08/12/08 15:12:17 m55LyRJ7
弥生が何を言っているのか、葉月には皆目見当も付かない―。
冬馬が姉を好きだと言ったことを葉月は知っている。そして、弥生もまた冬馬を愛しているということも、葉月からすればそれは歴然たる事実だ。
にもかかわらず、なぜ弥生は―冬馬を自分に譲ろうというのだろうか。
弥生が、そんな事を言い出す理由が、葉月には全く理解できなかった。
「ただし条件があるわ」
「じょうけん……?」
「ええ、―別に難しい事じゃないわ。あなたと冬馬くんが結婚したら、私と冬馬くんの子供も、あなたたち夫婦の子供として籍を入れてあげて欲しいの。私生児扱いじゃ、子供が可哀想だからね」
なるほど、そういうことか。
姉が吐いた、あまりにも不可解な言葉によって、思考停止状態になっていた葉月の脳漿にも、ようやく血の気が戻り始める。
(譲る気なんか……さらさらないってワケなのね)
冬馬の妻の座はくれてやる。
だが、それはあくまで戸籍上の話だ。閨の中まで葉月に独占させる気は毛頭ない。あくまでも「女」としての自分の権利は主張させてもらう。―弥生はそう言いたいのだろう。
『冬馬を幸せに出来るのは、あくまで私たちだけ』
というのが弥生の口癖であったが、葉月はその言葉の本当の意味がようやく理解できた気がした。
姉の最終目的は、冬馬の“独占”ではなく“共有”にある―そういうことなのだ。
そして、その提案は同時に、脅迫でもあった。
先程の鑑定書の話が事実ならば、近親婚の倫理観は、法的に問題になることはない。
つまり、弥生がその気になれば、葉月を無視して、冬馬を完全に独占する事も可能なのだ。ならば葉月としても他に選択肢はない。弥生はそう言いたいのだ。
いや、むしろ破格の条件と言うべきかも知れない。
DNA鑑定の報告書を、弥生が独力で入手する手筈を調えている以上、葉月としては指をくわえて見守る以外になすすべはない。ならばもし、葉月と弥生の立場が逆であったならどうだろう。自分は、姉に正妻の座を与えようなどと言えただろうか。
(……無理だ)
ならば、姉のこの提案は妥協案などではなく、まぎれもない姉の本心であると判断して差し支えはないだろう。なにしろ姉には葉月と妥協する理由自体が、そもそもないのだから。
そう思った瞬間、葉月は肩の力が抜けた。
やはり姉にはかなわない―そう思う心は変わらない。
だが、弥生の本心を悟った以上、畏敬はふたたび尊敬に姿を変える。
(やはり姉は敵ではなかった。最後まで姉はわたしの味方だった)
ならば敵視すべきは―両親であり世間であり、いまだ全貌が明らかにならない冬馬の過去のみであるということになる。
「分かりました」
葉月はスタンガンを取り出すと、電源を切り、ひょいっと部屋の片隅に放り投げた。
もはや害意はない。そういうアピールのつもりであった。
「葉月ちゃん……っっ」
葉月の、その意思が通じたのか、弥生は、安堵の溜め息をついた。
「引き篭もりは、もう終わりです」
そう言いながら葉月は、すっと右手を差し出す。
「兄さんは、私たち二人のものです。誰にも渡さないし、邪魔するものは許さない。―そうですよね、姉さん?」
「うれしいわ葉月ちゃん……あなたがそう言ってくれる日を、私はずっと待っていたのよ……!!」
瞳を潤ませながら、差し出された妹の右手を、姉もがっちりと握り締めた。
その日。
柊木弥生と柊木葉月は、固い握手を交わした。
それが、冬馬の不幸をさらに加速させる結果となる事実を、神ならぬ姉妹たちは、まだ知らない。