様の有無、製作地がどこかなど、これからの
調査に期待の持てる面白い資料だ。



銅鐸は13日午後1時から同市中区古京町、三木記念ホールで同センターが開くシンポジウム「3世紀の吉備を読み解く」会場で公開。
20日午後1時からは現地説明会を実施する。問い合わせは同センター

63:出土地不明
14/09/10 16:32:33.80 BfP5Y8g4
総社市の神明遺跡で「銅鐸」見つかるURLリンク(www.rsk.co.jp)
発掘調査が進められている総社市の神明遺跡で、弥生時代の銅鐸が見つかりました。
岡山県で発掘調査中に銅鐸が出土したのは、25年ぶりのことです。
見つかった銅鐸は、高さ約30cm、幅約15cmの大きさです。URLリンク(www.rsk.co.jp)
銅鐸を埋めるために掘られた穴から、横倒しの状態で出土しました。
総社市福井の神明遺跡は、今年4月から発掘調査が進められていて、
これまでに弥生時代後期から奈良時代にかけての竪穴住居や、土器の棺などが見つかっています。
今回出土した銅鐸は、弥生時代後期初め頃以降のものとされ、発掘調査中に出土したのは、
岡山県では25年ぶり2例目で、全国でも20例目となります。
調査を行っている岡山県古代吉備文化財センターでは、弥生時代、祭りに使われた祭器のあり方や、
銅鐸を埋める方法などを調べる上で重要な資料になると話しています。

64:出土地不明
14/09/11 03:14:52.06 BbUvw+CX
銅鐸が弥生時代の遺跡から出土URLリンク(www3.nhk.or.jp)
総社市にあるおよそ2000年前の弥生時代の遺跡から当時、儀式に使われたと見られる青銅器の「銅鐸」が出土しました。
専門家は「銅鐸が埋められた状態や時期がはっきりとわかる貴重な発見だ」と話しています。
銅鐸が見つかったのは、総社市福井にある弥生時代後半の集落跡、「神明遺跡」です。
岡山県古代吉備文化財センターではことしの4月から遺跡の発掘調査を進めていましたが、8月、集落のはずれで
弥生時代の青銅器の「銅鐸」が深さおよそ30センチの穴に横向きに埋められているのが見つかったということです。
「銅鐸」は、高さおよそ30センチ、幅がおよそ15センチ、奥行きがおよそ10センチある「外縁付紐式」と呼ばれる
タイプで、およそ2200年前の弥生時代中期に作られたと見られるということです。
銅鐸はこれまでに全国でおよそ570例確認されていますが、集落やその周辺で見つかることは少なくこうした
発掘調査の過程で発見されたのは19例しかないということです。
銅鐸などの弥生時代の青銅器に詳しい奈良文化財研究所の難波洋三埋蔵文化財センター長は
「銅鐸が埋められた状態や時期がはっきりとわかるという意味で非常に貴重な発見だ。
弥生時代中期にこの地域がどういった社会だったかを考える上で重要な資料になる」と話しています。
今回見つかった銅鐸は9月20日に行われる現地説明会などで公開される予定です。
09月10日 18時21分URLリンク(www3.nhk.or.jp)

65:出土地不明
14/09/11 09:34:15.02 BbUvw+CX
9月10日のニュース総社・神明遺跡で銅鐸出土URLリンク(www.webtsc.com)
発掘調査が進められている総社市福井の神明遺跡で、弥生時代中期の銅鐸が見つかりました。
発掘調査で銅鐸が出土するのは全国でも珍しく、岡山県内では25年ぶり2例目です。
岡山県古代吉備文化財センターがきょう発表したものです。
銅鐸は高さ約30センチで、弥生時代中期の後半から後期のムラの層の端に横たわっていました。
銅鐸は弥生時代を代表する青銅器の一つで、祭祀に使われたとされます。
銅鐸の出土はこれまでに全国で約570例ありますが、掘削工事などで偶然見つかることがほとんどで、
埋められた年代や埋め方が分らないことが多く、 今回の発掘調査での出土はこれまで謎が多いとされてきた
埋め方や年代の特定につながる貴重な発見ということです。

