ヤンデレの小説を書こう!Part21at EROPARO
ヤンデレの小説を書こう!Part21 - 暇つぶし2ch200:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:15:36 xwvUtjSz
「そ、そんな嬉しそうに……。しかし、わたくしは敵では……」
「そう? 敵なんて、いないよ。だって」
―ちーちゃんを好きな人に、悪い人はいないから。
イロリは、全く疑いもないような表情で、平然と言い放った。
少ししてから、照れてえへへと笑った。
その笑顔にとまどっている間に、また次の客が現れた。
「私も仲間に入れてもらおうか」
赤い髪の少女。ナギである。
「か、勘違いするな! 千歳とイロリがいなくなったら、今度は私がぼっちなんだ!」
ナギは訊いてもいないのに解説した。
「それに、お前の気持ちも、少しは分かるからな……」
遠い目をするナギ。その意味を考える暇もなく、来訪者のラッシュは続いた。
「あら、こういうのは、委員長の役目だと思ってたんですけど」
苦笑いをしながら、委員長こと、井上ミクが席についた。
「私は井上ミクと言います。どうとでも、気安く呼んでください」
そう言って笑いかける。邪心は微塵も感じられなかった。委員長として、クラスに馴染めないものを救済する。
ただ、そんなあたりまえの働きのために、いまここにいるようだ。
「ほら、もう友達ができただろ」
千歳が得意げに言った。
「このクラスは、いいひとばっかりだよ。カナメちゃんが話し掛けたら、みんな優しくしてくれるよ」
イロリが続く。
「強敵と書いてともと読む。これは常識だ。イロリとも、戦わない道を探すんだな」
ナギ。
「とまあ、そういうことらしいので。まあ……歓迎ってことでひとつ」
ミクがまとめる。
「皆様……!」
歓喜。
こみ上げてくる感情に、カナメは涙をこらえることができなかった。
今まで聞き耳を立てていただけだったクラスの者たちも、今では息を呑んでカナメを見守っている。
「皆様、わたくしは、学校に通ったことが無くて……。それで、どう振る舞えばいいのか、わからなくて……。それで……こんなことを……」
カナメは、顔を上げて、涙を拭き、赤くなった頬と振るえる声を、なんとかしてこらえながら、言った。
「学校って、暖かいのですね……」
その瞬間、不可解なことが起こった。
「っ!」
カナメが、糸が切れた人形のようにふっと倒れたのだ。
「お、おい!」
千歳が手を差し伸べる。が、そのときにはすでに意識を取り戻したようで、カナメはさっさと立ち上がっていた。
「どうした……?」
千歳が心配そうに聞くが、カナメは答えず、きょろきょろと周囲を見るだけだ。
と、少しして、千歳を含むクラスの者たちが、気付いた。
―違う。
エメラルドグリーンだったカナメの瞳が、金色に変色している。
「あたし……」
カナメが口を開いた。
「あたし、戻ってる……」

 ♪ ♪ ♪


201:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:16:06 xwvUtjSz
教室の最前、普段は教師の立っている場所に立つカナメ。その様子は、さっきまでの高飛車で不安定な性格と、まるで違う。
普通の、一般的な少女のそれのように見えた。
「改めて自己紹介します。あたしは、『宮崎 カナ』といいます」
教室中がざわつく。それはそうだ。御神カナメが、急に宮崎カナになったのだ。意味がわからない。
「信じられないかもしれませんが、あたしの中には、『御神 カナメ』と、『宮崎 カナ』の二人が存在しています」
「どういうことだ。簡潔に説明しろ」
ナギが急かした。すかさず千歳がナギの頬をつねり、言い直す。
「ゆっくりでもいい。わかりやすく、説明してくれないか? 言いたくない部分は伏せてもいい」
「ありがとうございます。千歳さん。……あたしは、もともとは普通の家の生まれで、御神グループの後継ぎでもなんでもなく、ただただ、平和な家庭で暮らしていました……」

 ♪ ♪ ♪


202:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:16:37 xwvUtjSz
あたしは、裕福ではないにしろ、皆さんと同じく普通の、幸せな暮らしをしていたと思います。本当に、なにもない日常があって、退屈なくらいで。皆さんと同じ、運命的な出会いや、発見や、事件との遭遇を夢見ていたりもしました。
あたしのなかにあった憧れは、だれにでもあるもので、でも、その蓄積はほんの少しのきっかけで崩壊してしまう、危ういものでした。
ある日、あたしがまだ小さかったとき。
「今日はお兄ちゃんととテニスするんだ。はやく帰ろー!」
いつもと同じ。退屈な日常の中で、唯一の楽しみであった、双子の兄との……お兄ちゃんとのテニスのため、あたしははずむように帰宅しました。
「ん、なんだろ、あれ」
家の前に、黒い車が―ものすごい高級車が止まっていたのです。怪しいとは思いましたが、その頃のあたしはやはり子供で、家の中で大切な話をしているのだろうと気を利かせることもしませんでした。
あたしの家なのだから遠慮はないと、ずかずかと家に乗り込むと、黒服の男とお父さん、お母さんが言い争っていました。
「ですから、このようにDNA鑑定の結果も……」
「なにがあろうが、あの子たちは私たちの子です。仮に遺伝子上御神家の子だとしても、あの子達を育てたのは私たちです」
「しかし……!」
「しかしもなにもありません! 断固として、あの子たちは渡しません!」
お父さんは、凄く怒っていました。事情のわからないあたしは黒服の男の人が可愛そうになって、ついその場に入っていきました。
「おとーさん、いじめちゃだめだよ……?」
「カナ……! きちゃだめだ! 部屋にいなさい!」
お父さんがあたしをどなったのは、すごく珍しいことでした。いつも優しいお父さんが豹変するのを見て、あたしは生理的な恐怖を覚えてしまいました。
「いやいや、感心しませんな。娘を怒鳴りつけるなど。良い親のすることではない」
だれかが、いつのまにかあたしの後ろに立っていて、あたしのあたまを撫でていました。
見上げると、それは初老の男性でした。柔和な顔つきで、何もかも見通しているような深いエメラルドグリーンの瞳が特徴でした。
「当主様!」
黒服の男は、その男性に驚き、即座にひれ伏しました。
幼いあたしでも理解できました。この男性は、只者ではないと。
「カナメちゃん」
男性は、優しくあたしに話し掛けました。
「あたしは、カナだよ。カナメちゃんじゃないよ」
そう返すと、男性は優しく笑って、言いました。
「いや、君は『御神 カナメ』。正真正銘の、わしの孫じゃよ」
「え……」
「カナ、聞くな! それはでたらめだ!」
「でたらめかそうでないかを決めるのは。わしについてくるかどうか決めるのは、この子が決めることですぞ」
「くっ……」
あたしは、困惑していまました。
意味がわからない。
「孫って、どういうこと?」
「カナメちゃんは、わしの家の子だったが、赤ん坊のとき、ある手違いで行方不明になってしまったのじゃよ。それを拾って育ててくれた親切なご夫婦が、宮崎夫妻、君の『お父さん』と『お母さん』なのじゃ」
「それって……つまり……」
「そう、君はこの家の本当の子ではない」
「え……まってよ……そんな……いきなり……」
「君は、この私、『御神 皇凱(オウガイ)』の孫、『御神 カナメ』なのじゃ。これは、まぎれもない事実。偽りの家族に育てられた君に与えられた、唯一の『真実』なのじゃ」
「真実……?」
御神オウガイは、あたしの目を、エメラルドグリーンの瞳で覗き込みました。


203:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:17:08 xwvUtjSz
「そう、真実じゃ。真実を知る人間は、一握りしかいない。それは『クオリア』とも呼ばれているが―名前なぞ、どうでもよい。重要なのは、自分自身がどのような世界で生きようとするのか。それだけじゃよ」
「あたしが、どの世界でいきるか。それを、あたしが……あたしが、きめるの?」
「そう。君を取り巻く世界は、変わる。それが良い方向であれ、悪い方向であれ、真実に近い形に、のう。君は、おそらくこの家で何一つ不自由なく育てられたのじゃろう。しかし、それはどれだけ居心地が良かろうが、夢に過ぎんのだ。ただの、夢に」
「夢……おとうさんも、おかあさんも、夢?」
オウガイに徐々に言いくるめられていくあたしに、お父さんは何か叫んでいたと思います。
しかし、当時のあたしは。子供でした。うそが嫌いで、綺麗な姿でいたいと思う、ひたすら若い、子供でした。
だから、そんな言葉は、届かない。
「もうひとつ付け加えて言うなら、わしら御神家に来たなら、君の努力次第で、世界を動かせるようになるかもしれん。それだけの潜在能力は持っているつもりじゃ。君は、『王の器』を持っているのだから」
「おうさま……?」
「そう。真実を手に入れるのは、断った一握りの人間じゃ。それが、王と呼ばれる。君には、その資格がある」
「でも、でも……あたしは、ただの……」
「……なら、ひとつだけ、この場で真実を見せてあげようか」
オウガイは微笑み、あたしの頭をまた優しく撫でました。
「例のものを」
オウガイが指示すると、黒服が車に戻って、なにかの書類を持ってきました。
「これはのう、君のお父さんのお仕事についての情報じゃ」
「そ、それは……!」
「あなたがどういおうが、それが真実ですぞ。この子には、それを知る権利がある」
オウガイは、あたしに紙を渡しました。
「うーん、むずかしいよ……わかんない」
「つまり、君のお父さんの会社は、うまくいっていないんじゃ。多額の負債を抱え込み、今にも潰れてしまいそうなほどに」
「それって、つまり……」
「心配はいらない。君が戻ってきてくれれば、これまでの謝礼として、わしが資金援助をしよう。それで、皆が幸せになれる。どうかな、お気に召さないかな?」
「……あたし」
「ん?」
「あたし、いくよ。帰る。御神家に、かえる」
お父さんが、全身から力が抜けたように倒れました。
お母さんも、立ち尽くすだけ。


204:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:17:45 xwvUtjSz
「ほんとうのことは、変わらないよ。だから、変えなきゃ。……あたしは、ほんとうのことがみたいの」
―だから、サヨナラ、お父さん、お母さん。
「交渉成立、じゃな」
オウガイはそう言って、あたしの手を引いて車に乗りました。
「君はこれから御神カナメという、真実の名前に戻る。宮崎カナは、君の『夢』に過ぎない。わかるかな?」
「はい……」
そうして、車が出ようとしていたとき。
「まって! まってよ!」
「お兄ちゃん……?」
息を切らしながら、学校帰りのお兄ちゃんが追いすがってきて、黒服はエンジンを止めました。
「カナ、なんで、そんなやつらに……!」
「お兄ちゃん、このひとたちが、あたしたちのほんとうの家族なのよ」
「そうじゃ。君も、御神家の一員に戻る権利がある。どうじゃ、戻ってくるかの?」
「ぼくは……!」
お兄ちゃんの目には、強い意志が宿っていました。
「ぼくは、あの家で育った。それだって、りっぱな真実だよ!! ぼくがお父さんとお母さん、カナを大好きなのも、嘘じゃない。全部、ぼくの中で本物の記憶として生きてる!」
「それでも、それは夢だよ。いくら居心地が良くても、お父さんとお母さんに、あたしたちは騙されてた。あたしは、知りたいの。ほんとうのこと」
「ぼくが、ずっと側にいるよ! カナがお父さんとお母さんがキライになったって言うなら、ぼくを信じればいい! そうすれば、いつかぼくの言っていることが分かるようになる! だってぼくは、カナのお兄ちゃんなんだ!」
「……あたしは、お兄ちゃんのこと、大好きだよ。でも、一緒にいるなら、御神家でもできる。お兄ちゃんがこないなら、それはできないよ」
「カナ……ぼくより、いままであったこともないような、御神ってひとのほうがすきなのかい……?」
「お兄ちゃん、真実とは、人間感情より優先されるべき『絶対価値』なの。だから、あたしは、それを手に入れたい。生きていることに、自信を持ちたい」
「生きていることに確信が持てなくなったの? 宮崎カナって名前が、嫌になった? ……でも、カナはそれでも、笑っていたじゃないか。おかしいよ。知った途端、それがキライになるなんて……。好きって感情はさ……愛情ってさ、そんなんじゃ、ないだろう!?」
「お兄ちゃんは、なにもかも信じすぎるんだ。だから、遠くのものが見えてない」
「隣の人と手を繋いでいたい! そんな願いの、どこがいけない! ぼくはまだ、カナを抱きしめることもできる! 帰ってきなよ、カナ! まだ、引き返せる。カナは、宮崎カナ。ぼくの、大切な妹なんだ!!」
「……もう、わかった」
「交渉決裂、じゃな」
オウガイは、黒服に指示して、車を走らせました。
お兄ちゃんはそれでも追いすがって、後ろから叫んでいました。
「いつか……ぼくが御神家なんかより強くなって……! カナを迎えに行くよ! だから、忘れないで! ぼくのこと、忘れないで……!!」

