09/04/02 10:03:37 Oet9ybQh
「あの、それじゃあ、やっぱりそれを何冊かもうちょっと貸して。
少し読み返したいのがあったから」
柿子は無言で紙袋の中から適当に三冊ばかりをとりだし、夕華に渡した。
「柿子ありがとう。また返しに行くね」
夕華は受け取り、そそくさと小脇にかかえる。
やはり内実は冷静を欠いているようで、読み返したい本があったなどといいながら、手渡された本の題名すら確かめていない。
柿子はため息をついた。あの莫迦弟、と内心で罵る。
京介の一言で、夕華は予想以上に追い込まれていたようだった。ぎりぎりでとりつくろってはいても、水面下では明らかに取り乱している。
(意外だったわ。
夕華のほうががこれほど京介にこだわってたなんて。失いかけたと思ったとたんすっかり恐慌をきたしてるじゃない)
本を借りて、返すことを口実にこの家に来る。つぎもそうやって来れるよう口実を確保する。打算丸出しだが、あまりに稚拙で必死なため、計算高い印象はかけらもない。
矜持もなにも考えず、そこまでなりふりかまわなくなっている友人が気の毒で、からかう気にもなれない。
勇気をふりしぼってか、夕華はようやくのことで本題らしきものを口にした。
「あの、京介君は何をしているかな」
なるべく平然とした声で訊いたつもりらしい夕華に、柿子は淡々と答えた。
「なにって、帰ってからずっとなにか考えてるっぽいわ。禅僧じゃあるまいし縁側に座りっぱなしで、鬱陶しいったらありゃしない。
会いたいの?」
「も、もうちょっと話がしたいの」
「やめときなさい。まだ京介のほうは混乱してるし、いま会ったってろくな話できないわよ。
だいたいあんたもぜんぜん冷静に戻ってないでしょう?」
柿子は、突き放す言葉をさらりと吐いた。
「そんな―」
夕華は思わずといった感じで悲痛な声を出しかけ、黙った。
暗く面をうつむかせた夕華は、うなだれていても柿子より背が高い。にもかかわらず柿子の目にはその優美な長身は、いま、幼い少女の孤影にしか見えなかった。
つねは悠然として、弱い部分をなるべく見せようとしてこなかったこの幼なじみが、京介のことでここまで余裕がなくなっている。
それでも、柿子はあえて冷たい態度をとった。
夕華はおそらく動揺が極まって、何か行動せずにはいられなくなり、とりあえず渋沢邸に来たというところだろう。
明確な覚悟ができていないのは、直接京介に接触できなかったことを見ても明らかだった。
このまま会わせても、進歩のなかった以前の六年間と同じになりそうだった。
京介が決意するか、……夕華が単純なひとつのことをはっきりさせられないかぎり。