オルフェウスの窓でエロパロ 【5】at EROPARO
オルフェウスの窓でエロパロ 【5】 - 暇つぶし2ch38:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:18:36 h2vNUIt3
そして、ヴェーラとリュドミールがモスクワへ赴く日がやってきた。ユリウスは駅までは行けず、ユスーポフ
邸で彼らを見送った。リュドミールは幼年学校の制服が良く似合っていて、急に成長して見えた。
「ユリウス・・・。」
「リュドミール、元気でね。・・・君なら、大丈夫。きっとお兄さんにも負けないよ。でも、お願いだから、体に
は気をつけてね・・・。友達や先輩につられて無茶はしないでね。」
「うん・・・。ユリウスも、元気でね。冬が苦手なんだから気をつけて。あと・・・。」
「なあに?」士官学校に入るのに、こんな事を言って軟弱に思われるのではとリュドミールは真っ赤になりながらも言わずにおれなかった。
「僕の事忘れないで。」
ユリウスは瞳を見開いて、そしてリュドミールの名を呼ぼうとしたが喉が詰まって声がうまく出ず、咳払い
と、そっと彼の頬にキスをした。そしてやっと言葉が出た。
「馬鹿だなあ、リュドミール・・・。忘れるはずないじゃないか。」
(忘れるのは、君の方だよ、リュドミール・・・。新しい学校や友達、新しい環境で新しい目標ができて、子供
時代は置き去りにされるんだ。でも、それでいいんだよ。僕の事は子供時代のおもちゃと一緒に忘れるのがいい
んだ・・・。)
そんなユリウスの胸の内は知らず、リュドミールは照れくささを振り払おうと、「そうだよね!」と笑うと「じゃ
あ!休暇にね!」と手を振り、見よう見まねの敬礼をすると姉と共に車に乗り込んだ。ヴェーラはユリウスに一
声掛けたかったが、まさか自分の兄に気をつけろとも言えず、車の窓から優雅に微笑んでみせて出発した。

(11)

 しばらくは何も起こらなかった。レオニードは夏から始まった検討作業が大詰めに入り軍部に泊り込む事の方
が多い位で、たまに帰宅してもとんぼ返りで軍部に戻るか、邸には深夜に帰り、まだ夜も明けやらぬ早朝に出て
行く有様だった。そんな日々が続いた後、ようやく問題の補給体制の立て直しに目処がつき、レオニードは肩の
荷を降ろした気持ちで帰邸した。車寄せから邸に入る時、空から白いものがふわりと舞い降りてきた。(初雪
か・・・。)月日の経過の早さにレオニードは少し驚いた。ついこの間まで夏だったのに。リュドミールは寄宿舎
の生活に少しは慣れただろうか。そう言えば、自分自身、しばらく邸で食事を取ることも無かった。晩餐の席に
一人でついた時、「そういえばあれはどうしていたのだ?」と久し振りにユリウスの事を思い出し、執事に訊ねた。
「はあ・・・それがあの方は最近はすっかり食が細くなってしまわれて。お食事も部屋の方に運ばせていただい
ております。」「・・具合でも悪いのか?」「お医者様はいらぬと仰せられてしまって。確かにご病気では無いと思
われますが、ただ、ご気分は優れられぬようです。ピアノを弾かれてもすぐやめてしまわれますし。」
 レオニードはユリウスの居室の前で一瞬躊躇した。誰かに言って自分のもとまで来させても良かったのだが、
調子が悪いとわかっている女をわざわざ呼びつけるのも少々気が咎めた。そう遅い時間ではなかったが、夜に女
の部屋を訪れる気まずさを首を振ってやり過ごすと、「ユリウス、私だ。入るぞ。」と声を掛けた。だが中からは
返事が無く、レオニードは一瞬、ひやりとした。ヴェーラもリュドミールもいない今、もし彼女が脱走を試みて
いればそれはたやすい事だったかもしれない。召使達や警護の兵の目が常にあるとはいえ、しばらく目を離して
いたのはうかつだった。レオニードは今度はノックすると、返事を待たず扉を開けた。彼が思わず安堵したこと
に、ユリウスは部屋着にショールをはおった姿で部屋の奥の寝椅子に腰掛けていた。椅子を窓際に寄せて外を見
ていた様子だった。(あの格好では外には出られないな。)と一瞬らちもない考えがレオニードの頭をかすめた。

39:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:19:03 h2vNUIt3
呼びかけに全く気づいていなかったユリウスは、驚いてレオニードを見た。彼が部屋に入ってくるなど初めて
の事だった。だがその目にはかすかだが確かに涙がにじんでいた。
「・・・どうしたのだ?」記憶を回復してからは以前のように脅えることは無かったのにと、レオニードは不審
に思った。ユリウスはショールをかき合わせながら
「ううん・・・。何でもない。そちらこそ、どうして・・・。」
「・・・いや、調子が優れぬというから様子を見にきただけだ。だが顔色は悪くないではないか。」
「え・・・、ううん、別に病気でもなんでもないよ。本当に。」
「食も進まぬそうだが。」
「そんな事ない・・・。何でもないって、本当に!」
「何でもなくて食も進まず泣いているのか?」
「・・・泣いてなんか。」「嘘をつけ。」
「・・・。」「だから何だ。」
「本当にたいした事じゃないんだ。」
「言ってみろ。」
「リュドミールが・・・。」と彼女は手にした紙に目を落とし、レオニードはうかつにも初めてその紙片に気づい
た。
「リュドミールからの手紙か?お前が泣くような事が書いてあるのか?」レオニードは少々弟が心配になって尋ねた。
「ううん・・・。とても元気にやってるみたい。がんばってる。・・・でも、人より少し遅れて入った分、取り戻
したいって。・・・それで、クリスマス休暇も、学校に残るつもりだって書いてある。」
レオニードは弟の背伸びぶりがいささか微笑ましかったが、それでユリウスが涙ぐむ気持ちがわからなかった。
「で、何でお前は泣いてるのだ。」
「・・・泣いてなんかないよ。」
「何度同じ問答をさせれば気が済むのだ?」
「・・・。ちょっとだけ、寂しくなっただけだ。・・・。あと自分が馬鹿だなと思っていやになっただけ。」
「はあ?」
ユリウスは自分が言ってる事の恥ずかしさに顔があげれず早口で言った。
「だって、クリスマス休暇には帰ってくるって言ったのに!ああいやになる、こうなる事はわかってたのに、こ
れじゃ僕の方が甘えん坊だ。当たり前なんだ、家を出て学校に行き、新しい世界に触れる。子供時代の事なんて
忘れて当然だし、忘れるべきだ。わかってるのに!」
(ああ、甘えていたのは僕の方だった・・・。あの子の存在が僕にとってこんなに大きかったなんて・・・。)ユ
リウスは恥ずかしさに身もだえする思いだった。実のところリュドミールが居なくなって以来、ユリウスは毎日をもてあましていた。自分の生活が彼無しではいかに空虚なものなのか、それは驚く程だった。自分を愛し、必
要としてくれる存在がどんなにこの数年の自分を支えてくれていたのか、彼がいなくなって初めて気づかされた
のだ。一方、レオニードは呆れ果てていた。
「そんな事でか!馬鹿馬鹿しい。」
その言葉にユリウスはさらに小さくなるようだった。レオニードはそんな彼女を見下ろして呆れついでに続けた。
「あいつ、私のところには手紙の一通もよこさぬくせに。あいつがお前を忘れるわけはあるまい。むしろお前か
らは早く卒業して欲しいくらいだ。大体、あいつは発つ前に私になんと言ったと思う。」
ユリウスはまだうつむいたまま、レオニードの言葉の続きを待った。
「兄上、絶対にユリウスを追い出さないでね、そんな事をしたら僕はこの家を出て、馬丁になってでも探しに行
くからね、なんて抜かしたんだ。私はわが弟がこのユスーポフ侯爵家を出る記念すべき日にあたって言うのがそ
れなのかと、私は一体どこであいつの教育を誤ったのかと、本当に情けなかったぞ。」

40:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:19:24 h2vNUIt3
ユリウスは思わずふき出し、レオニードも珍しく声をたてて笑った。かつての無邪気な関係に戻ったような錯覚
に、この時二人は彼ら自身に、油断したのだ。
「そうだね。」と涙をうかべたままユリウスが微笑んでレオニードを見あげた。
その刹那、レオニードは自分でも思いもよらなかった激しい愛情と欲望に突然つきあげられた。ユリウスがふい
に表情の消えた彼をいぶかしく思っていると肩に手が置かれ、レオニードがゆっくりと身をかがめてきてそっと
くちづけした。彼の唇のためらいがちな感触にユリウスが驚いているうちに、それは次第に激しく熱を帯びたも
のになっていき、レオニードは続いて彼女の身を引き寄せ、その首元に唇を滑らせながら強く抱きしめた。彼女
のくちびるに、素肌に一度触れてしまうと、もう自分を抑えることはできなかった。
一方のユリウスは当初の驚きからさめ、逆に自分を取り戻して必死で抗ったがやすやすと押さえ込まれ、あと
はレオニードの思うがままだった。もみあっている内に部屋着はいつのまにか引き裂くように取りさらわれてし
まい、いまや残骸が足元にたぐまっているだけで、ユリウスは肌を覆うものもないまま、レオニードに組み伏せ
られてしまった。ユリウスは羞恥と屈辱で息もできなかったが、彼女の両手を床に押さえつけたレオニードは動
きをとめて、彼女の露わな姿をじっと見下ろすと、「きれいな体をしていたのだな。」とつぶやいた。それを聞い
てユリウスはぞっとした。今の今まで心のどこかで、レオニードが思いとどまってくれると、彼がそんなひどい
事をする筈がないと思っていた。だが今の言葉で彼が引き返す気などないこと、完全にただの牡になっている事
を覚り、恐慌をきたしたユリウスは悲鳴をあげ、死にもの狂いでもがき始めた。だが精一杯の抵抗も力では敵う
筈もなく、彼女は終いには誇りも何も捨てて泣きながら懇願したが空しかった。初めて男を受け入れるユリウス
にとってそれは惨いといってもいい手荒さで、彼女は自分がいかに男女の事に無知だったか、女の体を持つとい
うことがどういう意味を持つのかを、どんなに涙を流そうがただ体いっぱいで受け止めさせられたのだった。そ
して彼の肉体的な力と想像もしなかった行為に圧倒され、その最中はクラウスのことを思い出すことすらできな
かった。しかしユリウス自身は気づいてなかったが、レオニードの仕打ちと肉体に対し、混乱した恐怖や怒り、
次いで訪れた恥辱、そして絶望と悲しみはあっても、そこには嫌悪感だけは無かった。もしも相手が彼でなけれ
ば、思い込みの強いユリウスは舌を噛み切るぐらいのことはしていたかもしれない。
やがてお互いにとって夢魔のような一刻が去った。荒い息づかいもおさまらぬまま、レオニードは彼女の腕で
覆われて彼から背けられていたユリウスの顔を引き戻し、涙をたたえたその瞳を見つめた。ユリウスもまた涙越
しに彼を見上げた。

41:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:22:08 h2vNUIt3
この時、やっと二人にはわかった。お互い自分では気づかぬふりをしていたが、いずれこうなる事は心のどこ
かで知っていたという事を。そして今、彼らは何かを始めてしまった。それはこの一回では終わらず、行き着く
所まで行かないと終わらないだろう。だが、たとえそこに真実のいくばくかが潜んでいようとも、決して彼らの
関係は実りある幸福なものにはならないという事も既に悲しいほど明らかだった。終点がどのような姿をとるの
かはわからなかったが、二人に何の未来も展望もある筈は無かった。
そんな昏い予感のもと、レオニードはユリウスをそのまま無言で引き寄せた。先ほどとは打って変わった静か
さでそっと抱きしめられ、その優しさにユリウスは自身を根こそぎ奪われ変えられてしまうかもしれない恐怖を
おぼえ、震えた。そしてようやくクラウスの事を思い出し、もう彼には会わす顔がないと気づき、愕然とした。
自分は今、全てを失ってしまったのだと経験の浅い娘らしく思いこみ、改めて絶望を噛みしめた。そして抗うこ
ともかなわず、絶望と痛みに力が抜けた体を、そのままその場で再びレオニードに組み敷かれた。二度目は最初
とは打って変わった優しさと巧みな執拗さで、レオニードはユリウスから快感のあえぎ声を引き出していった。
そして再び貫かれながらユリウスは、心はとにかくも、体は今後は自分のものであっても自らの意思では制御が
できない、レオニードの意図のままに反応してしまうものに作り変えられていく事を覚らされた。涙は自分を慰
める役にすらたたなかった。

42:注) 後に加筆された部分です
09/08/09 06:30:24 h2vNUIt3
もみあっている内に部屋着はいつのまにか引き裂くように取りさらわれてしまい、いまや残骸が足元にたぐま
っているだけで、ユリウスは肌を覆うものもないまま冷たく固い床に、組み伏せられてしまった。ユリウスは羞
恥と屈辱で息もできなかったが、彼女の両手を床に押さえつけたレオニードは動きをとめて、彼女の露わな姿を
じっと見下ろすと、「きれいな体をしていたのだな。」とつぶやいた。それを聞いてユリウスは背筋が冷たくなっ
た。今の今まで心のどこかで、レオニードが思いとどまってくれると、彼がそんなひどい事をする筈が無いと思
っていた。だが今の言葉で彼が引き返す気など無いこと、完全に只の牡になっている事を覚らされて恐慌をきた
したユリウスは悲鳴をあげ、死にもの狂いでもがき始めた。
だがその抵抗はレオニードの中にある何か残虐な部分に火をつけただけだった。普通の女ならもう全てあきら
めて身を委ねるような有様になってもなお、決して彼を受け入れまいとする頑ななまでの拒絶。ユリウスがまだ
男を知らないなどと思いもよらない彼にとって、それは先ほど彼女に感じた愛おしさを真っ向から否定されたの
も同然だった。そんなに奴がいいのか?いまだに?言葉に出してそうなじれないだけに、理不尽な怒りが駆り立
てられ、彼の行動は惨さを増した。感じた愛おしさの分だけ、彼女を滅茶苦茶にしてしまいたかった。

なおもあがこうとする彼女の両手を、手首に痣ができそうな位強く片手で束ねて頭上に固定してしまうと、
レオニードは彼女の両肢を割り開き何の愛撫も加えず、全く濡れていないのを承知で強引に彼女の中に何本かの
指をねじこんだ。今まで何物もそこに受け入れた事の無かった彼女はショックとありえない痛みに思わずのけぞ
り、叫んだ。そして恐怖に満ちた目でレオニードを見つめた。信じられないと言わんばかりに驚愕と怯えに固ま
ったユリウスの表情にレオニードは更にひどく残酷な気持ちをそそられ、わざと乱暴に、その狭さを楽しみなが
ら彼女の内部をかきまわし、「暴れるともっとひどい事になるぞ。それとも自分で動きたいのか?」と顔を寄せて
耳元で声の調子だけはひどく優しくささやいた。
ユリウスはがっくりと瞳を閉じ、頭を床に落とした。そんな脅しをかけられずとも、もはや彼女の体はその数
本の指でしっかりと縫いとめられ、恐怖のあまり身じろぎさえかなわなかった。やがて彼女を充たしていた指が
前後に、彼女の思いもよらない動き方を始め、十分に彼女を嬲り悲鳴を歌わせた後、やがて一本の指を中に残し
たまま、他の指はその周囲をまさぐり始めた。レオニードは彼女の表情を、反応の一つ一つを見逃すまいともう
片方の手で彼女の顔をしっかりと押さえつけた。苦しげにひそめられた眉、涙を滲ませて震えるまつげ、血が出
そうなほど噛み締められた唇から、彼の指の動きにつれて抑えきれず漏れる声。なんとか彼の手から逃れようと
あがくはかない動き。自分が彼女にひきおこす全てを味わいつくしたかった。