 ♪ ♪ ♪


205:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:18:16 xwvUtjSz
「それからでした。あたしの人格が不安定になってきたのは。記憶もあやふやになって、おそらく、御神カナメとしての記憶を自分で作り出したんだと思います」
「なぜ……そこまでして……」
苦々しげな顔で、千歳が訊いた。
「真実が、あたしと御神カナメ、そのどちらにも、大きな価値があったからです。あたしがこうして今まで封印されていた理由も、それです」
カナは、目を伏せながらも、告白を続ける。
「御神家の後継ぎとしてあらゆる学問を強要されたあたしは、その環境を地獄のように感じました。それでも、あたしは、帰ろうとは思いませんでした。真実に到達するために、決して諦めませんでした。しかし……あたしの能力は、御神家当主には足りなかった」
「だから、現実を『変えた』ということか」
ナギは、心得たかのように言った。
「そうです。あたしは、ストレスで一度完全に人格を崩壊させ、そして目覚めたときには、『御神 カナメ』となっていました。御神カナメの能力は人間の脳の持つ潜在能力を限界まで引き出したもの。つまり、『王の器』に相応しいほどの超人でした」
「それは、お前自身の願いが作り出した力だと思って差し支えないんだな」
ナギには、もう大体のシナリオが分かっていたようだった。
が、ナギ以外はまだ全く理解していない。
御神カナメ……いや、宮崎カナという人間が御神カナメと言う『別人』に変わったというのは分かったが、そのプロセスも、そして、御神カナメが今、なぜここにいるのか、宮崎カナが、なぜこのタイミングで現れたのか。
何一つ、分からない。
「おそらく、助けをもとめていたんだと思います。全てを凌駕した先にあるクオリアの存在に、御神カナメは一度触れたことがあるのではないでしょうか。だから、自分の能力に恐怖を抱いた。そして、その恐怖から救い出してくれる存在に気付いた」
「つまり、御神カナメが千歳に執着した理由は、千歳が自分を凌駕する存在なのではないかという考えに思い至ったから。と、そういうことか」
ナギの言葉で、皆の中でまだ少しずつ、ばらばらだったパズルのピースが繋がり始めていた。
おおまかなシナリオはこうだ。
宮崎カナという少女は、御神家の過酷な環境に適応するため、御神カナメという人格を作り出した。
もともと『真実志向』だったカナに加え、さらに極端なスペックを与えられたカナメの精神は、暴走の末にある種の『クオリア(世界の真理)』に触れた。
真理とは、現実に生きる人間にとっては、あまりに無情であり、存在の全てを否定されるような情報であり、それに触れたカナメも、何らかの恐怖を抱いた。
そんな、世界の全てに存在しているような、強大すぎる恐怖の塊に怯えていたカナメは、あるとき、強い力を持ったヒーローの存在に気付いた。
鷹野千歳は、カナメの力を凌駕し、カナメを救い出してくれる存在なのではないか。
カナの推論は、こうなっている。
教室中がざわめく。
いきなり来た転校生が異常な暴走をしたあげく、今度は突拍子もない電波話。信じられるものも信じられない。
眉唾だ。


206:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:19:05 xwvUtjSz
「信じられないのは、しかたがないことだと思います。でも、あたしは、御神カナメの心を救って欲しいんです。同じあたしだから、もう傷付くのを心の中から見つめているだけなんて、嫌なんです……」
半信半疑で、周囲を見るだけのクラスメイトたち。
(ああ……やっぱり、だめなんだ)
カナは、希望を失ったように、床を見下ろす。
(一回裏切った夢のなかに、また迎え入れてもらおうなんて、むしのいい話なのよ……。みんなは、あたしじゃない。真実なんて、いらない。だって、しあわせだもの)
幾度となく、カナとカナメは外の世界に助けを求めた。だが、それは虚しくからぶるだけだった。
今度も、同じなんだ。
希望が無い。それが、カナメのみつけた真理なのだから。
「俺は、信じるぜ」
「えっ……」
顔を上げると、目の前にたっていたのは千歳だった。
「俺は、あんたを信じる。宮崎カナの存在も、御神カナメの存在も、嘘じゃない。だって、俺はこの目で見て……」
千歳は、荒々しい動きではあるが、優しい手つきでカナの手を握る。
「こうやって、触れてるだろ。だから、あんたは確かに俺のクラスメイトだな」
「あっ……」
その、包み込むような優しさに、カナは涙をこらえられなかった。
「ああ……ありがとう、千歳さん……。あたし……あたし……」
「あんたは、その涙を止める努力を十分したよ。友達に、助けを求めたんだからな。だから、俺はそれに応えようと思う」
「とも、だち……? こんなあたしを、ともだちって、思ってくれるんですか……?」
「あたりまえだ。だってここは、学校だからな。いろんなやつがいて、馬鹿も天才もいるかもしれないが、わかってんのは、みんな同じじゃない。
違う心を持った、一人の人間だってことだ。その中で、一緒に学んでいくんだよ。生き方ってやつをな。そうやって、俺達は強くなっていくんだ」
「さんせーい!!」
声を張り上げたのは、イロリだった。
「ここにカナちゃんとカナメちゃんが転校してきたのも、なにかの縁だよ。だから、私は全力でアタックする。カナメちゃんたちにだって、未来を掴み取れるように」
「お人よしどもが……」
腕を組みながら口を開いたのは、ナギだった。
「まあ、暇つぶしには悪くない。人の心を救うだなんて、一口に言えるほど軽い話じゃないが。本人が望んだことだ。私たちが、頑張ってみる価値はあるだろう」
クラス全体が、ざわつき始める。
そしてそのざわめきは、徐々に負の方向から正の方向に変わっていく。


207:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:19:37 xwvUtjSz
「やっぱ、俺も、しんじようかなぁ……」
「嘘を言っているようには見えないしね」
「千歳君が言ってるんだから、間違いないわ!」
「ナギちゃんが言ってるんだから間違いない!」
「イロリちゃんが(以下略」
「うおおおおお!!! 俺はカナメちゃん親衛隊になるぜー!」
「ちょ、俺が先だ!」
「俺だっての!」
「じゃあ、俺が」
「どうぞどうぞどうぞ」
急に騒々しくなった教室のなかで、ぽかんと立ち尽くすカナ。
「まあ、あいつらもあんたのことが分からなかっただけで。いいやつらなんだ。頼ってやってくれ。あんたも、あんたの中のカナメさんもな」
「はい……ありがとうございます。みなさん、ありがとうございます!」
カナが声を張り上げると、教室はしんと静まり返った。皆、カナの言葉に注目している。
「たぶん、あたしが表に出ている時間はもう、終わりです。もう少しで、御神カナメに戻ると思います。だから皆さん。少しの間でしたが、お世話になりました。カナメにも、やさしくしてやってください。あの子は、ちょっと高飛車だけど、本当は優しい子なんです」
「ああ」
千歳が頼もしい返事を送ると、カナは安心したようににっこりと笑い、ふっと倒れた。
そのとき。
どどどどどどどどどどどどどど。
「そういや、誰か忘れてなかったか……?」
ナギが、急に呟く。
「待てよ……この年代で、宮崎という苗字は、聞いたことがあるぞ……」
どどどどどどどどどどどどどど。
廊下に響く、足音。徐々に近づいてきている。
「まさか……!」

「ぎりぎりせーーーーーーーーーーーーーーふ!!!!!」

「―彦馬!!!」
昼休みも終わりごろになって飛び込んできた彦馬。
だが、「せーふじゃない」というツッコミの前に、皆の頭にはある疑念が浮かんでいた。
そんな中、グッドタイミングで宮崎カナ―いや、エメラルドグリーンの瞳に戻った、御神カナメが立ち上がり、彦馬を一瞥し、言い放った。
「あら、ヘタレお兄様。久方ぶりね」
「カ……カナ……! どうして……!」
―宮崎彦馬。
彼もまた、『クオリア』の生み出す絶対運命に導かれる一人だった。

208:ワイヤード 第十五話  ◆.DrVLAlxBI
09/01/22 19:20:14 xwvUtjSz
終了です。

209:名無しさん@ピンキー
09/01/22 19:32:49 Tc8pk1B6
>>208
お疲れ様っス

wktkが止まらない

210:名無しさん@ピンキー
09/01/22 23:16:42 fRhEGNtz
>>208
ワイヤードキター!
GJ!!お疲れ様です

211:名無しさん@ピンキー
09/01/22 23:40:14 JUxitZvw
GJ
こりゃ893の娘さんの登場も近いかな

212:兎里 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:43:54 oBVbH7lN
徹夜ついでに投下します。
誰も見ていない時間を狙うのが俺クオリティ。

>>191さんとはいい酒が呑めそうです

213:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:44:55 oBVbH7lN
12月31日。年が暮れる寸前に、くるみは退院した。

右目以外には打撲や擦り傷程度の怪我しかなく、後遺症や重度の欠陥は見受けられなかった。

俺が病院に駆けつけたあの日、病室に戻った時に見たくるみは、顔を真っ赤にしており熱があった。
慌てた俺は、くるみを担いであの初老の医者のもとへ行き、検査をしてもらった結果、傷口から感染するたぐいのウィルスなどではなく、暖房にあてられたんでしょう、と医者は笑った。


後日、病院に行くと、職員らに『王子様』と呼ばれるようになってしまった。明らかにあの医者が一枚かんでいる。取り乱していたとはいえ、人生で一度するかしないかの失態だ。

心配してくれてありがとう、と慰めてくれたくるみは、まだ顔が赤かった。しかし、鏡に映る俺はもっと赤かった。


父さんと母さんは、ようやく、今ごろになって休みが取れた。ちょくちょくフルーツの盛り合わせやら服やらを送ってくれていたが、だからって許されない。
俺が角を立てて怒ろうとしたところ、くるみが気にしなくていい、と言ってくれたのでくるみのお願いを一つ聞かせることで勘弁してやった。

肝心のお願いだがもう決まっているようで、訊くと、まだ秘密だよ、と笑っていた。

214:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:45:22 oBVbH7lN
くるみが笑ってくれるのは、本当に嬉しい。

医者が言うには俺が来る前、くるみは大声を上げて発狂したそうだ。

無理もない。くるみ本人が言うには、事故の瞬間を今でも鮮明に覚えているらしく、退院の少し前までもフラッシュバックすることがあった。
最近は少ないようだが、一生もんの傷になりかねない。右目と同じくらい、俺は心配していた。

しかし、くるみは笑えている。傷を乗り越え、右目の不便さも克服し、今を生きている。俺にとって、これほど嬉しいことはない。

そう、嬉しいんだ。絶対に。

215:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:46:02 oBVbH7lN
「キミ」

あの後に移った相部屋の人や、病院の職員の人にお礼を言いに回っていた俺は、ロビーで例の医者に呼び止められた。

「この度は、ありがとうございました」

俺が深深と頭をさげると、いいからいいから、と笑った。

「いやぁ、王子とお姫様がいなくなると寂しくなるねぇ」

「勘弁してください」やっぱり広めたのはアンタか。

「ご家族は?」

「お姫様を車に誘導してます」

「うん、だったら丁度いい」座って、と言って順番待ち用のソファーを手で指した。

俺が座ると、医者も隣に座る。「あのこと、彼女に言えたかな?」





何かが、俺の胸にチクリと刺さる。

「言えてないっス」ため息。

「そうか・・・なら、もう言わないでくれ」

「え?」

「いいかい。君自身は意識していないかもしれないが、彼女はキミに依存しきっている。非常に不安定だ」

医者は短く息をついた。

「今、その事実を伝えれば、どうなるかわからないんだよ」

異常とまではいかないが、くるみが俺に依存し始めているのは気付いていた。

216:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:46:51 oBVbH7lN
明け方には必ず電話があった。今日は来てくれるのか、何時に来てくれるのか。

訊かれるまでもなく、俺は毎日お見舞いに行った。冬休みで、地元ではないということから、俺には見舞いしかすることがなかったのも事実だ。前日にくるみが欲しい物を聞いて、それを買って病院へ。
面会の開始から終わりまで、くるみの傍らで過ごすと言うのが日常と化していた。お陰で、この小さな病院で俺はちょっとした有名人だ。若干、不愉快でもある。

変化といえば病院に行く時間、帰る時間ぐらいなもので、それもくるみによって左右された。病院で有名人、というのはこういうときには便利で、早くに行くとこっそりと裏口から入れてくれたり、一晩泊まらせてくれたこともあった。
その場合、相部屋の人には迷惑がかかるので話したりはしなかったが。
多くの大人に助けられるたび、つくづく自分がガキだと認識し、同時に、ガキのままではもういられないのだと意識した。

ただ、意識するならガキでもできる。それをこの身で証明してしまった。


「それって、俺が言うタイミング逃したから?」

「まさか。ほんの8割くらいしかキミに責任はないよ」

「大半・・・」

「いや、冗談冗談」

どこまで本気かは分からないが、俺に責任があるのは確かだ。「俺は、どうすればいいんですか?」

「今は、彼女の傍にいてやりなさい。一番近くに、だ」

キミに出来ることは、キミにしか出来ないことなんだよ。

その一言で、踏ん切りがつく。

「うっス」俺は大きく頷く。

「よし、頑張れ王子様っ」

あの日のように、強く背中を叩かれた。

「ああ、そうだ。右足、大丈夫かい?」

「え?」耳を疑った。

昔、ちょっとした事故に遭い、俺の右足にはその後遺症がある。とはいえ、本人にしか分からない程度で、その本人ですら時折忘れてしまうような怪我だ。

それを見抜くとは、やはり年の功というヤツか。俺は、問題ありません、とだけ言った。

「治療ならいつでも請け負うぞ、格安で」

「結局は金ですか」

亀の甲ではなく、金の功ということか。

217:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:47:35 oBVbH7lN
入り口から、俺を呼ぶ声がする。立ち上がり、歩き出す前にもう一度振り返る。

「俺はただのヘタレっスよ」多分、今の俺はすごく頼りない笑顔をしている。

「ヘタレで結構、未熟で結構」

彼は一段と大きく笑った。俺はその姿に、もう一度深く頭を下げ、くるみのもとへ歩く。

「少年よ、野望を抱け。がっはっは」

笑い声に背を叩かれた気がした。野望じゃねぇって。


叔父さんと叔母さんはいずれも公務員だった。

休みが安定しているのが公務員の良い点で、二人は旅行を趣味とした。くるみと三人で各地を旅し、その度に絵葉書やキーホルダーなどが贈られてきたものだ。

車内でそんな思い出話をしている時、ぼんやりと、もうもらえないんだなぁ、と呟いた。直後、助手席からCDケースが飛んできた。避ける暇などない。

「っっ!!なぁにすんだよっ」面だったからよかったものの、角だったらシャレにならなかった。

「うっっさい、バカタレッ」

黒崎家の遺伝なのか、母も亜麻色の髪をしている。歳のせいか、くるみのような可愛さはないものの、昔はなかなかだったらしい。細く逆三角形の顔と鋭い目つきを見るに、たぶん昔とはまだ狐だった頃の話なのだろう。

