【友達≦】幼馴染み萌えスレ17章【<恋人】at EROPARO
【友達≦】幼馴染み萌えスレ17章【<恋人】 - 暇つぶし2ch333:名無しさん@ピンキー
09/03/21 23:41:52 iQ/sK6Uh
昔書いた幼馴染みモノっぽいプロットを発見したので。軽く前振り投下

小学生の頃一緒に道場に通っていた年下の女の子。
真剣な表情で武術の鍛錬をする少女。
同世代の練習生を容赦なく叩きのめす姿は優雅だった。
彼女は強かった。なんの迷いもなく、一切の躊躇を捨てた攻撃。
僕はそれを美しいと感じた。
他の子では相手にならないということで道場主の甥とである俺が組み手の相手をさせられた。
勝てなかった。僕のちっぽけな自尊心は簡単に踏み潰された。
倒れる間際に垣間見たガラスの様な瞳。その瞳は何も見ていないようだった。
数週が過ぎ僕は何とか彼女と対等に戦える程度には成長した。
僕の拳が初めて彼女を捕らえた。
その瞬間、彼女はかすかに   笑った。
…用に僕には見えた。僕は恋に落ちた。
それから稽古が終わった後に彼女と遊んだり話したりするようになった。
遠距離にすむ彼女とは毎日は会えない。
だから会える日は精一杯楽しんだ。
外での彼女は明るかった。年相応に明るく、ちょっとがさつで口が悪い。
割と世間知らずで駄菓子屋で大はしゃぎする、そんな普通の女の子。
このときの僕は彼女にその「一面」しか見せてもらえなかったんだなと、気づけなかった。

334:325
09/03/22 00:28:36 1ezu8eRA
武道少女はよいものです。
昔は少女のほうが強かったのに成長期に入って少年に追い抜かれて焦ったり、
悔しさに涙したり、凛々しい彼女の脆い一面を見て少年は動揺したりと……。
とにかく良いものです……。激しく期待しております。


とりあえず、続きです。凪子視点の話になります。
少しですが投下させていただきます。

335:325
09/03/22 00:29:30 1ezu8eRA
またちゃんとできなかった。
学校帰り、舞子と歩いていたらユウさんにばったり会った。
手にエコバッグを下げていたから、近くのスーパーでお買い物をした帰りなのだろう。
先月からずっと気まずかったから、ちゃんと挨拶したかったのに。
声が引っくり返ったりしないかとか、上手く笑顔になる事が出来なくて焦ったりとか、
日暮れ前の時間の挨拶はこんにちはで良いのか、こんばんはにするべきだろうかとか、
なにか気の聞いた世間話の話題は何かないのかとか、そもそも先月の事を問いただされたらどうしようとか。
そんな事が頭の中をぐるぐる駆け回ってるうちに、酷く愛想の無い声と表情しか出てこなくなってしまう。
私はいつもこんなのばっかりだ。
自分でも本当に嫌になってしまう。
いくらユウさんが苦手だからって、こんな風にならなくてもいいのに。

私はユウさんが苦手だ。
世話焼きな所も、家事が万能な所も、私を舞ちゃんと同じように扱う所も全部苦手だ。
―先月バレンタインにチョコを持っていったときも、私が作ったものより遥かに美味しい
チョコクッキーを逆にご馳走になってしまった。
本人はクラスメートに馬鹿な事をいうヤツがいて困るんだって言ってたけど、頼られる事そのものは嬉しそうだった。
そういう所も、私は苦手だ。
私が作ったチョコなんて、ユウさんのクッキーに比べたら酷いものだったし、渡さずに捨てようと思ったのに。
……送ってもらう事になった帰り道で、つい渡してしまった。
あんまり自分がみっともなくて恥ずかしくて、つい「食べずに捨ててください!」なんて言ってしまったし。
……そんなゴミを渡すみたいな言われ方したら、怒って当然だと思うのに。実際、私のチョコなんてゴミみたいなものだったし。
びっくりしてたみたいだけど、それでも『ありがとう』なんて言ってそんな物を受け取ってしまう、そんなお人よしな所も私は苦手だ。
…………本当に、苦手なんだ。


336:325
09/03/22 00:30:27 1ezu8eRA
「―じゃーねー、なぎこー。また明日ー」
うん。と肯いて舞子と別れて部屋に戻る。
駅前から少し歩いた所にある、よくある一人暮らし向けの賃貸マンション。
そこが、半年ほど前からの私の帰る場所だ。
制服のセーラー服を脱いで部屋着に着替える。
まずはお風呂を洗って、夕飯の支度をしなくてはいけない。
父が仕事の為、義母を伴って海外に行く事になった為、はじめた一人暮らしだったが未だに慣れない。
「……いたた」
冷蔵庫を開けたところでくらりと軽い目眩を覚える。
そういえば、夕方から少し頭痛がしていた。
今日の小テストの勉強のため、昨日少し夜更かししたのがいけなかったのだろうか。
私は元々頭痛もちなのだが、今日はいつもよりも酷い気がする。
「……きもちわるい……」
食欲などどこかに行ってしまった。いつも飲んでいる痛み止めと胃薬だけを飲んでソファーに横になる。
少し寒いが、まだ入浴していない身体でベッドに潜り込む気分にはなれなかった。
頭痛は嫌いだ。
痛みそのものもだが、こんなふうに痛み止めを飲んで横になると昔の嫌な夢をいつも見る。


ママが家を出て行ったときのこと。
親戚や周りの大人のヒソヒソ話。
冷たい眼。
『あの女にそっくりだ』
『この子もロクなもんにならん』
『見てみろこの生意気そうな顔』
『綺麗な顔だが人形みたいに陰気だな』

ぜったいにみんな見返してやる。見ていろ絶対にゆるさない。絶対にだ。


337:325
09/03/22 00:31:23 1ezu8eRA

「―――ッ!」
自分の悲鳴で目が覚めた。
寒い。
酷い寒気がする。震えが止まらない。
……風邪、だろうか。
体温計は……、ああ、そんなもの無かった。
時計を見ると朝の7時だった。あのままソファーで眠り込んでしまったらしい。
寒気に震えながら寝室のベッドに潜り込む。
携帯電話でどうにか学校に休む事だけを連絡する。
……寒い。寒い。
なにか胃に物をいれて薬を飲んで眠る。
風邪を引いた時にはそれが一番だとわかっているけれど、とてもじゃないけど出来そうに無い。
凄く眠いけど眠りたくない、またあんな夢をみるのは嫌、嫌だ……。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

夢を見る。
―ああ、ママがいなくなってすぐの頃だ。
一人で泣いている小さな私が見える。
頬を赤くして、声も出せずにしゃくりあげている小さな私。
―イライラする。泣いたってどうにもならないのに。
自分でどうにかするしかないのよ、そうするしかないの。
そう怒鳴ってやりたくなる。昔の私に聞こえるはずなんて無いのに。
泣き続ける小さな私の隣に座っているうちに、私まで子供のように泣きたくなってくる。
―もう泣かないって決めたのに、誰にも頼らない私でいたいのに。
気がつけば、夢の中の小さな私と同じようにうずくまって泣いていた。
ふ。と影が差す。
「……えっと、凪子ちゃん? どうしたんだこんなとこで」
隣にいた小さな私がくしゃくしゃの泣き顔になってしがみつきに行く。
―ちいさなわたしにとっての、誰より頼りになる割烹着姿のヒーローがそこにいた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


338:325
09/03/22 00:33:24 1ezu8eRA

……携帯電話の電子音で眼が覚める。
部屋の中はもうすでに薄暗い。いつのまにか、夢現のまま1日がすぎていたらしい。
まだ覚醒しきれない頭で誰からなのかも確認せずに電話を取った。
『―あ、凪子ちゃん? 伊庭です、舞子の兄の。祐助です。舞から凪子ちゃん風邪だから差し入れ持って行けって言われて。
 ごめん、自分でも非常識だと思うんだけど、いま凪子ちゃんの部屋の前にいるんだ』
夢の中の声よりも低いけど、変わらない優しい声。
ユウさんの言葉をきちんと頭の中で咀嚼する前に。勝手に身体が動いていた。
『―果物とかヨーグルトとかレトルトのおかゆとか色々持ってきたから。ドアノブにかけておくから後で―って」
玄関ドアを開けると、びっくりした顔のユウさんがそこにいた。
やっぱり私はユウさんの事が苦手だ。
頼りたくないのに、誰にも甘えない女でいたいのに。
どうしていつもこの人はこんなに私を甘やかすタイミングで登場するんだろう。
そのままの勢いでユウさんにしがみつく。
珍しく、ものすごく焦った顔をするのを見て、ざまあみろ。と思った。



339:325
09/03/22 00:38:01 1ezu8eRA
今回のお話は以上です。


ようやくでてきた幼馴染みについて。

津田 凪子(つだ・なぎこ)
色々ギリギリイライラタイトロープ少女。
好きな食べ物はハッピーターンの粉。

340:名無しさん@ピンキー
09/03/22 00:39:52 MkOeu9Dt
リアルタイムGJ
凪子ちゃん可愛いよ
次回作wktkして待ってます

341:名無しさん@ピンキー
09/03/22 00:57:18 WFACFFzt
ktkr
超GJGJGJ
次回が楽しみで仕方ない

342:名無しさん@ピンキー
09/03/22 01:29:29 H8jOVv+A
素敵でござる

343:名無しさん@ピンキー
09/03/22 01:43:19 9AWox83x
>>372
好きな食べ物が、あの娘と同じだ
ひさびさに電話してみるかな

344:名無しさん@ピンキー
09/03/22 15:45:11 M21EpB9w
ええええ
ここまでなの?!

345:名無しさん@ピンキー
09/03/22 23:06:45 X5fUkDiz
>>325さん
GJです
>>366さん
期待してます

346:名無しさん@ピンキー
09/03/23 01:13:21 fuMzeqAF
夕華さんはまだかなー。

347:名無しさん@ピンキー
09/03/23 18:55:05 8xhBz4r/
>>379
ボルボックス氏は時間を掛けてフルコースをダーンと出すタイプだから次回は次スレとかザラ。
ゆっくりと待つのが吉。

348:名無しさん@ピンキー
09/03/24 00:20:53 6/zzLfa1
朝、登校中に走ってる幼馴染みとぶつかると言う黄金パターンに遭遇した事があるのが俺の自慢。


ただ俺は歩きで幼馴染みは自転車通学だったがな

349:名無しさん@ピンキー
09/03/24 03:07:20 oAUkeQff
春休みにはリアルを語るガキが増える…

ま、荒れるのもあれだしスルーで。

350:名無しさん@ピンキー
09/03/24 03:27:44 XvUIAmXQ
登校中にぶつかるのは転校生だろ。

351:名無しさん@ピンキー
09/03/24 10:20:53 UT7qLX3+
>>383
だな
で、教室で紹介されて「「さっきの!!」」てな感じで


352:名無しさん@ピンキー
09/03/24 10:28:14 aM0HuXxU
男「ぶつかり様に秘孔を突いた。お前の命も後三秒……」
転「ほぅ、ならば数えてやろう。ひとーつ、ふたーて、みぃーっつ!!」


353:名無しさん@ピンキー
09/03/24 10:56:13 dakmbzQS
補修

354:名無しさん@ピンキー
09/03/24 21:02:43 ITSLyKEt
>>385
媚びてくれないのかぁw


355:名無しさん@ピンキー
09/03/24 21:10:22 P318V3N8
幼馴染みとぶつかると言えば、入れ替わりフラグだろjk

356:名無しさん@ピンキー
09/03/24 21:33:15 aM0HuXxU
 幼馴染みと中身が入れ代わったけど、何故か感覚は共有。
 主人公が興奮しながらオナニーしてたら、幼馴染みが顔を真っ赤にして部屋に飛び込んで来る。

 そんで最後には、
幼「あの……私に男のオナニー教えて欲しいんだけど」
男「手で擦るんだよ」

幼「こう? 全然きもちよくならないよ?」
男「そうじゃなくて。貸してよ、一度やったげるから」

幼「ふああぁぁぁぁっ!!?」
男「ちょっと、ボクの身体で変な声を出さないでよー」
 と言いつつも、感覚を共有してるので男も気持ち良くなってくる。
 みたいなのも読んでみたいな。

357:名無しさん@ピンキー
09/03/24 22:01:28 jcWKz1M2
>>385
そんなノリのいい奴がいたら、即座に親友だぜw

で、だんだんすきになるんだけど親友のいちが居心地よすぎて勇気が出なくて、
でもやっぱり気持ちは抑え切れなくて・・・

358:名無しさん@ピンキー
09/03/24 22:18:28 aM0HuXxU
転「こんなに苦しいのならば、愛などいらぬっ!!」

359:名無しさん@ピンキー
09/03/24 22:58:30 b1QpxiLN
>390-391

流れが滑らかすぎて吹いたぞw


360:『お涙ちょーうだい』
09/03/26 17:03:09 TkMSPJWa
1
 あるところに幼馴染みの若い男女がおりました。
 男は何をやらせても完璧で、容姿も誰もが羨む格好です。
 女は何をやらせても不器用で、容姿だって人並みです。
 二人は気持ちこそ伝えていませんが、互いに愛し合っていました。

 そんなある日の夜。女は窓を開けて月を見上げ、「私がもっと可愛かったら、男と釣り合うのに……」と呟きました。
 するとどうでしょう。女が翌日に目を覚まして鏡を見ると、猫っ毛だった髪はサラサラのストレートに、一重だった瞳はパッチリ二重に変わっていました。その顔は間違いなく美しいのです。
 女は嬉しくなり、男に変わった顔を店に行きました。
 男は女の喜ぶ姿を見て、「良かったね」と笑いました。
 ですがその時、男の髪から艶は失われ、メラニン色素が抜けて色褪せていたのです。

 それから数日後、女は月を見上げて、「私の胸が大きかったら、男君にもっと見て貰えるのに……」と呟きました。
 するとまたしても、翌日に女の身体が変化していました。
 申しわけ程度だったAカップはEカップの巨乳に、くびれの少ないウエストは余分を無くして引き締まっていたのです。
 女はすぐに男へ見せに行きました。男は「良かったね」と微笑みました。
 ですがこの時、男の視力は極端に低下し、眼鏡やコンタクトを付けねば物を見る事ができない程になっていました。
 ですから女のセクシーな身体も、男には見えていなかったのです。

