【ご主人様】メイドさんでSS Part5【召し上がれ】at EROPARO
【ご主人様】メイドさんでSS Part5【召し上がれ】 - 暇つぶし2ch98: ◆dSuGMgWKrs
08/07/02 21:15:40 gFlAbeMM
遙というのは、うちの中堅メイドの一人だ。
年齢も初音に近い。
ただ、主人家族の誰かの担当、というのではなく、一般的に全体的な仕事をこなすメイドのはず。
同僚として初音のことも良く知っているだろうが、それなら尚のこと、初音が三条家に気に入られないなどと噂するなどと。
ぼくが少しムッとしたのに気づいたのか、小雪が縮こまる。

「遙は初音のことを良く知っているだろうに、そんな陰口をいうのはいただけないね」
ここで遙を責めると、小雪が言いつけたような形になるので、ぼくは控えめに、それでもはっきりと不快感を表した。
「は、はい。あの、でも」
「遙はあとで叱っておく。もちろん、小雪から聞いたとは言わないから安心おし」
「いえっ、そういうことではございませんっ」
小雪が急に頭を上げたので、ぼくの顎にごつんとぶつかる。
「きゃあっ、申し訳ございません、どうしましょう!」
別に、小雪の頭がちょっとぶつかったくらいでは痛くもなんともない。
小雪を抱いた手を緩めなかったので、また小雪は手足をぼくの膝の上でパタパタするだけだ。

「大丈夫、痛くないよ。なにがそうではないんだ?」
「…はい、あの」
小雪はほっとしたような顔をしたものの、心配そうに身体をよじってぼくの顎をそっと指先で触れる。
「よかった、赤くなったりしておりません」
「うん」
ぼくは脚をゆすって、小雪に話の先を催促した。
「…ですから、あの。…三条さまは、あの、初音さんを奥さまになさったら、そのことにお気づきになるでしょうからと」
「そのこと?」
小雪はまたぼくの胸に顔を押し付けた。
「…直之さまの……お手つきだからと」

ふう。

吐いた息で、小雪の髪がふわりと揺れた。
言いにくいことを、小さな小さな声で言って、小雪はまた小さくなる。
「それで?それを聞いて、小雪は不機嫌になったのかい」
「ふっ、不機嫌だなどということはございませんけれど、でも、あの」
小雪を抱きしめたまま、カッパにならないように頭の後ろを撫でる。
「初音さんは素晴らしいメイドだったと聞いておりますし、小雪も初音さんのようになりたいと思いますし、直之さまの担当メイドだった初音さんが、三条さまでお気に召していただけないなんて、それはまるでなにか直之さまがいけないと言われているように思いまして、それで」
「うん。それで」
「小雪はただ…悲しかったのでございます」

まったく。
まったく、小雪はかわいい。

ぼくは、小雪をぎゅっと抱きしめた。
胸の中で小雪がまた小さく、むきゅっ、と鳴いた。
「あのね。小雪」
「ひゃい」
くぐもった声で返事が返ってくる。
「こういう家柄では、別にうちだけではなくて、三条さんのところでも同じだけどね」
「ひゃい」
「主人がメイドに手をつけるなんて、珍しくもなんともないんだよ」
「ふぇえ?!」
「だから、ぼくが…、ぼくが初音となにをどうしていたかなんて、誰も問題にしないし、三条さんだって初めからご存知なんだ」
「ふぇ…」
「三条さんは、それでもお父さまに、初音をくださいとおっしゃったんだよ。初音はそのくらいすばらしい女性なんだ。必ず、気に入ってもらえるさ」
「……」
「小雪?」
「れも…」
小雪がパタパタしたので、ちょっとだけ腕を緩めてやる。

99: ◆dSuGMgWKrs
08/07/02 21:16:33 gFlAbeMM
「で、でも、あの」
「うん?」
「こっ、小雪は、小雪は、あの、な、直之さまのお手が付いておりませんがっ」
思わず、笑みがこぼれた。
抱いていてもわかるほど、小雪の身体が火照っている。
顔は隠しているからわからないけれど、耳とうなじが真っ赤だ。
「うーん。そうだね」
「あの、あの、そ、それはやっぱり、こ、小雪がいたらないからなのでしょうかっ」
「ん?なに?小雪はぼくのお手つきになりたいわけ?」
「そ、そ、そっ!」
このまま虐め続けると、小雪がパンクしてしまうかもしれない。
ぼくはこみ上げる笑いがこらえきれなくなった。
「わかったわかった。小雪が初音のことを心配していることも、ぼくのことが大好きだってこともね」
「…うう、お笑いにならないで下さいませ…」
笑うぼくの膝の上で、居場所がないように小雪が真っ赤になった顔を両手で覆う。
その小雪の顔に唇を寄せて、もう少しだけぼくは意地悪をした。
「小雪がいい子にしてたら、そのうち手をつけてあげるよ?」
小雪の頭が、ぼんっと音を立てたような気がした。
恥ずかしさの限界を超えた小雪が、へなへなと崩れる。
その芯のなくなった小さな身体を抱きかかえて、ぼくは頭を撫でてやった。

小雪がカッパになる日は、そう遠いことではないかもしれない。



―三条市武さんと初音の結婚式の日は、空が高く青く晴れ渡っていた。

式はお昼で、午後からガーデンパーティ形式での披露宴が行われるらしい。
晴れてよかった。

ぼくは庭に出て車を洗っていた。
いつもは運転手が洗ってくれるが、できるときはご自分でなさいませね、と初音が言っていたのを思い出したのだ。
シャワーの付いたホースで愛車に水をかけていると、洗剤を溶かした水の入ったバケツを持った小雪にも水がかかる。
きゃあきゃあ言いながら逃げ惑う小雪に、わざとホースを向ける。
バケツを持ったまま転びそうになるのを、片手で抱きとめる。
もう、メイド服がかなり水をかぶっていた。
ぼくらは、年長のメイドや執事が見たら眉をひそめるほどはしゃいで車を洗った。
髪まで濡らされた小雪など、メイドとしてあるまじき行為ながら、いつまでも悪ふざけをやめないぼくを軽くぶつ真似までしたものだ。
それでもぼくは、なにかに気を紛らわさずにはいられなかったのかもしれない。
小雪もぼくもずぶぬれになって、車はぴかぴかになった。
顔が映るほどきれいにワックス掛けされた車を、小雪がまぶしそうに眺めた。

よし。

「小雪。今日は、これから仕事を抜けられるかい?」
小雪は目を丸くして、ちょっと首をかしげた。
「できるかと存じますが」
「じゃあ、制服じゃなくて私服に着替えておいで。せっかくきれいに洗車したんだ、ドライブでもしてこよう」
小雪が驚いた顔になる。
「は、はいっ、かしこまりました!」
返事をして、これ以上ないというくらいの笑顔になった。
まずは直之さまのお着替えを、と言う小雪に、自分で出来るからと部屋に帰し、着替えてロータリーに車を回して小雪を待つ。
小雪の私服を見るのは初めてかもしれない。

さほど待たないうちに、家の中から小雪が駆け出してきた。
髪をほどいて、肩にたらしている。
花模様の赤いキャミソールに、白い透ける生地のブラウスを重ねて、クリーム色のミニスカート。
足もとは白いぺたんこ靴。
「もっ、申し訳ございません、お待たせしてしまいました!」
ぼくは、まじまじと小雪を見ていた。

100: ◆dSuGMgWKrs
08/07/02 21:17:43 gFlAbeMM
どこから見ても、その辺にいる17歳の女の子。
いや、その辺になどいない。
とびきり可愛い女の子だ。

「あ、あの、直之さま?」
なにか気に入られなかったのだろうかというように、自分の服装を見下ろす。
ぼくは、助手席のドアを開けた。
「さ、お乗り」
助手席に乗った、初音以外の初めての女の子。
ぼくはエンジンをかけてから、嬉しそうにシートベルトを締める小雪に言った。
「小雪、かわいいよ」
小雪がまた、ぼんっと音を立てて赤くなったような気がした。

さて、どこへ行こう。
とりあえず、景色の良さそうなところへ向けて走ろうか。
目的地なんかなくてもいい。
きっと兄はガーデンパーティーで参列者に気を使いながら、なにか美味しいものを食べてくるだろうけど、ぼくらはどこかで気軽にハンバーガーでも買おう。
そして、ソフトクリームを食べよう。
初音はきっとなにかを食べるどころではないだろうけど、そんな心配は市武さんがすればいいことだ。

今日は、小雪のことだけ考えよう。

街を抜けると、目の前に広い景色が見え始めた。
ねえ小雪。
ソフトクリームは、バニラとミックスとどっちが好きだい?

小雪が、首をかしげた。
「あの、あの。ストロベリーは、ございませんのでしょうか?」


――了――

101:名無しさん@ピンキー
08/07/02 23:31:04 HnUeNJ/c
小雪キタ、小雪!
直之も大分吹っ切れてきたようだが、小雪の存在はでかいよな~
カッパの場面は笑いがこらえられず、洗車の場面はちょっと妬けたよ。
GJでは言い尽くせない。

102:名無しさん@ピンキー
08/07/03 01:36:47 2zgUDxOu
ストロベリーGJ

103:名無しさん@ピンキー
08/07/03 02:17:42 slblq2L2
苺ぐっじょぶ

104:名無しさん@ピンキー
08/07/03 07:47:11 viSDthwQ
パンツも苺なら即死しても本望だ

105:名無しさん@ピンキー
08/07/04 14:40:00 Pga9qIFQ
ぼくも小雪ちゃんをむきゅっとしたいです。

106: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:38:17 /o5134CH
麻由と武の話を投下します。麻由視点です。
エロ無しなので興味ない方はスルーかあぼーんして下さい。


「結婚式前編」

武様との婚約が整い、私は長年暮らした使用人棟を出て、母屋の来客用のお部屋に移ることになりました。
もう夫婦も同然なのだから、僕の部屋に来ればいいのにと武様は仰ったのですが。
やはりこういうことには節度が大事ですから、不名誉な噂の種を蒔かないようにしましょうと申し上げ、同室はご遠慮したのです。
そして、花嫁修業という名目で、私は上流階級の夫人に必要な教育を受けることになりました。
その内容は、主に立ち居振る舞いやマナーの勉強と、ダンスのレッスンを主軸にしたものでした。
お茶やお花などの稽古はもう少し後でもいいだろうと武様が仰ったので、それに従いました。
レッスンは、私の考えていた以上にハードなものでした。
名家のメイドとして一通りのことは身に付けているという自負はありましたが、その考えが甘かったことを実感させられました。
私の知っているのはあくまで使用人としての行儀作法で、上流階級の婦人としてのマナーではなかったのです。
名家にお生まれになった女性であれば、小さい頃から段階を踏んで身に付けられることを、私は短期間で覚えねばなりません。
ゼロからのスタートでしたから、まさに右も左も分からない状態でした。


いい教育係をつけようと約束して下さった通り、武様は一流の方をダンスの講師として招いて下さいました。
両性から教わった方が細部にまで目が行き届くからという理由で、男女一人ずつです。
二人の先生に手取り足取り教えて頂き、ダンスの特訓は始まりました。
しかし、ハイヒールに裾の広がったスカートをはいて踊るのは、なかなか思うようにいきません。
背筋を伸ばしてしっかりとした姿勢を保っているつもりでも、踊っているうちに段々と緊張感が抜けてくるのです。
次にどう動くかを考えてから体を動かすからそうなるのですと、講師の先生は仰いました。
たくさん練習を積めば、音楽がかかると同時に体が勝手に振り付けをなぞりますから、考えなくてもよくなりますとも。
雑念が取れて、動きの美しさだけに集中できるというわけなのでしょうか。
講師の先生が二人で手本を見せて下さる時は、その息の合った流れるような動きに見とれてしまいます。
パートナーに合わせた動きでありながら、個人だけ見てもその踊りは完成されていて。
「クイック」「スロー」「ターン」と言われるたび四苦八苦している私が、あれほど踊れるのは一体いつの日のことになるでしょう。


婚約期間中は、夜になって武様が社からお戻りになると、必ず私と語らう時間を設けて下さいました。
長い時も短い時もありましたが、毎晩必ず。
時には、レッスンの成果を試すと仰って、武様をお相手にダンスをすることもありました。
大広間で音楽をかけて二人きりで踊るのは、とても面映くありましたが楽しい時間でした。
想う方と手を取り合って呼吸を合わせて踊るのですから、胸も躍ってしまうのは無理もありません。
私の動きがぎこちなくなっても、武様はすぐにカバーして下さいましたので、踊ることに意識を戻すことができました。
でも、この方とパーティーで踊られたご令嬢方は、こんなに素敵なエスコートをされていたのかと思うと、胸がもやもやとしてしまいます。
それを正直に申し上げると、武様は笑ってこう仰いました。
「今まで僕が踊った女の人達は、僕の教材だとでも思えばいいさ。君をうまくリードする為のね。
実際、僕と一番長く踊っているのは麻由だよ」
令嬢方を教材だなどとは、とても思うことはできませんが…。
「どうしても気になるのなら、二人でサンバでも始めようか?あれは僕も未経験だから、君と同じ条件からのスタートだ」
苦笑して武様がそう仰って、ああいう明るい踊りも楽しいかと一瞬思いましたが、すぐ我に返りました。
衣装の布面積が小さすぎて、あれではとても踊ることに集中できないでしょうから。


武様は、ダンスの専門家でもないのにとても教え方がお上手で、まるで三人目の先生ができたようでした。
熱心に稽古を付けて下さって、ついつい練習が長時間になってしまい、深夜にまで及ぶこともありました。
踊りながら愛しい方のお顔を見上げると、その瞳に吸い込まれそうになってしまいます。
目を合わせると、恥ずかしくなって振り付けを忘れるかと思ったのですが、そうではありませんでした。
見詰めあい、相手のことしか考えられなくなることで雑念が消えて、動きの固さも取れてリードされるままに踊れるのです。


107: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:39:28 /o5134CH
次の動きや姿勢の維持など一切考えていないのに、きちんと曲にあわせてひとりでに身体が動いて。
先生が、武様と踊る時の私をご覧になれば、きっと褒めて下さるのではないでしょうか。
二人きりの練習の意外な効果に驚きましたが、これは相手が武様でなくては意味がありません。
他の男性と踊っても、決してこのように見惚れてはしまわないでしょうから。


和服の着付けも習っておいたほうが良いだろうと武様が仰り、そちらに関しても学ぶことになりました。
着付けを教えて下さる先生には、武様にお心当たりがあるとのことでしたので、人選はお任せしました。
その方と初めてお会いする日、お屋敷に来られた人物を見て私はびっくりいたしました。
武様がお選びになった先生は、以前に遠野家で長年メイド長をしていらした高根秀子さんだったのです。
私はこの方にメイドとしてのイロハを厳しく叩き込まれました。
随分鍛えて頂きましたが、彼女が数年前に引退なさって遠野家を去られてからは、一度もお会いすることはありませんでした。
長年の功績に報いるため、武様が郊外にご用意になった一軒家で、悠々自適に過ごしていらっしゃるとは聞いておりましたが。
久しぶりにお会いした高根さんは、メイド達を厳しく監督しておられた頃とはまるで異なる、優しい老婦人になっておいででした。
お顔を見た途端に条件反射で背筋を正した私も、何度かお会いするうち次第に肩の力が抜けていきました。


一対一での着付け教室は、メイドとしてお仕えを始めた頃のスパルタ教育とは違い、とても穏やかなものでした。
丁寧な言葉遣いで分かりやすく教えて下さって、私は比較的短期間で着付けの技を身につけることができたのです。
高根さんは私のことをかつての部下ではなく、主家の当主の妻になる人として丁重に接して下さいました。
彼女の現役時代を知っているメイド達は、あの方が私にへりくだった姿勢をお取りになることにびっくりしたようです。
皆の私に対する態度も、次第に高根さんを真似るように丁寧なものになり、武様に対する時と変わらなくなりました。
庶民育ちの私としましては、皆が恭しい態度で接してくれるという状況など初めてのこと。
最初は居心地が悪かったり面映かったりしましたが、日を追うごとに慣れていきました。
そしてまた、高根さんは着付けのことだけではなく、私の立ち居振る舞いのことについて意見を下さることもありました。
曰く、今の言い方ではメイドに間違って伝わりますから、別の言い方をなさった方がよろしいでしょう。
曰く、そんなにおどおどとした物の申し付け方では、相手も困りますから、もっとはっきりと仰いませ。
このようにそれとなく教えて下さり、私の力になって下さるのでした。
『あなたが遠野家の奥方としてふさわしくあろうと励まれることが、ご当主様の支えになるのです』
ある時、高根さんがこう仰ったことがあります。
この言葉は私の心に残りました。
今の私はまだまだ力不足で、武様のお力になるまでには至りません。
でも、私がこうやって花嫁修業を頑張ることで、武様が心強く思って下さって、それが心の支えになるのであれば。
ダンスレッスンでの脚の痛みも軽くなるというものです。


高根さんとの時間の合間、時折着物や立ち居振る舞いとは関係ないお話をすることがありました。
話題はもちろん武様のことです。
先代の旦那様がお若い時からご奉公なさっていた高根さんは、武様のことも赤ちゃんの時からご存知です。
私の知らない、産まれてから十三歳までの武様のお話を聞くのは、とても楽しいものでした。
小さい頃はよく熱を出され、幼稚園の年少さんの時には運動会を休む羽目になってしまったこと。
夜に鏡からお化けが出てくるとおどかされたのを信じ込み、怖いから一緒に寝てくれと泣きつかれたこと。
一つ一つのエピソードが、今からは想像もできないように可愛らしいものでした。
私の知っている武様は、二人きりの時には甘えてこられることもあるものの、基本的にはいつも颯爽としておられる方です。
しかし、幼い頃には違っていたのだと知ると、もっと早く出会いたかったと思いました。
「本当に可愛らしい坊ちゃまでしたからね、麻由さんがそう思われるのも無理はありません。
でもご安心なさい。お二人に男のお子様がおできになれば、きっとあの頃の坊ちゃまにもう一度会えるでしょうから」
こちらの表情を読んで高根さんが仰った言葉を聞いて、私は真っ赤になってしまいました。


108: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:40:17 /o5134CH
日にちが進み、そろそろ結婚式のことについても考える必要が出て参りました。
会場は、武様が経営される会社の系列ホテルにすでに決定しております。
「ホテルを持っている以上、よそで式を挙げるというのは中々難しいんだ。
式や披露宴の演出は麻由が好きなようにしていいから、会場だけは僕のわがままを聞いておくれ」
私がプロポーズをお受けして間もなく、武様がそう口にされたのです。
社長という立場であられる以上、そう仰るのは当然のことだと思いましたので、一も二もなく頷きました。
わがままだなんて、とんでもないことです。
それに、書店で買い求めたウエディング雑誌に載っていた遠野家系列のホテルは、とても素敵でしたから。
新作ドレスの撮影場所として提供され、雑誌に何ページも載っていた写真記事は、私の心をいっぺんでわし掴みにしてしまいました。
庭園や螺旋階段でドレスを着たモデルさんが佇んでおられる写真を見ただけで、素晴らしい場所であることが分かるのです。


会場はすぐに決まったのですが、どのような式にするかは武様と二人で相談致しました。
結婚式には、一般的に神前式、仏前式、キリスト教式などがあります。
神前式なら白無垢で三三九度、キリスト教式なら神父様の前で愛を誓うといったイメージが浮かびやすいでしょうか。
しかし、武様も私も、特定の宗教に帰依しているわけではありません。
そんな私達が、結婚式の時だけ宗徒になるような真似をするのは、何だかおかしいですねと二人で話し合いました。
すると、武様は「最近は人前(じんぜん)式というスタイルが徐々に広がっているんだ」と教えて下さいました。
人前式とは、神様や仏様ではなく、式に参列なさった皆様へ向けて二人の愛を誓うという形式なのだそうです。
「それはつまり、父や山村さんや高根さんに向かって誓うということですか?」
「うん、そうなるね」
対象が随分身近なようですが、よく分からない神様仏様に誓うよりは、こちらの方が現実味があって良いのかもしれません。
今までお世話になった方に誓うというのは、それはそれで筋の通ったことですから。
「人前式が良いかと思うのですが、構わないでしょうか」
「ああ、大丈夫だよ。うちのホテルはそれに対応した設備も人員もあるから。
と言うより、宗教的な結婚式から設備と人員を引き算すると、人前式に適した会場になるんだ」
(設備とは祭壇やオルガン、人員とは神父様や斎主様のことだそうです)
「そうなのですか。でも、やはり遠野家のご当主が結婚されるのなら、宗教色のある伝統的なものが良いとはなりませんか?」
少しだけ不安になって尋ねました。
「いや、そうとも言えないよ。
むしろ、列席者に人前式という新しい式の形を知ってもらえるから、伝統をなぞるより意味があるとも考えられる」
「なるほど」
「麻由と僕が結ばれるのは、世間にしてみれば画期的なことだからね。
変に伝統にのっとった式をやるより、いっそ、スタイルごと変えてしまったほうが面白いだろう」
武様のお言葉に、私は敬服いたしました。
こうして、私達の結婚式は人前式で行うことに決まったのです。


そして、武様と私は、結婚式を行うホテルのブライダルフェアに参加することにいたしました。
会場が決まっているのにフェアに参加するのは妙なようですが、模擬挙式やドレスの試着などに興味があったのです。
式と披露宴の詳細を詰める前に、実際のものを見たほうがイメージが掴みやすいと思ったからでもあります。
…お料理の試食会にも、大いに興味が湧きましたし。
武様も、うちのブライダル部門がどうなっているかを冷静な目で見たいと仰って、二つ返事で賛成して下さいました。
しかし、社長である武様がご参加になるとなっては、現場が大変なことになりそうです。
変装も視野に入れたのですが、ああいう場に帽子やサングラスをつけて行っては浮いてしまうでしょう。
それに、私の欲目ではなく武様は非常に端正な美男でいらっしゃるので、多少隠したくらいでは絶対にばれてしまいます。
二人で相談いたしまして、結局、武様のフェアへの参加は見送ることになりました。


109: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:41:29 /o5134CH
でも、私一人が行くのは心細い…と思っていたところ、この話を耳にされた高根さんが名乗りを上げられたのです。
「麻由さんも、ご当主様の妻になられるのなら、遠野家の事業のこともお分かりにならないといけません。
私がご一緒しますから、あなたの目から見て感じたことを、帰宅してからご当主様にレポートなされば宜しいのでは?」
こう提案されて、なるほどと頷きました。
私は今まで、武様のお仕事について口を差し挟んだことは一度もありません。
せいぜい、通販部門のイチゴ食べ比べセットの箱の色について提案をしたくらいです(「風物詩」参照)。
全くの素人ですから、有意義なレポートができるかは、はなはだ怪しいですが…。
しかし、できるできないに関わらず、遠野家の事業をきちんと見ておくのは非常に大事なことだと考えました。
何分にも武様が経営なさっているのは大きな会社ですから、私などには全く理解の及ばない分野の事業もあります。
そういう方面の勉強をする前に、今の私にとって一番重大な結婚関連のことについて、見る目を養うのは良いかもしれません。
帰宅なさった武様に相談しますと、「ほう、では麻由のお手並みを拝見しよう」と仰って、承諾して下さいました。


そしてブライダルフェアの当日、私は手にメモとペンを持って会場におりました。
高根さんは、まるで記者か何かのようですよと笑っておいでになりましたが、私にしてみれば必死なのです。
お屋敷に帰って、実のある報告ができるようにとばかり考え、いやでも目が三角になってしまうのでした。
あら捜しをするようで、ホテルスタッフの方には申し訳ないのですが、気になったことがあるたびにメモを取って。
本来なら憧れをこめて見るべき模擬挙式も、目を皿のようにして見ておりました。
「麻由さん、少し怖いですよ?」
高根さんがこっそりと耳打ちして下さったのですが、表情を緩めることはできませんでした。


模擬挙式が終り、通常は披露宴として使われる宴会場に入りました。
本番と同じゲスト席と高砂席が用意されているそこを基点にして、ドレスの試着室や引き出物の展示スペースを回るのです。
カップルでフェアに参加しておられる人達を見ますと、少しだけ羨ましくなりました。
皆さん一様に幸せそうで、にこにこと笑いさざめいていらっしゃいます。
フェアの参加者は思ったより多く、もう少し空いてからあちこちを見て回りましょうと高根さんと相談し、椅子を借りて座りました。
「模擬挙式は、どうでしたか?」
対面に座られた高根さんが尋ねられました。
「雑誌で見るのとはやはり違いますね。窓から見える景色も良かったですし」
「ええ。お式の当日は、あなたとご当主様があそこに立たれるのですよ」
高根さんの言葉に、先程の模擬挙式のモデルさんの姿が頭の中で自分達に入れ替わりました。
「あんなに格好よくなるでしょうか…」
武様に関しましては、文句のつけどころがない花婿ぶりを披露されるでしょうが、自分はとなると自信がありません。
並んだ私達を招待客の方々がご覧になって、不釣合いだと思われはしないでしょうか。
「まあ、そんなことをお考えになって。
そろそろ、あちらへ参りませんか?ウエディングドレスを試着なされば、そんな不安もどこかへ吹き飛んでしまうでしょう」
「そうでしょうか…」
「ええ。ちょうど空いてきましたし、行きましょう」
促され、二人で宴会場を出て、ドレスの試着のできる場所へ向かいました。


ドレスのためのお部屋は二部屋に分かれていて、最初のお部屋がドレスの展示室、次の間は試着室になっていました。
そこにあるのは、デザインも素材も実に様々で、趣向を凝らしたドレスばかりでした。
これも素敵、あれも素敵と見るもの全てに胸が躍ります。
しかし、何着も着られるわけではありませんから、いつまでも迷ってばかりはいられません。
私は、手にしていたメモのページを利用し、ドレスの番号を書いて消去法で絞り込んでいきました。



110: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:43:33 /o5134CH
「あっ」
ドレスとメモとの間を忙しく往復していた私の目が、ある一着のドレスを捉え、動かなくなりました。
目に留まったのは、肩の大きく開いたビスチェタイプのドレスでした。
上半身にはビージング(ビーズ刺しゅう)で草花模様が描かれていて、クリスタルのラインストーンが所々に散りばめられています。
スカートは、薄くふわりとしたシルクオーガンジーの地に、縦方向の繊細なプリーツが矢羽絣(かすり)のように入っていました。
裾は長く、プリーツが流れるように床へと続いていて、さながら夢のように美しいドレスだったのです。
ベールはと申しますと、裾に向かって刺しゅうが密になるように施されている、こちらも美しい物でした。
結婚式の当日、誓いのキスの時に、このベールに武様のお手が掛かり、そっと持ち上げられたら…。
私は考えただけでのぼせてしまい、呆けたようにそのドレスの前で立ち尽くしてしまいました。


「それがお気に召したのですか?」
「えっ?」
こちらへ来られた高根さんが仰った言葉に、私は我に返りました。
「この前で、ずっとお立ちになっていらっしゃいましたから」
「え、ええ」
さっきまでぐるぐると歩き回っていた私は、このドレスを目にした瞬間に足をピタリと止めてしまっていたのです。
他と比べてどうかというのではなく、「これだ!」と確信したから立ち止まったのだと思います。
「高根さんは、どう思われますか?」
念のため尋ねてみると、高根さんはクスクスと笑われました。
「着るのは麻由さんですからね、私の意見などお聞きにならなくても宜しゅうございます。
これがお気に召したのなら、試着なさってはどうですか?着られれば、お考えがはっきりするでしょう」
「ええ、そうですね」
あらためてお部屋にある他のドレスを見渡しますが、やはり私はこれに一番惹かれました。
係の方に声を掛け、試着のお願いをしました。


ドレスを着付けて頂き、鏡に向き直るとほうっと溜息が漏れました。
展示してあるのを見るのと、実際に着てみるのとでは、やはり違います。
身にまとったドレスは、マネキンが着ているときとは違い、プリーツの繊細さが際立ってさらに魅力的に見えたのです。
馬子にも衣装と申しますが、実際、このドレスを着た私はいつもより上等に見えました。
やはりこのドレスしかないと思います。
何着もとっかえひっかえして悩んでおられる女性もいましたが、私は早々と心が決まってしまいました。
元の服に着替え、展示室へ戻ります。
資料を覗き込みますと、先程のドレスは他のどのものよりもお高い品でしたが、決まってしまった心はもう揺らぎませんでした。
遠野家にメイドとしてお勤めして得たお給金をかなり割くことになりますが、それでもこれが着たいのです。


引き出物を高根さんと相談し、お料理の試食も終えてホテルを後にしました。
お屋敷へ戻り、借りている来客用の寝室で机に向かい、うんうんと唸りながら今日のレポートをまとめました。
フェアに参加して気付いたこと、それに対する私なりの改善案を書きまとめ、その夜、武様にお見せしました。
「なるほど、なかなか良く書けているじゃないか」
「本当ですか?」
褒めて下さるのに、現金な私はすぐに嬉しくなってしまいます。
おだてて持ち上げて下さっているのは、分かりきっておりますのに。
「ところで、ドレスの写真は撮ってきたかい?」
「え」
…すっかり忘れてしまっていました。
「秀子さんと二人で相談したのはいいが、僕にも教えてくれなきゃ困るじゃないか」
「申し訳ありません」
夫となる方にドレスのことを相談しないなど、あってはならないことです。
自分の失敗に、私は一気に悲しくなってしまい、ぺこぺこと頭を下げて謝罪しました。
「本当に申し訳ありませんでした」
「…うん」
「次からは、こんなことがないように肝に銘じます。ですから、お許し下さいませ」
もう一度深く頭を下げてから顔を上げると、武様は難しい顔をしておいででした。
「まあ、悪気があってしたことではないだろうから」
「はい」


111: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:45:15 /o5134CH
「しかし、僕の存在をないがしろにされたようで、気持ちが納まらないんだ」
「うっ…」
「だから、お仕置きをすることにしよう」
「え…キャッ!」
伸びてきた武様の腕に抱き上げられ、私の身体は宙に浮きました。
「あの、何を…」
「僕が言うお仕置きには、一種類しかないじゃないか」
武様は笑顔で話されているのに、なぜでしょう、身体が震えてしまうのです。
平常心を取り戻そうと頑張るのですが、それができないまま、私はあっという間にベッドへ運ばれてしまいました。
「さて、どうやって埋め合わせをしてもらおうかな」
「…」
「案が浮かばないのなら、僕の好きにさせてもらうよ?」
「あっ!」
上になられた武様が、私の首筋に唇を寄せられました。
そのまま、位置を変えて何度も吸いつかれ、お手が胸元を這い回りました。
「君の夫になるのは誰か、じっくりと教えてあげよう」
鼻が触れるほどの距離で、武様が私の目を見詰めて仰いました。
そして、そのまま。
私は、自分が誰の妻になるかを、ベッドの上でいやというほど教えられてしまったのです。


ブライダルフェアの日から数日後、本格的な結婚式の打ち合わせが始まりました。
今度は武様と二人でホテルに出向き、担当者の方とあれこれ相談いたしました。
結婚式も披露宴も、通常のものとさほど変わらない構成にすることに決まりました。
本来は、名家の男性がご結婚なさる折には、何名もの来賓の方のスピーチが長々と続くものなのだそうですが。
それでは招待客が退屈してしまうだろうし、誰にスピーチをしてもらうかの人選も難しいと武様が仰ったのです。
ですから、来賓の方のスピーチは最初にお一人、乾杯の発声をお願いする方をお一人。
一般的な披露宴と同程度のものに留めるという方向になりました。
お色直しは一度で、私はカラードレス、武様は違う色のモーニングに着替えることにも決まりました。
結婚式の打ち合わせ、続けているダンスのレッスン、ウェルカムベアーの作成などと忙しくなり、日々は瞬く間に過ぎていきました。



そして、いよいよ結婚式の当日がやってきました。
朝、起きるべき時刻よりも随分早く目覚めてしまい、そわそわと落ち着きません。
お部屋の中も、窓から見るお屋敷の庭も、何も変わらないというのに。
今日が私にとって特別な日であることは、高鳴るこの胸が証明しています。
やっと、武様の妻になれる。
その喜びが身体中に満ち溢れ、ふわふわと雲の上を歩いているような心持ちになっているのです。


花嫁は花婿よりも支度に時間が掛かりますので、ホテルに入るのは武様とは別々でした。
数名の係の方にドレスを着せていただき、メイクなども施されて。
お屋敷を出て数時間後には、私はすっかり花嫁の装いに身を固めておりました。
傍らには、今日手に持つブーケが用意されています。
生涯、自分が持つことは叶わないと思っていたそれが、手の届く所においてあることに感無量になりました。


ドレスの裾に気をつけながら、座って鏡の中の自分を見つめておりますと、控室のドアの開く音がしました。
「麻由」
振り返ると、礼装に身を包んだ父が所在なげに立っていました。
「お父さん」
「入っても、いいかな」
「ええ、どうぞ」
親子なのに、何を今さら遠慮することがあるのでしょうか。
私は向かいにあった椅子を示し、父を部屋へ招き入れました。


112: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:46:13 /o5134CH
「ああ、綺麗だね」
座った父が、感心したように褒めてくれました。
「そうかしら…」
「ああ。母さんにも見せてやりたかった」
「…うん」
父の言葉に、私が十三歳のときに亡くなった母のことが思い出されました。
「母さんが死んだ時は悲しかったが、今思えば、それがお前と坊ちゃまを結びつけるきっかけになったんだな」
「ええ、そうね」
母の死により、私は当時住んでいた家から、父が住み込んでいた遠野家の使用人棟に引っ越したのです。
それがなければ、私は母と共に元の家でずっと暮らしていて、武様に出会うことも無かったのでしょう。
「お前の晴れ姿を見たら、母さんは何て言うだろう。
きっと、泣いてしまって言葉にならないだろうな」
「そうね…」
優しかった母の姿が脳裏に甦り、胸が締め付けられました。


「私はまだ信じられないんだ、お前と坊ちゃまが結婚するということが」
父が目を擦りながら言いました。
「半年前、お前に結婚するという報告を受けた時には、狐につままれたようだった。
坊ちゃまと2人で挨拶に来てくれた時、私は驚きのあまり、随分とあっさりした応対をしたように思う」
ええ、確かに結婚を決めたことを告げた時、父は一言の反対も致しませんでした。
「…そうですか」とただ一言呟いたのみで、強硬に反対されることを予想していた私は肩すかしを食った覚えがあります。
「恥ずかしい話だが、私は夢を見ていると思っていたんだ。
しかし覚めるのを待っていても、一向にその気配が無くてね、現実だと気付いたのは二人が帰った後だった」
「まあ」
「それから数日は、心ここにあらずといった感じだったよ。
担がれたのかとも思ったのだが、お前は嘘をつく子じゃないし…と混乱していた頃、坊ちゃまがお一人で訪ねて来られたんだ」
「えっ?」
そんな話は初耳です。
「何度も問い返す私に、坊ちゃまはお前との結婚に至る経緯を繰り返し説明して下さった。
男二人で酒を酌み交わしながら、お前をいかに愛していて一緒になりたいかということを長々と仰ってね。
結婚を許してくれと改めて頼まれた時には、まるで自分が坊ちゃまに口説かれているように錯覚したほどだ」
父が頭をかきながら言いました。
「身分違いだからと反対しようとしたが、坊ちゃまの真摯なご姿勢に私は胸を打たれてしまって、何も言うことができなかった。
あの方なら、きっとお前を大事にして下さるだろう」
「ええ」
「坊ちゃまがお前の夫になることは、母さんも天国できっと祝福してくれているだろうね」
「…うん」
「天国には先代の旦那様と奥様もいらっしゃる。お二人にも喜んで頂けるよう、しっかりやりなさい」
「分かりました」
「私も、花嫁の父として今日は最後の務めを果たすから」
微笑んでみせる父の目が潤み、赤くなっているのが分かりました。
「ありがとう、お父さん」
「ああ、お前まで泣いちゃいけない。さ、歩く練習をしよう。足並みがずれては格好が悪い」
「…うん」
父が明るい声で提案してくれ、二人で腕を組んでバージンロードを歩く練習をしました。


十分ほどした頃、ドアをノックする音が聞こえて足を止めました。
「高根です、入っても宜しいかしら」
「どうぞ?」
高根さんの声が聞こえ、返事をしました。
入っていらっしゃった高根さんは、黒い留袖をお召しになった姿に貫禄があります。
今日この方は、武様のご両親の名代として式に参列なさるのです。
「お早うございます、麻由さん、お父様。
本日はまことにおめでとうございます、日和にも恵まれましたね」
恭しくお辞儀をして下さるのに、こちらからも頭を下げました。


113: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:47:43 /o5134CH
「今日は、ご出席頂いてありがとうございます」
「ええ、お二人の晴れ姿が見られるのですから、何を置いても駆けつけましたとも」
着物の帯をポンと叩いて高根さんが仰いました。
「今、花婿の控え室にも伺ってご挨拶してきたんです」
「そうでしたか」
「ご当主様におかれましては、お部屋の中で立ったり座ったり、そわそわと落ち着かないご様子でしたわ」
「まあ」
「『式の前に花嫁の控え室に行ってもいいものなのか?』と、私に何度もお尋ねになったのですよ」
さもおかしそうに、袖で口元を隠しながら高根さんが仰いました。
「あまりにも何回も仰るものだから、辟易いたしましてね。
麻由さんのドレス姿が見たい気持ちはお察ししますが、大人気ないことを仰るものではありませんと申し上げましたの」
「まあ…」
「そうしたら、子供のように拗ねられたのですよあの方は」
「えっ?」
「それでもお諦めになれないご様子で、私の隙をついては控え室を出ようとなさるのですよ。
一家の主になられる方が分別の無い振る舞いをなさるのではありませんと、もう一度お諌めして」
武様は、一体何をなさっているのでしょう。
そんなに何度も高根さんに注意されるようなことをなさるなんて、あの方らしくありません。
「久しぶりにあの方をお叱り致しましたわ。そうしたら、ムッとしたお顔で黙られてしまって。
『それなら、せめてあなたが行って、麻由の花嫁姿を見てきてくれ』と仰いましたの。だからこうしてお邪魔しに来たんです」
笑いを堪えながら仰る高根さんのお顔を見て、私の頬もゆるみました。
「さて、そろそろ戻ってあげないと。ご当主様がしびれを切らしてこちらへ来られてしまわないうちに」
「はい、宜しくお伝えください」
「ええ。とても美しい花嫁さんでしたよとご報告申し上げて来ましょう」
「いえ、そんな…」
「今日は記念すべき日ですから、長く大変な一日になりましょうが、気を確かに持って下さいね。
では、斥候(せっこう)はこれにて失礼します」
ひらひらと手を振りながら、高根さんが控え室を出て行かれました。
「…今の人は、前のメイド長の高根さんだよな?」
あっけに取られたように父が言いました。
「そうよ、雰囲気が随分変わられたでしょう?
結婚が決まってから、あの方には着物の着付けを習ったり、マナーを教えて頂いたりしてとてもお世話になったの」
「それは知らなかった。後で、私からもお礼を申し上げておこう」
「お願いします」
「しかし、変われば変わるものだな」
父は現役時代の厳しい高根さんのことしか知らないはずですから、驚くのは当然のことです。
「今はもう退職されて、郊外のお家で暮らしていらっしゃるのよ。重責から解放されて気ままに生きていると仰っていたわ」
「お前も、メイド長をやっていた時は、昔のあの人のように怖かったのかね?」
「まあっ!」
父がさも恐ろしそうに肩をすくめて言い、私は頬を膨らませました。


しばらくして、式場スタッフの方が間もなく結婚式が始まることを告げに来られました。
いよいよです。
胸が高鳴り、グッと息を飲み込みました。
「麻由」
父の呼びかけに応じて微笑んでみせようとしますが、顔がこわばってしまっています。
「そんなに固くならなくても大丈夫だ。うまくやれるさ」
「…本当?」
「ああ。私の可愛い娘の結婚式だ。うまくいかないはずが無い」
父の言葉を聞き、少しだけ呼吸が楽になったのを感じました。
「さ、行こう。坊ちゃまがお前を待っていらっしゃる」
「ええ」
私を待って下さっている愛しい方のお姿を思い浮かべ、お腹に力を入れました。
「もう大丈夫。行きましょう」
「ああ」
父の後になり、控室を出ました。
結婚式を行うホールへの距離を歩きながら、暴れている心臓をなだめました。


114: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:48:49 /o5134CH
「皆様お揃いですよ。お二人がいらっしゃるのを今か今かと待っておいでです」
扉を開ける係の方が仰り、私達の緊張をほぐすかのように微笑んで下さいました。
「さ、腕を組もうか」
父に促され、ブーケを持っていた手を片方外し、父の腕に添えました。
一人娘の私は、小さい頃に父の腕に掴まって甘え、ぶら下がって遊んでもらったものです。
それはほんの少し前のような気がしますのに、いつの間に私は父の隣に立ち、腕を組むまでに大きくなったのでしょう。
正面を向き扉をじっと見詰めている父の横顔を見ながら、過ぎ去った日々を思いました。
「それでは、これより遠野家・北岡家の人前結婚式を執り行います。
皆様、ご起立願います」
扉の向こうから司会の方の声が聞こえ、荘厳な音楽が流れると共にホールの分厚い扉が開かれました。


大きな窓からさんさんと日の光が入り、白を基調とした室内は眩しいほどに目にしみました。
まっすぐ伸びるバージンロードの両脇には、かしこまった服に身を固めた既知の人達が、こちらを見て拍手をしてくれています。
視線を奥へ遣ると、バージンロードの終点には、愛しい方がこちらをじっと見詰めて立っていらっしゃいました。
白いモーニングを着こなされ、凛とした立ち姿で佇んでいらっしゃるのをベール越しに捉え、目が釘付けになりました。
愛しい方との距離が一歩ずつ近くなっていくたび、嬉しいような怖いような気分がし、せっかく静めた心臓がまたドキドキと暴れだしました。
あちらへたどり着けば、私達は夫婦になるのです。
それは、北岡麻由として生きていた今までの日々と決別し、武様の妻として今までと全く違う人生を歩みだすことでもあります。
期待と少しの不安、見詰められているという高揚感、そして緊張。
様々な感情が目まぐるしく入れ替わり、ゆっくりした歩調とは裏腹に呼吸が早くなりました。


父の腕を掴む手に力を込め、その場所まで歩きました。
少し眩しげに目を細めて、私をご覧になっている武様は、近寄ると更に素敵に見えました。
頬に血が昇るのが分かり、ベール越しにでも赤く染まったのが見えないようにと、慌てて俯きました。
立ち尽くす私の手から父の腕が離れ、私はホールの中央で武様と二人きりになりました。
「今、お父様の手によって新婦様が新郎様のもとにご到着なさいました。
ここで、お二人に誓いの言葉を読み上げて頂いたのち、皆様お立会いのもと婚姻届への記入をして頂きます」
係の方から結婚宣誓書が渡され、武様がそれをお受け取りになりました。
私も身体の向きを変えて隣に並び、開かれた宣誓書を覗き込みました。
『誓いの言葉。
私達二人は、ご列席頂いた皆様方の御前で、今日ここに結婚することを宣言します。
互いを尊重し、感謝の気持ちを忘れずに、いつまでも仲良く、末永く幸せな家庭を築いていきます。
困難にぶつかっても、二人で力を合わせて乗り越えていきます。
どんな時も、今日のこの気持ちを忘れないことをここに誓います』
二人で声を合わせて、ゆっくりと噛み締めるように読み上げました。
そして、テーブルの上に用意された婚姻届の前に向き直りました。
あとは二人の名を書き入れるばかりとなっているそれは、私達の到着を待ち侘びていたかのようにそこにありました。
まず武様が万年筆を取られ、すらすらと名を書き込まれるのを見詰めました。
次は私の番です。
万年筆を受け取り、紙の上に滑らせました。
今まで何度となく書いてきた自分の名が、今はとても特別なもののように思えます。
書き終えた婚姻届は、二人で皆様の目に触れるように掲げました。


「それでは、お二人の婚姻の証である結婚指輪の交換を執り行います」
その言葉をきっかけに、私達はまた最初の位置へ戻りました。
用意されていたリングピローには、揃いの指輪が二つ並んで出番を待っています。
まずは武様が私の手に嵌めて下さるのです。
左手が取られ、指輪がするりと差し込まれるのを、息を詰めて見守りました。
薬指に納まった指輪は、日の光を浴びてキラリと輝き、目にまぶしく映りました。
次は、私が武様に嵌めて差し上げる番です。
リングピローに乗っている指輪を持ち上げ、お手を取りました。
震える指を近づけ、薬指に指輪を通そうとしますが、なかなかうまくいきません。
何度か息をつき、集中してやっと無事に指輪が通りました。
二人並び、指輪を嵌めた手を顔のあたりまで上げ、皆様に示しました。


115: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:50:04 /o5134CH
「お二人の指に婚姻の証である指輪が輝いているのをご覧になりましたでしょうか。
これから幸せな結婚生活を築いていく誓いのため、これより新郎様に新婦様のベールを上げて頂きます」
司会の方の言葉に、上げた手を下ろして武様と向き合いました。
顔の前に下りているベールがゆっくりめくられ、武様のお手が肩に掛かりました。
愛しい方のお顔が近づいて、私はそっと目を閉じ、夫となった人のキスを受けました。


誓いのキスをもって、結婚式は無事に終了しました。
音楽が流れ、武様が私の腕を取ってご自分の腕に絡めて下さいました。
「さ、行こう」
微笑みかけて下さるのに頷き、扉へ向かって二人で足を踏み出しました。
武様と並んで歩くなど、ほんの少し前までは考えられなかったことです。
私はこの方の妻になったのだという喜びが胸を満たし、夫となった人の腕にしっかりと掴まりました。


フラワーシャワーが終り、少しの休憩を挟んだ後、披露宴に来て下さる方々を迎える時間になりました。
先程の結婚式の列席者は、近しい友人やお屋敷の関係者が中心でしたが、披露宴では武様のお仕事関係の方も多くいらっしゃいます。
私とは面識のない方ばかりですから、少しでも第一印象が良くなるように、お迎えの段階から気を引き締めねばなりません。
新たな緊張が生まれ、お辞儀をしながら身体の前で組んだ手をギュッと握りました。


開宴の時刻になり、武様と私はまた腕を組んで入場し、列席して下さった皆様の中を歩きました。
高砂席につき、司会の方が開宴の言葉を仰ったのを合図に、披露宴は始まりました。
まず最初は、新郎新婦の紹介フィルムを皆様にお見せするのです。
武様の赤ちゃんの頃の写真がプロジェクターで映し出され、そこから年を経るごとに何枚かのスナップが映りました。
私の番になり、同じように赤ちゃんの頃、小中学生の頃の写真と共にまた生い立ちが紹介されました。
「そして、お二人の出会いは新郎新婦共に十三歳の頃にさかのぼります。
新婦様が初めて新郎様のご自宅へ足を踏み入れられた折、互いに一目惚れをなさったとのことです」
司会の方の言葉に、ほおっと感心するような声がそこここで聞こえました。
「新婦様は高校をご卒業後、新郎様のご自宅にメイドさんとして就職なさいました。
大変熱心にお勤めをこなされ、主家や上司の覚えめでたく優秀であったと伺っております」
大げさに紹介されてしまい、背筋がこそばゆくなって参りました。
私は真面目ではあったのですが、決して優秀なメイドではなかったのですから。


「新郎様が大学をご卒業になって間もなく、ご両親が相次いでご逝去なさいました。
まだお若かった新郎様を、当主として社長としてお支えしようと、お屋敷の皆様が一丸となってあたられたそうです。
新婦様は二十五歳でメイド長に就任され、新郎様の生活を陰になり日向になり支えられました。
その美しいお心栄えと真摯な態度に、新郎様はいたく感激なさり、妻にするのはこの女性しかいないと心に決められたのです」
司会の方はここを一番の盛り上がり所だと考えられたらしく、声が高くなりました。
「新婦様は、最初は固辞なさいましたが、意志を曲げられなかった新郎様の粘り強いプロポーズにより、お心を決められました。
中学一年生の頃に芽生えた淡い初恋は、十年以上もの時を経て、本日の佳き日へと至ったのです」
そこで私達の紹介は終り、スクリーンが上がりました。
司会の方にお渡しする資料を書く折、二人のことは変に隠し立てせずに、ありのままを皆様に知って頂こうと意見が一致しました。
ですから本当のことを書いたまでですが、一目惚れのことなど、今までほとんどの方が知らなかったことが公になり、何だか恥ずかしく思えました。
フィルムの感想を求められ、武様は「今まで友人の結婚式に出た時は、二人のツーショットの写真が多く使われていました。
麻由と私はツーショットの写真がまだ少ないので、今後増やしていきたいと思います」と仰いました。
私はと申しますと、緊張でよく覚えていないのですが「初めて会ったときの感動を忘れず、ずっと尽くしていきたいと思います」と言った気がします。


116: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:51:10 /o5134CH
主賓の方のご挨拶の後、披露宴のプログラムはケーキカットにさしかかりました。
ケーキは、昔は三段四段のタワーになっているものが主流でしたが、近年は平たく四角いものが多く使われているそうです。
今日使用するものも、セレモニー用の張りぼてではなく、全て本物で出来ています。
色とりどりのフルーツで飾り付けられているそれは、とても美味しそうで、思わず喉が鳴りました。
「それでは、新郎新婦によるウエディングケーキ入刀です。お二人の初めての共同作業です。
カメラをお持ちの方は前へお進み下さい」
司会の方の言葉に、二人でピンクのリボンのついたナイフを持ち上げました。
ケーキの中央に当て、ゆっくりと切り下げていきます。
あちこちから向けられたカメラを順に見て、何人もの方に写真を撮って頂きました。
ポーズをとっている途中、武様の空いたお手が腰に回り、引き寄せられました。


「新郎新婦のうるわしいお姿をカメラにしっかりと収められたでしょうか。
では、ここでお二人に一口ずつケーキを食べさせあって頂きます。
これはファーストバイトと呼ばれる儀式で、新郎から新婦へは『一生食べることには困らせない』ことを約束するものです。
新婦から新郎へは『一生美味しい料理を作ります』と誓う意味があります」
司会の方の言葉をきっかけにケーキナイフが回収され、入れ替わりにリボンのついたフォークが一本運ばれてきました。
「まずは新郎様から新婦様へ、愛の一口をお願いいたします。
新婦様の可憐なお口にふさわしい大きさで食べさせてあげて下さい」
武様がフォークを取られ、切り取ったケーキを私の方へ向けられました。
目で合図をされ、口を開けて食べさせて頂きます。
予想通り、ケーキはとても美味しく、思わず笑顔になってしまいました。
「では、新婦様から新郎様へ愛の一口を差し上げて頂きます。
新郎様への愛情と同じくらい、大きい一口を食べさせてあげて下さい、どうぞ!」
武様への愛情を表すほどの一口なら、このケーキを丸ごとぶつけても足りないでしょう。
でもそんなことはできませんから、少しだけ大きめにケーキを切り取り、武様の口元へ持っていきました。
先程に習って目で合図をし、武様がケーキにかぶりつかれます。
しかし、わずかに目測を誤られたようで、クリームが口の脇に付いてしまいました。
「あ…」
私は慌てて左手を伸ばし、武様の口元に付いたクリームを指で拭き取りました。
その時。
「!」
いきなり手首を掴まれ、私の指に付いたクリームを武様が舐め取られたのです。
人前でそんなことをされるのにびっくりして、私は一瞬でのぼせて固まってしまいました。
白い光が何度か瞬き、指を取られたままの姿が写真に撮られてしまったのを呆然と感じました。
ややあって我に返りますと、武様はまるで何事もなかったかのように、ナプキンで私の指を拭って下さっていました。


衆人環視の中で指を舐められて頭に血が昇ってしまい、気がつくとブーケプルズは終っておりました。
会場では乾杯が済んでお食事が始まり、ざわざわと賑やかになっています。
お色直しの時間ですからご退席下さいと係の方に耳打ちされ、火照る頬に意識を向けないようにして高砂席を後にしました。
そして、控室に戻ってウエディングドレスを脱ぎ、カラードレスに着替えました。
今度身につけるのは、ブルーの地に同系色の濃淡のチュールが重なった優しい印象のドレスです。
銀の細いリボンテープが随所に配されていて、それがドレスのアクセントになっているのです。
係の方以外は誰もいない小部屋に入ることができ、私はようやく肩の力を抜くことができました。
高砂席にいますと、皆様の目がこちらに向けられておりますので、気を抜けないのです。
少し疲れを感じますが、プログラムはようやく半分ほどです、まだまだしっかりやらねばなりません。
着替えが終ってお化粧も直して頂き、控室を出ると武様が待って下さっていました。
「そのドレスも似合っているね」
じっと見て仰るのに、また胸が騒ぎだしました。
今日、私はこの方に何回ドキドキさせられるのでしょう。
愛しい方は、お召し替えになった黒の衣装も似合っていらっしゃって、先程とはまた違う凛々しさがあります。
普段からも格好良い方ですが、今日は更に何段も男振りが上がられたようで、見詰められるとどうしていいか分かりません。
「…あなたこそ、とてもよく似合っておられます」
私はパッと下を向き、口の中でもごもごと言いました。
「行こうか」
武様は私の腕を取られ、結婚式の時と同じように、ご自分の腕にしっかりと絡めて下さいました。


117: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:52:30 /o5134CH
扉の前に立ち、係の方がドアを開けられます。
一度目の入場の時とは違う音楽が流れ、また皆様が拍手して下さる中を歩きました。
キャンドルサービスを終え、スピーチをして下さる方がマイクの前に立たれました。
新郎友人代表、新婦友人代表、そして武様のご親族の方とスピーチは順に続きました。
そして、祝電披露を挟んで、披露宴のプログラムは最後となる両家の挨拶まで進みました。
本来は新郎の父が挨拶されるところですが、武様のお父様はすでに他界されていますので、私の父が代理として挨拶を致しました。
父は、まずは列席して下さった方々へのお礼を述べ、武様のお父様である先代社長のお人柄のこと、奥様のことなどを話し、お二人の分も自分がこれから二人を見守っていきたいと申しました。
「武さんと娘には、互いを思いやり、努力して、明るく幸せな家庭を築いてほしいと願います。
新しい門出を迎える二人に、どうか皆様の温かいご指導をお願い致したい所存でございます。
本日は、本当にありがとうございました」
父が言葉を結び、深く頭を下げました。


「では新郎様より、本日ご列席下さった皆様に感謝を込めまして、一言ご挨拶頂きます」
係の方からマイクを受け取られた武様は、姿勢を正して口を開かれました。
「本日は、お忙しい中を、私ども二人の為にかくも大勢の皆様にお集まり頂きまして、誠にありがとうございました。
私は今ここにいらっしゃる皆様から、暖かい祝福のお言葉を頂戴し、無事に今日の日を迎えることがでましたことを、大変幸せに思っております。
皆様のお陰をもちまして、本日の披露宴は非常に思い出深く、決して忘れることのできない大変素晴らしいものとなりました。
私は、本日ご列席下さった方々は勿論のこと、残念ながら本日ご欠席になった方々にも、以前から大変お世話になっております。
大学卒業と前後して両親を亡くした私は、折に触れて皆様に教えを乞い、貴重な助言やご意見を頂いて参りました。
それを糧とさせて頂き、行動の規範にしたお陰で今日(こんにち)の私があると申しましても過言ではございません」


メモもご覧にならずにすらすらと仰る武様のお姿に、私はただただ見惚れておりました。
公の場で、このように凛とした立ち居振る舞いをなさるこの方を見るのは、初めてのことです。
私はメイドでありました関係上、屋敷におられる時のお姿しか存じ上げませんでしたから。
一歩後ろに立って聞いておりましたが、武様の立派なご様子を見て頬に血が昇り、のぼせ加減になってしまいました。
「私の結婚のことに際しましても、以前より各方面からご尽力頂き、またご意見も頂戴して参りました。
心を配って下さっていた方々におかれましては、私が麻由を伴侶に選んだことに対して、複雑なお気持を持たれていることと思います。
当主という立場の人間が、メイドをしておりました者と結ばれることは、はっきり申しまして非常に特異なことです。
私の知る限り、本日ご列席頂いた方々の中にもそのような例は見当たりません。
これにつきましては、私達の婚約が整いました後も、幾人もの方々からご意見を頂戴致しました」
え……。
急に武様の仰る内容が変わり、驚きました。
私との結婚のことで、何人もの方から色々と言われたということなのでしょうか?
そんなこと、武様は私には一言も仰いませんでしたのに。
きっと、この結婚をよく思っていらっしゃらない方が、武様に物申されたのでしょう。
それを、私に心配を掛けまいとして、武様はお一人で受け止めて下さっていた…。
温かいそのお心遣いがとても有難く、そして申し訳なくなりました。


「彼女に結婚を申し込みますのは、私にとって一世一代の大勝負でした。
忠実なメイドであった彼女は、主人である私が求婚しても、きっと断るという確信があったのです。
しかし、辛い時や苦しい時を支えてくれた麻由を妻にすることこそが、自分の望みであると思い決め、私はプロポーズする決意をしました。
彼女となら、人生の荒波にも手に手を取って、二人で立ち向かえると考えたのです。
実際、私達の生まれ育ちの違いなど、彼女と二人でいると取るに足りないものだと感じられるのです。
この人と家庭を築いていきたい、一緒に幸せになりたいと強く思ったからこそ、私はプロポーズしました。
予想通り、自分達が結ばれることなどできないと彼女に拒否され、随分手こずりました。
そうして何度も断られたのですが、私の心は揺らぎませんでした。
妻に迎えたいのはこの人以外にないという意思を貫き、時間は掛かりましたが、やっとの思いで結婚を承諾して貰えました」


118: ◆DcbUKoO9G.
08/07/05 00:57:51 /o5134CH
武様の言葉に、プロポーズをして下さった頃のことを思い出しました。
私が武様のお立場を考えてお断り申し上げても、この方は何度も何度も繰り返し求婚して下さって。
言葉や態度から窺える武様の熱意に、断る立場でありながら、私はどれほど女としての喜びを感じていたことでしょう。
あの時の感情が瞬時に甦り、涙が出そうになりました。


「今日、こうして晴れて結婚式の日を迎えることができましたが、人生はおとぎ話ではありません。
私達は、やっと今、人生のスタートラインに立ったのだと思います。
皆様の目には、私達二人が、とても不安定で頼りないものに映っていることと思います。
まだまだご心配をお掛けすることになると思いますが、どうか長い目で私達をご覧になってほしいのです。
二人で共に努力し、温かく幸せな家庭を作っていくことが、皆様にご安心頂ける一番の証明だと肝に銘じ、頑張って参ります。
私も彼女も、まだまだ未熟者で、至らない部分が多くあります。
どうかこれからも、皆様の温かいご指導・ご鞭撻のほどを宜しくお願い致します。
本日は、長い間お付き合いを頂きまして誠にありがとうございました」
武様が言葉を結ばれ、二人で頭を下げました。
大きな拍手が湧き、私は胸が一杯になりました。
主人とメイドが結ばれるというのは、誠に異例なことです。
私達の婚約が皆様に知れた頃から、きっと武様は幾人もの方にあれこれ物申されたのでしょう。
それを私には一切知らせずに、今日ここまで守って下さったのです。
また、こうして新郎の挨拶として口になさることで、噂話をしようとなさる心無い方に釘を刺されたのでしょう。
メイドが主人を騙して玉の輿に乗ったのではなく、愛し合って結婚するのだということを宣言して下さったのです。
これから始まる皆様とのお付き合いも、きっと変わったものになってくると感じました。
おそらく、私のことについて悪く言われる方は減る、そんな予感が致しました。


式はお開きとなり、私達は一足先に退場しました。
会場の出口で、お帰りになる皆様を見送り、何度もお辞儀をしました。
並んで立っておりますので、武様をきちんと見ることはできませんが、傍らに存在を感じるだけで十分心強く思いました。
先程の新郎挨拶について、なかなかやるじゃないかと一言褒めてからお帰りになる方も、多くいらっしゃいました。
本当に、あの場で正面切って口になさるのには、決意が必要だったことでしょう。
紋切り型の挨拶で終らせず、自分の言葉で包み隠さず本音を仰ったことに、涙がこぼれそうになりました。
そして、このような素晴らしい方を夫にできたという自分の幸福に、心から感謝を致しました。
世界中のどこを探しても、この方より素晴らしい人を夫にすることは私には無理でしょう。
今日のことを決して忘れずに、これからの長い人生を仲睦まじく生きたいと願いました。

─続く─


花嫁の顔の前に垂れるベールやバージンロードは、本来キリスト教式特有のもののようです。
二人の式は人前式になりましたが、この二つについては結婚式のイメージと直結するので、こうしました。


119:名無しさん@ピンキー
08/07/05 01:09:20 +UV+7d2d
.

120:名無しさん@ピンキー
08/07/05 01:12:24 +UV+7d2d
あ、連投支援(てここ規制あったっけ?)をと思ったら丁度終わってたのね。



不覚にもご当主様の方に心打たれたわ・・・

121:名無しさん@ピンキー
08/07/05 03:11:25 zvQawq4F
ついに結婚!長かった……本当に長かったよ……
でもまだ二人はスタートラインに立ったばかりなんだね
武様は本当に素敵な方だなあ。よかったね麻由。お幸せに二人とも

……続くということは、次はハネムーン編?

122:名無しさん@ピンキー
08/07/06 00:04:39 6COvJr/F
GJ!
しかしエロがなくともこんなに読めるとは・・・

123:名無しさん@ピンキー
08/07/06 01:08:08 kvNomW+D
暗い夜道を一人で泣きながら帰ってきました

ようやく結ばれた二人…。
お幸せに!!コンチクショウ!!!

124:名無しさん@ピンキー
08/07/06 02:00:58 htOLU1OT
読んでたら涙ぐんだ。GJ

125:名無しさん@ピンキー
08/07/07 19:45:00 hc2kHBY0
うおおSUGEEEE
しかもエンディングじゃなくて続くのか!

126:名無しさん@ピンキー
08/07/07 23:28:30 tdhUyQNe
「クラス会 その後」を希望しております。
二次会で自棄酒に沈没した男子同級生は片手の指では足りないと見た!

127:名無しさん@ピンキー
08/07/08 22:22:48 d7UvRIew
現役メイドはどこですか

128: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:35:52 AfZwQjbw
>>106-118の続きを投下します。麻由視点です。


「結婚式後編」


招待客を見送り、披露宴はつつがなく終了しました。
私達も着替えて会場を去らねばなりません。
控室に戻り、係の方に手伝ってもらってドレスを脱ぐと、ホッとした後に何だか寂しい気持ちになりました。
ゆったりとした白いワンピースに着替えた後、係の方がドレスを持って席を外され、私はしばし一人になりました。
武様の妻になるべく、私はこの半年間色々と頑張って参りました。
ダンスの先生、高根さん、執事の山村さんなど、様々な方に教えを受け、励まして頂いて。
何より、教わったことが吸収できずに落ち込んでいる私を、一番元気付けて下さったのが武様です。
練習に付き合って下さったり言葉で励まして下さるたび、私はどれだけ心強く思ったでしょう。
お陰様で結婚式も披露宴も無事に終了し、私は今こうして一人、控室に座っています。
鏡に映る自分は少しだけ疲れていますが、とても幸せそうで。
私は三国一の果報者なのかもしれないと思いました。


細々とした荷物はお屋敷の方へ届けて下さるとのことなので、私は小さなバッグだけを持ち控室を後にしました。
そして、今日泊まることになっている上階のスイートルームへと向かったのです。
武様は、何やら披露宴のスタッフの方とお話をされているらしく、もう少し後で来られるとのことでした。
係の方に案内され、スイートルームという場所に初めて足を踏み入れた私は、その贅沢な設えに息を飲みました。
まるで映画の中に出てくるような広く美しいお部屋と調度品は、とても非日常的で。
メイドであったとはいえ、名家のお屋敷に長年おりました私が思うのもおかしいのですが、本当に夢の中にいるようだったのです。
やはり、今日が特別な日であるという念が胸にあり、心が浮き立っているから余計にそう感じたのでしょうか。
係の方が退室されてから、私はまるで子供のように目に付く扉を片っぱしから開けていき、スイートルームの中を探検しました。
大きなソファのあるリビング、白い大理石を使った浴室、清潔なトイレ、大きな鏡のあるパウダールーム。
次々と確認しては扉を閉め、フロアの奥へと進んでいきます。
そして私は、一際美しい彫刻のなされた重厚な木のドアの前にたどり着きました。
ここが最後のお部屋です。
ドアに手を掛けてえいっと開くと、そこはベッドルームでした。
清潔なリネンの掛かったベッドが二つ並んで置かれていて、意外にもとてもシンプルな造りになっていました。
ホテルの評判に恥じぬようベッドメイキングも丁寧で、一分の隙もありません。
こういう所に目が行ってしまうのは、やはり私がメイドであったゆえなのでしょうか。
壁のスイッチに手を触れると、微かな電子音と共にカーテンがひとりでに動き、窓からは東京の街が一望できました。
昼間であっても息を飲むその眺めは、日が暮れれば更に素晴らしい夜景となって見渡せることでしょう。
そう、夜になれば…。


「あっ」
私はその途端、石になったように固まってしまいました。
今晩は、私達にとって初夜にあたります。
至極当たり前のことなのに、なぜ私は今まで忘れていたのでしょう。
…だめです、考えた途端に緊張が全身にみなぎって、胸がドキドキし始めました。
このままベッドルームにいては身体に毒です。
私は慌ててそこを出て、元いたリビングスペースに向かいました。
クッションを抱き締め、落ち着き無くソファから立ったり座ったりを繰り返しながら、心臓が静まるのを待ちました。
二十歳の頃から、武様とは数え切れないくらいに身体を重ねています。
今更こんなにそわそわするのもおかしいのですが、胸の動悸は一向に治まってくれませんでした。
一緒に夜を過ごすのには慣れているつもりでも、やはり今夜は特別なものになるのだと思います。
初めてベッドを共にした日のことを忘れられずにいるように、今日は夫婦として過ごす最初の日になるのですから。
よせばいいのに、私はここで初めての日のことを思い出して、さらに血圧を上げてしまう羽目になりました。
武様も私も、それ以前に異性と関係を持ったことが無く、2人とも初体験だったのです。
婚約者を決め、将来の遠野家と会社を背負って立つ覚悟を迫られていた武様と、想う方が令嬢と結ばれることを想像して不安だった私と。
普段はあまり積極的ではない者同士が、いつになく自分に正直になり、相手への思いを吐露した日でした。
ずっと想い続けていた方に告白して頂き、私はまるで男性を知らないとは思えないことを口にしたように記憶しています。
「抱いて下さいませ」と。

129: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:36:43 AfZwQjbw
今から考えれば、よくあの時あの言葉を口にできたものだと思います。
「本当に好きな人と結婚できない僕の‘初めて’をもらってほしい」
こう仰った武様も、もしあの時私が拒めば、おそらく無理強いはなさらなかったでしょう。
今はベッドで思うままに私を翻弄なさるあの方も、当時はまだ随分とお若くあられましたから。
私があの時、自分の本心を隠し通して武様のものになっていなければ、今日この日を迎えることはできなかったでしょう。
遠い昔のことのように思えますが、あの初めてのパーティーの夜、二人の関係のきっかけを作ったのは私自身だったのです。
それなのに、いざ結婚を申し込まれる段になって、私はプロポーズを断ってしまいました。
二人のきっかけを作ったのは私だったのに、あの時になって拒んでしまったなんて、武様はきっと混乱なさったに違いありません。
改めて申し訳ない気持ちになり、唇を噛みました。


その時、ドアをノックする音がし、びくりと身体が跳ねました。
このお部屋を訪ねられる方といえば一人しか思い当たりません。
私は弾かれたように立ち上がり、扉に駆け寄って開けました。
ドアの向こうに立っておられた、愛しい方の姿を一目見た次の瞬間、私はその方の胸に飛び込んでおりました。
「これはこれは、随分歓迎してくれるんだね」
嬉しそうな声で武様が仰り、背を撫でて下さいました。
「花婿が、花嫁を一人になさるからですわ」
ばつが悪くなって言いますと、武様は肩を震わせてクスクスと笑われました。


お部屋へ戻り、向かい合ってソファに腰掛けました。
こうすると、まるで武様のお部屋にいる時のようで心が和みます。
スイートルームに入った当初は、広い場所に私一人だったからあんなに落ち着きが無かったのでしょう。
物珍しいばかりだったこのお部屋も、二人でいるとしっくりと身体に馴染むようでした。
「花嫁を一人で待たせて済まなかった。
無粋な花婿は、さっきの式の事で会場の責任者にあれこれ申し付けていたんだ」
「えっ?」
私はきょとんとして武様のお顔を見詰めました。


武様は、会場の設備のことや式の進行のことであれこれ思うところがあったそうなのです。
「こればかりは、結婚をする当事者になってみないと分からなかったからね。一人で寂しかったかい?」
「いいえ、大丈夫でしたわ」
あの会場では明日も結婚式があるのでしょうから、目に付いた改善すべき点をすぐ指摘し、対応を指示されるのは立派なことです。
社長として当然のことをなさっているのですから、むしろ心強く思いました。
「…寂しいと言ってくれないと、花婿としての立場が無いんだが」
武様が拗ねたように言われて、私は慌ててフォローを入れました。


ルームサービスを頼もうかと武様が仰った途端に私のお腹が鳴り、穴があったら入りたいほどに恥ずかしくなりました。
結婚式で出たメニューは素晴らしいものでしたが、一挙手一投足が見られていると思うとあまり口に入らなかったのです。
二人でメニューを覗き込んで選び、少しだけ早めの夕食をとることにしました。
向かい合って食事をすることはやはり楽しいものです。
お式のことを話しながら、ゆったりと時間をかけて過ごしました。


武様が、食べていらっしゃるものを一口分けて下さった時、不意にケーキカットの折のことが思い出されました。
「どうした?」
思わず咳込んでしまった私に、武様が驚いて尋ねられました。
「い、いえ…」
「何か思い出してそんなに焦っているのかい?」
「うっ…」
どうして分かってしまうのでしょう、まだ何も言っておりませんのに。
答えを促すように見詰められ、渋々口を開きました。

130: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:37:27 AfZwQjbw
「ケーキカットの時のことを、少し…」
「ああ、あの時のことか」
武様の口元についた生クリームを拭った時、この方は私の指を取ってそのクリームを舐め取られたのです。
人前でそんなことをされて、私は驚きで固まってしまい、されるがままになってしまったのでした。
「どうしてあんなことをなさったんです?」
「え?」
「私の、指を。その…」
口調がついつい恨めしいものになってしまい、慌てて言葉を切りました。
やっと二人きりになれたのに、詰問するなんて良くありませんもの。
「とっさのことだったからね、深く考えてやったわけじゃないんだ」
「はあ…」
「僕達の仲の良さが伝わって、あれはあれで良かったんじゃないか?」
そういえば、指に武様の唇が触れて私が真っ赤になっていた時、若い方がはやし立てる声が聞こえたような気がします。
「花嫁の手が汚れてしまったのを、そのままにしておく花婿は夫失格だろう?」
にっこり笑って仰ったのを見て、私はこの問題についてこれ以上話すのをやめました。


食事が終ってお皿を下げて頂き、食後のお茶を入れました。
「麻由のお茶はやっぱり美味しいね」
武様の言葉を聞いて、また私の頬に血が昇りました。
すっかりリラックスして微笑まれているこのお姿は、私の前でしか見せられないものです。
新郎の挨拶の時にお見せになった、凛々しすぎるほどのしゃんとしたご様子とは全く別物です。
「あ」
その時、私は訊かねばならぬことに気付きました。
「あの、武様」
「ん?」
名を呼ぶと、愛しい方は優しく目を細められ、私の方をご覧になりました。
「麻由、その呼び方は違うだろう?」
「はい…。あなた」
「うん」
「新郎のご挨拶のことなのですが…」
「ああ。あれがどうかしたかい?」
「結婚のことについて、皆様にあれこれと言われたのですか?」
問うて良いものか迷いましたが、思い切って尋ねました。
名家のご当主がメイド風情と結婚するなど、スキャンダルと言ってもいいようなものです。
皆様に知れた時、風当たりが強いものであったことは想像に難くありません。
私に辛い思いをさせまいと、この方はお一人で頑張って下さっていたのでしょう。
そこをあえて訊くのはどうかと思いましたが、夫婦なら分かち合わないといけません。


「まあね、言われなかったといえば嘘になるかな」
少し迷ったような様子を見せて、武様が返答をなさいました。
「どのようなことです?
…やはり、私を妻にするのは良くないと、そう仰ったのですか?」
「うーん、まあそういった感じのことかな。
代わりにうちの娘はどうかとか、ここぞとばかりに売り込んでくる人もいたよ」
「えっ…」
「僕の心はもう決まっていたのに、馬鹿なことをされたものだ」
「お心が揺らいだりはしなかったのですか?」
不安になり、胸が痛むのを押さえて尋ねました。
「ああ、全く揺らがなかったよ。だから安心しなさい」
「申し訳ありません。私とのことでご苦労をかけてしまって…」
私が暢気に花嫁修業をしていたのと同じ時期、武様はお一人で皆様からの言葉に耐えていらっしゃったのでしょう。
それを察することができなかったばかりか、ダンスのステップが難しい、着付けの手順が覚えられないとぼやいていた自分の無神経さに穴があったら入りたくなりました。


131: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:38:11 AfZwQjbw
「君が気にすることはない。言いたい人には言わせておけば良いのさ」
泣きたくなって俯いた私の肩を抱き、武様が顔を近付けられました。
「でも…」
「結婚を申し込もうと思った時から、周囲の批判なんか覚悟の上だった。
何か言われることが本当に耐えられないなら、そもそもプロポーズはしなかったさ」
「…」
「君と結婚できるなら、僕はなんでもするつもりだった、だから耐えたんだ」
武様が微笑んで下さり、私は胸が一杯になりました。
「ありがとうございます」
目頭が熱くなり、やっとの思いでそう申しますと、武様は満足気に頷いて下さいました。
「ところで、麻由」
「はい」
「ああ言った以上、僕達は仲が悪くなれないよ?」
「えっ?」
「挨拶の言葉は選んだつもりだが、僕達二人のことについては以後口出し無用だと啖呵を切ったような形になったからね」
「え、でも『若い二人にご指導ご鞭撻を~』と仰ったではありませんか」
「あんなのは形式的なものさ、定型文というやつだ。
まあ、なかには本当に心配して言葉を掛けてくれる人もいたから、その人達に向けては心を込めたつもりだが」
「そうなのですか?」
「うん。ああやって大見得を切った以上、短期間で離婚なんてわけにはいかないよ、分かるかい?」
片目をつむり、いたずらっぽく武様が仰いました。
「いやですわ、縁起でもないことを口にされて」
私が武様のことしか考えられないのはとっくにご存知のはずでしょうに。
「一応、確認しただけさ」
私が横目で睨むと、愛しい方は澄まして答えられました。
「麻由」
「はい」
「ああは言ったが、これからも僕達二人のことについて口を出してくる人はいると思うんだ。
だが、認めてくれない人に何を言われても、僕は決してそんなことで君を見限ったりしないと約束する。
だから、僕に一生ついて来ておくれ」
にこやかな表情から一転して、真剣な表情になられた武様が仰いました。
「はい。ずっとお傍に置いて下さいませ」
私も姿勢を正し、愛しい方の目を見て申し上げました。
「僕達のことを色眼鏡で見ている人も、二人の今後を見せればあるいは認識を改めてくれるかもしれない」
「はい」
「人の心を変えるのは難しいから、全員が祝福してくれるわけではないと思う。
だから今後も君を傷付ける人が出てくるかもしれないが、そういう時も強くいなさい。
僕が愛しているのは麻由一人だけで、それはなにがあっても変わらないんだから」
武様の言葉に、私の目から涙が溢れました。
こんなに真摯に私のことを思って下さっているなんて、本当に勿体無いほどのことです。
「僕達が頑張れば、同じ立場で苦しんでいる人のいい見本になれるかもしれない。
そう思って二人で強く生きよう。だから、もう泣くのはおやめ」
頬を濡らす涙を拭って下さりながら、武様は優しく微笑んで下さいました。


132: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:39:11 AfZwQjbw
二人でバスルームへ行き、お互いの身体を洗いあいました。
そして肌触りのいいバスローブを着て、先程のベッドルームへ向かいました。
日はもうすっかり暮れて、美しい夜景が窓の全面に広がっています。
それにしばし二人で見入りました。
しばらくの後、肩を抱かれ、ベッドに相対して座り見詰めあいました。
「麻由…」
ふわりと抱き締められ、武様の口づけを受けました。
優しいそれは、まさに結婚式の夜にふさわしい甘いものでした。
そう、初夜にふさわしい…。
「麻由?」
瞬間、凍ったように動きを止めた私に武様が声を掛けられました。
「どうしたんだ?」
「い、いえ別に。何でもございません」
何とかそう答えますが、心に生じた緊張が全身をくまなく走りました。
「何でもないようには見えないが…」
「いえ、本当に大したことではないんです。初めてだからほんの少し緊張しているだけですわ」
ひきつった顔を何とか笑顔にしようと頑張るのですが、表情はこわばったままあまり動いてくれませんでした。
「‘初めて’?」
「はい」
「何が初めてだと言うんだ?」
「え」
問い返され、言葉に窮してしまいました。
「麻由?」
「あの…し…」
「し?」
「初夜、が…」
やっとの思いで答え、血が昇った頬を手で覆いました。
恥ずかしくて、とても武様のお顔を正面から見ることができません。


永遠に思えるほどの沈黙の後、愛しい方がプッと吹き出される気配がしました。
「麻由、初夜が初めてなのは当たり前じゃないか」
「…」
「僕だって、初夜を迎えるのは初めてのことだ」
「あ…」
「二人とも条件は同じなんだから、そんなに固くならなくてもいいんだよ」
「は、はい」
「特別なことをするわけじゃないから、ね」
顔を覆っていた手をどけさせられ、武様に正面から見詰められました。
情熱的な瞳に吸い込まれそうになり、目を逸らすことができません。
「何だか、いつもより一段と可愛いね」
武様がフッと目を細められ、私に口づけられました。


ふと寒気がして、身体が少し震えました。
「麻由、寒いのかい?」
武様の問いに頷き、自分の体を抱え込みました。
このようなお部屋なら、空調は完璧でしょうから寒くなどないはずなのに。
まだ先程の緊張が残っているのか、身体の震えが止まらないのです。
「ほら、入りなさい」
掛け布団をめくって武様が促して下さり、それに従いました。
横たわられた武様に上から重なるようにして、お布団の中に入りました。
体温が恋しくて、愛しい方にギュッと抱きつき、身体を密着させたのです。
そして逞しいお胸に頬をつけ、目を閉じて心音に聞き入りました。
規則的なその音に、心が段々と落ち着いていくのを感じました。
いつもより少しだけ鼓動が速いのは、この方も私と同じに緊張されているからなのでしょうか。
この広い胸に包まれて、私はこれからずっと守られるのかと思うと、泣きたいほど幸福な気持ちになりました。

133: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:40:10 AfZwQjbw
「大丈夫かい?」
問われるのに目で頷き、微笑んでみせました。
私の様子を見て、武様も安心したように笑って下さいました。
「あ…」
口角の上がった、愛しい方の唇がとても魅力的に思えて、目が釘付けになりました。
私はそこから視線を逸らせないまま、吸い寄せられるように唇を重ねました。
昼間の結婚式で、誓いのキスはあちらから贈られましたが、今は私からです。
あの時よりも長く口づけを味わい、私は身体を離しました。
「…君からキスをくれるのは、珍しいね」
髪を撫でて下さりながら仰った言葉に、少しだけ恥ずかしさが湧きました。
いつもは、私がしたいと思う前に口づけて下さるので、こちらから唇を求めるということはあまり無いのです。
「昼間のお礼です」
「そうか」
満足気に仰った武様は、何か気付いたように私の顔を覗き込まれました。


「誓いのキスの時、唇を離した瞬間に君は少し不満な顔をしなかったか?」
「えっ?」
ばれていたのでしょうか。
婚約中、式のためだと言われてベールに見立てたスカーフや風呂敷をかぶらされ、散々キスの練習をさせられたのです。
しかし、その練習の時とは違い、今日のキスはあまりにあっさりしておりましたために、実は少々拍子抜けしてしまっていたのです。
「もう少し、あとほんの何秒か長くてもよかったと思っただけですから。お気になさらないで下さいませ」
「やっぱりそうか」
「え、ええ」
「唇を離した時、物足りなさそうな顔が可愛くて、危うくもう一度キスしてしまうところだった」
「え…」
「いつものように気が済むまでキスしたら、皆があっけに取られるだろう?だから我慢したんだ。
君と僕の仲を見せ付けることができるから、しても構わなかったんだが」
「まさか、あの場でそんな…」
「濃厚なものをしておけば、陰口を言う人も少なくなったかも知れないね」
「んっ…」
冗談めかして言われた武様から今度は唇を重ねられました。
チュッと音を立てて触れるだけの軽いものは、繰り返すうちに次第に深くなっていって。
ついには頭を抱え込まれ、思うままに貪られました。
「ん…っふ……」
息苦しくなって酸素を求めても、許されずにまた引き寄せられて。
まるで武様に食べられてしまうような心持ちになりました。
「はぁっ…あ…」
ようやく唇が離れ、湿った音が部屋に響いて消えました。
この寝室は木の厚いドアに隔てられ、外の音が全く入りません。
まるで、世界に二人だけしかいないような錯覚に陥りそうです。
「あなた…」
夫となった人の背に腕を回し、きつく抱きつきました。
応えるように優しく抱き締めてくれる腕が、私を受け止めてくれました。
「そう呼ばれると、ひどく嬉しくなってしまう」
私の髪を吐息で揺らし、武様は穏やかにそう仰いました。
「これからは、皆の前でも胸を張って呼べますわ」
「ああ、君がそう呼んでくれるたびに胸が高鳴る。何度でも呼んでくれたまえ、奥様」
「はい」
愛する方の妻になれた喜びがまた胸にこみ上げ、鼻がツンとして涙が出そうになりました。
「私は、一生あなたのものですから」
「ああ、精一杯大切にさせてもらうよ」
「はい…」
「僕も一生君のものだ。まあ、そうなったのは今じゃなくてずっと昔のことだが…」
「それなら、私もずっと前から…」
言葉を続けようとした時、私の口に武様が人差し指を当てて制されました。
「僕達はずっと一緒だ、いいね」
「はい」

134: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:41:18 AfZwQjbw
身体の位置を入れ替えられ、私の背はシーツに沈み込みました。
腰のベルトを解かれ、バスローブがするりとはだけるのを感じました。
「綺麗だよ、麻由」
武様の手が全身をなぞり、私の中の欲望を目覚めさせていきます。
自分だけが裸を見られているのが恥ずかしくて、私は武様のまとわれているバスローブに手を掛け、ベルトを解きました。
手探りで下へ引っ張ると、武様の逞しい胸が現れて目に入ります。
二人とも同じ姿になったのに、愛しい方の素肌を見てしまうと、心ここにあらずといった状態になってしまって。
私は慌てて目を逸らし、シーツの布目を見ているふりをしました。
「いいね、初夜にふさわしい初々しさだ」
武様が喉の奥でクッと笑われたのが聞こえました。
「…からかわないで下さいませ」
拗ねるようにたしなめると、武様はまたクスクスとお笑いになりました。
「からかうつもりは無いよ、可愛がろうと思っているだけだ」
「あっ…」
熱い唇が胸元に触れ、ピクリと身体が反応しました。
唇が肌の上を滑るうち、その熱さが私の身体に染みとおり、内側から侵されていくように感じました。
「っ…あ…ん…」
武様の脱げかけたバスローブを握り締め、小さく声が漏れました。
その手が外させられ、指が捉えられて武様の左手と重なりました。
薬指に硬質な金属の感触がし、ハッとして目を見開きます。
愛しい方の指に嵌っている指輪を、そこに本当にあることを確認するかの如く、指先でくすぐるようになぞりました。
「うん」
短く頷いて下さっただけで、その思いが伝わってくるように思えました。
武様の左手が移動し、私の左手と並んで指輪のぶつかる微かな音がしました。
視線を下に遣ると、同じ指輪をした私達の手があります。
婚姻の証であるそれが瞳に映り、涙が出そうになりました。
武様と私は本当に結ばれたのです。
少し前までは夢物語だと思っていましたのに、二つの指輪がぶつかる時のカチリという音と感触は、まぎれもなく現実の物でした。
「…あなた」
何か気の利いたことを言いたくても、言葉になりません。
感謝していることや、幸福であることを伝えたいのに。
口をついて出たのは、たった三文字の呼びかけだけでした。
「愛している」
私の指輪に口づけられ、武様が仰いました。
それを聞いて、雲が晴れるように伝えたい言葉が見えました。
噛み締めるように呟かれたその言葉こそ、今の私の気持ちをも表現しているものでしたから。
「私も、あなたを愛しています」
曲げた指で武様の頬をなぞり、微笑んで同じ言葉を返しました。
それに応えるように武様は姿勢を落とされ、私達はまた唇を重ね合いました。


「あっ…ん…」
触れ合った唇が離れ、武様はまた私の胸元に口づけられました。
まるで初めての時のように心臓がドキドキして、息を詰めてその動きを見守りました。
「やっぱり、緊張しているようだね」
「んっ!」
武様が呟かれ、胸の頂に吸い付かれました。
あっという間に固くなり、敏感さを増したそこを濡れた舌で舐め上げられ、何度も高い声が出ました。
くすぐったくて身を捩るのですが、そんなことでは離してもらえません。
そのうち、何だかもどかしいような気分になってきました。
身体が跳ねるのがやみ、武様の舌と唇の動くのを望んでいるのが分かるのです。
あわよくばもっと触れてもらいたい、快感を感じたい、と。
二十歳の頃から身体を重ねるうち、私は武様の愛撫によってこんなにも貪欲な女になっていたことを知りました。
「ん…あなた…」
溜息混じりに抱きつきますと、望むように刺激が強くなりました。
舌が触れていない方の胸の先は指の腹で撫でられ、固く立ち上がるのを待っていたかのように抓られて。

135: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:42:20 AfZwQjbw
「あっ!…ん…はぁ…ん…」
気持ち良くって、どうにかなってしまいそうでした。
胸を触られているだけでこんななのですから、その先へ進んだら一体どうなってしまうのでしょう。
考えると怖いようですが、それを上回る期待が自分の中に湧いてくるのを感じました。
私の心の内を読んだように、武様の唇が下へと向かいました。
胸の谷間、みぞおち、おへそを通り抜け、とうとうその場所へたどり着きました。
お風呂上りでバスローブ一枚きりだったのを脱がされて、いつもなら下着に隠されている場所が武様の目に触れています。
視線を感じるだけでそこが熱くなり、潤ってくるようでした。
「そうしていると、誘っているようにしか見えないよ?」
見られるのが落ち着かなくて、お尻をもぞもぞさせる私を見下ろして武様が仰いました。
その言葉に強い羞恥心が湧き、慌てて手を遣って秘所を隠しました。


「今度は拒むのかい?」
「…」
武様と触れ合いをしたくないとは露とも思っておりません。
花嫁が初夜を拒むのはおかしいですし、でも…。
「ここばかり見られるのは、その…」
「見なきゃ、夫婦の契りが結べないじゃないか」
「そう…ですが…」
「速く触って欲しいって、待ちきれないように濡れ始めているのに」
「っ…」
耳の傍で囁かれ、熱い息が掛かりました。
「あ…んんっ!」
耳の輪郭に沿って舌が這い、背筋がぞくぞくしました。
身体を震わせて懸命に堪えるうち、秘所を押さえる手に力が入らなくなっていきました。
このままでは手をどけさせられ、見られてしまう。
危機感が胸に去来しますが、耳に舌が這う感触に意識が持って行かれ、手の力が抜けるのです。
「あなた…いや…っ…」
身を縮め、耳を触るのはやめてと哀願しました。
舌の動きが止まったのを幸いに、身体をねじって逃れました。
散々なぶられた私の耳は、本来は体温が低い場所のはずなのに、じんじんと熱く疼くようでした。
「新妻が恥らうのはいいものだね」
なだめるように私の髪に触れ、武様が仰いました。
「もう何度も抱き合っているのに、本当に初夜のようだ」
「…」
「しかし、麻由はもう僕の妻になったんだから拒否することは許さない」
「あっ!」
秘所を隠す私の手を武様の指がスッと撫でました。
「ね、恥ずかしがってはいても、本当はここに触れられたいって思っているんだろう?」
「ん…」
武様の指が上下に動き、私の手の上から秘所の襞をなぞるような動きをしました。
いつもはここに指が触れて、舌で襞の奥に隠れた敏感な突起を舐められて、それから…。
身体に幾度と無く刻まれた快感を思い出し、身震いしました。
指が直接触れなくても、過去にここを愛されたのを思い出しただけで、また秘所が熱く潤んでくるようでした。
同じ快感が欲しい、触ってもらいたいと身体が望んでいるのです。
そこを押さえていた手からさらに力が抜けていきました。
見計らったように脚を開かされ、閉じることを封じるように武様の身体が割り込みます。
目をギュッと閉じ、観念した私は自分から手をどけました。
「いい子だね」
私のおへその脇に口づけられ、武様が仰いました。

136: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:43:09 AfZwQjbw
茂みに息が吹き掛けられ、ぞわぞわとしたくすぐったさが腰を這い上がりました。
「やっぱり、濡れている」
笑みを含んだ声で仰って、武様はさらにお顔を近付けられました。
そして。
「あ…」
秘所に熱い舌が届き、その柔らかさに息を飲みました。
お腹に力を入れて堪えようとしても、腰が跳ねるのが抑えられません。
こうされることを心の底では望んでいたのですから、耐えられるはずもないのです。
「やぁ…あ…ん…」
シーツを掴んで堪えようとしますが、一分の隙も無く整えられたそれは指を滑るばかりでした。
でも何かに縋りつきたくて、私は手をさ迷わせた挙句、触れた枕を握り締めました。
手首が痛くなるほどに力を入れ、あられもない声が上がるのを止めようとしたのです。
少しは成功したかのように思えましたが、しかし、武様の舌が私の最も敏感な部分をつついた時、全ては無駄になりました。
「んっ…ああん!はぁ…あ!」
自分のものでないような叫びが口から漏れ出で、ベッドルームに響きました。
脚を閉じようとしても、いつの間にか両の太股はがっちりと押さえ込まれていて、動かすこともままなりません。
「あん…は…あぁ…んっ…」
拒否しようとしても、意味のある言葉はもう口にすることができませんでした。
快感に溺れ、もっと舐めて欲しい、イかせて欲しいと望むもう一人の自分が、恥ずかしがる自分より圧倒的に優勢になっていたのです。
「あ…あ…んっ…もう…だめ…ああぁっ!!」
目の前が真っ暗になった直後、白く強烈な光が瞼の裏で弾け飛びました。
そう長いことここに触れられていたわけでもないのに、私は達してしまったのです。


大きく息をつき、枕の下から手を抜きました。
「相変わらず可愛い反応をするね、麻由は」
口元を拭われた武様の一言で、一瞬にして全身の血が頬に集まったようにのぼせてしまいました。
「清らかな新妻が、羞恥に悶えるさまはひどく魅力的なものだ」
「っ!」
官能小説に出てくる文章のようなことを言われてしまい、必死で首を振りました。
愛撫を望んだのは確かですが、ああいう本に出てくる登場人物のように、はしたなく求めてしまったとは認めたくなかったのです。
「今更恥ずかしがっても遅いな」
「あっ…」
武様の熱く固いものが擦り付けられ、息を飲みました。
「麻由が嫌がっても、僕はもう完全にその気になってしまった」
「嫌がるだなんて…」
「君が鎮めてくれなければ、とてもおさまらない」
濡れた場所に武様のものが触れ、微かな水音がしました。
身体を繋げればどれほどの快感が得られるかなど、とっくに分かりきっています。
なのに、そこに触れられただけで欲しくなってしまうのはなぜなのでしょう。
今にも私を貫かんとする武様のものは、秘所から溢れた蜜を周囲に塗り広げるように動いています。
どんなに恥ずかしがっても、そうされてしまうと、もう武様に全てお任せするしか道は残されていないのです。
「あなた…」
武様の頬に手を触れ、引き寄せました。
そして、眉を動かして応えられた愛しい方のお顔を見、覚悟を決めて口を開きました。
「私も…、実はその気になっているんです。お気付きでしょう?」
「うん」
「このままでは私もおさまりません。だから、熱を鎮めて下さい」
視線を合わせたまま、目を逸らさずに頼みました。
「ああ、君の言うとおりにしよう。僕も早く入りたくて堪らない」
その言葉にホッとした瞬間、逞しいものがグッと私の中に侵入してきました。
「うっ…ん…」
圧迫感に息が詰まり、喉元が反り返りました。
私の奥を目指してそれがゆっくりと差し入れられ、繋がりが深くなって。
愛撫とはまた違った快感が全身を走りぬけるのを感じました。


137: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:45:06 AfZwQjbw
全て入りきったところで、武様が唇を重ねてこられました。
触れている場所が増えたことに嬉しくなって、首に抱きついて深い口づけを求めました。
秘所、お腹、そして唇で愛しい方に触れて、自分は一人ではないのだという喜びを感じました。
互いの舌を貪りあい、しばらくして武様の唇が離れていきました。
なんだかぼうっと霞む目で、精悍なそのお顔を見詰めました。
「麻由…」
武様の目が細められ、呼ばれた自分の名が心地良く耳に届きました。
それに応えるべく、シーツの上にあった愛しい方のお手を取り、指を絡めて握りました。
まるでそれが合図であったかのように、武様が腰を使われ始めて。
最初は、私に負担を掛けぬようにとゆっくり動いて下さるお心遣いに、胸が温かくなりました。
もう数え切れないくらいに身体を重ねていますから、大丈夫ですのに。
そう伝えようとしましたがやめ、代わりに武様の腰に両脚を絡めて求めました。
「あぁ…はっ…ん…」
次第に大きく深く貫かれるようになり、息が乱れていきます。
少しずつ高みへと押し上げられるようで、快感の中にピリリとした緊張が走るようでした。
「あなた…はあっ…あん…ん…」
「麻由…くっ…」
揺さぶりに耐えられずに目を開けると、武様のお顔が目の前にありました。
私をからかわれる時のいたずらっぽい表情とは違い、力強く逞しい大人の男性の表情をされていて。
それに胸がキュンとして、ますますこの方を好きになるのを感じました。


「はっ…あ……キャッ!」
片脚を抱えられ、繋がりが深くなりました。
更に増した圧迫感に高い声が漏れますが、与えられる責めは緩められません。
むしろもっと深く、力強く貫かれてしまい、ますます追い詰められたのです。
それなのに、私の腰はひとりでに揺れ、更なる快感を求めています。
指を絡めた手に力が入り、肘の辺りにまで震えが走りました。
もう駄目、と涙の滲む目で訴えますと、やっと少しだけ突き上げられる力が弱くなりました。
この隙にと呼吸を整え、もうほとんど残っていない余裕を少しでも取り戻そうとします。
「大丈夫かい?」
心配そうにされている武様の前髪が乱れているのが、とても色っぽく目に映ります。
かき上げて整えて差し上げたいのですが、私の手は武様のお手と絡み合っていて、そうすることができません。
それに少しだけもどかしくなりました。
「あ…はぁんっ!」
急にまた深く突き上げられ、天を仰ぎました。
「余裕がまだあるみたいだね」
「そんな…んっ!あ…やぁ…んっ…」
整えたはずの息があっという間に乱れ、また苦しくなりました。
視線でそれを訴えても、今度は許してもらえず一気に責め立てられて。
私にはもうなすすべがありませんでした。
「あっあ…んっ…あなた…もう…」
腰がガクガクと震え、秘所が武様のものを一際強く締め付けるのを感じます。
もう駄目です、身体が思うようになりません。
「ん…僕も…そろそろ……っ…」
武様の切羽詰った声がし、最後の瞬間に向かってさらに力が込められました。
「ああ…んっ!あなた…はっ…んんんっ!」
「くっ…あ……っ!」
二人ほぼ同時に絶頂を迎え、繋いだ手を解いて固く抱き合いました。
私のけいれんが治まると、武様は少し身体を起こされて、優しい口づけを下さいました。

138: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:46:10 AfZwQjbw
そして、愛しい方はごろりとベッドに横になられました。
私は荒い息を整え、そのお胸に寄り添いました。
そっと髪を撫でて下さる手つきが優しくて、また涙が出そうになりました。
「あなた…」
呼びかけた声が甘えを含んだものになり、それに気付いて恥ずかしくなります。
でも、今日くらいは甘えても構わないと自分を納得させ、もう一度同じ言葉を繰り返しました。
「ウエディングドレスを着た君は、とても綺麗だったよ」
武様が仰った言葉が胸に染み込み、柔らかい幸福感を生みました。
他の誰に褒められるより、この方にそう言って頂くことが一番嬉しいのです。
「式場のドアが開いて君の姿が見えた時、言葉にならないくらい嬉しかった。
あの時の感動は、きっと一生忘れられないだろう」
それは私も同じです。
窓から差し込む光を受けて立っていらっしゃった武様のお姿は、きっと生涯私の心に残り続けるでしょう。
そう告げると、武様は照れくさそうに微笑まれました。
「君がそう言ってくれるのなら、嬉しいな」
頬に軽く口づけられ、穏やかにそう仰るのに胸が一杯になりました。
「プロポーズを受けてくれた時と、式の時。どちらが感動したかをあれからずっと考えていたんだが、答えが出ない」
「まあ。そんなことはお決めにならなくてもよろしいではありませんか」
「そうなんだが、ついね」
「私は…」
振り返って考えてみました。
プロポーズをお受けした時は、それまでに武様からの再三の求婚をお断りした心苦しさがまだ胸にありました。
しかし今日は、この世で一番愛する方の妻になれたという幸福が全身に満ちています。
「私は、やはり今日ですわ。バージンロードの先に立っていらっしゃるあなたを見た時です」
「そうか。僕はまだどちらか決めかねている」
「ええ」
「意見が合わないね。家庭不和の種になるかな?」
笑いを含んだ声で武様が仰いました。
「こんなことでケンカなんかしませんわ。またからかっていらっしゃるんですね」
「ああ、確かにこれはケンカではないね。強いて言うなら『いちゃいちゃ』だ」
「まあっ!」
更に言葉を続けられるのに声を上げますが、言い返そうとした言葉は柔らかく溶けていきました。
抱き合った後にこうして話すのは、仲が良くなくてはできないことですから。


「半年ちょっと前までは、君と今日の日が迎えられるなんて想像すらできなかった。
僕と結婚してくれてありがとう」
武様が表情を引き締められ、真剣なお顔で私を見て仰った言葉にまた胸が一杯になりました。
「私こそ、あなたの妻にして頂いて、言葉にできないほど感謝しております。
いらぬ心労をお掛けして、苦しい思いをさせてしまったというのに、変わらず私を望んで下さったのには感謝してもし足りません」
武様のプロポーズをお断りした時、私達の関係は一旦切れかかっておりました。
私はこの方を諦める覚悟をしたのに、武様がそれでも私を妻にと考えて下さったことで今日があるのです。
あの時、武様が私との結婚を諦めてしまわれていたら、今頃この方は別の女性と初夜を迎えられていたかも知れません。
そう思うと恐ろしくなって、私は愛しい方に擦り寄りました。
「ずっと、お傍に置いて下さいませ」
「ああ。麻由が僕を嫌だと言っても別れてなんかやるものか」
「そんなこと、口が裂けても申しませんわ」
お胸の中で抗議の声を上げると、武様は分かっていると頷かれました。

139: ◆DcbUKoO9G.
08/07/08 23:48:17 AfZwQjbw
「今日のことは、ずっと覚えていようね」
「はい」
「今日に至るまでのことも、辛くはあったが忘れずにいたいと思う。
そうすれば、この先何があってもきっと乗り越えていけると思うんだ」
「ええ、本当に」
今日の感動と幸福を心に刻み付けておけば、何があっても大丈夫な気がします。


「さ、奥様。そろそろお休みなさい」
少しおどけた表情で武様が仰るのに、頷いて応えました。
「はい。お休みなさいませ…旦那様」
「あ…」
愛しい方にさらに身体を寄せ、ゆっくりと目を閉じました。
「旦那様、か」
武様が呟かれ、またギュッと抱き締めて下さいました。
愛する人の心地良い腕の中で温もりを感じながら、私は知らぬうちに眠りに引き込まれていきました。


─続く─

次の新婚旅行の話で本編は終わりです。

140:名無しさん@ピンキー
08/07/08 23:49:15 O2QirK6Z
GJ!
新婚旅行楽しみにしてます!!

141:名無しさん@ピンキー
08/07/09 00:08:54 aW3UfOEf
GJ!

妊娠編とか出産編とかも読みたいが、全くもってスレ違いになってしまうからなあ(爆

142:名無しさん@ピンキー
08/07/09 03:36:05 SesqQYmr
GJ!次でついに完結ですか
最終回は寂しいけど楽しみに待ってます

それにしても武様かっこいいな

143:名無しさん@ピンキー
08/07/09 06:43:12 Xck7xCFp
GJ!
本編が完結しても、番外編等があれば嬉しいです
楽しみにしています

武様、素敵ですね
こんな出来た人間になりたい
遠野家も安泰ですね

144:名無しさん@ピンキー
08/07/09 20:28:19 fV/99v01
咲野さんは元気かなー

145:名無しさん@ピンキー
08/07/09 23:20:11 dya9JdH9
GJ!
どう見てもプロの仕業です。本当にありがとうございました

146:名無しさん@ピンキー
08/07/09 23:39:27 L1ew2nF5
>>141
メイドが進化して”元”ご主人様の妻になるのは最高の理想形だぞ
妻なら勿論妊娠や出産イベントはあってほしいよな

147:名無しさん@ピンキー
08/07/10 01:13:55 5KWsORwX
妻として、一生武様と共に歩むのだから、出来れば、麻由には武様そっくりの男の子と、麻由そっくりの女の子を授かって欲しい

148:名無しさん@ピンキー
08/07/10 07:28:41 5HqdJAI0
担当メイドとして配属され、お手付きになり結婚に持ち込むまでの期間
これをメイドの世界では『一念戦争』と呼ぶ

149:名無しさん@ピンキー
08/07/10 07:44:43 MUjhLgMZ
主人の個人的な世話を専門にするメイドって
「専属」「担当」どっち?

150:名無しさん@ピンキー
08/07/10 22:11:12 4UPwD6Nm
>>149
「担当」は複数可能だから「専属」が正しいかと

151:名無しさん@ピンキー
08/07/10 23:43:22 6SvpA+zN
「専属」でFA

152:名無しさん@ピンキー
08/07/11 00:26:22 Ngkci+JC
ご主人様専用メイド

153:名無しさん@ピンキー
08/07/11 00:28:33 t49SmuOO
「専属」の方がエロい

154:名無しさん@ピンキー
08/07/11 08:53:56 ifYxle/Y
「お付き」はどう?

155: ◆dSuGMgWKrs
08/07/12 20:15:42 arZ8aVIs
『メイド・小雪 4』


夕食と風呂の後、ぼくは部屋で調べ物をしていた。

威張ることではないが、ぼくは大学じゃ、そこそこ真面目で優等な生徒なのである。
机の後ろのほうでは、小雪がソファに座って本を読んでいる。
特に用があるわけではないから、自分の部屋に下がらせてもいいのだが、ぼくもメイドがそばにいる生活に慣れているし、用がないと言うと小雪が寂しそうな顔をするので、ぼくが勉強している間は、音を立てないかぎりなにをしていてもいいよ、ということにしてある。
それでも、「直之さまがお勉強をなさっているのですから」と、ぼくの本棚からわざと難しそうな本を選んで抜き取ってくるのだが、明らかに目が滑っているようで、不規則にページをめくっている。

しかし、どうも今日は勉強がはかどらない。
なんとなく、頭がぼうっとする。
そのうち、へっくしょん、とくしゃみが出た。
小雪が本をおいてぱっと立ち上がり、ぼくのそばに来た。
「お寒くございませんか?湯冷めなさったのでは」
もう、手にはブランケットを持っている。
そういえば、授業中、隣で女子生徒がずっとくしゃみをしていたな。

「風邪かな」
そうつぶやくと、小雪は飛び上がらんばかりに驚く。
「まあ、いけません、ちっとも気が付きませんでした!今すぐ、中村先生を呼んでまいります!」
中村先生というのは、うちの侍医だ。
「いや、そんな大げさにしなくていいよ。今日はもう寝るからさ」
「では、お布団に電気あんかをお入れしてまいります」
「小雪、まだ早いよ。そんなに暖められたら、ぼくは朝までに納豆になってしまう」
笑いながら言うと、小雪は真剣な顔で首をかしげた。
「まあ、その場合、納豆菌はどこから入るのでございましょう」
ぼくはくっくっと笑いながら、パジャマの上に着ていたフリースを脱いで、小雪に渡す。
ぶるっと身体が震えた。
まあ、早く寝れば大丈夫だろう。

続き部屋になった寝室へ行くと、小雪がかけ布団をめくってくれた。
そこにもぐりこむと、肩口が冷えないように丁寧に布団を掛けてくれる。
「本当に、お寒くはございませんか?」
「うん、大丈夫だよ。小雪も今日はおやすみ」
「あの、もし夜中にお具合が悪くなったら、すぐ小雪を呼んでくださいませね」
「夜中は、小雪も眠ってるだろう」
「いえ、小雪は今夜は休みません。ですから、いつでも呼んでくださいませ」
ちょっとくしゃみをしたくらいで、この騒ぎだ。
ぼくは布団の隙間から、ちょこっと指先を出した。
「じゃあ、ぼくが眠るまで、ここにいてくれるかい」
小雪はいつものように顔を真っ赤にして、それでも素直に椅子を持ってきてぼくの枕元に座ると、指先をそっと握った。
「こ、これでよろしゅうございましょうか」
「うん。ぼくが眠ったら、部屋に戻って、小雪もちゃんと眠りなさい。いいかい」
「はい」
目を閉じると、遠慮がちに指先を握っていた小雪が、少し手に力を入れた。
暖かかった。

眠りに落ちる半ばで、ものすごーく音程の外れた子守唄を聞いた気がした…。

156: ◆dSuGMgWKrs
08/07/12 20:16:53 arZ8aVIs
朝には、なんとか元気になっていた。
小雪も喜んで、ぼくはいつもどおり大学へ行き、授業を受け、サークルに顔を出し、友人たちと最近できたという豚カツ屋で、食事までして帰ってきた。

ところが、帰る途中から、体調がどんどん悪化してきた。
豚カツの油が胸につかえ、悪寒に背筋が震える。
屋敷のロータリーを回って、裏玄関の前に車を止めた時には、ぼくはもうハンドルに突っ伏していた。
「きゃあ、直之さま、直之さま!!」
迎えに出た小雪が、泣きながらぼくにすがりつく。
「・・・まだ、死んでないから」
ぼそっと言ったけど、小雪は全く聞いていない。

「葛城さん、葛城さん、直之さまが!」
呼ばれて飛んできた執事の葛城が、運転席でぐったりしたぼくの額に手を当てる。
「少々お熱がございますかな。小雪から、昨夜は風邪気味のようだったと聞いております」
「ああ、どういたしましょう、直之さまが、直之さまが…」
「小雪は騒がなくてよろしい。お部屋へお運びいたしますから、沢木か北澤を呼んできなさい。それから、中村先生にお電話を」
「は、はいっ!」
小雪が飛んで行き、ぼくはやってきた使用人の沢木と葛城に抱えられて、部屋に戻った。
とりあえずソファにごろんと転がったところで、小雪がかけ戻ってくる。
「中村先生は、すぐにおいでくださるそうでございます!」
「じゃあ、後は・・・」
「直之さま、お着替えをお手伝いいたします」
葛城がなにか指示するまでもなく、小雪は氷枕や洗面器を積んだワゴンを押してきている。
メイド学校には、看護の授業もあるらしい。

葛城と北澤を部屋から追い出すと、小雪はぼくの服を脱がせて暖かい蒸しタオルで体を拭き、パジャマを着せ掛けた。
一度横になったことで、ぼくは少し楽になっていたものの、小雪が必死の形相で世話を焼いてくれるのが少しおもしろくて、だまってされるままになっていた。
「申し訳ございません、直之さまがお風邪を召してらっしゃるのを存じておりましたのに、小雪はちっとも気がつきませんで、ダメなメイドでございました」
小さいくせに、むりやりぼくを抱えてベッドまで連れて行こうとする。
小雪に片腕だけを預けて、ぼくは自分でベッドに入った。
「別に、小雪のせいじゃないよ。風邪なんてものは、夕方になると具合が悪くなってくるものだ。わかっていて遊んでいたぼくの自己管理が出来ていないだけだよ」
「でも、でもっ」
たぶん、ほんの少し風邪っぽい、というだけのところに、油のきつい豚カツをライス大盛りで食べたのが良くなかっただけの気がする。
豚カツを消化してしまったら、気分も良くなるんじゃないだろうか。
それなのに、ものすごい重病でもあるかのように、小雪が取りすがる。
「もし、もしこのままお熱が上がってしまわれて、お風邪の菌がどこかいけないところに入り込んでしまったりしたら、風邪は万病の元と申しますのに」
「大丈夫だよ。それとも、小雪は菌が脳にでも入ってぼくが馬鹿になってしまえばいいと思ってるのかい」
からかいたくて、わざと言うと、小雪は今度こそ本当にわっと顔を両手で覆って泣いてしまった。
「そ、そんなことになりましたら、小雪は、小雪は、死んでお詫びしても足りません!」
・・・大げさだ。
ぼくは布団から手を出して、ベッド脇に膝をついて泣いている小雪の頭に乗せた。
「冗談だ。小雪が死んでしまっては困る。まだ、ぼくは小雪をカッパにしてないじゃないか」
「う、うう、うっ。こ、小雪がカッパになって直之さまのお風邪が治るのでしたら、小雪は今すぐザビエルさまに弟子入りしてまいります」
支離滅裂なことを言っている。
ぼくは小雪の頭に乗せた手を持ち上げて、ぽんぽんと優しく叩いた。
「カッパよりザビエルより、ぼくは小雪がいいから。だから、そのままでいておくれ」
「・・・は、はい、はいっ」
まだぐすぐすと泣きながら、小雪が何度も頷く。

157: ◆dSuGMgWKrs
08/07/12 20:17:50 arZ8aVIs
それから思い出したように、ぼくの手をとって布団の中にそっと戻した。
「お苦しくございませんか?今、中村先生が来てくださいますから」
中村・・・。
そういえば、さっきそんなことを言っていたような気がする。
ぼくは、がばっと布団を頭までかぶった。
「いや、いいよ。中村先生は来てもらわなくていいから、そう電話してきなさい。ぼくはもう寝るから!」
「・・・直之さま?」
「早く、早く電話してきなさい」
「で、でも、もう先生はこちらに向かっておいでですし、お熱なりと計っていただいて早めにお薬を」
「いいから!ぼくはあの先生が苦手なんだよ。なんでもすぐに注射するんだから・・・」
「なおゆきさまぁ?」
小雪が、頭までかぶった布団をちょっとだけめくって覗き込んでくる。
「まさか、まさか、お注射が嫌いでそんなことをおっしゃってるのではございませんよね?」
「・・・そ、そんなことがあるわけないじゃないか。子どもじゃあるまいしっ」
ちらっと顔を出すと、小雪の目元が笑っている。
「そうですよね?でしたら、せっかくですから、先生に大きなお注射をしていただいて」
「いやだっ!」
寝返りを打って小雪に背中を向ける。

正直に言おう。
ぼくは、注射が大嫌いなのだ。
決められている毎年のインフルエンザ予防接種だって、いつもどうにかして逃れようと悪あがきしているくらいだ。
小雪はくすくすと笑っている。

ぱふん。

布団の上から、ぼくに身体ごと覆いかぶさる。
「でしたら、先生がお注射をなさるとおっしゃったら、小雪が反対のお手を握っていて差し上げます。それで、お注射の間中、ずっと楽しいお話をいたします。それでよろしゅうございましょう?」
なんだ、この、主人の弱みを握ったといわんばかりの余裕の発言は。
ぼくは小雪の専売特許を拝借して、パンパンに頬を膨らませてやった。
「いやだよ。子守唄を歌ってくれるのならいいけどね」
昨夜、ぼくが聞いてないと思って、見事に調子っぱずれな子守唄を歌った小雪が、ずるずるとベッドから落ちていった。
ふん、主人を手玉に取ろうなど、百年早い。


結局、ぼくは小雪に手を握ってもらって、中村先生の注射に耐えた。
微熱さえ下がればよろしい、あとは様子を見ましょうと言って中村先生が帰っていくと、小雪はようやく安心したようだった。
「ほんとうに、直之さまにもしものことがあったらと思うと、小雪は胸がつぶれそうでございました・・・」
「小雪の胸がそれ以上つぶれたら、ぺったんこだな」
「まあっ、ひどうございます!」
小雪の頬が、ぷんと膨れて、ぼくはベッドの中で笑った。
「ほらほら、胸よりほっぺたのほうが膨らんでるよ」
「そのようなことはございませんっ」
「そうかなあ?」
ぼくがしつこく疑うと、小雪は心配そうに自分の胸をおさえた。
「そ、そうでございましょうか。小雪は、そんなにぺったんこでございますか?」
「さあ。制服の上からだとよくわからないね」
からかってはいるが、まあそれほどまっ平らではないことくらいはわかる。
「どれ、ちょっとこっちにおいで」
小雪が不思議そうな顔をして、横向きに寝たぼくのそばににじり寄る。
床に膝をついているから、ちょうどぼくの顔の高さに胸がある。
布団から手を出して、触る。


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