助手席の母は、これぞ、というほどの鬼の形相を披露していた。血の気がひき、冷静になったことで自分の失態を理解した。

「う・・・あぁ、わ、悪い、くるみ」

しどろもどろになって謝り、くるみを見る。
包帯が取れたため、白い肌がよく見える。体格と同じく顔も小さめで、ブラウンの瞳と肩下までの栗毛が可愛らしい。ただ、右目には大きめのアイパッチがある。

「いいんだよ」変わらない笑顔のまま、彼女は言う。「一緒に行こうよ、旅行」

変わらない、昔のままのくるみだ。

他人の罪を許し、慰める。それをいとも簡単にできる人間はそう多くない。ましてや、無意識では尚更だ。

だからこそ、俺は昔から目が離せなかった。人を気遣い、自分より高い位置に置く。いわゆる自己犠牲。俺はそんなくるみがずっと心配だった。ついでに言えば、理由は違うが姉のことも心配していた。

218:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:48:14 oBVbH7lN
姉。

「そういや、姉ちゃんは来てないの?」

「ん?ああ・・・来なさいって言ったんだけどねぇ」

「薄情だなぁ」親戚の一家の大問題だというに。

「仕方ないよ。お姉ちゃんも忙しいんだよ」

くるみが笑う。嬉しいことだ。喜ばしいことだ。

━なのに、俺の胸からは不安が拭いきれない。むしろ、くるみが笑顔を浮かべるたびに、不安は身を揺らし、その存在を示す。

くるみは元気すぎる。

たかだか15歳で、あの惨事を目にし、右目の視力を失った。俺なら、立ち直れない。

あの医者の言うように、俺が傍にいることの効能ならば、何も文句はない。ただ、俺には、くるみが心配させまいと強気に振舞っているのではないか、と感じてしまうのだ。

「・・・お父さん、どうしたの?」ふと、母が呟いた。

母が狐なら父は狸、と言いたい所だが、父はゴリラだ。マウンテンゴリラ。

大きな腹はメタボかと思いきや、服を捲るとそこには目を疑うほどの筋肉が広がっている。顔も厳つく、街を歩けば10人に1人が泣く。
そんな父は車を運転しながら小刻みに震えている。

「・・・くるみちゃん・・・・・」

「は?なに?」

父はボソリと話し、母は常に怒鳴り気味。これが普通の光景だと言うのが、自分でも変だと思う。

「・・・くるみちゃん、抱きしめてぇなぁ」

「バカタレっ」小声とはいえ犯罪スレスレの言葉に、母は容赦ない鉄拳で対応した。

くるみはと言えば、このどこか狂った普通を見て、苦笑いを浮かべていた。

219:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:48:44 oBVbH7lN
黒崎家は、大きいか小さいかといえば、大きい。

安定を約束された収入ゆえ、黒崎夫婦は若くしてマイホームを買うことが出来たのである。それも駅に近く、割と栄えた場所にありながら、大きな庭まである。

ここまで考えて、我が家とは真逆だということを知った。

安定した収入に、確実に取れる休日、定時で帰るため、家にはいつも明かりが灯る。

対して、我が家はと言うと、最近は若干の余裕が出てきたとはいえ、相変わらずの経済危機。休日は不安定で、いつ休めるかなど予想もつかず、ギリギリまで残業をして帰ってくるため家はいつも冷たい。

あれ、俺って少しだけ可哀相だ。


「あれ、なんだろう」くるみが呟く。

黒崎家の前には、大きな人だかりが出来ていた。半分くらいは予想通りだが、もう半分は予想外だ。ある種、予想はしていたが。

「あぁ、来ました、帰って来ました」

「あの事故から奇跡の生還を果たした少女が、今」

「黒崎さん、今出てきちゃダメだからね」

「こっち、こっちに視線ください」

車はあっという間に囲まれ、車庫を目前にして動けなくなった。

あの事故を、テレビは連日、過剰な演出を加えて放送した。新聞やインターネット、あらゆる媒体を利用するのが今の手法で、なにかに限らず、メディアでくるみのことを見ないことは、ここ最近はない。

病院にも多くの報道陣が詰め掛けたが、姫を護るナイトを自称するだけあって、看護士と医者が築いた壁は強固なものだった。
それでも、どこから漏れるのか、退院の予定日や治療の進行度、挙句の果てには窓から外を覗く写真を撮られた事もあった。
今は窓にスモークがかかっているから大丈夫だろう。

220:兎里 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 03:56:56 yrKSeYDd
調子に乗って連投規制

本当に申し訳ないです

221:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 04:03:32 oBVbH7lN
「お兄ちゃん・・・」ジャケットの袖が、ギュッと握られる。

メディアの猛攻の結果、くるみは軽い対人恐怖症となってしまった。知らない人に対してビクついてしまう。

「大丈夫」

くるみの頭を撫でた。


心の準備をしていると母が振り返り、お見舞いの品の中からりんごを取り出した。「持ってく?」

アホか、と一蹴してから深呼吸をすると、一気に車外へ飛び出た。もちろん、中を撮らせる暇は与えず、すぐに閉める。

一瞬、空気がどよめく。

自分では普通のつもりだが、人様から見れば、俺の目つきはよろしいものではないらしい。利用できるものは利用するのが俺の主義だ。

「テメェら、いい加減にしろよ」より目つきを鋭くする。難しい。

一度、マスコミに向かって本気で怒鳴ってしまったことがあった。俺自身がしつこくインタビューされるのはなんとか流せるが、くるみの心に傷を増やしたことが許せなかった。
結果、マスコミは退散し、ほんの少し、本当に少しだけ自重するようになった。翌日の朝のワイドショーでは俺が容赦なく虐められたが。

「そろそろ俺も我慢の限界なんだよ」頑張って声にドスを利かせる。一生懸命です。

だが、効果はなかった。

「あぁっと、少年です、あの少年が出てきました」

「地元では不良グループの頭を飾る、通称“大将”と呼ばれる少年が、今」

「おい、早くもう一台カメラ回せって」

今では俺も興味の対象の一つで、まったくの逆効果だった。やべっ、涙出てきた。


後ろで、ドアの開く音がした。マナーのなってない大人が開けたのかと思い、慌てて振り向くが、どうやら開いたのは運転席のようだ。

ゴリラが今、大地に立った。

一瞬で、空気が入れ替わった。

父が右手を高く掲げると、報道陣が一歩退く。何故か俺も下がってしまった。

手には先ほど母が差し出した、真っ赤なりんごが握られている。

「ぬぅあっ」瞬間、りんごが形を失った。

果汁が辺りに飛び散り、果実が父の肩に落ちた。

「いや、ちょっと待て、ちょっと待てって」どん引きする周囲をよそに、俺はただ、うわ言のように繰り返していた。

222:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 04:04:32 oBVbH7lN
「では、くるみちゃんの退院を祝って」

「乾杯っ」

小気味のいい音の後、皆が一斉にグラスを傾ける。黒崎家の庭を舞台に、立食パーティーが始まった。

父の知り合いが手配した葬式に来た人は、存外少なかった。だからこそ、俺はくるみの退院祝いの話を持ちかけることが出来た。
ただ、葬式のときに話したせいなのか、何故か坊さんまでもが出席している。よく見れば、あの黒服もいる。


葬式には出席していなかったくるみの友人にも呼びかけたところ、こちらは嬉しい誤算、多くの人が来てくれた。

だというのに。

「黒崎さん、大丈夫?」

「・・・ん」

「皆心配してたよ」

「・・・ありがとぅ」

くるみは家に着いてからずっと俺の後ろに隠れ、尻すぼみの返事ばかりしている。友達も心配はしているが、俺のことをあからさまに警戒して近づこうとしない。
マスメディアをそんなに信じちゃいけません。

ちなみに、玄関先で荒業を披露した父は、多くの人に囲まれ、賞賛を受けていた。なんだ、この差は。

りんごのネタバレをすれば、あれは母があらかじめ芯をくり貫いていたものだと、後で分かった。あの短時間で作業をした母こそ賞賛に値する。

その母はというと、隣で父を睨み続けている。

なんだか父の顔色が悪い。足元に目をやれば、母は地面に埋まるほど、父の足を踏みつけていた。あの歳で嫉妬とかどんだけー。


肩越しにくるみを見ると、俯きながら、左手は俺の腰辺りで服を摘み、右手はアイパッチを擦っている。

「恐いか?」

「えっと・・・」

「部屋に戻ってもいいんだぞ?」主役がいないのは寂しいが、それは優先度が違う。

「やだっ」思いのほか強い返事に驚く。「大丈夫、だいじょーぶだから」

すーはーすーはー、と可愛らしく深呼吸をすると、俺の右側に踏み出した。相変わらず、左手は俺の背にある。

パーティーが止まる。友達はかける言葉を探し、大人は遠目にこちらを見ている。赤い顔を俯かせ、小刻みに震えるくるみに、俺も固まった。

223:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 04:05:19 oBVbH7lN
沈黙を破ったのは父だ。

「この通り、この子は元気です」くるみの頭に手を乗せ、笑う。

それを皮切りにして、同級生の女の子が泣きながらくるみのもとへ走り寄る。よかった、よかったね、と。それを見ていた大人達は優しく微笑み、パーティーはまた動き出した。

俺は、また何も出来なかった。

頭に何かがズシリと乗る。父の腕だ。

「今のは、お前の仕事だな」

歯を剥き出しにして笑う父は、幼い頃に見たように大きく見えた。


あのぉ、という甘ったるい声が聞こえた。

くるみはすっかり主役として溶け込んだが、相変わらず俺から離れようとしない。
俺が空気を呼んで離れようとすれば、上目遣いでジッと見つめてくる。俺の服は今日だけでだいぶ伸びた気がする。

今はトイレに来たくるみを、こうして廊下で待っている。そこに、声がした。

見ると先ほど泣いていた女の子で、まだ目を真っ赤に染めている。

「トイレは今くるみが使ってるよ。洗面台はあっち」

「顔なんか洗ったらお化粧が落ちちゃいますよ」15歳で化粧、その事実を受け止めるのに少し時間がかかった。「そうじゃなくて、えっと、大将さん」

「大将じゃなくて・・・まぁいいや」

「最近、くるみちゃんとメールするとよくあなたの話しが出るんですよ。今日はお兄ちゃんが何を買ってきたとか、こんなことを話したとか。っていうか、大将さんの話しか出ません」

「そう」照れ隠しで、短く返事をする。

「それで・・・お二人は恋仲だったり」ドアが弾ける音がして、言葉が途切れた。

ドアを壁に叩きつけ、顔を真っ赤に染めたくるみが立っていた「ヨッちゃんッッ!!!」

「ごめんっ」ヨッちゃんと呼ばれた少女は脱兎のごとく逃げだす。

「気にしないでね?気にしなくていいからね?」

手をばたつかせながら必死に弁明するくるみは可愛かった。

224:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 04:05:58 oBVbH7lN
パーティーの片付けも終わった頃、くるみが急に切り出した。

「お兄ちゃんの家に住みたい」

皿拭きを俺に押し付けて玄米茶を啜る母は、父に向けて、某プロレスラーの毒霧のように噴出した。父が椅子から転げ落ちる。

「それって東京に来るってこと?」うっさい、と母が一喝すると、悶えていた父はまた、静かに椅子に座りなおした。母がSなのは構わないが、父がMというのは素でイヤだ。

「ダメ、ですか?」無意識でやっている上目遣いは凶器。

流石の母も押されているようだ。

「でもねぇ、学校とか、色々あるでしょう」

母の言うことは当然だ。中学三年生という受験シーズンに引っ越すと言うのは、向こうで受験資格が得られるかどうかも危うい。それも、受験は目前まで迫っている。

この家のことや、通院。問題は山積みだ。

「まぁ、大抵のことは何とかなる。というか、できる」茶を啜りながら、父がポツリと言う。

今回の騒動を経て再認識したが、父はとんでもないチート野郎だ。ミステリーで言うなら探偵。登場人物の誰よりも、果ては読者よりも高い位置から物事にあたる姿は、正直ずるい。

「お前は、くるみちゃんをこちらに一人で残すつもりか?」

「それは・・・」父の問いに母が口篭もる。

今しかない。言え、俺。

「あの・・・」ゆっくりと手を挙げると、くるみを含め全員が見てきた。

225:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 04:06:36 oBVbH7lN
「俺、こっちに残ってもいいかな」言えた。よく頑張りました。

「却下」

「却下だな」

そんな二人してつぶさなくったっていいじゃないか。泣けてきた。

「あまり言いたくはないが、こっちはもうダメだ」

「何がさ?」

「マスコミもうろついてるし、周りの人がくるみちゃんを知りすぎている」

なるほど。確かに、今日は何とかなったが、時間がたてばすぐ、マスコミは父を俺と同じように扱う。それに、くるみの知り合いの気遣いが重荷にならないとも言い切れない。
そういった点では、知人のいない場所で再スタート、というのもアリかもしれない。無論、リスクは多い。

「今日は憲輔が大人を適当にあしらっていたからよかったがな」父が優しい笑顔を浮かべる。

「そうね、憲輔がいなかったら誰が我が家の家事をするか分からないもんね」話を一切聞いていなかったかのように、母は場違いなことを言う。

隣でくるみがクスクスと笑う。

「まぁ、大口叩いたからには、あなたにはしっかり頑張ってもらうわよ」

「おう、任せとけ」

夫婦の間で結論が出た以上、俺は従うしかない。むしろ、俺としては喜ばしいことだ。

「なぁ、くるみ」

「ひゃぅっ」小声で耳元に話し掛けると、くるみは奇声をあげた。

両親の視線が痛い。「手ぇだしたら殺すわよ、アンタ」

「わかってる、わかってるから」必死に弁解し、二人は渋々と引いてくれた。

くるみを見ると、顔を茹蛸のように赤くしていた。

「いいか?」頷いたので、また近づく。

「あぅ・・・」

「もしかして、今のがお願い?」

「あ、うん、そうだよ」

赤い顔のまま元気に頷く彼女を見て、そうか、とだけ言った。

ただいま、おかえり。それが普通になる日は近いかもしれない。

226:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 04:07:46 oBVbH7lN
この数十日の間、俺はこの家に滞在していた。しかし、主不在の家というのはどうも気が引けて、俺はリビングのソファーで眠っていた。