 更にそれから数日すると、女は街でスカウトされて、人気アイドルになりました。
 写真集は売れ、テレビ番組にも引っ張りだこです。あまりの急がしさに、男への想いも僅かに薄れて行きました。
 ついにはCDデビューする事も決まったのですが、ここで致命的な事が起こります。
 女は歌が下手でした。プロデューサーから何度も駄目だしを喰らい、次にスタジオインする時まで音痴のままなら、CDデビューは白紙に戻すと言われました。
 女はショックを受け、久し振りに男と会いたくなって、男へ会いに行きました。
 ですが男は会う事を拒み、電話越しに「大丈夫だよ」と励ましました。
 すると翌日には、女の歌は見違える様に上達し、CDもミリオンヒットを記録するのでした。
 女が男へと電話で感謝を伝えると、「良かったね」と明るい声が返って来ました。
 ですが低く凛々しかった声は枯れ、ガラガラの醜い音でした。


361:小ネタ『お涙ちょーだい』 ◆uC4PiS7dQ6
09/03/26 17:04:17 TkMSPJWa
2
 この時期になると、流石に女も気付きます。男は、女の願いを叶える力を持っていると。
 女はそれに気付くと、つまづく度に男へと連絡し、その度に乗り越えて行きました。

 しかし数年もすると、男に会いたいと言う思いが日に日に強くなり、ついに我慢できなくなって引退してしまいました。
 そして女は男に会おうとしたのですが、男は「こんな姿では会えない」と断ります。
 それでも女は会いたいと言います。女にはもう男しか居ないからです。抑え切れなくなり、「ずっと前から好き」と告白してしまいました。
 
 男は「何もできなくなった」と言います。
 女は「それでも好きだ」と言います。
 
 男は「格好悪くなった」と言います。
 女は「それでも好きだ」と言います。

 結局男が折れて、会う事を承諾します。
 数日後、女は男にきちんと告白しようと決めて、男の家に行きました。
 男の家の玄関に鍵は掛かっていません。女は不思議に思いながらも、男の部屋へ微かな記憶を辿って向かいます。
 そしてドアを開け、男の姿を見ると、女は驚いてしまいます。
 男は最後に会った日から、別人のように変わっていたからです。

 ベッドの上に仰向けで横たわり、髪の色素は完璧に抜けて白く透明に、
 右目の視力は失われて閉じられ、残った左目も僅かに細く開かれているだけです。
 呼吸も遅く小さく、身体は痩せこけて骨張っています。

 男は、自分を犠牲にする事で願いを叶える事ができるのでした。
 女は全てを悟り、泣きながら男に抱き着きます。何度も謝り、何度も「好きだ」と伝えました。

 しかし、男は限界でした。女の「会いたい」と言う願いを叶える為に、入院していた病院から退院して来たのです。
 医師も手の施しようが無かったので、死期を早める事になると分かっていても、男の意志を尊重して退院を許可しました。

 女は「男と一緒になりたい」と言います。
 男は「明日には死ぬから無理だ」と言います。

 女は「私も一緒に死ぬ」と言います。
 男は「生きて幸せになれ」と言います。

 男は女の幸せの為に身を削って来たので、女には人生を全うして欲しかったのです。
 こんな男一人の為に、残りの長い人生を捨てて欲しく無かったのです。

 ですが、女は「それなら……」と、「男との子供が欲しい」と言いました。
 男は勿論ことわりましたが、女に「お願い」と言われて、叶える事にしました。
 この願いを叶えた瞬間、自分は死んでしまうと感じ取れます。


362:小ネタ『お涙ちょーだい』 ◆uC4PiS7dQ6
09/03/26 17:05:29 TkMSPJWa
3
 女の顔は美しく、女の身体は官能的でした。
 処女でしたが、必死に男の上へ跨がり、挿入して、腰を振りました。
 そして男の精が中へと注がれた瞬間、女は気絶して男の上に倒れてしまいました。

 翌日、女が目を覚ますと、男の姿は有りませんでした。
 それどころか、男の私物さえ有りません。部屋にはベッドだけでした。

 不安になり女は、学生の頃の知り合いに男の事を聞いて回ります。
 ですがみんな、「そんな男は知らない」と言います。
 女は気付きました。この世界から、男の存在そのものが消えていたのです。
 男が存在するのは、女の思い出と、日々重さを増してゆくお腹の中。

 女は静かな田舎に庭付きの一軒家を買い、そこで、産んだ三つ子を一人で育てる事に決めました。
 沢山の男からプロポーズされても全て断り、大変でも子供達の世話を一人で行います。
 そして子供達に、男の事を自慢気に語って聞かせるのでした。
 やがて子供も大きくなって子供を産み、家から出て行きます。
 たまにやって来る孫達へ会うのを楽しみに、男の自慢話しするのを楽しみに、静かに一人で暮らします。

 そして数十年後。女にも寿命が来ました。
 暖かな春の夜、庭には桜の木が綺麗に咲いています。
 女は座敷で布団に横たわり、三人の子供と、十人の孫と、二十人の曾孫に囲まれて、天命を終わらせようとしていたのでした。
 家族みんなに好かれ、みんな涙を流して泣いています。明日までもたないとみんな分かっているのです。

 女も自らの最後を感じ、最後に全員の顔を見ようと視線を周りに向けました。
 そして、開かれた障子の奥、桜の木の前を見た時、ビクリと身体は固まってしまいます。
 心臓は高鳴って熱を持ち、無意識に声を絞り出させるのです。
 庭に居たのは男でした。若い昔の姿で、微笑みながら女へと近付きます。

 女の家族達は突然現れた男に驚いて動けません。
 ただ一人、小さな男の子だけは男の前に立ちはだかり、「連れて行くな」と睨みます。
 しかし、その男の子の頭に手が置かれ、「ゴメンね」と声が掛けられました。
 男以外、みんな驚いています。
 なぜなら、歳老い死ぬのを待つばかりだった女が、立ち上がって手を置いたからです。
 女はそのまま男へと歩んで行きます。家族達は「行かないで」と叫ぶのですが、女は「ゴメンね」と言いながら歩みを止めません。
 一歩進む度に若返り、男と触れる距離まで近付いた頃には、最初の願いを叶えて貰う前、学生の時まで身体が戻っていました。

 男は「今なら、幸せに死ねるよ?」と女に言います。
 女は「一緒になりたいって願いを叶えてくれるんでしょ?」と言います。
 そして女は家族の方を向くと、「この人が私の好きな男の人なの」と頭を下げました。
 死ぬ直前まで他に男を作らなかった、操を貫き通した、それまでに愛した男。女は家族より男を選んだのです。

 家族はみんな止めましたが、なぜか追い付く事ができず、男と女は桜が舞い散る夜の闇に消えて行きました。
 そして次の日には、男と同様に、女の存在もこの世から消えていたのでした。

 男の事も、女の事も、この世で覚えている人は誰もいません。
 唯一お互いだけが、お互いを知るのです。




 おわり


363:名無しさん@ピンキー
09/03/26 17:07:25 TkMSPJWa
2時間ドラマにありそうな、
狙った、お涙頂戴ドラマの脚本みたいな感じで書いてみました。

364:名無しさん@ピンキー
09/03/27 00:55:32 TZIa/xB/
イイハナシダナー

365:名無しさん@ピンキー
09/03/27 20:36:14 5/UAqMkr
ぬーべーでこういう話あったよね

366:名無しさん@ピンキー
09/03/28 00:14:00 2T0v1xp6
>>398
途中までは俺もそう思った

367:名無しさん@ピンキー
09/03/28 00:37:57 6PhWC6Fm
年下の幼馴染みって良いよね。

368:恋愛相談
09/03/28 22:07:33 skLK7a+y
超鈍い男を好きになった控えめ幼馴染みの話、エロに発展できるかはまだわからないけど投下するよー






近所、というか裏隣に住む結希(ゆうき)が家にきた。なんでも相談したいことがあるらしい。
いったい何の相談なんだろうか?
「お邪魔します……へー、部屋片付けたんだね」
結希は部屋に入るなり失礼なことを言ってきた
「前は課題が机に乗ってたから片付いてないように見えたんだろうが。あの量は異常だっつーの」
長期休暇に出されたプリント合計4kgだ。不評だったのは言うまでもない
「あははは……ごー君真面目にやればすぐ終わらせれるのにね」
まぁ真面目に勉強すればそれなりの成績を取れるが、面倒じゃん?
「買い被りすぎだ。……で、今日は何の相談だ?前みたいにゴキブリ対策ってどうしたらいい?とか微妙な内容だったら怒るぞ?」
そーゆー相談が昨年夏にあったのだ。
「えっとね……その……す、好きな人ができたの!」
「ほー、それはよk…………」
突然の宣告で俺はどんな顔をすればいいのか分からなくなってしまった。
だって、色恋とは無縁といわれる俺が好きな相手は目の前に居る結希なのだから
「ち、ちょっと待て?ひひひっひふーと深呼吸して落ち着こうか!?」
「それじゃあ息苦しくなってかえって落ち着けないよ。ていうか真面目な相談だよ?」
結希は若干しょぼくれてしまった。俺はなんとか気を取り直して色々聞くことにした
「で、誰を好きになったんだ?」
「んー……内緒。でもごー君に似てるかも?」
なんて微妙な奴をっ……でも我慢我慢。
「なんで好きになったんだ?」
「えっとねー……結構昔からの知り合いなんだけど、いつのまにか好きになってたんだー」
あれ、結希の知り合いでそんな野郎居たっけ?まぁいいか。
「で、なんで俺なんかに相談することにしたんだ?」
「だってほら、私気が弱いじゃない。」
あぁ、つまりその野郎に似てる俺は練習台なわけか……くそっ
「大丈夫?なんだか顔色よくないけど……」
「いきなりの事で顔面筋が硬直しただけだ」
……平常心平常心、落ち着くんだ轟(ごう)、多分これはまだジャブだ
「で、何が聞きたいんだ?」
「んとね……今から質問するからなるべく全部答えてね?じゃあ001問」
「待て、1はまだしもなんで0が二つ前置きなんだ?」
「傾向練るために200問程質問表作っちゃったから?」
結希が好きになった男、貴様は一回殺す。重いじゃないか!
「じゃあ、始めるねぇ……」
俺が質問攻めの業苦から解放されたのは、それから二時間後のことだった

369:恋愛相談2
09/03/28 22:21:48 skLK7a+y
私は部屋に戻るとベッドに倒れこんだ
「ごー君、いくらなんでも鈍すぎだよー。そりゃ私がいつまでも言わないのがわるいんだけどさぁ……」
裏隣に住む轟君とは家族がここに引っ越してきてからかれこれ10年以上の付き合いだ。
轟君は誰とでも仲良くなれる人だったから私ともすぐに仲良くなった。
彼を友人として、ではなく好きな人として見るようになってから5年は経つ。
その間私は遠回しではあるが好意を告げてきていたのだが、
周囲が全員それに気付いているのに轟君は今だに気付かない。恐ろしい程に鈍い。
まぁ、それにはいくつか理由があるから仕方ないんだけど。
まず色恋話に興味を持たない、次に顔があまりいいとは言えない。最後にいい人過ぎる。
鈍くて当然な条件下で育ってきたからまぁ仕方ないけど、まさかここまでてこずるとは……

「まぁ、今度こそ……」
今日は私が誰かを好きになった。そう宣言できた。後は猛アタックするだけだ。
まぁ勇気が無いからそんなにあからさまな真似はできないわけだが……

とりあえず練習と称して明日から轟君にお弁当を作ることにしよう……
私はそう決意し、先程書き記した質問表からお弁当の献立を組み立てることにしたのだった…………





今回はここまでー
エロくなくてゴメン(´・ω・`)

370:名無しさん@ピンキー
09/03/28 22:35:10 JwLqv968
続きまってゆ!!


371:名無しさん@ピンキー
09/03/29 00:53:54 Un+KoJKf
すれ違わないように祈って
続き待ってまゆ!!

372:名無しさん@ピンキー
09/03/30 22:57:09 veFhyzqZ
支援ンンン

373:名無しさん@ピンキー
09/04/01 08:02:27 URhJNOGz
幼馴染みというのは何歳差くらいまでが許容範囲なのだろうか……?

374:名無しさん@ピンキー
09/04/01 08:46:08 zaPwZqTs
>>406
人の数だけ答えがあります。


俺的には5、6才までかなぁ

375:名無しさん@ピンキー
09/04/01 09:47:29 pJigPGnZ
オレ的には2才差くらいだな。
それ以上はとなりのお姉ちゃんって感じだ。

376:名無しさん@ピンキー
09/04/01 11:25:15 pbumJ25m
だが幼馴染の隣のお姉ちゃんというのもいいものではないか?