66:出土地不明
14/09/11 10:24:01.55 BbUvw+CX
>>63
総社市の神明遺跡で「銅鐸」見つかるURLリンク(www.rsk.co.jp)
発掘調査が進められている総社市の神明遺跡で、弥生時代の銅鐸が見つかりました。
岡山県で、遺跡の発掘調査中に銅鐸が出土したのは25年ぶりのことです。
見つかった銅鐸は、2000年前、銅鐸を埋めるために掘られた穴から、横倒しの状態で出土しました。
総社市福井の神明遺跡では、今年4月から調査が進められています。
銅鐸が発掘調査中に出土したのは、岡山県では25年ぶり2例目で、全国でも20例目です。
弥生時代に農耕の祭りに使われていたと考えられてる銅鐸が、なぜ埋められたのか、
今回の発掘は、その謎を解く重要な資料となるということです。URLリンク(www.rsk.co.jp)
今月20日には、神明遺跡で現地説明会が開かれる予定です。

67:出土地不明
14/09/11 11:27:15.61 BbUvw+CX
塩づくりの遺跡から炉の跡URLリンク(www3.nhk.or.jp)
高松市の屋島にある塩作りの遺跡で塩を焼いて固めるのに使った可能性がある全国でも珍しい古墳時代前期の炉の
跡が見つかり、共同で発掘調査を行った高松市と徳島文理大学は、炉の構造を明らかにするため追加調査の実施を
検討することになりました。この遺跡は、高松市屋島の浦生地区にある「鵜羽神社境内遺跡」です。
高松市と徳島文理大学が8月から9月にかけて共同で行った発掘調査で、海水を煮詰めるのに使った土器の破片が
大量に出土したほか、3世紀から4世紀にかけての古墳時代前期の地層から焼けた粘土の塊が見つかり、
火を焚いた炉の跡とわかりました。
粘土の塊の一部は非常に硬く、かなり高い温度で火があたっていたことなどから熱が逃げないようにまわりを囲った
かまどのような炉で、湿気を吸って溶けないように塩を焼いていた可能性があるとみられています。
古墳時代前期の塩作りの遺構が見つかったのは、全国でも珍しいということです。
高松市と徳島文理大学は、炉の構造を明らかにするためにはさらに詳しい発掘調査が必要なことから
平成26年度までの2年間としていた調査期間を延長する方向で検討することになりました。09月11日 09時19分

68:出土地不明
14/09/12 16:59:00.47 l4aNIlHk
高梁市発掘の化石が里帰りURLリンク(www3.nhk.or.jp)
世界有数の化石の産出地、高梁市成羽で発掘されたあと、全国各地の研究機関に散らばっている化石を一堂に
集めた展示会が高梁市成羽美術館で開かれています。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
高梁市成羽はおよそ2億3000万年前の中生代三畳紀にユーラシア大陸の沿岸にあったとされ、当時、
生い茂っていたシダやイチョウなどの裸子植物をはじめ、世界的に珍しい多くの種類の化石が産出されています。
展示会は美術館に所蔵されている化石に加えて、全国各地の大学や研究機関に散らばっている化石を一同に
集めたもので、合わせておよそ200点にのぼります。
このうち成羽の名前が付けられた「サゲノプテリスナリワエンシス」は、裸子植物の仲間で中生代に栄え、
今では絶滅した植物で、三角形の石にうちわのような葉の形が映し出されています。
また北海道大学総合博物館が所蔵している「ハウスマンニアデンタータ」は、シダ植物の仲間で、
葉の裏側の胞子嚢が黒い斑点になって一面についています。
展示会は9月28日まで高梁市成羽美術館で開かれています。09月12日 12時53分

69:出土地不明
14/09/15 11:34:05.70 j6EILAys
銅鐸の名前すら古事記や日本初期にも出て来ない
祭器に使われたと思われる銅鐸は支配層の変化で消滅か?