一方ユリウスは彼が今、抱くというよりなんとしても自分を穢そうとしている事を未体験なりに感じ取り、恐
怖と絶望に涙ぐみながらも最後の意地をふりしぼって、自分を冷たく見下ろす黒い瞳を睨み返そうとしたが、彼
の指が自分の知らなかった頂にふれた瞬間、思いもよらぬ鋭い快感に腰が跳ね、はずむような声が漏れてしまった。
そのまま鋭敏な部分をなぶるように撫で擦られてユリウスの下肢は意思とは関係なくびくびくと震え、彼女は自
分でも聞いたことの無いような声をあげ続け、自分の内部から何かがにじみ出るのを感じた

43:注) 後に加筆された部分です
09/08/09 06:30:46 h2vNUIt3
それを確かめたレオニードは蔑むような笑みを浮かべると、最後の指を抜き取り、さらに彼女を残酷なまでに
割り開くとゆっくりと体を重ねてきた。そして彼自身が押し当てられた時、それでもまだユリウスは最後の抵抗
を、いや懇願、哀訴を試みた。震える手で彼の腕をつかみ、必死に彼を見上げながら、きれぎれに「・・・レオ
ニ・・・・ド、やめ・・・お願い、お願いだから・・・、やめ・・・て、あなたがそんなこと、お願いだから・・・
いやだ、レオニード、レオニー・・・ド、いや・・・!レオニード・・・!」、強張りを押し当てられながらの哀
願は、最後は悲鳴に近いものになってしまった。
レオニードはそんな彼女を、涙を流し口元をわななかせて自分に哀願する彼女をじっと凝視していた。彼女の
両手は震えながらもすがりつくように必死にレオニードを掴んでいて、その爪が食い込む感触を意識した瞬間彼
の表情はひどくゆがみ、ひっつかむようにしてユリウスの上半身を持ち上げ彼女の顔を両手で掴むと、強く激し
い口づけをした。彼の舌がまるで口中も犯そうとするかのように深く差し込まれ口蓋を蹂躙し、それが彼の答え
だ、もう逃れる術は無いと悟ったユリウスは目の前がすっと暗くなり、絶望のあまり全身の力が抜けてしまった。
涙が一筋流れるのと同時にはらりとその両手が彼の腕から滑り落ちて、彼女がようやく諦めた事を察したレオニ
ードは、それでも優しく扱ってやる気になど毛頭なれず、ユリウスの上体を床に横たえると、細い足首を力任せに
握り肩に担ぎ上げ、彼女が鋭く息を吸い込むのを聞きながら、ねじりこむような強引さで一気に身を沈めた。

彼女の内部の抵抗で、彼が事実に気がついた時にはもう遅かった。ユリウスは文字通り身を引き裂かれる痛み
に四肢を硬直させて絶叫し、顔をそむけた。レオニードは急いで彼女の顔を引き戻し、かすれた声で「ユリウス?」
とささやきかけたが彼女の顔は痛みとショックで蒼白にひきつれ、まぶたは固く閉ざされ決して彼を、いや何で
あれ、見る事を拒んでいた。レオニードは激しく自分を罵りながらも体は引き返せず、そのまま彼女を陵辱した。
最初は彼自身さえ痛みを覚える交合だったがやがてなめらかに身は動き出し、それはユリウスの流した血の滑り
によるものだった。だがレオニードの意識は自らの快感よりも、こわばり、背けられた彼女の表情だけを追って
いた。彼は今、自分が何か大事なものを取り返しがつかないほど傷つけ、破壊している事を意識していた。これ
だけの快感の中、体はもうこれ以上は不可能なほど彼女と深く繋がっているのに、彼女自身は固く閉ざされて彼
の手が届かないところにいるようだった。

44:注) 後に加筆された部分です
09/08/09 06:31:08 h2vNUIt3
彼がやや冷静さを取り戻した分、交わりは長く続き、逆にユリウスの苦しみを引き伸ばした。固い大理石の床
の上で、ユリウスはただ翻弄されていた。実際のところ男の体と行為について確たる知識を持っていなかった彼
女には、文字通り体が割られたかと思うような最初の痛みも、信じられないような痛みにもかかわらず自分の内
部がめり込むように押し込まれた男のもので押し広げられ満たされてしまう事も、それに続く抽送も、痛みの中
に時折まじり始めた不思議な感覚も、起こっている何もかもが受け入れ難い衝撃だった。自らの全てをさらされ、
踏みにじられる屈辱と絶望に耐えかねていっそ気を失う事を望み、それが無理ならむしろこの晩秋の冷え切った
大理石の床の冷たさと、それに擦られる腰骨と背中の痛みに意識を集中させていたかった。だがいつのまにか腰
にはレオニードの腕が回されていて、ささやかなその願いさえかなわなかった。やがて訪れた最後の瞬間、レオ
ニードはユリウスの上体を抱き寄せ、強く強く抱きしめた。そしてユリウスは初めて男の体が自分の中で膨張し、
弾けて精を吐く事を知り、その未知の感覚、この最後の駄目押しに思わず彼の胸板を空しく打とうとし、哀しい
叫びをあげた。その部分は自分の意思とは関わりなく、何度も跳ねるそれを包み込み、どくどくと流れる熱いも
のを痛みと、それまで知らなかった感覚で受け入れている。これはもう致命的な段階の変化だ、取り返せない、
自分は、この体はもうあらゆる意味で、今、完全に、完膚なきまでに犯され、レオニードのものになってしまっ
たと彼女は一瞬薄れ掛けた意識の中で思い知らされていた。

涙を流しながらぐったりとなってしまったユリウスをレオニードはなかば繋がったまま静かに床の上に横たえ、
血の気の失せた彼女を見つめていた。彼女はまた面を背け、両腕で顔を固く覆ってしまった。だが誰かその時の
彼の表情を見る人がいたら、果たしてどちらが傷ついた側なのか判断に迷ったかもしれない。やがて彼は腕の間
からのぞく彼女の頬の涙を親指でぐいと拭きとると身を離し、彼自身が先ほど近くに打ち捨てたユリウスの部屋
着を手に取り優しく彼女を拭いてやった。鮮やかな血の色と彼の体液に濡れたそれを無造作にまた床に投げ、面
を覆っていたユリウスの腕を静かにどけて彼はその顔を引き戻し、じっと見つめた。お互いの瞳がユリウスの涙
越しに見交わされたがそこにあるのは一種の昏い、索漠とした了解だけで、今度はレオニードがそれに耐え切れ
なくなり、彼はそっとユリウスを抱きしめた。まるで壊れ物を抱くように。それはあまりにも遅きに失していて、
既に彼らの間では何かが、今まで培ってきた何かが、これからありえたかもしれない何かが致命的に失われてい
たが、彼はそれでも彼女に触れずにはいられなかった。最初からやり直す事など叶わないとはわかっていても、
心はもう無理でもせめて体だけでも歓ばせてやりたかった。彼女の体はまだ震えていたが、彼は唇で軽くその肩に
触れた。夜はまだ長かった。

45:注) 後に加筆された部分です
09/08/09 06:31:29 h2vNUIt3
もう全て終わったと思ったのにレオニードが服を脱ぐ気配に、ユリウスは慄いた。なんとか体を起こそうとした
ところをそっと抱きとめられ、気がついたら彼の胸の中にいた。初めて触れる男の素肌や筋肉質の四肢が自分の
それに絡みつく感触に、先ほどの陵辱とは違った意味で彼女の感覚は混乱し、まだ力の入らない体で、なんとか
彼を押し返そうともがいた。だが長いこと冷たい床に横たわって冷え切っていた体は無条件に人肌の温もりを喜
び、肌は彼の体から伝わる熱を歓喜して求めるようだった。
だがこれからまた同じ事を繰り返されるのかとユリウスは恐れ、逃れようとあがいたが、彼の手はそっと肩から
背中、腰を優しく撫でさすってきた。それはまるで興奮しかけた馬か犬を撫でるようなさりげなさで、ユリウス
は結局動物がなだめられるように、その手の感触に身を委ねてしまった。くまなく体を密着させられた上で時間
をかけてそうされているうちに段々強張っていた肉体に血がまた巡って来るのをおぼえ、ユリウスは小さい吐息
をもらし、一瞬体の力が抜けた。何にも隔てられずに触れ合う素肌の感触は、初めてなのになぜか故郷に帰った
ような懐かしさと心地良さで彼女を覆い始めていた。彼女の体がほぐれかけた事を知ったレオニードはさらに柔
らかい触れ方に変えた。触れるかどうかの瀬戸際で全身をくまなくまさぐられ、ユリウスは嫌悪感よりもどこか
くすぐったいような、ぞくそくする感じに体が覆われ、彼の腕の中で小さく身悶えを繰り返した。さっきまであ
んなに恐ろしかった肉体にこんなにもあっさりからめとられ、肌を合わせている自分が信じられなかった。だが
彼と自分の体がからみあって互いの体から発散される熱が一種の膜を作って彼女の体を熱くし、早くも汗ばみか
けさえしていた。

彼女の表情から硬さがとれ、その体に火が点りかけていることを充分に確かめてレオニードは次の段階に移った。
彼女の全身を知りたかった。このしなやかな体の何もかも。表面の肌や爪も、隠されているあわいから生まれる
彼女の匂い、彼女が秘密にしている部分、彼女自身がまだ知らない感覚、彼女が何を悦ぶのか、弱いのはどこな
のか、彼女の内奥部がどのように息づくのか。何もかも手に入れたかった。触れられて初めて彼女は知るだろう、
肉体がいかに独自の言葉と文法をもっているか、その前では観念も理性もあまりにも無力である事を。そう、
恐らく愛すらもその前では無力だ。
この時までレオニードは本気で女を愛した事など無かったのに、ふとそんな思いが胸をよぎった。
だが彼女の肉体の滑らかさはどうだろう。女の体など結局みな同じなのに、なぜ今夜はこんなに駆り立てられて
しまうのか、彼にはどうしてもわからなかった。そして今まで何年も共にいながらなぜ彼女に触れずにこれたの
かも今となっては不思議だった。一瞬また抑制を失いかけ、彼はユリウスの美しいがまだ固さを残した乳房を掴
んだ。ユリウスが息を吸い込む気配を感じ、レオニードは己に苦笑してそっと手を緩めると、そのまま手を彼女
の背中にまわし、首筋に唇を触れた。一瞬肩をこわばらせたユリウスをなだめるようにもう片方の手で後頭部を
支えて、その重みと金髪の感触を心地良く味わいながら頭をのけぞらせると、もう一度首筋と、そして鎖骨をレ
オニードはそっと吸った。いやいやをするようにユリウスは首を振ったが、その頬は一気に紅潮した。
レオニードの熱い吐息が耳元をくすぐり、耳たぶのうしろに唇が触れた時、ユリウスは思わずぴくりとしたが、
そのまま舌が今唇が触れた部分に当てられさらに身をすくめた。そうすると胴にレオニードの腕がからまり上体
が抱き起こされて、彼の唇が胸元をこすった。

46:注) 後に加筆された部分です
09/08/09 06:31:53 h2vNUIt3
「あ・・・」と思わず声が漏れた時、もう片方の手が彼女の内股をそっと撫で、さっき傷つけた部分に触れた。
ユリウスははっと身を強張らせたが、彼の手はすぐ離れて腿を軽く撫で下ろすに留まって彼女を安堵させた。
だがすぐにまた唇がのど元にあてられおとがいを吸い、彼女を呻かせると身に両腕がからみつき、唇がふさがれ
た。それはひどく優しい口付けで、だが上半身はしっかりと抱きしめられてしまっているのでユリウスは逃れる
事ができず彼の唇と舌が優しく、次第に深く自分のそれを貪るのをいつしか目を閉じて受け入れ、いや味わって
いた。そうされているうちに段々と体は一層熱く、彼の唇が離れる度に彼女から漏れる吐息も浅く、早くなって
いった。時折目を開くとレオニードの瞳が先ほどとは全く違った優しさと暖かさで注がれていて、ユリウスもご
くごく間近にあるそれしか見えなくなってしまった。
やがてレオニードは抱きしめていた両腕をゆるめ、両手で彼女の顔をはさむと、また口付けし、そっと上体を倒
していった。さっきはあんなに辛かった床の冷たさが、彼女の今の熱くなった体には無性にありがたかった。
レオニードのくちづけはどんどん深いものになっていき、横たわったまま彼らは激しくくちづけを交わしていて、
彼を押し戻そうとしていた筈の彼女の両手も気がつけばいつしか彼の肩にすがりついていた。さすがに息切れし
て一瞬唇が離れ、ユリウスが吐息を漏らすと、レオニードの舌が彼女の喉を舐め下ろし、胸元まで下がっていっ
た。そして彼女の乳首が捉えられた時、ユリウスは大きく呻いた。舌で愛撫された後、優しく吸いたてられ、よ
うやく唇が離れたら舌ではじかれてまた舌と唇でついばまれ・・・その快感にユリウスは胸元からなんとか引き
離そうとレオニードの頭をつかみ、「レオニード、やめ・・・、レ・・・」と呻いたがそれはさっきの無惨な懇願
とは違い、初めて彼女の手に触れるレオニードの髪の感触と同様、二人の距離を縮めるものでしかなかった。レ
オニードは自分に触れた彼女の指の感覚に、不覚にも一瞬信じられないような幸福感と安堵感をおぼえた。そし
て舌を離して同じ部分をそっと甘噛みしてやると彼女の手に力が入り、彼女が感じている事を伝えてきた。

ユリウスの意識はいまや激しく混乱していた。あんなにも自分を傷つけた男の肉体に自分の体はこんなにもあっ
さりと屈服しようとしている。こんなにも異質な、自分とは何もかも違う身体にどこもかもがぴったりとよりそ
ってしまう。女の体ってみんなこうなのか?こんなにも簡単に抱かれた男のものになってしまうのか?時折そん
な怒りに似た自分への問いかけが心に沸き起こるのだが、それも彼が与えてくる快感にさらわれがちだった。自
分でも彼に体を開きかけているのは明らかで、あと少しで全面的に屈服してしまう予感がした。今でさえ、彼に
しがみつきそうになるのを必死の思いでこらえている。こんな浅ましい事になる位なら、最初の時のような惨さ
の方が、自分を閉ざしていられただけむしろましだった。なぜ、こんなある意味さっきよりもむごい仕打ちを彼
は自分に加えるのか。レオニードは彼を憎む自由さえ与えてくれないつもりなのだろうか。そんな言葉が脳裏を
よぎった刹那、レオニードが彼女の脇腹を軽く噛み、彼女が思わず跳ねるように身をひねり声をもらす間に、頭
を下半身へと滑らせてきた。ユリウスは最初の時の無理やり与えられた鋭い快感と指の感触を思い出し、彼の巧
みさから逃れる事意外何も考えられなくなったが、体はまるで水ででもできているように力が入らなかった。

47:注) 後に加筆された部分です
09/08/09 06:32:26 h2vNUIt3
膝を軽く曲げたまま開かせられた両脚の間に彼の頭が寄せられて、彼女は羞恥で死にそうだった。彼の唇が内腿
の柔らかい部分に触れ彼女をおののかせたが、恐れとは逆に膝の内側のほうに愛撫は滑っていき、一瞬彼女を安
堵させた。が、膝頭を軽くかじられて思いがけない感覚に足が撥ね、油断した分、声を上げてしまった。もう何
をどうしても無駄だった。彼が誘導する通りに自分はきっと応えられさせてしまう。こんな快感、決して望んで
などいないのに拒むことが許されない。
ついにユリウスは泣き出してしまった。輝く髪を乱れさせたまま手で自らの顔を覆い、彼女はその夜三度目の懇
願をした。「もうやめて、レオニード、お願いだから、もう、やめて。」
レオニードは、今度のこの呻きには胸の中が彼女への愛おしさや哀れみ、欲望の入り混じったもので一杯になり、
彼女の頬の涙をそっと吸い取ると耳元でささやいた。
「駄目だ。」そして心の中で続けた。欲望がどういうものなのか、お前はまだ、何も知らないのだから・・・。
そして彼女の手を取ると、泉のようになった彼女の女の部分に触れさせた。指先に触れた己の思いもよらない有
様にユリウスは熱いものに触れたように驚きの声を挙げて手を引っ込め、恥じて身を固くした。レオニードはそ
の動揺に乗じて一気に攻めに入り、それから先はユリウスはもう、彼に溶かされていくだけだった。与えられる
快感は逆に拷問のようで、羞恥のためやめることを懇願していた筈の呻きがいつのまにか「レオニード、レオニ
ード、レオ・・・」とひたすら彼の名をうわごとのように唱える、甘くかすれた呟きに、そしてむせび泣きに変
わってしまった事にさえユリウスは気づけなかった。その連呼は明らかに無意識なだけにどこまでも甘く彼の心
に浸み込んできた。同時に今まで知らなかったその甘美さこそが、自分が今弱みを持ってしまったのだという苦
い自己認識を生み、レオニードの誇りをじわりとだが、切り裂いていった。彼もまたこの夜からは地図も無く、
方位もわからないその先の世界へ歩みだしかけていた。

48:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:34:50 h2vNUIt3
>>41続き

(12)
こうやって彼らの関係は始まった。もうかつてのような無邪気さや、夏の別荘で共有したやすらかな時間は取
り戻すことはできなかった。レオニードは抑制を振り捨ててしまった事に自棄になったかのように、もはやため
らいなくユリウスを抱き、ユリウスも何事かあきらめたのか、まるで意思を失ったように、彼を拒もうとはしな
かった。
昨年から引き続いて起こった出来事に疲弊して、彼女にはもうレオニードを憎む気力すら無かった。責めると
すればここからさっさと逃げ出すべきだったのにそうせず、敵となれあってしまった彼女自身の甘さと油断で、
今の状況は自業自得としか言いようがなかった。リュドミールとヴェーラが屋敷にいないことはせめてもの幸い
だった。ヴェーラはこのような乱脈さに眉をひそめたろうし、いくら子供でもリュドミールも何か気づかずにお
れなかったろう。
ユリウスには思いもよらない事だったが、レオニードは軍人とはいえこの時期の爛熟した上流社会の一員でも
あったので、ご他聞にもれずごく若い時に一通り以上の経験を積んでいた。いや、積まざるを得なかった。年若
くして当主となった彼はいつまでもおぼこである事は許されず、早く世間を知る必要があったのだ。
しかし無駄な才能と言ってもいい程、肉体的に女を悦ばせ征服することはなぜか彼にはあまりにも簡単で、そ
こには心が入り込む余地がないほどだった。女が喜ぶほど、彼の心は冷たく退いていくのが常だった。つまりレ
オニードは体の愛は学んだが、心の愛し方は学び損ねていた。アデールとうまくいかなかったのも結局肉の喜び
を妻に知らしめておいた一方で、妻の軽はずみな行動の数々にあっさりと彼女への興味を失ったからだった。
アデールは夫にとっての自分の存在はごく表面的な、「妻」という「立場」に過ぎない事、彼にとってまず第一
に「皇帝陛下の姪」でしか無い事を敏感に感じ取った。彼はアデール自身を求めておらず、知ろうとも思わない
のだ。彼女には侯爵夫人として、また高位軍人の妻としてふさわしい行動だけを求めていた。別にそれは政略結
婚の常として珍しい事では無い、自分も同じように割り切れればどんなに楽だったろう。だが、アデールはどう
しても夫に無関心になれなかった。夫婦でありながら愛を、夫の心も臥所も、求めて得られないなど誇り高いア
デールには、いやきっと誰にとってもたまらない羞恥と屈辱だった。だが決して口に出せないぶんその苦汁は実
に苦く、皮肉にもその屈折がいっそう夫を遠ざける結果を生んでいた。

しかしユリウスの肉体は今までの経験と全く異なる影響をレオニードにもたらした。あまりにのめりこみそう
になる自分を恐れ、そうさせる肢体を憎むかのようにレオニードはユリウスに大胆に官能の印を刻み込んでいっ
た。だが性愛が深まれば深まるほど、口に出せない分、二人の間にはやがてアレクセイ・ミハイロフの影が大き
くのしかかってきた。
ユリウスが未通娘だったことはレオニードには大きな驚きだった。男として、手付かずのユリウスを手に入れ
た喜びはもちろんあったが、寝た事もない相手をロシアまで追ってくるとは、いくら罪からの逃避という願望も
あったとはいえ、ユリウスのミハイロフへの情熱がどんなに強いものだったか改めて思い知らされる事でもあっ
た。何といってもユリウスは当時まだ17歳の少女に過ぎなかったのだ。寝ていないからこそかえって初恋の思
い出は美化されるだろう。おまけに死んでいればいつか思い出として諦めもついたろうが、相手はシベリア流刑
で、いわば琥珀に閉じ込められた昆虫のように凍結された存在だ。そう考えると幻滅される事が決してない、そ
して生きているアレクセイはやっかいな恋敵だった。

49:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:35:18 h2vNUIt3
何と言ってもまずい事に、レオニードはユリウスの心を得る前にその場の欲望に負けて、しかも控えめに言っ
てもかなり強引な形で先に体を手に入れてしまったのだ。心と切り離された肉体の快楽を充分知っているレオニ
ードにとっては、体を手に入れたからといって即、心がついてくるわけではないという事は自分自身の体験から
も自明の理だった。体が狎れる事と愛は似ているが、違う。だからレオニードは激しい、時には驚くほど淫猥な
行為をユリウスに加えながらもこのベッドには3人目の人物がいるのではないかと感じる事があった。忘我の瞬
間どんなに強く抱きしめていてもユリウスの全てを得た気にはなれなかった。
一方でユリウスの体はレオニードの愛撫に馴らされ、そう日もたたないうちに、わずかな刺激でやすやすと快
楽の淵に追いやられるまでになっていた。深まる一方の快感はむしろ苦痛にすら思えるほどで、ユリウスは貪欲
な官能の世界をただ手を引かれるままに進むしかなかった。しかし、彼女の心が恐れに揺れるのは体がレオニー
ドに馴らされていくことでなく、彼が無意識に示す優しさにだった。どんなに淫らな事を強いられても深い部分
の彼女自身が揺らぐことはなかったが、行為や欲望とはかかわりない部分で彼の愛情の深さが垣間見える時、ユ
リウスはそれが自分を変えてしまうのではと、本当に恐ろしく、クラウスとの思い出に必死でしがみつこうとした。
だが皮肉なことにレオニードは最後までその事に気づかなかった。そして愚かにも、この時期、彼の矜持は自
身が身を屈して彼女に愛を乞う事を決して許さなかった。従って快楽の度が増すたび、彼らの関係の危うさも平
行して一層浮かび上がってくるのだった。ユリウスは決してクラウスの名を口に出さず、レオニードも臥所で彼
女を言葉で嬲る際も決して彼の事には触れなかった。どちらかが言葉にしてしまえれば、どれほど楽だったこと
だろう。
ユリウスはいまだにアレクセイ・ミハイロフの女なのか?
まだそうであり続けているのか?
今はもう、身も心もレオニードのものになっているのではないか?
しかしそれを自らにさえ問う勇気が、この頃の二人にはなかった。最初のようにユリウスの体が痣だらけになる
ような手荒な扱いは二度としなかったが、やがてレオニードの愛撫は巧みな分、まるで彼女の心を傷つける事を
望むかのように心理的には残酷さを増していった。

 そのように彼らの日々は過ぎていった。倫理観に富んだヴェーラがいれば少しは違ったかもしれないが、
リュドミールの入学が滞りなく終わった後も、邸で起こっている事を知ってか知らずかヴェーラはモスクワから
帰ってこなかった。彼女もまたクリスマスと新年はリュドミールにつきあってモスクワの邸で過ごすことを伝えてきた。
その後もなぜか彼らを放置するかのようにヴェーラはペテルスブルグの邸には戻ってこず季節は過ぎ、
また夏がやってこようとしていた。

50:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:35:41 h2vNUIt3
突然レオニードが部屋に入ってきてユリウスは驚いて顔を上げた。彼が昼間のこんな時間に帰ってくるのは珍
しいことだった。いぶかしみながら本を置き、立ち上がったユリウスが声を挟む間もなく、レオニードは彼女の
腕をとると「来なさい」と寝台に導こうとした。昼ひなかで召使達の気配もそこらでしているのに、カーテンも
閉めない明るい部屋での行為を強いられる事に、ユリウスはさすがにたじろぎ逆らおうとしたが、例によってあ
っさりと裸に剥かれてしまった。身を覆うものもない状態で明るいまま寝台に横たえられ、ユリウスは「いや
・・・!」と顔を背けたがレオニードはかまわず彼女を見つめた。
シーツの上の白くしなやかな肉体は、他の女達のようにコルセットで締め付けて人工的なくびれを作った豊満
なものとは異なり、柳のようにしなやかで少年の持つ清らかさと女性らしい滑らかさを併せ持っていた。視線に
耐え切れず顔を覆い、羞恥にうつぶせになってしまったユリウスのしみひとつない背中のくぼみに唇を押し当て
るとレオニードはそっと手を滑らせた。そして背後から抱きかかえユリウスの耳元でささやいた。

「そんなにいやがるな。今日からしばらくペテルスブルグを離れる。当分抱かれることはないのだから我慢しろ。」
胸元にすべってきたレオニードの手に気をとられながらユリウスは思わず「え・・・?どのくらい・・・」と聞
き返した。だが「私がいなくなるのが嬉しいか?」とはぐらかされ、「・・・そうだね。あなたにおもちゃにされ
ずに・・・あっ・・・」皮肉を返そうにもやすやすとレオニードにいつもどおり渦の中に引きずり込まれ、ユリ
ウスは後はただあえぐことしかできなかった。
夏のあまりにも明るい日中での行為の恥ずかしさは逆に彼女を昂ぶらせ、レオニードの黒い瞳がいつもより、
より冷静で突き放したような表情を浮かべている事がそれに油を注いだ。突き上げられるうちに、やがて彼女は
自分の内奥に今まで知らなかった反応が生まれてくるのを感じ、恐れをなしてその感覚からなんとか逃げ出そう
とした。だがそのあがきがかえってレオニードにそれと悟らせてより追い詰められて逃げ場を無くす事となり、
やがて彼に巧みに誘導されるまま真っ白な炎に焼き尽くされるように極みに達して、そして落ちていった。

しばしのあと、「なに・・・だったの、今のは・・・」と呟いたユリウスにレオニードは(そんな事も知らなか
ったのか・・・)とその無知がかわいくいじらしく、また初めてユリウスが達したことに男としての深い満足感
をおぼえていたので、そっとユリウスの額に手を寄せ、汗をぬぐってやりながら「おまえが本当に女になったと
いうことだ」と言って額と唇に軽くキスした。
それはこの頃の彼にしては珍しい、実に恋人らしい優しい仕草だったが、ユリウスは自分はこれでまた一つク
ラウスに裏切りを重ねたのだ、なぜ裏切りはこれでもうおしまいという事は無く、次から次へと続いていくのだ
ろうと、体は先ほどの余韻にひたっていても、心の内は暗然としていた。その昏い瞳を見てユリウスの気持ちが
体の反応には寄り添ってはきていないことに気づいたレオニードは我にもなく傷つき、身を起こすと身支度を始
めた。どのみちこれは無理な寄り道で彼には本当に時間が無かったのだ。レオニードは空しさと失望でそのまま
声もかけずに部屋をでていこうとし、ユリウスは絶望にひたりながらも、それでもなぜか彼を追わねばと思った。
だが衣服をまとう間などなく、裸体にシーツを巻きつけふらつく足でなんとか立ち上がると、「レオニード!」と
叫んだ。驚いて振り返った彼に投げつけるように聞いた。

51:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:36:02 h2vNUIt3
「・・・まだ答えを聞いてない!どのくらい帰ってこないの?」
このように自分をぶつけてくるユリウスは本当に久しぶりでレオニードはとまどった。自分の不在を喜んで聞
いているのか、惜しんで聞いているのか見当がつかない。
「長ければ・・・5ヶ月だな。早くて3ヶ月強といったところだ。」

いくら普段から不在がちとはいえ、ユリウスにとってレオニードがそんなに長いこと屋敷を空けるのは初めて
の事だった。思わず呆然とするユリウスにレオニードは一瞬声をかけそうになったが、先ほどの失望の苦い味が
まだ残っていたので何も言葉にできず、そのまま身を翻した。ユリウスはかっとして叫んだ。
「あなたはいつもそうだ!僕の全てを奪おうとする!でもそれだけだ!僕を変えて・・・僕の体を変えてしまい
ながら、それをただ冷たく見ている!あなたは僕を奪って奪ってその先一体どうしたいの?!」
これは客観的にはかなり自分の事を棚に上げた言い草だったが、ユリウスにはそれを言う権利が確かにあった。
レオニードはすでに扉の把手を握っていたが一瞬うつむいて「くそっ」と吐き捨てると、シーツにくるまってベ
ッド近くに立っているユリウスのもとまで足早に戻り、顔を触れ合わんばかりに近づけて激しい調子でささやいた。
「そうだ。私はお前を奪っている。たとえお前が私を愛していなくてもな。奪う以外に、私に一体何ができると
言うのだ・・・?」
憤怒に似た何かに満ちた表情で一気にそう言うと彼女のあごをつかんでひどく乱暴にくちづけし、今度こそ出
て行ってしまった。ユリウスは足音が遠ざかるのを聞きながら、床にへたりこみがっくりとベッドに額をつけた。
唇には血の味がした。窓から差し込む夏の光はわずかに傾いたようだった。

52:名無しさん@ピンキー
09/08/09 06:36:45 h2vNUIt3
(13)
入れ違いでヴェーラがモスクワから戻ってきた。リュドミールが幼年学校の寄宿舎に入ってからのほうがヴェ
ーラには何かと手がかかる事が増えたのだ。ようやっと様々な挨拶や折衝がひと段落つき、リュドミールが学校
になじんだのを見届け、彼女はようやくペテルスブルグの屋敷に戻ってきた。どのみち兄もしばらく任務で帰れ
ないなら、ユリウスを一人で屋敷に置いておくわけにもいかない。何より、ヴェーラにはぺテルスブルグの屋敷
が一番落ち着ける場所だった。
だが、久しぶりにユリウスを見てヴェーラはショックを受けた。屋敷の者から二人の間が男女のものに変わっ
たことはそれとなく知らされていたが、それにしても1年足らずだというのに彼女の変わりようはあまりだった。
わずかに面やつれしたユリウスは同性でもぞくりとするほどの妖艶さを漂わせていた。今までの少年と言っても
通じていた中性的な透明感に代わり、肌も髪も瞳も以前とは違う艶となまめかしさをたたえて他人と見違うほど
だった。彼女はもう決して少年にも青年にも見えず、男装は逆に彼女が新しく手に入れたなまめかしさを強調し
ているだけだった。
だが何よりも悪かったのは、美しさは増していながらもユリウスがとても不幸そうに見える事だった。(お兄
様・・・彼女に何をしたの?)とヴェーラは胸の内でつぶやき、兄をけしかけるような事を言った自分の軽はず
みを心から悔いた。自分が何も言わずとも、二人は結局関係を持ったろうが・・・何も着火点になるような事を
言う必要は無かった。監禁者の愛人となってユリウスに幸福がある筈もなかった。かつてエフレムとのひどく不
幸な形で終わった恋愛を経験し、実はいまだそこから脱しきれてないヴェーラは恋のもたらす傷には敏感だった。
今までのところ、彼女の目にはユリウスは兄を嫌っているとは思えなかった。二人の間には確かに惹かれあうも
のがあった筈だ。だが、何かがひどくゆがんでいるとしか思えないユリウスの変貌ぶりだった。
本当のところは本人達以外には決してわからない類の事とは言え、兄に腹を立てたヴェーラはユリウスをせい
ぜい外に連れ出すことにした。兄の許可は得ていなかったが、社交界のうるさ型の目につく場所でなければ、ユ
リウスの事は遠縁、あるいはヴェーラの友人として通してしまえばよい。夏はまだ盛りで気候は良かった。美し
い公園や気の張らないコンサート、ヴェーラは屋敷の外に出ればユリウスのなまめかしさが薄まると言わんばか
りに、引っ張るようにして彼女を連れ歩いた。そしてそんな外出先の一つでユリウスは彼女に、アナスタシアに
再会したのだ。運命の歯車が再び大きく回りだそうとしていた。

(第一章  了)

53:書斎
09/08/09 07:11:28 h2vNUIt3
春なかばの明るい陽光も、もう落ちかけていた。まだあたりは春の夕方特有の柔らかい光に満ちていたが、
書斎でユリウスは本を読みかけたまま机に突っ伏していつの間にか眠ってしまっていた。髪に触れられた感触で
目を覚ますと、帰邸したレオニードが傍らに立っていた。思わずはっとして身を起こすと、彼の視線が机の上の書
物に向けられている事に気づきさらに身を固くした。それらはどれも社会主義について書かれた本だった。そもそ
もレオニードの書斎にそんなものが置いてある事自体に驚きつつも、それらを少しづつ読み進めるのが彼女の最近
の日課になっていた。

「面白かったか?」とレオニードが卓上に散らばった何冊かの本の表紙を指先でなぞって言った。ユリウスは
返事もできず黙っていた。「読みたければイスクラもあるぞ。全号とまではいかないが。どうしてもというな
らば、軍の保管庫から借りてきてやる。」ユリウスの表情はますます固くなった。
最近では、まるで抱かれる事と交換条件だったかのように、新聞や書物を自由に読むことが許されるように
なっていた。行動については相変わらず制限が厳しかったので、ヴェーラとリュドミールがいない現在、彼女
はまさにこの邸内に監禁状態となっていた。それまでの一見家族ともみまがうような扱いが結局まやかしだった。
これが本来の、このユスーポフ家における彼女の真の立場だったという事が剥き出しだった。
ヴェーラ以外にロシア語を教えてくれる人もいないので、今は辞書をひきひき自分で考えねばならなかった。
イスクラなど字面を追うのも精一杯で内容の理解などとても無理だった。使われている言葉の意味さえわから
ない。ヴェーラが帰ってくるまで家庭教師をつけてくれとはさすがに望めなかった。言えば案外叶えられた希
望かもしれないが、その代償にレオニードが何を求めてくるかが怖かった。この頃のユリウスは夜毎の褥で彼
に抱かれること。そしてその度自らの体に裏切られる事に打ちのめされ、気概や誇りというものをすっかり打
ち砕かれていた。彼に抱かれるためにのみ存在しているような毎日。今の立場では、もう誰にも、どんな人に
も会いたくなかった。

返事をしないユリウスの固さをむしろ楽しむかのようにレオニードは本を一冊手に取るとそれで彼女のあごを
くいと上げた。ユリウスは一瞬目をつぶった。まさかここで?いや、まさか。彼はここで執務を取る事も度々だ。
いくら寝室や私室でああでも、ここは彼の半ば公的な性格の空間だ。謹厳で、氷のように冷たく冷静な彼の表の顔
そのままの書斎。むしろこのあごの下に添えられた本で頬を張り飛ばされる可能性のほうが高いだろう。そう踏ん
だ矢先、ユリウスは自分の甘さをまたも思い知らされた。そのままの姿勢でレオニードは彼女の乳首をブラウスの
上からつまんでねじりあげた。
「!っつ・・・。」と思わず声を洩らし、眉を寄せてしまったユリウスの反応を楽しみながら、彼は「今日はもう
読まないなら、出した本は片付けてくれるか?」と言った。そして今ひねりあげた部分を同じその指で優しく撫で
ると、あごの下に添えていた本をユリウスに差し出すように降ろした。ユリウスは相変わらず彼の目は見ずにそれ
を受け取ると立ち上がり、机の上にあった本を集めて抱えると、書棚に行き、1冊1冊戻し始めた。しゃがんだり、
腕を伸ばす自分の姿を見つめる彼の視線を痛いほど感じた。全て戻し終え、彼のほうを振り向くと思ったとおりレ
オニードは机にもたれて足を組み、ユリウスを眺めていた。ユリウスは「戻しました。」と言ったが、不覚にも言
葉が震えてしまった。彼はそれでも黙ったまま、しばらく彼女を見つめていた。何がなし、ぞっとして何か言われ
る前にと急いでその場を去ろうとユリウスが動き出すよりも一瞬早く、レオニードが足を踏み出してきた。
あせったユリウスが逃れようとする機先を制して彼はその両手を素早く掴むと書棚に彼女の体を磔にした。
あれから彼の寝室で夜を過ごす事を命じられもう半年以上が経ち、既に数え切れないほど褥を共にしているのに、
まだ彼女の目に脅えが走った。無言でゆっくりと身が寄せられ、書棚と彼の体の間にぴったりと押さえつけられ身
動きが封じられた上で彼の唇が寄せられてきて、自分のそれがふさがれる前にユリウスは急いで顔を背けた。そし
て無駄と知りつつ呟いた。

54:書斎
09/08/09 07:12:25 h2vNUIt3
「こんな所で?・・・隣には誰か控えている筈では?」「そんな事が気になるのか?今更?」とレオニードは彼女
が顔を背けた分、自分の前に差し出されたも同然なその耳元に唇を寄せ、舌先で舐めた。「レオニード!」ユリウ
スは歯を食いしばってその感触に耐え、ささやいた。「からかうのはやめて。誰か来てしまう。」「私がからかって
いると思うのか?」レオニードは彼女の手を押さえ込んだまま、唇を下げるとブラウスの上から彼女の胸を吸った。
「・・・あっ・・・」その初めての、淫らがましい感触に思わず声が洩れた。そしてもう片方も同じようにされ、
ユリウスはのけぞって呻いた。唇を離したレオニードはユリウスを見つめながら言った。彼女は息をはずませ、絹
のブラウスは両胸の先端部分だけが濡れて透けていて、それはひどく扇情的な姿だった。
「からかっているのはおまえの方だろう。よくわかっているはずだ。」
ユリウスは目を見開いて聞いていた。
「私はその気になったら、お前を抱く。この邸内のどこででも、たとえそれが廊下でも階段でもな。朝、昼構わず
に、おまえを好きにする。誰が見ようが構うものか。」
もっともこれは只の脅しだった。独占欲の固まりのようなレオニードが彼女の痴態を例え召使だろうが、他の者に
さらすような事をする筈が無かった。逆にそんな事があれば彼はその誰かをどうにかしてしまったろう。昔話の暴
君のようにに目を潰してしまったかもしれない。そうとは気づけないユリウスが思わず洩らした「レオニード・・・。」
という絶望的な呟きに重ねるようにして、彼は言い足した。
「それに目下のところ、おまえの仕事はそれだけだ。そうであろう?私に抱かれる以外、おまえに他に何か出来るのか?」
「・・・!」誇りを傷つけられて瞬時に彼女の目に怒りと恥が交錯し、やがて底知れない悲しみに変わっていくの
をレオニードはじっと見ていた。この頃の彼は幻と競うことに疲れ、彼女が自分に反応を示すならそれがなんであ
ってもいいという、半ば自虐的な境地にまで達していた。

いま、幾分かの反応を引き出せた事に苦い喜びをおぼえながら彼は彼女のズボンの前立てに手を伸ばし、ボタンを
一つづつ外した。ユリウスはもう抵抗もせず、しかし彼を見ようとしないで視線をどこか遠くに向けていた。だが
前立のボタンを外し終えた彼の指が、中に潜りこんできた時には小さく息を吸い込み、身を固くして思わず足を閉
じようとした。レオニードはそれに構わず、狭い中で下着の上から彼女の亀裂を擦った。足を閉じた分、敏感な部
分への刺激も強まり、ユリウスは唇を噛み締め、眉を顰めた。その表情を見つめながら彼は下着の脇から指をこじ
入れ、その中の有様とユリウスの呻きに満足して言った。
「男の格好をしていても、おまえは骨の髄まで女だな。こんな風に、短い時間でここまでも滴っている。自分でも
わかるものか?」
「・・・。」ユリウスは歯を食いしばり、眉根を寄せて耐えていた。
「娼婦でも、なかなかいないぞ。こんなに濡れやすい女は。」
ユリウスはできる事なら耳を閉ざしたかった。そんな侮辱、それが本当の事なのかどうかなど聞ける筈は無かっ
たし、自分の体がすぐ彼に向かって開かされてしまう事は彼女の意思の及ばないところだった。だがそもそもそう
させているのはこの男でないか。急に彼女の中に怒りがこみ上げてきた。彼女はレオニードの瞳を不意に見据えた。
自分を監禁した上でいたぶり抜こうとしている下劣な男。何か侯爵だ、何がロシア帝国の軍人だ。おまえが僕を自
由に出来るのはこの体だけだ。せいぜい好きにすればいい。僕が真におまえのものになる事は無い。決して。一瞬、
彼女の瞳に火花のような反抗心が燃え上がりレオニードを瞠目させたが、すぐに消え、彼女はまた自らを遠くにお
こうとした。それを感じ取ったレオニードはそうはさせるものかと激しく彼女の乳房にむしゃぶりつき、舌で責め
ながら、彼女の秘所を指で蹂躙した。もう、どこが彼女の弱点かは知り抜いていた。無反応でいようとした彼女は
狙い通りすぐに顔をゆがめて彼を引き剥がそうとしたが、体は彼女を裏切って一度目の痙攣を示した。「・・・っ
あ・・・」と彼女が息を呑んだところで彼は指を引き抜いた。そこまで彼女に火をつけておいて、レオニードは囁いた。
「脱げ」

55:書斎
09/08/09 07:13:04 h2vNUIt3
ユリウスは観念して、目をつぶり、黙ってボウタイをほどいた。絹が擦れるシュッという音が妙に響いた。ボタン
は共布で包まれたクルミボタンの小さなものだったので外しにくかった。それも一列にびっしりと並んでいるから
時間がかかる。レオニードにわざと焦らしていると思われるのがいやで、手が震えた。これから彼に嬲りぬかれる
ことは明らかだった。できれば早く終わってくれ、彼女が望めるのはそれだけだった。

ブラウスのボタンをやっと全て外し終わり、胴衣の細い紐とボタンに手をかけてユリウスは一瞬ためらったが、自
棄な気持ちで事務的にさっさとそれらも外し去った。そして乱暴にブラウスを脱ぎ、床に落とすと胴衣に手をかけ
たところで、「・・・色気の無い脱ぎ方だな。」と声がかかり、レオニードが身を寄せるとユリウスを挟むようにし
て書棚に手をつき、ささやいた。彼女の手をとって自らの口に指先を入れ、少しねぶるとそれを彼女の乳房にあて
させておいて、残ったズボンのボタンを外すとそれは床に落ちた。もう彼女がまとっているのは前を開けた胴衣と
下穿きだけで、この謹厳な書斎にはひどく似つかわしくない眺めだった。そのまま激しく愛撫しながら彼は言った。

「・・・皮肉なものだな。おまえが嫌がるほど私は駆り立てられ、おまえの体も燃えてくる。わざとなのか?それ
がおまえの手口か?」
「わからない・・・。なぜ、あなたがそんなにも僕を蔑み、傷つけようとするのか・・・。娼婦みたいに扱われる
のは、僕が望んだことではないのに・・・。」
これは否応無くひきだされてしまう官能上の反応以外には、ほとんど自分というものを見せなくなってしまった彼
女の、血を吐くような呟きだった。だがレオニードはその言葉の意味をあえて胸中に浸み込ませず、彼女の髪を掴
むとぐいとひっぱって仰向かせた。そしてその瞳を覗き込みながら心の中で呟いた。娼婦?おまえは娼婦がどんな
ことをさせられるのか知っているのか?もしおまえが娼婦なら、とてもこんな事ではすまぬのだぞ。
いっそ本当に最下級の娼婦のように扱って、己に奉仕させてやろうかと怒りに駆り立てられ暗い欲望が一瞬胸をよ
ぎったが、さすがに実行はしなかった。

一時の鬱憤晴らしにはなるかもしれないが、後味の悪さで自らが苛まれ、さらに距離が広がるに過ぎないことは
既にいやというほど学習済みだった。
そんな彼の逡巡を知ってか知らずか、ユリウスは苦しい姿勢で仰向けにされたまま、どこか空ろな瞳になっていた。
ユリウス、何を見ているのだ?私でないことだけは確かだなとレオニードは胸の内で呟いた。こいつはこの私の書
斎で奴の奉じる主義思想を学ぼうとしている。彼女の中身は全然変わっていない。

「この書斎でおまえが記憶を取戻した時」
ユリウスの片足を持ち上げ、自らの腰に巻きつけるようにしてレオニードは言った。
「あの時、正直私はおまえに刺されると思った。」
彼の言葉に驚いてユリウスは声も無かった。そこへ下から押し広げられ、彼が侵入してきて彼女は顔をのけぞらし、
呻いた。「つかまれ」と言ってレオニードは彼女の腕を首にまわさせ、彼女の腰を持ち上げて、したたかに打ちつけた。
「あの時私を刺しておけば、」とレオニードは深く貫きながら言った。
「いま、こんな目には合わずに済んだであろうに。」
彼のものが奥まで当たって、ユリウスは悲鳴に似た叫びをあげた。
「いい声だ。ロストフスキーも呆れているだろうな。丸聞こえだろう。」
では今日の護衛は彼なのか。誰に聞かれても屈辱的な事に変わりは無いはずだったが、あの冷やりとした副官だと
思うと余計に辱められている気がした。レオニードに何をされても声も立てず、何の反応も示せなくなれれば!
なぜ彼がこんなに簡単に自分に火をつけてしまう事ができるのか、彼が言うように自分の体が娼婦よりも下等に
できているのか、レオニードにしがみつきながらユリウスは彼のものにえぐられ、打ち据えられながら自分の中から
液がしたたりもれ、内股を濡らすのを感じていた。どこかから聞こえてくるあられも無い声が自分のものだとは
信じられなかった。お願い早く終わって、いや終わらないで、いまこの瞬間、自分の望みもわからない彼女にできるのは
ただレオニードにしがみつく事だけだった。

その後二人は着替えて何食わぬ顔で晩餐につき、長いテーブルで一言も口をきかずに、食事をとった。贅をつくし
た料理でも、彼らの口には何の味もしなかったろう。侯爵家の料理長は腕のふるいがいが無い事だった。

56:書斎
09/08/09 07:13:46 h2vNUIt3
その夜、眠っているユリウスをレオニードは傍らで頬杖をついて見つめていた。行為の後、彼女はだいたい身を
少し離して、顔を背けて眠ろうとする。それを彼が無理に引き寄せて眠ってしまうことのほうが多いが、そのまま
好きにさせている時もある。だが彼女は気づいているだろうか?そんな場合でもふと目を覚ますと彼女はそっとよ
りそってきて身を添わすようにして眠っている。今も彼のほうを向いてなかば手を伸ばすような姿勢で静かな寝息
をたてている。(かわいい奴だ。)そんな素直な思いで飽かず眺めていた。そうやってやすらかな寝顔を見つめてい
ると、彼女が天使だと簡単に思い込めそうだった。彼女にとっては不運なことに、彼の手の中に落ちてきた天使。
だがもちろん彼女は只の女で、その頭も心の中も、人間ならではの愛憎や計算で充たされている。彼女が寝言を言
わないタイプだったのは助かった。もしも奴の名でも呟かれようものなら、自分は何をするかわからない。だがこ
うやって無意識にこちらを向いて眠っているのだから、少なくとも体の繋がりだけは確保できているのだろう。彼
女がどんなに自分を疎んじようとも、彼は絶対に共に眠る事を放棄するつもりは無かった。これは結婚後早々に褥
を別にされたアデールが知ればさぞ傷ついた事だろうが、彼の胸にはそんな事はちらりとも浮かばなかった。
しかし起きている間、どうしたら彼女をこちらに向かせることができるかがわからなかった。無邪気な顔で眠っ
ているこの女をどうすればいいのか。正確に言うと、自分が彼女に何を望んでいるかさえ、彼はよくわかっていな
かった。それがわかっていれば答も対処法もひどく単純なことだったのに、この時期のレオニードはそれを掴むこ
とができず、もどかしい思いで愚かな仕打ちを続けていた。だが彼女の寝息を聞き、その寝顔を眺めているとひど
くやすらかな気持ちが広がってきて、彼はそっとその腰に手をまわすと自分も眠る事にした。これ以上見つめてい
ると、身勝手な欲望でまた彼女を起こしてしまいそうだった。

そのしばらく後、ユリウスはふと目をさました。レオニードの規則正しい寝息と胸の上下で彼が本当に眠っている
事を確認して、彼女はその寝顔を見つめた。眠っているさなかでも彼の腕は彼女の腰にまわされていた。
 レオニードが眠っている時だけは、ユリウスはおそれなく彼を見つめることができる。やや日に灼けて浅黒い、
彫りの深い顔。あの炯炯とした黒い瞳は今は瞼の下だ。眠っている時の彼はとても若く、端正に見える。
思わずふっと笑みが浮かび、そして次の瞬間ひどく苦い思いがこみ上げてきた。この男を憎むことができたら。
心の底から疎んじることができたら。意識から完全に切り離すことができたら。彼に抱かれても無感覚でいること
ができたら。彼が自分の体を滅茶苦茶にしてしまう前の関係に戻る事ができたら。
・・・そうなったらどうだと言うのか?結局皇帝の命のもと監禁されている身とその監視者という立場に変わりは
無いというのに。大体元の関係になど戻れる筈も無かった。少なくとも彼が僕に飽きるまでは。彼は愛など口にし
ないで僕を抱く。人が嘘でも相手を喜ばすべく言うような誓いもない。ことに最近はまるでおまえは私の只の欲望
のはけ口だとでも念押ししたいかのように、口にするのは皮肉や僕を傷つけるためにわざわざ選んだような言葉ば
かりだ。なぜかわからないが、いつの間にか関係はすっかりこじれてしまっていた。うまくやっていきたいなどと
は思うわけではないけれど。だが彼は自分のもとになぜか帰ってくる。体に飽きるまでの事かもしれない。自邸に
女がいるのが手軽だというだけかもしれない。でも彼は僕を掴まえておこうとしている。手の内から逃さないと彼
の瞳は言っている。僕は彼の瞳を見るのがこわい。あまりにもまっすぐに僕を求めてくる。いつまでもこんな関係
が続く筈は無いとわかっていても、僕は彼が怖い。何も誓わない男にどんどん変えられていきそうで怖い。

57:書斎
09/08/09 07:15:06 h2vNUIt3
(クラウスは連れていくと誓い、そして僕を捨てた。それも一度ならず。)
そんな苦い思いがこみ上げてきて彼女はため息をもらすまいと唇を噛んだ。だが瞳からは涙がこぼれ落ち、彼女は
レオニードを起こさないようにそっと顔をうつぶせにして、敷布にそれが吸い込まれるのに任せた。考えるまでも
なくどちらの男もたいがいだった。自由を奪い、女を意のままにしようとする男と、愛を誓いつつ同じその手で振
り捨てていく男。そして傍らにいるのは一方だけだった。
(だがそれは愛ではない。)静かな声が自分に告げた。
(たとえ拒まれても、おまえが求めずにいられないのはどちらだ?)
その時彼の手が頭におかれてユリウスははっとした。咄嗟に寝ている振りをしようと身動きせずにいるとその手が
そっと髪を撫でてやわらかく彼女を引き寄せた。一瞬、今考えていた全てが彼に伝わっていて、その罰を受けるの
かと非現実的な恐れを感じて彼女は脅えたが、レオニードは彼女の髪に顔を埋めてそのまま又眠ってしまった。
ユリウスはその寝息に安堵し、彼の胸に頬をよせてその鼓動を聞いているうちにいつもの安心感に包まれて先ほど
の問いかけも忘れ、いつしか深い眠りに引きずり込まれていった。
眠っている時だけは、彼らは自意識から解放され幸福な恋人同士の姿をしていた。



書斎 終

58:1910年晩秋
09/08/09 07:26:54 h2vNUIt3
雲がすごい勢いで奔っていった。もう秋も終わりだ。目の前に広がる原野はただ荒涼としていた。どこまでも見
晴らしが良すぎて、ここで野戦をすればかえって膠着状態に陥りそうだ。もっともここまで敵を迎え入れるなど
あってはならない事だが。(だが備えは必要だ。)レオニードは背後にいる技師長に振り返って「どうだ。」と問い
かけた。「3、4日はかかると思います。」
「わかった。焦る事は無い。」そう答えて後は技師達に任せ、彼はその足で廃屋に入った。かつてはこの地方の地
主の館だったものだが、数年前に頻発した暴動の一つで略奪され今は打ち捨てられていた。近くの集落にも誰も
いない。だが幸い雨風がしのげる程度の部屋は残っており、技師達の作業スペースはここで十分まかなえそうだった。

荒れた廊下を通り半ば破れた扉を開いて、元はサロンらしき部屋に入ったレオニードはある物を見て足を止めた。
窓は破られ、壁紙は垂れ下がり、残された家具は破壊されるか打ち倒されている。どの部屋も似たり寄ったりだ
ったが、彼の足を止めさせたのは、中央に残されたグランドピアノだった。破れた窓から入る黄金色の光の筋が
埃の粒子を輝かせながらピアノに射していた。近づいてみると内部は無残に壊されていた。全て破壊するには大
きすぎると思われたのかもしれない。鍵盤にそっとふれてみると意外な事に音を出した。だがそれは鈍いくせに
ひどく狂った音階だった。

レオニードは一瞬、目の前にあの金色の髪がゆらいだような気がした。今回のこの長い任務は将来のドイツとの
対戦に備えたものだ。それがいつかはわからないが。2年後、5年後、10年後。その時は必ずやってくる。彼女
は敵国の内部にいながらにして故国との戦いを見せつけられるわけだ。だが。

(それが何だ。)自分の中でそう言う声がした。その捨て鉢な響きを厭い、レオニードは手の甲で鍵盤を払った。
無様で狂った不協和音が鳴った。
こんな所に来てまで。
彼は一瞬目を閉じ、妄念を振り払った。為すべき事、検討すべき事は文字通り山のようにある。(助かることに。) 
またそんな皮肉な声を聞き、さすがに苦笑して彼は扉のほうに向き直った。その拍子に不用意に左手の先が鍵盤
にふれ、突然明瞭な音が鳴り響いた。たった一音の美しい音。それに不意打ちにされ、その残響が消えてもなお
レオニードは虚ろな部屋に立ち尽くしていた。




59:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:30:10 h2vNUIt3
>>52から続く

第二章
(1)
アナスタシアはその一瞬の微妙な空気に自分が何かの核心に触れた気がしたが、
深追いせず話題をずらした。
「ユリウス、あなたはリュドミール様にピアノを教えておいでだったとか。」
「ええ・・・。そう大したことはできなかったけれど。」
「あら、そうでも無いのよ。リュドミールは私達上の兄姉と違って
なかなか才能があったらしいわ。もっとも、きっとそれは先生が良かったのね。」
「まあ・・・。私もぜひ一度あなたのピアノを聞かせていただきたいわ。」
ユリウスは複雑な気持ちでアナスタシアの言葉を社交辞令として受け流そうとしたが、
アナスタシアは早くも立ち上がってピアノの方へ歩いていった。
ユリウスは本当に固辞しようとしたが、折悪く執事が入ってくると何事か
ヴェーラにささやき、彼女は顔色を微妙に変えて
「アナスタシア、ごめんなさい、内向きの事で少しだけ外させていただくわ。
ユリウス申し訳ないけれどアナスタシアのお相手をお願いね。」
と言うと急いで執事とサロンを出て行った。
そういう展開では、ユリウスはピアノの傍らで待つアナスタシアのもとへ
行くしかなかった。

「何を弾きましょう?」
「そうね・・・。ショパンはどうかしら?」
「では     を。」
アナスタシアは流れ出したユリウスの調べに耳を傾けた。
彼女が予想したよりもユリウスは「弾き手」だった。
(これは・・・。使えるわ。)と判断し、演奏するユリウスのすぐ傍らにそっと腰を下ろした。驚いて弾くのを止めかけたユリウスの耳もとに触れんばかりに唇を寄せ、アナスタシアはささやいた。彼女のつけている百合の香りがふわりとユリウスをつつんだ。
「お願い、弾き続けて。そして弾きながら私の話を聞いて頂戴。」

以前、私達がお会いした時にお話しした事をおぼえていらっしゃるかしら?
もちろん先だってでなく、5年前の馬車の中での事よ。

ユリウスはピアノを弾く手が震えそうになるのを必死でおさえた。
アナスタシアはその顔色を見つめながら言葉を継いだ。

あの時私は言ったわ。私達はアレクセイの力になれる日を待とうって。
でもあの後続いた出来事のせいで、答えてはいただけなかった。
今、もし同じ事をお尋ねしたらあなたは何て答えてくださるかしら?
今のあなたのアレクセイへのお気持ちは?

今度こそユリウスは指を止めてしまった。
アナスタシアは再びユリウスの耳もとでささやいた。「続けて。」
「僕の・・・気持ち。」指を鍵盤に走らせながら呆然とユリウスはつぶやいた。仲間が言う通り危険な賭けだったが、アナスタシアは自分の直感を信じた。
「アレクセイ・ミハイロフを脱走させる計画があるのよ。」
その言葉は澄明な稲妻となってユリウスを貫いた。

60:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:31:09 h2vNUIt3
私はアレクセイにとってはなんでもない只の幼馴染だわ。
でもあなたもご存知のように私は彼を恋い慕っていた。
だからあの後、革命派に近づいたの。少しでも彼を理解したくって・・・。
そして今はその思想そのものに心から共鳴して、この国に革命を起こすことは
アレクセイに近づくための手段ではなく、私自身の人生を投じて悔いの無い、
生きる目的となった。
だからあなたにどうしてもアレクセイを救出する手助けをしていただきたいの。
彼はこの革命に、このロシアの未来に必要な人物なのよ。
お願い、あなたは革命の事もこの国の問題点も何もおわかりでないかもしれない、
でも彼を愛してらっしゃるのでしょう?革命のためでなくていいの、
愛のために協力してちょうだい。
これはユスーポフ家にいる、あなたにしかできない事なのよ。

(僕がクラウスのためにできることがある・・・!)
ユリウスはようやく濃い霧の中から抜け出て、突然視界が開ける思いだった。
冷たく清潔な空気を吸ったように頭が冴え、周囲の何もかもが明瞭に見え始めた。
ユリウスは鍵盤に烈しく指を走らせながら傍らのアナスタシアを見つめ、言った。

「ありがとう、アナスタシア。時間は過ぎてしまったけれど、いま、
やっと5年前の質問にお答えできます。僕の答えは「ええ」です。」
アナスタシアもユリウスを見つめ返し、うなずいた。
静かだが、固い決意のもとで二人はしばらく無言になり、
ユリウスは演奏を続けた。ちょうど曲が終わる頃、ヴェーラがサロンに戻ってきた。

61:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:33:00 h2vNUIt3
「ごめんなさいね、アナスタシア。
このあたりも最近物騒になったようで、憲兵に強引に面会を求められてしまっていたの。
でもたいした事もなかったわ。」
「まあ、最近の彼らの権高さは本当に失礼ね。でもこちらはお気になさらないで。
いま、ちょうどユリウスのピアノを聴かせていただいてたの。彼女の演奏は素晴らしいわ。」
「私もいつもそう思ってたのだけど、何せユスーポフ家は芸術的趣向には欠けた血筋ですからね。
あなたがそう仰るのなら、私も自分の耳に自信がもてるわ。悪いわね、ユリウス、頼りない聴衆しかここにはいなくて。」
そこでアナスタシアは他意のなさを装って言った。
「ヴェーラ、唐突なお願いで申し訳ないのだけど、ユリウスさえ良ければ少し私のお手伝いをしていただきたけないかしら。」
思いもかけない言葉にヴェーラは驚いた。ユリウスも驚いた顔でアナスタシアを見た。
「実は来年の春から初めてのヨーロッパ公演旅行が決まっているの。
最初はフランス、成功すれば、他の国へ年をあらためてでも広げる予定でいるわ。
それであちらのピアニストと競演するのだけれど、こちらでの練習相手が急に病気になってしまって・・・。
あまり時間も無いのに、感覚や技術の合う方を探すのは大変で困っていたのよ。
人は沢山いるようで、なかなか難しいものね・・・。
それで今、ユリウスの演奏を聴かせていただいて、私のヴァイオリンとぜひ合わせてみたくって。
どうかしら、ユリウス、ヴェーラ。」
ヴェーラは驚いて少し黙っていたが、ユリウスの方を振り向いて言った。
「確かに急なお話だけど・・・。ユリウス、あなたの気持ちはどうなのかしら?」
「・・・僕なんかの腕前でもし役に立つのなら・・・。」
「ごめんなさい、こんな急な申し出なんてユリウスにもユスーポフ家にも本当に失礼だと思うのだけど・・・。
とにかく時間が無くって・・・。そうしていただけると私は本当に助かるの。」
ヴェーラはしばし黙考した。レオニードがいたら決して許さない話だろう。
だが、久し振りにユリウスの表情に生気が宿っているのを見ると、ヴェーラはそれを圧殺するのは忍びなかったし、
ただでさえ兄には腹を立てていた。この事が知れたら、軽はずみな決断と兄からは叱られるだろうが、
ヴェーラはユリウスが彼女らしさが取り戻すためには、わずかでも自由と自信が必要だと思った。
「そうね・・・。あなた達本人がそう望むのなら・・・。でも申し訳無いけれどあまり長くは・・・。
リュドミールが帰ってくるクリスマス休暇までというのはいかがかしら?兄もその頃には戻ってくる筈だわ。
それまでに、アナスタシア、ユリウスと練習しながら他の方を探していただくというわけにはいかない?
ごめんなさいね、兄は家の者の行動にはなかなか厳しいのよ。」
(つまりユスーポフ候が不在の間のみという事ね・・・)とアナスタシアは察しをつけた。
ユリウスは床に目を落としていた。
(まさか・・・いえ、今、そんな事を詮索するべきではないわ。
それにユスーポフ候に何か感づかれるような事があっては全てが水の泡なのだし欲張ってはいけない。)
「それでも、助かるわ。ユリウス、それであなたは良くって・・・?」
「ええ、あなたさえよければ。それで僕がお力になれれば。」
アナスタシアは早速明日自ら迎えに来ることを告げて帰っていった。
ヴェーラは「急な話だったけど・・・大丈夫?」とユリウスを気遣った。
言外に様々な意味が含まれていることを承知でユリウスは答えた。
「うん・・・。わかってる。クリコフスカヤ嬢にもユスーポフ家にも迷惑をかけないように気をつけるよ。
でも自分でも練習しなくてはいけないから、きっとしばらくはやかましくしてしまう。ごめんなさい。」
「いいのよ。どうせ私達しかいないのだから。」
早速鍵盤に指を走らせるユリウスに微笑んでヴェーラはサロンを去っていった。
この時点ではヴェーラはユリウスとアナスタシアの思惑に全く気づいておらず、
(兄上には帰ってこられてから事後報告という形にしよう・・・)と彼女は算段していた。

62:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:33:25 h2vNUIt3
約束通り、アナスタシアは翌日ユリウスを迎えに来、練習場所でもある彼女の邸へ連れて行った。
ヴェーラは遅ればせながら、芸術家が集まるというアナスタシアの社交サロンにはユリウスを引き入れないよう、
さりげなく釘を刺した。
いまだに理由はわからないとはいえ皇帝陛下からの預かり者で、今は兄の愛人でもあるユリウスを
あまり人目に曝すわけにはいかなかった。
アナスタシアもヴェーラとは違う思惑でそれを承知した。芸術家仲間のふりをしていても彼らは全員革命家だ。
万が一露見した場合、ユリウスと彼らはお互いを知らないに越した事は無かった。

ユリウスは初めて訪れたアナスタシアの邸宅の音楽室で彼女と向かい合っていた。
彼女は夫の急死の後も実家には戻らず、夫の残した邸宅に住まい、音楽活動の拠点としていた。
行きの車の中では彼女達の会話は当たり障りのないものに終始していた。
アナスタシアの邸のかいわいは、ユリウスが初めて訪れる場所だったが、
もっともそれを言えばこの街に4年以上いてもユリウスはどこも知らないも同然で、
自分がいかに無為に過ごしてきたかを、あらためて思い知らされた。
アナスタシアは時間を無駄にせず、二人きりになった所で早々に口火を切った。

「ユリウス、手短に言うわね。
私達はここ数年、アレクセイ・ミハイロフの脱獄計画を進めていて、
それはかなりいいところまで来ているの。
シベリアの監獄と言ってもその厳しさはまちまちで中には随分警備のゆるいところもあって、
幸運にもそういった監獄に収容された囚人達は結構やすやすと脱獄・亡命しているのよ。
でもアレクセイは終身刑だけあって、警備も囚人の扱いも最も厳しい監獄に収監されているの。
そこは存命率もたいへん低いところで、私達はもっと早く彼を出したかったのだけれども、
それだけ失敗は許されない場所だから準備に時間がかかってしまった。
そしてもしかしたら、まだ計画のどこかには穴があるかもしれない。
だからあなたに再会できた事は私達にとってとても幸運な事だったわ。
なぜなら、あなたがレオニード・ユスーポフ候の邸にいるという事は、軍部の機密にとても近いところにいるという事なのよ。
例えば彼ほどの高位の軍人ともなれば、軍からの報告書(もちろん暗号化されたものだわ)が
彼の不在中も自邸に届けられている筈だわ。帝国的なお役所仕事ってところね。
私達はそれをぜひとも手に入れたいの。あなた心当たりはおありでない?」
「毎日、そんな書類が来ていたなんて気が付かなかった・・・。気をつけてみる。
・・・でも、アナスタシア、これはこの期に及んで言うことではないけれど。」
ユリウスは少しためらった。
「何?気になることがあれば言ってくださらないと。」
「今回の事でユスーポフ家の人々に危害が加えられるような事はないね?」
言った途端、ユリウスは自分がひどく愚かだと思った。アナスタシアは黙って相手を見つめた。
ユリウスは革命家ではない。アナスタシア達の活動の持つ呵責無さを知らないだろう。
それはアナスタシア自身いまだにたじろぎを覚える事もある程だった。
だがあまりにも赤裸々な事実を伝えてユリウスが翻意するのは避けねばならなかったし、
その一方で甘言で欺くような事もアナスタシアにはできなかった。
アナスタシアは言った。
「あなたは私達の活動がどのようなものかまだおわかりにはなっていないでしょうね。」

63:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:33:46 h2vNUIt3
ユリウスはそれが質問への答えかと思い、自らの甘さを恥じた。だがアナスタシアは言葉を続けた。
「でもその件に関しては安心なさって。私も友人を傷つけるような事はしたくないわ。
あなたにご協力いただいて私達が得ようとしている情報は、直接的に誰かを襲うためのものではない。
言わば情報を繋ぎ合わせて物事の裏やつながりを見つけ、情勢を読み取って私達の作戦の危険や失敗を避けるために必要な、
いわば大局的なものなのよ。」
万が一今回の件が発覚すれば、ユスーポフ家は面目と名誉を失い恥辱にまみれるだろうが、その事には触れなかった。
「でもユリウス、これは言っておきたいわ。私達以外にも革命派には様々な勢力があるの。
そしてユスーポフ候はその多くから憎まれているでしょうね。必ずしもリストの上位にいるとは言えないけれど、
彼はいつ暗殺の憂き目にあってもおかしくは無いし、自分でもその事は承知だと思うわ。
だから、彼の身に何も起こらないと私が保証する事は意味が無いのよ。」
ユリウスはその言葉に少なからずショックを受けたが、堪えた。どのみち自分は既にクラウスを選び、
一歩を踏み出したのだ。レオニードの身を気遣うのはいわば二重の裏切り行為だ。
「わかったよ。僕の言った事は忘れて。」
アナスタシアはユリウスの表情を慎重に見つめて、言った。
「話を戻しましょう。先ほどの報告書のことだけれど、まずはどのような形で運び込まれているか、
そして保管されているかまでをとりあえずは探ってくださる?
怪しまれないように、決して表立って何かをなさらないで。」
ユリウスは頷いた。アナスタシアは微笑むと、「では音あわせに入りましょう。」と言った。
ユリウスは「え・・・」と驚いた顔をした。アナスタシアは、
「つまらぬ事から秘密は漏れるものよ。避けれる危険なら手間は惜しんではいけないわ。
それに本当にあなたとは音を合わせてみたかったの。」と言うと、傍らのケースからストラディヴァリを取り出した。

 ユリウスは息が止まる思いで、顔色を変えた。
「アナスタシア・・・。これは・・・。」
アナスタシアもユリウスの動揺から察し、優しく言った。
「・・・おわかりになるのね、これがあの人の縁のものという事が。」
「ロシアに来て暴動に巻き込まれた時・・・このストラディヴァリとは別れ別れになってしまった・・・。
もう二度と目にする事はあきらめていたのだけれど・・・。よかった・・・。
クラウスを愛する人のところにいってたんだね・・・。」
その言葉にはアナスタシアも驚いた。
「そう・・・。これをロシアに持ち帰ってくださったのはあなただったの・・・。
なんて・・・なんて不思議なんでしょう・・・。」
(いけない・・・ここで泣いては)と思いつつ、ユリウスは涙を抑える事ができなかった。
(どこかであきらめてた・・・。奇跡なんて起こらないって。でもこうやって・・・!
あきらめちゃいけない。僕はもう、決してあきらめまい。
この先何が起ころうと、クラウスを愛し続ける事だけは僕はもう何があっても手放さない・・・!)
アナスタシアはそんなユリウスを見て、先ほどおぼえた危惧は杞憂だったと知った。
彼女は命に代えても任務を遂行するだろう。

 帰路は一人で車で送られながら、ユリウスは決意を固めていた。
彼女の中でこの数年のユスーポフ家での係累は既に無に等しくなっていた。これからは戦いが始まる。
クラウスのために僕は悪魔にでもなるだろう。思えばもともと魂など既に売り渡したも同然の自分ではなかったか。
何もためらわせる物は無い筈だった。
車が静かにユスーポフ家の門内に滑り込んだ時、ユリウスはこの豪壮な邸宅に初めて訪れるような身震いと戦慄を感じた。

64:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:35:24 h2vNUIt3
(2)
一方でヴェーラにもこの頃思いがけない変化が訪れようとしていた。
彼女がその画廊に入ったのは全くの偶然だった。ユリウスはアナスタシアのもとへ行っており、ヴェーラは護
衛を伴って大叔母の誕生祝の品を注文に宝飾店街にでかけた。久しぶりに一人で少しぶらついてみたくなり静か
なそのかいわいを歩いているうちに雨が降られ、急いでたまたま開いていた画廊に駆け込んだのだ。他の画廊と
は違う、窓が大きくとられて装飾も少ない簡素な内装に一瞬とまどったが、壁にかかっている絵にはさらに驚か
された。
荒々しい原色の静物画らしきもの、古典的な遠近感や詩情が全く感じられない奇妙な(としか思えない)風景
画・・・。ひどくゆがんだ人物像。まるで幼い子供が書きなぐったといってもいいような代物の数々だった。だ
が、ヴェーラはなぜか引き寄せられるように歩み寄り、それらの一つ一つにじっと眺めいってしまった。
「美しいでしょう?」
振り返るとあまり背の高くない、人の良さそうな中年男が髭に埋もれた顔でにこにこと立っていた。
「あ・・・、ごめんなさい、予約もなしに失礼を。正直に申し上げて、わたくし雨宿りに入らせていただいたの
です。」と一緒に入ったものの所在なげにしている護衛も指し示して、ヴェーラは微笑んだ。「いえいえもちろん
結構ですとも。この雨のおかげで、美しいマドモアゼルがこの絵と出会えたのですから、私にとっては恵みの雨
です。」
「あなたがこの画廊のご主人?」
「オーナーです。販売や管理は別の者がおります。でもこの通り、入りびたり気味なので、私はむしろ商売の邪
魔ですな。どうです、あなたはこのような絵を見られたことはおありですか?」
「我が家で先祖がせっせと集めたものとはだいぶ違いますわね。」とヴェーラもこの男が(自分よりは少々年配だ
ったが、少年のような純真さを立ち上らせて憎めない感じだった。)きらきらと目を輝かせて絵を指し示すのにつ
られて、悪気無く、笑いながら正直に答えた。「なんと言ったらいいのかしら・・・、ええ、こんなものを見るの
は初めてですわ。以前見た印象派とかいう画風のものともすいぶん違いますし・・・。これも絵・・・で売り物
なのですか?」
「ええ、そうですとも!というより、私はすっかりこの画家達のとりこで、ほれこんでしまっているのです。彼
らのアトリエがあるパリに行ってはせっせと買い集めるものですから、いまや屋敷の壁もすっかり占領されて、
もう掛ける場所がなくなってしまった。だからこのように画廊を開き、入りきらないものをここで掛けているの
ですね。」
「まあ・・・」とヴェーラが少々あっけにとられているところへ構わず、その男は続けた。
「というのは半分は嘘で、私はこの絵を、この新しい芸術をロシアの人々に、沢山の人々に見て欲しいのです。
ことに芸術家をめざす若者にね。いま、どんなにものすごい変革が芸術の世界でも起ころうとしているかを、ロ
シアの心ある若者達にこの天才達の作品を見て、知って、感じて、ゆさぶられてほしいのです。私は正直、本当
は売る気などほとんど無いのですよ。ただ、屋敷に招ける人はどうしても限られてしまいますからね。美術館の
アカデミーは頭が固くて、この新しさを理解できない。だが、こうやって街中の画廊なら、誰もが気軽に見る事
ができるでしょう?そう、今日のあなたのように、雨のおかげで美しいマドモアゼルに予期せぬ出会いが起きた
ように。」

65:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:35:45 h2vNUIt3
「ではあなたは、これらが本当に新しい芸術だと確信してらっしゃるのね?」ヴェーラは彼女としたことが、男
の熱情に圧倒されながらも、正直に尋ねた。
「もちろんですとも!あなたも一目見て、おわかりになったでしょう?いやいや否定されても駄目ですよ。私は、
同族をすぐかぎ当てるんです。絵をごらんになった姿を見ただけで、私にはわかるんですよ。魅入られる人と、
そうでない人が。」



ヴェーラは降参して、笑った。
「・・・そう・・・なのかしら?魅入られたのかしら?確かに目を離せませんでした。でも今は絵よりもあなた
の演説に圧倒されてますわ。」
「おお、これは失礼しました。ついつい、このフォービズムの作家達の事となると私は」
「フォービズム?」
「最初からご説明しますよ。どうぞおかけになってください。ああ、私としたことが、いまお茶をご用意します
から。」