「一緒に寝よう」

そう言われた時、葛藤はあったが、最近こってきた首が何もしていないのにポキリと鳴ったので、甘えることにした。


くるみの部屋はどこかシックな感じの木目調で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。そこに、淡いピンクのクローゼットやガラスの机、白いベッドがあった。
白いベッドというのは、こうやって見るとあまりいいものではないように見えてしまった。

「最後に来たのはいつだったでしょう」ベッドに座りながらくるみが問う。

「去年・・・いや、一昨年かな」

二足歩行の猫のキャラクターが書かれた座布団に腰をおろす。

「違う。去年の8月9日」くるみは不満を顕にする。

「そうだっけか」

「『夏期講習がいやになった』って言って、いきなり来たんだよ」

「去年の俺は行動力があったなぁ」

夏期講習がイヤなのは確かだが、去年までの中学生特有のテンションがあったから成せた業だろう。っていうかそんなに近くないよな、岡山。

「変わらないよ。だって今回も一番にきてくれたもの」

「ああ、あれはな」来た、というより来させられたのだと言おうとすると、ふいに抱きつかれて言葉を失った。「くるみ?」

「嬉しかった。誰よりも早く来てくれて、誰よりも心配してくれて。あんなに取り乱したお兄ちゃんは初めて」

顔のすぐ横のくるみの顔がある。細い腕は俺の肩を包み、全身は俺へと委ねられている。顔が沸騰するのがわかった。

「さっきも残るって言ってくれた。ありがとう」

抱き返そうかしまいかと腕が空を漂っていると、くるみの方からゆっくりと離れた。

「大好きだよ、お兄ちゃん」

目の前の少女は美しく、どこか儚げだった。

「無理、するなよ」頭を撫でてやると、目を細めてまた、大好き、と言ってくれた。

227:Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 04:08:29 oBVbH7lN
くるみの誘いを押し切り、床に布団をひいて眠ることにした。

幸せそうに眠るくるみに、俺は一つ嘘をついた。

叔母さんは生きている。

ただ、あくまでそれは道徳に則った言い方で、正しくは生死の境を彷徨っている、だ。それも、“死にかけている”のではなく、“死にきれていない”というほうが正しいと医者は言った。

肉体的には死んでいて当然の状態のはずなのに、心臓は動いている。

くるみを一人にしまいとする強い意志の権化か。くるみが両親と比べて軽傷で済んだのも、叔母さんが庇うように覆い被さったお陰だという。
俺は久方ぶりの母をみて、少し尊敬した気持ちになった。

周りの大人はこの事実を知っている。だから今日、俺は出来るだけ大人をくるみから遠ざけ、ここ数日、彼女にニュースの類は見せていない。
医者は敢えて最も近しい俺に伝える役を与えたのだが、完全な人選ミスで、結局俺は言えずに何時の間にかタイミングを失った。

また一つ、いや、二つ、俺は罪を背負った。

それでもいい。俺はこの子を支えると誓った。俺に出来ることは俺にしか出来ないこと。医者の言葉が頭を過ぎる。

「とはいえ、いつかは言わなくちゃな」叔母さんが蘇生しようが死亡しようが、だ。

ふいに、昼間の少女を思い出す。

“お二人は恋仲だったり・・・”

「・・・いかんいかん」

揺らぎかけた誓いを建てなおす。聞こえてきた除夜の鐘が煩悩を払ってくれるのを願う。

この子を支えてくれる人が現れれば、喜んで身を引こう。

かつての罪を償えない限り、俺には愛する資格も、愛される資格もないのだから。

228:兎里 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 04:10:23 yrKSeYDd
連投に引っかかるにおいがプンプンするので携帯から

とりあえず、投下終わりです
なんかいまいち始まらないのはごめんなさい

229:名無しさん@ピンキー
09/01/23 04:14:20 yn+yZtYO
おつかれさまでした。
もしかしなくても大作になりそうですね。応援してます


230:名無しさん@ピンキー
09/01/23 08:13:29 ILDSoRI5
GJ!

231:名無しさん@ピンキー
09/01/23 12:58:58 xj82Qz6Q
くるみ可愛いなあw
依存する子はイイ

232:名無しさん@ピンキー
09/01/23 14:59:20 2DFmDrBM
GJ!!

だが勝手なこと言わせてもらうと、場面の移りがあやふやで
「あれ?さっきまで病院にいたんじゃないの!?」
とか思ったりすることがちらほら・・・
もし、こんなこと思うのが俺だけだったら気にせずスルーしてくれ。
長文スマソ。

233:名無しさん@ピンキー
09/01/23 15:15:57 5FdtfdbW
ヤンデレもいいが、依存もいいな

234:兎里 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 16:37:46 oBVbH7lN
みなさん、温かいお言葉ありがとうございます

>>232
指摘ありがとうございます。
文章の区切りが悪いせいでしょうか。場面場面で投稿をずらすよう心がけてみます。
とはいえ、俺の拙い文が一番の原因ですね。精進いたします。

>>233
依存+ヤンデレという新境地を目指して・・・別に新しくもないですね;

235:兎里 ◆j1vYueMMw6
09/01/23 16:39:39 oBVbH7lN
書き忘れました。

今日の夜か、明日の昼頃にまた投下しに来ます。

236:名無しさん@ピンキー
09/01/23 18:13:33 rZ82kEer
よく言われる事だけど作者が語ると叩きの元になるから自重した方がいいかも。
後投下予告は直前にした方がいいと思う。
うざかったらごめん。そしてGJ!

237:変歴伝 5
09/01/23 19:20:41 ebzUy26Q
久方ぶりに投稿します。


238:変歴伝 5
09/01/23 19:21:30 ebzUy26Q
八方塞とはまさにこのことを言うのだろう。
肝心の葵が死んでしまったのが痛かった。生きていれば、情報ぐらい聞き出せただろうに。
最早、平蔵のことは諦めるしかないだろう。
生きていようがなかろうが、場所が分からなければ探しようがない。
冷酷な判断だが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
ここに滞在していたのは、平蔵の恋の成就のためだ。肝心の平蔵は消え、葵は殺された。
もうここにいる理由はない。
葵に殺された女性や、殺された葵のことは心残りだが、
そのことに関して俺はまったく関与していない。
平蔵に関しては、生きていればまた会えるだろう。
そう楽観的に考えるしかなかった。
悲しいと言えば悲しい。平蔵は俺より二歳上だったが、
話も合ったので一緒にいても退屈しなかった。
出来ればこれからもずっと一緒にいたかった。しかし、それはもう叶わぬこととなった。
落ち込んでいたので下ばかり見ていた。
すると、ふと横の溝から流れる水の音に気付いた。これは農作業用の用水路だ。
なんの変哲もないただの用水路、普段だったら無視して通り過ぎるものだが、
業盛はそれに天啓を得た。
「そうだ、これを溯っていけば川に行き着く。
あとはその川に辿って行けば森の外に出られるはずだ。
あーくそ、なんでもっと早く気付かなかったんだ」
自分の遅知恵にあきれてしまった。
もっと早く気付いていれば平蔵もいなくなることもなかっただろう。
しかし、今は嘆いている暇はない。
とりあえず、菊乃の家に帰ることにした。
彼女にはこのことを言っておかなければならないだろう。


239:変歴伝 5
09/01/23 19:22:10 ebzUy26Q
家路の途中、業盛はふとあの時の菊乃のことを思い出した。
彼女はあの時、なぜ俺のことを止めたのだろう。
彼女とはこの四日間、まともに話したことはない。
せいぜい、ええ、まあ、はい、などといった義務的なことしか言っていない気がする。
むしろ、平蔵の方が彼女に話しかけていた方だ。
ならば、平蔵を止めるのがしかるべきだ。なぜ俺なのだろう…。
しばし考えてみる。考えてみて出た答えが、寂しがりだからだった。
彼女は今まで一人で暮らしてきたのだ。そこに急に男二人の旅人が現れた。
彼女は寂しさのあまりその二人の旅人を家の中に入れた。
これならば彼女がなんの警戒なしに男二人を家の中に入れたのも納得できると言えば言えるが、
それでも納得がいかない。
もしも、この二人の心根が腐りきっていて、
寝込みを襲う様な輩だったら、彼女はどうするつもりだろう。
女性の細腕で男の力を跳ね除けることなど出来るはずない。
それに、二人はただの旅人ではない。
刀を持った侍である。その刀で脅されたら、逆らうことなど出来ないだろう。
嫌な考えが浮かぶ。実は誘っていた、だ。
男旱が長く、男ならば誰でもよかったとしたら…いや、そんなはずはない。
業盛はその考えを捨てた。彼女は見るからに淑女の鏡のような女性だ。
そのような淫乱な精魂をしているはずはない。
そのようなことを肯定する男がいれば、それはきっと頭に蛆が湧いた、
下半身直情型のいかれた男に違いない。
分かるはずもない女心を延々と考えていて、菊乃の家の前を通り過ぎていた。
まったく柄でもないことをするものではない。


240:変歴伝 5
09/01/23 19:22:46 ebzUy26Q
戸を開けてみると菊乃は袖を顔に当てて泣いていた。
まさかあれからずっと泣いていたのかと思い、
声を掛けると思った通り目の下が赤くなっていた。
菊乃は業盛を見て、さっきまで絶望の淵にいたかのような表情をしていたのに、
今はまるで後光でも見ているかのような表情で業盛を見ていた。
「戻ってきて…くれたのですか…?」
その目は希望に満ちていた。
でも、次に自分が放つ言葉が彼女を傷付けるのは間違いないだろう。正直、言いたくない。
「菊乃さん…私…明日、出発します」
分かりきっていることとはいえ、言うのはやはり辛かった。
菊乃の目が思いっきり見開かれている。とんでもなく怖い。
「そ…そんな…。
でも…この森は入り組んでいて…案内なしで出て行くなんて…無茶ですよ」
「それが、この森から出る方法を見付けたんですよ。
今日はもう遅いので無理ですが明日出発します。四日間、本当にありがとうございました」
菊乃の顔色が目に見えて悪くなっていく。
「…なぜ…もう行ってしまうのですか…。
まだ…ここにいても良いではないですか…。
…私が…なにか気に触る様なことでもしましたか…?
したのでしたら謝ります。だから…ここにいてください…お願いします…お願いします…」
今にも泣きそうな声で捲くし立てる。でもここで引いたらまた押し切られてしまう。
「私が出発を延期したのは、平蔵と葵の恋愛の成就のためです。
ですが、それももう出来なくなりました」
次の言葉に詰まってしまう。他人に話すには悲惨すぎるからだ。
でも、言わなければならない。
「葵は…殺されました。平蔵はその場にいなかったので、今どこにいるのかさえ分かりません」
一瞬、時間が止まった。
「な…業盛様。嘘はいけませんよ。昨日は葵さんが人を殺して、
今日は葵さんが殺されてるだなんて、冗談にしても性質が悪いですよ」
「嘘ではありません!昨日のことも、今日のことも、本当のことなのです。
だから私は今日、平蔵にあれほど葵の家に行くなと言ったのです。その結果がこれなのです」
思わず怒鳴ってしまった。本当のことを言っているのに、
嘘だと言われ続けていらいらしていたのかもしれない。
菊乃は怒鳴られて少しおどおどしている。
「じゃあ、それが本当なら、葵さんを殺したのは…」
菊乃がそこまで言って口を噤む。
「いえ、平蔵は殺していません。
あいつとは長い付き合いなので、そのようなことをするような人間ではないと信じています。
たぶん、殺したのは他の奴だと思います。信じてもらえないでしょうが…」
「…ごめんなさい…」
菊乃は謝った。別に彼女が悪いわけではないが、謝らなければならないと思ったのだろう。
「…私が信じれば…私が信じてあげれば…業盛様はこんなに…傷付かなくても…。
ごめんなさい…ごめんなさい…私が…私が…。
…そうだ…私が彼を…してあげれば…そうだよ…最初からそうすれば…そうだったんだ…」
なにか言っているようだが、声が小さいので聞こえない。
「あの…大丈夫ですか?」
「業盛様、もう一日だけここにいてくれませんか?」
心配になり声を掛けて、帰ってきた答えがこれだ。
「ですから、私はもう出て行くと…」
「今から行っても遅れることに変わりありません。
あと一日だけでいいのです。お願いです。ここにいてください」
「ですからね、私は…」
「いてくれるんですよね?」
どうやら話を聞いてくれないらしい。さっきから話が堂々巡りしている。
「分かりました。あと一日だけですよ。それ以上は延期しませんよ」
折れてしまったが最後、しまった、と思った。
菊乃は菊乃で、嬉々とした表情で業盛を見ていた。
あー、またやっちまったよ…。なんでいつもこうなるのだろう。
布団に横たわりながら呟いた。


241:変歴伝 5
09/01/23 19:23:38 ebzUy26Q
夜中、外では虫が鳴いていた。
業盛は腹部に強烈な圧迫感を感じた。
誰かが馬乗りになっている。顔を見ようとしたがぼやけて見えない。
手を動かそうとしたが、両手首を凄まじい力で抑え付けられ動かせない。
ただ、足をじたばたさせるだけだった。
影が近付いてくる。
止めろ、近寄るな。
首を激しく振って抵抗するが、手で押さえ付けられた。
あれ、確かこいつは今両手を押さえ付けているんだよな。じゃあどうやって頭を押さえ付けているんだ。
もしかして…化け物…。
思わず、叫び声が上がりそうになった。しかし、叫び声が上がる前に口を手で塞がれた。
押さえ付ける手が増えていく。
ついに両足も押さえ付けられ、体が動かせなくなった。
影は首筋辺りで止まった。
なにをするつもりだ…。
そう思っていると、首筋に生温かい物を感じた。
首筋を…舐められている…。
なんともいえない感覚が全身に走る。
だが今度は首筋に激痛が走った。水音と共になにかを咀嚼する音が聞こえてくる。
こいつ、俺を食っているのか…?
それを合図に全身に激痛が走った。二の腕、脇腹、太腿になにかが食らい付いている。
部屋中に水音と咀嚼音が響く。
痛い…止めてくれ…。
口に出したいが声が出せない。
意識が遠くなる中、影が息継ぎでもするかのように頭を持ち上げた。
…愛している…。
影はそう呟き、頭と口を押さえていた手を離した。その手が首に伸びてきた。
凄まじい力で首を絞められる。
急速に意識が遠のいていき、目の前が真っ白になった。
遠くでなにかが砕ける音がした。
しかし、それはどうでも良いようなことのように思えた。
だって、それは自分には関係のないことなのだから…。


242:変歴伝 5
09/01/23 19:25:17 ebzUy26Q
投稿終わりです。
まだ続きます。
ところで、ヤンデレ小説の主人公は、
平凡で、純粋で、朴念仁でなければならないのでしょうか?
どうでしょう?

243:名無しさん@ピンキー
09/01/23 20:05:15 qgItee4t
>>242
好きに書けばいい

244:名無しさん@ピンキー
09/01/23 21:21:31 NHztrKpw
>>242
ヤンデレがでてくればいい

245:名無しさん@ピンキー
09/01/23 22:58:21 Pb1fXML1
>>242
今更主人公の設定とは、次回作の予定ありか? 

246:兎里 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:03:19 oBVbH7lN
投下です。
また規制に引っかかったらごめんなさい。

>>236
みなさんに優しくされて天狗になってましたね。申し訳ないです。
次からは自重するようにします。



247:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:04:18 oBVbH7lN
「がえっでぎだー」

二十歳を目前に控え、犬に囲まれながら、鼻水と涙で顔をゆがめた女性をどうしろというのか。


年明け早々、高速道路が混みだす前に東京へ帰った。細かい手続きは後にし、挨拶など、手短に済むことは済ませて戻ってきた。
病院には診断書と紹介状を書いてもらい、あの医者とはメールアドレスを交換した。俺よりも新しい携帯を使っていることが若干、頭に来た。


家に着いたのは夕方で、玄関に明かりがついていることを訝ったが、旅立ちの様子を思い出すと納得した。

元々天才だったが、事故かなんかでバカになってしまったアニメのキャラクターみたいな姿をしたおっさんに拉致られたのだから、電気を消す暇などなかった。
ちなみに、あの時の荷物は、仕事の合間を縫って一時帰宅した母が準備してくれたらしい。

「光熱費が・・・」と嘆きながら鍵を取り出したところで、待てよ、と自分に問いを投げかけた。「父さんと母さん、向こう行くまでは普通に帰ってきてたよな?」

「ええ、そうよ」

「・・・消し忘れたのはアンタらかよ」

「ちょっと待ちなさいよ。あたしがそんなミスをするとでも思ってるの?」

反論しようとするが、理性が止めにかかる。財布の中身を1円と狂わずに把握している人物が、値上がりしつつある光熱費を甘く見るとは思えない。

「じゃあ、誰だよ」

母とくるみは論外、父は母と共にいたため、除外。

「マエダとルイス、もないよなぁ」そもそも家の中に入っていない。

ちなみに、この不在の間、二人の食事に関しては万全を期してあった。

俺が夏に合宿に行った時に購入した『プルプルワンワン』のお陰だ。決まった番号に電話をかけることで一定量のドッグフードが皿に盛られるというハイテクマシーンだ。この際、ネーミングには目を瞑る。

248:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:05:02 oBVbH7lN
「じゃあ、誰だよ」大事なことなので、もう一度繰り返す。

くるみが俺の背に回った。いけない、頼れる人を演じなければ。

「2人は下がって。父さん、一緒に」

「ん?あぁ、俺はいいよ」

「いいよ、って、『コンビニ行くけどアイスいる?』って訊いてんじゃないんだから」

「あたし、あの高いヤツね」

「いかねぇよっ」何故こんなに緊張感がないのだろうか。思わずため息をついた。

母は天性の余裕だろうが、父はというと、何かを知っている素振りを見せている。

「まぁ、開けてみろよ。俺はなんとなくオチが読めたから」

女性2人は首を傾げ、父を見る。この人だけは人生の台本か何かをどこかで手に入れたのだろうか。もしくは、攻略本を。


意を決して鍵を差し込む。その刹那、家の中で何かが動く音がした。これは本当に迎撃する準備をするべきかもしれない。
飛び出してきたニット帽とサングラスの男の顔面にスパイクを打ち込むイメージを膨らまし、扉を開いた。

実際に飛び出してきたのは隈と牛の着ぐるみパジャマの女だったが、容赦なく掌を頭頂部に叩きつけてしまった。

それから、姉、斎藤憲美(さいとう かずみ)だと気付いた。

249:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:05:42 oBVbH7lN
「ケンちゃん酷い・・・」

姉が部屋の隅で、マエダとルイスに囲まれながらこちらを睨んでいる。

「仕方ないでしょうが」誰だってあの状況では同じ事をするはずだ、多分。

「いいよいいよ、どーせねーちんはその程度の扱いですよぉ」

マズイ、あの人マジで泣き出した。マエダとルイスが非難の目を向けてくる。

俺1人に姉を押し付けて、母と父は居間でコーヒーを飲みながらクイズ番組を見ている。
ウケを狙ってる場所では少しぐらい笑ってやってください。ボケに対して冷たく、バカじゃないの、と言い放つ母は恐い。

ふと、くるみが姉のもとへと踏み出した。体育座りをする姉の背に、そっと手を乗せる。「ごめんね、お姉ちゃん」

弾けたように姉の顔が挙がる。やはり涙でぐしゃぐしゃだ。

「くーちゃぁん」姉は飛び掛るようにくるみを抱き締めた。「心配したんだよぉ、ニュースでいっつもくーちゃんのこと言ってて・・・あたし眠れなかったよぉ」

「お父さん、くるみちゃんが牛に襲われてるわよ」

「うん、うらやましいな」小気味の良い炸裂音と共に、父が吹っ飛んだ。

これが俺の望んだ家族団欒だろうか。否、断じて否。

「集ぅ合っっ!!」


250:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:07:09 oBVbH7lN
リビングの机に家族全員が集合したの何年ぶりだろう。さらに新しい家族もいるのだから、これほど喜ばしいことはない。

和室、風呂場の二つと隣接するリビングは、見まごうことがないほどに完璧なリビングだ。長めの机にキッチン、炊飯器、冷蔵庫、レンジにテレビ。さりげなく飾られた花が、これまたにくい。

長机の右側に手前から、母、父。左側に姉、くるみ。俺はその全てを見渡せる机の端で、腕を組んで立っている。その両脇には、マエダとルイスが鎮座している。

「本年度第一回斎藤家緊急家族会議を始めます。まず1つめは、なぜ家がこれほど乱れているかです」

「あたしはスルーなのっ?」姉が嘆くが、構っていたら話が進まない。

「私も、斎藤家?」くるみが左眼を輝かせて聞いてくる。

「あぁ、もちろん」手続きが大変だから、正式には黒埼のままだが。

「そっかぁ、斎藤くるみかぁ」

えへへ、と幸せそうに笑うくるみには、さすがに和む。左頬を赤く染めた父の顔も、どこか柔らかいものに見える。

251:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:07:57 IlfLF4Q3
久しぶりに帰ってきた家は見違えるようだった。悪い意味で。

流しには食器が溢れ返り、コンロには焦げ付いたフライパンと鍋が放置されている。洗濯物は洗濯機からはみ出ており、風呂場は髪の毛が流し口に詰まり、和室には空き缶や空き袋が散乱していた。

「やったやつら、手を挙げろ」苦笑いの父と、半泣きの姉がそろりと手を挙げた。「あんたもだろ、母さん」

部屋に響き渡る特大の舌打ちと共に、母が仕方なさそうに手を挙げる。

「・・・そこの二人はともかく、姉ちゃんは家事できるだろうに」

「だって、だってぇ」鼻を鳴らし、またぐずり始める。

都内でトップクラスの学力を持っていたにも関わらず、夢をかなえるためと言ってそれほどレベルの高くない大学へと進学した姉は、去年から一人暮らしをしている。
元々、我が家の家事を昔から担ってきた姉は、どちらかと言えばしっかりとしている方である。

そして、ガキだ。軽く波打つ黒髪と長い睫毛は大人の魅力を醸し出しているにも関わらず、くるみと競うほどの平らな体型をしている。
ギリギリ勝っている、というレベルか。身長は平均並なので余計、貧相に見えるということは黙っておこう。性格や服のセンスも見てのとおり子供的で、まだくるみの方がしっかりとしている。

「泣くなって。聞くから、な?」

腕でごしごしと目を擦ると、姉は頷き、話し始めた。

「あのね、この前いきなりおかーさんからメールがあったの。見たら『帰って来い』って書いてあって・・・ねーちん、超特急で帰ってきたんだよ?
そしたら家に誰もいないし、連絡も何もないのに、ニュースじゃくーちゃんとかケンちゃんが毎日・・・ふぇぇ」言い切る前に泣き始め、くるみに抱きつく。

・・・ツッコミどころはいくらでもあった。たが、とりあえずは母を睨む。首をぷいっ、と横にして、あからさまにしらばっくれられた。

「オイ、オイ、おぉぉいっ」

「やっかましぃっ。聞こえてるわよ」

「聞こえてるならこっち見ろよ、なぁ」

「マエダは相変わらず恐い顔ねぇ」

「こっち見ろ、そして俺と会話しろっ」

不毛なやりとりを繰り返し、ようやく母はこっちを向く。

「あたしの責任ね」

「知ってるわ、んなもん」

252:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:09:19 IlfLF4Q3
とりあえず、姉が薄情ではないことは証明された。

「電話ぐらいすればよかったのに」

「だって、どこにいるかわかんなかったし」

・・・なんか今のやり取りは変だ。

「電話番号は知ってるよな?」

「だから、どこにいるかわかんなかったから、どこにかければいいかわかんなくて・・・」

・・・たった今、姉がバカだと証明された。

「どこって、携帯だろ」

「・・・・ふぇぇっぇぇ」

「それ以上泣くとくるみがふやけるからやめてくれ」

「ねーちんじゃなくて!?」

泣くのか憤るのか、どちらかにして欲しい。

253:名無しさん@ピンキー
09/01/24 00:09:36 drQ8BfYc


254:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:10:26 IlfLF4Q3
少しおいてから、姉がまたポツポツと話し始めた。

「ニュースでくーちゃんが出たときは、本当にどーしようかと思ったよぉ・・・その目、ほんとーに見えないの?」

「うん・・・」くるみは物憂げに俯く。「でも、ありがとう、お姉ちゃん。心配してくれて」

「ううん、こっちこそ、生きててくれてありがとうだよ」

男と女の差というヤツか、俺では踏み込めない領域を、姉は軽く飛び越していった。姉の人柄と言うものもあるのだろう。

「それと、ケンちゃんっ」

突如振り返った姉に指を突きつけられ、たじろぐ。

「いつの間に不良に・・・それも500人を引き連れたヘッドになっちゃったのっ。最後に見たときはフツーだったのに・・・もしやっ、あの頃から!?」

マスメディアを信じるな、と俺と同じように教え込まれたはずが、なぜこうまで鵜呑みにしているのだろう。っていうか、500人って。2学年分くらいじゃないか。

「俺がそんなタマに見えますか」

「タマ、たま・・・命(たま)っ!?」よく分からないが、年頃の女性がタマを連呼するのはよろしくない。

「はっきり言うぞ。俺は、不良じゃない。善良とも言い難いがな」

「・・・ねーちんに誓える?」久しぶりに見る姉の真剣な表情。

ああ、そうだ。この人はこうやって心配してくれる人だったな、と思い返す。

「誓います」

「いい子だぁ、ねーちんがハグしてやろうっ」言うが早いか、俺の首元に突進してくる。

「あぁ、ハイハイ、どうもね」

「嬉しくないの?」

「嬉しいですよ、はい」半ば首にぶら下がるような姉の頭をポンポンと、優しく叩く。顔が熱い。


━瞬間、全身を悪寒が包む。

慌てて姉を引き剥がし、見渡す。

父は優しい微笑みから、何事かというような顔に変わった。

母は興味なさげにテレビを観ている。

くるみは俺から視線を逸らした。

姉はきょとんとした顔で俺を見ている。


・・・いや、まさか。

疲れているのだ。そう言い聞かせ、今日は眠ることにした。

255:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:11:11 IlfLF4Q3
四月になる頃には、住民登録などの面倒な手続きも終わり、斎藤家での暮らしにすっかり慣れていた。


といっても、家事の大半はお兄ちゃんがやってくれるので、未熟な私が出来るのはそのお手伝いくらいだ。

帰ってきたお兄ちゃんを玄関まで迎えに行き、おかえり、と言った時のお兄ちゃんの嬉しそうな顔は、私を蕩けさせてしまう。ただいま、と言われると、骨がなくなったように力が入らなくなる。

一緒にご飯を作ったり、お兄ちゃんが、手が荒れたらいけないからと言って代わりに洗ってくれた食器を、私が拭く。
そんな時、どうしても新婚気分になってしまい、お兄ちゃんに顔を向けられなくなってしまう。これで苗字も斎藤に出来たら最高なのにな。

苗字を変えるのは、お兄ちゃんが反対した。理由はわからないが、お兄ちゃんが言うなら仕方ない。それに、結婚すれば自然と変わるのだから、焦る必要はない。


お兄ちゃんは本当に優しい。
私が自室で目覚めた時━駄目元でお兄ちゃんと同じ部屋でいいと言ってみたが、案の定却下された━、どうしようもない不安に襲われることがある。
そんな日は、お兄ちゃんがいないと崩れてしまいそうになる。助けを求めると、お兄ちゃんは笑顔で、じゃあ今日は休もう、と言ってくれる。一日中一緒にいてくれ、時には私を外へ連れ出してくれる。

ああ、お兄ちゃん。大好き、本当に大好き。私は優しいお兄ちゃんが心の底から大好きだ。


だからといって、我侭も度を越えれば嫌われてしまう。時にはぐっと堪え、笑顔でお兄ちゃんを見送る。


いってきます。

いってらっしゃい。


無情なドアが閉まると、胸が締め付けられ、息が出来なくなる。

恐い。このままお兄ちゃんは帰ってこないのではないか。

お兄ちゃんはあんなに魅力的なのだから、発情期の雌が放っておくわけがない。中には、無理矢理お兄ちゃんを手に入れようとする輩もいるかもしれない。

だけど、そんなのはそんなことは些細なことに過ぎない。常識人であるお兄ちゃんがおいそれと騙されることはないだろうし、みんなは知らないが、お兄ちゃんは強いのだ。
目先のものに引き寄せられただけの雌など、容易くあしらってしまうだろう。


一番恐いのは、事故。

私を捨てた、私を裏切った両親のようなことを、お兄ちゃんはしない。するはずがない。

お兄ちゃんは傍にいてくれると言った。私にはそれを信じるしかない。

それなのに、一人でいる時 、私の右眼は視力を取り戻し、あの惨劇とお兄ちゃんの姿を重ねる。

256:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:11:59 IlfLF4Q3
━やめて、やめて、やめてやめてやめて壁が迫るやめてやめてやめてやめてやめてやめてお兄ちゃんが前のシートとの間に落ちるやめてやめてやめてやめてやめて右側に座り、私の頭を撫でてくれたやめて
やめて血まみれで、所々ガラス片の刺さったやめてやめてやめてお兄ちゃんは運転席でやめてお兄ちゃんと、目が合ったやめてやめてやめてやめて・・・やめてよぉ・・・お願いだから、もうやめてぇ・・・


部屋を暗くしようが、毛布に包まろうが、状況は変わらない。右眼が、私の一部が私を責め立てる。


右眼を潰せばいい。そうすればきっと、解放される。お兄ちゃんももっと優しくしてくれる。

シャープペンシルを握る。

ペン先の進路を定める。

振りかぶる。


金属の擦れる音を聞いて、私はシャーペンを放り投げた。続いて、扉の開閉音。

階段を駆け下りて玄関へ向かうと、少し驚きながらも笑顔のお兄ちゃんがいる。


ただいま。

おかえり。

257:Tomorrow Never Comes5話「Crazy Sunshine」 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:12:56 IlfLF4Q3
特別措置、という名目で、私は高校を受験した。もちろん、お兄ちゃんの高校だ。

3学期分の出席日数が足りなかったが、こっちに引っ越してきてからは、やはり特別措置ということで通信制の学校に臨時入学して、必要な出席日数をカバーした。

お兄ちゃんの高校は都立で、学力的には丁度、真ん中くらいの所だった。勉強を怠っていた私には多少きつかったが、お兄ちゃんと一緒にいられない恐怖を思えば、そんなものは恐るるに足らない壁だ。


私は晴れて、高校生になった。

伯父さんと伯母さんは誉めてくれた。一月以来、忙しくて帰って来れなかったお姉ちゃんは、この時ばかりは帰ってきて、私を抱き締めてくれた。

肝心のお兄ちゃんはというと、隈を伴った眼を潤ませながら、おめでとう、と何度も言って私の頭を撫でてくれた。なにより、嬉しかった。


「くるみ、忘れ物は?」

「ん、大丈夫」

教科書、ルーズリーフ、筆箱、体操着、ハンカチ、と一つずつ声に出して確認する。

「弁当は?」

「えへへ~」カバンを置いて、中からお揃いのバンダナに包まれたお弁当箱を出す。

一回り大きいのがお兄ちゃんので、もう1つが私の。今回は私が作ったものだ。

「よし、じゃあ行くぞ」

お兄ちゃんとお揃いの色をした制服の裾を揺らし、後に続いて家を出る。


「いってきます」

「いってきま~す」


暖かく、優しい太陽が照らしている。

お兄ちゃんは、私の太陽だ。

258:兎里 ◆j1vYueMMw6
09/01/24 00:14:12 IlfLF4Q3
とりあえず、投下終わりです。

途中の支援、ありがとうございました

259:名無しさん@ピンキー
09/01/24 00:17:24 /uPEEFYx
後ろの作者さんのために、もう少し投下間隔空けてあげた方がいい気が…
まあでもGJ

260:名無しさん@ピンキー
09/01/24 01:04:39 +pGA+aTy
>>242
菊乃さんの変質的な執着心がイイ!

>>258
姉スキーの俺には憲美が可愛すぎるんだが……微妙に死亡フラグ立ってる?

261:名無しさん@ピンキー
09/01/24 01:09:53 zVBFeFla
>>242
純粋で、朴念仁で、コマンドーみたいに女に何をされても死なないような主人公もいいと思います

>>258
くるみはかわいいなあ

262:名無しさん@ピンキー
09/01/24 02:46:17 bclpjKbI
>>258
GJ

前田とルイスって聞くとカープが思い浮かぶ

263:名無しさん@ピンキー
09/01/24 08:56:14 9A2dkKLH
最近ヤンデレという言葉自体を知った者です

レベル低い上に長編を投稿されている玄人の方の後なので気が引けますが

投下してみます…



264:雨の夜
09/01/24 09:00:25 9A2dkKLH
関東地区内陸部某養護施設
女子棟202号室
右側の窓の方
私に与えられた場所

私は孤児
赤ちゃんの時熱帯夜の深夜にここの玄関の前に捨てられ泣いていたらしい

名前は美雨

スタッフの人達が相談して決めたみたい

私が生まれた頃、社会はバブルとか言うのが崩壊して、
私みたいな子達が急に増えたってどこかで聞いた

お母さんとお父さんがいる生活が普通で
私の日常が普通じゃないことは自然と理解して生きてきた

自然と同世代でグループができて、学校でも外でもどこか浮いた感じの私達は結局一緒にいることが多かった

義務教育最後の年
夏休み前
突然の雨

「雄輔……」

日本語は面白い
ハラワタガニエクリカエル?だっけ…?
憎しみが限界を越えるとお腹が熱くなってくるのか…

こんなの始めてだよ…

雄輔…

265:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:02:22 9A2dkKLH
雄輔は私の二つ上で震災遺児

親戚の紹介でここに来たらしい


ボランティアの人が言ってた
「まるで大家族ですね」

家族…?

雄輔のクラスの人が言ってた
「お前ら本当兄弟みたいだな」

兄弟…?

クラスの女子が言ってた
「いいなぁ~カッコいいお兄ちゃん」

お兄ちゃん…?

小さい時ケンカして雄輔スタッフの人に言われてた
「あなたのかわいい妹みたいな子でしょ!?何で泣かせるの!?」

妹…?



何でこんなことばっか思い出すんだろう…

偏差値が3も落ちた

やっぱり難しいよ勉強

何で偏差値70もあるんだよ雄輔…

誰だよ…
あの女…
同じ学校の女か…
楽しそうに話してんじゃないよ…

今団地で一人暮らしだよね…雄輔

やったんだろ…!?
あの女と…

やったんだろ……

お腹痛い……

生理じゃないのに……

お腹痛い……

また吐いちゃった……

痩せるなんて簡単じゃん……

何でみんな苦労してるんだろ……


266:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:03:46 9A2dkKLH
「ええ…中学生です」
「はい…西山中学校に通ってます」
「3年生で…C組です」
「…ですから最後に姿を見たのは昨日学校に行く時で…はい」
「はい…160は無いと思います…えっ?髪の毛の色ですか…?黒ですけど…」
「…所持金?いやそんなには…せいぜい一万円位だと思います…はい…どうか…よろしくお願いします…」

受話器が置かれる

「やっぱり携帯つながりません…どうしましょう…」
「思い当たる所は全部探しました…家出なんてする子じゃないですし…まさか…」
「警察の方が今こちらに来てくれます」
「とにかく私達の出来ることをしましょう…子供達はもっと不安を感じているはずです」
「あなた達がそんな風じゃ子供達をさらに不安にさせるだけですよ…」
「さぁもう一度彼女を探しましょう…」



267:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:06:15 9A2dkKLH
「ったくあのバカ…」
図書館に本屋にペットショップ…あとはどこかの化粧品売り場にauショップってとこか…?

いや…雨降ってるし、やっぱ電車かバスでどこかへ行ったのか…?施設の佐藤さんが警察呼んだみたいだし、それにしてもただの家出ならいいが……いや無事ならなんでもいい…

21時 県営団地302号室

ガチャガチャ
「あれっ…」
施錠したはずのドアが開いている
恐る恐る部屋に入り電気をつける

「………!!」

散乱させられた部屋
床に座り込むずぶ濡れなよく知っている存在

昨日の格好のまま何かを1人でぶつぶつと喋っている異様な光景

「美雨…!!美雨……!?」
「何だよ…すげー心配したんだぞ…」
「おい美……」

「…………!!」

近付く声
顔が急に上を向き、雄輔の姿が目に入る
急に立ち上がり、後ろへ体を移動させ、壁に体をぶつけ再び床に座り込む

「ハァハァハァ…」荒い呼吸、焦点の定まっていない視点、何かにおびえた表情
「何してんだよお前…傘無かったのか…?」
「ちょっと待ってろ…今タオルを…」


「他人じゃない!!」

「はっ…?おい美雨…どうし…」

「家族とか兄弟とか妹とか……」



268:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:08:03 9A2dkKLH
下を向いたままだが表情が憎悪と怒りに満ちたものへ変化する

「なっ何を言っているんだ…?とにかくそのままじゃ風邪引くぞ…だから…」

「あ亞あぁアア嗚呼亜ぁ!!」

ガツンガツン

突然叫び始め
自らの額を壁と床に打ち付け始める

「………!!」
「何してんだ止めろ!!」
「おい止めろよ!!美雨!!聞け!!聞けよ!!美雨!!」

背後から男性の力で抱き付かれ、自傷行為を制止させられる
「離せ!!離せよ!!」額が切れ少量だが血液が流れ始める

「離せ…!!離せ…離せ…」
必死に抵抗するが体力が底をつく

両目から涙が一気に流れ始める

「………」

「…美雨…よく分かんねぇけど、体大切にしろよ…」
「俺も施設のみんなも本当に心配したんだぞ…」

「施設…みんな…心配…」
沈黙が続く

「あの女…あの女…」
「あの女って…?お前は何を言っているんだ…?」

「一昨日駅前で楽しく歩いてた女……殺す殺す殺す…」

「あっ……
お前それは…先輩で部活のマネージャーやってる…坂井さんだ…」

「坂井さんは大学生の彼氏がいるらしいんだ……」
「嘘を付くな嘘を付くな嘘付くな…」
「死ぬか殺すか死ぬか殺すか死ぬか殺すか死ぬか殺すか……」

269:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:10:16 9A2dkKLH
「美雨……」

「…………!!」
腕の中で体を回転させ、仰向けの体の上でうつ伏せになる

体が密着し、胸と胸が重なる

ビリッ

体を浮かし、自ら着ているYシャツのボタンを引きちぎり、下着が露わになる

「ハァハァハァ…」「どう……!?結構大きいでしょ…!?」
「私でオナニーしてる男子だっているし…付き合ってくれって3人から言われたし…スカウトされたこともあるし…エロオヤジから声掛けられたし……」


「私のがいいに決まってるでしょ!?」
「許せないっ!!本当に許せない…」

雄輔の首を両手でつかみ締める

「うっ…!おい!!止めろっ!!」

バタン

男性の力で首に絡まる腕を振り払い、私の体を突き飛ばす

「ハァハァハァ…」「ハァハァハァ…」
「ハァ…美雨ぅ…お前……」

「抱きなさいよ!!」

「はっ……?」

「あの女とはやれて私とはやれないのかよ!?」

床に座り込んだままスカートの中の短パンだけを脱ぎ始める

「美雨…」

視線を背けるがあらゆる感情が溢れ胸の中が締め付けられる

立ち上がりスカートを自らめくり

「男子ってスカートはいてた方が興奮するんでしょ…」

「早く抱けよ!!雄輔!!」



270:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:13:44 9A2dkKLH
「……」

バサッ

私の体が雄輔の体に包まれる

「ゴメン…本当に知らなかった…」
「お前がそんな風に考えてたなんて…」「確かに他人だよな…お前も俺も…みんなも…」
「でもずっと一緒だったじゃねぇか…」「前にも話したよな…俺元々一人っ子で震災遺児だって…」
「施設に来たばかりの時は本当にいろいろ面倒くさくて脱走もしたけど、お前や他のみんながいてくれたから、楽しくやってこれたし…それに外の奴らには何かバカにされたくないっていうか…負けたくねぇって思えて、いろいろ頑張れたんだ…」

「そんな話いいから早く抱けよ!!」

「坂井さんとは何にも無い…ってゆうか今まで本当に何にも無い…」

「うっ…」

口唇が重なる
口唇が離れる

無言のまま床に寝そべる2人

「………」

私の下着だけが外される

「すげーきれいだ…美雨…」

「早く…しろよ…」
ファスナーから男性器が露出される

「ゴメン…やっぱり無理だ…」

「ふざけんな!!」

固くなっている男性器を右手でつかみ

雄輔の上に馬乗りになる

「おっきくなってんじゃん!!」

「ねぇ…ねぇ…!!ねぇっ!!」

グチュチュ

いきなり雄輔の局部を口に含みしゃぶる


271:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:14:21 BX+VhGkn


272:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:15:33 9A2dkKLH
「何してんだ美雨!!」

口の中で固くなった局部に舌を絡ませる

「………」


顔を押さえる手
口から男性器が抜き出される

押し倒される
無理矢理私の下半身に始めて男性器が入ってくる

「うっ……」

「………!!」

苦悶の表情

無造作に腰が上下に動く

「あっ…うっ…」

「嗚呼…!!」

激痛が下半身を走る
「ハアハアハア…美雨」

痛みに耐えるだけの時間が過ぎる

「阿ア嗚呼アアああッ!!」

体が離れる

再び出血

「ハアハアハア…」

「ハアハアハア…」



「美雨…シャワー先に入れよ…」





273:名無しさん@ピンキー
09/01/24 09:17:42 9A2dkKLH
投下終了します

>>271
支援ありがとうございました

274:名無しさん@ピンキー
09/01/24 11:37:52 eDF2Kg8L
>>273
お疲れ。

275:名無しさん@ピンキー
09/01/24 11:42:41 FE3JTHcF
>>273

GJ!


ところで投下間隔ってどれくらい空けるのがベストなんだろ?

276:名無しさん@ピンキー
09/01/24 12:11:09 +pGA+aTy
別に連続投下でも感想書きたきゃ個別にアンカー付ければいいしどーでもいい。
むしろ「間隔あけろ、前の投下から○時間は投下するな」とか言い出す自治厨の方が邪魔

277:名無しさん@ピンキー
09/01/24 13:01:14 tull/yGq
確かに

278:名無しさん@ピンキー
09/01/24 13:02:49 g9vnMx23
てか改行しすぎ

279:名無しさん@ピンキー
09/01/24 13:21:25 boqffw/5
スレの流れとか空気っつーかさ、暗黙の了解的なもんがあるんだよ。スレによって違うけどさ
投下した者じゃないとわからないけどさ、自分の作品に対するレスがくる前に別の投下がきて、そのとき自分がどう思うかじゃないかね?
たまに自分の後に大人気のSSがすぐに投下されて自分のSSがなかったことのように……

>>276の言うとおりなんだけどさ、投下する側としてのマナーってか気配りってーかね、けっこう大事だと思うよ。うん

280:名無しさん@ピンキー
09/01/24 13:42:33 FCGP1mcR
ま、間隔空けろなんていうのは書き手側の理屈だよな
ただ書き手無しにはスレは成り立たないというジレンマ

281:名無しさん@ピンキー
09/01/24 13:59:37 9VQrY6f0
確かに携帯小説なみに行間あけすぎで見づらい

小説風とは言わないからせめてラノベ風に仕上げてくれ

282:名無しさん@ピンキー
09/01/24 14:10:13 H2RpBNL7
ぶっちゃけ個々のヤンデレの妄想をSSやネタで表現してニヤニヤするスレだからなあ。
それぞれの作品に必ず感想付けたり、そういうことでSSを評価するようなスレでもないし。
感想もらえたら嬉しい、でも無くても自分の妄想を見て貰えただけで満足、という方針でいたほうが良いと思われ。

283:名無しさん@ピンキー
09/01/24 16:34:14 /sKA7hwW
投稿時に間隔空けなくても良いに一票

284:名無しさん@ピンキー
09/01/24 16:42:53 7QBLqlKr
どーでもいいわ
いやなら飛ばせばいいそれだけ

285:名無しさん@ピンキー
09/01/24 16:51:05 0ObEQP3I
>>278>>281はどれに対して言ってんの?

286:名無しさん@ピンキー
09/01/24 16:57:03 Teu+WOgR
>>283
いらんことすんな

287:名無しさん@ピンキー
09/01/24 17:34:23 mLdt7edQ
ヤンデレおねえさまに思いっきり甘えたい

288:名無しさん@ピンキー
09/01/24 17:58:00 7FJNaWOp
>>287

ヤンデレが287を好きでない場合
「こっちくんな!キモオタ!(PAM!!」
     →死亡フラグ

ヤンデレが287を好きな場合
「よしよし、いい子いい― ・・・ 女の―匂いがするよ?どういうこと、かな?287君?」
     →死亡フラグ

こうですか?わかりません><

289:名無しさん@ピンキー
09/01/24 21:12:53 TIQ1Yd9k
>>287
お姉ちゃん型ヤンデレはいいよな
膝枕状態で頭撫でられて「ほかの女とこんなことしたら殺しちゃうからね~」とか言われてまったり過ごしたい

290:名無しさん@ピンキー
09/01/24 21:39:03 0OzNfaL0
>>289
いやいや頭撫でられるより耳かきされながらだろ

他の女の子のことを話しでもしたら、そのままズボッと……

291: ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:46:32 PqgTn3fx
投下します。

292:ワイヤード 第十六話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:47:35 PqgTn3fx
第十六話『イロリ汚いなさすがイロリ汚い』

「ん、ちーちゃん、もう帰っちゃうの?」
「ああ、ちょっと野暮用でな」
「ええー。カナメちゃんの親睦会をしようと思ってたのにー」
頬をふくらませるイロリに苦笑いしつつ、千歳はぷらぷらと手をふって教室を出て行った。
「前から思っていたが、お前は千歳をそんなに好きだというのに、必要以上にべたべたくっついていかないんだな」
「うん。ちーちゃんに、迷惑かけたくないから」
「……?」
イロリの返答の意味を図りかねたナギは、首をかしげたがその後は追及をしなかった。
ただ、イロリは過去に起こった何かが原因で、千歳に若干遠慮をしているのだということはかろうじてわかった。
「とにかく、本題は、カナメだ」
「さんをつけなさいな、デコスケおちび」
「サイクロン掃除機に吸い込まれたような髪形のやつが言うな」
ひたすらに高圧的なカナメと、それに真っ向から噛み付くナギ。
相性はあまりよくないようだ。
いや、むしろ似たもの同士なのかもしれない。
「ま、まあまあ」
いつもは周囲を振り回す側のイロリが、今は仲裁役に回っている。カナメの登場は、人間関係を良くも悪くも変えてしまったようだ。
「とにかく、繁華街にでようよ。そのほうがいっぱい遊べるから」
「まあ、それがいいだろうな」
「賛成ですわ」
なんとか二人も納得してくれたようで、イロリはほっと息をはいた。

 ♪ ♪ ♪


293:ワイヤード 第十六話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:48:05 PqgTn3fx
屋上。立ち入り禁止のその場所だが、警備もなにもあったものではなく、千歳は頻繁に出入りしていた。
もう一人の住人とともにだべるのが目的である。
そして、もう一人の住人は、今もここにいて、寝そべり、空を見ていた。
「やっぱここかよ、彦馬」
「……千歳。やっぱり、君がきてくれるんだね」
「カナメ……いや、カナさんじゃなくて、不満か?」
「ううん、そういうわけじゃないよ。僕は、千歳のことも大好きだから」
身体を起こし、彦馬が千歳に笑いかける。
彦馬は決して男として格好が良い部類ではない。ほそっこいし、背も低いし、全体的に軟弱だ。
性格も、お調子者だが基本へたれであり、空回りしがちで報われない。運動も成績も普通だ。これといった長所はみあたらない。
が、女性的な顔つきはどこか美しさを感じさせる部分があった。今では、それがカナメの双子であるからだと納得できるが、他の誰も気付いていなかった要素だろう。
「なんだよ、男同士で大好きとか……。恥ずかしいやつだな、お前は」
悪態をつきつつも、優しい表情のまま隣に座る千歳。長い付き合いだ。互いに、『分かっている』。
「ははっ、そうかもね。いい男が二人集まったら、一部の女性達の妄想は始まるから」
「いい男って、自分で言うもんじゃねえよ」
「それもそうか。……それに、僕は……いい男じゃ、ないしね」
沈んだ顔になる彦馬。
珍しい。長い付き合いだが、千歳はここまで心から打ちひしがれた彦馬を見るのは初めてだった。
いつもはなにかあっても三十秒で回復するようなやつが、ここまで。
―あたりまえか。
(俺だって、人のことはいえねえもんな。もし、百歌と別れちまって、次にあったときには別人で……)
考えたくも無い。百歌は、ばらばらになってもう滅多にあえない家族の中で、唯一一緒にいてくれる。
それが、消えてしまう。
俺の世界が、消えてしまうんだ。
「お前の泣いたとこ、見たこと無いな」
「そういう千歳だって」
「俺は……影では泣き虫だったさ。ただ、百歌に涙を見せたくなくてな。だから人前では泣かない習慣がついた」
「僕は……たぶん、本当に泣いたこと無いのかもね。たぶん、カナがいなくなってからずっと泣いて、尽き果てたんだと思う」
「そうか」
彦馬の顔を横目にちらりと見ると、確かに泣き顔のようなくしゃくしゃした表情をしていたが、涙は流れていなかった。
意識的に耐えているわけではない。すっからかんで、もう出ないような。
そんな、歪んだ顔。
「なら、お前は前に進め。涙が止まったなら、もう止まるな。強くなれ」
「……!」
「おーおー、驚いた驚いた」
「だって……だって……」
「お前、俺が慰めに来たとでも思ってたのかよ。俺がそんな優しい奴に見えたか? 俺は努力してるやつにしか手は貸さんぞ」
「……ちがうよ。千歳の言葉が、あまりにも僕の予想通りだったから」
「……」
「だから、嬉しいんだ」
「……そうか」
二人は顔を見合わせ、不器用に笑いあった。

 ♪ ♪ ♪


294:ワイヤード 第十六話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:48:39 PqgTn3fx
「げ……げぇむせんたぁというのは初めてきましたが、なんと言うべきか、壮観ですわね」
ゲームセンター『シューティングスター』に訪れたイロリとナギとカナメ。
カナメは、その強大な威圧感―それは逆説的な言い方だが、本来的に言うなら、閉鎖性の生み出す圧力の大きさに圧倒された。
このシューティングスターは、関東でも屈指の強さを持つゲーセンである。
選りすぐりの精鋭たちがひしめき合い、腕を競っている。
「わたくし、ビデオゲームはあまり経験が無いのですが」
「徐々に慣れればいい。お前は見たところ、センスがありそうだ。脳をフルパワーで運用できるんだろう?」
「そうですが、なぜそれを?」
「気にするな」
ナギはそう言いつつも、北斗の拳の筐体にコインを入れた。
「とにかく、見ているといい。北斗は初心者には敷居が高いが、慣れればこれほど面白い物は無い」
カナメはとまどい、隣をみたが、イロリは真剣な目でナギを見つめている。
カナメもそれに従い、それきりだまった。
ナギのトキはレイで遊んでいたモヒカンを即行で瞬殺した。
「うん……。やるね、ナギちゃん!」
「当たり前だ。私は中野でも修羅の称号は持ってる」
イロリとナギがいろいろ納得している中、カナメはあまりついていけていない。
(格闘ゲームというのは、かのような奇怪な動きをするものでしたかしら。わたくし、ウメハラ氏が『小足見てから昇竜余裕でした』といったことくらいしかしりませんわ)
カナメも、昔―カナだった時代には、ストリートファイター2などはやったことがある。
その時は兄の操るザンギエフを待ちガイルでフルボッコにしていたが、この『北斗の拳』は、そんなものとは次元が違うように見える。
「ふむ……だれか、このゲームのデータのようなものを持っていないでしょうか」
「お嬢様」
突然現れたのは、黒服の男、高崎である。
「ここに、このゲームのシステム、キャラクターごとの詳細データ。コンボレシピ、バグ、技フレーム、判定、全ての数値系が記録してあります」
「まあ、仕事が早いのですね!」
「い、いえ……私はここの常連でして……」
「……わたくし、あなたの私生活が気になって仕方がなくなってきましたわ」
「それはまた後ほど。今はご学友との交流をお楽しみください。では」
すっと高速移動して、高崎は消えた。このスピードがあればオリンピックにでても余裕で優勝なのではないかと思うが、高崎はそういう興味は無いらしい。
運動能力はカナメ以上だというのに、もったいないことだ。カナメは少し残念だったが、まあそれは保留として。
「ふむふむ……」
ぱらぱらと、分厚い紙束をめくる。
すっと目を通しただけで、具体的なキャラクターの判定の形状、スピードなど、全てはが頭の中で思い描かれる。
「完全純化した理論値では、ユダと、レイというキャラクターが強いようですわね。しかし、人間同士の闘いではトキというキャラクターのスピードが最強と……。なるほど」
だが、どこか気に入らない。
もっと、自分の性格に合致したキャラクターが欲しい。
「拳……王……!? これですわ! ラオウ様こそが、わたくしには相応しいわ!」
強烈な攻撃力と、永久コンボ。目押しが重要な、職人系のキャラクターだ。
まだ経験の浅いカナメには、慣れとアドリブが必要な別キャラより、差し込みさえ成功すれば永久を狙えるキャラのほうが望ましい。
なにより、王という名前に惹かれる。
「よし……キャラ対策などのデータも覚えました。あとは実戦あるのみ、ですわ」
カナメはずかずかと2P側に座ると、コインを投入してナギに乱入した。
「ほう、初戦で私にいどむか。いい度胸だ」
「わたくし、自慢じゃございませんが、勝負事で他人に負けた覚えはなくてよ」
「自慢だろうが……」
戦いが始まる。


295:ワイヤード 第十六話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:49:10 PqgTn3fx
ナギのトキは、ナギを使わずに攻めを開始する。いわゆるひとつの舐めプレイだ。
が、ナギ無しトキの固めはナギ有りよりよほどぬるい。カナメはかろうじて対応していた。
(レバーとボタンに慣れることができれば、わたくしの能力で『理論値による運用』が可能なはず……!)
耐えつつも、立ち回りによる勝負に持ちこむカナメ。初めて故にぎこちない動きだが、ナギなしトキの火力の低さに救われる。
1ラウンドがナギに先取された。
「どうだ、北斗は楽しいだろう」
ナギがふふんと鼻をならしながら、優越感丸出しで話し掛けた。
「本当に、そうですわね。しかし……」
「?」
「これからが、もっとおもしろくなりましてよ」
2ラウンド目からのカナメの動きは明らかに違っていた。まるで、何年も鍛錬をつんだ修羅のごとき動き。
軽々とトキに差し込み、サイを入れる。長い長い目押しコンが。自分との闘いが始まる。
「なっ……こいつ、まさか……! いや、そんなはずはない。素人が目押し完走など……!」
「そういう舐め発言は、死亡フラグでしてよ」
「何……!」
裏サイにも成功し、カナメのラオウは見事永久コンボを完走してしまった。
がやがやと、ギャラリーが集まってくる。
「おい、初心者が目押し完走したぞ……!」「天才じゃ、天才の出現じゃ!」「北島マヤ、恐ろしい子!」
「まさか『ミス・ファイヤーヘッド』が負けるなんて……」「名前の由来から考えると不自然じゃないけどね」
ちなみに、『ミス・ファイヤーヘッド』とは、ナギのこのゲーセンでのリングネームである。
由来は、ウルトラ戦士隊長ゾフィーの、『ミスターファイヤーヘッド』という異名から。
彼が某鳥っぽい怪獣に頭を燃やされた挙げ句ぼろっかすに負けて殺された衝撃シーンから、そう呼ばれる。
つまり、ナギのリングネームは死亡フラグ満載だった。
「馬鹿な……!」
「そろそろ、お認めになっては? わたくしが、『王の器』だということを」
「くっ……なるほどな。認めねばなるまい。お前は確かに『天才』と呼ばれる部類の人間らしいな。ならば、本気をだそう。その強さに敬意をもって」
ナギの雰囲気が、目に見えて変化する。
深紅の髪は鈍い発光を始め、その瞳も怪しく光る。
(なるほど。野々村ナギさん。どれほどのものかと思いましたが、千歳様のご学友だけあります。……底知れないですわね)
カナメは、ナギから発せられる力がどういうものか、はっきりと今わかっていた。
(この方もまた、『王の器』ということ……。面白くなってきましたわ)

 ♪ ♪ ♪


296:ワイヤード 第十六話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:49:40 PqgTn3fx
「さて、なんだかんだで、彦馬には解決できないこともあるしな」
手伝ってやらねばなるまい。千歳はそう確信し、ある場所へ向かっていた。
学校の裏にある山の、最奥。相当な樹齢に達するという神木。
その根元の部分に、よりそうように眠っている少女がいる。
「やっぱ、ここか」
千歳はあきれたようにふんと息を吐いてから、少女のもとにかけより、肩を揺さぶる。
「起きろ、久遠(くおん)」
少女は応えない。死んだように眠っている。
千歳は冷静に脈を確認する。死んでいない。
「久遠、俺だ、千歳だ」
「……うぅん……いま、ねているから、おこさないで」
どう考えても起きている口調。
「……どうすりゃ起きる? 前みたいにチューペットでも買ってやろうか?」
ふるふる。
少女は頭を横に振った。どう考えても起きてるだろ、これ。
「ちとせ、ちゅーしれ」
「……はぁ?」
「ちゅーしれ」
目を閉じながら唇をとんがらせる少女。
「……」
千歳は、冷静に、なぜか都合よく持っていた激辛めんたいこ(!?)を取り出し、少女の口に押し付ける。
「ちゅー……っ!? ―ん―!!」
瞬間、目を見開いて飛び起きた少女。
しばらく周囲を走り回って、やっと戻って来たかと思うと、千歳の胸にダイブした。
「ちとせ! ひさしぶりっ! くちびる、からいね!」
「アホか」
「ちとせ、くおんバカっていった。くおんバカじゃない。ちとせまちがい。ちとせバカ」
「うるせぇよ。ツッコミだろツッコミ」
「ならなっとく! くおんかしこい?」
「ああ、賢いよ。久遠は賢い」
「くおんかしこい! ちとせすき!」
「ああ、ありがとな」
「すきだから、ちゅーする」
「どこで覚えたんだよ、それ」
「すいーつ!」
「携帯小説のことね……」
―極限まで出来の悪い妹を相手にしているみたいだ。
千歳は自分の体力が順調に削られているのを実感した。自分の実妹が百歌でよかったとも思う。
「おらぁ、てめぇ久遠姐さんになにしとんじゃ! ……って、千歳さんか。ご苦労様です」
「ん?」
いきなり現れていきなり納得した男。どうみても893。千歳には見覚えがある。というか、顔見知りだ。
「ああ、久遠の護衛の人か。悪いけど、しばらく二人っきりにしてくれ」
「へい、もちろんですぜ! それと、親分から伝言です『久遠を女にしてやってくれ。そのかわり俺の家を継げ』とのことです!」
「……おっさんに、『余計なお世話だくそじじい』って言っといてくれ」
「む、むちゃな注文ですぜ……」
「まあ、それに類することを頼む」
「合点承知!」
男はさっさとどこかへいってしまう。
「ふぅ……お前の家のやつは疲れる」
久遠が首をかしげる。
「ちとせ、どうしたの? くおんになにかよう?」
「ああ、ちょっと、訊きたいことがあってな」
「くおんをおんなにしてくれるんじゃないの?」
「そういうことを白昼堂々言わないように教育すべきだったな」
「じゃあ、どうしたの……?」
「うーん。話すと長くなるな。近くに山小屋があったろ。そこで話そう」
「うん!」

 ♪ ♪ ♪


297:ワイヤード 第十六話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:50:11 PqgTn3fx
白熱した第3ラウンドは、ついに終わった。ナギを解禁し、かつ経験の差とキャラ性能の差をしっかりと活用したナギに、当初はカナメが押され、体力は瞬く間に一ドットにまで減らされる。
が、その一ドットが果てしなく長い。
固めの中、甘えたバニシングを放ってしまったナギのトキに対し、カナメのラオウは見事に無想転生を発動。
そのまま永久コンボに移行し、見事に逆転勝利を収めたのだ。
沈黙。
誰もが、二人の熱すぎる闘いに口をあんぐりと開けることしかできなかった。
ぱちぱちぱち。
その沈黙を破ったのは、にっこりと満面の笑みを浮かべたイロリだった。
つられるように、徐々に拍手が増えてゆく。
誰もが、二人の闘いをたたえていた。
「……私の、負けだ。お前は、すごいな、カナメ」
「久々に、ここまで緊張しましたわ。どのような勝負事でも軽く勝って来たわたくしですが、ここまで本気になれたのは久しぶりです。ありがとうございました。ナギさん」
どちらからでもなく、二人は手を前にだし、互いに握り合った。
「さーて、勝ったカナメちゃんには、もれなくエクストラステージが待っています!」
「え……?」
「この私、西又イロリがお相手するよ!」
カナメも、ナギも顔を見合わせ、ぷっと吹き出す。
今更行く所まで言ってしまった自分達に対し、イロリごときがついてこられるのかとでも言っているようだった。
―王の器でもないくせに。
少なくとも、カナメはそう思った。
が、ナギはすぐに考え直していた。
(いや、イロリなら、あるいは、この天才にも……)
イロリは決して才能溢れるタイプではない。
だが、それ以上に何か、もっと深い……もっと大きな。王の器など、問題にもならないような何かが。
確信も無いし、証拠もなにもないが、ナギの感覚にひっかかる、何かがある。
もしかしたら。


298:ワイヤード 第十六話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:50:56 PqgTn3fx
「あー、私を舐めてるなー! これでもめっちゃやりこんでるんだからね! ハイスラでぼこってやる!」
「まあ、お相手いたしますわ」
カナメは明らかに馬鹿にした動作で2P側に座る。
イロリはナギに変わり、1P側に座った。
キャラ選択。先ほどに引き続き、カナメはラオウ。既に、最上級者の域に達している。生半可なレベルのラオウではない。
対して、イロリはシン。世間的には弱キャラとして扱われている彼である。
ギャラリーは、半ばイロリに対し、「死んだな」とでも言いたげな同情の目を向けていた。
第一ラウンドが始まる。
(さあ、どうきますの……?)
弱キャラを使うからには、慎重な攻めが要求される。カナメは、イロリはまず様子見からくるであろうと見越して、開幕は慎重に入った。
が、イロリは違った。
ゴクトをぶっぱしたのである。
「か、開幕ゴクトだー!! 汚い、このシン、汚い!」
「恥知らずなシン使いがいた!」
だれともつかないギャラリーの一人が、興奮して叫んだ。
(な、なんですの、この人、データとは全く違う……予測できない動き……!)
ペースを完全に乱されたカナメは、次の差し込みもイロリに負けてしまう。
やりこんでいると言うだけあってコンボをミスらないイロリ。体力をごっそり奪っていく。
そのまま壁に追い詰められ、起き攻めを連続される。
「くっ、このままだと思わないことね!」
カナメは反撃を開始……できない。
ラオウの技を、パワーゲイザー、もとい、ライシンで見てからつぶしてしまったのだ。まさに超反応。
そのまま汚い攻めにあい、ダメージは加速した。カナメは瞬く間に1ラウンドを失っていた。
「そんな……わたくしが……!」
「ふふーん。私を舐めた罪は重いよー。次は、開始四秒でやっつけてやる!」
「な、何をいって―っは!?」
第二ラウンド開始と同時にブースト投げ。そのまま一撃。そこにはぼろぼろになった金髪の雑魚がいた。
瞬きする暇もなく、イロリのシンがカナメのラオウを倒してしまっていた。
「そ……そんな、バカなことが……」
わなわなと震えるカナメ。カナメの寿命はストレスでマッハだった。
そんな彼女に、イロリは優しく話し掛ける。
「ジュースを奢ってやろう」
と。
「きー! くやしいー!! これではっきりしましたわね、わたくしの恋のライバルは西又イロリ、貴女なのですわ!」
「ようやく気付いたようだね。そう、私こそがちーちゃんのハートを射止める(予定)女よ!」
「千歳様と添い遂げる未来を掴むには、まずあなたから倒さねばならないようね。勝負ですわ!」
「望むところっ!」
テンションが上がってゆくイロリとカナメ。
「なんなんだこいつら……」
ナギは、若干置いてきぼりになるのを感じていた。
(ボケキャラばかりでツッコミがいない……。千歳、これほどお前が恋しくなったことはない)
が、ナギは、千歳がかつて無いボケキャラと相対している事実を、まだ知らなかった。

十六話 終

299:ワイヤード 第十七話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:51:27 PqgTn3fx
第十七話『遥か久遠の彼方に・前編』

この山は久遠の家、九音寺家の持ち物である。
それだけではない。この山のふもとにある千歳たちの通う私立高校も、もとを辿れば九音時家が出資して作られたものだ。
今は経営者が変わっているが、この辺りの地域を切り開いて活気付けたのは、九音寺家の功績だった。
故に、彼らの権力は強く、商店街などはいまだ主導権を握っている。
ヤクザというとあまり聞こえがよろしくないが、彼らは進んで汚いことに手を染めたりはしないし、人道に外れた行いもしない。
彼らは、カタギの人々が思っている以上に暗黒に包まれているこの日本の裏社会の波から、街を守っているのである。
さて、今千歳と久遠が入ったこの小屋は『旧九音寺跡』と呼ばれる場所で、たいそうな名前だが単なる庵だ。
もともと、何代か前の九音寺家の党首が出家した際に引きこもったとされる場所で、寺と言っても一人分の質素な居住すスペースに過ぎない。
隠者とは本来そういうものであるとは言え、この山奥で一人どうやって過ごしたのか。千歳は想像すら出来なかった。
街に下りていたのだろうか。が、九音寺組の親分が一度話してくれた伝説によると、久遠聖人とよばれたその僧侶は、ずっと野山で山菜をとって生活し、冥想にふけり、そして悟りを開いたのだという。
千歳は仏教家ではないがどれがいいかと質問されると三大宗教の中では仏教を好んでいると答える性質だ。
故に、むしろ疑問だった。
シャカは確かに偉大だ。が、それ以外の人間に果たして悟りなど開けるのか。
人間が、それほどに『真実』を究めることが出来るのか。
どうも、千歳には信じられなかった。
だが、久遠とつきあううちに、変わった。
久遠は、どの人類よりも『真実』に近いだろう。千歳は、そう思っている。

二人の出会いは、7年前までさかのぼる。

 ♪ ♪ ♪


300:ワイヤード 第十七話 ◆.DrVLAlxBI
09/01/24 23:52:04 PqgTn3fx
「死んでやる……死んでやる……」
千歳がある『妄想』に取り付かれていた時期だった。
「俺は、何も救えない。俺は、神が見えた。だから、限界を知った。だから、救えない」
ちとせはある事件の影響で、ある種の真実に触れた。故に、無力感のあまり精神崩壊を起こしたのだ。
病院を抜け出した千歳は、ぶつぶつとネガティブな言葉を発しながら山の奥へと進んでいく。
この森で、誰にも見つからず死にたい。
「俺は、頑張っても神にはなれない……。だから、死んだほうがましだ」
虚ろな目からは、涙が絶え間なく流れていた。
秋。枯れ葉がつもり、足がとられる。苛立ちと悔しさと、枯れ葉とともに積もる無力感に打ちひしがれながらも、千歳は先を目指した。
本当は、どこで死のうなどどいう目的はない。
ただ、奥へ行きたかった。
真実に触れた今、ただ盲目的に前に進むことが何を招くか。それを知りながらも、進もうとしていた。
明確な終着点がなくても、ただ、立ち止まるのは嫌だった。
「しぬの?」
そのときだった。
上から、小さな声が落ちてきていた。
かほそく、森の沈黙の中にかき消されてしまいそうな、そんな声。
雛鳥の鳴き声にも似た。
「ああ、死ぬ」
千歳は、声の主を探り当てようともせず、応えた。
声の主が、人間であるとは、なぜか思えなかった。死後の世界からの迎えが来たのであろうと、千歳はなぜか思っていた。
妄想だったのだろうか。それとも。
その答えは、誰にもわからない。
「ころしてあげようか?」
「ああ、できるなら、そうしてくれ」
「そう……じゃあ、ここからおろして」
「はぁ?」
ここでやっと千歳は声の主のいるであろう方向を見た。
見ると、巨大な木があった。樹齢は相当なものだろう。その上に、小さな影。
千歳と、同い年くらいの少女だった。
「お、お前、そこにのぼったのか!?」
「そう」
「そんで、降りられないのか?」
「そう」
「のぼったんなら、降りられるだろ!?」
「ちがうよ、ぜんぜんちがうよ」
「なにが違うってんだよ!」
「まえにばっかりすすんでたら、いつのまにかうしろがみえてなかったの」
「お前なに言って……」
―いや。
千歳は気付いた。
それは、俺のことだ。


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