70:出土地不明
14/09/16 17:08:24.40 wwfsmq4K
高田城の発掘 現地説明会URLリンク(www3.nhk.or.jp)
安土桃山時代から江戸時代の初めごろまで真庭市にあった山城・高田城の本丸跡で、おととしから行われてきた
発掘調査の現地説明会が開かれました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
高田城は、15世紀ごろに小高い2つの山を生かして築かれた山城で、本丸のほか二の丸や出丸などがありましたが
江戸時代に幕府の「一国一城令」などによって城は取り壊され、現在はほとんど姿を残していません。
15日は、おととしから発掘調査を行っている真庭市教育委員会が本丸跡で現地説明会を開き、地元をはじめ
岡山市などから熱心な歴史ファンらおよそ60人が集まりました。
真庭市教育委員会によりますと今回の発掘調査では、敵の侵入を防ぐ構造を持つ幅3.5メートルの出入り口
「虎口」の石積みが確認され、さらに城を壊した際に「虎口」を塞いだ跡も見つかったということです。
また、本丸の跡地で見つかった岡山城と同じ模様の軒丸瓦も説明会で一般公開されました。
説明会に参加した歴史愛好家の男性は、「高田城の記録は、ほとんど残っておらず、今回、本丸の虎口が確認
できたことは、意義深いことだと思います」と話していました。
真庭市教育委員会の切明友子生涯学習課長は、「虎口の左右が石垣で築かれ、地盤を階段状に削った本丸に
続くルートを確認できたのが今回の発掘の成果だ」と話していました。09月16日 13時16分

71:出土地不明
14/09/16 17:19:55.04 wwfsmq4K
「四国の近世」巡回展URLリンク(www3.nhk.or.jp)
江戸時代の遺跡の出土品を通して当時の城や城下町の暮らしぶりを紹介する「四国の近世」と題した展示会が
坂出市にある香川県埋蔵文化財センターで始まりました。
この展示会は、四国の5つの埋蔵文化財センターが合同で開いている巡回展で、愛媛、高知に続いて16日から
香川での開催が始まりました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
6回目となる今回は、江戸時代の遺跡の出土品、およそ130点が展示されています。
このうち、高松城跡で見つかった鬼瓦には、藩主だった高松松平家の家紋の「三葉葵文」が入っています。
高松松平家は徳川御三家の一つ、水戸家の分家で「三葉葵文」は徳川一門であることを象徴するものでした。
また、徳島城の城下町の跡から出土した犬や猿などをかたどった土や磁器の小さな人形やままごと道具の皿や
かまどなどは上級武士の子どもたちが遊びに使っていたものとみられています。
このほか、四国で初めて見つかった江戸時代のオランダ製の水差しをはじめ国内各地の高級な陶磁器も展示され
当時の焼き物の流通状況をうかがうこともできます。この香川での展示はことし12月12日まで開かれています。
09月16日 12時38分

72:出土地不明
14/09/20 16:41:45.34 zick8HY1
発掘調査で発見の出土品展URLリンク(www3.nhk.or.jp)
県内の埋蔵文化財の調査を行う「岡山県古代吉備文化財センター」が発掘した出土品を集め、県内の歴史をたどる
展示会が岡山市北区の岡山県立博物館で開かれています。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
この展示会は「岡山県古代吉備文化財センター」ができて今年で30年になるのを記念して開かれているものです。
会場の県立博物館にはセンターによる発掘調査で見つかった旧石器時代から江戸時代までの出土品、
あわせておよそ430点が展示されています。
このうち、岡山市にある弥生時代の集落跡から見つかった国の重要文化財、「突線流水文銅鐸」は流れる水のような
文様が特徴の青銅器で、当時の人の工芸の技術や美意識の高さがうかがえる貴重な資料です。
また、岡山城の二の丸跡から見つかった出土品は、中国産の磁器のほか、織部や志野といった国産陶器などの
高級品が多く含まれていて、当時この辺りに住んでいた重臣たちの暮らしぶりをうかがうことができます。
岡山県立博物館の佐藤寛介学芸員は「それぞれの時代で特徴的なものが見つかっているので、それらの出土品から
私たちの祖先の暮らしに思いをはせてもらいたい」と話しています。
この展示会は10月5日まで岡山県立博物館で開かれています。09月20日 12時46分

