10/05/27 22:46:37 PdegG6i1
「あ……あぁ」
わたし、今何を。
貴方の前でわたし。
取り返しのつかないことを!
「いやっ、いやぁぁぁぁっ、見ないでっわたしを見ないで!」
嫌われる!
絶対に隠しておかなきゃいけないことだったのに!
どうしよう。
どうしよう。
嫌われちゃう!
嫌われちゃう嫌われちゃう嫌われちゃう!
「もういやっ全部いやっ誰か殺してっわたしを殺して!」
もういや……。
なにもかも。
もういいの。
全部どうでもいい。
ほら、眠くなってきた。
このまま眠っちゃおう。
おやすみなさい。
おやすみなさい。
「ほぅ、そのようなことが」
「うん、僕には、何もできなくて」
「御身をあまり責めなさいますな、王子」
「だけど僕には……僕に、僕はっ!」
城づとめの歳のいった学者に全ての経緯を告げて、ランドは唇を
噛んだ。
喚き散らして気を失って、ミレーユはそれから二日眠り続けていた。
「爺の見立てでは、この娘さんは金で売られて男の慰みものにさ
れておったんでしょうなぁ。よほど……手ひどい扱いをされていた
と見える」
惨いことを。
歳経た学者はそう言って苦々しげに深い顔の皺をゆがめた。
彼はランドが生まれる前からこの城に召抱えられていた学者だった。
幼いランドの記憶にあるのは、もう少し若い彼で、様々な知識をラン
ドは彼から学んだ。それは勉学という形ではなく、楽しいおしゃべり
や遊びの一環としてもたらされた。側仕えのじいと同じく、ランド
にとっては祖父のように慕う者だ。
信用できるその学者にだけ、ランドはことのあらましを伝え、彼女を
診せた。
よう、この爺めに打ち明けてくださいました。
701:名無しさん@ピンキー
10/05/27 22:47:09 PdegG6i1
そう言って学者は、夜更けであるにも関わらず部屋に駆けつけた。
話を聞いた学者にできることは少なく、できた事といえば、簡単な
触診と、自らの住まいから妻を呼び、ミレーユの体を清めて、着替
えをさせること。
あとは彼女の目覚めを待つことだけしかしてやれないと言う学者に
、ランドはそれでも深く感謝していた。
自らではまるでお手上げだった。おろおろとする以外何もできなか
ったのだから。
「王子、人の心とは、時にひどく脆いものなのです。体がひどく傷
ついた時には傷跡が残りましょう。元のように動かなくなることもまた
しかり。心にも同じことが言えるのです」
「傷ついたまま、戻らないと?」
「左様です。やはり王子はあの頃のまま、利発でいらっしゃる」
「やめてよ爺。恥ずかしいよ」
場合が場合であったし、そう手放しに褒められるようなことでもない。
しかし、昔と同じように孫のように可愛がってくれるのが、ランドには
嬉しかった。
「僕は、どうしたらいいんだろう」
「側に居ておあげなされ。王子の愛を、注いでおあげなされ。支え
となり、日に影に。いずれ心からの笑顔を取り戻せるよう。それ、あそこの畑の花のように。水をやり、虫を取り、笑顔が咲くまで」
それはランドにしかできないことだと、学者は言って、優しい優しい目
で微笑んだ。
「僕にできるのかな。僕は、爺みたいに学があるわけじゃないよ。少
しばかり剣が振るえて、魔術の心得があるだけだ」
「愛とはッ!」
曲がりかけた腰をぴんと伸ばし、学者は声を張り上げた。
「与えるものですじゃッ。そこには学も力もありゃせんのです。ただ
己の信ずるままに、呼ばれるままに、心の向くほうへとお行きなされ。
そこに暖かさがあるなら、微笑むことができるのなら、そりゃあ間違
っておらんのです。それは掛け替えもなく、尊いものなのです。
王子になら、わしはできると学者としての命を賭けて言えますぞ!」
「できるのかな、僕に」
「できますともっ。王子の優しさはこの爺がよぉく存じ上げております
とも。そうあの時のように。あの頃の王子ときたらそりゃあもう!」
「じいの中で僕はどんなんなっちゃってるのさ……」
そう言ってランドは己もそうと知らずに二日ぶりに、少しだけ笑った。
やれるかもしれない。
いや、やるんだ。
彼女が笑えるまで。
そう、向日葵のような大輪の笑顔を見るまで、続ければいい。
生涯をかけてでも。そう、それにはそれだけの価値がある。
きっと、ある。
「やってみるよ、僕」
甘えた考えは今捨てよう。
できるさ、きっと。
何より、僕がそうしなくちゃいられない。
だって、僕の心は、彼女の笑顔に向いているんだから。