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日本人町の発生から鎖国まで[編集]
南蛮貿易などで日本人の海外進出が本格化した16世紀以降、東南アジアの港町に
日本人が集まって住むようになった。その最大のものはタイのアユタヤ日本人町
(16世紀〜18世紀頃)で、最盛期には1000〜1500人の日本人人口を数えた。
アユタヤ日本人町の責任者はバンダーサック(タイの官位)第3位の位階をもち、
政治的にも発言力をもっていた。
またベトナムのホイアン、マレー半島のパタニ王国、カンボジアのプノンペン、
フィリピンのマニラ(呂宋、ルソン)にも同様の小規模な日本人町が形成された。
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