73:出土地不明
14/09/22 06:35:16.51 B+tmpfxX
脳も腸から生まれた?
口と肛門はもともとは同じものだった?
“ほえる”から“話す”への進化のメカニズムとは?
URLリンク(live.nicovideo.jp)

74:出土地不明
14/10/06 22:30:00.48 /jdkfqUL
64年前の古墳記録集初公開へURLリンク(www3.nhk.or.jp)
香川県では戦後初めての本格的な発掘調査となり、当時、考古学ブームを巻き起こした丸亀市の「快天山古墳」
の調査のもようを写真で伝える記録集が初めて公開されることになりました。
丸亀市綾歌町の「快天山古墳」は、全長100メートル近くある4世紀中頃の前方後円墳で、昭和25年に地元の
中学校の要望を受けて香川県教育委員会が発掘調査を行いました。
この調査の記録集は平成15年頃に当時の綾歌町役場の書庫で見つかっていましたが、このほど、初めて公開
されることになりました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
記録集は県教育委員会が作成したものとみられ、58枚の写真のうち52枚が残っていて、中学校の生徒たちも
協力して進められた発掘の様子が詳細に収められています。
古墳には3つの石の棺、石棺が埋まっていましたが、2つは生徒たちが発見したもので、このうち、
盗掘されていない石棺を開けたときの写真には、内部が朱で赤く染まりたまっていた青く澄んだ水と鮮やかな対照を
見せ、感激したという説明が添えられています。
香川県では戦後初めての本格的な発掘調査となった「快天山古墳」の調査は、当時、大きなニュースとなり、
700人以上が見学に訪れ、アイスキャンディー売りが出るほどだったといわれています。
記録集は、10月11日から丸亀市立資料館で開かれる企画展で公開されます。10月06日 19時30分

75:出土地不明
14/10/21 09:17:39.10 MNkdzbow
積石塚古墳の全容明らかにURLリンク(www3.nhk.or.jp)
高松市にある石を積んで築いた前方後円墳、「稲荷山姫塚古墳」は、階段状の構造になっており古墳を美しく
見せるために板状の石「板石」で表面を化粧するなど、入念な造りだったことが発掘調査でわかりました。
全国でも珍しい石積みの古墳の詳細な造りが明らかになったのは初めてです。
「稲荷山姫塚古墳」は、高松市の石清尾山の稲荷山地区にある全国でも珍しい石積みの前方後円墳で、
高松市が昨年度から発掘調査を進めています。
これまでの調査で、古墳は全長50メートル余り、高さは後円部が3.9メートル前方部が3.5メートルで2段以上の
階段状の構造になっていることや後円部よりも低い場所にある前方部は高低差を小さくするためにかさ上げを
していたことがわかりました。
さらに、古墳を美しく見せるために板状の石「板石」を積み上げて表面を化粧していたことも明らかになりました。
出土した埴輪の特徴などから、古墳が築かれたのは3世紀の終わりとみられています。
石清尾山には石積みの古墳が20基ちかく確認されていますが詳細な造りがわかったのは今回が初めてです。
調査にあたっている高松市の文化財専門員の波多野篤さんは、「石積みの古墳がどのような造りだったのか
具体的にイメージできるようになった。
また石積みの古墳がその後どのように変わっていったのかを知るうえでの基準にもなる」と話しています。
10月20日 19時17分