急に降り出したにも関わらず雨はなかなか上がらず、ヴェーラはそれを自分への言い訳に、男の講義と解説を
しごく楽しく聞いていた。護衛は退屈な画廊で長滞在と諦め、画廊のオーナーも危険性は無さそうだったので急
いで車を停めた宝飾店まで戻り画廊まで車を動かさせた。話しているうちに、お互いの身元も教えあった。ヴェ
ーラは簡素にしていても見るからに上流階級の令嬢だったので男もある程度の予想はしていたが、ユスーポフ家
と聞いて、さすがに少し驚きの顔を見せた。男の名はシチューキン、繊維業で財をなした一家でヴェーラもその
名は知っているほどロシア有数の金持ちだったが、階級が違うので二人の世界はいままで全く交わっていなかっ
た。
「おお・・・。ユスーポフ家のご令嬢をこんなにおひきとめしてしまったとは。」と、シチューキンは恐縮してみ
せたが、彼にとってはヴェーラが先ほどからマティスの小さな静物画のほうをちらちら気にしているほうが問題
事だった。

人がある芸術に惹かれる時、その人の人生の問題事を関連して考えて良いものだろうか?だがヴェーラが家族
の解決のつきそうにない問題に頭を悩ませていたのは確かで、そんな中、シチューキンがさんざん迷った挙句「貸
して」くれたマティスの一見単純な形と色の小さな静物画は、ヴェーラの心をひどく慰めてくれたのだった。彼
はその代わり、ぜひ今度は屋敷のほうに来て欲しいと誘った、いや懇願した。こことは比べ物にならないコレク
ションが置いてある。ここにはゴーギャンもピカソも置いてない。セザンヌも大きすぎて持ってこれなかった。
そうだ、ここには大きすぎたといえば、なんといってもマティスの最高傑作(にきっとなるだろう)をあなたにお
見せしないわけにはいかない・・・!
この熱心な誘いは性的にも、社会的にも、あらゆる意味で全く下心が無かった。あえて言えば宗教的な熱情に近
く、一種の布教活動の趣さえあった。ヴェーラは思い出しくすりと笑った。モスクワから帰って以来、初めての
純粋に楽しい時間をあの男と「フォーヴィズム」の画家達は与えてくれた。感謝しなくてはと、ヴェーラは思い、
もう一度机上に飾ったマティスを見つめた。これを返さないで、正式に自分のものにするいい方法が何か無いか
しら?そのためにもとりあえずシチューキンの招待に応じてみようとヴェーラは決意した。

66:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:36:05 h2vNUIt3
そして、ヴェーラとシチューキンの親交はすぐに深まった。シチューキンもヴェーラを最初は同好の士として、
次には女性としてひどく気に入り、彼の屋敷を訪れた際は次の訪問を定めないとヴェーラを帰そうとしなかった。
シチューキンは今までヴェーラが知っているどんな男とも違っていた。厳粛な厳しさを持った兄や父、宮廷の
軽佻な伊達男達、あんなにも自分を惹きつけたエフレムの思いつめたような情熱(彼の事を思いだすのはヴェーラ
には本当に辛い事だった。)が彼女の知っている男達だった。シチューキンの体面や打算に左右されない好意の純
粋さや、絵画に向ける情熱はヴェーラには新鮮な驚きだった。ことに自宅をついに美術館として開放した事には
驚かされた。彼は自分が集めた美を独占する事を望まず、それらがロシアの若い芸術家達の目を開かせ、さらに
新しい創造につながる事を望んだ。それも決して自分の功名のためではなく、彼はただ自分の持っている素晴ら
しいものをそれを必要とする人間と分かち合う事を望んでいただけだった。そんな男は今まで彼女の周囲にはい
なかった。
そして、何よりも彼は彼女を笑わせてくれた。彼と居ると彼女は自分の中に今まである事すら知らなかった自由
さを感じた。警戒心の強いヴェーラとしては大変珍しい事だったが、まず最初の短い間に、彼らは心を許した親
しい友人となった。シチューキンは絵画だけでなく社会の様々なことに興味が深く、二人には議論は楽しいコミ
ュニケーションだった。しかしある日の会話はいつもと異なる感興をヴェーラにもたらした。もう秋だったがそ
の日は珍しく暑く、今年最後の水遊びとヴェーラはシチューキンの屋敷の池で、彼が漕ぐボートに乗っていた。


「ではあなたは共産主義に賛成なのね?」
「うん、彼らは過激なようだけど言ってることにはもっともな事が多いよ。僕も繊維業を営んでる家の者として
は学ばされることが多くて耳が痛い。労働者の権利はもっと保障されてしかるべきだ。君はロシアの多くの工場
や炭鉱で、10歳にも満たない子供が毎日14時間以上も働かされて、しかも給料のほとんどをピンハネされてる
事実を知ってるかい?彼らの多くは体を壊して職を失い、若いうちに死んでいってしまうんだ。どの階級に生ま
れたかというだけで一部の者が富と栄誉を独占するなんておかしいよ。どこの国だって問題はあるけれど、ロシ
ア特有の旧弊な制度の数々がどんなに他のヨーロッパから遅れをとらせているか。ロシア正教なんて迷信的とい
っていいくらいだ。いい例があのラスプーチンじゃないか。本当は彼に治癒力があるかどうかなんてどうでもい
い事なんだ。問題は我々ロシア人が彼の力を過大評価して、宮廷で彼が振るっているとされる力を神秘の尾ひれ
をつけて、実態より大きくしてしまう事なんだよ。それに比べれば僕は共産主義者、ことにボリシェビキの主張
には数学的な明快ささえ覚えてしまうね。」

ヴェーラはシチューキンの言いたい事もわかったが、一方で彼は共産主義者の主張の単純さが持つ呵責の無さ
を知らないのだと思った。だいたい彼らは私有財産を否定している。彼らの革命が成功すれば、抹殺されるの
はヴェーラたち貴族だけでなく、大ブルジョアも同じ筈だが、シチューキンは人が良すぎてそんな事もわから
ないのだろうか。
「そうね・・・。共産主義者が宗教を迷信というのは彼らの勝手かもしれないわ。人は無神論者になる自由は確
かにあるかもしれない。でも他の者にも神を信じるなというのは、結局人に神を信じる自由の選択を許さないと
いう意味で、彼らが忌み嫌う旧弊な教会や制度と全く同じこと、あるいはより悪辣なのではないの?」と反論し
ながら、ヴェーラは初めてこの年上の男を、シチューキンを守ってやりたいと思った。きっと、革命が起ころう
と起こるまいと、何もかもが行き詰ったロシアには間もなく大変革の時代が訪れるだろう。その時、この純粋で
優しい人には、私がついていてあげなくては。
その気持ちはかつてエフレムに感じた若い、激しいときめきとは違ったが、ヴェーラの中に根をおろした確か
な愛情だった。ヴェーラは自分の人生がようやく次の章へ移ろうとしている事を知った。シチューキンも彼女の
目に表れた愛情に気づき、オールを漕ぐ手を止めると彼女に幸福そうに微笑みかけた。ボリシェビキも無神論も
彼らにはもうどうでもよくなった。

67:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:36:30 h2vNUIt3
3)
 ヴェーラは露知らぬ事だったが、そうやって彼女も外出勝ちになることはユリウス達にとって実に好都合だっ
た。最初の会合の後、ヴェーラの不在時を狙って書斎でユリウスは手がかりを探そうとしたが、レオニードがそ
うそう情報を放置している筈もなかった。とりあえず彼が使っている大きな机に向かい、落胆のため息をついた。
いつもの事だが見事に整頓された書斎、彼が普段使っているマホガニーの豪奢な机でも置かれているのは文鎮ぐ
らいで、予想はしていたが引き出しには全て鍵がかかっていた。長い不在とわかっているのだから当然の事だっ
た。ユリウスは背後の本棚に目をやり、銀製の写真立てが並んでいる中、数枚が伏せられているのをふと不審に
思い、手に取った。
それらはレオニードとアデールの婚礼の際のものだった。長く裾をひく豪奢で美しい花嫁衣装をまとったアデ
ールと礼装の軍服のレオニード。彼らは気品に満ちて若く美しく、似合いの一対だった。この屋敷の庭で撮った
1枚には盛装した祝賀の客の中央にニコライ2世の姿もある。姪の披露宴のため皇帝まで来賓し、その日この屋
敷ではさぞ華やかな宴が催された事だったろう。
 アデールが姿を現さなくなってから既に久しい。ユリウスは知らない事だったがそもそも彼女が記憶を失う発
端になったのが、アデールがラスプーチンの手に彼女を引き渡した事だった。彼女なりに夫を案じての行動だっ
たが、皮肉な事にこれが結局夫婦の亀裂を決定的なものにした。その独断でレオニードから見限られ、引導を渡
された形で、アデールは不本意にも別居に踏み切らざるを得なくなった。
ユリウスはそんな経緯は知らなかったが、結婚が将来破綻する事をまだ知らない2人の写真は彼女に複雑な思
いを抱かせた。本来ならこの屋敷は自分が初めて来た頃のように、様々な貴族達が訪れる華やかなサロンにアデ
ールは女主人として君臨し、社交面で夫の足りない面を助けていた筈なのだ。ユリウスはまさか自分が夫婦の障
害になっているとは思った事もなかった。しかし、これらの華やかな写真はレオニードには正式な夫人がいる事
を久しぶりに思い出させ、そして、今の自分の立場も彼女につきつけた。(母さんはどういう気持ちだったんだろ
う…)と、長居して怪しまれないよう早々に居室に帰ったユリウスは久しぶりに母のことを思い出していた。だが
今の自分の状況を鑑みて母の気持ちを推し量るのも辛く、ユリウスはサロンのピアノに向かった。アナスタシア
は律儀にレッスンも続けたがり、その面の準備もしておかねばならなかった。

 だが程なく、ユリウスはレオニードあてに送られてくる書類にやっと気づく事ができた。意識するとは不思議
なもので、ここ数年見ていた筈なのに、今までは全くその存在に気づいていなかった。それは早朝に、軍部から
の使いの手で屋敷に届けられるのだった。受け取るのはまだ邸に入って間もない年若い従僕だった。以前の係の
ものは、レオニードの視察に伴われていた。それを聞いたアナスタシアは声を躍らせた。
「それは幸運なことね。古参の者ではあなたが近づくと警戒されてしまうでしょうから・・・。それで保管場所
はわかったの?」
「それが少し不思議なんだ。彼は確かに書斎に入って行くんだけど、その後の書斎には全く変わった様子がない。
机もキャビネットも引き出しはたいした容量は無い筈なんだ。あれだけの頻度でくる書類なら結構な嵩になる筈
なのに、あの整理された書斎のどこにそれがあるのかがわからない。だから思ったのが、笑わないで聞いてほし
いんだけど、もしかしたらあの書斎には隠し扉か隠し棚があるのかもしれない。」

68:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:36:51 h2vNUIt3
「ユリウス、それは笑い話にはならないわ。私達ロシア人は秘密が大好きなの。あなたもユスーポフ家でファベ
ルジュの一つくらい贈られたのでなくって?様々な細工ものの精緻さはそんな秘密好きからも来ているのよ。あ
なたの言うように十中八九、ユスーポフ家の書斎には隠し扉か、隠し棚がある筈だわ。だって我が家にもあるく
らいですもの。」
ユリウスはぽかんとしてアナスタシアを見た。(ロシア人って・・・。)
「よかったらご覧になる?参考になるかもしれないわ。」アナスタシアはにっこり微笑んで立ち上がった。

従僕は誰もいないと思った書斎に彼女の姿を見て驚いた。この早朝の、まだ暖房も入らない寒い書斎にはいつも
彼が最初に入るのが決まりだった。棚から1冊本を取り出しながらその美しい女性も少し驚いた様子で彼を見た。
年若い従僕はすっかりどぎまぎしてしまった。新入りの彼にとっては侯はいわば雲の上の存在であり、その愛人
となるとさらに(興味はあっても)、接し方の難しい相手だった。彼女はなぜか男装していたがその若さと美しさ
で、邸の使用人達の間では何かと噂の種だった。何やら複雑な事情でここ数年この邸にいるらしい。彼女が候の
ものになるかどうかは、気の毒な事に密かに賭けの対象にすらなっていた。ある朝、動かぬ証拠品として血と精
液にまみれた彼女の寝巻きが喚声の中、召使部屋に掲げられて、大穴狙いをした少数の人間は大負けをしたのだ
った。そして彼女に向けられる視線は[堕落した女]への、より好奇心といささかの軽蔑を増したものになっていた。
彼はそんな事を思い出しながらとりあえず、教えられた作法通り、彼女の爪先あたりを見て「おはようござい
ます。」と挨拶した。相手は「おはよう。早いね。」と返事をし、彼はその気さくに驚いた。そういえば侍女達
も辛口ではあったが、なぜかこの女性には点が甘かった。
彼女は彼が抱えた書類に目をやると、「それはレオニードの仕事のもの?僕にも手伝わせてくれる?」と笑顔で尋
ねてきた。
従僕は返事をためらった。彼はこの書類の中身については全く知らされていなかった。ただ重要なものだから
教えられた手順を絶対に守るようにと厳命されていただけだった。決まりきった退屈な作業に年若い彼は少々飽
きていた。本来それは彼の叔父である古参の従僕の仕事で、彼が候の視察にともなわれていなければ、新入りな
どが手を触れられることなど許されない筈だった。叔父がなんとか、甥を職場のいい位置に押し込もうとして、執事に頼み込んだのだ。

だが候の命令は絶対だと聞かされていた分、その愛人の願いとなると無下に断るのもどうかと思われた。自分
に縁などないと思っていた存在に間近に話しかけられて、彼はどぎまぎするのを抑えられなかった。そして彼女
はにっこりと微笑むとさらに一歩近づき、軽く彼の手首に触れた。「僕・・・あなたを困らせているのかな・・・。
ええと、あなたのお名前は・・・。」
「ヨ・・・ヨシフです。」「ヨシフ・・・。まだ入って間もない人だよね?僕の名前はユリウス。」「存じ上げてお
ります。」「そう。ありがとう。」そして再びにっこりしたかと思うとまぶたを臥せて言った。
「じゃあ知ってるよね・・・。僕は・・・とても寂しいんだ、ユスーポフ候がいなくって・・・。」従僕の胸の高
まりは最高潮に達した。
「せめて、何か彼に関わることで手伝えれば・・・少しは気がまぎれるかも・・・。」と言い、彼女は奇妙に熱い
まなざしで彼が持っている書類をじっと見つめた。

69:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:37:21 h2vNUIt3
「とんでもありません・・・!あなたにお手伝いなどさせたら、私が執事殿に怒られます。どうぞご勘弁くださ
い。」ヨシフは慌てて言った。彼女はがっかりした様子で
「そうか・・・。そうだよね、済まなかったね、無理を言って・・・。」とうつむいた。ヨシフは何だか自分が悪
い事をしているような気になり、「お手伝いしていただくわけにはいきませんが、良かったらご覧になりますか?」
彼女は顔を上げると不思議そうに、「見る・・・って?」と言った。ヨシフは「こちらにどうぞ」と言ってユリウ
スを書斎の奥に導くと、古い書籍の詰まった本棚から厚い辞書を2冊抜き、壁の羽目板をそっとずらした。そし
て現れた鉄製の取っ手を引くと、右手奥の角側、本棚と本棚が人ひとり通れるほどあいていた壁面が動き、その
奥に小部屋が現れた。
隙間を隠すかのようにそこに置かれていた、花瓶で飾られた小テーブルをどけると「どうぞ」とユリウスを案内
した。そこは天井まで棚が作られた小さな部屋で、人が3~4人も入れば一杯になってしまいそうだった。棚は
全て書類で整然と埋め尽くされ、空いた壁面には地図が貼ってあった。「こんな仕組みがこの書斎にあったなん
て・・・。これは開けるのに鍵とか番号とかは無いのかい?」とユリウスはつぶやいた。「金庫ではございません
からね。」ヨシフは定められた作業をしながら答えた。
彼女の目は異様なまでの真剣さででヨシフを見つめていた。「すごいね・・・。これを全部君が?」「私は指示通
りに並べるだけでございます。」ヨシフは彼女の目の輝きにむしろ居心地の悪さを感じ始め、急いで今日の分の作
業を終えると「さ、もうよろしいですか。」とユリウスを促して室外へ出ると、先ほどの手順を逆に繰り返した。
暗かった隠し部屋から書斎に戻るとヨシフは急に不安になり、急ぎ「ユリウス様、ここをお見せしたことは、ど
うぞ誰にも・・・。」とささやいた。何かに気をとられていた様子のユリウスは、振り向くと、「ああ・・・もち
ろんだよ、ヨシフ。ありがとう。君を困らせるような事はしないよ。」と微笑んだ。「本当にありがとう。」
 アナスタシアに指示された誘導方法で若い従僕は驚くほどあっさりと隠し部屋を開けてしまい、(女の武器なん
て、僕にもあったのか。)とユリウスは呆れていた。

ユリウスからの情報をアナスタシアはミハイルに伝えた。「報告書のありかはわかったわ。でも全て、一通づつ封
印されているらしいの。開封されたものはとにかく、新しいものはやっかいね。それこそ私達が見たいものなの
だけど。」「そうだな・・・。暗号の解読もあるからな・・・。封蝋なら、偽造という手もある。まずはやはり、
少し持ち出してもらわねば仕方ないな。それはできそうなのか?」「大丈夫だと思うわ。ユスーポフ候も不在だし、
ユリウスが書斎に出入りするのは普段の事らしいから。」
実はこの頃はまだ、ミハイルとアナスタシアの間ではユリウスの処遇についての意見は割れていた。ミハイルは、
いっそユリウスはスパイとしてユスーポフ家に残してはどうかと提案していた。だがアナスタシアはユリウスを
今の状況に残す気は全く無く、ユリウスの情報とアレクセイに会わせる事は引き換えであることを、脱獄させた
アレクセイを迎えに行くのに女連れでは足手まといになりかねないと渋っていたミハイルに受け入れさせた。そ
して、党には今回のユスーポフ家の情報提供者とアレクセイを救出に向かうメンバーに含まれる女性が同一人物
である事は絶対に報告させなかった。彼女がユスーポフ家にいたなど知れればボリシェビキの中では将来、逆に
やっかいな事になりかねない事をユリウスとレオニードの関係に察しをつけたアナスタシアは危惧していた。

70:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:37:55 h2vNUIt3
 ユリウスがアナスタシアに求められた任務を淡々と勤め上げるうちに、秋は深まっていった。書類はそう嵩が
あるものではなかったが、一度にそう多くは持ち出せる筈もなく、またあまり近々のものを動かすとヨシフに気
づかれる可能性があったので、どのぐらい抜くかというのはかなり神経を使う作業だった。写しをとられた報告
書はミハイル達が偽造させた封蝋でまた封印され、ユリウスは細心の注意を払ってそれを元の位置に戻した。
単純ではあっても、決して間違えてはならない、緊張が強いられる作業だった。だがその間は彼女は何も考えず
に済んでおり、クラウスの役に立っているという無邪気な満足感に浸っていられた。
そして気が付くと、もう初雪の舞う季節が訪れてきていた。
その朝、ユリウスは朝食の席で、ヴェーラに告げられた。12月中旬にはリュドミールが、その二週後、ちょうど
聖夜にレオニードが戻ってくると。
「翌日は宮廷の参賀に揃って出席せねばならぬのに、お兄様も慌ただしい事だわ。」
とっさにどう答えてよいかわからず、「そう・・・。」とユリウスは無表情に言った。ヴェーラは深追いせず、「き
っとリュドミールを見たら驚くわよ。私がモスクワを発つ時でも、もう随分変わってたわ。不思議なくらい背も
伸びてしまって。夜中寝てると、骨が伸びるのが痛くってわかるんですって。本当かしらね?」と淡々としゃべ
った。ユリウスは微笑んで聞いたが、リュドミールに会うのも懐かしさと裏切りの痛みが交じり合うのだろうか
と感じた。

アナスタシアからの迎えを私室で待ちながら、レオニードの帰還の日がわかった以上、ユリウスは久し振りに
彼の事を考えざるを得なかった。クリスマスイブに帰還なら、あの時彼が言った通りあれからちょうど5ヶ月だ。
気まずい別れ方だった。誇り高い彼の事、いっそあれきり自分の事を疎んじて遠ざけてはくれないだろうか。そ
れこそ、父が母に飽きて捨てたように。だがそれはまだありえない事は、自分の体がよく知っていた。この1年、
あれだけ臥所を共にしていても、彼らの体はまだ新たな発見を重ねていた。その生々しい記憶に絶望してユリウ
スは思わず手で顔を覆った。うぬぼれでは無く、帰って来れば彼は必ず自分を抱くだろう。たとえすぐにではな
くとも。
では、抱かれながら彼を欺き通すなど、本当に自分にできるのだろうか?それではまるで娼婦でないか。いや、
クラウスのためなら、再び悪魔になってでもと自分は誓ったのだ。これは戦いだ。それを思えばどんな事でも耐
えられる筈だ。こちらの弱さを逆手にとってあの傲慢な男を騙してやれ。それは存外簡単な事なのではないか?
ユリウスはそう自らをけしかけようとしたが、自分がそんなに強くてしたたかな人間でない事はよくわかっていた。
そして彼が求めているのは体だけではないという事も本当はよく知っていた。だがそれはもう、ユリウスからは
決して与えられないものだった。
そして思った。この事を知れば、レオニードは自分を殺すかもしれない。シベリア流刑の囚人の脱走をもくろ
み、軍の情報を横流ししていたなど、銃殺に処されるに充分だろう。自分達の関係の如何を問わず、彼が自分の
処置をためらうとはとても思えなかった。しかし、それはいっそ光明のような気すらした。
(それならそれでいい・・・。レオニードからは裏切り行為と言われてもしかたない。それに僕自身、もうクラ
ウスに会える体ではなくなっているのだ。最後にクラウスの役に立つことができるなら、今までの日々が続くよ
りも、殺されるか、官憲に引き渡されてしまえばむしろいっそ楽になるというものだ。ああ、でもその前にせめ
てもう一度だけ、言葉を交わせなくてもいい、たとえ遠くからでもいい、クラウスの姿だけでも、一目でも見る
ことができたら・・・!)
彼女の物思いを破るように、侍女がアナスタシアからの迎えが着いた事を知らせにきた。ふりむいて「ありが
とう。」と言ったユリウスの凄絶な美しさに侍女は一瞬息を呑んだ。

71:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:38:32 h2vNUIt3
「ではユスーポフ候の帰還までとヴェーラに約束させられてしまった以上、あともう少ししかないのね・・・。
もう少し時間があればいいのだけれど、欲張っては危険かもしれない・・・。」「・・・。」ユリウスは黙って窓の
外を見た。空は冬の濃い雪雲に覆われていた。次に何を聞かれるか、ユリウスはわかるような気がした。
「ユリウス・・・。こんな事、聞きたくは無いのだけれど・・・。ユスーポフ候とあなたは・・・。」
「ごめんなさい、アナスタシア。答えられない。その事は聞かないで。」ユリウスは外を見たまま硬い表情で答えた。
「・・・そう。・・・ごめんなさい。・・・いずれにせよ、ユスーポフ候に気づかれないうちに、できるだけ早く
あなたをあそこから出さないと。アレクセイが脱獄した後では、あなたは必ず公的にも監視対象になるでしょう。
それから脱走を図るのでは全てが露呈する危険を冒すことになるわ。その前にあなたにはズボフスキー達と共に
シベリアに行ってもらわねばいけないけれど、タイミングが難しいわね。あまり早すぎてもユスーポフ候が気づ
けば、監獄の方に手が回ってしまうかもしれない・・・。」

ユリウスは振り向き、首を振った。
「アナスタシア・・・。僕はもう彼には会えない。・・・わかるでしょう?」
二人は女が知る悲しみの内に静かに見つめあった。アナスタシアは言った。
「ユリウス・・・あともう一つ確かめたい事があったの。あなたユスーポフ候がアレクセイの助命嘆願をした事
はご存知だった?アレクセイには本来死刑判決が下されていたのよ。」
「え・・・」ユリウスは驚愕した。
「やっぱりご存じなかったのね・・・。」「レオニードが、なぜ・・・。」
アナスタシアはそれには答えず、ユリウスをその黒目がちな瞳で見つめた。
「人間って不思議ね・・・。私、夫を愛してはいなかったの。そしてあの告白で、人としての尊敬と信頼も無く
してしまった。私達の結婚生活は欺瞞でしかないと思っていたわ。でも、彼が死んだ時には自分の一部も一緒に
失われたような気がしたの。彼は、彼との結婚は確かに私の人生のある部分を形作っていたのだわ。」

「アナスタシア・・・。」
「でも、私が常に最も大事にしてきたもの、私の真実はそれとはまるで異なるもので、何があっても変わらない
し失われない。それはあなたも同じ筈よ。ダイアモンドはインクに漬けても染まるものではないでしょう?」
「・・・。」
「だからユリウス、つまらない事は言わないで。あなたの真実は全く変わってなどいないのだから。あなたを受け
入れるかどうかはあなたでなくアレクセイが決めること、そしてその後の事は二人の問題になるでしょう。ユリウス、
あなたは生きる事を恐れているだけだわ。

それにこれが成功したら、アレクセイには伴侶が必要だわ。おそらく心身ともに疲弊しきっている筈だから、誰か
傍にいて支える人、彼が心から信用できる人間が必要なのよ。それができるのは、あなた以外に一体誰がいるの?」

「・・・アナスタシア・・・。」
ユリウスは確かめずにいられなかった。
「でも・・・あなたは・・・それでいいの?今回のことはあなたが事を進めているようなものなのでは?」
「いいのよ、ユリウス。あれは幼い初恋だったわ。革命を目指す者として、私は彼を自由にすることができたら
それで満足なの。それに革命家同志の夫婦なんてぞっとしないわ。」とアナスタシアは微笑んだ。
「どうも革命家といえど、革命家の多くは妻の理解は欲しそうだけど、対等な戦士は家にいらなさそうなのよ。
そこだけはブルジョア的価値観を否定しないようよ。女権論者のヴェーラが聞いたらきっとがっかりするわね。

72:名無しさん@ピンキー
09/08/09 07:38:57 h2vNUIt3
その年は雪が多かった。アレクセイ達の渡る危ない橋にとってそれは吉なのか凶なのか、アナスタシアにはわ
からなかった。彼女はアレクセイの脱獄が決行される時期にはフランスに渡っている筈だった。遠く離れた地で
同志の報告を待つしかない。もしもこの計画が成功しなかったら、自分はどんなにショックを受けるだろう。
一体その時は演奏家としての務めを恙が無く終えられるだろうか?いや、聴衆への責任は果たさねば、それが革
命家としての責務にもつながるのだと、アナスタシアが自らへはっぱをかけなおしていると、ミハイルが興奮し
た様子で入ってきた。
「アナスタシア、危ないところだった!俺はユリウスって娘のことを何と言ったっけ?ユスーポフ家に残せ?、
いや、悪かった、彼女は100万回解放される価値があるぜ!」「ミハイル?」「俺達が利用しようとしていたルー
トに大掛かりな手入れが入る計画があることが、例の報告書の解読でわかったんだ!本当に危ないところだった。
あれを知らなきゃ俺とズボフスキーはアレクセイを脱獄させるどころか、その遥か手前で網にかかるところだっ
た。命拾いとはこの事だな。アナスタシア、あんな事を言って悪かった、俺は命に代えても彼女をアレクセイに
会わせるぞ。」ミハイルはアナスタシアの白い手を力をこめて握っり誓った。

(4)
まず、予定通りリュドミールが帰還してきた。ユリウスと彼が会うのはまさに1年ぶり以上だった。昨年のク
リスマス休暇は寄宿舎に留まり、イースター休暇は級友のクリミアの家に招待され、夏の休暇は優秀な成績の副
賞としてフランスの陸軍学校へ派遣され・・・と彼はまるまる1年以上、ペテルスブルグから遠ざかっていた。
リュドミールの方からは忙しいだろうにひんぱんに手紙が届いていたが、ユリウスは本当のことが書けない辛さ
で、次第に返事は途絶えがちになっていた。そして今、彼らは久し振りに向かい合っていた。リュドミールは照
れくささから、ユリウスは何とも言えない後ろめたさから、その再会は予想されたよりもぎごちないものになっ
ていた。
何より、ユリウスはリュドミールの成長振りに驚かされた。単に背が伸びただけではなく、彼はもう彼女の知
っていた甘えん坊の子供ではなく、少年期から青年期にかけての年齢独特の輝きをまとい始めていた。リュドミ
ールもユリウスが記憶よりも陰影にとんだ美しさの女性だった事に驚き、(僕が子供だったからわからなかったの
かな?)と内心思った。
「やあ。」と制帽をとり、リュドミールは微笑んだ。そしてユリウスを軽く抱擁した。ユリウスは彼がもう自分
とさほど変わらないほど背が伸びていることに驚きながら、抱擁を返した。だが身を放した後、リュドミールは
腕を一杯に伸ばして彼女の両肩をつかんでにっこりし、その笑顔は「甘えん坊」のままだった。しばらく会えな
いでいたが、ユリウスはやはり彼にとって大事な友達、いや、家族の一人だった。彼女の待ってないペテルスブ
ルグの我が家など、彼には想像がつかなかった。変わらない笑顔につられるように、ユリウスもふと気がゆるんだ。
「リュドミール・・・すっかり見違えちゃった。でも笑うと変わらないね。」
「びっくりした?今じゃ僕は同期生の中ではけっこう背が高いほうなんだ。入学した時は逆だったのにね。ユリ
ウスは少し痩せた?」「う・・・ん、どうかな?それより本当に元気だった?演習の時の怪我って本当に良くなっ
たの?」「ああ、あんなの、すっかり忘れてたよ。それより、二人におみやげがあるんだ。」ユリウスとヴェーラ
の手を引いて、荷物を置かせた間に行くとリュドミールは鞄から何やら突拍子も無いものを次々取り出して、二
人を散々笑わせた。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch