08/08/03 14:13:06 voPUZJ5x
病院だと言うのに、患者の声も見回りの看護士の足音もしない。
男が部屋を与えられている研究棟は、昼間でも助手の出入りくらいしかない場所だった。
「遊ぶ?私とままごとでもしたいのか?グレテル。」
黒瓜は口元を歪めただけで笑うと、そう言ってグレテルの方を見た。
馬鹿にされたと感じたか、拗ねた様な声で返す。
「ままごとなんてしたことないし、そんな歳じゃない。」
黒瓜の座る椅子の前まで来ると、机の上に置かれたノートパソコンを閉じた。
黒瓜はちらっとそちらを見ただけで何も言わない。
雲が月を隠し、部屋を闇が包んだ。
抵抗しない男の膝の上に手を置き、身を乗り出して、
額から顔にかかった白髪を掻き上げると、
ようやく黒瓜は、グレテルを見下ろして言った。
「お前の望むものは、ここには無い。」
グレテルは、はっと動きを止めて目を伏せた。
指の間から髪がまた額に落ちる。
黒瓜は低く続ける。
「私も、持ってはいない。」
少女は動かない。
黒瓜は軽くため息をつくと、グレテルの手をとって下ろさせ、
ノートパソコンに手をかけた。
再び部屋に冴えた光が差し込んだ。
眩しさに一瞬目を閉じた黒瓜は、じっと見上げてくる視線に気付いた。
「…無い物ねだりは、そんなにいけないの。」
幼さの残る声が。
耳の奥に響いたようだった。
ああ、いけないな。
「悪い子だ、グレテル。」