76:出土地不明
14/10/21 11:34:46.32 MNkdzbow
全国最古級の積石塚発見URLリンク(www3.nhk.or.jp)
高松市の石清尾山にある石を積んで築いた古墳の一つが、3世紀中頃の全国で最も古いクラスの前方後円墳と
みられることが、高松市の調査で明らかになりました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
この古墳は、高松市の石清尾山の稲荷山地区にある石を積んで築いた古墳の「稲荷山北端1号墳」です。
昭和6年に当時の京都帝国大学が行った測量調査などから、これまで、墳丘が丸い形をした石積みの円墳と
みられていました。
しかし高松市がこのほどレーザーによる詳細な測量をもとに調査したところ南側に四角い形の墳丘が張り出して
いることがわかり、石積みの前方後円墳と確認されました。
また、古墳の全長は46メートルで、後円部の高さが2メートルから3メートルなのに対して、前方部は高さ50センチ
ほどとかなり低く先端部分は三味線の「ばち」のような形をしていることがわかりました。
こうした特徴は、「鶴尾神社4号墳」など同じ石清尾山にある3世紀中頃の全国でも最も古いクラスの前方後円墳と
同じで、高松市は、「稲荷山北端1号墳」も最も古い時期の前方後円墳とみています。
高松市の文化財専門員の波多野篤さんは、「地域色の強い初期の讃岐の古墳について検討するうえで貴重な材料に
なる」と話しています。10月21日 09時55分

77:出土地不明
14/10/23 10:27:24.07 4Ys1njco
讃岐の前期古墳展URLリンク(www3.nhk.or.jp)
3世紀半ばから4世紀にかけての古墳時代前期に築かれた地域色の強い古墳を紹介する「讃岐の前期古墳展」が、
丸亀市で開かれています。
この展覧会は、丸亀市立資料館が開いているもので、34の遺跡の出土品などおよそ1000点の資料を集めています。
このうち、高松市にある石を積んで築いた「鶴尾神社4号墳」は、最も古い3世紀半ばの前方後円墳で壷形の埴輪や
中国製の鏡などが出土しました。
また、4世紀中頃に築かれた丸亀市の「快天山古墳」は、全長がおよそ100メートルと、古墳時代前期では
四国最大の前方後円墳です。石をくり抜いて造った棺を最初に採用した古墳としても知られています。
鉄の剣や斧などの出土品とともに棺にしつらえられた石の枕の拓本も展示されています。
古墳時代前期は地域色の強い古墳が築かれ、讃岐では、丘陵の上に築き埋葬施設を東西方向に設けたことなどが
特徴です。
一方で、「快天山古墳」は、格段に規模が大きくなり埋葬施設を南北方向にするなど、讃岐では、ヤマト政権の本拠地
畿内との関係が深い最初の古墳とされています。
丸亀市立資料館では、「多くの資料を通して讃岐の前期古墳の特徴や変遷を知ってもらいたい」と話しています。
この展覧会は、11月30日まで開かれています。10月23日 09時09分

78:出土地不明
14/11/01 06:03:43.45 xFBdUzFC
石清尾山古墳群の調査会議URLリンク(www3.nhk.or.jp)
高松市の石清尾山にある全国で最も古いクラスの前方後円墳とみられる「稲荷山北端1号墳」について、高松市は、
31日に開いた専門家による会議の意見を受け発掘調査を行う方針を決めました。
31日は、会議に先立って専門家の委員2人や文化庁の調査官などが高松市の石清尾山の稲荷山地区にある
石積みの古墳の一つ、「稲荷山北端1号墳」を視察しました。
「稲荷山北端1号墳」はレーザーを使った詳細な測量調査の結果、3世紀中頃の、全国で最も古いクラスの
前方後円墳とみられています。
委員らは、▼後円部に比べて前方部の高さがかなり低く立体感に乏しいことや、▼前方部の先端が三味線の
バチのように開いていることなど古墳の特徴を確認していました。
このあと高松市埋蔵文化財センターで会議が開かれ市が国の史跡への指定を目指している稲荷山地区の3つの
古墳の事業計画を話し合いました。
この中で「稲荷山北端1号墳」について委員から「古墳の形を確定する必要がある」という意見が出され、
これを受けて高松市は発掘調査を行う方針を決めました。
石清尾山は石積みの古墳が集中する地域で、「峰山地区」の12の古墳が現在、国の史跡に指定されていて、
高松市では、「稲荷山地区」の3つの古墳についても平成29年度に追加指定を申請する予定です。10月31日 19時22分

