08/05/24 20:44:34 OV1BTzi+
第一章……一日目
「リネット王女、ご機嫌麗しゅう。我が名はアガレス。変化の公爵」
目の前にいる美しい女は、そう名乗ってわたしに笑いかけた。
異形の存在だった。
鰐の背に乗り、肩には鷹を止まらせている。緑の衣を身に纏い、片足を淫らにも
剥き出しにしている。王宮で魔道師に教わった通りの姿をしていた。
顔立ちには非の打ちどころなく、真っ当な装束で着飾れば、王室の舞踏会に現れても
不思議でない気品を備えている。年の頃は兄上と同じくらい。二人を並べれば、
似合いの美男美女と取り沙汰されてもおかしくなさそうである。
なのにそこには何か、人を怖気立たせる瘴気のようなものが漂っていた。
魔族の大立者アガレスともなれば、それも無理はない。戦いにおいては地震を起こす
ほどの強力な魔力を誇り、言葉を巧みに操っては人々の尊厳を破壊するという。
なぜか慈悲深いという言い伝えもあるそうだが、悪魔の慈悲などまやかしに過ぎまい。
恐怖に萎えそうになっている心を強いて奮い立たせ、常と変わらぬ態度を取ろうと
努めた。王女たるもの、気品を失うことなどあってはならない。
「これは夢、ですね」
わたしとアガレスを取り巻くのは無明の闇。踏みしめる大地も仰ぐべき天もない。今
わたしが着ているのは、今日の式典用に誂えていたドレスだが、その後の騒動で埃や
泥にまみれたはずのそれは、最初に袖を通した時と変わらない美しさを保っている。
「いかにも。いちいちそちらへ足を運ぶのは、ぶっちゃけ七面倒臭いので」
終わりの方は俗な言葉過ぎて何を言っているのか定かでないが、言いたいことはおおむね
理解した。
悪魔はそれぞれが各々の領域からあまり遠くへ出ようとしない。それはもちろん人を
警戒してのことではなく、悪魔同士の縄張り意識がひどく強いためであるという。
ゆえに労を惜しんで夢の中で人に働きかけるのはよくあることだと、これも魔道師に
教わったことがある。