377:名無しさん@ピンキー
09/04/02 09:08:01 4eQnv/Q3
隣の妹ちゃんも悪くはにぃ

378:ボルボX ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 09:46:43 Oet9ybQh
規制が解けないため携帯から投下させていただきます

379:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 09:50:07 Oet9ybQh
 「火焔は」男は夕華に言った。「焼き尽くす」

 月のない黒い夜、風なまあたたかい戌の刻。

 七年前、夕華がまだ十一歳の夏だった。

「百五十年前の猛火は、坂松の城と城下町を灰燼に帰したのだ。
 配下の軍勢に火をつけさせたのは、おまえの先祖である京口為友卿だ」

 場所は京口邸の広い庭の一角。
 古雅なつくりだが手入れがいきとどかず荒れた、回遊式の庭園である。
 荒れてはいても、満月のときであればそれなりの眺めになる。白く照らされた松柏は蒼古としてそびえ、崩れかけた築山さえおもむき幽玄となって、寂たる晩景にとけこむのだ。

 けれど今宵は新月であった。
 無明の闇のなか、ただ虫の音のみが鈴(リン)、鈴、鈴とすずしかった。

 茶室横の露地の待合いには、ほおずき提灯が軒先に吊るされて灯っていた。
 その下にある松材の腰掛けにすわって、瀟洒な着流し姿のその男はひとりごとのように語っていた。
 内容は、京口家と渋沢家の歴史ということだった。

「だが人が住みつづけようと思う地であるかぎり、町の再建はすぐにはじまる。
 大火のあと為友卿が坂松市のためおこなったのは、鴨居川の西岸の開発と、東岸の復興……
 夕華、つぎは水月に打て」

「はい、父様」


 夕華は従順、というより慎重に返答した。Tシャツにショートパンツ、スニーカーという男の子のような活発な服装だったが、このときの夕華につねの明るさはない。
 いつもと雰囲気の違う父の目を意識しながら、夕華は二間半(約4.5m)先の的にむけて一歩ふみこんだ。
 手のひらにしのばせた鉄貫を、灯に照らされた人間大のわら人形めがけて打ちはなつ。

 鉄貫とは、棒手裏剣の一種である。
 修練のため、的用のわら人形が露地に立っており、夕華は小学校にあがる前からそれに向けて打っている。
 森崎流手裏剣術は、京口子爵家のお家芸であり、夕華の腕前は祖父仕込みだった。

 金属の鈍い光が少女のてのひらから手走り、提灯の火明かりを突っ切って飛露のようにきらめく。
 流星となって飛んだ鉄貫は狙いたがわず、わら人形の水月にあたる部分に突きたった。

 ひとつ男はうなずき、「血だな。おまえは先祖のように打剣を能くする」と褒めた。

 夜気は、川の水うわぬるむほどだった昼の酷暑をひきずっている。晩とはいえ夕華の頬には汗がつたわっていた。
 にもかかわらず、声をかけられて少女は寒気を覚えた。

 やはり今夜の父はおかしかった。「困った娘だ、女の子だというのにそんなものを好んで」―父はふだんから嘆かわしげにそう言っていたはずだ。
 夕華は、手裏剣の稽古自体は好きである。
 友人たちとじゃれあっているときのほかは、何よりもこの時間が楽しいくらいだ。習わされている生け花より舞踊より、琴棋書画のいずれよりも。

 だが今、父親にはむしろ「打剣しろ(手裏剣を投げろ)」と言われているのに、夕華ははっきりと怯えていた。
 話の内容ではない。小学生には少々むずかしいところがあるが、べつだん怖いものではなかった。

380:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 09:52:18 Oet9ybQh

 怖ろしくてたまらないのは父そのものだ。あるいは父によく似た、あの何かだ。
 いつもの父には、こんな異様な圧迫感のかけらもなかった。本が山と詰まれた書斎にこもり、珈琲を夕華がはこんでいくとにっこりして礼を言ってくれる人なのだ。

 わら人形から鉄貫を抜き、汗のにじんだ手のひらににぎりしめながら、少女は祈った。

(はやく来て。柿子、きょうくん。早く来て。
 「このひと」は怖い。私の知ってる父様とはちがう)

 今夜、夕華は、地域の地蔵盆に出席することになっていた。夕華の祖父は、同年代である渋沢家の当主とともに一足先に出向いている。
 まもなく渋沢家の姉弟が、ここに夕華を迎えにくるはずだった。ひとり娘の夕華にとっては、きょうだい同然とよべるほど結びつきの深い子供たちである。
 かれらが迎えにくるまでの空いた時間を、鉄貫を打つことでつぶしていたのだった。

 そこへ、めったに書斎から出ない父が現れて、ぽつぽつと話をしはじめた―最初は、今夜の父様はなんだか鬱々としている、くらいにしか思わなかった。

 話がつづくうち徐々に、肌寒い感覚がつのっていった。黒水よどむ底なし沼をのぞきこんでいるような感覚。
 平坦な父の声音から、黒冥々とした陰の感情が伝わってくるのだ。
 それは夕華に対するものではないけれども、鋭敏な少女の神経は圧迫を受けずにはすまなかった。

 いつか逢魔ヶ刻に、おとろしなる怪が出るという山中の社を見に行ったことがある。いまの空気は、そのとき感じた怯えと後悔に似ていた。
 いや、あのときはまだしもだった。自分とおなじく震えながらではあるが、渋沢家の姉弟ふたりが終始、夕華のそばにいてくれたのだから。
 いまは、父と自分のほかには誰もいない。

 「この五濁悪世においては」と陰々たる語りがふたたび、荒れ果てた庭園に響きはじめる。

「町の再建、人の救済すらも、けっして善意のみでなされはしない。
 災厄の訪れたあとはしばしば大金が動く。とくに水火の災い(洪水、火事)なら、被害が大きなものであればあるほどに、復興のときの金のめぐりは盛んになる。
 であるからして、再建そのものを最初から望み、古きを壊そうとする者がときたま現れる」

 うつむき気味の父の顔は、暗影となって夕華からは見えない。
 彼は語る。

「町の復興に必要なものは数々あれど、当時なにをおいても重要な物資は『木』だった。
 材木が、大火のあともっとも金になる商品だったのだ」

 木造建築の基礎となる材木は、復興のときどれだけあっても足りないくらい欲される。
 したがって、町を呑むほどの大火事があれば、材木の値は天井知らずにはねあがっていくことになる。

「だから百五十年前も、町が焼けたあと即座に、近隣の商人は材木を買いつけに走った。
 ところが付近一帯の良質な材木は、ある富裕な商家によってすでに押さえられていたのだよ。
 奇妙なことにその商家は、大火が起こされるに先立って材木を買い占めていた。
 ……打て。こんどは二箇所。喉と心の臓」

 圧迫を振り切ろうとするように、言われるまま夕華は二本を同時にはなった。
 が、今度は失敗した。

 二間半先の人形に命中したのは心臓の部位を狙った一本だけで、それも浅くしか突き立たない。もう一本の鉄貫は狙いがそれ、後ろの枯れ松に当たってはねかえってしまう。
 夕華は顔をこわばらせた。
 いつもの彼女の技量ならば、三本まではこの距離でも確実に的に当てられるはずなのだ。恐怖が四肢を緊張させてしまっていた。

 外したことで機嫌をそこねはしまいかと、びくびくして父をうかがう。

381:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 09:54:20 Oet9ybQh

 けれど幸いというべきか、父は夕華の鉄貫が当たるかどうかはどうでもいいらしかった。

「早く拾いなさい。そして投げつづけなさい。
 家のほうからはただの稽古に見えていなければならない」

「……はい」

 家の者に隠す必要があるほどの話なのだろうか。夕華はそんな疑問を抱いたが、有無を言わせない重圧の前で、おいそれと父に訊くことはできなかった。
 それでも、その疑問を読んだのか、父はいきなり言った。

「夕華、おまえは渋沢の家の子供たちと親しいな。
 さっき話にのぼらせた商家は、むろんあの家のことだ。当時、渋沢屋は材木問屋とも関係をもっていた。 為友卿と、かれに蜂起のための金を貸しつけた渋沢家のあいだに、なんらかの密約があったことはじゅうぶんに推測できる」

 最初から「京口家と渋沢家の話」と言われていた。それでも、幼友達とその家のことに言及されたとき、夕華の心臓はどくんと鳴った。
 渋沢家のことを語る父の声音に、好意というようなものは微塵もなかった。

「為友卿のやりようには、悪しきものもあれば善きものもあった。
 城と町を焼いたことで悪し様に言われるが、かれは新政府を一貫して支持し、国を立て直すという理想のため戦った人だ。維新成って後、この坂松市を栄えさせたのもかれの手腕だった。
 一方、渋沢家の商人どもは、焼け跡において貪欲に利をむさぼっただけだ。ほとんどの汚名を京口家におしつけて」

 ぬるい風がふくたびに闇のなかで提灯が動き、ふらりふらりと怪し火さながらに揺れる。
 さばえなす御霊のごとく周囲にむらがり飛ぶのは蛾だった。

「為友卿亡き後、この百年、わが家は渋沢家に追い落とされてきた。
 財の運用に失敗し、富をうしなった。先の大戦の後からは、国政改革と称した華族締めつけ政策がそれに拍車をかけた。
 富と権威のおとろえは加速し、地元であるここ坂松市の議会においてすら影響力は低下していった。
 それと入れ替わるように議会での立場を上昇させてきた渋沢家は、この京口子爵家を地元における最後の競争者とみなして蹴落としにかかった。
 そしてついにわが家は、地元の政界から駆逐されたのだ。
 零落に零落をかさね、いまのわれわれは、この屋敷を維持するための税すら自力で払うことはおぼつかない。
 夕華、おまえだとてわが家の内実がいかに貧を窮めているか知っているだろう。京口子爵家は没落していく一方だ」

 朱灯と、それに羽ばたき集まる蟲たちの下に、物の怪じみたあの何かが黒々とうずくまって、ぶつぶつと家の怨念をつぶやいている。

「代々の当主が実業や政略で失敗してきたのは、かならずしもかれらの無能のためばかりではない。ここぞという局面で不運な事故や当人の怪死があいついだことが大きい。
 わが一族は数が少ない……短命、少子の傾向が強いというだけではなく、この一世紀あたりは死の多い家でもあった。わが身から『発火』して焼け死ぬという信じがたい死に方をした者さえいる。
 それをさして、世人の一部は陰で、火による祟りがくだっていると言う。為友卿が火付け人で、十悪五逆の人だったからと。
 では栄えを謳歌する渋沢家はなんなのだ。あの家の躍進の基礎も、火によってもたらされた赤い財なのだぞ」

 祟りや天罰があるならひとしく落ちよ。

 もとより呪詛に近かったその声には、いまやはっきりと毒念が煮えたぎっていた。
 夕華は振り向けなくなっていた。体が、凍りついたように動かなかった。
 虫の音まで、いつのまにか止んでいた。

382:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 09:56:25 Oet9ybQh

「夕華、この話をしたことは誰にも言うな。それと、これからはうちの使用人たちにも心を許すな。
 かれらは、あちらの家にこちらの事情を流すから。
 おまえのお祖父様はもっと駄目だ。かれはとうに誇りを投げ捨てている。華族らしい最低限の生活をたもつためと称し、渋沢家をたよって金を投げ与えられてきた。
 両家が必要以上に接近したのは、お祖父様の代だ。かれは渋沢家の当主に妾まで世話され、それを外に何人も囲ってきた。亡くなったおばあ様がどれだけ悲しまれていたか。
 わが父上ながら、あの好色の性質には吐き気がする」

 父が幼友達の家を嫌っていることを知ったときに、すでに胃がきゅっと縮まった気がしていた。

 続けて祖父の妾のことを知ったとき、がんと頭に石をぶつけられた気がした―
 この社会で妾をたくわえる者は珍しくない。親友の柿子も、その弟である渋沢家嫡男の京介とは母親がちがう。
 それでも、祖父がひそかにそんなことをしていたのが、十一歳の夕華には衝撃だった。

 それまでの話ですでに耐えかねるおもいだったが、父が祖父のことを嫌悪をこめて吐き捨てた瞬間、夕華の神経に限界がきた。
 感情の破裂が、皮肉なことに金縛りを解いた。

「やめて!」

 振り向いて夕華は叫んでいた。
 鼓膜をとおしていちどきに毒をそそがれることに耐え切れない。耳をふさぎ、その場に座り込んでしまいたくなる。

「そんな話、もう聞きたくない!」

 悲鳴にちかい声で拒絶する。全部、知りたくなかった。
 向こうの家にくらべ、この家が広いわりにお金がないことは夕華も知っていた。けれど、みんな仲は良いと信じていたのだ。
 親戚のように交わってきた向こうの家のひとたちも含めて。

 激した叫びをあげたが、その直後すぐ夕華の心は急速に萎えた。
 父は、夕華から幻想をはぎとって真実―すくなくとも一面の―を突きつけただけだ、と彼女にはわかっていた。
 いままで表面にある綺麗なものしか見えていなかった自分が、莫迦な子供だったのだろう。

 それでも、こんな黒くよどんだもので満たされているのが真実だというのなら、見えていないままのほうがよかったのだ。
 肩の力を虚脱させて、夕華は力なくつぶやいた。

「なんで、そんなことを私に話したの……」

「おまえがこの家のひとり娘だからだ。そしてまもなく大人になるからだ」

 父の即答は、容赦がなかった。

「あと三年もすればおまえには婚期が来る。だからいまのうちに話したのだ。
 憶えておきなさい。虎狼の家であったわれわれが、いま狐狸どもに飼われている。餌を与えられているのはなぜだと思う。
 最後にこの血を提供させられるためだ。富裕な商家の多くは、爵位をもつ名家の血を入れることを望む。中央へ進出して社交界へ出るにあたって、それが有利にはたらくからだ。
 お祖父様は、あの商人の家の求めに応じ、時がいたればおまえをあそこへ売るつもりだ。あの家の嫡男である男児とめあわせる形で」

383:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 09:58:25 Oet9ybQh

 その言葉の意味を、数拍おいてから夕華は理解した。
 恐怖も虚脱感も胸の苦しさも一瞬わすれ、え、と目をまるくする。
 祖父が妾を囲っていたという話とは、まったくべつの種類の衝撃だった。

 「あの家の嫡男である男児とめあわせる」。その一言が、寝耳に水だった。

(私が、お祖父様に結婚させられる? きょうくんと?)