79:出土地不明
14/11/01 19:03:36.96 xG6iMS7j
【考古】メキシコのテオティワカン遺跡、地下トンネルから大量の埋蔵品©2ch.net
[メキシコ市 29日 ロイター] - メキシコの古代遺跡、テオティワカン発掘に携わっている考古学者によれば、
発見された地下トンネルの調査を進めた結果、宗教儀式に用いられたとみられる大量の埋蔵品が見つかった。
また、トンネルの先に王家の墓がある可能性も出てきたという。

1800年前のものとみられる地下トンネルが最初に発見されたのは2003年。
まず遠隔操作可能なロボットを使って調査が行われ、その後に研究者が発掘を進め、次第にトンネル内の様子が明らかになった。

今回見つかったのは、石の彫刻物や宝石、貝をはじめ4000点におよぶ木製品、黒曜石のナイフ、矢じりなどで、推定で計5万点に上るという。
_______

▽記事引用元
URLリンク(jp.reuters.com)
REUTERS(URLリンク(jp.reuters.com))2014年 10月 31日 11:07 JST配信記事

10月29日、メキシコの古代遺跡テオティワカンの地下トンネルから宗教儀式に用いられたとみられる大量の埋蔵品が見つかったことが分かった。
写真は発掘された埋蔵品。
URLリンク(s4.reutersmedia.net)

80:出土地不明
14/11/06 14:05:04.61 ngsa6bld
貴重な貝塚が破壊されました。
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

81:出土地不明
14/11/08 02:38:37.01 WMXQMiHI
包蔵地に含まれているなら、停止命令を下せばよい者を

82:出土地不明
14/11/10 10:32:44.12 DLUuVMTn
讃岐国分寺史跡まつり11月03日 12:00 URLリンク(setonaikai.co.jp)
連休の最終日11月3日は、文化の日です。高松市の讃岐国分寺跡で開かれている史跡まつりは
大勢の家族連れらでにぎわっています。
地域の人たちに史跡に親しんでもらうのが目的の史跡まつり。2日の雨で延期になり3日開かれることになりました。
まつりは、天平行列から始まりました。約30人の子どもたちが、天平時代の華やかな衣装を着て会場を練り歩きました。
この衣装は、地域の女性たちが古着の着物を再利用し当時の衣装を再現したものです。
讃岐国分寺太鼓保存会による太鼓の演奏や獅子舞も披露されました。
午後からは、子ども力餅大会や古代米による餅つきなどが行われます。

83:出土地不明
14/11/12 08:44:24.21 bn26ulQO
讃岐国府跡の発掘調査始まるURLリンク(www3.nhk.or.jp)
香川県坂出市にある古代の讃岐国の役所跡、「讃岐国府跡」で、中心施設の全容の解明に向けた今年度の
発掘調査が始まりました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
坂出市府中町の「讃岐国府跡」は、奈良時代に、中央政府が讃岐国を治めるために設けた役所の跡です。
香川県埋蔵文化財センターの発掘調査で、平成24年度に、複数の大きな建物の跡などが見つかり、国府の中心
施設の遺構と確認されました。今年度の発掘調査は、11月から建物跡を含む東側の区域で行われています。
今年度は建物の規模や配置をはじめ、すでに塀の跡が見つかっている北側と西側に続いて東側でも跡を見つける
ことで、塀で囲まれていたとみられる中心施設の範囲を明らかにすることが目的で、およそ300平方メートルを調査
する予定です。
この中心施設について県埋蔵文化財センターは、国府の長官にあたる、国司が儀式や政治の仕事を行った場所、
「国庁」や国司の官舎、「国司館」の可能性が考えられるとしています。
県埋蔵文化財センターでは平成29年度まで中心施設の調査を続け、国府の中でどのような位置づけの施設だった
のか、全容を解明したいとしています。11月11日 19時06分

84:出土地不明
14/11/25 21:34:26.85 UJeiClEl
総社市で前方後方墳発見
URLリンク(www.nhk.or.jp)

