09/04/06 00:11:00 DrYPhYTo
「体温」
暗く長い廊下を、必死に駆け抜けていく女性がいた。
時折、元来た廊下を振り返り、得体の知れない何かが追ってきていないかを確認しながら。
長い廊下を抜け、螺旋階段を駆け下り、扉を押し開けながら、逃げるように走り続ける。
やがて、体力の限界が来たのか、女性は立ち止まってしまった。
胸を押さえ、荒くなった呼吸を整えながら、今いる場所を確認する。
壁には数多くの絵画が飾られ、天井には豪華な装飾とシャンデリアのある大広間だ。
ふと女性は後ろを振り返るが、その視線の先には誰もいなかった。
逃げ切れた、助かった・・・。
そう思ったのか、女性は大きく息を吐き出す。
大きな落雷が落ち、薄暗い大広間が一瞬明るくなる。
その時、女性は見てしまった。
窓から入ってきた落雷の光の中に、人の影があったのを。
見上げると、天井付近の大窓が開いており、その窓枠に人が立っていた。
漆黒の衣服とマントを身にまとった長身の男。
綺麗に整った顔に、死者のように白い肌。
男は女性を見下ろし、冷たく、そして美しく微笑む。
すると微笑んだ口から、長く鋭利な犬歯が姿を現した。
女性は悲鳴を上げる間もなかった。
なぜなら男は、微笑みを見せたその直後、女性との距離を一瞬のうちに埋めて、その無防備な喉元に噛みついていたのだから。
噛みつかれた女性は抵抗することもできず、体を痙攣させ、声なき声を口から漏らすしかなかった。
そんな女性の体を強く抱き寄せ、男はより深く牙を突き刺していく。
首から流れ落ちる鮮血。
やがて女性の体痙攣は静まり、息をすることもなくなった。
存分に血を飲んだ男は、もう脈のない女性の喉元から口を離す。
口元と牙に残る血を舌で舐めとり、男は先ほどとは違う、満足げな笑みを浮かべたのだった。
「あーあ、最後の一人もやられちゃったよ」
頬杖をつきながら、夏奈は呑気な言葉を口にする。
毎週金曜に放送されている洋画劇場を、夏奈は春香と二人で観ていた。
吸血鬼の存在を信じない若者たちが、曰く付きの洋館に行き、そこで出くわした吸血鬼に次々と狩られていくという内容の、二時間弱ほどの長さの映画だ。
「んん~っ、もうこんな時間かー」
本来なら九時の放送であったが、その前の野球中継が延長となり、見終わった頃には時計の針は十二時前を指していた。
「こういう映画って、幽霊とか信じない奴は必ずやられちゃうよな」
「・・・・・・」
「ハルカ?」
返事がない。
春香は眉間にシワを寄せ、スタッフロールの流れるテレビ画面をずっと凝視していた。