10/05/19 04:37:36 2D4aaEfx
旅人が愛馬を厩につないで宿屋に入ると、せっかちな親父はもう宿帳に何か記入を始めていた。
暖炉に火が焚いてあり、中はとても暖かい。
旅人は帽子を取って、頭を振るようにして長い髪を解き放った。
宿屋の主人は顔を上げ、客が思ったよりも若い女で、しかもかなりの美人である事に多少驚いた様子だったが、すぐに再び宿帳に目を落として尋ねた。
「あんた、名前は?」
旅人は答えた。
「チエ。蓮杖、千絵。」
親父は一瞬ペンを走らせ、それからふと手を止めると、千絵の方にそのペンを放って寄越した。
「自分で綴ってくれ。」
「うん。」
千絵はペンを拾い上げると、ペン先をちょっと舐めるとごわごわした紙にアルファベットで名前を書き始めた。
その間親父は、千絵の艶やかな舌が尖ったペン先に触れる様を横目でちらちら見ていた。
「こんな田舎に何しに来た?」
親父は尋ねた。ようやくこの客人に個人的興味が沸いてきたようだ。
「ちょっと、噂を耳にしたんだけど…。」
ペンのインクの出が恐ろしく悪いので、千絵は何度も先っちょをぺろりと舐めては宿帳にこすり付けるようにして書きながら言った。
「去年の暮れから、この辺りで妙な事件が起きてた、って。」
「ああ…。」
宿屋の主人は眉間に皺を寄せて呟いた。
「忌々しい。」
「私が聞いたところによると、」千絵は続ける。
「近隣の村を含め、10人の村人が謎の死を遂げた。被害者は全員、全身の血液が抜き取られてたとか?一滴残らず。」
「11人だ。」主人が唸る。
「昨日また1人やられた。」
「マラムレシュの方じゃ“ヴァイパイア”って呼ばれてる。」
千絵はさも面白そうに顔を輝かせた。主人はそんな少女を不謹慎と諌めるでもなく、睨み付けたまま尋ねた。
「で、あんたはそれについて調べに来たのか?」
「うん。」
「小娘が、何のために?」
嘲るように笑う主人に向かって、千絵は身に纏った重たそうなコートを、まるでファッションショウのモデルのようにひらりと翻して見せた。
それから楽しそうに笑って言う。
「ヴァンパイアハンターだよ。」
[つづく]