 きょうくん。京介君。柿子の弟。
 ちょっと前までは素直で、どこへ行くにも自分のあとを付いてきた子。最近はひねくれてきて、ずいぶんと生意気になっている子。

 まさか。考えられない。
 二つ違いのあの子は、夕華にとっても実の弟のような近さだ。
 近いくらいに、近すぎる。だから、そんな相手として意識したことはこれまでまったくない。

 なかった、けれど―

(くらくら、する……)

 鉄貫をにぎっている拳もいないほうの拳もこめかみに添えて、頭をぎゅっと押さえ、夕華はうなだれた。
 心と思考の混迷が極まって、めまいが起きかけていた。

 知ったばかりの暗い現実に少女をひきもどしたのは、聞く耳が凍るかのような父の言葉だった。

「無論、そんなことにはならない。
 おまえならいくらでも良縁に恵まれるはずだ。それをなぜあのような奴ばらになど。
 父上がどう言おうと、わたしはぜったいに認めない。あの家と縁を結ぶことは。虎狼の血と狐狸の血を混ぜることは」

 強固で揺るぎもしない、冷えた意志のこもった断言だった。

 苦しげな顔を上げはしても、父になにを言えばいいのか夕華にはもうわからない。
 いちどきに得た知識が多すぎた。
 大火、赤い財、京口渋沢両家の因縁、祖父の妾のこと、弟のような子との結婚の話、そしてその話への父の侮蔑と拒絶。

 それらの話題、ことに後半のほうは、考えても混乱と苦悩が深まるばかりで―

 いつ立ち上がっていたのか、話し終えたらしい父はすでに腰掛けから歩み去るところだった。
 提灯をのこして足音が館のほうへ消え、そして虫の音が庭に戻ってくる。
 時がたち、迎えにきた姉弟の声がその場に響くまで、少女は立ち尽くしていた。


 京口夕華が女学校へ入学する半年前、夕華の祖父が急死する三年前のことである。

384:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:00:39 Oet9ybQh
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 七年近くたった現在、春の夜。
 瓦の屋根と木戸がついた門の上に、春の月がおぼろに浮いていた。
 渋沢柿子は、木戸をくぐって門の外に出た。

 観桜会の直後、渋沢邸のことである。
 京口邸よりずっと小さいがそれでもそこそこ広い敷地を、真竹をめぐらせた塀がかこんでいる。
 待ち合わせの時刻よりすこし早かったが、門横の竹塀のまえにはすでに友人が来ていた。
 あめ色の古い竹塀によりかかってたたずむ彼女の影が、路上に長く伸びている。
 先刻別れたばかりだから当たり前だが、服装は観桜会のときと同じだった。

 夕華が首に下げている銀のロザリオが、一瞬、綺羅星のように月を反射して光った。

「急な話でごめん、柿子。全部持ってきたから」

 彼女は、持参していた紙袋を手渡してきた。
 柿子は両手で袋を受け取り、その重みをちょっと確かめた。

 中には七、八冊の書物が入っている。
 それらの書物はろまんす本、いわゆる恋愛小説だった。女学校では教師の目をぬすんでひそかに回し読みされていた人気のあるもので、柿子も持っていた。
 故郷に連れ立って帰ってきた一月前、夕華にたのまれて渡していたのである。

 夕華は礼を言ってきた。

「貸してくれてありがとうね」

「全部読んだの。面白かった?」

「うん。興味深かった、いろいろ。食わず嫌いはよくなかったよ」

 にこやかに言う幼なじみを、柿子は月明かりの中、すがめ見る。
 芯の通った言動を見るかぎり、夕華はこの短時間で完璧に立ち直ったように見える。

 さきほど、京介が恋人をつくっていたことを聞いた直後は、魂が半分抜けたんじゃなかろうかという茫然自失の態だった。
 見かねて柿子は口をはさみ、そのうえで「二人ともいったん頭冷やして、また後日に話したらどう」とすすめたのだった。

 その場から帰る間際に、夕華は急に思い出したように、あとで本を返しに行くと柿子に伝えてきたのである。

「そう、楽しめたならよかったわ。
 用件ってこれだけ?」

「ああ、そうだけど、それだけでもなくてね、
 そのう……
 ―ほかにも本あるかな。ほかにもこういう本あったら貸してもらえない?」

 夕華は、馬脚をいきなりあらわしかけていた。つくろっていた悠揚せまらぬ態度がはがれそうである。
 いましがたまでの落ち着いた態度はどこへやら、無意識なのかそわそわとパーカーのポケットに手を入れたり出したりしている。あげくの言葉はやたら力みが入っていた。
 この娘なにか別のことを言いかけようとしていたな、と柿子は推測し、それから首をふった。

「ごめんね。わたしもこれだけなの、持ってるろまんす本は」

385:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:03:37 Oet9ybQh

「あの、それじゃあ、やっぱりそれを何冊かもうちょっと貸して。
 少し読み返したいのがあったから」

 柿子は無言で紙袋の中から適当に三冊ばかりをとりだし、夕華に渡した。

「柿子ありがとう。また返しに行くね」

 夕華は受け取り、そそくさと小脇にかかえる。
 やはり内実は冷静を欠いているようで、読み返したい本があったなどといいながら、手渡された本の題名すら確かめていない。

 柿子はため息をついた。あの莫迦弟、と内心で罵る。
 京介の一言で、夕華は予想以上に追い込まれていたようだった。ぎりぎりでとりつくろってはいても、水面下では明らかに取り乱している。

(意外だったわ。
 夕華のほうががこれほど京介にこだわってたなんて。失いかけたと思ったとたんすっかり恐慌をきたしてるじゃない)

 本を借りて、返すことを口実にこの家に来る。つぎもそうやって来れるよう口実を確保する。打算丸出しだが、あまりに稚拙で必死なため、計算高い印象はかけらもない。
 矜持もなにも考えず、そこまでなりふりかまわなくなっている友人が気の毒で、からかう気にもなれない。
 勇気をふりしぼってか、夕華はようやくのことで本題らしきものを口にした。

「あの、京介君は何をしているかな」

 なるべく平然とした声で訊いたつもりらしい夕華に、柿子は淡々と答えた。

「なにって、帰ってからずっとなにか考えてるっぽいわ。禅僧じゃあるまいし縁側に座りっぱなしで、鬱陶しいったらありゃしない。
 会いたいの?」

「も、もうちょっと話がしたいの」

「やめときなさい。まだ京介のほうは混乱してるし、いま会ったってろくな話できないわよ。
 だいたいあんたもぜんぜん冷静に戻ってないでしょう?」

 柿子は、突き放す言葉をさらりと吐いた。

「そんな―」

 夕華は思わずといった感じで悲痛な声を出しかけ、黙った。
 暗く面をうつむかせた夕華は、うなだれていても柿子より背が高い。にもかかわらず柿子の目にはその優美な長身は、いま、幼い少女の孤影にしか見えなかった。
 つねは悠然として、弱い部分をなるべく見せようとしてこなかったこの幼なじみが、京介のことでここまで余裕がなくなっている。
 それでも、柿子はあえて冷たい態度をとった。
 夕華はおそらく動揺が極まって、何か行動せずにはいられなくなり、とりあえず渋沢邸に来たというところだろう。
 明確な覚悟ができていないのは、直接京介に接触できなかったことを見ても明らかだった。
 このまま会わせても、進歩のなかった以前の六年間と同じになりそうだった。
 京介が決意するか、……夕華が単純なひとつのことをはっきりさせられないかぎり。

386:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:06:09 Oet9ybQh

「夕華、それじゃ一度訊くけど、あんたうちの弟が好きなの?
 そのへんきちんと認めることができるなら、京介をここに呼んできてあげるけど」

「な、」

 声をつまらせて夕華は硬直した。それを柿子は冷めた眼で観察する。
 彼女の、もはや完全に虚勢をふきとばされたその様子を。

「柿子、なにを……私は、ただ……」

 夕華は言いつくろおうとしていた。けれど唇も声も震えている。
 あんたの気持ちなんかとっくに知ってるけどね、と柿子は口の中でつぶやく。わたしに気づかれてることはあんたもうすうす知っていたでしょ、とも。
 もっとも夕華が動揺してくれるのはありがたかった―率直な反応を見たくて訊いたのだから。

(それにしてもこの娘、いちばん大切な部分を相変わらずうやむやにしたままで、どういう話ができると思っていたのかしら)

「私、」

 口ごもりながら夕華は柿子を見つめる。黒曜石のような美しい瞳が、憂悶に満ちて「お願い、そこは触れないで」と語っていた。
 柿子はその言外の懇願を無視して、見つめ続けた。

 たしかに、「二つのことには深く踏み込まない」ということは、ずっと柿子と夕華のあいだの暗黙の了解だった。
 家と、夕華の恋のこと。
 ほかのことはなんでも話し合っても、そのことについては夕華からはひとことの相談もなかったし、柿子も訊こうとはしてこなかった。

 けれど柿子は、それで必ずしも満足してきたわけではない。
 表向きは冷めた態度で通していたが、「なんでわたしに相談してくれないのだろう」と、わずかに不満を抱かないでもなかったのだ。
 できれば古い友人である自分に打ち明けてほしかった。

 どうやら親友と弟が好き合っているらしい、と柿子が気づいたのは、早いうちだった。夕華とともに女学校から最初の帰省をしたときである。
 以来、六年間はたから見ていたが、これだけ微笑ましくも莫迦莫迦しい二人はなかった。

 夕華はいちいち余裕をとりつくろい、そのくせ京介にたまに話しかけられたら凍って反応が遅れていた。
 京介のほうは、夕華がそっけない態度をとりつづけたことで、もう好かれていないと思いこんでいった。
 たまにしか会わないとはいえ、思春期一年目でふみとどまった感じである。どう見ても両思いなのに、互いを意識しすぎたあげくにぎくしゃくしていった。

 変に思われたくない、見損われたくない、だからおっかなびっくりで互いにあたりさわりのない態度しかとらない。そんなところだと思っていた。

(思っていたけど、微妙に違ったわね。夕華のほうは)

 白皙の肌が青ざめているように見えるのは、月光のためばかりではないだろう。
 私は、と言ったきり夕華はその次を続けられないでいる。

 この娘は綺麗になったぶん陰の部分ができた、と柿子はあらためて思った。そばにいた自分が見ても、六年のうちに夕華は変わっていた。
 活動的を超えて明らかにおてんば娘だった小学生のころは、性格のすみずみまで太陽の子だったのだ。
 あのころの夕華ならこの場で「好きだよ、悪い!?」と、顔を真っ赤にして言っていたかもしれない。

387:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:07:51 Oet9ybQh

 もうじゅうぶんだ、と柿子は見極めをつけた。

「……会うなら、あんたたちのせめてどっちかが、しっかり心を決めてからにしたほうがいいわ。
 じゃあね、夕華。そのうちまた」

 いつまでも口に出せないでいる友人に、静かな声で、今度こそはっきり別れを告げる。

 柿子はさっさと竹塀のうちに入った。木戸をくぐるとき肩越しに一度だけふりかえる。
 夕華は、金紗でくるまれて声を封じられたかのように、途方にくれて立ち尽くし、月の光を浴びつづけていた。

 敷地内を母屋のほうに歩みながら、柿子はいま見た彼女の様子について判断を下した。

 この六年間ずっと、京介との恋での夕華の態度に違和感があった。
 直球の問いで反応を引き出したことで、その違和感の理由がわかった。
 京介に対する、らしくもないあの消極性の奥の奥にあるものは、照れでも意地でもない。


 夕華のあれは恐怖だ。深刻な。

…………………………
……………
……

  しづかに照らせる月のひかりの などか絶え間なくもの思はする
  さやけきそのかげこゑはなくとも みるひとの胸にしのびいるなり……

 ひさしの下から肌寒い月明かりがもぐりこんでくる、庭に面した板張りの縁側だった。

 庭に向かって腰を下ろし、さっきまで一刻以上もうつむいて沈思していた京介は、いま放心ぎみに月を見上げ、かすかに口ずさんでいた。

 いつもの書生姿にもどった京介の背中を見ながら、柿子は湯呑みを手にそっと後ろからあゆみ寄った。

「……夕華が昔よく歌ってた詩のひとつだわね、それ」

 京介の口ずさんでいる詩に、柿子も聞きおぼえがあった。
 いきなり後ろから声をかけられた弟は、びくっと振り向き、それから庭先に視線をもどして、妙な表情で口を押さえた。
 唄を聞かれたのが恥ずかしいのかとも思ったが、京介の顔はいま夢から醒めたというものに近い。

 長々と悩んだあげくふっと気が抜けた折に、意識せず口にしていたのかもしれない。これまでも弟を見ていると、そういうことが何度かあった。
 夕華の唄を子守唄のように聞かされて育っていたため、記憶の奥に焼きついているのだろうか。

388:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:09:47 Oet9ybQh

 ばっかみたい、と柿子は今夜何度目かわからない嘆息をした。

 そこまで心に夕華を刻みつけていながら、この弟はなんで強いて他の女を見ようとしたのだろう。
 ……もっとも、理由の一端らしきある秘密を、柿子は知らないわけではない。
 こちらも面倒くさそうだった。

 ちらりといま通りぬけてきた京介の部屋をふりかえる。障子は開けっぱなしにしてあり、部屋の内部が縁側からも見えている。

「冷えてきたわね。
 しかしあんたの部屋、枯れてるわねー」

(十六歳の男の部屋とは思えないくらいに、ね)

 上は格天井、床はたたみ。廊下と隣の間とはふすまで区切られ、縁側とは障子で区切られている純和風の一室。一室というよりは、ふすまで区切られた座敷の一間だ。
 小壁ぎわの寄木細工の本棚、客をむかえたときのための円座と猫脚のちゃぶ台、勉強机と椅子が調度品のすべて。整理整頓はいきとどいて、殺風景なほどさっぱりしている。
 妙なほどに枯淡の雰囲気がただよう部屋だった。

 そのうえ京介はふだんから、家人が部屋に勝手に入ってくるのをとくに拒まない。こうやって部屋を論評されても、勝手に掃除されても怒るでもない。

 ただこの時は、いくぶん迷惑そうに声を出した。

「なにか話が?」

「夕華ね、女学校でもお姉さん役になってたわ」

 柿子は夕華のことを話題にする。
 それで京介は黙って耳をかたむける気になったようである。じつに簡単な弟だった。
 茶をすする音をまじえながら、ぽつぽつと柿子は語りはじめた。

「『ハンサムで優しいお姉様』だもの、やたらもててたわ。
 夕華のほうも親身になって後輩の世話をやいたしね」

 気さくな先輩を通りこして本当の姉妹のように可愛がるので、一時はそっちの気がある人なのではないかと噂が立っていたくらいである。

 京介が「夕華さんなら……そうだろうね」などとつぶやき、横でうなずいている。
 夕華の牧羊犬気質とでもいうべき面倒見のよさに、幼いころあれこれ世話になったのは京介である。二つしか歳が違わないのに、夕華は京介のおむつを取り替えたことまであった。
 その弟の感慨に水をさすように、柿子は目を伏せてぽつりと言った。

「あの娘もまったく、難儀だわ」

「……え?」

「あんただって夕華に手をひかれて育ったみたいなもんだから、わかるでしょ。
 あの娘、庇護欲強いというか、構いたがりなのよ」

「そりゃ、そうも言えるけど……それがなんで難儀なんだよ」

389:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:11:29 Oet9ybQh

「そのせいで無駄に強がるようになったからよ。
 あの娘ほんとは寂しがりよ。にぎやかなのが好きだったでしょ。なのに、寂しがりやのくせして自分から甘えるとかはしないのよ……ううん、ちょっと違うか。
 お姉さんとして世話を焼く立場にいることで、自分の寂しさを埋めようとするタイプなの」

 女学校での夕華は、まさしく心の隙間を埋めようとしているように見えた。
 となりを一瞥する。夕華のあの年下好み―というと語弊があるが―には、この弟が無縁だとは思えない。
 妹のように可愛がられていた後輩たちには気の毒だが、彼女たちは京介の代替に近いだろう。

 その上からそそぐ愛情表現自体はいいのだが、年上として頼られる立場がしみつき、人格にまで影響が出てしまっている。
 夕華は、自分自身は人にほとんど頼らず、いろいろ溜めこんでしまう性質の娘となっていた。

 柿子は、すこし前に夕華が「ろまんす本を貸してくれないかな」と恥ずかしそうにおずおず頼み込んできたことを思い出す。
 やっと色恋の話でこっちに頼る気になったかと、まんざらでもなかったのだ。ちょっと違っていた。
 夕華はひとりで恋の進め方を「勉強」したかったのだ。

