11/01/13 12:23:51 at6+7Q/Q
>>79
最初のO2b*が八重山に姿を現したのは、殷周時代、通貨に使われた宝貝
の採集と海上交易が目的だったんじゃないかしら。
するとBC1,600年頃、江南の沿海から琉球デビューしたのかな。
宝貝の顧客は未だ九州にはいなくて、大陸の豪族と奥方がお相手。
O2b*人と殷王朝の間には、多分ミドルマンの百越人や殷商人。倭人が
琉球諸島から持ち帰った情報を元に、後の世に江南発の伝説発祥:
☆海の彼方に蓬莱の国アル!不老長寿の仙人が居るアル!
北方で殷王朝が勃興して以来、海の男達が色めき立った。
お~い聞いたか!南洋へ出て海に沈没して宝貝採って来たら商人が
いい値段で買ってくれるお!儲かるお!
殷王朝の宝貝通貨使用と共に、海の男達がワラワラ南洋の海へ。
その内、琉球へ登場したのが倭人O2bっだったのかもよ。
「論衡」の倭人は越人とペアで行動を共にしていた感じ。
成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)
鳥越憲三郎氏は、鬯をサルノコシカケと書いてる。倭人が海洋交易民
だったとしたら、深山幽谷のサルノコシカケを採って献じたとは不思議。
もし倭人が山野の薬草を知ってたなら、後の世の魏志倭人伝に、倭人は
ショウガや山椒が生えてるのに食べる事を知らんって書かれずに
済んだはず。倭人が献じたと言う鬯とか暢草ってのは海産物じゃないの?
干しワカメとかヒジキとか。周の王様が服した記録は有るけど、
倭人の献上物を酒にひたして呑んだとは書いてないよね。それとも
王様、長生きしたさに干しワカメやヒジキを酒に入れて生喰いしたか。
お腹こわしたんじゃないの。