大きな台形の盛り土から、小さな台形の盛り土が突き出したような形をしている「前方後方墳」と
呼ばれる古墳が総社市の郊外で新たに見つかりました。

見つかったのは全長はおよそ65メートル、幅はおよそ38メートルの「前方後方墳」で古墳時代
では比較的早い4世紀前半につくられたとみられています。

総社市秦地区の地元では茶臼嶽と呼ばれていて去年9月、頂上の標高およそ190メートルまで
登った男性が「古墳ではないか」と指摘したのを受けて岡山大学と市の教育委員会が調査したと
ころ、土の盛り方が人工的で大きな台形から小さな台形がつきだしたような形の「前方後方墳」
と確認されました。

教育委員会によりますと「前方後方墳」としては、岡山県内で3番目の規模になり地域の首長
クラスの人物が葬られたと見られています。

古墳は山の名前から「茶臼嶽古墳」と名付けられました。
周辺の山中では、形式が違うものを含めて古墳がほかに33基見つかっています。

調査した岡山大学の新納泉教授は「今回の発見は、古墳が集中するこの地域の特異性
を、西日本の古墳時代の中に位置づけるものとして大きな意味がある」と話しています。
11月25日 18時58分

85:出土地不明
14/11/26 09:07:19.17 X9BBGijf
総社市で前方後方墳発見URLリンク(www3.nhk.or.jp)
大きな台形の盛り土から、小さな台形の盛り土が突き出したような形をしている「前方後方墳」と呼ばれる古墳が
総社市の郊外で新たに見つかりました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
見つかったのは全長はおよそ65メートル、幅はおよそ38メートルの「前方後方墳」で古墳時代では比較的早い
4世紀前半につくられたとみられています。
総社市秦地区の地元では茶臼嶽と呼ばれていて去年9月、頂上の標高およそ190メートルまで登った男性が
「古墳ではないか」と指摘したのを受けて岡山大学と市の教育委員会が調査したところ、土の盛り方が人工的で
大きな台形から小さな台形がつきだしたような形の「前方後方墳」と確認されました。
教育委員会によりますと「前方後方墳」としては、岡山県内で3番目の規模になり地域の首長クラスの人物が
葬られたと見られています。古墳は山の名前から「茶臼嶽古墳」と名付けられました。
周辺の山中では、形式が違うものを含めて古墳がほかに33基見つかっています。
調査した岡山大学の新納泉教授は「今回の発見は、古墳が集中するこの地域の特異性を、西日本の古墳時代の中に
位置づけるものとして大きな意味がある」と話しています。11月25日 18時58分

86:出土地不明
14/11/26 11:13:15.13 rr/+EuXM
>>85
お前以外の人が岡山関係のニュースを貼ると気に障るのか。

87:出土地不明
14/11/30 17:36:26.31 BSK4ug2Y
化石や剥製を展示した自然科学資料室完成 愛光学園(愛媛県)■ 動画をみるURLリンク(w2.rnb.co.jp)
 愛光学園に貴重な化石や動物の剥製などを集めた資料室が完成した。
 愛光学園の「自然科学資料室」は、教科書には掲載されないような資料を見てもらい、地学や考古学などの学習に
興味を持ってもらおうと開設されるもので、愛光学園の理事長のコレクションや卒業生らの寄付で購入したおよそ
250点が展示される。URLリンク(w2.rnb.co.jp)
 中には、草食恐竜の卵の化石や、白亜紀を生きた全長12メートルのワニの頭の骨など貴重な標本も展示されるという。
[ 11/28 16:16 南海放送]URLリンク(w2.rnb.co.jp)

88:出土地不明
14/12/22 21:27:49.13 hxFlL9kp
   /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
    /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::://ヽ:::::::::::::::|
    l:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::// ヽ::::::::::::::l
    l:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/:::「'ヽ::::::::::://   ヽ:::::::::::|
    |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ノl:::ノ l:::::::/      ヽ::::::::|
   ノ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ ゙゙  ノ:::/ ,,;;;;;;,,    ,,,,ヽ:::::l
   ):::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/    ノ/ __,'''i: ('''__):::l  
  )::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/         ̄ ̄ン:. :「 ̄`ヾ   
 1:::::::::::::::::::::::「 `┤l:::::::::::::::::l          ̄   ,  ヽ ̄ l   
  `l:::::::::::::::::::::ヽ  :l li:::::::::::::/        ヽ  /´   `l  |
  ヽ::::::::::::::::::::::\_」 lヽ::::/         .l  !:-●,__ ノ  /      
  ノ:::::::::::::::::::::::::::ノ | l `゙゙           i ,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,  /ヽ       
,/ ヽ::::::::::::::::::::::(  l l::::::::..         /.:''/´ ̄_ソ  /  `ヽ
     ヽ:::::::::::::::ヽ | l:::::::::::...      /::// ̄ ̄_ソ  /    \   ヴッ!!
        ヽ:::::::\| l::::::::::::::::...    / :::.ゝ` ̄ ̄/ /       ヽ
           ヽ:::l l:::::::::::::::::::..      ̄ ̄;;'' /         ヽ
              l l;;;;;;:::::::::::::::.....;;;;............;;;;;;''ノ            l
              l l '''''''''''''''''''''''''''''''''''''' ̄l |             |

URLリンク(www.youtube.com)

89:出土地不明
14/12/23 11:59:45.57 J1zWLTy/
「背割堤」発掘調査の説明会URLリンク(www3.nhk.or.jp)
岡山市を流れる旭川とその支流の百間川を隔てる「背割堤」と呼ばれる堤跡の発掘調査の成果を紹介する
現地説明会が岡山市中区で行われました。URLリンク(www3.nhk.or.jp)
百間川は江戸時代に、岡山の城下町を洪水から守ろうと、大雨などで増水した旭川の水を枝分かれさせて放水
するために作られた人工の川です。
分流部分の改修工事が行われるのを前に、岡山県古代吉備文化財センターでは12月から旭川と百間川を隔てる
「背割堤」と呼ばれる堤の跡の発掘調査を進めていて、22日、その調査の成果を紹介する現地説明会が開かれ、
およそ110人が訪れました。
調査では堤の石垣と、その手前で水の流れを受け止める、高さおよそ1メートル20センチ、
幅およそ2メートル50センチの石組みが見つかったことが説明されました。
このうち石垣は、石の積み上げ方から、江戸時代から現代に至るまでに少なくとも2回にわたって改修工事が行われた
ことがわかったということです。見学者たちは興味深そうにメモを取るなどして担当者の説明に耳を傾けていました。
調査にあたった岡山県古代吉備文化財センターの小嶋善邦主任は「岡山の町を洪水から守るために先人たちから
連綿と受け継がれてきた知恵があらためてわかった」と話していました。12月22日 19時12分

90:出土地不明
14/12/25 17:23:01.18 YapIaq/I
讃岐国府跡の発掘作業を体験URLリンク(www3.nhk.or.jp)
坂出市にある古代の役所の跡、讃岐国府跡の発掘現場で冬休み中の子どもたちが発掘作業を体験しました。
この催しは香川県埋蔵文化財センターが子どもたちに讃岐国府についてもっと知ってもらおうと開いたもので、
坂出市府中町の発掘現場には冬休み中の小学生5人が集まりました。
はじめに埋蔵文化財センターの職員が讃岐国府は奈良時代に讃岐国を治めるために設置された役所であることや
これまでの発掘成果などについて説明しました。
そのあと子どもたちは職員の指導を受けながら発掘作業を体験し、まず、手ガリと呼ばれる道具を使って土の表面を
削り、まわりより黒くなっている柱の穴の跡を確認しました。
さらに土を掘り進めると土器や瓦などのかけらが次々と見つかり、子どもたちはうれしそうに職員に見せては説明を
受けていました。
参加した子どもたちは「思ったより簡単に見つかったので楽しかったです」とか「大きいお茶碗のかけらが出てきたので
うれしかったです」などと話していました。12月25日 14時54分


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch