09/07/22 07:46:50 EaHy45Mc
床に伏した駐在警官の成れの果てを足下に置き、食堂内部を見渡した。
二十七年前の土砂災害で失われたはずの商店街。
ついさっき、バス停前で拾った恩田理沙を連れてこの地区から脱出し、
早く病院へと避難せねばならないというのに、わざわざ寄り道をしてこの大衆食堂まで来た。
ふとした気掛かりがあった。この、朽ちて荒れ果てた食堂は通らねばならない。
そんな気がしたのだ。
厨房扉の手前で不安げに佇んでいる理沙を尻目に、駐在が座っていた席を調べる。
卓の隅に、黒いパスケースを見つけた。
中に入っているのは学生証のようだ。手に取って調べる。
〈中野坂上高等学校・須田恭也〉
この近辺にある学校の名前ではない。なぜここに、こんなものがあるのだろう?
学校名、氏名の隣に添えられた学生の顔写真を見た。
十代半ばくらいの、ごく普通の少年が写っている。
真面目くさった表情を浮かべている少年の眼が、何かを訴えかけるように見返してきた―。
毎日毎日飽きもせず、暑い日々が続いていた。
暦も今日から八月。
宮田と美耶子の暮らすこの町も連日熱帯夜で、アパートの冷房はつけっ放しの状態だ。
(電気料金が物凄いことになりそうだな……)
暗澹たる思いで宮田は心に呟いたが、美耶子のことを思えばそれも致し方ない。
治安の悪いこの町で、迂闊に窓を開けて過ごすのは危険だ。
夜は言わずもがな。宮田が仕事に出ている間、
美耶子独りがアパートに取り残される昼間だって、注意は必要である。
現に以前―まだ春先のことであったが、美耶子は昼間、危険な目に合っている。
例の遊歩道に面した窓を開け、日向ぼっこをしていた美耶子の目前で、
変質者が全裸になって自慰行為をしていたことがあったのだ。
露出癖のある男からすれば、美耶子のような美少女に見られながらの自慰は、
さだめし快感であったことだろう。
ただ彼に取って誤算であったのは、美耶子が盲目で、
いかにその眼の前で卑猥な姿態を取ろうとも、全く気づかれることがなかったということだ。
しかもその時、美耶子は耳にイヤホンを挿してラジオを聴いていた。
よって、男が喚き散らしていたいやらしい言葉さえ、
彼女はまるで聞いていなかったのである。
「マムちゃんは、ババァをババァ呼ばわりするけど、
ちゃんとババァを思いやっているのが判るから、みんな怒らないんだよ」
近隣住人の通報により男が逮捕された後、事情聴取の警官に向かって、
美耶子はこのように供述した。
この事実を知った変質者は力なく項垂れ、
己の罪を悔い、故郷の母親に対する謝罪を口にしたという。
とにかく。ことほど左様に、ここは危険な町なのである。
宮田と美耶子のように、元居た土地から逃げて隠れる者に取っては、
懐の深い、居心地のいい場所ではあるのだが、常にそれ相応のリスクは覚悟せねばならない。
玄関に施錠をするという概念すら浸透していなかった、山村の暮らしとは違うのだ。