「……そうだ、そのへんの無知もあの娘も問題だったわ。
 それ話す前に京介、あんたのほうにも言っておくけど」

「な、何だよ」

「夕華を崇拝しすぎ。
 あんた、何時間かまえにあの娘のことを『優しいから』と言ったでしょ。それはそれで正しいけれど、美化しすぎなのよ。
 さっき話したでしょ。年下を可愛がるのは寂しいから。弱みが表面から見えないのは、意地っぱりで隠したがるから。乱暴に言えばそういうこと。
 あの娘だってわたしやあんたと同じく欠点だらけよ。ほんとうはあんたもそういうこと、よく知っていたはずでしょ」

 柿子の指摘に、京介は眉をしかめはしたものの、なにも言葉を返さないでいる。
 距離の離れた初恋相手を過度に意識したあげく、美化してしまっていることは、うすうす自分でもわかってはいたのだろう。

「京介。わたしたちの行ってた十字教系の華族女学校、どんなところかあんた知っていた?」

 問うと、京介は記憶をたぐる表情を月に向けた。

「えっと……良家の令嬢が、親元から切り離されてふさわしい教育をほどこされる教育施設だろう。
 名称に華族とついてはいるけど、いまではそれ以外の出身の娘が多いとか。
 礼式に重点が置かれるほか、外国語なども習うと聞いていたけれど」

「表向きはその答えでいいわ。あそこの教育は、いずれ生徒が結婚したのち、夫につきしたがって社交界に出ることを見越してほどこされるものよ。
 裏の理由も結婚と関係があるわ。あの学校は、お嬢様方が結婚するまで彼女たちを『無傷で』保存しておくための保管庫。
 娘や花嫁候補に悪い虫がつかず、悪い思想にも毒されず、無垢すぎるくらい綺麗なままを保つ。そういうのを殿方は好むからね」

 辛らつな言葉をごく自然に吐いて弟をまごつかせながら、柿子はひとつ茶をすすって続けた。

「あそこは基本、寮住み。外界から入ってくる情報も最低限。優雅で退屈な、外から遮断された温室よ。
 生徒は殿方と接することがほとんどないわ。
 ある日いきなり見合いをうけて婚約して中退結婚するか、卒業後にすぐ結婚するかで、恋愛のなんたるかなんて実際に知ってるのはいないも同然よ」

390:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:13:27 Oet9ybQh

 せいぜい、ろまんす本のたぐいを、教室や寮で回し読みしてきゃあきゃあ言ってるくらいだったのだ。
 それらの小説さえ、もし教師や尼僧に見つかれば、風紀を乱す悪書として没収される対象である。

 と、京介が失敬かつ余計な疑問を呈した。

「あのさ、カキ姉ちゃんもそこの生徒だったよね? のわりには箱入り娘という感じはあまり……」

「わたしは知識欲旺盛なのよ。『外』のことについてもカリカリ勉強してたわ」

 両断するように言って、うやむやにする。
 じっさいは外界に通じる抜け道を、柿子は用意していたのだった―街中への外出許可が彼女にはたびたび下りていた。帝都の渋沢家ゆかりの人間と接触していたのである。
 実家との定期的な連絡のためともなれば、とうぜん家のほうから女学校に根回しがされているという寸法である。

 こちらのほうは、柿子が夕華に対して後ろめたい部分だった。夕華につけられた目付け役のようなものでもあったのだから。
 いずれ謝る機会もあるだろう。首をふる。

「……とにかく、夕華が、世間一般での恋愛の作法だの実例だの知るわけがないじゃない。
 箱入り娘ばかりの女学校生徒のなかでも、特にうぶなネンネだったわよ。
 なぜか知らないけど、流行の恋愛本すら読もうとしなかった」

 京介に、じろりと横目で視線を向ける。

「もう一度言うけどあの娘ね、どう恋愛すればいいかなんて、なんにも知らなかったのよ。
 そのうえ女学校にいるうちに、もれなく『女性からはしたないことは厳禁』みたいな時代遅れの徳目を叩き込まれてるし。
 気になる男の子が故郷にいたって、帰省のたび律儀に会いに出向くくらいが関の山だったんじゃないかしら。それだってただならない覚悟だったかもねえ」

 話の流れの不穏な雰囲気に、ううと京介がうめいた。
 かれはその律儀な訪問を受け続けながら、ある意味で完全にむげにしていたことになるのだった。きわめて居心地悪そうにもぞもぞと腰を動かし、座りなおしている。
 霜が降りそうな視線でちくちく刺しながら、柿子は追撃した。

「ていうかあんた、『まだ恋人はいない?』と毎回訊かれてたんでしょ。
 それ、精一杯の誘い受けのサインだろうとか考えなかったのか。夕華はできることならあんたから積極的に出てほしかったんじゃないかしらね」

「………………ううう……」

 しょげ返りながらも、京介はいまだに「本当だろうか?」とばかりに眉根を寄せていた。
 柿子は、庭内の竹林のほうを遠く見やった。じつのところ弟が納得しきれないのは、わからないでもない。
 京介が知っていたころの夕華は、そんな過度の奥ゆかしさを見せる少女ではなかったからだ。
 いや、今でもたいがいのことは積極的にこなしている。それが恋のことだけいまひとつ煮え切らない。

391:春の夕べの夢醒めて〈2〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:15:08 Oet9ybQh

(けれど、わかった)

 さきほど竹塀のまえで接した夕華の、瞳の奥にあった恐怖を思い返す。
 あれがきっかけとなった。

(いままで気づいてやれなかったなんて。つなぎあわせて考えてみればわかったのに)

 柿子は知っていた。京口子爵家の当主が代替わりしてから、両家の関係が悪化したことを。
 華族の結婚にあたっては、家長の力がいまもって大きいことを。それこそ法の領域にすら及んで。

(子爵様の同意がないかぎり、夕華は正式な結婚ができない。そしてあの子爵様は、うちとの縁組だけは認めそうにない。
 以前からそこまで先を見てたんだ、あの娘……ううん、華族の家は商家以上に結婚を重視する。むしろあの娘には当たり前の思考だったのかしらね)

 柿子は、「家のことと個人の想いは関係ないはず」などと、自分もどこかで甘い考えを捨てきれていなかったことを恥じた。
 子爵家のひとり娘と、商家のひとりきりの嫡男なのだ。口でいくらきれいごとを言おうと、家に反対されれば、その重みは現実としてのしかかってくる。

(あの娘はおそらく、京介とは結婚できないと思ってる。そして京介だっていつかきちんと結婚して、正嫡の跡継ぎを残さずにはすまされないだろうとも。
 付き合っていつか駄目になって、苦い思い出にしてしまうより、いっそこのままでも。そんなつもりもあったのかもね)

 夕華と京介のこの六年。疎遠な、あるかあきかの、幼なじみとしての最低限の縁だけを保った関係。
 決定的に踏み込むことでそれすら壊してしまうのが、夕華には怖かったのだろう。彼女がおそらくいちばん深いところまで思いつめていた。

 両手で持った湯呑みのなかに月が揺れている。お茶の表面にさざなみが立つたびに、砕けてゆらゆら動き、徐々にもとの姿を取り戻していく。
 手にした月に哀しい視線を落としながら、柿子はつぶやいた。

「京介。夕華はたぶん、あんたが思ってるよりずっとあんたを好きよ。
 可哀想になるくらいに」

392:ボルボX ◆ncmKVWuKUI
09/04/02 10:18:19 Oet9ybQh
続かせていただきます。
いつまで待っても規制が解けん……

393:名無しさん@ピンキー
09/04/02 10:59:09 1IsMss/V
一番乗りGJ!
続き期待してます。

394:名無しさん@ピンキー
09/04/02 11:32:12 SeELQVuB
GJ、待ってました!
しかし携帯からとはなんという猛者。

夕華と京介の間に横たわる影は大きいな。

395:名無しさん@ピンキー
09/04/02 14:30:33 TWl31yKA
これはいい!
二人の間には結構複雑な壁があるのね
京介のヘタレっぷりは別として

396:名無しさん@ピンキー
09/04/02 20:16:20 lMkpA8nD
柿子Gjと言わざるを得ないな。

397:名無しさん@ピンキー
09/04/03 01:42:34 PTNe5/WZ
重い、重いよ、ボルボさん、GJです!

でも華族というシチュエーションと、時代背景が大好き


夕華さんハァハァ

398:名無しさん@ピンキー
09/04/03 22:07:13 W8rn3dZi
ちくしょう俺まで悶々としてきた

399:ボルボX ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:03:42 iJSNekz6
また携帯で投下します

400:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:04:58 iJSNekz6

 十悪五逆と人は言う。

 炎の家だと人は言う。

 主君殺しと火付けのむくいで、黒煙を吐いてぶすぶすとくゆり、百年かけて燃え崩れていく家だと言う。

…………………………
……………
……

 はじめて「昔話」をされた夏の夜から、女学校へ入るまでの半年ほどのあいだに、父様にはいろいろなことを聞かされた。

 私を産んですぐ亡くなった母様の、遺した手記を見せられた。
 あの優しいお祖父様が、母様に手を出していたと知った。

 父様は、ぜんぶ「あっちの家」が元だと言う。  あっちの家がお祖父様に女の人をつぎつぎあてがって、じぶんたちの言うことを聞くようにしむけてきたから、お祖父様は病気じみて色を好むようになった、と。

 産後の弱った身で窓から落ちて亡くなった母様は、ほんとうは身を投げたのかもしれない、と聞かされた。
 父様は笑って言った、「夕華、ひょっとしたらおまえはわたしの娘ではなく妹かもしれないな」と。

 そのことを知った晩のうちに、はじめて月のものが来た。
 夜明けまで血がいっぱい出て止まらなかった。  お風呂場の床にぺたりとすわりこんで、夜どおしお湯で流しつづけた。赤いにおいのなかで床に手をついて何度も何度も吐いた。

 それから、お祖父様の顔を見られなくなった。

 そんなときだから、女学校へ入れと言われたことをかえって嬉しく思った。家からは離れたかった。
 地元の友達と別れるのは悲しかったけれど、幼なじみの柿子がいっしょに来てくれることになった。親友がいるのが嬉しかった。

 でも父様は「やはり、あの娘がくっついてくるのだな」と言った。予想通りだと。
 渋沢家はずっとおまえにあの姉弟を貼りつかせてきたからと。
 お祖父様と渋沢家の人たちが、おまえたちを小さいころからいっしょに遊ばせて、わざわざ仲良くなるよう仕向けたのだと。
 あの娘は女学校でもおまえのことを監視し、おまえの動向をあちらの実家に伝える役目となるだろうと。

 そのときは父様に逆らった。「仕組まれたから友達というわけじゃない」とはっきり言った。
 でも、その言葉は心にべっとりへばりついて消せなかった。父様のほかの言葉と同じように。
 そのときまで柿子には何も隠さなかったのに、いくつも隠し事をするようになった。それが彼女に対し、いまもって後ろめたい。

 もっとも、こんな家の事情は、父に言われなくても誰にも話せなかったけれど。

401:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:06:43 iJSNekz6

 女学校から帰ったいまは、結婚を急かされている。

 亡くなったお祖父様のあとを継いで子爵になった父様には、「なぜ相手をまだ選ばない」と何度も問われてきた。

 ことに数日前、いくつもの家名と写真をテーブルに並べられて冷ややかに糾されたときは窮した。

 父様は言う。

「華族からは、旧帝都の冷泉侯爵家、現帝都の磐倉伯爵家。播州より脇坂男爵家。
 商家からではあるが富裕ゆえの候補としては、関東三浦家、中部の箕山家および長与家、信州の絹家、尾州の大村家。

 ―竜円寺家の末裔もなにを思ってか求婚してきているが、ろくな財もなしでは除外せざるをえんな。
 わたしが薦めたいのは磐倉伯爵家だな。次男や三男の結婚相手としてなどではなく、老齢の当主みずから、後添えとしておまえを望んでいる。それは商家の長与家も同様だ。
 老人は最初は嫌かもしれんが、そう捨てたものではない。老いた者に嫁げば、すぐに向こうがみまかることを期待できるぞ。あとは遺産が転がりこんでくるのを待てばよい。

 さて、ここに並べた求婚者たちは、先方からおまえをぜひにと望んできている者ばかりだ。幾人かは見合いで顔を合わせたろう。
 それをはぐらかして、返事を引き伸ばすにもほどがある。
 『今はまだ』『当面は考える気になれなくて』と、見合いのたびにそればかりで終始しているそうだな。何年も。

 業を煮やさせる娘だな。選びなさい。
 まだ時期がきていないなどという言い訳は聞かないぞ。女学校は卒業したろう。そしておまえはもう十八だぞ、夕華。
 可愛い娘とおもえばこそ、これだけの良縁をわたしはかき集めた。このなかからだれを選ぶかすら、おまえ自身に任せている。

 おまえに何度も話したとおり、わたしは一刻もはやくわが家を立てなおし、こちらに伸びる渋沢家の触手を根から断ってしまいたい。
 ただそのための方策は、おまえが嫁ぐ家を選んだ瞬間から、それに合わせて見さだめなければならないのだ。まずはどの家の力を後ろ盾にするかが問題だから。
 だから、選べ。もう待つ気はない、すみやかにどの候補を選ぶか決めなさい」

…………………………
……………
……

 柿子と会った直後、夕華は自邸に帰って夕餉をとっていた。
 色艶のある桜材の椅子に腰掛けて、上体をしぜんに姿勢よく保ち、漆塗りの箸を黙々と使っている。

 かたわらでは急須を運んできた乳母が、パーカーをぬいで上はニットだけになった夕華の姿を、自分のことのように寒そうに見ている。
 雨もなかったのに、観桜会のあと春の夜にしては急に冷えこんだのである。
 洋館の大食堂の暖炉にはもう長いこと火など入れられていない。代わりに石油ストーブが置かれているが、これを使えるのは冬、それもめずらしく多人数が集うときだけである。

 いまはひとりきりで長大な食卓についている。同室者は、乳母がそばにたたずんでいるだけだった。

 なお、卓は大木まるまる一本を縦に加工した巨大なもので、この洋館が建てられたときから使われている。
 この館の調度品はそういう年代物が多い。必ずしも使いやすくはないのだが。

 あらかた片づけた夕華は箸をおき、乳母のそそいでくれた茶に少し口をつけた。
 今夜の膳はカレイの煮付け、菜の花のおひたし、香の物、田楽豆腐、豆腐屋から分けてもらった新鮮な湯葉などだった。

402:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:07:59 iJSNekz6

 華族の夕餉といっても、京口家ではこれが上等な部類である。
 夕華が豆腐が好きなため、その系統の料理を二皿用意させるくらいの融通はきくが、豪奢とはとても言いがたい。しかも料理はたいてい冷えていた。

 もっとも、料理が冷えたものばかりなのは屋敷の設計上、しかたがないことだった。京口邸の厨房は大食堂から半町(約55メートル)ちかく離れている。
 たいていの料理はしずしず運ばれるうちにある程度冷めてしまう。
 そこでここの厨房では、最初から冷めていてもいい料理が作られる。
 こういったことは京口邸のほかにもよくあるのか、華族は猫舌の者が多いという。

 寒いのは料理と気温のせいばかりではなかった。煉瓦づくりの大食堂は広すぎて、人のいない風景が寒々しいのだ。
 百年前なら、給仕役だけでも後方左右に数人ずつ控えているのが常だったというが、むろん現在ではそんなこともなかった。
 いまは夕華と、給仕してくれる乳母以外にだれもいない。

 先ほどから話しかけようかどうか迷う表情だった乳母が、とうとうそっと夕華のかたわらに身をかがめた。

「あの……夕華様、どうかなされたのですか」

「いきなりどうしたの、吉乃さん」

 吉乃は乳母の名前だった。

「いえ、帰ってきて突然、こちらで食べると言い出されましたから。つねは私どもとご一緒されていますのに。
 よければ今からでもあちらに行きませんか、あちらでは夕華様のお好きな湯豆腐ですよ」

 吉乃の言うとおり、夕華はふだんは厨房に近い一室で、使用人たちと和気藹々と食べている。
 そちらのほうが、寒くない。
 けれどたまには、人の温かさを避けることもあった。いまは誰とも話をしたくなかった。

 ここは丁度いい。
 しんと静まりかえった大食堂には今夜、父子爵も同席しない。かれは数日がかりで遠方へおもむいている。
 帰宅は今夜遅くだというので、顔を合わせる気づかいはなかった。

 もっとも、父と話すことになるだろう明日を思えば、憂鬱になる。渋沢家主催の観桜会に出席したことを知られたら、間違いなく怒りを抱かれるだろうから。
 父のことはひとまず置いて、夕華は乳母に返答した。

「大丈夫。たまにはこちらで食べてみようと考えただけだから」

「小鍋で湯豆腐だけでもお持ちしましょうか」

「いいや、今夜はもう結構。ありがとう、吉乃さん」

 夕華は心配顔になっている乳母に微笑んだ。なるべく柔和に干渉を拒否するためのサインである。
 吉乃は納得しがたい表情をしたが、黙ってひきさがってくれた。

 颯と切れのある身ごなしで席を立ち、夕華は食堂を出た。
 夕華がジーパンやスラックスなどのロングパンツ系を好むのは、動きやすいからでもある。
 長い美脚を伸ばしてよどみなく動かし、大またでなめらかに歩をはこぶ。

403:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:09:12 iJSNekz6

 寒々しいのは大食堂にかぎらない。大理石の柱ならぶ閑寂とした柱廊にも、人の気配はほとんどない。
 夕華が幼いころから使用人は少なかったが、四年前に祖父が死んでからはさらに減った。
 新しい京口子爵となった父が、人件費削減と称して半分以上の使用人を解雇したためだった。

(人の姿が見えなくても、気を抜いたらだめ)

 夕華は自分に言い聞かせる。
 内情はすぐにも走りたいくらいだったが、二階に行くまではと必死に気を張っていた。
 少ないとはいえ、一階だとやはり使用人の目がないわけではないのだ。
 様子がおかしいことに気づかれたくはない。

 父子爵は和館で寝起きすることを好むが、夕華はそちらではあまり眠りたくない。京口邸の和館の廊下には、昔から幽霊が徘徊するという話がある。
 そのため彼女は、洋館の二階奥の一室で寝起きしていた。
 その小ぢんまりとしたやや質素な洋室は、昔は住みこみの小間づかいが使っていたという。
 いまではこの家の令嬢が寝起きのため使っているわけである。

 このようなところでも隔世の感があるが、夕華がそちらで寝ることにしているのには、節倹とは別に理由がある。
 夜、二階を使うものは誰もいない。そのことが彼女にとって好都合になるときがあるからだった。

 ホール奥にある大階段をやや早足でのぼり、明かりのない二階へと上る。

 二階にかぎらず屋敷の大部分が暗いのは、京口子爵家の台所事情が、電気代を気にせず灯をつけっぱなしでいられるような状態にはないからだった。もう何十年も前からだが。
 夜目がきく体質なのをいいことに、夕華は明かりの点け消しを省いて暗闇を足早にすすむ。

(―遠いな、部屋)

 月影がガラスの天窓からほの白くさしこむ。
 廊下に長々とどこまでも敷かれている古い毛氈は、ところどころすり切れて埃に汚れている。

 古びたドアの前をいくつも通り過ぎる。
 京口邸の建築物は、和館と洋館と離れの茶室に分かれ、撞球(ビリヤード)室や映写室を含めて六十六の部屋を持つ。
 そのほとんどは現在使われておらず、一年に一回も開けない部屋もある。

 三代目の子爵が燃え尽きて黒こげになるという奇妙な死に方をした撞球室や、その長男が殺されたというある客室などは、十年以上も開かずの間にされている。
 運悪く客室のほうは二階の廊下にあって、夜半に夕華がその前を通ると、部屋の内側からドアをかりかりひっかく音が聞こえてくることがある。
 かなり怖いが、そういうものと和館の廊下でばったり正面から出くわすよりはまだましだろう、と思えば我慢できる。

 屋敷の敷地は一万六千坪。半分以上が庭園だが、広大なことには変わりなかった。

404:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:10:44 iJSNekz6

 このときの夕華には、荒廃した自邸の無駄な広さがただ恨めしかった。
 廊下が長い。

(今夜は来るという予感はしていたけど、ほんとうに夕食の途中に始まるなんて思わなかった―
 いつもは起こるとしても布団に入ってからなのに!)

 それにしても念のため大食堂で食べることにしていてよかった。
 吉乃にはなにか感づかれたかもしれないが、使用人みんなといっしょに食べているときに「あれ」が来ていたよりはましだった。

 急がなくては。
 もうべっとりと背筋に汗をかいている。
 呼吸が荒い。心音がうるさい。
 幾多の微細な蟲がぞわぞわ這いあがってくるに似た、あのおぞましい感覚が、いよいよ限界に達している。

 突きあたりの自室に入った時には、ほとんど駆け足だった。
 暗黒のなか震える手で後ろ手にまさぐり、せわしなく鍵をかける。

 密室となってようやく安心した瞬間に―瞳のなかに保っていた理知の光がどろりと崩れた。

…………………………
……………
……

 こざっぱりとした洋風の小間物部屋。

 窓には、色あい暗めの緋のカーテンが垂れさがる。
 ビロードのカーテンのすきまからは月光がひとすじ漏れて、木綿の白シーツの寝台に投げかけられていた。

 蒼ずむ闇と白い光がまじりあう寝台の上に、くちゅくちゅと水音が鳴っている。
 半裸の少女が、簡素な寝台に横たわっていた。
 雪肌からは艶なる香気がたちのぼり、呼気は情欲にまみれている。

(あつい……)

 しどけなく眉を下げ、目をうるませて夕華はあえいだ。部屋じゅうが熱い。
 違う。夜気も月光も冷たいままで、熱いのは自分の体だけだった。

 ことに股間には、妖紅色の炎が燃えさかっているようで、そこから悪寒をともなう熱が休みなく全身に伝わっていく。
 服を脱ぎかけたまま横臥している夕華の素肌は、しっとりと汗に濡れて艶美におぼろめいている。

 鍵をかけてすぐ、寝台に身を投げていたらしい。
 そこからすでに記憶があやふやだった。

405:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:12:34 iJSNekz6

 革靴は無意識で床に脱ぎ捨てたようだったが、ジーンズは完全に脱いではおらず、赤いショーツごと膝のあたりまで下げただけだった。
 上半身のニットは着たままだったが、いつのまにか胸上までたくしあげており、ショーツとおそろいの真紅のブラジャーも外している。

 長身で細身だが、女の部分の肉付きは充分すぎるほどで、美女の体として均整のとれた裸である。
 触れてみれば弾みそうなほど若々しい乳房は、豊かな重さをたたえ、夕華が身をよじるたびに闇のなかでたぷ、ぷるりと揺れた。

「……ぅ……んっ……ぁぁ……」

 背をやや丸めて、夕華は太ももの間に手をさしこんでいた。
 ずっと響いている粘っこい水音は、少女自身の指で鳴らしているものだった。

 宙にふりまかれた淫気が凝結して、ぴちゃぴちゃと天井から寝台にしたたっている気がする。
 紅潮しきった美貌を上向かせ、夕華は呼吸をつむぐ。体内の熾き火にあぶられて、血肉まで情欲に溶けそうだった。

  ―好き。ゆうかちゃんが好き。好き、好き、好き……

(やめて……)

 いつもとおなじく、記憶の底からあの声がささやきかけてくる。あるいは淫気とおなじく、ぽた、ぽた、ぽたと落ちてくる。

 声にともない、まぶたの裏に浮かび上がるのは、あの夕べの情景だった。

 春まだ浅い小ぬか雨の宵の、屋敷の湯殿である。
 目を閉じて夕華に抱きつき、無心で体をゆすっている男の子。
 少年の、いつもはふわふわの髪は濡れて、柔らかな頬にはりついている。

 檜(ヒノキ)の香りと肌の温かさ。
 しっかり夕華の体に回された幼い腕。
 好きだよと告げてくる男の子の声が、頭蓋の中でこだまし続ける。

(いつにもまして、今回はひどい……)

 朦朧と考えながら、夕華は熱くふやけた秘部から指先を抜いた。
 愛液で濡れたひとさし指と中指でこわごわ陰核に触れる。
 かぶった皮ごとその尖った肉をそっとつまむ―それだけで陰核がさらに膨らみ、電流が腰に走った。

「んっ、んっ」

 ふに、ふに、くにゅ、と包皮の上から柔らかく陰核をいじる。
 ごくごく微妙な力で触れたつもりだったが、中身を固くしこらせていた陰核は、指の熱を感じただけでヒクヒクさらに勃起してしまっている。
 あげく、うっかり周囲の肉を押さえすぎて、包皮がずりおちてぷりゅんと肉豆が剥け出てしまう。腰どころか脊髄をかけのぼって頭まで電流が突き抜ける。
 夕華は短く悲鳴をあげて、繊麗なのどを反らした。

406:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:14:11 iJSNekz6

(いやだ、この、感覚……)

 一瞬しびれた脳の裏側が、むずがゆくひりひりしはじめる。それとともに自分の体への諦念と厭悪があらためてわきあがる。
 いまの一連の刺激だけで、軽く達してしまったのだった。はぁはぁと荒く息を乱し、弛緩した体をぐったりとシーツに沈める。
 先ほどから秘部の浅いところに触れて女の肉が昂ぶっていたとはいえ、簡単すぎる絶頂だった。

 今夜の肉情の煮立ちようは異常だった。
 現にさっきの今でまた、夕華の指はそろそろと秘部に伸びていた。まだ全然、発情しきった体が満足してくれない。

(こっちに帰ってきても、まだこんな……
 ううん、まだもなにも症状が進行してる……)

 「症状」。
 夕華にとっては、この突発的な性衝動は、まさしく厄介な持病だった。
 自慰は楽しむようなものではなく、情欲の発作をしずめる応急処置である。

 こういう夜がたまにあるのだ。淫情に全身が熱くなり、媚毒を血管内に注ぎこまれたかのように悶える夜が。
 あの春の夕方のことを回想する。夢にも見る。
 甘い思い出のはずなのに、それは今では肉を爛れさせる。
 こんなことをするために思い返したいわけではなかった。記憶がよみがえるのはたいてい疲れているときや落ち込んでいるときだ。

 眠りに落ちる前後の気をゆるめた瞬間に、ふとしたはずみでそれが意識の表層に出てきてしまうのである。
 神経が疲れると、無意識になぐさめを求めて体が思い出してしまう感じだった。

 だから、「はやく体をなだめて寝てしまわないと」との一念で指を使うのが、彼女の自慰だった。
 ―けれどそれにもかかわらず、少女の肉はおぼえさせられた快楽に味をしめ、明らかに淫らに成長していった。最近では、理性がなかば飛んでしまうほどに悦びが大きい。
 幼い京介の告白の声を何度も思いかえして瞳をとろんとさせ、乳房や秘部を夢中でいじって絶頂を迎えるのが常になっていった。

…………………………

 最初からここまでひどかったわけではない。

 女学校に入学した初年度のころは、何週間かに一度あるくらいの頻度だった。
 欲情の程度も、悶々しながら布団のなかでもぞもぞ寝返りをうつくらいだった。
 だがそういう夜を何度か経るにつれて分泌される愛液の量が増えていき、うずきも耐え難くなっていった。寝る前に回想が湧きあがる夜は、そのまま寝た後もかならず夢に見てしまう。

 二年生に進級するころには、発作の頻度は十日に一度ほど。それもタオルを布団にもちこんで、夜通し股間をこっそり拭かなければならなくなった。そうしないと朝方には内股までべとつくのである。

 そうなっても最初は、自涜はしていなかった。
 押しあてた布の上から柔らかい秘部をくにゅくにゅ圧迫すると、切なく甘い感覚があることには以前から気づいていたが、「そういうこと」をするのは嫌だった。
 しばらくは、発作が起きると、みじめな気分で一晩中愛液をぬぐうばかりだった。

407:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:15:27 iJSNekz6

 その封印が破れたのは二年生の夏、実家の祖父が突然死んだときだった。
 ―……渋沢家と縁の深かった祖父の存在とともに、心のどこかで望みをかけていた何かが、あのときぶつんと切れた。
 かれの命が消えた瞬間に、かれがすすめるはずだった京口家と渋沢家との縁談の可能性も消えたのだから。

 もっとも祖父が死んだ直後は、そのことを思う余裕はなかった。
 祖父のあまりに急な死に呆然として、通夜の席でも葬式でも京介とはほとんど話さず、そのあとは父に命じられるまますぐ帝都へ戻ったのだった。

 けれど日がたつほどに、さまざまな喪失感で心が錆びて軋った。
 最初の縁談が父を通じて持ちこまれたのはそのころだった。
 縁談相手の写真を見ながら、(京介君との結婚話があったとしても、やっぱり無くなったみたい)と、意外に乾いた認識をしたのをおぼえている。

 無感動に乾いていられたのはそこまでだった。
 あとは夜ごとに胸の苦しさが膨れ上がるばかりで、それが拍車をかけたらしく体のうずきはますますひどくなった。

 そして半年後のある夜、とうとう思い出に逃げこんだ。京介との一度きりの行為を、自分の意思で克明になぞり、股間に直接触れてはじめて指を使った。
 情欲を押し殺されて不満を溜めこんできた体は、あっけないほど簡単に灼熱した。
 達したあと枕に顔をうずめ、声を殺して泣いた。

 以来、継続的に自涜行為をしてきた。
 悶える夜にだけと心がけていても、持ち込まれた縁談を断るのに苦労しているときなどは、毎晩のようにあのことを回想してしまうのだ。
 最上級生になったころには、一度その状態になったら股間を自分で慰めてすっきりするまでもう寝付けないほどになっていた。

 欲求を処理せず無理に寝て、夢を見てしまうと悲惨である。甘い追憶にひたりながら夜着まで濡らしてしまう。
 他者に見られていれば夜尿症かと思われるほどの濡れようで、六年間誰にも気づかれずにすんだのは幸いだった。

 周囲に気づかれないまま、肉体はひたすら過敏の度を増して成熟していった。

 今夜とおなじくしつこく体を悩ませる発情の夜に、どれだけ達してもおさまらず、秘部を一晩中いじりつづけたときがある。
 いつもは一度かせいぜい二度も達すればおさまるのに、その日は触れば触るほどうずきが耐えがたくなって、止められなくなった。
 寮の隣室に気づかれぬよう、布団の端を口につめこんで必死で声を殺し、きつく閉じた目尻から涙をこぼしながら何度も達した。
 最後には愛液か尿かわからないものまで漏らし、どろどろの股間をやっとのことでぬぐって、ほとんど失神の態で眠りについた。
 幸いにも、あのときほどしつこく長引く発情はそのとき以来ない。

 自己嫌悪で泣くことも、いまではほとんどなくなった。とっくの昔に、諦めている。

 治そうとは、何度もした。
 とても人には話せなかったが、夕華なりにいろいろとやってはみたのだ。

 まず、自身が意識して「女」から遠ざっていれば、この体の反応―女性としての過剰な欲求らしきものが少しでも弱まるかと考えた。
 髪は伸ばさなかったし、洋服だんすには男物を多めにそろえている。言葉づかいまでも、男言葉というほどではないが、周囲の令嬢たちよりずっと俗っぽいもので通した。

408:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:16:42 iJSNekz6

 また日ごろは極力、性に関することから意識を遠ざけて、知識を持たないようにしていた。
 級友たちが持ちこんできゃあきゃあ騒いでいた巷の恋愛小説からも目をそむけたし、まして艶本など見たことも無い。小学生のころ好きだった叙情詩からさえも遠くなった。
 授業での性教育すら、単語を覚えまいとこっそり耳に綿をつめこみ、必死で黒板や教科書からそっぽを向いていた。

 そのため夕華は、十八のこの年齢になっても性的な語彙にはうとい。そこらの男子中学生のほうが、卑猥な単語だけなら夕華よりはるかに詳しいだろう。
 もともと夕華の入った女学校は外界と断絶しているに近い。そこでさえ、彼女ほどその意味で物知らずな娘はいなかった。
 周囲の生徒からも、夕華は、色恋や性愛に極端に免疫のない娘だと思われていたくらいだった。

 けれど、それらの心がけは全部効果がなかった。
 ふだん気にしようがしなかろうが、知識があろうがなかろうが、それと関係なく夜の悩ましい発作は起こった。ひとたびそうなれば、自身の肉に触れてなだめざるを得なかった。
 そのたびに夕華の体は、性感をますます鋭敏に成熟させていったのである。

 服の趣味にしても、やはり逆に、マニッシュな魅力をかもし出すことにつながるのみだった。
 夜の悶えが女としての成長に関係あるのか、本人が望まないうちに夕華の胸や腰は肉感悩ましく実っていった。
 どんどん育っていく若い肉体は、男物の服を健康的に張りつめさせて、夕華がどこまでも女であることを強調した。

 形だけでもなるべく女らしさを否定しようという発想は、その時点で失敗していたわけである。

 夕華自身は気が付いていないが、性を禁忌としてかたくなに拒もうとするその態度さえ、逆効果となっていた。
 ふだんは晴朗な性格である夕華の、その影を帯びた部分からは、どこか背徳的で艶っぽい色香が蘭の花のように匂いたつのである。

 隠している秘密から薫りたつ、ほのかに妖しい雰囲気には、無意識ながら周囲の女生徒たちでさえも惹きつけられずにはいられなかった。
 頬を染めて夕華が顔をそむけるのを見たいため、先輩や同級生がしばしばわざと彼女の前で可愛らしい猥談をしていたとは、彼女には予想もつかないのだった。

…………………………

 夕華の発作の惨状は、女学校を卒業してこちらに帰ってきても、軽微なものになるどころではなかった。
 むしろ今しがた自分でも認めるしかなかったように、この一ヶ月で悪化に加速がついている。

 考えてみれば当たり前だ。これが起こるのはストレスがたまった末のことなのだから。
 幼いころとはまったくちがい、故郷は夕華にとって安らぐ場所ではなくなっていた。


 突然に死んだ祖父のかわりに、屋敷には父が君臨している。
 女学校にいたときから、父が用意してくる縁談の多くをどうにか断ってきたが、いまは父とおなじ屋敷にいる。
 華族の娘の結婚年齢としては、夕華はまさに今頃が適齢期である。言を左右にして結婚話を先送りするたびに、父からの圧迫は強まっていく。

 これ以上、はっきりした理由もないのに「まだ嫌」とそれだけで縁談を断りつづけることは難しいのだ。
 それに加えて、もうひとつ根本的な原因がある。

409:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:17:58 iJSNekz6

(あの子のせいだ……待ってみたらけっきょく、あっちからは会いにも来てくれない。私は何度も行ったのに。
 来てくれないどころか、あんな)

 今夜、なんでこの情欲の発作が起きたのかは考えるまでもない。
 京介が恋人を作っていたと知ったからだ。
 すぐに別れたという話だが、夕華は受けた衝撃で足元がさだまらない思いだった。

 あの男の子が、本気で自分から離れていこうとしていた。
 鬱屈の材料として、これ以上のものはなかった。

「あの日はあんなに好きだと言ったくせに。薄情者……」

 そう闇に向けてつぶやきながら、夕華はシーツになめらかな右頬をすりつけた。
 初めて契りを結んだあの夕べに、最初に口づけされたのがその頬だった。
 あのとき、そこから体内に火が入った気がした。

 その情火はいつまでも消えてくれず、熾き火となって残った。ときおり赤々と燃え、六年も執拗に夕華をさいなんできたのである。
 少年への怨情をこめた言葉を、夕華は哀しげに口にした。

「あんな子はもう知るもんか」

 部屋の寂しい闇が、耐えがたかった。

 ―じゅくんと子宮がしこる。
 やるせない想いに反応して、女の肉がうずきを一層深めていた。体内の赤黒い熾き火が、ちろちろ燃えている。

(『処理』しないと……)

 魅惑的にほどよく肉のついた太ももをすりあわせるようにして、脚をもぞつかせる。
 膝下まで下げていたジーパンとショーツを、脚だけで完全に脱ぎ捨て、悩ましい脚線美をあらわにする。
 夕華は剥きあがってしまっている陰核の包皮をつまみ、細心の注意をはらってそろそろと戻した。

 それでさえも腰がはねあがりそうだったが、どうにか過敏をきわめる快楽器官は、皮のかげに隠れてくれた。
 そこはやはり避けることにしたのだった。今夜は予想外に快楽が鋭すぎる。

 指を恥丘から下にすべらせ、ふっくらした大陰唇に右手の中指をたてに食いこませた。
 ぬるぬると指を前後させて、はしたなく愛液でぬめった小陰唇および膣前庭、膣口の上を刺激していく。
 熱く濡れた陰唇のぷりぷりした肉をこすりながら、夕華はもう一方の手で乳房を触った。

 切なさをこらえるように豊かな乳肉を五指でぎゅっとつかむ。
 けれど乳肌からも甘い肉悦の波紋が伝わり、子宮まで響いていく。意図とは逆に、かえって切ない情感がじんわりこみあげる。

410:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:19:20 iJSNekz6

(胸、また感じやすくなった……)

 それに、また大きくなったのかもしれない。てのひらに伝わる豊かな肉の重みがわずかに増した気がする。
 正直いって嫌だった。どんどん男好きのする体に変わっていく。

 だがいくら成長を嫌悪しようと、その扇情的な肉房が、夕華の体のなかでもとくに悦びをうみだす場所の一つなのは変わらなかった。

「ぅ―」

 まろやかな乳球をみずから揉みこねまわすたび、肉の熱と感度がますます引き上げられていく。
 豊麗な美乳がぷりぷりに張りつめ、乳首が陰核と同様にうずく。それらの小さな肉の芽は、鼓動と同調してトクトクと膨らみっぱなしだった。

 熱い血流のリズムが子宮を揺り動かし、肌にじっとり気だるい汗が噴く。
 美唇が苦しげに呼吸をむさぼり、阿片を呑まされたように瞳の焦点がぼやけていく。
 とろけた秘肉をさすり、プチュプチュ愛液を鳴らしながら、いつしか夕華は濡れた声をあげ続けていた。

「あっ……ぁっ、……ああ、……あぁぁ……」

 はっと気づいて唇を噛む。

(だめ、声―)

 といってもいまは寮ではない。広い自邸の奥にある一室である。少しくらい叫び声をあげても気づかれはしないはずだった。
 それでも声などあげていいわけがない、と夕華は固く思っていた。
 女学校での性教育の時間でも、日々受けた華族女性としての躾けでも、朝礼でよく説かれた十字教の教えでも、こういったことには「清らかな女」であれと教わった。

 結婚マデハ必ズ処女ヲ守レ。貞潔デアレ。肉欲ハ抱クナ。己ヲ律スベシ。姦淫ハ罪。
 閨ノ行ヒハ楽シムモノデハアリマセン、神聖ナ営ミデス。
 アナタガタ良キ娘サンガタハ、良キ方ニ嫁ギ、良キ妻トナリ良キ母トナリ、家ヲ守ルノガ務メデス。
 人生ハ誘惑ニ満チテイマス。デスガ、ソレラハ断固トシテ遠ザケナサイ。

 過チハ犯シテハ、ナリマセン。

 そんなことを説かれたところで夕華にはいまさらで、罪悪感を植えつけられ、ばつの悪い顔でうつむくのがいつものことだった。
 彼女が初めてを京介にあげてしまったのは、女学校に入る前だったのだから。
 教壇で説教をしていた尼僧も、まさか十二歳で入学する以前に男性経験のある生徒がいるとは思わなかっただろう。

 どうにもならないが、せめてといった感じで夕華は自慰の声だけはあげないように努めていた。

 あるいはこんな異常で淫らな衝動が起こるようになったのは、貞潔を守らなかった罰だろうか。
 それでなくても、なにかの天罰ということはあるかもしれない。

411:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:20:50 iJSNekz6

(火付け人の家だもの。
 七代くらい祟られていてもおかしくないじゃない……)

 笑えないことに、いや、かえって不謹慎な笑いさえこみあげることに、京口為友から数えて、夕華はちょうど世代的に七代目だった。

 ……ばかばかしいけれど、いっそ呪いと思ってしまったほうが気が楽なのだ。
 そうでなければ、こんな―発情期の獣よりひどいこの常軌を逸した蕩けかたは、夕華自身の生来のものになってしまう。
 けれど、やはり否定する声が内部から聞こえる。

  『―祟りや天罰などがあるものか』

 今度の声は、父のものだった。心をがりっと鉄の爪にひっかかれた気がした。

 諦めろと声がする。その肉の業は真実おまえのものだと、そういう女だったのだと、持って生まれた性質からして病的な淫乱の性なのだと声がする。
 キタナラシイ、と声がする。
 最後のその声は、父のものではなく京介の声に似ている気がした。心の掻き傷がじくじく膿んでいく。

(ちがう。あの子が私にそんなことを言ったりするもんか)

 反射的に夕華は悲鳴のように念じたが、その端からすぐ(絶対にそうだろうか?)と自信がなくなる。

(言わない。言うはずがない、だってあの子は私が好きだと―)

(ううん、もう違うじゃない。私のことなんて忘れようとしていた)

(それに、あの子が好きと言ってくれたのは、六年前の私で、いまのこんな女じゃない)

 あのころは、こんな乱れ方をする女ではなかった。
 浅ましい自涜など知らず、天地になんら恥じるところなく、胸をいつでも張っている子供だった。そんな自分を、幼い京介も慕ってくれていたのだと思う。

 くらべると、今の自分はなんなのだろう。
 発作的に発情して自涜行為にふけり、寝台に這って身をくねらせている女だ。脳裏も秘部もどろどろに溶かして、みずからの指で肉の罪を掘りおこし、それに蕩けきっている。

(いまのこの姿をあの子に知られたら……)

 ぎゅっと目をつぶる。その先は考えたくない。
 合わせる顔がないというより、自分のこんな部分に、京介が少しでも嫌悪を示したらどうしようと思う。
 幻滅されるのが怖い。ただただ怖くてたまらなかった。

 心の掻き傷の膿み具合が進行して、痛がゆいほどになっていく。

「京介君……」

412:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:22:09 iJSNekz6

 少年の名をつぶやいたとき、愁える想いが夕華の瞳にたゆたい、しだいに蕩けて熱くうるんだ状態に戻っていく。秘部と乳房にかかる繊美な手がそろそろとうごめき出す。
 ぐるぐる惑った末に、けっきょく夕華が選んだのは、遠い思い出に逃げこむという堂々巡りでしかなかった。でも、溺れてしまえば当面は考えないですむ。

 何度も「京介君、京介君」と、かぼそく名をささやきながら、自慰を再開したとき、唐突にぞわんと肉悦が膨れた。
 続けてどくりと凶暴に、心悸がはねた。

(――あ)

 ぱっと火の粉が散り、心の傷が膿ごとたちまち炎上し、急速に火球がふくらんでいく感覚があった。
 熾き火が見える。赤黒い。

「あ、あ、ぁ、ぁあっ……」

 発作の程度がもう一段、いままで上ったことのない高みに押し上げられていた。
 体内が沸騰する。

 夕華の心臓は、壊れたように暴れてどくどく血液を送りだしている。血管をかけめぐって妖紅色の炎がうねり、沸血が荒れ狂う。
 長い脚がきゅっとひきつけられ、仰向けの体にガクガクと痙攣が走った。淫熱でうす赤く染まった肌から、少女の汗がぶわっと噴く。

「こ、これなに―ひぃっ!」

 せっかく戻した陰核包皮がぬるんと剥けて、可愛らしく露出した肉豆がひくひく脈動した。
 押しとどめようとした指が、赤剥けした肉粒をもろに押さえることになってしまう。夕華の腰がビクンとはねた。またも軽く達したが、肉の悩乱はわずかも弱まらない。
 胎内で、どぷりと子宮が熱い粘液を吐き出し、収縮した膣口が水気たっぷりにクチャと鳴った。

 肌が汗に輝き、淫艶にわなないた。足の指がにぎりこまれてシーツをぎゅっと巻きこむ。
 目に見えない、燃えているなにかに力ずくで押さえ込まれている。
 あるいは百千の舌で、全身の神経を内側からなめずられているようだった。

 いままでとは比べ物にならないくらい体が熱い。熱いのにひっきりなしに悪寒が走り、カチカチと奥歯が鳴っていた。
 この世の多くの宗教で、なぜ「地獄は炎に満ちている」と説かれるのか、今よくわかった気がする。

(ひ、火を、鎮めない、と)

 震える身を起こして足元のジーパンをひっつかみ、ポケットをまさぐって薄絹のハンカチを引っ張り出した。
 それを股間の秘肉に押し当てて、夕華は寝台にうつ伏せにうずくまった。乳房がシーツに柔艶にむにゅとつぶれ、美尻が持ち上がる。

 ひざをつき、上体を伏せて這ったこの格好は、獣さながらで自分でもあまりに恥ずかしいとわかっている。
 それでも、この体勢で布を押し当てるやり方が、シーツを濡らしてしまう危険がいちばん少なかった。ときおり、快楽の極まったあたりで、潮を噴くという現象が起こってしまうことがあるのだ。
 その漏らす液体は、恥悶の夜ごとに高まっていく感度にあわせるように、少しずつ噴きだす量が増えていっていた。用意した布がしずくをぽたぽた落とすほど、漏らしてしまうこともある。
 夕華にはそれがなんなのかはわからず、ただ失禁じみたその現象を起こしてしまうたびに、深い自己嫌悪に苛まれてきたのだった。

413:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:23:33 iJSNekz6

 とにかく、熱くうるんだ秘部にタオルやハンカチを当て、柔熱い肉を布の上から押さえさすって終わらせればいい。液体は、布地が吸い取ってくれる。

「あんんんっ……!」

 あらためて薄絹をとおして、妖美な剥け肉豆におずおず触れたとき、最後の自制心が霧になって一瞬で飛び散った。
 さすっている膣口からこぷこぷと蜜がこぼれてくる。
 その肉穴にハンカチごと指先をもぐりこませると、媚肉が吸いつくように締まった。柔らかいとはいえ布にこすられて、呪わしい性感がじくじく放射状に広がる。

 ハンカチを広げた手のひら全体で秘部をつつむようにして、にゅるにゅるに蕩けた肉を圧迫してさすりはじめる。理性が溶岩の底なし沼に沈んでいく。
 陰核まで掌底で押さえている。あまりに敏感なその肉をぐっぐっと揉みこむように刺激しているのに、痛みはない。わき上がるのは真紅の電流のような悦びだけだった。

(溶ける、やだ、とける……んっ、)

「ひぁんんっ、んっ……んっ……!」

 赤熱の快楽が絶頂を何度も呼ぶ。血の淫熱が沸点に達してちょっと下降し、またすぐ煮立つということを繰り返す。
 こんなものは欲しくない。

(痛いほうがいい……痛いほうが、よっぽどいいっ……!)

 肉が爛れる官能のなか、夕華は血を吐くような思いを抱いた。
 京介との初めてのときは痛かったが、あの清冽な痛みは、大切な思い出の一部だった。それを汚してしまっている。
 勝手に思いかえして貪欲な快楽をむさぼる、自分自身の記憶回路と肉体に、夕華はほとんど憎悪を感じていた。

(おわって、はやくおわってよ……!
 ああ、またっ、またとける、……嫌……!)

「っくぅ……ふーっ……くぅぅんっ……!」

 震える舌をひっこめ、奥歯をくいしばって叫びをこらえ、“溶ける”。夕華は、絶頂のことをそう認識していた。

 ハンカチはの押し当てた部分はすでにぐっしょりと蜜を吸収して、湯気を立てそうなほど熱く濡れている。
 火照る双球を押しこねまわすように、しなやかな背を反らして豊麗な胸を木綿シーツに押しつけ、美少女が淫蕩に身をくねらせる。
 そのたびにむにゅむにゅと肉房の形がうつろう。乳房が押しつけられた周辺の布にも、さざ波のごとき皺ができていく。
 甘い火傷じみた、ひりつく快楽が、勃起した乳首を中心にじゅわりと乳肉に広がった。

「ふぅっ、ふっ……、ぅんんんっ」

 乳球を押しつぶす刺激がつぎの絶頂への呼び水となり、“溶け”た。膣肉が内奥から震撼して、ぴゅくと愛液をふきこぼす。
 桃色に茹だったなめらかな肌は、甘汗にすっかり濡れそぼち、しっとりととろみを帯びていた。
 手は自慰中毒さながらに夢中になって、二枚の大陰唇のあいだの肉泥をぐちゃぐちゃにかきまわしている。震えながら罪深い火に焼かれ続ける。

414:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:25:19 iJSNekz6

 陰核がプクンと、濡れて肌に張りついたハンカチを押し上げていた。
 覚悟をきめて、夕華はその過敏な肉豆を布越しに指の腹でおさえた。尖りきったそれの上に小さな丸を描き続けるように、クリクリなぜまわす。
 鋭い快楽に、命じられたように艶美な尻がビクンと持ち上がった。

(あ――来る)

 周回して堕ちるように深まっていく官能が、その描く円をせばめて、一点へ向けていよいよ収束していく。
 炎がごうごうとわめき、ひときわ熾烈な波がくる。

「あああっ、あ――んむんんんっ!」

 もう声を抑えようという理性すら飛んでいた―が、最後の瞬間に、夕華はとっさに、顔前のシーツに落ちていた銀のロザリオを噛んだ。
 それはずっと革紐で首から下げていたのである。
 激しい燃焼に身をよじり、十字架細工にかみつく歯列の隙間から、押し殺した叫びをもらす。

  ―好きだよ、大好き……

「……んぅっ! ……んんんんっっ……! んー……っ……!」

 今夜もっとも大きい絶頂に意識を灼熱させながら、脳裏に浮かび上がっていたのはやはりあの夕べの告白だった。
 両手で押さえたハンカチの下で、ピチュと一条の熱い液が弾ける感覚があった。

「んんーっ、……っ、……!
 ……んっ、……くっ、ぅぅ……」

 烈火が渦を巻き、猛り、ごうっと流れ、……そして火勢をじょじょに鎮めていった。
 ぐっしょり濡れて貼りつくハンカチを、陰唇で噛みしめるかのように、熱い秘肉が妖しくひくついている。

 ややあって、焦げかけた脳を余韻に痺れさせられながら、ようやく体の力がほどけていった。
 夕華はロザリオを歯のあいだから落とした。わななく艶唇と銀細工のあいだに、唾液がつぅと糸をひく。

「ふ……ぇ、ぁぁ……やっ……やっと……、おわった……」

 ほつれたショートの髪が、紅艶に染まった頬にひと筋貼りついていた。
 望まない淫楽に煮崩れさせられ、光が失せた瞳が力なくとろけていた。くびれた腰が弱々しく痙攣している。
 乳房とおなじく豊麗に育ったなめらかな美尻が、なにかを求めるように、自分の意思を離れてなよやかにうねってしまっていた。

(つぎ起こったときは、叫び声、こらえられないかも……)

…………………………
……………
……

415:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:27:32 iJSNekz6

 小間物部屋の窓から入る月影が、さらさらと金紗を投げかけてくる。
 ごろんと仰向けに戻り、夕華はそれを寝台から見上げた。
 腕を上げ、手のひらを月光に透かす。ひろげた五指のあいだから光が漏れ、濡れた細指が淫靡にきらめいた。

「……お風呂入らないと」

 つぶやいて、けだるげな瞳に光を受け止めるうち、頭がじょじょに冷えていく。枕辺のちり紙で手をぬぐいながら考えた。

(結婚してしまおうか)

 夕華の住むこの世にあって結婚は、個人のものではない。家と家のものだ。
 父子爵はこの家を復興させ、往古の力を地元にひろげようと画策している。そのために娘を使って、ほかの地域の有力な家と閨閥を結ぶつもりだろう。
 そのことだけ見れば、べつに非難されるほどのことではない。どこの華族もやってきたことだ。

(父様に言われるまま結婚して、もうあの子とは会わないほうが、いいのかも―)

 会わなくなれば、京介はいつまでも自分を理想の初恋相手として憶えていてくれるだろう。
 自分だって案外、そちらのほうが楽になるかもしれない。

 京介との結婚は、夕華がどれだけ強く望んでも、ない。あの父に認めてもらうことなど、考えるだけ無駄である。

 時代にとりのこされたがごとき華族の家中では、家長の立場があらゆる意味で強い。法でさえそうだ。
 ことに華族籍以外にある者との縁組では、家長が同意して判をついた用紙で届出をすることが必要である。それをしないかぎり、正式に婚姻したことにはなりえない。
 だから、父の敵意があるかぎり、渋沢家との縁組はまずありえない。
 死んだ祖父がどこまで話をすすめていたのか知らないが、京口家が父に代がわりしたとたん渋沢家があっさり両家の縁組を諦めたらしいのは、間違いなくそれが理由だろう。

 かりにその事情を無視し、京介のもとに行ったとしても、見通しは明るいとは言えない。
 まだ京介に嫌われていないなら、恋人にまではなれるだろう。しかしその先、結婚できないとわかっていても、ずっと関係が壊れずにいられるだろうか。
 ―現実的に考えれば、難しいだろう。

(京介君がもし応えてくれても……)

 渋沢家の人々にも、首をふって反対される可能性は少なくないのだ。
 京介とてあちらの家のひとりきりの嫡男で、家を継ぐ義務がある。いずれ誰かと結婚して、正式な結婚から生まれた跡継ぎを残すことを期待されているはずだ。

 だから夕華はこれまで、京介との関係をはっきりさせるのが怖かった。
 周囲の人々に恋を知られるのが怖かったし、反対されて京介の心が揺るぐところを見るのが怖かった。人生を狂わせる重みをかれに背負わせるのが怖かった。

 心中や駆け落ちなどは考えないようにしているが、要するに夕華の恋は、それに近い覚悟がないと続けられないたぐいの恋なのだ。
 そんな覚悟を、『私のためにしてほしい』などと簡単に京介に言えるものではなかった。ましてや、こんな情けないことになっている女のために。

416:春の夕べの夢醒めて〈3〉 ◆ncmKVWuKUI
09/04/04 16:28:59 iJSNekz6

 そこを伏せて一時的に手をとりあっても、いつか恋は砕ける。そのあとには、ささやかな関係すら残らないかもしれない。
 それなら本当に、これ以上近づかず、綺麗な思い出のままでかれの心に残ったほうがましではないだろうか。

(……うぬぼれるのはやめよう。
 その前に、あっちのほうが私から離れていきそうなんだから)

 手をついて身を起こし、するりと寝台から下りて羅紗のじゅうたんを素足で踏んだ。
 窓辺に歩み寄り、荒れた京口邸の庭を見下ろす。
 かなたには坂松城の焼け跡が見える。渋沢邸もこのおなじ月に照らされている。家の栄枯は移っても天の月影だけは百五十年前と変わらない。

 窓を押し開けた。ふきこむ夜の涼気が、火照った若い肌にここちよい。
 しかし体は爽快でも、心は寒々としていた。

(莫迦だ、私。京介君に離れられることも覚悟していたはずだったのに。
 私が結婚するより先に駄目になることなんかないって、根拠もないのにどこかで思っていた)

 本当は、だれを責めようもない。幼いころに契りを取り交わしただけで、六年間恋心が変わらないままだと信じていた自分が、あまりに愚かだったのだ。
 少しくらい会話が少なくなっていても、自分たちはひっそり通じ合えていると思っていた。

(駄目になっていたのは、いつからだろう)

 父の目を盗んで帰省のたび会いに行くまではよくても、そのあと夕華がまともにやったことといえば、毎回「いい人はいるの」などとおっかなびっくり聞いていただけだ。
 「いいえ」と返事を聞いてまだ縁が切れていないことを確かめたら、とりあえず安堵していた。あわよくば向こうから踏み込んでくれることを期待していた。
 自分では、いつもそこから先へ踏み込むだけの勇気がもてず、すごすご引き返していっただけだった。

 けれど夕華には、それで精一杯だったのだ。

 父に知られることへの警戒と、
 変わってしまった自分と、
 背負わされる家の重圧と、
 仮にそれらを振り切ったとしても、正式に結ばれるのが難しいことと。

 それらが全部、土壇場であと一歩をふみだす勇気を奪っていった。
 ぐずぐずためらったあげくが今日のざまだ。

(ほんとうにあきらめどきなのかも。
 しょうがないか、自業自得だから……でも)

「すこし、さみしい」

 窓から夜天を見上げてぽつねんとつぶやく。春の月がこんなにも明るく見えたことはなかった。

 とにかく、幸せな記憶だけは双方に残るだろう。
 追憶の中の京介なら、いくらでも好きとささやいてくれる。ひたむきに夕華を求めてくれる。

 自涜だってもう何夜もしてきたのだ。完全に開き直ってしまえばいい。脳裏にひびくあの男の子の声にあわせて指を動かしていれば、その時間だけは京介から求められている気分になれる。
 すべてをあきらめて恥を忘れてしまえば、あの業火のような快楽にも、どこまでも溺れていられるようになるだろう。
 だから、いっそこの先も記憶だけあれば―

(―嫌)

 強く、不意に強く夕華の心にその思いがこみあげてきた。
 たしかに、こんな家のことに巻き込むのは嫌だった。こんな女になった自分を知られるのは嫌だった。けれどそれ以上に、このまま離れてしまうのが嫌だった。


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