08/03/02 14:38:57 nvRV+YMT
相変わらず圧倒的なヘアスタイルだな。髪が本体なのか身体が本体なのか分からんくらいだぜ。毛根が一体どうなってるのか知りたい衝動に駆られたが、こいつの髪の中に手を入れる勇気と言う名の無謀と比してすぐに封印した。
「――これがわたしの―待ち望んでいた―、新しい世界――、情報の奔流――」
五歳児に初めて包丁を握らせたようなぶつぎり仕様の発話でなんとも要領を得ないが、言ってることは感覚的に理解できるぜ。
つまりお前はこの狂った世界を絶好の機会と観測を決め込んでるってわけか。
ダークマターでも宿してるんじゃないかと思えるくらいに完全に光のない瞳で、俺の目を見据えたまま九曜は一言だけ言い放つ。
「―返さない」
全く生気の感じられないこいつの表情に一瞬だけ感情が宿った、そんな気がした。
ぞっとするね。この五月の穏やかな日差しが台無しだ。
敵対宣言と受けさせてもらうぜ。
それはそうと、返さないとは興味深い。そう言うからには返る手段があるってことなんじゃないか?
その手段とやらをなんとしてでも見つけてやる。ないなら作ってやろうじゃないか。
でっちあげの歴史を押し付けられたまま生きるなんてまっぴら御免だからな。
「橘、お前はどうしたい?」
問いかけに橘は窮した。ブレザーの裾をきゅっと掴んで逡巡する。
佐々木が神になるという状況はお前が望んで止まなかったものだ。単純に考えりゃここは理想郷そのものなんじゃないか?
「あたしは……、こんな世界は間違ってると思う。涼宮さんから佐々木さんに能力が移って欲しいと確かに願っていたけれど、書き換えられた世界で生きていくのは本意ではないわ。だから、元の世界に戻れるなら、……帰りたいのです」
迷う部分もあるのか、橘は苦渋の選択をするように唇をかみ締めながらそう言った。
藤原はそんな橘の様子を腕組みしたまま憮然と窺っていた。俺の視線に気づくとそのまま見下すような態度で口を開く。
「僕だってこんなふざけた世界は願い下げだ。反吐が出そうになる」
「これは既定事項なのか?」
「禁則……、と言いたいところだが教えてやる。既定事項なんかじゃない。全くイレギュラーな出来事だ。第一なんなんだこのデタラメな時空間座標はっ、―くそ!」
苛立ちで地団駄を踏む藤原。
そう内輪ネタで一人盛り上がられても困るんだけどな。詳しいことは分からんが、この状況下じゃこいつのTPPDも役に立たなさそうだ。
「とりあえず意思表明は出揃ったな。復帰希望派が3、現状維持派が1ってことか」
「おい、待てよ。勝手に僕を抱きこむな。誰が現地人などと手を組んで行動するなんて非効率なことをするものか」
ったく、この未来人一名様はまた異なことを言って話をややこしくしてくれる。
プライドなのか主義なのか知らんが、非常事態なんだぞ? お前の時代にゃ、呉越同舟って言葉が残ってないのか?
「なんでも自分基準とはおめでたいやつだ。僕はあんたらと違うんだよ。策だって持ち合わせているしそれを実行し得る文明だってある。位相が安定して精度があがってくれば、明日中……、いや、今日中に自力で抜け出してやるさ」
やれやれ、驕りもここまで極まるともはや滑稽のレベルだな。
何やら少し詳しい事情を知っているようだったが、こいつから聞きだそうと思わない。
……好きにすりゃあいい。復帰希望A派1、復帰希望B派2、現状維持派1、これで文句も間違いもあるまい。
わざわざA派に藤原を置いたのは俺なりの最高の皮肉だったが、意にも介さず藤原は鼻を鳴らして足早に音楽室を去っていった。
501:乙女大戦!14
08/03/02 14:39:23 nvRV+YMT
九曜は……、すでに居ない。いつの前に姿を消したんだ? あれだけの体積のある黒山が動けば目に付きそうなもんだがね。相変わらずの幽霊みたいなやつだ
「さてと……、予想はしてたが見事に割れたな」
「キョンさん」
目の前に残ったのは不安げに佇む橘京子だけ。視線が「これからどうしよう?」と雄弁に語っていた。
こうやってよくよく見りゃ意外にも光陽園の制服が似合ってるじゃないか。馬子にも衣装かね。
「とりあえず、あいつらに会うしかないだろう」
午後の授業はサボッても問題なかったが、俺一人が早退したところでどうしようもないという事情から、律儀にも本日の全時間割を消化してしまった。
帰ろうとする俺を佐々木が部活動に誘ってきて少し迷ったが、適当な理由をでっちあげて帰らせてもらうことにした。
ライフサイクルを把握するという意味では必要にも思えたが、俺には優先して会うべき連中がいる。
それに音楽に関してセンスはおろか知識もゼロの俺にどうやったらまともに吹奏楽部の部員が務まるってんだ。
それとも設定の整合性をとるために、もしかして楽器に触れた途端自然と身体が動いて弾けちまったりするんだろうか? それはそれで薄ら寒くて勘弁願いたい。
というわけで、部活は橘に任せて俺は一旦帰宅していた。
「えぇ~!? あたし楽器なんて全然……、リコーダーしか吹けないのです」とべそをかいてた人間に、任せたという表現が的確なのかはさておき。
部屋に戻ってきたのは忘れた携帯を取りに帰るためだ。これがないと連絡手段が極端に狭まっちまうからな。
今のところ学校関連以外の物は基本的に昨日まで使ってたものが再現されている。例に漏れず携帯も塗装の禿げ方から付いた汚れまで確かに自分が昨日まで使っていた物だった
そういやアドレス帳はどうなってるんだ?
表示させると一目でおかしいことに気づく。
五十音順で最初にくるはずの『朝比奈みくる』がない。
大半は知ってる名前が並んでいたが、北高関連のデータがごっそり抜け落ちている。スクロールしていくと知らない名前もいくつか入ってやがる。
『古泉一樹』、『涼宮ハルヒ』も見当たらないことを確認して、諦め半分にナ行にさしかかったときだった。
指が止まる。
どういう……、ことだ?
無いはずの『長門有希』の名前がそこにあった。
凝視して見間違いを肯定しようとしたが、何度見返しても表記に誤りはない。
震える指先で電話番号を表示させるとそれらしい数字列が出てきやがった。長門に連絡がとれるってこと……か。
衝動的にコールボタンを押していた。
軽挙だという後悔を振り切って、筐体を耳に押し当てる。
呼び出している長門が『あの』長門である保証はない。だが、いつだってこういうピンチのときに現れた救世主に縋りたいという思いが俺を衝き動かしていた。
所詮電話だ。話が通じなきゃ間違えたと開き直ればいい。
呼び出し音が止む。
「…………」
「俺だ」
「…………」
「……長門か?」
「……、そう」
差し当たっては、らしい応対だ。しかし本題はここから。
「……これから俺が口にすることは決して冗談じゃない。だが、分かってもらえなくても当然の範疇にある突飛な話でもあるんだ。もし、俺の話が全く理解できないならその時点でブツリとやってくれていい」
弱気が当たり障りのない会話から入れと持ちかけるが、この期に及んでそれは無駄な回り道だとバッサリ切り払う。
502:乙女大戦!15
08/03/02 14:39:49 nvRV+YMT
ぐだぐだ言っても肝心の事が伝わらなければ意味がねえ。
窓から差し込んでくる西日を浴びながら、手に汗を握りつつ俺は単刀直入に切り込んだ。
「お前の家で三年ほど寝かせてもらったこと、覚えているか?」
我ながら簡素にまとめることができた。聞き流してしまいそうなありふれたフレーズの中に、明らかにおかしく際立った単位が紛れ込んでいる。
だが当事者なら分かるはず。
言い終わってから回答を待つまでの時間が長い。心音が鼓膜を打つくらいに鳴り響いてやがる。貧血を起こしかけているのか、視界が徐々に狭まって眩暈に襲われた。
だめだ、これ以上は立っていられない。膝が折れそうになるギリギリで――、
「覚えている」
――俺に残された一縷の望みが繋がった。
「…………」
だが、そこから続くのはひらすらの沈黙だった。
耳を澄ますと、微かに呼吸音と思しきノイズが聞き取れる。
長門が息を乱すことなんて、そうそうあることじゃない
「長門? どうした?」
「――っ、あなたに経緯を説明をしたい。観念的な現象のため言語化には、……限界がある。それでもっ……」
息継ぎもままならないくらいに苦しいのか?
明らかに異常事態だと悟り、再度呼びかけようとしたのと同時だった。
ドサリと、受話器の向こうで鈍い衝撃音が響く。
「長門っ! おい、どうした? ながとっ!!」
携帯を痛いくらいに耳に押し付けて叫んだが、無情にも通話は切れてしまった。
くそっ! 何が一体どうなってやがる!
せっかく繋がったと思った矢先になんだってんだ!?
着替えだけは済ませていたが、俺は取るものも取らずそのまま転げるように部屋を飛び出した。
玄関先で靴を履くのにもどかしみながら、下駄箱の上に放り投げてあるチャリの鍵を手探りで漁って家を出ると愛車に跨って地を蹴る。
タイヤの空気が抜けかけているせいでペダルが重いが、入れ直してる余裕なんかない。
なりふり構わず立ち漕ぎで駅前の分譲マンションを目指した。
極度の緊張と急な運動ですぐに根を上げたヤワな身体を追い込んで走破し、エントランスの脇に投げ捨てるように自転車を降りて、玄関口のテンキーに取り付いた。
忘れるはずもない708番。
しかし、押し終えてこれが無意味な行為だと気づいた。
長門が倒れたならインターホンに出られるわけがない。
ばかかと自分を罵りながら、管理人に開けてもらうために踵を返そうとすると、
『誰? 立て込んでるんだから用件は手短にお願いね。新聞の勧誘なら間に合ってるわよ』
と、インターホンから飛び出してきた見当違いの声に耳を疑った。
もののついでに目も疑ったがモニターのデジタル表記はしっかりと708。間違いはない。
いや、問題はそこじゃない。少し落ち着け。
……なぜお前がここに居る?
503:乙女大戦!16
08/03/02 14:40:22 nvRV+YMT
サンプリングされて変質しちゃいるが、それくらいで聞き間違うほどこいつとの付き合いは短くもなけりゃ疎でもないつもりだぜ。加えて不躾で尊大なこの物言いだ。脳内条件検索でヒットする人物はただの一人しかいない。
「ハルヒか?」
万を持しての問いかけに、
『…………キョン……、なの?』
期待を裏切らない応えが返ってきた。
「おでこにシート貼りますから、ちょっとじっとしててくださいね」
寝込んで床に伏している長門に優しく聞かせるようにそう言いながら、朝比奈さんはドラッグストアのレジ袋から解熱用の湿布剤を取り出した。
本当は脇の下の方が効果的だが、この場でそんな指摘は無粋ってもんだろう。朝比奈さんの癒しの看護に比べれば誤差の範囲だしな。
―と、思わずいつもの調子で和んでみたが、それは現実から目を背けているだけでしかない。
貼り終えた朝比奈さんとなんとなく目が合う。瞬時にその表情が硬くなったのが見て取れた。
ああ、そんな顔をされると辛いです。
視界の端には古泉の姿もある。相変わらずの薄っぺらい笑みを貼り付けてやがるが、それではごまかしきれていない距離感のようなものが感じられる。
朝比奈さんに比べればこっちはおまけに過ぎないが、それでもやっぱり堪えるね。
前も似たようなことがあったし、分かっちゃいるんだが内心の動揺を押し殺せない。せめて態度には出さないようにしないとな。
リビングの隣にある畳敷きの和室で、布団に寝ている長門を取り巻く形で俺たちは座っていた。
ハルヒはさっきからキッチンでなにやらガチャガチャやっている。お粥を作るとか言ってたな。長門に振舞ってやろうとするその心意気は買うが、早く戻ってこい。白々しく自己紹介を済ませたものの、とてもじゃないが間が持ちそうにないぜ。
沈黙が見守る中、長門に視線を移した。
透き通るような白い顔に朱が差している。熱に浮かされて額に汗を滲ませて目を閉じたまま横たわっている長門の呼吸は荒く、微かに口を開かせて苦しげに喘いでいる姿は見るに耐えない。
あの長門に限って風邪をひくなんてことは考えづらい。また何かややこしいことに巻き込まれているに想像は難くないぜ。雪山の館での出来事が思い出された。
詳しい事情は分からんが、体調を崩した長門は今日学校を休んだらしい。ハルヒ達はその見舞いってわけだ。電話が切れてからここにくるまでの狙ったようなタイミングで来たってことなんだろうな。
「キョンー、もうすぐできるからテーブルの上拭いて」
あるはずのブランクを感じさせない馴れ馴れしい声がリビングから飛んできて腰を上げる。正に普段通りなんだが、なんだか複雑な気分だ。
投げて寄越された布巾で、さほど汚れているとも思えないテーブルをとりあえず言われたとおりに拭いていると、ハルヒがお膳を運んできた。
鼻を掠めた違和感に漫然と動かしていた手が止まる。エキゾチックで食欲をそそるこの香ばしいこの匂い。お前、まさかと茶碗の中身を覗き込み、米を浸している重湯の色を確認して絶句する。
「団長特製のカレー粥よ」
紹介されずとも眉を顰めた俺のネガティブリアクションなどお構いなしで、国民的マスコットキャラであるネコ型ロボットがとっておきの道具をお披露目したように、これ見よがしにハルヒはこの奇怪なメニューの向こうで胸を張っていた。
米を静かに咀嚼する音だけがリビングを支配する。
確実にキワモノと思われたこの料理だったが、長門の嗜好にど真ん中だったらしく箸が止まらない。
504:乙女大戦!17
08/03/02 14:41:48 nvRV+YMT
カレーならなんでもいいのか?
なんてのはもはや問うだけ徒労だろう。冷却剤を額に貼り付けたまま無心で貪っている。
ハルヒが配膳するやいなや、まるで匂いに釣られたかのように目を覚ました長門は食欲に従うがままにフラつきながらもコタツの席に着き、
「……いただきます」
と、人間の聴覚で聞き取れる限界の呟きをだけを残してひたすら無言で頬張っていた。
……何にせよ食欲があるのは良いことだ。この際ツッコみは全て捨てて、少し元気な姿を見せてくれたことを喜ぼうじゃないか。
「よく食べてよく寝るは体力回復の基本です。リビングで倒れているところを見たときはかなり心配しましたが、この分だと大丈夫そうですね」
「口に合ったみたいでよかったわ。でも食べすぎはダメだからね……」
「あ、長門さん。唇の端にご飯粒が付いてますよ?」
長門を微笑ましく見守る連中を見て胸が温かくなる心地がした。勝手に作られてできた世界でこんなことを思うのは無意味かもしれないが、純粋にみんなが仲良くやってることに嬉しさを覚えたのさ。
朝比奈さんが淹れてくれたお茶を飲みながら、ここに来てようやく少し落ち着けたそうな気がしたが、
「……それにしても」
間を見計らったようにハルヒが切り出してきた。
「驚いたわ。キョンと有希に交流があったなんて」
さっきも説明した話を蒸し返してきやがった。やけに素直に納得してくれたと思っていたが、単に長門の看病を優先させただけだったか。
「図書館でばったり会ってカードを作ってやったんだ」
あまり突付かれるとマズイという焦りを隠して返す。
さっきハルヒと話して分かったことだが、俺はここに居るメンバーと初対面ではないらしい。
四月に互いのグループの顔合わせは済ませている。元の世界のイベントが立場を変えて再現されているようだった。
「家を知ってる仲……なんだ? あんたね、まさか有希にもちょっかい出そうって考えてるんじゃないでしょうね」
あらぬ想像でハルヒの表情が一気に険しくなる。何を一人で勝手に盛り上がってるのか、釣りあがった目は結構本気で憤っているように見えた。
待て待て。なんでそうなる。それに『にも』ってなんだ。今までモテた試しがない俺に対する嫌味かそりゃ。
「長門が持てないくらいの大量の厚モノを借りたもんだから、手伝って家まで運んでやったことがあったんだよ」
もっともそうな理由をつけてなんとか乗り切ろうとする。
あれこれでっちあげるのは性に合わないな。精神が擦り切れそうだ。将来間違っても弁で勝負する職業には就くまい。
「ふーん」と受け止めたとも受け流したともとれる曖昧なリアクションでハルヒは俺の目を真正面から見据えてきた。
505:乙女大戦!18
08/03/02 14:43:41 nvRV+YMT
嘘か真かを測ってるような視線に耐えかねて俺は話題を変える。
「北高での生活はどうだ。よろしくやってるのか?」
「当然! 有意義に謳歌してるわ。新入部員の勧誘も終わって一段落ってとこかしら」
「そのルーキーの姿が見えないようだが……」
「最近の若い子はてんでダメね。想像力が無いっていうか、面白みに欠けるっていうか、そのくせ自信だけはあるのよねえ。根拠はないくせして。十人ほど部室を訪ねてきたけど、選考で全部脱落したわ」
変わらずの傍若無人っぷりに苦笑を返してやる。必要以上に緩みそうになる頬を抑えながら。
無茶な選考審査を誇らしげに語るのは実にハルヒらしいと言えたが――、少し調子が上ずっているというか、空元気が透けて見えるのは深読みしすぎか。
しかし、それを否定するかのごとくハルヒは一気に遠慮がちに沈んで、
「キョンは……、どうなのよ? 光陽園で楽しくやってるの?」
神妙な表情で顎を引いて上目気味におずおずと伺うように返してきた。
なんとでも答えることができたが、尋常でないハルヒの雰囲気に気圧されて、
「まぁな……」
と、相槌を打つに留まった。
妙な間が空いて静まり返る。再び長門が規則的に箸を進める音のみを聞く時間が過ぎた。
「へ、変な噂を聞いたのよ。キョンと佐々木さんが付き合い出したって。春先に紹介してもらったときは全然そんな風には見えなかったわ。
全然よ。よく一緒にいるだけなのに、すぐに恋愛関係と結びつけちゃう人ってどれだけ短絡思考なのかしらね。ドラマやゴシップ記事に毒されすぎなんじゃないかしら」
…………。
「その方が面白いからって思ってるんでしょうけど、そういうのを下衆の勘ぐりって言うのよ。一緒に居る男女を見つけては恋愛の枠に嵌めこんで関係を画一化して見るしか能がないなんて、その発想の貧困さに同情しちゃうわ」
…………。
「まったく、ふざけてるわよね。……だ、だからね。噂をされてる当人にとっては不愉快も甚だしいと他人ながらあたしは思ったのよ。佐々木さんもあんたも迷惑を被っているんじゃないかって。そういう噂を喜んで流している人間の神経を疑うわ」
…………。
ハルヒの発言だけが一方的に続いた。正確には俺が続かせてしまった。
気まずいのか早口で捲くし立てるような述懐だったが、ハルヒは随所で言葉を切って俺の返答を待つ間を作っていた。にもかかわらず、俺は何も返せなかった。
俺と佐々木は付き合ってる……、ことになっている。それは確かに事実ではあるが経緯を知らない俺にとっては現実感がひどく希薄で、堂々と言い張ることができなかった。
本当だけど本当のような気がしない、だけど嘘は容易につけない。
そんな困り窮まった状況だった。その結果、無言を貫くしかなかった。
「ほ……、本当なの?」
否定の誘導を否定されたハルヒは、自ずとそれが真実であることを悟ると、……それから口を閉ざした。
カチャリ、と長門が箸を置いて、部屋に在った唯一の音が消える。
完全なる静寂が部屋を統べていた。
「それでは失礼します」
「さようなら。気をつけて帰ってね」
「…………」
マンションの玄関前で三人と別れる。他人行儀ではあるが、和室で顔を合わせたときよりもほんの少しだけ和らいだ表情で朝比奈さんと古泉と挨拶を交わす。
だが一番俺と親交があるはずのハルヒの様子が明らかに変調をきたしていた。
506:乙女大戦!19
08/03/02 14:44:10 nvRV+YMT
挨拶にも応えず、うつむいたままアスファルトの一点をじっと見続けていたハルヒを見兼ねて声を掛ける。
「ハルヒ?」
「あ、……うん。……じゃあね」
こんな調子だ。
弾かれたように頭を上げたハルヒだったが、その表情は魂が抜け落ちたように覇気が失われていた。
どうしてそんな悲しい顔をする、なんてのはひどい責任転嫁だな。
こうなっちまった原因は火を見るよりも明らかだが―、未だ俺はどうすればいいのか分からない。どうすることもできないままだった。
反対方向に自転車を少しだけ走らせて振り返る。駅に向かって歩く三人の姿、とりわけ朝比奈さんに促されて去っていく小さなハルヒの背中に胸を痛めたまま、見えなくなるまで見送った。
あの後、長門の部屋で結局何をしゃべったのか覚えてない。当たり障りのない内容をとりとめもなく話した気がするが、具体的には話題一つ思い出せない。
話題の芽を作るハルヒが心ここにあらずという時点ですでに破綻していたが、俺もそんなハルヒを気に掛けていたせいかどこかそぞろで、雰囲気を壊してしまっていたな。
気を揉んで懸命に盛り立てようとしてくれていた朝比奈さんと古泉には申し訳ないことをしてしまった。
気落ちしたままペダルをノロノロと漕いで、マンションの裏手に回って小さな公園の前でチャリンコを止める。
時刻は六時。夕暮れ時で子供の姿もなく黄昏るにはおあつらえ向きだった。
ベンチに腰かけて時間をもてあます。
ふがいない自分が情けなくて今すぐにでも自室にこもりたかったが、先約が入っていた。
「十五分後にまた来て」
帰り際に俺だけに呟いた長門の台詞が耳に残っている。
目の前の出来事に対処するのに苦慮してすっかり頭の片隅に追いやっていた当初の目的を思い起こす。
うまく立ち回れない自分がやるせない。だが、そもそも異常な世界でまともに頑張ろうとするのが間違いなのかもな。
精神的にやられて、目的と手段がごっちゃになりかけていたぜ。
ここで宜しくやるのは、あくまでも世界を元鞘にもどすためだってことを肝に銘じとかないと。
少し早いがそろそろいくかと腰を上げたときだった。
堅い足音を地面に打たせて、夕日に伸びた長い影がゆっくり近づいてくるのに気づいた。
「こんにちは。久しぶり」
どこかで聞き覚えのある麗しい声に振り返ると―、栗色の柔らかそうなセミロングを踊らせた妙齢の女性が一人。
……まったく、今日はよく人と会う日だね。
朝比奈さん(大)が立っていた。
シンプルではあるが襟や裾に精緻な刺繍の入った純白のシャツに紺色のタイトスカートを合わせて、今日も見事に新任女教師風でいらっしゃる。
「そんなに驚かないのね」
目尻を下げて少しおどけてみせた。全年齢層あまねくXY遺伝子継承者のハート直撃の愛らしい仕草だった。
「公園のベンチ、と言えば朝比奈さんですから」
「もう少し華やかなイメージで意識してもらいたいな」
冗談交じりにお互い表情を崩すが、それは一瞬のこと、朝比奈さん(大)の表情が翳る。
相当に深刻な事態なのか表情が強張っている。とっかかりを作るために俺から本題を切り出した。
「昨年の暮れと同じく、また世界改変ですか?」
「実はまだ現象の解明ができていません。何らかの介入があったことに違いないけれど、前と同種のものではないというのが今の見解です。分かっていることは四年前に涼宮さんが作った世界はちゃんと残っているということだけ」
元が残っているということは上書きではないということか。
507:乙女大戦!21
08/03/02 14:46:00 nvRV+YMT
二つの世界が存在しているということから、素人考えで短絡的にパラレルワールドのようなものを連想した。
「もしかして、並行世界というものですか?」
「わたしもそう考えました。だけど、TPDDが返してくる情報から考えて、ここは分岐派生した時間平面ではありません」
改変でもなく分岐でもないってのはどういうことだ?
首をひねるばかりだったが、それを目の前で申し訳なさそうに佇んでいる本人に問うのはためらわれた。
「現象がよく分からないってことは今回の件はやはり既定事項じゃないんですか?」
「ええ……、少なくともわたしの記憶にありません。だから無関係……、と言い切りたいところだけど、これはあくまで暫定の判断なの。よく調べてみないと分からない。
わたしが来たのは、この微小な時空震に伴う未知のイレギュラーに関してリスク評価と現象の解明を行うためなんです」
朝比奈さん(大)の表情は真に迫っていた。
あくまでもポジティブなニュアンスで話をしているが、真顔でリスク評価なんて言葉が出てくるあたり、なんらかの危険性が潜んでると考えた方がいいんだろう
俺自身の危機管理で手一杯だったが、ここにきて血の気が失せる。
よほど辛気臭い表情を晒していたのか、朝比奈さん(大)は「迷い人になってるキョンくんを見過ごすこともできないしね」などと、少しおどけた様子で付け加えてくれた。
お心遣い、痛み入ります。
ここでふとした疑問に突き当たる。
朝比奈さん(大)は窮地のときいつも俺を導いてくれたが、都合よく俺の前に現れることができたのは彼女のみ知る既定事項という名のチェックポイントに基づいてのことだ。
だが、今回は勝手が違う。
「よく俺が元の世界の記憶を引き継いでるって分かりましたね」
「―っ、すごい。鋭い質問です」
朝比奈さん(大)はただでさえ大きな眼をくりくりさせて驚くと、まるで教育番組のお姉さんのように優しく解説してくれた。
「情報を引き継いだ影響でキョンくんの周りの時空間が歪んでるの。そこから見当が付きました。それにいつもキョンくんはこういうトラブルの目だから」
前半の理論よりも後付けの方が妙な説得力があるのが遺憾だね。
しかし時空の歪みだって? なんだか危なそうな話じゃないか。まったく無自覚なのが余計に怖いぜ。それって自他共に平気なんですか?
「歪みの量は微小だから許容範囲だと思います。歪み自体もしばらくしたら収束するだから大丈夫」
もしかして藤原が位相がどうのって言ってたのはこのことか?
「TPDDの補助機能で探知できるの。この時間平面上で事情を知る人を探していました。その内わたしが直接つきとめたのはキョンくんと―」
言葉半ばで朝比奈さん(大)は向かって正面に聳え立つマンションを見上げる。
「―長門ですか」
「そうです。ばらしちゃうと、ここではTPDD の機能が制限されていて、わたし一人では何もできそうにないの。だから、協力してくれる人が必要なんです」
結局、長門頼みってことか。毎度のこと頼りっきりだな。
「力不足でごめんなさい。長門さんに相談に乗ってもらうしかないと思います。あそこに住んでる長門さんがわたしの知ってる長門さんだという前提条件がありますけど」
「大丈夫ですよ。今回の件について説明したいって言ってました」
「良かった。やっぱり話ができる人がいると頼もしいです」
朝比奈さん(大)は胸元に手を添えて大きく息をついた。
508:乙女大戦!22
08/03/02 14:46:45 nvRV+YMT
どうしても豊満に押し上げられているバストに目が行ってしまう。
よくもまぁこんな状況で、と理性の呆れ声を聞いてあわてて視線を引き剥がした。
わざとらしく咳払いをして、
「行きましょう」
歩みを促した。レディーファースト。せめてもの償いである。
少し面食らった様子の朝比奈さん(大)だったが、微笑んで従ってくれた。
伸びた彼女の影を踏まないように気をつけて、後ろに付き従って歩く。
しかし、まったく一体何がどうなってるのやら。
SOS団裏の双璧が揃ってようやく光が差し始めたのは喜ばしいが、聞きかじった限りじゃ相当に捻くれた状況に陥ってるとみえる。
とにかく長門の話をよく聞こうじゃないか。質、量ともに理解できる自信が持てないが、情報を仕入れないことには先に進めない。
脳みそにエールを送る。授業をサボリまくった分、しっかり気張れよ。
「上がって」
一見平然と思われる無駄のない様で俺たちを迎えた長門だったが、玄関の敷居でつまずき慌てて抱きとめた。
今日初めて長門に触れたが、その熱っぽさに面食らう。
お粥を食ってるときの旺盛ぶりから少し元気が戻ったかなどと思っていたが、とんでもない楽観だったみたいだな。
「大丈夫」
何が大丈夫だ。無理しやがって。
あくまで一人で行こうとする長門を制して、しゃがんで肩を貸した。
強引に連行すると長門は抵抗せず、目隠しされたヤンバルクイナのようにおとなしく身体を預けてくれた。
長門の身体はガラス細工のように華奢で全然負担にはならなかったが、逆に力の加減に困った。血管が透けるような肌は儚い程に白く、こうやってしおらしくされると消えてしまいそうで不安になる。
黒真珠のような両眼をしかと開けて、俺の横顔を見ている長門と目が合う。
こら、ちゃんと足元を見ろ。
そんな忠告も聞かず、布団に寝かしつけるまでずっと長門は俺の顔面に視線を突き刺していた。
朝比奈さん(大)が掛け布団を整え終えて、長門の傍に腰を下ろした。倣って俺も座る。
「あの……、突然の訪問、ご迷惑じゃありませんでしたか?」
「気にしていない。わたしもあなたと話がしたかった」
緊張してるのか朝比奈さん(大)は長門の台詞を聞いて一旦胸を撫で下ろし、大きく息を吸い込むと一気に本題に入った。
「長門さんはどのような経緯でここに?」
正座して神妙に述べる朝比奈さん(大)を、長門は布団の中から見上げて、上がり加減の呼吸の合間を縫うように細い声で返した。
「……結論だけを言語化するのは非常に困難。今回の改変のメカニズムから説明することを提言する」
「どうぞ長門さんのやりやすい形で話してください。それにしても、改変……、ですか? 一体どこで……。STCデータが改ざんされた形跡はなかったはずなのに…………」
「あなたの言っていることは正しい。改変実行者は時間平面への直接干渉ではなく、……定義座標を新設することで、当該時空間を成立させた。わたしは座標系の解析を敢行して二重定義を回避した」
「……それって、一つの時間平面に情報を定義する座標系が二つ設定されているということですか?」
「その通り、二十四日以降の時間平面が二重定義されている。……改変実行者は新座標系を定義するという今までにない形式で改変を実現させている。あくまで定義だけの問題。……ゆえに、情報の変更を監視する手法では改変の検出は不可能」
「そういうことだったんだ、だからTPDDの座標が……」などと、朝比奈さん(大)が納得したように一人ごちた。
509:乙女大戦!23
08/03/02 14:47:11 nvRV+YMT
飛び交う用語はよく分からんが、これってつまり、見方を変えるという意味で二つの世界が認識されているということなのか?
説明に詰まった長門の代わりに朝比奈さん(大)が答えてくれる。
「その理解でいいと思います。もう少し分かり易く言うと……、そうですね。ルビンの壷って知ってる? 視点を変えることでただの壷のように見えるし、人が向かい合ってるシルエットにも見える有名なだまし絵」
名前は知らなかったが、説明ですぐに分かった。いつぞやの教科書で習った覚えがある。似たようなので若い婦人と老婆の組み合わせのものもあったな。
「前に時間の流れはパラパラ漫画で説明できるという話をしたと思うけど、その例で言えばページに書いてある絵が二つの見方ができて、それぞれ別のお話が書かれている……、そんな風に言い表せるんじゃないかって思います」
そんな高度なパラパラ漫画があるなら是非見たいもんだ、という皮肉めいたジョークはさておき。
朝比奈さん(大)の説明のお陰でかなりイメージが明瞭になった。
つまり情報を書き換えたのではなく、認識だけの問題ってことか。間接的な改変と称するのが適当かもしれない。
何が起ってるのかは分かってきたが、肝心なことを追究し忘れていることに気づく。
ずっと目を逸らし続けてきた真因と向き合う時はまさに今。
意を決して俺は訊く。
「その改変実行者ってのは、一体誰なんだ?」
長門の血色の芳しくない薄い唇が親友の名を紡ぐ。
名字で呼び捨ててばかりいるため、馴染みの薄いフルネームは一瞬赤の他人のように聞こえたがそれはただの現実逃避。
心の中でなぞって確かにあいつの名前だと思い知った直後に、拒否反応を示すがごとく、心拍は不正に脈打ち、顔面の血の気が引いて視界が狭窄した。
なぜ、世界を創り変えるなんて乱心に駆り立てられた?
お前はいつだって毅然と論理的で俺の知る友人の誰よりも思慮深かったはずだ。
なぜ、俺とお前の取り巻きだけ改変せずに連れてきた?
自分の都合の良いように俺やあいつらの性格だって変えることができたはずだ。
なぜ、お前自身の性格をあんな風に変えちまったんだ?
俺の前だけで見せていた中性的で妙な振舞いはお前の本意でやっていたはずだ。
そして――、
なぜ、俺とお前の関係を恋人なんてことに置き換えた?
俺を親友だと評したのは友人としての俺を高く買ってくれていたからのはずだ。
べき乗で襲ってくるなぜが苦しいほどに悩ましい。
それが佐々木の望んだことだから、と答えて退けるのは意味がない。
すべての疑問の深くに潜む根源的な理由を俺は欲していた。
「キョンくん、大丈夫? 顔が真っ青です」
朝比奈さん(大)に揺らされて我に返る。
自分ではそんなにひどい顔をしてるように思えないんだがね。内心のショックが顔に出ちまってるってことか。
見当はついていたにもかかわらず、真実を目の当たりにして俺は相当に打ちのめされていた。
「平気です。……少し、考えに耽ってただけですから」
単なる強がりであることは簡単に悟られて、朝比奈さん(大)はなおも俺のことを気遣ってそのまま少しインターバルを入れてくれた。かっこわりい……。
深く息を吸い込んで心を落ち着かせる。
……ともあれ、圧し掛かっていた疑問は晴れた。
510:乙女大戦!24
08/03/02 14:48:10 nvRV+YMT
見苦しい姿をこれ以上見せるわけにはいかない。原因と現状が把握できた以上、対処に動かねばなるまい。
「しかしまた、どうしてこんな手の込んだことをあいつはやったんだろうな」
「おそらく天蓋領域、周防九曜が、……介入したと推察される。目的は改変の発覚を隠蔽するため。……情報フレアの観測を、独占することと推察される」
そういう話か。事実、朝比奈さん(大)や藤原もこの事実には気づけていなかった、いわんや機関の連中をや、だろう。
悔しいが先手を握られてしまっている。
まともに生命活動を営んでいるかも疑わしいほど存在感がないくせして、やることは抜け目なくちゃっかりとは、こいつはとんだくわせモノだ。
長門、お前の体調が悪いのは、もしかしてあの能面野郎がよからぬことを仕掛けてきているせいか?
「……そうではない。二つの座標系を観測するために大半のリソースを投入している、そのためにパフォーマンスが低下しているだけ。同時観測は予測していたよりも大きな負荷がかかる」
少し喋りすぎたのか、長門は大きく息をついて目を閉じた。
それって間接的とはいえ、やっぱり九曜のせいでお前が迷惑を被っていることじゃねえか。
やり場のない憤りを隠せないでいたが、朝比奈さん(大)が長門の解熱シートを貼り替えたのを見て我に返る。
長門が身を削ってまでがんばってくれているのに、くすぶっててどうする。
「長門、俺は世界を元に戻したい。原因を突き止めて、やり直せるならやり直して、こんなことをやからしたあいつを問い詰めて、分かるまで話し合いたいんだ」
「賛同する……、ただし、わたし達に残された時間は長くはないかもしれない」
残された時間……だと?
「新設情報定義座標は未熟で欠陥を内包している。例えばあなたのように一元的定義に失敗している情報が混在している。これらのエラーは致命的。時間の経過とともに級数的にエラーが増大していく。最終収束点は、……全宇宙を巻き込んだ崩壊」
朝比奈さん(大)がビクリと身を震わせた。
まさかの危惧が現実の危機に変わっちまうなんてな。なんてこった。
物騒すぎる話に激しい動悸を感じながら、俺はただ二人を見守ることしかできない。
「それで期限は……、いつなんですか?」
「目下、情報思念統合体が解析中。現在、二十七日未明と見込まれている」
朝比奈さん(大)と二人並んで絶句する。雪だるま式に積み重なっていく難題に圧し掛かられて、うな垂れる首の角度はそろそろ下限ギリギリだ。
そんな折、俯角から差し込んでくるような強い視線を感じた。
その発信源を手繰ると、揺るぎのない漆黒の虹彩に迎え入れられる。
打ちひしがれる俺と朝比奈さん(大)とは対照的に、長門の表情には一片の弱気も見当たらない。酷い熱に浮かされても生命力に漲って威風堂々、頼もしくすら映るぜ。
そんな圧倒しきりの俺を前に、長門は意を決したように緊張を僅かに宿らせた面持ちで言葉を紡ぎだす。
「……わたしに提案がある」
//////////
η‐1
音の無い無重力空間を浮遊しているような感覚がした。
思考に靄がかかっていてまとまりがつかないが、無為に意識を漂わせるのは何にも換えがたい安らぎがある。
だけどこんな風に夢見心地を有り難がるのは決まってそれが終焉に近づいているときだ。
つい最近も似たようなことを体感したような気がする。
それはいつだったか―、そう考えることが呼び水になって悠長に寝ぼけている場合でないことを知る。
ぐんぐん意識はクリアになって、瞼の裏に光を感じると同時に顔を逸らして目を覚ました。
強烈な朝日のカウンターパンチをウィービングでかわす。悪いがお前さんの手の内は読めている。
記憶がある。
511:乙女大戦!25
08/03/02 14:48:36 nvRV+YMT
珍しく自然に目覚めた朝、光陽園の制服、同じクラスに居た佐々木、音楽室での昼食、高熱で床に伏せった長門、突如現れた朝比奈さん(大)、他人行儀でぎこちない態度のSOS団の連中、うな垂れたハルヒ、そして、――意を決して臨んだ時間移動。
すべてクリアに思い出せる。
ベッドから飛び起きて真っ先にハンガーラックに向き合った。
中に掛けてある制服を引っ張り出すと―、そこにあったのは見慣れた北高のブレザー。
念のため内ポケットに入れてある生徒手帳の中身も検める。隅から隅までまさしく俺の正しい個人情報が踊っていた。
次に学習机の上に置いてある携帯を開いてアドレスをチェックする。
……ある。朝比奈みくる、古泉一樹、涼宮ハルヒ、……もちろん長門有希も。携帯を所有して以来、機種変を経て俺がちびちび登録を重ねてきたデータが過不足なく揃っていた。
日付は変わっていない。俺の頭がどうにかなっていなければ二回目の五月二十四日だった。
そう、頭がどうにかなっていなければ……、だ。
そう考えて一抹の不安が過ぎった。
俺のこの記憶が夢や妄想、幻覚の類である保障がない。だが、それはすぐに裏が取れる。
表示させていた長門の電話番号を俺は呼び出した。
計ったように二回のコールで繋がる。
「俺だ。おはよう」
「……」
「朝っぱらからすまん。寝てたか?」
「起きていた」
「以前お前の家で三年ほど寝かせてもらったこと、覚えているか?」
「……覚えている」
淡々と会話が進むが、俺の心拍は寝起きから全開で激しく十六ビートを打っていた。おかげで頭は冴えているが、循環器系に無理させていることに間違いはない。
ここまでは予定調和。次の質問で全てが判る。
「今の質問をお前にするのは何回目だ? あくまでお前の主観で答えてくれ」
夢で済むならそれに越したことはなかった。あんなリアルな長編フィクションを作っちまうほど自分が夢見がちだったことにショックは隠せないが、何もない平穏な毎日が在り続けるならそれ以上望むことはない。
だが長門が返して寄越したのは、
「二回目」
俺の最後の甘えを断ち切るシビアな現実。
吸い込んだ息が一瞬詰まったが、いよいよ腹をくくると肺で温めた吸気をゆっくりと吐き出した
やれやれ、やっぱりそう来るか。
「首尾は良好だ。体調はどうだ?」
「……変わりはない」
抑揚が感じられない発音の端々に息遣いが感じられる。酷い高熱を患っていることが電話越しにも窺えた。忍びないな。
「長門は自宅待機でいい。気休めにしかならんかもしれんが静養しててくれ。こっちでもきっとハルヒが放課後に見舞いに行くと言い出すだろうから、その時に会おう」
「了解した」
電話を切る。
512:乙女大戦!26
08/03/02 14:49:04 nvRV+YMT
解けかかった緊張を完全にほぐすために大きく伸びをした。爽快が身体を突き抜ける。味気のない自室の空気が美味しく感じられた。
やはり長門と朝比奈さん(大)がコンビを組めばこれ以上に心強いことはない。
長門のナビゲーションサポートの元、朝比奈さん(大)のTPDDを使って座標系を越えて俺を時間移動させるという試みは見事成功。おかげでこうやってもう一度北高のブレザーに袖を通すことができた。
厳密に言えば俺自身が戻ってきたわけじゃない。戻ってきたのは記憶という名の情報だけだ。
長門の情報操作により、元の座標系で二十四日午前七時に生きる俺は、あっちの座標系で二十四日午後七時に生きていた俺と記憶の同期をとっていた。
主観では戻ってきたという錯覚がどうにも拭えないが、記憶を改ざんが行われただけで状況はなにも変わっちゃいない。
見えないところでもう一つの世界が展開されていて、全宇宙は変わらず危機に瀕したままだ。
だが、座標系をまたいで時間移動が可能であると証明された今、突破口は切り開かれた。
二人の尽力を無駄にしないように今度は俺が頑張る番だぜ。
ドタドタと階段を駆け上がるけたたましい音を聞くと同時に、ネクタイを締めて着替えを終える。妹よ、一足遅かったな。
完全に機先を制して迎撃は万端。俺はドアのノブを握って小さな急襲者を待ち受けた。
古ぼけた木造校舎の廊下を一人歩む。
昼休みはまだ始まったばかりで全校生徒一斉にランチタイムに突入していた。教室と食堂に人口密度が集中して、窓から見下ろすグラウンドの人影は疎らで水を打ったように静まり返っている。
購買で今頃繰り広げられているであろう争奪戦の阿鼻叫喚も、昼休みの校内放送もここまでは届かず、部室棟は静けさに包まれていた。
飽きの入った教室と時間割、代わり映えしない谷口、国木田コンビのツラ、そしてシャーペンで背中を突付いて気安く茶々を入れてくるハルヒを陰でありがたみながら、午前中の授業をつつがなく終えた俺は弁当を持って文芸部室に向かっていた。
初夏にはまだ早い時期だが、窓越しの南中の陽気は強く、緊張のせいで熱を帯びた身体が汗ばんでいる。首筋と襟の隙間に指を突っ込んで少しタイを緩めた。
これほど張り詰めた気持ちで部室に向かったことなんてかつてあっただろうか。そう思うのも無理はない。
俺が今から打ち明けることは、事情を知らない人間にとっちゃ頭に芥子の花でも咲き乱れてるんじゃないかと疑われて然るべきの内容なんだからな。
表裏一体で競合する二つの世界を統べる神々はどちらも女子高生で、放っておくと数日足らずで共倒れに崩壊してしまうんです――。
現状を究極に噛み砕いてやればこんな内容になる。
あの長門が言うなればこそ信じることができたが、その強烈な度が入った色眼鏡を外せば、こんな与太話、誰がまともに取り合うだろうか。紙芝居で語っても幼稚園児ですら相手にしてくれなさそうな気がするぜ。
気が重いな。
超常現象に免疫のあるSOS団の身内相手でも、いきなりこんな話を持っていくのは気が引ける。
さんざん熱く真剣に語ったあとに、思いっきり冷めた視線を一身に浴びた日にはもう立ち直れそうにない。
特にあの慢性愛想笑い野郎から表情が消えたりしたら、なんて想像するだけで薄ら寒くなるね。朝比奈さんの引きつりまくった苦笑よりもクるものがある。
不安を抱えたままとろとろと歩みを進めて、とうとう部室の前まできてしまった。
もはや内容そのものはどうにもならん。俺ができることは上手にプレゼンすることだけだ。
大きく一回深呼吸。弱気を追い出して腹に力を呼び込んで俺はドアを開けた。
「あ、キョンくん」
まず俺を迎えてくれたのは、鼓膜を沁み渡す愛らしいエンジェルハニーボイス。
お盆に急須と湯のみを乗せて今まさに給仕中といった様だ。昼休みでさすがにメイド姿ではなかったが、制服にエプロンというのもこれはまた違うベクトルで熱いものが感じられる。
軽い会釈で応えると朝比奈さん(小)は微笑んで、「ちょっと待ってくださいね」と、パタパタと上履きを鳴らしてお茶汲みに戻った。
部室の中央に置かれた長机には古泉がすでにスタンバっており、器用にもポーズを作ってくつろいでいる。
何度繰り返したかも分からないありふれた日常の光景に触れて、少しこみ上げてくるものがあった。
一日そこそこ空いただけなのにな。
こうやって二人と顔を合わせて、改めて向こうの世界とこっちの世界の違いが感じられた。人間が纏っている雰囲気や印象ってのは相手との距離感で決まるんだな。
513:乙女大戦!27
08/03/02 14:49:32 nvRV+YMT
入り口で揃ったままになっていた足を進めて、指定席となっている古泉の対面に腰を下ろした。
「お待ちしてましたよ。あなたが一同を呼び出すなんて稀有なこともあるものですね」
本当に待ちきれなかったのか向き直るやいなや、しかしあくまでも穏やかな調子で古泉が語りかけてきた。
今回ばかりはいつもと逆になっちまったな。それだけのっぴきならない事情があるってことなんだよ。
「聞くところによれば長門さんが学校を休んでるそうです。あなたの呼び出し、そして長門さんの欠席、意味深過ぎてなにやら話を聞くのが怖くすらありますね」
いい勘してるよ、と皮肉でもなんでもなく褒めてやる。
まったく殊勝な心がけだね。そうだよ、俺がこうやって駆けずり回らなきゃならんときは決まって厄介ごとに首を突っ込まされてるときだ。碌なことがあった試しがない。
「ハイ、お茶ですよ。今日は有機栽培の茶葉を使ってみたの。健康にいいんだって」
ありがとうございます。
この若さで健康ブームに興味はないが、朝比奈さん(小)はきっと俺の心身を労ってこの銘柄をチョイスしてくれたに違いない。
手前勝手に感動しつつ熱い緑茶を啜る。緊張で乾いた喉が潤って心底落ち着けた。
さて、どこから話そうか。切り出しどころを探っていると、
「あ、あのっ」
意外にも隣から先制がかかった。
どうしました?
「わたしには連絡が来ています。その、上の人から今日の朝に突然伝言をもらって、キョンくんの身の回りにあったことを知りました。だからあたしに気を遣わないで話して」
どういう手段で連絡をとったのか定かではないが、俺の記憶が転送できたくらいだ。応用で伝言ができてもなんら不思議ではない。
朝比奈さん(大)が俺を送り出す前にテストをやっていたが、もしかしてそのときに仕込んでくれたんだろうか。なにはともあれ……できる御仁だ。
ともかく助かった。
同じ電波スレスレの妄言じみた経過を無から説き伏せるにしても、単独と証人付きじゃ説得力に雲泥の差が出るからな。
一人じゃ熱く語れば語るほどどつぼにハマること請け合いだけに、このフォローはかなりありがたい。
「おやおや、どうやら知らないのは僕だけということですか。本来いち早く異変に気づくのが僕の領分だと自負していたんですがね。察知できず情報を取り遅れていたなんて恥ずかしい限りです」
いつも無駄に爽やかに緩んでいる古泉の口許が締まっていた。
本気で自分を責めているとしたらお門違いだぜ。今回の件はお前の力を越えたところで起こったことなんだ。
お前には知恵を貸して欲しいと思ってる。
「どうやら想像してたよりもずっと深刻な事態のようですね。心して伺いましょうか」
座り直して古泉が向き直る。神妙な顔つきで見守られた空気を割って俺は切り出した。
朝比奈さん(小)を前に、朝比奈さん(大)の存在を語るわけにはいかず、『上司と名乗る人』とぼかして説明する手間があったものの、内容そのものの説明には支障を来たさず、弁当に手をつけずに昼休みの半分以上を使って一通り話し終えた。
そして、場に残ったのは沈黙。
「…………」
古泉は誰とも視線を合わせず、何もない机を凝視したまま考え込んでいる。
口達者で頭の回転もそこそこのこいつがノーリアクションとは珍しい。
514:乙女大戦!28
08/03/02 14:51:04 nvRV+YMT
逆を言えば古泉をも黙らせるほどのインパクトがあったと考えるべきなんだろうな。
「少し確認させてください。一回で聞き分けるのが信条なんですがね。どうも動揺してるせいか理解がまとまらない。あなたの話は一連の物語としては把握しました。直面している問題について要点を絞ってもう一回だけ」
一回と言わず、お前の理解が進むのなら何度だって繰り返すのは厭わん。
事象を平易に表現するためにあくまでもイメージで話すと一言断って、古泉は整理にとりかかった。
「昨夜未明に僕たちが居る『ここ』とは違うもう一つの世界が創造された。仕掛け人はあなたの旧友である佐々木さん。ただし、周防さん一派が関与して現象をコントロールしている可能性が高い。
長門さんの見立てでは二つの世界は相互干渉があって、数日以内で滅亡を迎える。どういうわけかあなたは新しい世界に迷い込む羽目になってしまったが、
事情を知る長門さんと朝比奈さんの上司の助力を仰いで戻ってきた。世界の在り様を元に戻すために」
古泉は独り言のようながら、俺と朝比奈さん(小)の目を交互に見据えて指で拍子をとって一つずつ確認をとる。
そこまでは正にその通り。
干渉云々の細かい理論は説明できないがな。俺や佐々木の取り巻きの記憶が引き継がれたことが影響してるらしいが詳細は伏せる。中途半端な情報は混乱を招くだけだ。
「……素朴な疑問があるのですが」
何だ?
「時間移動が可能であるのなら、昨夜未明まで遡行して未然に防いでしまえばいいのではないですか?」
「どういうわけか今日以前の時間平面がロックされているんです。だから目的のポイントに飛ぶことができません。キョンくんの話から考えて、九曜さんがブロックしてるんだと思います」
専門分野とばかりに朝比奈さん(小)が答えてくれた。
そう言うわけだ。まぁ、誰だってそこに目をつけるよな。俺だってすぐに思いついたくらいだから、裏を返せば盲点にもならんってことさ。でなきゃ、こんなややこしい真似してないぜ。
なるほどと軽く相槌を打って、古泉は横道に逸れた話を元に戻した。
「長門さんが提案した解決策は二世界間で情報フレアなるものを相殺させることでしたよね。そのためにはタイミングを合わせて閉鎖空間を同時展開させる……」
そうだ。さっき俺が長門の受け売りで伝えたことそのままだな。
古泉は眉間を狭めて再び考え込んだ。
心境は痛いほどに分かる。この表現では抽象的すぎて何をどうしたらいいのかが見えてこない。
俺だって向こうで長門に何度も具体的な指示を仰ごうとしたさ。だがどうやってもこれ以上の言葉を引き出せなかった。
長門は理解しながらも的確に表現することができないと言った風で要領を得ず……、最後には、
「元座標の古泉一樹に尋ねるのが適当」
と、目の前のインチキハンサムに回答を委ねたのである。
なぜお前に白羽の矢が立ったのか分からんが、実際に聞いてみてどうだ?
515:乙女大戦!29
08/03/02 14:51:39 nvRV+YMT
俺にはハルヒと佐々木を不機嫌にさせて、故意に閉鎖空間を誘発させるという文脈しか読み取れなかった。
「その方針で合ってると思いますよ。いかにも僕の寿命が縮まりそうな提案はいかがなものかと思いますがね。まぁ、それはさておき……」
苦笑をしまいこんで真剣に思考に耽る。表情は苦悩に満ちているが、その様は少し楽しんでいるかのように見えるのは気のせいじゃないだろう。根っからの推理好きのようだからな。
「……相殺という言葉にヒントが隠されてる気がしてなりませんね。つまり……、涼宮さんと佐々木さんの世界改変パワーを打ち消すってことでしょう。そうするからにはお二方の力のベクトルは真逆でなければならない、そうなれば―、そういうことか」
閃いたように古泉は細い瞳を瞠って手を打った。
もう解けたってのか? お前の類推を重ねる能力には今回ばかりは敬意を表するぜ。
長門がここまで的確に古泉の能力を測れていたのも驚愕もんだ。
朝比奈さん(小)と同時に固唾を呑んで続きを聞き入る。
「よく考えてください。あなたは向こうの世界で佐々木さんと恋仲であると言いました。そして僕たちの居る世界では涼宮さんは…………、あなたに強い関心を抱いている」
古泉はシニカルに唇を歪めて見せた。余裕が出てきた途端に急に憎さが有り余る。
一体その溜めの言外に何を言いたいのか知らんが、俺の表情をいちいち窺わなくてもいい。
「いえいえ言葉は慎重に選ぶべきです。少なくともこの表現に誤りはないでしょう? いいですか? 人物相関を比べてみてください。逆になってるんですよ。涼宮さんと佐々木さんの配置がね」
確かにそうだな。ここじゃ佐々木は中学時代の旧友でハルヒと知り合ったのは高校入学以降だが、この関係が向こうじゃ逆になっている。
だがこれがどうした?
「まだ気づきませんか? 関係というものは相対的なものです。ある人物を軸にしてこの関係は成り立ってるんですよ。それが誰かなどは……、愚問の他なんでもない」
そう言い放って古泉は肘をつくのをやめて、パイプ椅子の背もたれに背中を深く預けて身体の力を抜く。
顔面には平素と変わらないどこまでもノリの軽そうな笑みが貼り付いていた。
……さすがの俺もここまで言われればピンの一つや二つは来る。
頭が痛い。つーか、さんざん深読みして考えていた俺がばかみたいだ。
待て古泉、これ以上は蛇足だ。
放っておくととんでもなくしょうもないことを言い出しそうな雰囲気がお前からプンプンしやがる。
「双方のベクトルはあなたを軸として対称でなければならない―、長門さんが言い淀んだのも分かります。これは非常に表現が難しい。しかし幸運なことに僕はあなたに冠するに相応しい称号を思いついてしまいました」
俺の牽制など何処吹く風、ニヤケ面のおしゃべりは首を振るだけで止まらない。
「つまり―、」
いい。言わんでいい。
「―二元女誑し」
片目を瞑ってこれ見よがしに言いやがった。お前、間接的に自虐ネタだって分かってやってるんだろうな? だったらいい根性してるよ。
516:乙女大戦!30
08/03/02 14:52:19 nvRV+YMT
傍らで全く分かった様子もなく口許に手を当てて首を傾げまくってる朝比奈さん(小)だけが救いだな。癒される。
食べそびれた弁当をそのおしゃべりのすぎる口にねじこんでやろうかという衝動を朝比奈さん(小)に免じて抑え込んでいると、「それはそうと……」などと、急に改まる。
「あなたにお願いごとがあります」
まだ言い足りないのか? と更なる揶揄の予感に身構えるが、俺の見当は外れることになる。
会話を取り違えたような頓珍漢な提案を対面のさわかやもどきは真顔で切り出した。
//////////
σ‐2
まるで意識をミキサーで掻き混ぜられているかのような酷い眩暈がした。通常の時間を移動に伴うそれと比べて五割り増しで強烈だぜ。座標系を越えるという重い関税が乗っかってるってことなんだろう。
ピークには脳髄を突き抜けるような吐き気を覚えたが、腹筋を引き締めて耐えぬいた。一刻も早い収束を願いながら歯を食いしばる。
―。
――。
――――。
揺らぎが治まって目を開けると、手の中に柔らかいものがあるのに気づき、次いで芳しいリンスの香りが鼻先を掠めて、俺は朝比奈さん(大)の手を握って向かい合ってることを自覚した。
反射的に飛び退くが、すぐに後悔する。
……なんてもったいないことを。
「うふふ。……どうでした? うまくいった?」
愛でるような柔らかい笑顔に、心拍数がうなぎ上る。
まともに返事もできず、ばかみたいにただ首肯し、「よかったぁ」と安堵する朝比奈さん(大)を見届けて、ようやく状況が把握できてきた。
……場所は同じだ。マンションのリビング。
だけど、周囲の人物が入れ替わっている。
一分前まで長門と古泉に見守られる中、朝比奈さん(小)の手を握っていた。しかし、今、古泉の姿はなく、俺の目の前に居るのは朝比奈さん(大)。
環境の急転は心臓に悪いが、とにかく無事往復を果たしたってわけだ。
勇んで成果報告を告げようとするが――、一転、孤影悄然と立つ朝比奈(大)さんのばつの悪そうな視線に肩透かしを食らう。
朝比奈さん(大)が何を切り出そうとしてるのかが読めず戸惑った。
やれやれ、……とりあえず間違っても愛の告白じゃなさそうだ。
「とにかく心得たよ。安心し給え。きっと何人かは参加してくれると思う」
「ああ、じゃあそういうことで、よろしく頼む」
通話を切って携帯をポケットに突っ込んで一息つく。
適当に入ったカフェでスペシャルとは名ばかりの安っぽいブレンドを口にした。
苦味が身体に染み渡るように広がっていく。時空を駆けずりまわって心身ともにくたびれてるな。
元の世界で古泉の無茶な要求と折り合いをつけるのにも骨が折れたが、…………やっぱ、あれだな、戻ってくるなり聞かされた朝比奈さん(大)のサプライズが一番でかいダメージだ。
問題の激白についてここで愚痴の一つも言いたいところだが、どうせ奴らが来てから篤とプレゼンせねばならんのだ。二度唱えることもあるまい。
とにかく、見渡す先には九月の海に漂うくらげ並の密度で無茶が溢れかえってやがる。それを思うだけでうんざりできた。
ソファに身体を深くあずけて、テーブルの下で足を投げ出す。
正直休んでる暇はないんだがね。待ち時間は有効に使おうじゃないか。
時空をいったりきたりで、場所も時間の感覚もおかしくなって頭がボーっとする。
窓の外、夜の闇を切って行き交う自動車をぼんやりと見て過した。
そのまましばらく心身を弛緩させて、くつろぎが全身くまなく行き渡った頃合いに、光陽園の制服に身を包んだ女子が一人姿を現した。
「よぉ。そっちの首尾はどうだった?」
随分息せき切っているがどうした? 確かに呼び出したのは俺だが早く来いとは言ってないぞ。
「あなたってば、本当に非道い人ねっ。勝手に全部押し付けてエスケープしといて、そのしれっとした態度は何? 吹けもしないクラリネットを携えながら、長い部活の時間を乾いた笑みを浮かべてなんとかやり過ごすのに、あたしがどれだけ神経をすり減らしたかお分かり?」
肩を怒らせて唇をかみ締めて俺をねめつけてくる橘。
517:乙女大戦!31
08/03/02 14:52:59 nvRV+YMT
ぷんすかっ、という擬音が聞こえてきそうだな。
行き場のない怒りをぶつけるために息巻いて来たのは分かった。とりあえず少し落ち着いて座れ。後ろで控えてるウェイターのお姉さんが困ってるだろうが。
いきり立つ小娘をラテとナポリタンで宥めつかせて、何とか席に着かせる。
苦笑交じりの営業スマイルでオーダーを取ったウェイターを見送って、
「すまなかったな」
一言だけ謝っておいた。部活での惨状は画を浮かべるだけで気の毒さが伝わってくる。
「ったく、あの同盟宣言は一体何だったんですか? あなたこそどこをほっつき歩いてたんです? 呼びつけるくらいだからさぞかし有益な情報を提供してくれるんでしょうね?」
まぁ、そんツンケンするなよ。
お前さんがそうやって扮してる間、俺だって奔してたんだ。話すネタは山ほどあるが、……そうだな、まずは結論から行こうか。
「元の世界に戻ってSOS団の連中と会ってきた」
さすがにインパクトは十分。口を半開かせて、瞬きを何度も繰り返しながら橘は押し黙った。
「……今の話、本当なのですか?」
こっちの世界を離れて元の世界でやってきたことをかいつまんで話し終えると、ツインテール娘はヒネりのない合いの手を返してきた。
妄想を語って聞かせる趣味はない。だが、信じられないという心境は分かってやらんでもない。口八丁で何一つ証拠を見せてないんだしな。
「でも、そんな冗談みたいな話って……。要はこっちの世界で佐々木さんをフッて、元の世界で涼宮さんをフるってことなんでしょ?」
間違ってはないが、そのフるという表現はどうにも受け入れがたいね。それ以前に付き合ってる自覚がないんだからな。
それに、元の世界で宇宙人、未来人、超能力者に一般人を交えて協議して定めた方針は、別れ話をするというよりはどっちかというと、妬かせるというか、やきもきさせて動揺させるといったニュアンスが近い。
そのために俺は恋人以外の女子も口説くような気の多いプレイボーイを演じなければならない。……極めて不得手な演目だ。心得は谷口かと思うとさらにやる気が萎える。
「漫画みたいな話ね」と、橘は付け加えた。
まったくもって同感だ。全宇宙を救う手立てがこんな俗っぽい話でいいのか疑いたくなる。
だが、今さっき長門から聞いた最新予測じゃカタストロフの日時は五月二十七日午前一時二分。残り丸々三日しかない。
それはすなわち、最早やるしかないってことと同義だろう。
お前を呼び出したのは他でもない。
同盟を継続するか破棄するかの選択を問うためだ、
「うーん……、気になることが二つあります」
……なんだ?
「一つ目は、証拠を見せて欲しいということ。何か物を持ってくることは無理だってことは分かるのです。だけど、あたしをトランスポートさせて元の世界を見せることは可能でしょ?」
悪いがそいつは無理な注文だ。
どうしてと身を乗り出す橘に長門から聞いた話を遺憾ながらに説く。
518:乙女大戦!32
08/03/02 14:54:52 nvRV+YMT
聞いての通り時空移動の際、俺の意識と記憶は二世界間で同期がとられている。主観を合わせるために長門も俺と同じ時間感覚となるように同期をとっている。
長門は二世界を観測することに手一杯で、これ以上同期をとる対象を増やせない。
文句を言うなら九曜に言え、あいつが妨害してるせいで余計な負荷がかかってんだからな。
橘は唇を尖らせて悔しそうに呻吟する。
実を言うとリスクの問題以前に不可の理由があるんだが―、まぁ後で面子が揃ってからまとめてって形でいいか。
ともあれ。
お前には無理を承知で信じてもらうしかない。口先だけでこんな巫山戯たような話を分かってもらうなんて虫が良すぎることは重々承知だ。
橘は首肯も返事もせずに、視線を落として思いつめたまま俺の言葉を見送った。
イエスともノーともつかない、そんな態度だね。
沈黙を消化し、気を取り直して橘は再び口を開く。
「二つ目。佐々木さんを動揺させて閉鎖空間を誘発させるなんて言ってたけど、認識が違ってるんじゃないですか? 佐々木さんの閉鎖空間は常時展開されているのです。
四年前から佐々木さんの意識はぶれることなく安定してるのよ。ご招待して差し上げたはずです。あの平穏無事の世界をお忘れ?」
「矛盾したことを言ってるのに気づいていないのか? ここではもうその論理は通用しない。佐々木がもう一つの世界を創ったのは疑いようもない事実なんだぜ。これからは何が起こるか分からないと構えといたほうがいい」
客観的な事実を述べただけのつもりだったが、いたく気に入らないらしく橘は顔をしかめた。
「そんなことないのです。今日の部活が少し特別だったことを知ってましたか? みんなで音を合わせてみようって前々から決めていた日なのです。にもかかわらず、あなたも藤原さんも勝手に帰って約束を反故にした。
こんなの普通なら怒って当然のシチュエーションじゃない。でも、佐々木さんは『キョンは一体どこへ行ったんだろうね?』と呟いたくらいで、不機嫌な態度なんて億尾にも出しませんでした。
内面世界にだって少しも不穏な気配は感じられなかったし、変わらず佐々木さんの精神状態が安定してる証拠よ」
佐々木さんに失礼です、と言わんばかりに、弁護をまくしたてる橘。
そうだな、確かに決め付けの部分がある。その非は認めよう。
しかし佐々木の閉鎖空間の性質は見極めておく必要がある。
一つ提案がある。実験をしてみないか?
「……実験、ですって?」
しかめた顔を崩して、予期しない展開に驚く橘。
そうだ。佐々木がこぼしたその一言を突付いてみようじゃないか。
お前は今その答えを知ってるわけだろ?
確認した事実を包み隠さずメールで送ってみてくれ。
「……いいですよ。『北高の女子の家までお見舞いに行ってたみたいです』って送っていい?」
俺が縦に首を振ると同時に橘はフリップを開いてメールを打ち始めた。どことなくどん臭さを漂わす雰囲気を払拭するような激打ちで一瞬にして送信を終える。
俺の認識がどうであろうと、ここでは俺と佐々木が恋人の関係にあることは不動の事実だ。
彼女の約束より、他の女子の見舞いを優先するのは……、人間として正しいかもしれないが、彼氏としては間違ってると言えるだろう。
メールに目を通した佐々木が平素の神経を保ってられるかどうかは、正直分からない。橘が主張したように俺が知ってる佐々木は決して感情的になんてならない。橘が応じたのもそう信じてやまないからだろう。
だが、あの昼休みの洋菓子風の胸焼けするような甘ったるい雰囲気を鑑みれば……、やってみる価値はある。
まぁ、すぐに読むとも限らないから少し待ちだな。
519:乙女大戦!33
08/03/02 14:55:18 nvRV+YMT
視線を上げると、もう一人の待ち人がこちらの姿を見つけてレジ脇を通って近づいてくるのが目に映った。
「―どうやら面子が揃ったようだな」
「え―、藤原さん!?」
俺の視線を追って振り向く橘の目の前に、藤原が立っていた。二人の登場に時間差があるのは俺がそうさせたからだ。どちらも時間通りの登場である。
部活帰りで橘が制服姿だったのに対して、藤原は私服を着込んでいた。茶系のスラックスにサスペンダーって、今時分の高校生のスタイルじゃないが、細身で脚が長いせいか異様なくらいに似合ってやがる。
機嫌は相変わらずのどんより模様で、どことなく見下したように映るのは姿勢のせいだけじゃない。
「まさか応じてくれるとはね。中々に広量じゃないか」
佇んだままの未来人様を促してやると、黙ったまま橘の隣の席に腰かけた。
「最初に確認させてもらおう。あのメールに虚偽は含まれていないだろうな? もしも僕を呼び出すためのハッタリであったならこの場で席を立たせてもらう」
オーダーを取りに来たウェイターを追い払おうとした藤原を制して、俺の分も合わせて二つスペシャルブレンドを頼んだ。
まぁ、一杯くらいは飲んでいけよ。
藤原が言ってるのは俺が前もって送信したメールに関することだ。橘に今しがた告げた結論をしたためておいた。
橘にはもったいつける余裕があったが、こいつに関しては食いつかせないと平然とブッチしそうだったからな。
「安心しろ。そんな陳腐なかけ引きはやらない。時空間移動の手法は俺が説明するより、これを読んでもらった方が早いだろう」
長門の自宅で朝比奈さん(大)から預かってきたファンシーな便箋を手渡すと、抜き打ちテストの答案を嫌いな教師から受け取るかのごとく藤原は面倒くさげに四つ折を開いて、文面に目を落とした。
横から覗き込もうとした橘を片肘で牽制して、斜めに構えたままの奇妙な姿勢で。だが目だけは真剣に文字を追っているようだった。
五分くらいはたっぷりと見守っただろうか。
ちなみに俺は読んでいない。封をしていないので読もうと思えばできたが、あくまでも藤原宛なので覗き見るような真似はモラルに反すると思ったからだ。
内容が盛りだくさんなのか、何度も複読してるだけなのかは分からん。
藤原が顔を上げたのは、配膳されたブレンドからくゆっていた湯気が失せかけた頃だった。
「……ふん、無茶なことを……」
食い入るように熟読しといて、感想はそれっぽっちかよ。
朝比奈さん(大)からは長門との協調による今回の変則時間移動の他に、今までの経緯も簡単に記したと聞いているが、どこまで書いてあった?
「宇宙消滅の危機、それを阻止するための世界改変能力相克衝突の目論み、間もなく強制送還される朝比奈みくる自身の事情、俺に対する代役の依頼、までだ」
朝比奈さん(大)に感謝した。あの短時間でここまで的確な文章が書けるのは尊敬する。
520:乙女大戦!34
08/03/02 14:58:28 nvRV+YMT
俺が一から話しては要領を得ずに不必要に苛立たせただけだっただろうからな。
座標を隔てての時間往復の成功を喜んだのも束の間、ついさっき……、一時間くらい前か、朝比奈さん(大)が緊急用の脱出プログラムの自動発動で未来に強制送還されちまった。
時間の移動でイレギュラーが発生したときの安全装置らしい。元々無理に割り込んで来たようなものだからそれが適用されたってわけだ。
こいつに話があるのは他でもない、朝比奈さん(大)が帰ってしまった今、この世界でTPDDを持ってる人物は藤原しか居ない。
つまり、こいつをなんとしてでも説得して味方に取り込む必要があるってわけなのさ。
昼休みには情報不足で一度は袂を分けたが、今は事情が違う。目的も決まってるし、それに向かう手段に加えて朝比奈さん(大)の推薦状もある。融通の利かない頑固者相手でも話ができると踏んでいた。
「世界を越えるにはお前のTPDDが必要なんだ。力を貸してくれないか?」
持てる限りの誠意をぶつけた俺の嘆願。だが、藤原は目を細めただけで無下に払いのけた。
「こんなばかげた話を本気で信じているのか? 人形どもに良い様に使われてるだけと一度たりと疑ったことすらもないのか?」
口許を歪めて酷薄に笑う。こめかみを指でつつく仕草ほど分かり易いジェスチャーはない。
絶望なんてなかった。ただ、……脱力して、にわかに噴け上がってくるような滾りを感じた。
「おい、俺のことをどうこう言おうが一向に構わんが、長門を侮辱するような真似は許さん。酔狂で奇策をひけらかしているわけじゃない。信頼できる仲間が本気で考えた最良策なんだ」
熱くなりすぎているのは自分でも分かっている。
だから暴走するような醜態だけは晒さないように、一言とともに怒気を全て解き放った。
さすがの藤原もこの空気は読めたのか、嘲りを引っ込めた。
「―お前の方は何か進展があったのか? 近々どうこうって話をしてたがその目処は立ってるのか?」
「…………」
そのだんまりは無策で答えに窮してるのか、秘策を口外したくないのかどっちだ?
こいつの歪んだサディスティックな性格からして後者なら無言はありそうにない。意味深な台詞の一つや二つを吐いてこちらを戸惑わせたはずだ。
沈黙を守ったままひたすら回答を待ってやる。
「……なんとかしてるところさ。明日にはリアクションが返ってくるはずだ。それさえ来れば……」
なんとも頼りないね。あと、公言した期限が都合よく先送りになってることに気づかないとでも思ってるのか?
だとしたらお前の相手を見る目は間違いなく腐ってる。
何を試みてるのか知らんが避難信号でも発信してるんだろうかね。
もしそうだとしたら、そんな消極的な手法しか持ち合わせのがないくせして、よくもそれだけ居丈高に振舞えるもんだ
目くそ鼻くそ笑うって諺を意固地の熨し付きで送ってやりたいぜ。
「……期限は後二日しかないのです。あなたの行動は尊重するわ。だけど、あなたの企てとあたし達の企ては少しも両立させることができないのかしら? 片手間でもいいのです。
あたし達に手を貸してくれない? 助かる可能性は0.01%でも上げておきたいの。これにはあなただって賛同してくれるでしょう?」
藤原に投げかけられた橘の言葉が俺の心に波紋を落とす。
521:乙女大戦!35
08/03/02 14:59:03 nvRV+YMT
さっきは回答を見送った橘が『あたし達』と表したことのみならず、橘の言い分はあまりに正論で俺と藤原がコラボって創りあげた険悪ムードを快刀乱麻で断ち切っていた。
水でもぶっかけられたような気分だね。
加勢か反目か、二つに一つしか考えられなかった自分の頭の固さを呪う。橘の案は実に堅実で合理的と言えた。
だが、藤原は橘の問いに返答はせず腕組みして座り直し、
「手間の問題じゃない。ポリシーの問題なんだよ」
とだけ言ってのけた。
現地人と共闘しないということか、それとも俺たちの話がばかばかしすぎてついていけないってことか?
「無論それらを含む。だが、何よりもお前のやってることの危険性だ。情報配置座標系の変換を伴う時間平面の移動にどれだけのリスクが伴うのか分かってるのか?」
……分かってるさ。原理は知らんが、やる前に長門からさんざん言い聞かされたからな。
聞いた話じゃやる度に俺を構成している情報にノイズが蓄積されるんだろ? TPDDで移動するときに発生するそれと比べて数十倍のレベルらしいな。
これは橘に試行を薦めなかった理由とも関係する。危ない目に遭うのは俺一人で十分だ。
ノイズが許容量を越えた瞬間、俺自身がどうなってしまうのか分からない。肉体を維持できずに朽ち果てるのか、自我が崩壊するのか見当もつかん。
怖くないのか? なんてのは愚問だぜ。それでもやってるのは、全宇宙の消滅を待つだけの状況で信頼できる仲間が導き出した唯一の策だからに他ならない。
「僕は他人の危害に加担するような真似はしない。対象がいくらあんたであってもだ」
おためごかしのような発露に頭がこんがらがる。ただでさえ掴みどころのないこいつの人物像が更にぼやけてしまった。
「話はここまでだ。物別れだな」
言い切らない内に藤原が席を立った。迷いのない動作で踵を返すとあっという間に去っていく。
呆気にとられてその姿を見送ろうとしてしまったが、ここで帰られては今までやってきたことが全て無駄になる。俺は慌てて藤原を追った。
一呼吸遅れて橘も付いてくる。
「待て。もう少し話をさせてくれ」
早足で通路を行く藤原の手首を掴んで追いすがる。他の客の注目を浴びるが、形振りを構っている場合じゃない。
藤原はシャツの袖に付いた汚れを見つけたような表情をよこして、
「放せ!」
と、無理やり振り解こうとする。
だが、こう言われるときは大抵掴んでる側だって放せない状況が相場で、もれなく今だってそうだった。
鋭い剣幕とは裏腹に藤原の膂力は案外弱く、労さずとも捕まえていられることができたが、ここでやりあっていても平行線は必至。長門の家に連れて行って三人体制で説得するのはどうかと、何気に橘の様子を見やった。
きっと、押し問答にお手上げのあいつが居る―、そんな勝手な思い込みを破り裂いて、目に飛び込んできたのは明らかに様子がおかしい橘の姿。
数秒前からは想像もつかないほど顔色は血の気が失せて青白く、リップが薄く引かれた唇は紫に変わり果て、虚ろな視線はどこを見据えているのか定かではなく、カタカタと小刻みに打ち震えたまま棒立ちになっていた。
藤原も気づいたのか、抵抗が止む。
どうした? 気分が悪いのか?
「これって……、まさか……、やだ……、嘘よ」
意味を解せない言葉の断片が零れていた。
わけが分からず、ただ尋常でない様に凍りつく。だが、いよいよ立っているのもままならなくなってきた橘を支えようと、肩に触れたその時だった。
『何か』が高速で抜けていったような奇妙な感覚に囚われて、一瞬目を瞑る。
そして再び目を開けると、そこは――、音と、生き物の気配と、色が抜け落ちた幽玄郷。
522:乙女大戦!36
08/03/02 14:59:45 nvRV+YMT
驚きを差し置いてすぐに状況がつかめた。喫茶店という前回と同じシチュエーションで連想が早かったのか、感覚的にここが佐々木の閉鎖空間であることを理解する。
「あ……ぁぁ、ぁぁっ――」
橘が狂乱のままへたり込む。自身を抱きこむような体勢で、奥歯の音が聞こえるくらいに大きく震え出した。
苦しんでいるというよりも、何かにひどく怯えているように見える。
「おいっ、しっかりしろ」
塞ぎ込んだままの橘に、藤原は舌打ちすると、軽くその頬を張った。ろうそくも払い消せない程度にごく弱く。
当たりが良かったのか、乾いた音が静寂に響いて橘の身体が僅かに流れる。……震えが治まっていた。
「……」
ゆっくりと動いた瞳が俺と藤原に向けられる。動揺は残っていたが、正気が宿っていた。
「橘、ここは佐々木の内面空間なのか?」
「……そうみたいです。でも……、でも、分からない。こんな風に自分の意思とは無関係に迷い込むことなんて今までなかったわ。それに、ここに居ると気分が……悪い。意味が分からないけれど不穏でっ、怖気がするの。何なの、一体!?」
また自失状態に陥りそうになる橘の背中をさすって落ち着かせる。
すっかり忘れているようだが、俺は察しがついていた。
何を隠そう原因はこの俺だ。
さっき橘に遅らせたメールを佐々木が読んだに違いない。
ズゥゥゥウゥゥ―――ン!
烈震ともつかぬ重い地鳴りを轟かせて、主は存在を証明した。
とにかく外へと、居竦んだ二人の手を引いて連れ出した。そしてその負の絶景に息を呑む。
薄明るい光に満ちた白漆の街を覆うのは、クリーム色と濃い紅色とが最悪の気色悪さでマーブル模様に混ざった異形の空。以前、橘が誇らしげに『優しい空間』などと評した、穏やかな光に満ちた世界は見る影もなく、禍々しく変わり果てていた
例えるなら、濃厚4.5牛乳と静脈け……、いや、止しておこう。想像するだけで吐きそうだ。比べるならドドメ色の方がよっぽどセンスが良いと言うに留めておくことにする。
目も眩むような緋い斑の世界の下で、ビル郡と並ぶ圧倒的なスケールを誇ってソイツの姿を目に収める。
淡く赤色に光る巨人、赤い<<神人>>が我物顔で商店街の続く先、少し離れた繁華街を闊歩していた。
「な……、んだ、あれは?」
リアクションからして藤原は初見のようだった。半歩後ろで呆然と<<神人>>に見入っている橘を揺さぶって言い聞かせる。
「橘、分かってるだろうが、あれが古泉の言うところの<<神人>>ってやつだ。アイツが街をぶっこわしていく度に世界は壊れていく。そうなりゃ何もかもが一環の終わりだ。だが、それを防ぐ手立てが一つだけある。お前が倒すんだ」
橘の目を見ながら訴えかける。瞳にはしっかりと俺が映っていたが、その顔は呆けたままで、まるで俺の言ってることが耳に入っていないようだった。
煩わしい足音を響かせて<<神人>>が盛大に歩む。地鳴りはどんどん近くなり、やつが徐々に接近してきているのを悟った。
「橘! 戦うんだよ。お前にはその能力が備わってるはずなんだ」
「あたしが……、戦う?」
何を言ってるの? と言わんばかりに小首を傾げた橘に、俺はますます熱を上げて訴えかける。
523:乙女大戦!37
08/03/02 15:00:45 nvRV+YMT
思春期を通り過ぎてから熱弁を振るうのは柄じゃないと貫いてきたが、そんなちんけな矜持など投げ捨てて何としてでも分かってもらう必要があった。
「戦うイメージをするんだ。このまま踏み潰されたいのか?」
「……いいい、いやです! でもイメージしろって言われても……」
「古泉は赤い玉に変身してアイツの周りを飛んで切り刻んでいた。お前も似たようなことができるに違いないんだ」
「赤い玉……、飛ぶ……、切る……」
ぎゅっと目を閉じて無理やりにも集中を始めると、途端に橘の身体が淡く青く光り出した。
―っ! そうだ! そのイメージでいい。
後はアイツを倒すイメージをするんだ。大丈夫、お前はアイツより絶対強い。自分の力を信じろ!
無責任で適当な台詞を並べ立てるやりきれなさを振り払って、ひたすらに能力開花寸前の超能力者を鼓舞した。
その甲斐あってか、ついに橘の身体が青色の球体に収束しユラユラと宙を舞った。橘はそのまま頼りない飛行のまま<<神人>>へと立ち向う。
、
「……大丈夫なのか?」
「分からん。だがあいつに賭けるしかない」
遠目ではあるが橘の光は紅い空に良く映えて、その飛行軌跡をはっきり肉眼で追うことができた。危うい身のこなしで<<神人>>のラリアットをかいくぐり、まるで腕周りを測るようにぐるりと旋回すると、驚くほどあっけなく二の腕が切り取られて空中で分解した。
耳をつんざいて<<神人>>が啼く。
憤怒を表すように橘に狙いを定めて四肢を乱暴に繰り出す。
雑な動きではあったが当たればおそらく即死必至の一撃を、秋口に羽化した元気のない蚊のような動きでフラフラと避けるその様は、見ている側からすればまさに手に汗握る攻防だった。
背中にびっしょりと嫌な汗をかきながら俺は見守った。傍らで「よし! そこだ! いけ!」などというやけに熱の入った小声が聞こえていたが、それに気を回している余裕などない。
逃げに回る局面が多いものの、橘は時間をかけて<<神人>>をちくちくと削り、とうとう胴体を落として後はトドメだけというところまで漕ぎつける。
勝利が見えた――、その刹那、一本向こうの通りの辺りで赤い光が集まり始めた。
嫌な予感は的中して、案の定、光は人の形を成して新手が暴れ始めた。
くそっ、なんて間の悪い。
逃げるために身を翻して数歩走ったが、藤原が付いてきていないのに気づいて踏みとどまる。
「藤原! 逃げろっ!」
重厚長大な影に多い尽くされて、藤原は竦みあがっていた。
<<神人>>はそんな弱者を風穴の空いただけの目にとめて、足を振り上げた。
それを莫迦みたいに見上げるだけで動かない藤原。
ちくしょう!
自棄気味に大声で叫んだ呪詛で弱気を打ち消した。
駆け戻って危険区域である影の中に自ら身を投じる。
大質量が迫ってくる気配が肌を刺して身の毛が総立つ。
恐怖に呑まれた藤原の腕を引っ掴んで全力で引き寄せた。
闇の中で迫り来る死から逃れようとがむしゃらに地を蹴る。
最後にありったけの力を振り絞って光が差す空間へと跳んだ――。
ズガァァァァ――――ンンン!
天地のひっくり返るような轟音を後ろに聞いて、紙切れのように身体が吹き飛ぶさなか、放棄してしまいそうになる意識を必死で引き留めて、視界を奪うほどに舞った砂埃に巻かれて、飛び散った小石に身を打たせるままに身を縮こまらせて耐え忍ぶ。
そのまま巨人のいななきを数回やり過ごして、生きてるのか死んでるのかも曖昧な時間を過ごして、再び辺りに静寂が訪れた。
524:乙女大戦!38
08/03/02 15:01:23 nvRV+YMT
五感があることに次いで、息があることを悟ると、身体が瓦礫に埋もれていることに気づいた。生き埋めになってるのかと案じたが、力を込めると動せることを測ると、慎重に押しのけて這い出すことに成功する。
先ず目に入ってきたのは数十センチも抉れているアスファルトの地面。見事に人の足型に窪んでいた。
人知を超えた破壊に背筋が寒くなる。直撃していたら問答無用でミンチと化したことだろう。
片目が思うように開かない。視力はあるが、瞼が腫れあがってるようだった。鏡を見ればノーメイクでお化け屋敷のバイトできそうな顔と対面できることだろう。
この怪我、閉鎖空間から出たら、破壊された街並みと同じくなかったことになるんだろうな?
歩くとわき腹がズクリと痛んだ。折れてそうではないものの、ヒビの一つや二つ入ってるかもしれない。その他身体を見回したが、異常は見られなかった。
服はボロボロに裂けて、あちこち打撲や擦り傷で酷い有様だが、そんなのは些細なことだ。この程度で済んだことが奇跡と言える。
辺りを見回して、未だ砂埃が舞い霞む中に倒れている橘の姿を見つけた。身体を引きずりつつ近づくと、しっかりと息をしていることに安堵する。
気を失っているみたいだが、外傷は見られない。
たった一人の初陣で本当によくやってくれたぜ。
新人賞と敢闘賞を贈呈してやりたいくらいだ。
まったく、今回ばかりはお前には感謝しきれないな。
乱れたツインテールを直して、顔に付いた埃を払ってやった。
小石が崩れる音を聞いて振り返ると、大きなブロックを押しのけて積もった瓦礫の中から脱出を試みている藤原に気づく。
重すぎて一人では押しのけられないようなので、力を貸す。せーのの掛け声で大きなセメント板をどかして、穴のように閉じた空間から引っ張りあげた。
気力もないのか何も口にせず、瓦礫の小山の上で藤原は力なく座り込んだままうな垂れて、顔をあげようとしない。
俺と同じく全身ボロボロだったが、特に大怪我はない様子だった。
空を見上げると、相変わらず気色の悪い色彩模様が広がっていた。だが、先刻の不気味で不穏な雰囲気はもうどこにも感じられない。<<神人>>は掃討され、新たに出現する気配もない。
――危機は去った。
感覚的に悟る。
危ない実験は終わった。思いつきでやったことがとんでもない事態を招いてしまったことを深く反省する。
甘く見ていたのは橘だけじゃなかったな。
三人とも無事だったのは良いが、今後も乗り切れる保証などは何もない。今回はただ運が良かっただけと言えるだろう。
機関が存在しないこの世界では、<<神人>>と戦えるのは橘一人だけだ。今回は二体だけの出現だったから良かったものの、これが倍にもなろうものならもうお手上げとなる。
加えて事象を統べる佐々木の精神はお世辞にも安定しているとは言えないのも重篤な不安要素に数えられる。少しの揺さぶりで世界が容易に傾く危険性を孕んでいるってことだからな。
今居る世界が実に不安定で危険極まりないことを改めて思い知ったぜ。
やはり、一刻も早く事態を収束させる必要がある。藤原だって文字通り痛いほど分かったはずだ。
俺は思いを新たに、座したままピクリとも動こうとしない藤原に頭上から問いかけた。
「藤原、……協力してくれないか?」
これで袖にされるようならこいつを説く術なんてない。
極限の状況で全てを開き直って、全てを尽くして、全てを賭けた俺の嘆願に、意固地な未来人が重い口を開いて吐露したのは――、
「……ああ」
終ぞの肯定。
525:乙女大戦!39
08/03/02 15:01:48 nvRV+YMT
悪夢のような緋斑の空が南北を走るように割れて、その狭間から神々しい光が差し込んでくる。天から巨大なカーテンが覗いているような錯覚がした。
光を感じたのか藤原が顔を上げる。その横顔は憑き物が落ちたかのように無垢で、幼げにさえ見えた。
天空の亀裂はみるみる間に放射状に広がり、まばゆい光条が閉鎖空間を塗りつぶしていく。
堆く積もった街の残骸の上で、二人して明けを待った。
//////////
η‐2
「そうですか。それは良かった。気難しそうな彼を味方に引き込むなんて、あなたの人徳が成せる業だと思いますよ」
五月二十五日、二時限目の休み時間。
物置と化している校舎最上階の踊り場で、組み立て式のパイプ椅子に腰かけて、古泉が例の如くにこやかを振りまいていた。
採光窓があるが、曇天のせいで日中にも関わらず部屋の中は薄暗い。蛍光灯は備え付けられていたが、人払いのために点灯を控えていた。
陰気な空間でこいつと密談なんて勘弁願いたいが、そうも言ってられない。
今日の明日には全ての決着をつけなければならず、そのシナリオはこいつが書いてるときたもんだ。細やかな連絡は必須だと言うわけさ。
「人徳も何もあるもんか。都合よく佐々木の閉鎖空間が発生したのは偶然でしかなかったし、今際をうっちゃった直後の放心に付け込んで納得させたようなもんだからな」
「そういった運や巡り合わせ含めての話ですよ」
企業家の好青年のような涼しげな物腰で俺の反論を逸らす。
どこまでも口のうまいやつだった。
今日ばかりは少しはヘコんでるんじゃないかと見込んでたんだがね。
昨日の放課後、長門の部屋であれだけやらかしたんだ。ハルヒが黙ってるはずがなかっただろうからな。
「ええ、久々に機関総出のスクランブル体制で応戦しましたよ。おかげで昨夜は半徹です。しかし、これも作戦の内だと思えば厭いません」
俺が言ってるのは、ここで昨日古泉から打診を受けた『お願い』のことだ。
見舞いの場で必要以上に長門を気遣って優しく接しろ、という難題を吹っかけられて、かなり無茶をやった。
思い出すのも憚られるぜ。長門には事情を分かってもらっていたが、それでもあんなにベタベタ触るのは紳士として忸怩たるものがある。
額同士を合わせて熱を測ったり、カレー粥を掬って口に運んでやったり、抱きかかえてリビングと寝床を移動させてやったり、介護という名の狼藉を尽くした……。事由があるとはいえ軽く自己嫌悪だ。
「な、なな、なんてことしてんのよ! このエロキョン! 飢えてるからって弱ってる女の子につけ込むなんてサイテー!」
甲高い罵声が今でも耳のどこかでしつこく反響してやがる。
ハルヒは頭から湯気が出そうな剣幕で俺たちの接触を全力で妨害していた。
対する長門はまるで気にかける様子もなく、されるがまま、むしろどちらかといえばノリ良く受けていたように見えたが、どうやらそれがまた余計にあいつに火を点けちまったみたいだな。
「布石というやつですよ。今回のような短期の決戦には特に必須です。最後に仕掛けるタイミングでそれなりにテンションがあがっていないと、不発に終わる可能性がありますからね」
「俺に対する猜疑心を植えつけておくということか」
「まさしく。昨日の一件はその第一段階です。ところで―、同窓会の幹事の件、動いていただけましたか?」
ああ、佐々木に電話したさ。さすがに面食らっていたが了承してもらえた。お前の予想に違わず頼まずともダブル幹事で仕切ることになった。
古泉はさも満足そうに肯く。やれやれ、まったく人使いの荒い参謀殿だ。
なんでも佐々木との接点を作るために同窓会を開け、ということだったが、電話したのは昨日の木曜日、で同窓会が開かれるのが明日の土曜日。こんな思いつきの同窓会なんてそうはないだろう。
いくら人を集めるのが本意ではないと言っても無茶すぎる。
それでも暇人はいるもんで国木田と中河は即答で出席、佐々木の方にも何人か女子から良い返事をもらえているらしい。
十人足らずだがそれなりに形になりそうだった。
526:乙女大戦!40
08/03/02 15:03:50 nvRV+YMT
さて、土台を作ってやったんだ。そろそろお前の書いたあらすじを聞かせてもらおうか。
そう切り出そうとしたときだった。
「ごめんなさい。日直で遅くなっちゃっいました」
約束の時間を五分だけ過ぎて天使が光臨した。
舞い込んできた清らかな風が湿って澱んでいた空気を一掃し、純真な笑顔がくすんだ空間を照らし出す。やんごとない御方だった。
立たせたままなどとんでもない。手近で最も脚がしっかりしてる椅子のホコリを払って、座ってもらうことにした。
「ちょうど本題に入ろうとしていたところですよ」
朝比奈さん(小)は小動物を思わせるような愛らしい仕草で古泉に耳を傾けようとした。
そうだ、ちょっと待ってくれ。確認しておきたいことがあるんだ。
「朝比奈さん、あれから上からの人の定時連絡は何かありましたか?」
いささか質問が唐突だったのか、朝比奈さん(小)は少し虚を付かれたように数回瞬きを繰り返す。
「……はい。キョンくんと古泉くんのサポートを言い預かってますけど……、もっと何か画期的な作戦か何かがあるかと期待してた?」
勘違いをなさって申し訳なさそうに眉根を寄せるが、そんなつもりなど毛頭なかったので慌てて否定した。滅相もない。
「いえ、ただ連絡が取れてるかどうかだけ確認したかっただけなんです」
朝比奈さん(小)が首を傾げるのも無理はない。
彼女にとっては意味のない質問だからな。だが、俺はこの返答だけで十分だった。
正直、緊急脱出で強制転送された朝比奈さん(大)の安否が心配だったのさ。
とりあえず無事だということが分かってほっとした。
おっと、話の腰を折っちまったな。
古泉に目配せすると、待ってましたとばかりに口を開く。
声が妙に活き活きとしてるのは気のせいじゃない。いかにもプレゼンが好きそうだと踏んでたが、こりゃよっぽどだな。
「まずは確認ですが、二つの世界で同時刻に涼宮さんと佐々木さん、それぞれの閉鎖空間を展開させるのことが目標です。本当の意味では無事に元の鞘に戻すことが最終目標ですけど、その領域はもう僕らの手に余ることなので長門さんにお任せするとしましょう」
同時に頷く俺と朝比奈さん(小)を前に、古泉は身振り手振りを交えて説く。
「作戦を遂行するに当たって、向こうの世界で佐々木さんの閉鎖空間が発生するのか確認する必要があったんですが、今回彼の献身的な検証により裏が取れました。
発生の条件はおそらく涼宮さんとほぼ同様。佐々木さんが一定以上のレベルで自分に好ましくない状況に直面すると破壊の権化、<<神人>>が出現するようです」
古泉の説明を受けて朝比奈さん(小)が俺の方を伺う。「本当ですか?」と問いたげな視線を受けて、首を縦に振った。
文字通り献身的だったところは触れない方がいいだろう。身投げと紙一重のことをやりましたなんて吐露した日には朝比奈さん(小)が卒倒しそうだ。
「さて、期日の土曜日深夜まで今日を含めて後二日しかありません。女神様達のイライラを煽ってテンションを程よく高めて、明日、同時起爆で勝負をかけるという段取りでいきます」
「イライラを煽るって具体的には何をするんですか?」
不安げに尋ねる朝比奈さん(小)に対して古泉は俺の方を向いて、
「僕たちは何もする必要はありません。彼が放課後の活動をすっぽかすだけで十分効果的ですよ。涼宮さんの機嫌が傾くことになりますが、それを我々が宥めるくらいでちょうど良いのではないでしょうか。
ですから、今日あなたは気兼ねせずどうぞ存分に佐々木さんとの事前打ち合わせに励んでください」
なにやらトゲが立って聞こえるのは気のせいか?
527:乙女大戦!41
08/03/02 15:04:24 nvRV+YMT
とばっちりを食うおまえらに同情を禁じえないが、わざとにすげない態度を取らなきゃならんのも相当な気苦労が要ることを忘れんでくれ。
向こうの世界ではどうする。部活動をブッチすりゃあいいのか?
「ええ。あなたはやることがあるはずです。涼宮さんに会ってちゃんと話をするべきでしょう。消化不良のような別れ方はあなたにとっても不本意だったんんじゃないですか?」
それはその通りだ。だが、何を喋れば良いのか分からん。
佐々木と付き合ってるなんて言ったのは嘘だとでも言えばいいのか?
真っ当な問いのように思えたが、古泉は呆れたように肩を竦めてみせただけで答えず、
「その件については、夜にでも電話を差し上げますよ。その場でじっくり話し合いましょう」
と流してしまった。
なんとも釈然としないが、まぁ良いだろう。昼休みは限られている。今は聞き役に回ってやろうじゃないか。
「こちらの世界で明日佐々木さんに会うように、向こうの世界では涼宮さんとの約束を取り付けてもらいます。会わないと作戦は成立しませんからね」
「……明日は閉鎖空間を発生させる日なんですよね? ……あれ? キョンくんが会わなけりゃいけないのは逆なんじゃないのかな?」
「もっともな疑問です。実際にそういった手法もありえるでしょう。例えば、そうですね……。佐々木さんと付き合うことになったからSOS団を抜ける―、なんてことを毅然とした態度で涼宮さんに宣告するといった類のやり方でしょうか」
数十種はくだらないと思われる古泉の表情筋のレパートリーの中でもとりわけ悪質な笑みが俺に向けられる。
悪趣味なやつめ。止せよ。そんなこと考えるだけで鳥肌モンだ。
「ご覧の通り、この手は一層彼に向いてません。嘘を交えて酷いことを言わなければならないのですからね。ゆえに、彼がコンタクトを取るのは本命ではなく対抗の方なのですよ」
よくもまぁ、こんなしょうもないことを論理的っぽく体裁だけ整えて熱心に語れるもんだ。
胡散臭いコンサルティング会社で左うちわを扇いでるお前の未来が一瞬見えたぞ。
横筋はもう十分だ。そろそろ本筋の核心に触れてもらおうか。
その対抗の方に俺は何をすればいい?
やや投げやりに振ってやったにも関わらず、古泉は微塵も気後れせず、通販番組で目玉商品を紹介する五秒前のような妙な浮かれっぷりで、
「二十世紀最後の大発明を駆使します」
ポータブルなそいつを中空に掲げた。
//////////
σ‐3
白皙の素顔が迫る。
おとがいから頬にかけての優美な輪郭に瑕疵は見当たらず、大多数の異性に支持を得られそうな鋭角なラインを描いていた。
日焼けの痕はおろか、小さなシミすらない滑らかな肌に目をみはる。
動かぬようにその白の頬に軽く手を添えると、くすぐったそうに身じろいだが、おとなしく緩く目をつむったまま鎮座不動は揺るがない。
従順な様に戸惑いつつも、その健気さに胸を打たれて、意を決して手を伸ばした。
指先が向かうは瞼の下で揺れている睫毛。
意外に長くて麗しいそれに目を奪われそうになるが、動きを止めず傍らの君に覆いかぶさって身を寄せ、そのまま息がかかるような距離まで近接する。
心拍は高まり、心がざわつく。
528:乙女大戦!42
08/03/02 15:05:00 nvRV+YMT
…………ざわつくというか、怖気だっていた。
今の心境を形容するのは至極簡単で、心を覆い尽くしているのは、猿人の段階ですでに持ち合わせていたであろう最も原始的な感情の一つ、
――キモチワルイ。
身の毛をよだたせながらも、厭々に頬にかけていた手のひらから親指を伸ばして睫毛を掠るように爪弾いた。
ぴろりーん
静謐を破って木霊した間抜けな電子音を合図に、呪いから解き放れたような剣幕で、俺たちは互いに身を引き剥がした。
「「ぷはぁ――――!」」
肺の中に押し込めていた息を放出して安らぎを手に入れるものの、同じリアクションでハモったのが気に食わず、ジロリと睨みつける。藤原も似たような顔でこっちに三白眼を向けていた。
「ったく、何の因果で僕がこんなことを! 恥辱で頭がおかしくなりそうだッ」
全力で不機嫌モードの未来人はそう吐き捨てて、ぬぐい去るように顔面を両手で擦った。それでも飽き足らず、ハンカチでその見えない汚れを拭き取る。
……そこまでやるか。
お前だけが被害者だとはゆめゆめ思うなよ。向こうの世界で古泉相手に同じことをやってきた人間が目の前に居ることを忘れるんじゃない。
「どうだ、写り具合は? それっぽく撮れたか?」
いつまでも藤原の相手をしていると、屈辱がぶり返してきそうなので早々に切り替えることにした。
撮影者の橘を伺うと、
「……あ、あぁ……、あああぁ――」
後生大事に携帯を両手で垂直に携えて、視線を画面に釘付けたまま鼻毛で蜻蛉をつないでやがる。
「おい。聞いてるのか?」
と、再度呼びかけてようやく、三倍速で動く新種の水飲み鳥のようにコクコクと首を立てに振る。
いい加減、画面から目を離せよ。
液晶が電圧に倣ってるのがバカらしくるなるようなおぞましい画像がそこに存在してるだけで我慢がならん。
そういや、朝比奈さん(小)も同じようなリアクションで見入っていたな。ドコのナニがそんなにありがたいんだ?
やれやれ、まったく難儀なことになっちまった。
二十五日、三時限目の休み時間。
人目を避けるために集まった第二音楽室で今しがた繰り広げられた悪夢のような現実は、まちがっても自分の意志でやらかしたことではなく、古泉の差し金だった。
藤原じゃないが、まったくなんてことをさせやがる。
529:乙女大戦!43
08/03/02 15:06:40 nvRV+YMT
今だから持ちこたえられるものの、数年前の思春期真っ盛りだったら、と考えるだけで寒気がする。二重の傷はきっと一生消えない深手になったに違いない
「擬似キス写真でスキャンダルをでっちあげます」
ゴシップ週刊誌入社二年目の若手が何も考えずに立ち上げたような戯言ともつかない企画が本気で走り始めていた。
「公園のベンチで横に腰掛けて話をしてください。そして会話の途切れ目を見計らって睫毛にゴミがついてると相手の目を閉じさせます。使い古された手ではありますが、確実ですよ。手は頬に添えて、親指でぬぐってください。
このとき注意するのは、必要以上に顔を寄せることです。大丈夫ですよ、相手の視界は閉ざされてるわけですから悟られません。この様子を絶妙の角度から写真で撮影すればどう写るかは想像に難くないでしょう。
撮影した写真をメールに添付して二世界同時刻に配信する――、これが一連の流れです」
こんな内容を恥じもせず噛みもせず滔々とぶち上げられるお前の神経は一体どうなってるんだ?
改めて聞いてやりたい気分だが、当の本人はここにはいやしない。
三者三様に殻に閉じこもって黙りこくったまま時間を過ごした。
だが時間は有限でふと掛け時計を見上げて、四時限目開始まで残り二分と迫っていることに気づく。
「……と、まぁ。各自言いたいことはあるだろうが、段取りはこんな感じでやる。撮った画像はメールで送る。その際、藤原は佐々木の傍に控えて、口実をつけてメールの着信に気づかせてくれ。
スルーされたら終わりだからな。あと……、橘、本番は望遠がないと厳しいから携帯のカメラじゃきっと無理だ。それなりのデジカメを用意してくれるか?」
「……ハ、ハイ」
これで伝達事項は終わりだ。席を立とうとすると、
「あ、あの―」
おずおずと待ったがかかった。なんだ? 金なら一万までならなんとかするぞ。
「―この写真、保存してもいい?」
「「消去しろ」」
意図せずしてまた藤原とハモる。今回ばかりは不満はこれっぽっちもないね。切に気持ちを重ねるだけだった。
褪せたコンクリートのお馴染みの校門前でハルヒを待つ。
こっちの世界でSOS団がどういう活動形態をとっているのかは知らないし、そもそも今日活動するのかどうかすらも分からない。
何時間待つことになるのか見当もつかず、ハルヒとアポをとるためにはこうやって網を張るしかなかった。
長門は例の如く今日も病欠という名目で休んでいるから、頼れる人間は居ない。
ちなみに学校を休み初めてから二日目以降は遠方へ赴任中の親類が看病に戻ってきてくれるということにして、長門は見舞いを断っていた。
ゆえにハルヒが長門宅を訪ねるために放課後すぐに下校することはありえない。
光陽園の学ランが相当に異様に映るのか、道行く生徒が奇異の視線を投げかけてくる。中には耳打ちし合う者もいて、居心地は最悪だった。
前も同じような目に逢ったな。シチュエーションがまったく逆だが。
自嘲に耽っていると、遠くに良く知る人影を見つけて、反射的に駆け寄ろうとする脚を慌てて制動した。さすがに敷地内に入るのはまずい。
一人毅然と早足で歩みを進める様は清冽として他者を寄せ付けず、独特のオーラがにじみ出ていた。
他の面子が見当たらないのはどういうことだ?
うつむき加減のために視界に俺の姿は入っていないようだった。地面すれすれの一点を見つめながら口許を結んで真っ直ぐに歩いてくる。なんだか思いつめているように見えるのは気のせいだろうか。
「ハルヒ」
あと十数歩というタイミングで声をかけると、弾かれたように顔を上げて視線を合わせた。
530:乙女大戦!44
08/03/02 15:07:15 nvRV+YMT
ハルヒは硬直したように動きを止めたがそれも一瞬のこと、まなじりを切り上げてきつい視線を寄越すと、
「何?」
と、挨拶もすっとばして再び歩みだす。
どうやらゲージで底を突くほどに機嫌は最悪のようだ。
昨日、再会一番の直後に見せたような弾けた笑顔と比べて別人とも言える素っ気のなさだぜ。
どうして? なんてのは愚問で、待ち伏せたのはもちろんその件に関して色々と話さなきゃならんと思ったからだ。
昨日の俺はふがいなくも何も言うことができなかった。あの時はまだ事態を飲み込むのに精一杯だったってのは確かにあるが、すべてそのせいにしたまま放置することは間違っている。
気落ちしたまま立ち去ったハルヒの後ろ姿は鮮烈で、脳裏にしっかりと焼きついていた。ハルヒから笑顔を奪ってしまったという罪が重く圧し掛かっていた。。
あれから時間を見つけて色々と考えたのさ。詫びたいのもあるが、その答え合わせも兼ねてハルヒと話がしたかった。
「話がある」
「だから何? 要点だけ話して」
ハルヒはろくに視線を合わせず接近して、そのまま速度を落とさずに横をすり抜けていった。「急いでいるのか?」という問いは無視で、歩く速度は緩まない。慌てて身を翻して背中を追った。
「待て。できれば腰を据えて話がしたい。時間をくれないか?」
競歩のようなペースで脚を交差させながら懇願するが、ハルヒは無言。
歩きながらじゃ話にならないな。いたしかたない。本題をぶつけるしかない。
大きく息を吸った。なんてない一言のように思えていたが、いざと迫るとつっかえたように出てこない。
それもまぁ然りか。まさかこんなことを口にする日がくるだろうとは思いもしなかったからな。
一年前の俺が聞いたら愛想を尽かされそうだ。
立ち尽くしている間に、ハルヒの背中が遠ざかっていく。
搾り出すように俺は口を開いた。
「お前が北高で作ったサークル、SOS団って言ったか。興味があるんだ。どんな活動してるのか教えてくれないか?」
意図せずにもったいつけた甲斐があったのか、まるで滞る様子のなかったハルヒの足がものの見事にビタッと揃った。
駅前の喫茶店に連れられて入ってハルヒと向かい合わせで座る。やはりここが定番なのか。
本来なら奥のボックスが指定席だが、さすがに二人には広過ぎる。最もシンプルなテーブル席に案内されていた。
ハルヒからカバンを預かって、自分の荷物とまとめて傍らのソファの上に置いた。
「もしかして、ここよく来るわけ?」
道中、一言も話さなかったハルヒがここにきてようやく口を開く。
いや、俺が開かせたと言った方が適切か。
どうやら、馴染みの店に入って自然とくつろいでしまっていたらしい。今更だが、混同に気をつけないとな。
「いいや、初めてだ。いい雰囲気の店だな」
「週末に外で探索するときの基点にしてるのよ」
ウェイターが注文を取りに来て、適当にホットを頼んだ。ハルヒが「あたしも」と便乗する。普段なら鵜の目鷹の目と端から端までくまなくメニューに目を走らせるんだがね。
対面に座るハルヒは、校門で顔を突き合わせたときよりもいくらか険が取れているものの、借りて来て二日目の猫のように、どこか感情を殺して本性を隠しているかのように見えた。
流れる沈黙を断ち切ったのは意外にもハルヒだった。
「……びっくりしたわ。校門で待ち伏せて、いきなりなこと言い出すんだもの。ダブルパンチよ」
頬杖を突いて視線を合わせずに零した。
その件に関しては詫びよう。驚かせてしまった上に、大勢の注目に晒してしまった不始末はすべて俺にある。
531:乙女大戦!45
08/03/02 15:08:05 nvRV+YMT
ここの奢りでなんとか許してくれ。
連絡しようにも番号もアドレスも知らなかったんだよ。
……なんて言は方便で、長門に頼めばなんとでもなった。だが、そうするのは何か違うような気がしたのさ。
「自宅にかければいいじゃない。中学の名簿に載せている番号から変わってないわよ」
「少しでも早く顔を突き合わせて話をしたかったんだ」
ストレートは見せ球のはずの軟投派投手が無理して直球勝負を挑んでるかのような違和感が音を立てて軋む。
だが、これは紛れもない俺の本音だった。
昨日のマンション前での別れ際、明らかに変調をきたした虚ろな表情がまた浮かび上がった。
俺が佐々木と付き合っている。
このことが深く関わっていることに疑いの余地はない。だが、ハルヒが何を想ってああも思いつめたのかが分からない。それが気がかりだった。
ハルヒの心に傷をつけてしまった事実は覆らない。だけど、そうだからと言って開き直るなんてのは最低の行為だ。ここが虚像の世界だから何をやっても許されるなんてのはもってのほかだぜ。
何か大きな行き違いがある気がするのさ。思えば昨日、お互いに言葉が足りなさ過ぎた。それを今補うことで、こいつの痛みを和らげてやれないだろうか。
そんな思いが俺を駆り立てる。
『高校卒業後、あなたと涼宮さんが別の大学に進学して、望まなくも疎遠になってしまったとしたら……、現実にはあり得ないことだと思ってますけど、この想定に置き換えて考えてみてください。きっと、向こうの涼宮さんの気持ちが分かると思いますよ』
夜に電話で古泉が寄越した助言はこの一言だけだった。
的確に言い得たあいつの言葉がありがたい。ありがたさ余って小憎らしいくらいだぜ。
相手の立場に立って考える。コミュニケーションの基本が抜け落ちていたことを猛省した。
こっちの自室で見つけたアルバムには、ハルヒとの中学時代の思い出がぎっしり詰まっていた。
花見、七夕、市民プール、学芸会での演劇、ハロウィン、天体観測、クリスマス、初詣、節分など、行事を網羅した一年分の思い出が並んでいた。
俺とハルヒ、二人だけで写ってるものが大半で、無理なアングルのものがいくつかあるのは、きっと腕を回して自分でシャッターを切ったんだろう。本当に二人だけの活動だったんだな。
特筆すべきは、月日を経る毎にハルヒの表情がグラデーションのように移ろいでいくこと。一学期、せいぜい二分咲き程度だった笑顔が、三学期には満開に咲き乱れていた。
記憶にない思い出にも関わらず、写真を見ていると懐かしさがこみ上げてきた。写ってる俺たちの表情や雰囲気は活き活きしていて、鮮烈に情景が伝わってきたからだ。
写真を見ただけではあるが、水が流れるように自然とこっちのハルヒとどんな風に馴れ初めて、関係を築いたのかを自分に取り込むことができていた。
この思い出を俺は完全に自分に重ねて語りかける。
「お前と久々に会って色々と思い出したんだ。中学時代、事あるごとにお前に連れまわされて遊んだこと、イベントを漏らさず制覇してはしゃぐお前を窘めつつも俺もこっそり楽しんでいたこと。……本当に色々なことをやったよな」
「……そうね」
視線を窓の外を向いたまま、ぶっきらぼうに応えるに留まる。
カップを置いてウェイターが去るのを見送って、俺は続けた。
「こんな昔話、開口一番に出るもんだよな。なのに昨日、記憶の奥底から引っ張り出せずに何も口にできなかったことが心残りだったんだ。……もしかしたらの話だけどな、……お前はさ、俺たちの思い出を忘れずに大切に持っててくれたんだよな?」
夜半頃までベッドの上でまんじりともせずに考えて導き出した推測の答え合わせ。
532:乙女大戦!46
08/03/02 15:09:52 nvRV+YMT
ハルヒの顔が正面を向いた。研ぎ澄まされた視線に貫かれて腰が引けそうになったが、息を止めて踏ん張って逃げずに向かい合う。
「……五十点ね。でも、真摯さを買ってプラス十点してあげる」
ギリギリ可ってことか。手厳しいなと思いつつも、冷たく無機質だったハルヒの表情が少しだけ綻んで溜飲を下げた。
「でも、それも仕方ないのかもね。今の高校生活があるんだもの。あんたは佐々木さんと、……付き合ってるんでしょ? それはあたしだって同じで、SOS団の活動は楽しくて充実してるわ」
割り切ったような言葉だったが、台詞に力はなく、言い終わりに小さくうなずく様はまるで自分に言い聞かせるようだった。
まるで否定して欲しいと言わんばかりのように感じられるのは、気のせいじゃない。
「俺は過去も現在もどっちも大切だと思うぞ。欲張りな話だけどな。昨晩、お前と撮った写真を見返して再確認したんだ、お前と過ごした時間は最高に楽しかった、ってな」
ピクリと反応して、黄色いリボンが揺れる。
「……いや、過去形で語るのは間違ってるな。だって何も終わりじゃないだろう? 学校は離れちまったが少し時間を作ればこうやって会えるんだから。一年のブランクは些細だとは言わんが、また一緒に遊んだらきっと楽しい気がするんだ。
無論、長門や朝比奈さん、古泉と一緒でいい。人数が多い方が面白いはずだからな」
知らず知らずの内に前のめりにこぶしを握っていることに気づいて、慌てて身を引いた。いくらなんでも熱くなり過ぎだぜ。
こみ上げてきた気恥ずかしさを、少し冷めたコーヒーを流しこんでごまかそうとしたが、そうはうまくはいかない。
一方、ハルヒは押し黙ったまま逡巡していたが、考えをまとめたように鼻で息をつく。
その顔を拝み見ると、垂れ下がった眉の下で瞳に宿る力を緩ませて、歪んだ頬でどことなく半笑いの顔に迎えられた。
なんとまぁ……、微妙な。ハルヒの表情は遍く知ってるつもりだったが、こいつは初めてお目にかかる。まさにニューフェイス―、なんて遊んでる場合じゃないな。
「それで、校門での言葉へとつながるわけね?」
「その通り。お前が作ったSOS団とやらの活動に参加させて欲しいんだ」
「あたしが首を縦に振ればこっちサイドの話は簡単にまとまるわよ。超団長だもの。絶対の権限を持ってるんだから。でも、あんたの方は大丈夫なの?」
相変わらず鋭い女だ。痛いところを突いてきやがる。
まごついていると、ハルヒは容赦なくさらに内角を抉ってきた。
「佐々木さんにちゃんと断ってきてる? きっといい顔しないんじゃない? あんたがこっちにかまけてたら……、二人の時間だって減るだろうし。恋人と友人の区別はキチンとつけたほうがいいと思うのよ」
「……そうなのか?」
ばかみたいに聞き返すと「知らないわよ!」と、ハルヒはなぜかムキになってつっぱねた。見事な逆切れだな。
そこはむしろ今回狙いどころなんだ、なんてのは口が裂けても言えない。
「とりあえず試させてくれ。そこで面白みが分かれば事情も話しやすくなるしな」
軽々しい台詞を吐く俺を、ハルヒはアヒル口のままジト目を向けて牽制する。
機嫌は今一つのままだったが、その豊かな表情はここに入る前とは完全に別物と断言できるぜ。
ようやく普通に話ができるところまで戻せた気がした。肝を冷やしたが、我ながらよくやったもんだ。
しかし、なんとも奇妙な感じだ。古泉の言ったように、まるで高校卒業とともにハルヒと別の進路をとって久しぶりに再会するというシミュレーションをしているようだった。
アルバムを見たときの胸が締めつけられるような気持ちは覚えておくことにしよう。
間違っても同じような轍は踏むまい。
さて。
個人的なわだかまりが解けて、後は安らかな放課後のブレイクを楽しみたかったが、そうは問屋がおろさない。