07/12/06 07:24:39 5D8IHZNi
ともえのまくし立てる言葉の中には、彼女自身も気付いてはいない、
加奈江に対する嫉妬心が含まれている。
類まれなる美貌と、十八の小娘とは思われぬほどの色香でもって、
次々と男を篭絡してゆく加奈江。
その姿はともえに嫌悪感ばかりでなく、
密かな憧れのようなものも同時に感じさせていたのだ。
――あいつのように、男共を自分の思い通りにすることが出来たなら……。
ともえの加奈江に対する憎悪には、そんな、複雑な女の欲が混ざり込んでいたのである。
が、そんなともえの心の澱など、ついぞあずかり知らぬ男は、
彼女の罵倒にあからさまな反感を示した。
「あの子が化け物の仲間だって言うのか? そんな訳あるか!
あの子は、その化け物に襲われてたんだぞ!」
「そんなの知らないわよ! とにかく、化け物はあの女の方なんだから!」
「嘘だ!」
「嘘じゃない!」
いつしかともえは立ち上がり、背の高い男を真下から仰ぐようにして睨み付けていた。
男の方も、手にした拳銃のことなど忘れ、
自分の胸ぐらいまでしかない小柄な女を見下ろして、睨み返す。
二人はそうして暫しの間、互いの視線をかち合わせた。
「証拠はあるのか?」
男が言う。
「君が真実を言っているという証拠が、何かあるのか?
君が化け物の一味ではなくて、あの子がそうだという証拠が」
「証拠だなんて……わ、私の何処をどうすれば化け物に見えるというのよ!」
「あの子だって化け物には見えない」
ともえは口惜しそうに唇を噛み締めた。
俯きかけて―でもすぐに顎を上げ、男に食って掛かる。
「だったら……確かめてみればいいじゃない!」
ともえは両腕を広げた。
桜色の着物の袖も広がって、寂寞とした景色を花のように彩る。
「ほら、もっと傍まで寄ってよおく見てご覧。この私が、化け物かどうか」
本当は、着物を脱いで見せようかとも思った。
しかし、生娘のともえはそこまで思い切ることは出来ず、
ただ手を広げて、無防備な躰を男に任せるのが精一杯だったのだ。
ともえの行動に、男は虚を付かれた様子であった。
どうすべきか迷い、考えた挙句彼は―ともえの顔を覗き込んだ。
顎を掴み、つぶらな瞳をまじまじと見つめる。
ともえは男に顔を、眼を見つめられて、
何とも居たたまれない、落ち着きのない気持ちになった。
頬が紅潮し、瞳が潤みを帯びてきたのが、自分でも判る。
恥らう気持ちが先立ち、瞼を伏せて、顔を背けてしまいそうになる―。
だがともえはその衝動を堪えた。
(眼を逸らしたりすれば、余計に疑われてしまう……)
このままこの男に化け物だと思われ続けるのは、癪だ。
ともえ自身、何故自分がそんな風に思うのかはよく判っていない。
――きっと理由なんかないのだわ。
誰だって、化け物呼ばわりされるのは嫌なことに決まっているもの……。
151:太田ともえ/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:12:09
07/12/06 07:25:23 5D8IHZNi
そう考えながら男の眼を見つめ返すともえの頬に、男の指先が触れた。
小さな肩が、ぴくりと跳ねる。
いつの間にか顎を離れた男の指が、そっと頬を辿っている。
「う……」
むず痒いような感触に、ともえは咽喉の奥底で微かに呻いた。
すると男の指先は、頬から首筋に落ちて、その咽喉の辺りをまさぐった。
奇妙な感覚だった。
男の指が肌の上を動いてゆくにつれ、触れられている箇所とはまるで無関係な躰の中心部、
腹の底よりもっと下がった部分から、もやもやとした得体の知れない何かが湧いてきて、
ともえの鼓動を、体温を、勝手に高めてゆく。
呼吸も乱れ、瞼が重くなって、眼を開けているのが困難になってくる。
立っているのもままならない。このまま頽れてしまいそうだ。
ともえが、その心までも揺らぐような感覚に苦しめられていたその時である。
不意に、男のもうひとつの手がともえの背中を支えた。
拳銃は何処かへ置くか仕舞うかしたのだろうか?
とにかく彼の手は武器を捨て、ともえの躰を抱いていた。
「な、何? 何を……?」
ともえは驚愕と共に本能で危機を察知し、顔を強張らせる。
男は彼女の見開かれた眼を避けるように顔を背け―ぐっとその身を引き寄せた。
「あ……?!」
ともえの小さく華奢な躰は、大柄な男の胸にすっぽりとうずまってしまった。
「……見るだけじゃ、判らないから」
頭の上で、男の掠れた声が言い訳するように呟いている。
微かに震えるその声音には、獣じみた息遣いも混じっていた。
「……いや!」
如何に初心な乙女であろうとも。
こんな風に息を荒げて抱きすくめてくる男が何を望んでいるのか、判らぬ筈はない。
男の腕の中でともえはもがき、渾身の力を込めて引き離そうとする。
が。それは全くもって無駄な努力であった。
男の大きな手の平は、丸太のような腕はともえをしっかりと絡め取っており、
どうあがいても抜け出せそうにはなかった。
「大人しくしろ! ……何もしない。何も、しないから……」
男はぎこちない口調で宥めながら、
ともえの背中を、そして、帯の下の腰の辺りを手で探った。
――な……何て馴れ馴れしい!
屈辱感でともえの躰はカッと燃え上がる。
どくんどくんと音を立てているのは己の鼓動か、はたまたこの男のそれであるのか―。
それでも彼女が腕の中から抜けられないのをいいことに、
男の手は傍若無人にともえの肉体を這いずり始めていた。
「ああいや! よしてよ……よして」
襟の後ろ側から。脇の下の身八ツ口から。
じわじわと潜り込んでくる汗ばんだ指はともえの敏感になった肌を責め立て、苦しめる。
やがて男の手は、帯に掛かった。
おたいこの結び目を探し出そうとしたが―
結局見つけられず、ついには帯止めごとぐいぐいと引っ張り始めた。
「ちょっと! やめ……や……あああっ!」
力ずくで帯が緩められるのと同時に、身八ツ口に深々と手が侵入してきた。
襦袢越しに、乳房の膨らみが手の平に包まれる。
152:太田ともえ/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:12:09
07/12/06 07:26:03 5D8IHZNi
襦袢越しだというのに。
「あんっ……あ、あ、あ!」
生まれて初めて味わう男の手の感触を、
密やかに実った乳房は―その先端で息づく乳頭は、浅ましいほど貪欲にむさぼっていた。
特に乳頭は、鋭いアンテナとなって荒々しい触感を捕らえ、
全身に痺れるほどの快美感を行き渡らせた。
その衝撃に、ともえの腰からは力が抜けてしまう。
ただでさえ立っているのもやっとの状態だった躰が、足元から崩れ落ちる。
へなへなと倒れこんだともえの肢体に重なって、男の躰も床に落ちた。
「……」
「……」
とうとう床の上で抱き合う形になったともえと男は、
暗闇の中で互いの光る眼を見つめ合った。
ともえは眼を大きく開き、強張った小さな顔を左右に振っている。
――駄目。いけない。これ以上はもう……。
男の眼を見つめ、精一杯の拒絶の意を示した。
でも本当は、心の何処かで判っていた。
そして、心の何処かで待ちわびてもいた―。
そんなともえを眼鏡の向こう側から見返しながら、男は、乱れた襟元に手を差し入れた。
「あ……!」
彼は素肌に触れていた。
ついに襦袢の下にまで潜り込んだ手が、長い指先が、
ともえの柔肌を滑り、ぷりんと膨らんだ乳房の丸みを押し潰して、
その中心で尖りしこっている可憐な蕾を摘み取ろうとしていた。
「嫌! お願い……か、堪忍! かんにん……して……」
ともえは身悶え、躰をよじって男の狼藉から逃れようとする。
だがそれがいけなかった。
身をくねらせた途端、着崩れていた着物の裾がぱっくり割れて、
ともえの脚が―脚の付け根までもが、すっかり露わになってしまったのである。
「あぁっ」
ともえは慌てて裾前を掻き合わせようとする。
しかしその直前に、男の膝が白い腿の間に分け入っていた。
男の膝は、無防備な股間に強くぶつかった。
甘い感覚が、そこからじんわり広がった。
「あぁ……あはあぁ……ん」
仰け反る咽喉から牝そのものの声が絞り出され、
ともえは―眼も眩むような恍惚の世界へ、乱暴に放り出されてしまった―。
153:一樹守/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:21:09
07/12/06 07:27:35 5D8IHZNi
女がこれまでにない程のなまめいた声を上げて、身を反り返らせている。
その扇情的な声音を耳元で聞かされながら、
一樹は、激しい情欲の渦に巻き込まれて、抜け出せなくなっている自分を感じていた。
最初に女が腕を広げて身を投げ出してきた時、
彼はすでに、女が化け物であるという考えが誤りであることを理解しかけていた。
この女の、呆れ返るくらいに真っ直ぐな態度からは、
あの化け物ども醸しているような邪悪さが、微塵も感じられないのだ。
(やっぱりここは、己の非を認めて詫びるべきなんだろうか……)
一樹は、女の眼を見つめながら困惑気味に考えていた。
女の、雨露に濡れた黒スグリのような瞳。微かに甘い吐息―。
考える頭とは裏腹に、指が勝手に動いていた。
女の顎を引き寄せ、頬を撫ぜて、首筋に触れた。
女は小さな声を漏らした。
とろんと落ちかけた瞼の下から、潤んだ瞳が見上げていた。
女の吐息に顎の辺りをくすぐられている内に―
いつしか彼は、躰の奥からふつふつと沸き上がる衝動を感じていた。
それに引きずられるように、一樹は女を抱き締めた。
――俺は、何をする気なんだ……。
疑問を差し挟む余地もなく。
抵抗を示す女を宥めつつもその自由を奪い、押さえつけて、しなる躰をまさぐった。
「ああいや! よしてよ……よして」
女が発する抗いの言葉が、一樹の興奮をいっそう煽る。
すでにジーンズの中では陰茎が硬直し、熱を持って膨らんでいた。
――そうか……そうなんだ。
一樹は心に呟いた。
これは……調査であると。
女が、この嫋やかな肉体が普通の人間であることを知る手段。
その本性を暴くのに、これ以上によい方法はあるまい。
欲情にのぼせ上がった一樹の脳は、この、酷く身勝手な理論を得て調子づいた。
まずは乳房を刺激してみる。
女は少々過敏すぎるほどの反応を示した。
(下着の上からなのに……)
薄い布地の中では、柔らかい膨らみの中心で、
こりこりとした突起がわなないているようだ。
床に転がり、更にそこを責め立てた。
女は全身で抵抗を示したが、これは調査なのだから仕方がない。
傍らに落ちたLEDライトが、女の蠢く様を映し出していた。
艶のある黒髪が、白い手首が、桜色の布地が、白い明かりにゆらゆら揺らめく。
(もっと……もっとよく調べなくては)
一樹は女の着物を剥ぎ取ろうとした。
帯を解こうと手を掛けたものの、
それは着物の扱いなど知らぬ若者には困難な仕事であった。
結局、強引に引っ張って僅かに緩めることしか出来なかった。
しかしそうして着付けを崩し、襟元や裾前を乱した姿も、それはそれで悩ましい。
154:一樹守/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:21:09
07/12/06 07:28:36 5D8IHZNi
一樹は開き気味になった襟元に手を突き挿し、中の乳房をまさぐらんとする。
すると案の定、女はさかんに躰をねじり、彼の手を避けようとした。
意識が乳に集中した所為なのか。
無心にばたつかせた脚から着物の裾が滑り落ち、
眩い純白の太ももが、一樹の眼の前にまともに突き出された。
女はすぐに気付いて脚を仕舞おうとした。
無論、一樹はそれを許さない。
すぐさま腿の隙間に膝を割り込ませ、その先の行為に都合のいい体勢を取ろうとした。
そして―。
「あぁ……はぁ、はぁ……う」
長く尾を引く声を出し終えて、女の躰はがっくりと力を抜いた。
一樹の膝を挟み込んで締め付けていた腿の緊張も解けて、
着物の上にしどけなく投げ出されていた。
――まさか……。
一樹はごくりと唾を飲み込むと、物も言わずに女の股間に手を挿し入れた。
「う……!」
眼を閉ざしていた女が、呻き声を上げる。
彼女の女の部分は―熱いしたたりを振り零し、指が滑るほどぬかるんでいた。
一樹は自分の膝を見下ろした。
女の股に触れた部分に、小さな染みがついている。
(触れただけで達してしまった……なんてことはないんだろうけど)
それでも、この女の肉体が性欲の海の中に居ることには、変わりなさそうである。
「ああいやぁ……やめて。いや。いや。いや……」
一樹が着物の合わせ目の奥で指先をひらめかせれば、
女は見も世もないといった風情ですすり泣き、もじもじと尻を動かす。
指先に、ねっとりと蜜に浸かった小陰唇が、繊細な陰門の粘膜が絡みつき、
ぴくぴくと物欲しげに蠢いていた。
一樹は「ふう」と大きなため息をつき、腰を据えて女の股間に集中し始めた。
赤い下駄を突っ掛けた、白足袋の足首をぐいっと持ち上げ、
開かれて剥き出しになった部分にLEDライトを向けた。
「ひいぃっ」
秘すべき場所を晒された衝撃に、女は真ん丸く眼を見開いて悲鳴を漏らす。
一樹はそれに構わず、割れた股の奥で紅くぬめっている箇所に、再び指を宛がった。
小柄な女の生殖器はその容姿に相応しく、ちんまりと可愛らしいものであった。
紅色に濡れ光る小陰唇は慎ましく、
それを縁取る、紫がかった大陰唇に生えそろった恥毛もまた、ささやかなものである。
(ここはどうかな?)
一樹は、女の割れ目の頂点を探り―
そこで、ぽつんと起き上がっている陰核に指を這わせた。
「はうっ!」
女の内腿の筋が、くっ、と浮き上がる。
ころころと硬く、弾力のある肉の豆を摩ったり揉んだりする度毎に、
臀部から太腿、ふくらはぎにかけてまでもがわななき痙攣する。
155:一樹守/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:21:09
07/12/06 08:29:40 s19KZzzb
「ああぁ……あぅっ、はぅんっ……くうっ」
女の性器の中でも最も鋭敏な陰核を玩ばれて、女はすっかり興奮しているようである。
熱を帯び、桃色に染まった肌は何処もかしこもじっとりと汗に濡れ、
乱れ髪は頬に張り付き、半眼に開いたまなこは虚ろで、何も映していないように見える。
弾む息には喘ぎ声が混ざり、艶めいた唇から絶えることなく溢れ出していた。
一樹は、女が性悦に我を失ってゆく様を、黙って観察し続けていた。
その指先ひとつでもって女を熱狂させる一方で、彼自身もまた、
女の姿に魅入られ、惹き込まれつつあった。
「あ……あぁ、あ、ああ、もう、あは……は……はあ……あぁんっ」
女が、一際高く声を上げた。
掴まれた足首の腱が強張り―その緊張がくるぶしを通ってふくらはぎ、
内腿へと伝わってゆき、真っ赤になった会陰の肉をぐっ、ぐっ、と収縮させた。
その性器の蠢動に合わせ、断末魔のように開かれた唇からは、
「ああーっ」
と、快楽にむせぶ声が後を引き、八の字に歪んだ眉の間には深い皺が刻み込まれる。
苦悶に満ちた喜悦の表情を浮かべる女を前にして、
一樹の頭はもう、何も考えてはいなかった。
ぐったりと四肢を投げ出した彼女を見下ろしながら、彼は素早くジーンズの釦を外し、
ファスナーを引き下ろした。
そして、下着と一緒にジーンズを膝まで押し下げてしまう。
赤黒い肉の棹が、ぴいんと跳ねて躍り出る。
「う……」
気付いた女が、怯えた呻き声を出した。
が、別に逃げようともしない。
細く開いた眼で、一樹の陰茎をぼんやり見つめるだけである。
一樹は膝でにじり寄り、女の両脚を掻い込んで、引き寄せた。
片手で亀頭を持ち添え、濡れた陰唇の間に宛がって、中の粘液をぬるぬるとまぶした。
「いや……」
女は、ほとんど形ばかりの拒絶を口にする。
その弱々しい声音に、一樹は何故か愛おしさのようなものを感じた。
心が和み、我知らず微笑みが零れ出す。
そうして笑いながら―彼は女の膣口に、ゆっくりと陰茎をめり込ませていった―。
156:太田ともえ/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:25:19
07/12/06 08:30:58 s19KZzzb
「あ……あぁ、あ、ああ、もう、あは……は……はあ……あぁんっ」
あられもない嬌声と共に、ともえは果てた。
生まれて初めて、男の手によって為された陰核への手淫。
(信じられない……こんなに……いいなんて……)
己で触れた時の比ではない。
世の人々が夢中になり、その人生さえも変えてしまうほどの男女の営みの凄さを、
ともえはほんの僅かばかり、自身の躰で理解した。
(触れられただけでこんなに良いものならば、本当のあれをしたら、一体、どんなにか)
この、見ず知らずの余所者の男に、惚れている訳ではない。
それでもともえは、もうこの男に最後まで許してしまっても構わない気持ちになっていた。
ここまでされてしまったら同じことだから、というのも勿論ある。
でもそればかりではなかった。
――あの化け物女が虜にしたこの男を、私は奪い取ってやるんだ……。
絶頂の余韻に微睡みながら思いを巡らすともえの耳に、金属の擦れあう音、
そして、密やかな衣擦れの音が響いてきた。
薄っすらと開いたともえの眼に飛び込んできたのは、直立した男の陰茎だった。
「う……」
初めて眼にする勃起した陰茎の怖ろしげな姿に、ともえは思わず呻き声を上げる。
そんなともえの様子を男は全く気に留めず、さっさと躰を繋ごうと腰を抱え込んできた。
――ああー……ついに私の操が奪われてしまうのね……。
悲劇のヒロインにでもなったような心持ちで、ともえはひそかに涙ぐむ。
二十四年もの間、守り通してきた処女性。それが今、まさに失われようとしている。
ともえは、そっと男の顔を見上げてみた。
闇の中、眼鏡の奥の瞳がどんな風に自分を見ているのかは、よく判らない。
だがその口元は、微かに綻んでいた。
(……笑ってる)
奇妙な感じだった。それはこの状況下にそぐわない、牧歌的な微笑みに思えた。
(どうして……?)
その疑問は、一瞬で消し飛んだ。
男のものが、ともえの膣を貫いたからである。
「いっ…………!」
刃物で切り裂かれたかと思った。
狭い場所を太い剛直が無理矢理こじ開ける激痛に、ともえは悲鳴を上げるゆとりすらない。
それに反して男の方は、心地好さげなため息をついている。
――い……た……あ……!
痛みの余り、ともえの顔はくしゃくしゃに崩れてしまう。
膣も硬直し、胎内の異物を排除しようとして強く締め付け、押し返す動きをした。
「ううっ……」
男が呻き声を漏らしている。
彼は膣の押し返しを堪えるように、少しのあいだ静止していたが―
いきなり猛然と、陰茎の抜き挿しを開始した。
157:太田ともえ/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:25:19
07/12/06 08:31:31 s19KZzzb
「あ痛っ! 痛い……痛い! 痛いぃっ!!」
ともえは手足を突っ張り、涙を流して苦痛を訴えた。
男の胸板に腕をつき、シャツの上から爪を立てても見た。
けれど、それらの抵抗は全て徒労に終わった。
男は、そこに根が生えているもののように、びくとも動かなかった。
決してともえの上から退こうとしない―
ただ一心に腰を上下動させて、陰茎で穿った傷口を掘り返すのであった。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……」
挿して。抜いて。挿して。抜いて。
律動的な呼吸と共に、素早く、規則正しい運動が繰り返される。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ……」
男の運動に合わせ、ともえの咽喉からも独りでに声が漏れる。
頬が。肩が。腰が。膝が。つま先に突っ掛けた下駄の鼻緒が。
揺れて震えて、ともえの意識を夢幻の境地に引きずり込む。
すでに痛みは通り越していた。
陰部はただ燃え盛るように熱く、膣口が引き攣れる違和感のみが、
彼女を責めて、苛んでいた。
「あああ」
――熱い。なんて火のように激しい。強い。壊れる。私。ばらばらに壊れてしまう。
動物めいた呻き声と共に、取り留めのない思考が浮かんでは、消える。
不意に、襟前がぐっと寛げられた。
剥き出された乳房を、ぬるい夜気がさっと撫でる。
次いでそこに荒々しい吐息が降りかかったかと思うと―
乳房の谷間に、重たい頭が圧し掛かってくる気配を感じた。
「あ……はぁ」
眼鏡の冷たさ。乳首を、ちゅっと吸われる感覚。
汗ばんだ乳房が、同じくらいに汗ばんだ手の平に揉みしだかれて―。
腰の動きは、ますます熾烈になっていた。
ぐいぐい押される。姿勢が不安定になる。
ともえの腕が、男の頭を抱え込んだ。
乳を吸う幼子を抱くように。
肘の上まで捲くれ上がった着物の袖が邪魔だった。
もっと、もっと強く抱き締めたいのに。
深く、深く繋がりたいのに―。
158:太田ともえ/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:25:19
07/12/06 08:32:12 s19KZzzb
両脚はすでに男の腕から解放されていたが、
ともえは自らそれを掲げ、男の尻に巻き付けていた。
苦痛に耐えて腰を上げると、繋がった部分からぐちゃぐちゃと液体にまみれた音が聞こえた。
――もうすぐ、ひとつの決着がつく……。
狂ったような震動に揉まれながら、ともえの心は予感する。
その予感は的中した。
「うっ……おぉ」
ともえの胸の中、滅茶苦茶な呼吸と動作を繰り返していた男が、
搾り出すような呻き声を出した。
激しい動きがぴたっと治まり―
膣の奥で、何かがぐっ、ぐっと自律的に躍動しているのを感じた。
やがて、ともえのふくらはぎの下でびくびく震えていた臀部の筋肉から、
ふっと力が抜けた。
被さっていた大きな躰が、さらに重みを増してともえを押し潰そうとする。
その重みに耐えながら、ともえは脚を下ろした。
熱を持った躰は全身で早鐘を打ち、
汗を、灼熱の呼気を放って、未だ激情の余韻に火照っている。
それは男も同様だった。
静けさを取り戻した室内で余熱を発する二人の肉体は、
重なり合ったまま動くことはなかった。
仰向いたともえは霞んだ眼を天井に向けていたが、心の中は虚ろで、
その瞳は、何も見ていないのと同じであった。
――終わった。
がらんどうの胸の中、小さな言葉が浮かび上がる。
安堵と、幾許かの悔しさが込み上げてきたが―
それは徐々に引いてゆく躰の熱と共に、ゆっくりと意識の底に沈んで、消えた。
159:一樹守/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:26:26
07/12/06 08:33:04 s19KZzzb
「あ痛っ! 痛い……痛い! 痛いぃっ!!」
女が悲痛な声で叫んだ。
(やっぱり、処女だったんだ)
どうりで挿入する際、異様なまでの狭窄感があったはずだ。
一樹は、半ば無理矢理に貫いた膣の感触に酔い痴れ、
その初開の場所に陰茎を擦りつけ始めていた。
処女の性器の味は素晴しいものであった。
挿れたり出したりする度に、膣口がきつく収縮し、中の方ではぶよぶよとした柔肉が、
吸い付いてねっちり絡みつく。
――ああっ、す、凄い……!
女に火の息を吐きかけながら、一樹は憑かれたように抽送を繰り返した。
姦されている女は押したり引っ掻いたり、やたらに暴れて儚い抵抗を示していたが、
そのうちそれも弱まって、段々と一樹の為すがままになってゆく。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ……」
全身を揺さぶられながら、機械的な声を上げ続ける女の表情は虚ろで、
ぼろぼろと零していた涙も枯れ果て、全ての感情は失われてしまったかに見えた。
しかしそうした一方で、陰茎を抉り込まれている膣の方は、
実に生き生きと一樹の動きに応え、濃密な肉の快楽を伝え続けてくるのだ。
一樹は女の姿を見おろした。
彼の腹の下、女は憐れな肉人形に成り果てていた。
それは信じ難い光景であった。
勝気で、気位の高かったあの女が。
髪はざんばらに振り乱し、はだけられた着物を床に押し広げ、
素足も二の腕も晒した無残な有様で―。
しかも彼女のししむらは、こんな状況であるのにじっとりと濡れそぼち、
あまつさえ彼の陰茎を淫らに食い締め、ぬらぬらと舐りついてさえもいた。
そんな変わり果てた女の姿を見るにつけ、堪え難い衝動に駆られた一樹は、
彼女の脚を手放し、桜色の着物の襟をぐっと引き開けた。
真白く愛らしい膨らみが、ぷるんと震えて零れ出た。
女は切なげに咽喉をそらす。
一樹は荒い呼吸をしながら、その柔らかそうな二つの乳に顔を埋めた。
「あ……はぁ」
眼鏡がずれるのも構わず、小粒の乳頭に音を立てて吸い付き、
手の平で、乳房全体をいたわり深く揉みほぐした。
160:一樹守/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:26:26
07/12/06 08:33:43 s19KZzzb
乳房を愛撫した途端、女の様子に変化が起こった。
されるがまま、投げ出されたままになっていた手足が勢いよく動き、
一樹の躰にしがみ付いてきたのである。
細い腕は、乳房にすり寄せた頭を抱きかかえ、
下駄履きの脚は腰に絡んで、しっかりと組み付いた。
ことこと打たれる女の鼓動を耳で聞き、甘酸っぱいような匂いに包まれながら、
一樹はいっそう激しく、ありったけの力を込めて腰を使い始めた。
女の躰が、嵐の中の小船のように揺れ動く。
乳房の下、腹の奥では膣がきゅうきゅう窄まって、
亀頭冠に、裏筋に、いやというほど秘肉を纏わりつかせて扱き上げた。
頭の中で、幾つもの閃光が火花を散らして、炸裂した。
腰の奥から堪らない快感が陰茎の先に集まり、そして―。
「うっ……おぉ」
突然、深い穴に落ち込むような感じで、一樹は精を漏らし出していた。
一樹は息を詰め、精液が押し出される感覚に耐えた。
全て出し終わると一樹はぐったり力を抜いて、女の上に倒れた。
それを待っていたかのように、尻に絡み付いていた女の脚も床に落ちる。
下駄が、からんと乾いた音を立て―それを最後に、快楽の刻は、終わりを告げた。
「……」
一刻の余韻から覚めた一樹は、起き上がって眼鏡を掛け直した。
女から身を離し―そこでようやく気付く。
――これって、レイプじゃないか!
乱れた着物から胸と股間を曝け出し、呆然と天井を見上げて横たわった女の姿。
だらしなく広げっぱなしの脚の間で、くちゃりと割れた陰唇の下の方に、
僅かな赤い色が見える。
生々しい、処女の血痕―。
一樹は急に怖ろしくなり、小刻みに震えながら後ずさりを始めた。
大急ぎでジーンズを引き上げ、拳銃とライトを拾い―
そのまま、一目散にその場を逃げ出した。
もつれる足で階段を駆け下り、制御室の戸を開けて出て行こうとする。
そこで彼は立ち止まった。
開きかけた引き戸から手を離して、二階を見上げる。
――逃げてどうする!
彼女は、人間だ。
彼女の言ったとおり。それは完璧に証明されたのだ。
――だったら……あのまま放っておく訳には……。
今は非常事態なのだ。
こんな化け物が跋扈する危険な場所に、か弱い女を捨てて行くことは出来ない。
一樹は、女の元へ戻る決意をした。
161:一樹守/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:26:26
07/12/06 08:34:17 s19KZzzb
ところが。
引き戸が開いて、湿った外気が部屋に流れ込んできた。
「あ……」
そこには、百合が立っていた。
雨に濡れた長い黒髪。赤いカーディガンも、雨水を含んで重そうに濡れている。
「……もう、済んだんでしょ?」
掠れた声で、百合は言った。
「え……」
何が? と、聞き返す勇気はない。百合は、言い澱む一樹の腕を取った。
「行こう? 時間、ないから」
冷たい腕を絡ませてくる百合は、黒々とした瞳で一樹を見つめる。
すると彼はその輝きに惹き寄せられて―
もうひとつの気掛かりのことなど、瞬く間に忘れてしまった。
百合に引っ張られるように制御室を後にする一樹の胸ポケットで、
花の髪飾りが微かに揺れる。
――これ、返してあげればよかったかな……。
鉄階段の途中で、そっと制御室を振り返る。
「どうかした?」
傍らで百合が見上げている。
その、自分を一心に頼り続ける、いたいけな瞳―。
「……なんでもないよ。行こう」
あの女には悪いが、この子を見棄てることなど出来はしない。
一樹は胸に小さな痛みを残したまま、
百合を伴い、採掘所からの脱出口へと向かって行った―。
162:太田ともえ/夜見島金鉱採掘所/インクライン制御室/0:33:20
07/12/06 08:35:09 s19KZzzb
男が逃げるようにともえの元から去って行く。
後に残されたともえは独り、外から吹き込む雨風をその身に受けながら、
ぼんやりと天井を見上げていた。
(寒い……)
熱の引いた肌がすっかり冷たくなっている。
ともえは重たい躰をのろのろと起こし、着物の着崩れを直そうとする。
立ち上がる時、陰部に鈍い痛みが走った。
それは躰を動かす度に、いつまでもいつまでも残ってともえを憂鬱な気分に陥れた。
(忌々しいね、本当に)
つまらない男。
身八ツ口に手を入れて襟を正しながら、ともえは、己の処女を破った男のことを考えていた。
余所者で。臆病で。思い込みが激しくて。あんな―甘ったれた笑顔を見せて。
――それに……あんな化け物女なんかに騙されて。
ふっと涙が湧いて、視界がぼやけた。
ともえは慌ててそれを拭う。
「おおいやだ。まだあそこが痛みやがる……」
忘れてしまおう。ともえは心にそう呟いた。
どうってことない。どうってことない。こんなの、犬に噛まれたも同じこと。
(お父様だってきっと……判って下さるわ……)
誰よりも頼みにしている父を想い、ともえは髪の毛に手をやる。
頭の後ろの髪飾りに触れようとして―それがないことに、初めて気がついた。
「……お父様に貰った、髪飾り」
今までにない深刻な表情で、ともえは呟いた。
163:一樹守/夜見島/離島線4号機鉄塔/22:33:44
07/12/06 08:36:36 s19KZzzb
「ちょっと待ってて」
郁子の肩から手を離し、一樹は座敷へと戻って行った。
鉄塔の只中に、何故在るのか判らない奇妙な座敷。
まあこの鉄塔自体、捻くれ曲がった大樹と融合している処といい、
頂上が異界と現世の接点になっている処といい、奇妙以外の何ものでもない訳ではあるが。
あれから―。
あの着物の女との出逢いから、様々なことがあった。
結局あの女の言っていたことは、正しかった。
岸田百合は諸悪の根源ともいうべき化け物であり、
彼女を信用していいように操られた自分は、救いがたい大馬鹿者であったのだ。
そのことに気付いたのは、自らの手で、事態を更に悪い方へと進めてしまった後だった。
だからこそ―だからこそ彼は、この悪夢を、
同じく自らの手でもって収束させねばならないと意気込んでいた。
幸い、彼には心強い協力者もいた。
彼がこの怖ろしい鉄塔を此処まで登ってこられたのは、
彼女の助けもあってこその事なのである。
――今度こそ……見棄てていったりはしない。
優しくて口の悪い郁子。
大事なパートナーである彼女を表に待たせて一樹は―
たった今座敷に生えた、小さな木の前に立っていた。
あの女は―あれから度々、一樹の前に立ち塞がってきた。
すでに人では無くなってしまった姿で。
彼女が忌み嫌っていた化け物の眷属と成り下がってしまった彼女を、
一樹は何度も何度も打ち倒さねばならなかった。
何度撃退しても起き上がって一樹に向かってくるその執拗さは、
あたかも、彼の不実を責め立てているようでもあった。
しかしついに、その腐れ縁に決着のつく時が来たのだった。
『太田ともえ』と銘打たれた呪具を使い、彼は異形と化した女を滅することに成功した。
――これでもう、君が起き上がることは無い。
小さな木―否、大樹の枝となった女を見つめ、一樹は心に呟く。
そして、胸ポケットから花の髪飾りを取り出した。
美しい赤い花を模った髪飾りを、枝の先端に挿し挟む。
朽ちかけたような色合いの木に、たった一輪の可憐な花が咲いた。
「……」
一樹は言葉もなく暫し花を、木を見下ろした。
綺麗な髪飾りはきっと、人であった頃の女によく似合ったことだろう。
「ねえ、どうかしたの?」
座敷の玄関先で郁子が呼んでいる。
「ああ……何でもないよ。もう行こう」
一樹は木を一瞥し、郁子の元へ戻っていった。
彼が立ち去った後の座敷には、赤い花をつけた木が、静かに座するのみであった。
【了】
164:名無しさん@ピンキー
07/12/06 10:01:12 rexS61BB
乙、素晴らしい!
165:名無しさん@ピンキー
07/12/06 14:22:16 U/bA2c2w
オリジナル小説というのがどうにも信じられん程の完成度
そ、そうか貴方は製作者だなGJ!
166:名無しさん@ピンキー
07/12/12 23:00:49 9KOYqhYH
すごいクオリティage
167:名無しさん@ピンキー
07/12/14 15:33:37 SsxU/rzo
宮田が人気かと思ってたけどそうでもないんだね
168:名無しさん@ピンキー
07/12/18 17:33:54 Ss41ZBzA
宮田×美耶子ってないね
169:名無しさん@ピンキー
07/12/24 03:00:56 jXh9jDra
>>168
診察中にあれやこれや?
…いいじゃぁないか!
170:名無しさん@ピンキー
07/12/24 16:32:48 1DrC1pgQ
美耶子ってパンツ何色だろ?
171:名無しさん@ピンキー
07/12/24 18:42:08 WpiOkaW1
ベージュで真ん中が黒
172:名無しさん@ピンキー
07/12/25 12:01:34 sc5c6AJM
ノーパン?
173:名無しさん@ピンキー
07/12/26 23:08:05 M+useQKk BE:137400252-2BP(1000)
hssh
174:名無しさん@ピンキー
07/12/27 13:47:04 kbbq8542
誰か職人さん来ないかな
175: 【中吉】 【1803円】
08/01/01 00:35:37 mS0oh6i7
あけおめ
176:名無しさん@ピンキー
08/01/04 10:35:54 FCvbrcPh
あけおめ
177:名無しさん@ピンキー
08/01/05 16:11:18 DxDMMOmX
竹内×安野が読みたい…
178:名無しさん@ピンキー
08/01/21 17:02:12 CQpfC/bD
保守
179:名無しさん@ピンキー
08/01/26 21:42:56 Qr18mXFD
良すれ保守
180:名無しさん@ピンキー
08/02/04 22:52:56 R2sS8y6p
保守
181:名無しさん@ピンキー
08/02/05 02:28:06 qyK2aQsa
ちょwここのエロパロ素晴らしすぎだろ。
一樹、永井×百合は神
182:名無しさん@ピンキー
08/02/05 03:42:25 ZUJCxixl
サイレンはサイレンでもサイレンの方のサイレンと勘違いしてた
183:名無しさん@ピンキー
08/02/05 17:23:44 eexKPguE
182は何と勘違いしてるんだよww
184:名無しさん@ピンキー
08/02/05 23:42:43 shwxWnGI
PSYRENとかいうジャンプの漫画だと思われる
185:名無しさん@ピンキー
08/02/08 15:40:02 /a2xLZoA
教えてあーー・・・げない
186:名無しさん@ピンキー
08/02/12 20:10:07 NPYLFLsY
これは?携帯だけだけど
URLリンク(courseagain.com)
187:名無しさん@ピンキー
08/02/19 10:54:05 EymYbFrE
宮田ねたが読んでみたいです
188:名無しさん@ピンキー
08/02/26 01:18:49 bHWiDIzJ
ho
189:名無しさん@ピンキー
08/02/28 12:34:20 THfIU3WD
女性の身体を洗い、マッサージをする仕事になります。
射精の瞬間を見たいという要望も多数あります。
fukugyouinfom@yahoo.co.jp
190:名無しさん@ピンキー
08/03/06 16:55:01 ipthkwDi
hs
191:名無しさん@ピンキー
08/03/08 23:28:18 IKXnPJ/4
保守
192:名無しさん@ピンキー
08/03/13 20:41:18 g+wpTXqJ
☆
193:名無しさん@ピンキー
08/03/13 21:51:28 g+wpTXqJ
ほ
194:名無しさん@ピンキー
08/03/15 07:28:07 aJYVfete
吉村兄弟と恩田姉妹で一つ
195:名無しさん@ピンキー
08/03/24 22:51:55 zFdWU+DF
★
196:名無しさん@ピンキー
08/03/25 15:17:16 eefKE45O
どんなに過疎っててもへこたれないわ!
それ以上に私のハートは燃えている!
過激なほどぉおおおおおお!
197:名無しさん@ピンキー
08/03/26 00:50:54 yrOeeemO
最近闇人の言動が可愛く見えてきた
特に焼きたらこ
198:名無しさん@ピンキー
08/03/26 04:32:51 syvphQhS
焼きたらこ?
199:名無しさん@ピンキー
08/03/29 23:59:54 q/s+NUEV
白子みたいな奴に靄ついて黒くなった雑魚
200:名無しさん@ピンキー
08/04/09 11:30:33 ihMZPdML
ほしゅ
201:名無しさん@ピンキー
08/04/10 18:08:05 CvoKPykK
過疎り杉ワロタ
202:月下奇人
08/04/15 22:36:37 5yECaMUV
夏の夕暮れ。
夕日が赤く照らす中、曲がりくねった細い山道を、ぼくの車は静かに走り抜けていく。
まったく静かなものだ。
標識のない分かれ道へハンドルを切ってから、かれこれ一時間。一台の車にも出くわさない。
助手席の郁子は、さっきからずっと大人しい。
川遊びの疲れもあるだろう。だが勘の鋭い彼女は、きっと気付いているのに違いない。
ぼくの胸に秘めた、この、熱い思いを―――。
夜見島事件から、一年の時が過ぎようとしていた。
あの怖ろしい無人島で、ぼくと郁子はともに戦い、すべての怪異を収束させ、奇跡の生還を果たした。
いにしえの闇の世界から、ぼくらの世界を侵略しようと画策していた異形の者たち。
ぼくと郁子がその謀略をうち砕き、やつらを倒して世界を救った―
などということに気付いている者は、当然、誰もいない。
あの事件のことは、“自衛隊の訓練ヘリ消失事件”として、僅かな期間、世間の関心を引いたものの、
マスコミの垂れ流す膨大な情報の波に埋もれ、すぐに忘れ去られた。
だが、夜見島に興味を抱いているオカルトマニア達からすれば、また話は別だった。
三十年前の全島民失踪事件、二十年前の客船消失事件など、
過去に数々の怪事件の舞台となっている夜見島。
近隣からは『忌み島』『黄泉島』などと呼ばれる呪われた島である夜見島の、新たな怪異。
流行作家・三上脩の失踪とも絡み、この事件のことは、ネット上で大いに話題になったし、
オカルト専門誌等においても、大きく取り上げられた。
当然、ぼくが編集部員として所属する超科学雑誌、アトランティスでも―――。
夜見島から救出されたのち、数日間の入院を経て職場復帰したぼくは、
すぐにあの事件のことを記事に起こした。
ぼくとしては、あまり現実離れしないようにと腐心して書いたつもりだったが、
それでもまだ荒唐無稽に偏り過ぎていたらしい。
デスクからは「うちはカストリじゃねえんだぞ」と怒られてしまい、
化け物たちとの戦いのくだりなんかは、編集長をして「おまえ漫画原作やってみるか?」
と、言わしめるほど、嫌な意味で面白い出来になってしまっていたようだ。
それでも、郁子がぼくの落としたデジカメを拾っていてくれたおかげで、証拠資料は揃っていたし、
なにしろあの事件の当事者が書いたものだということで、
ぼくの記事は、ほぼそのままの形で、アトランティスに掲載された。
初めて一から企画し、自分の力でまとめ上げた、ぼくの仕事。
この仕事を境に、ぼくはようやく“バイトあがりの編集見習い”から脱し、
一人前の編集者として、周囲から認めてもらえるようになれたのだ。
もちろん、編集部で最年少のぼくは、まだまだ坊や扱いされているのには変わりないのだが。
でもあれ以来、単なる使いぱしり以上の仕事を任される割合は確実に増えたし、
なにより、ぼく中で仕事に対する自信がついたのは、かけがえのない収穫だったと思う。
その意味では、あの怖ろしい、悪夢の一夜は無駄ではなかったのだ。
そして―夜見島事件がぼくにもたらした収穫は、もう一つあった。
それは今、ぼくの隣に座っている女の子―木船郁子との出逢いである。
郁子は助手席の窓にもたれ、流れる景色に眼をやっているようだ。
そのしどけない姿態はどこか物憂げで、
ぼくは気の強い彼女にいつになく女を感じ、少しばかり、ドギマギしてしまう。
203:月下奇人
08/04/15 22:37:27 5yECaMUV
郁子とは、夜見島へ向かう途中、島の近くの漁港で出逢った。
漁師の手伝いという、若い女の子に似つかわしくない仕事に就いていた郁子の第一印象は、
『ぶっきらぼうで取っつきにくい人』
つまり、他の漁師さんたち同じような印象だった。
そんな口が悪くよそよそしい彼女と、のちに運命共同体になるなんてことは、
最初に逢った時点では考えもしなかったのに―世の中、何が起こるか判らないものだ。
郁子は、生まれながらに超常の力をもっていた。
他者の精神に感応する能力―いわゆる、テレパスなのだ。
怪現象のさなかにあった夜見島で、郁子の能力は最大限に増幅した。
それまでは単に、時折人の心が読める。という程度のものであったのが、
夜見島にいる間は、他者の精神を乗っ取り、一時的にその動きを止めたり、
思い通りに操ったり出来るほどにまでなっていた。
島の地底で、ぼくが絶体絶命の危機に瀕していた時、彼女はその力でぼくを救ってくれたのだ。
もっとも、余りに能力を酷使し過ぎた反動からか、
島から戻って以来、人の心も満足に読めなくなってしまった。と彼女は笑ったが――。
夜見島から生還した後も、郁子はぼくの救いになってくれた。
島で遭遇した恐怖体験の数々―ぼくは帰ってからも、たびたびそのPTSDに苦しめられた。
そんな時、いつもぼくの苦痛をやわらげてくれたのは、郁子の存在だった。
同じ恐怖を体験し、共にそれを乗り越えてきた仲間。
彼女に逢って話をすることにより、ぼくは恐怖心を克服することができたのだ。
幸い、漁港のバイトを辞めた郁子は、ぼくの会社近くの二十四時間喫茶店で、
ウェイトレスとして働いていたので、仕事が忙しい時でも比較的ひんぱんに逢うことができた。
きっと彼女も、ぼくと同じ気持ちだったのだと思う。
彼女もぼくと一緒にいることで、辛い記憶に耐えていたのだろう。
そうでなければぼくの会社の近くに職を求めたり、ぼくのアパートから歩いて行けるほどの近所に、
わざわざ越してきたりはしないはずだ。
そう考えると、いつも気丈に振舞っている郁子のことがいじらしく思えてくる。
いつもいつも、部屋が汚いとか、格好がだらしないとか、話がくどくてウザイとか、
眼鏡が胡散臭いとか、ボロカスに言ってくるキツイ性格も、なんだか可愛い気がしてしまう。
いつしか郁子は、ぼくの中で、かけがえのない大きな存在になっていた。
そしてついに―ぼくは一大決心をした。
計画は、数ヶ月単位で進められた。
ボーナスを頭金にローンを組んで新車を購入し、郁子のスケジュールに合わせて有給も取った。
「せっかく車を買ったんだから、どこか景色のいい処にドライブに行こう」
理由づけも、完璧だ。
そして今日。
この山を下って少し行けば、温泉地に出る。それは事前に調査済みだ。
そこの雰囲気のいいペンションかなんかで食事を取る。
せっかくだから。と温泉に入ったりしている内に、帰るにはもう遅い時間になっているだろう。
そうしたらもう―泊まっていくしかない。という流れになって、そ、それで―――。
こんなことを考えていると、なんだか自分が酷くサモシイ男のように思えて鬱になる。
だがしかしそれでも。
郁子と―そういう関係になるための方法は、これ以外にないのだから仕方が無い。
お互い何かと忙しい生活の中、ぼくらの間柄は“仲のいい友人”レベルに留まったままだった。
204:月下奇人
08/04/15 22:38:14 5yECaMUV
そう、つまりぼくたちはまだ―何もしていないのだ。
これは、ちょっと問題なんじゃないだろうか?
若くて健康で、互いを憎からず思っている(……筈の)男女が、だ。
もう出逢って一年にもなるというのに、キスの一つもしていないなんて!
きょうび、中坊のガキどもだって、もうちょっとその―やることはやってるぞ!!
まあそんな訳で。
ぼくは固い決意を胸に、今日のドライブを決行したのだった。
“昼の部”は滞りなく進行し、時刻はもう夕暮れ時。
いよいよこれからが本番だ。
ペンションで湯に浸かった後、郁子を連れてテラスに出よう。
そして満天の星空の下、ぼくは、彼女に想いを告げる。
彼女もきっと―ぼくの気持ちを、受け入れてくれるはずだ。
郁子の潤んだ瞳がぼくを見上げて―ぼくらは、その場で口づけを交わすだろう。
永い口づけの後、ぼくらは寄り添うように部屋へ行き、そして―そして―――。
――パーペキじゃないか……。
ぼくは、自分の立てた計画のパーフェクト具合に酔い痴れ、一人静かに頷いた。
筋書きは出来上がっている。あとは―行動に移すのみ。そうだ。もうやるしかないんだ。
今夜は――決める。
ぼくは力強い決意を込めて、ハンドルを切った。
「うぁぎゃあ?!!」
タイヤが軋み、素っ頓狂な悲鳴をあげて郁子が倒れこんできた。
―ちょっと、決意をハンドルに込め過ぎたみたいだ。
「あれ……ここどの辺?」
ゴシゴシと眼をこすりながら、郁子がかすれ声で訊いてきた。
どうやら、ずっと居眠りをしていたらしい。そりゃ大人しくしてる訳だよ――。
「脇道に入ったんだ。こっちの方が、早く着くと思って……」
「ふうん……なんだか淋しい道ねぇ」
郁子は、しきりに辺りを見廻している。
「郁子、何見てるの?」
郁子の目線は、道に沿って続く雑木林に向けられている。
「うん、あの赤い花。さっきからあの花ばかり眼につくの」
郁子の指さす先には、風に揺れる赤い花が、かたまりとなって点々と続いていた。
「あれって、彼岸花かしら?」
「いや。あれは、月下奇人」
「ゲッカキジン? ……月下美人じゃなくって?」
「ああ。月下美人は白い花だろう? あれは、違う花なんだ。
この辺りにしか生息しない、珍しい植物なんだよ」
「へえ」
郁子は、感心したように頷きながら、道ばたの赤い花々を眼で追った。
ぼくはふと、月下奇人にまつわる話を郁子に聞かせる気になった。
「あの花は……羽生蛇村っていう、以前この近くにあった小さな山村が原産地だったんだ」
「はにゅうだむら? その名前、どっかで聞いたような」
「羽生蛇村は、三年前の土砂災害で全滅してしまったんだ。
当時そのニュースは大々的に取り上げられてたから、それで覚えてるんだろう。
住民は、たった一人の女子小学生を除き、全員行方不明になった……」
「あー、思い出した! 確か土砂崩れが起こって三日後に、女の子一人が無傷で見付かったって……
自衛隊のヘリにぶら下がって助けられてる映像、テレビで見た……あれって、この近くだったの?」
「そう」
205:月下奇人
08/04/15 22:38:57 5yECaMUV
ぼくは、前を向いたまま返事をした。
「羽生蛇村は昔から土砂災害や水害に見舞われやすい土地だった……
そして、それらの災害が起こる日の夜……月下奇人の花は開く、と、言われていたそうだ」
郁子は、眼を丸くした。
「じゃあ、三年前に土砂災害が起こった時にも、月下奇人は咲いていたの?」
「言い伝えが本当なら、そういうことになるね……さらに、こんな話もある」
ぼくは軽く咳払いをする。郁子は、ちょっと居住まいを直してぼくの方を向いた。
「羽生蛇村の伝承によると、月下奇人は元々、常世……つまり、あの世の花なんだそうだ。
現世にある月下奇人の花は、その生涯で一度きりしか咲くことが出来ない。
そして、夜に咲いたその花は、夜明けを待たずに萎んでしまう。
だがその花が開く処を見た者は、花が萎む前に常世に招かれてしまう。
そんな話が、村ではまことしやかに言い伝えられていたんだ」
郁子は、黙ってぼくの話に耳を傾けている。
宵闇が深まっていく中、車の音と、ぼくの声だけが暗い山道に吸い込まれてゆく。
「羽生蛇村は自然災害の他に、人の消失事件も多い土地だった。いわゆる、神隠しと言うやつだ。
ある日突然、なんの理由もないのに人が消えてしまう。
消えた人々のほとんどは二度と帰って来ないが……まれに、帰って来る事もあったのだそうだ。
数日、数ヶ月……或いは、数十年もの時を経て、突然に」
「……」
「……帰ってきた人たちはみんな憔悴し、すぐに死んでしまうか、
運良く生き続けることが出来たとしても、精神に異常をきたしてしまい、
病院で余生を過ごすしかなかった。当然、まともに話なんか出来る状態ではない。だけど」
小雨がぱらついて来た。
ぼくは一旦言葉を切って、ワイパーのスイッチを入れる。そしてまた、話を続けた。
「だけど帰ってきた人たちはみんな、一様に同じ言葉を口にした……
すなわち、“ぱらいぞうにまうづ”と」
「ぱらい、ぞうに……?」
「ぱらいぞうにまうづ。これは、月下奇人の旧い呼び名なんだ」
「まあ」
「ここから推測出来るのは、神隠しに遭った人々が、月下奇人を見ていた可能性が大きいってこと。
……実際、帰ってきた時に、月下奇人の花を手に握り締めていた人もいたらしい」
「なんか……怖い花なんだね」
郁子は、恐々と肩をすくめて言った。
「そんないわくのある花を見て……私たちも、神隠しに遭っちゃったりして」
「大丈夫だよ。だってよく見てみな。花は咲いてないだろう? あの赤いのは、全部蕾だ。
だから大丈夫」
「でも」
「大丈夫だって! 仮に花が咲いたって、大丈夫だよ。だっておれ達は」
一年前に、あの島から帰って来られたんだから。と、ぼくは言いかけて―やめた。
もうあの夜見島事件は、過去のことだ。
いつまでも囚われ続けるのはよくない。そう。ぼくらはもっと、未来に眼を向けるべきなんだ。
差し当たっては―今夜。これから始まる、郁子と、ぼくの―――。
「ねえ、ところでさ。道……本当にこっちで大丈夫?」
郁子の言葉が、ぼくの思考を容赦なく現実に引き戻した。
言われてみれば変な感じもする。
もう随分走っているし、いい加減、麓の灯りが見えてもいいはずなのに―――。
「もしかして守。道に迷ってない?」
「いや、そんな訳ないよ。ずっと一本道なんだから」
206:月下奇人
08/04/15 22:39:42 5yECaMUV
そうだ。道は間違っていないと思う。なのにこの胸騒ぎは何なんだろう?
雨音が響く。降りが本格的になってきたようだ。
視界の端に、月下奇人の赤い色がちらちらと入ってくる。
――なんだか、ずっと同じ場所を走っているみたいだ……。
不吉な予感を振り払うように、ぼくは、アクセルを踏み込んだ。
その時突然、黒い空が閃き、辺りに雷鳴が轟いた。
「ひゃあっ!」
郁子がビクリと肩を震わせた。
雨だけじゃなく、雷まで。
――これじゃあ、満天の星空の下で告白、というシナリオは没にせざるを得ないな。
などと思いつつ、ぼくは、さりげなく郁子の肩を抱く。
「大丈夫だよ。ただの雷だ」
「う、うん……でも、結構近くに落ちたみたい」
タンクトップからはみ出た郁子の小さな肩は、恐怖心からか、小刻みに震えていた。
ぼくはその、なめらかな肌の感触を指先で味わいながら、二の腕の方までゆっくりと撫で摩ってみる。
郁子の抵抗は、なかった。
それどころか郁子は、ぼくに身を預けるように、気持ち頭をもたせ掛けてきた。
――こ、これは……!
前に男性向け雑誌で読んだことがある。こういう場面でこの反応は―。
いわゆるひとつの、OKサインというやつではないか?!
「い、郁子……?」
ぼくは、緊張で咽喉に絡まる声で、郁子に呼びかけた。
郁子は何も言わない。だがその代わり―。
寄り添ったまま、ハンドルを握るぼくの膝に、そっと指を乗せてきた。
もう間違いない。
郁子はぼくと―同じ気持ちになっている。
ぼくの心臓は早鐘を打ち、息苦しいような気持ちになった。
降りしきる雨はいっそうの激しさを増している。
雨と、深い緑に閉ざされた無人の山道。
小さな密室の箱の中、この世界に居るのは、ぼくと、郁子の二人きり―――。
このチャンスを逃す手は無い。ここが決断の為所だろう。
ぼくは今、この場で、郁子を――ぼくのものにする決意をした。
まずは、車を停めなければ。
ぼくは車を路肩に寄せ、ブレーキを踏んだ―――が。
「あれっ?」
ブレーキペダルは、スカッと床に着いた。
更に何度か踏み直してみる。やっぱり駄目だ。なんの反応もない。
雨に濡れる山道を、車はどんどんスピードを増して下ってゆく。
「守? どうしたの?」
異変に気付き、郁子が顔を上げて問い掛けてくる。
「ブレーキが……効かない!」
車は、ジェットコースターのように加速してゆく。
フロントガラスに当たる雨粒が視界を奪い、滑る路面に、ハンドルが取られそうになる。
郁子が悲鳴を上げた。
眼の前に断崖が迫っている。
ぼくはクラッチを切り、ギアを落として減速する。
前のめりになりながらも、急ハンドルを切ってカーブを曲がりきろうとする―――。
207:月下奇人
08/04/15 22:40:28 5yECaMUV
車は、崖の縁を横滑りしながらカーブを曲がった。
――なんとか墜落はまぬがれた。
だがホッとしたのも束の間、突然、真正面から対向車が現れた。
「駄目だ、ぶつかるっ!!」
ぼくは再び、急ハンドルを切った。
対向車のヘッドライトが真っ白にぼくらを包み、そして―――。
――気が付くと、車は何事もなかったかのように停止していた。
ぼくらは辺りを見廻す。
たった今追突しそうになった対向車は、影も形もなく消え去っていた。
「……どういうこと?」
郁子は、呆然とした様子で言った。
ぼくにだって判りはしない。ぼくら二人は、狐につままれた気持ちで顔を見合わせた。
――今起こったことは、全部、錯覚なのか?
なんだか頭がくらくらする。その時ふと、窓の外に白い人影を見た。
「きゃっ、守っ! アレ……」
「……いっ今の、郁子も見たのか?!」
外を通りかかった人影は、若い女だった。それも―一糸まとわぬ姿の、全裸の女。
長い黒髪がたなびいて―――。
女は、月下奇人の赤い花をかき分け、雑木林の中に消えて行った。
「あの女……」
なんで、こんな場所に――。ぼくは居ても立ってもいられず、雨の中、車を飛び出した。
「守、待って!」
すぐに郁子が追ってきた。冷たい雨が、激しくぼくらを打ちつける。
ぼくは胸ポケットからL字ライトを取り出し、女の消えた辺りを照らしてみた。
夜見島事件以来、ぼくは、どこへ行くにもライトを手放せないようになっていた。
このL字ライトは、東京に戻ってから新たに買い求めたものの一つ。
あれから様々な種類のライトを買ったが、これが一番使い勝手が良かった。
点けたまま胸ポケットに入れておけるから、手で持つ必要がないのだ。
両手が空いていた方が、行動に制限がなくなるからいい。
敵に対抗するためにも、この方が便利だ―――。
雑木林の中には非常に判りにくい細い道が、頼りなげに続いているようだった。
それはほとんど獣道に近い代物だ。
「ねえ、行くの?」
郁子が不安そうに訊いてきた。
彼女のすがるような眼を見ていると、ぼくの気持ちは揺らいだ。でも――。
「ちょっと確かめてみるだけだよ。さっきの女が何だったのか……
だってうやむやにしたままだと、余計に怖いだろ?」
「でも」
郁子は、腕を掴んでぼくを引き留めようとする。
「ねえ……やっぱり、やめとこ? 私、こっちに行きたくないの。なんか、嫌な感じがして」
郁子は、蒼ざめた顔で獣道を見やった。
こういう時、超常能力を持つ郁子の勘は確かだ。
――きっと、本当に行かない方がいいんだろうな……。
ぼくは後ろ髪を引かれる思いだったけれど、郁子の忠告を聞き入れ、車に戻ることにした。
208:月下奇人
08/04/15 22:41:04 5yECaMUV
ますます激しい雨の中、真っ黒な低い雲が光り、獣のような吼声を轟かせている。
「やばいな、近くに落ちそうだ」
ぼくがそう言った途端―――。
「守! 危ないっ!!」
郁子が、後ろからぼくを引っ張った。
地べたにひっくり返るぼくの眼が、まばゆい閃光に眩む。
次の瞬間、ぼくの躰を、凄まじい轟音が貫いた。
耳をつんざくような落雷の音に包まれて、
ぼくは一瞬、自分が雷に打たれたような錯覚を起こしていた。
「守、大丈夫? まもるっ?!」
呆然と座り込んだぼくは、郁子に揺さぶられて、ようやく我を取り戻した。
雷に打たれたのは、ぼくではなく、ぼくの眼の前にある、ぼくの車だった。
ついこの間買ったばかりの、ぼくの新車。
向こう三年分のローンを残し、今、炎を噴き上げ無残な鉄屑になろうとしている―――。
「まあ……そう気を落とさないで」
郁子は、ガックリ落としたぼくの肩をぽんぽんと叩いた。
「しっかりしなよぉ! 命が助かっただけでも、ありがたいと思わなきゃ!」
「うん……そうだね…………」
郁子に励まされ、ぼくはヨロヨロと立ち上がる。
「でも、まいったな……荷物とか、全部車ん中だよ」
「あ、それなら平気。ほら」
郁子は、いつの間にか抱えていたぼくのスポーツバッグを差し出した。
「郁子……これ」
「うん。さっき車から降りる時、持って出たの。なんか、そうした方がいいような気がして」
見れば、彼女の肩には自前のバッグが掛けられている。
――これも、郁子の鋭い勘のなせる業か……。
どうせなら、その類まれなる能力で、ぼくの車も救って欲しかったと思わないでもなかったが、
それは言うまい。
ぼくは気を取り直し、バッグを持って歩き出した。
歩きながら携帯を開いてみる。アンテナの処には、“圏外”と、無情に表示されているだけだった。
こうなったらやはり―例の獣道を進む以外にないだろう。
このまま道路を歩き続けたところで、拾ってくれる車が通りかかるとも思えないし、
他に、道らしい道もないとなれば―――。
郁子もそれを理解したのだろう。今度は反対の言葉もなく、黙ってぼくについて来た。
暗い雑木林の中、L字ライトを頼りにぼくらは歩いてゆく。
獣道では、雑草や低木が亡者の腕のように足元に絡み、歩きにくい事この上ない。
突然、下から強く足を引っ張られた。
ギョッとして照らしてみると、それは足首に巻きついた月下奇人の茎だった。
「なんでこんなモンが」
ぼくは慌てて、月下奇人をむしり取った。
よくよく見れば、辺り一帯が月下奇人の赤い色で埋め尽くされていた。
―しかも。
「月下奇人が……咲いてる」
車窓から見た月下奇人の花は、もっと小さくまとまって見えていた。
209:月下奇人
08/04/15 22:41:57 5yECaMUV
なのに今はその花弁が大きく開き、倍近くの大きさになっている。
滴る血のように赤い花の中心からは、むせ返るほどの甘い芳香が漂い、
それを吸い込むと、頭の芯が痺れるような感覚に襲われた。
「やだどうしよ……これ咲いちゃったら、私達、神隠しに」
「……心配するな。花が開く瞬間を見た訳じゃないんだから、セーフだよ」
「ほんと?」
実際問題、そんなルールがあるのかどうかは知らない。
これは、ぼくが今思いついて言っただけのことだ。怯える郁子を、少しでも安心させたかったのだ。
幸い郁子はそれで納得したのか、もう神隠しのことは口にしなかった。
だが、満開の月下奇人の群生が、美しくも禍々しい光景であることに変わりはなかった。
「まるで、月下奇人の畑みたい」
郁子の言葉に、ぼくは無言で頷く。
闇の中に浮かび上がる赤い花は、赤い血―そして、夜見島で遭った不気味な赤い津波を連想させ、
ぼくらに取って、あまり気持ちのいいものではなかった。
不安な気持ちから、ぼくらの躰は自然に寄り添い合う。
腕と腕が絡み―郁子の胸の膨らみが、ぼくの肘に触れる。
ぼくは、この時間が長く続くことを祈った。
しかしそうして歩いていくうちに、道幅は徐々に広くなっていった。
もう人が歩いても差し支えのない、ちゃんとした道になっている。
暫く行くと、眼の前の道が二手に分かれているのが見えた。
それを見た途端、郁子は急にぼくの腕を離して走り出した。
「守! 見て、これ……」
郁子は、分かれ道の右側に立って振り向いた。彼女は道端の、古びた郵便受けに手を置いていた。
「こんなのがあるってことは、こっちに民家があるんじゃない?! 誰か居るんだよ」
「うーん……どうだろうな」
赤い郵便受けは塗装が所々剥げていて、もう永いこと、使われた形跡がない。
もしも民家があったとしても、廃屋になっているのが関の山ではないだろうか――。
でも郁子は、そうは思っていないらしかった。
「とにかく行ってみようよ!」
強く促されたぼくは、彼女と共に郵便受けの先へと進んで行った。
正直、あまり期待はしていない。
まあ、せめて雨や雷を凌げる場所でもあれば儲けものだ。
その程度の気持ちで、ぼくは郁子の後に続いてゆく。
道を進むにつれ、生えている月下奇人の密度がどんどん増してきた。
一面の、赤、赤、赤。
――赤い海……。
また夜見島の記憶が甦る。
「いかんいかん!」
突然、頭をブルブル振って声を上げたぼくに、郁子は不思議そうな眼を向ける。
ぼくは笑ってその場を取り繕った。ああ、本当にいかん。こんなことでは――。
今夜のぼくは、どうかしている。こんなに、夜見島のことばかり思い出すなんて。
さっき見た裸の女だってそうだ。
郁子も見ているのだから、まあ、女が通ったのは間違いないのだろう。
しかしあの顔は、絶対に見間違いだ。
なんで今さら―今、ぼくの隣には、郁子がいるというのに。
ぼくが物思いに沈みかけたその時、頭上を稲光が走った。
210:月下奇人
08/04/15 22:42:58 5yECaMUV
一瞬、昼間のように明るくなった視界の先に――突然、巨大な屋敷が姿を現した。
「これは……」
まるで、ホラー映画のワンシーンのようだ。
唐突に途切れた森の向こう。
拓けた土地の中、アダムスファミリーでも出てきそうな洋館が、古めかしい佇まいを見せていた。
稲妻の閃光に照らし出されたその威容―――。
「お、お化け屋敷みたいだね……」
郁子の言う通りだった。
おそらく、ここは廃墟なのだろう。
石造りの立派な門柱は半ば朽ち果て、門扉は、片方が倒れて地面で苔むしている。
そして、門から屋敷に至る、百平方メートル以上はありそうな広大な庭を覆い尽くしている、
月下奇人の赤。
見渡す限りの赤い花が、その異様な香気が、ぼくの胸をかき乱す。
ここは――ここは、いったい?
――ねぇ。見て? お願い、私を見て。
不意に女の声が囁いた。甘い吐息が耳をくすぐる。ぼくは、悲鳴を上げてしゃがみ込んだ。
「守? どうしたの?! しっかりして!」
郁子がぼくの肩を揺する。ぼくは荒い息を吐き、震える指でずり下がった眼鏡を直した。
「な、なんでもないよ……ちょっと、気分が悪くなって」
「そう……しょうがないなあ、もう。しっかりしてよ!」
郁子にいつもの調子で発破をかけられ、ぼくは、ようやく冷静さを取り戻した。
「判ってるよ。もう大丈夫だ……さあ、行こう」
レンガ敷きの小道を歩きながら、ぼくはさりげなく辺りを見廻した。
当然あの女はいない。そりゃそうだ。あんなの、ただの幻聴なのだから。
「中に入れるといいけどな」
屋敷の玄関が近付いて来る。
観音開きの扉は重く閉ざされていて、あたかも、地獄の入口といった風情だ。
「入っちゃって、大丈夫なのかな……」
郁子は、首をすくめて木の扉を見詰める。
「構わないだろ。ここ多分……ていうか、絶対に、空き家だし」
本当は判っていた。郁子は、そういうことを言ってるんじゃない。
――この屋敷に入るのは、危険じゃないのか?
無論ぼくだって、屋敷が発しているこの、尋常ならざる妖気に気が付かないほど、鈍くはない。
しかし、だからといって落雷の恐怖に怯えながら、
雨に打たれ続けて一夜を過ごす訳にもいかないだろう。それでは、躰が持たない。
ぼくは郁子の顔を見下ろした。
夏の盛りとはいえ、気温の低い山の中。
雨に体温を奪われた郁子の頬は、すっかり冷え切って蒼ざめている。
――やはり、屋敷に入るしかない。
体力の問題だけじゃない。
ここから引き返すのには、またあの、月下奇人の海の中を通り抜けねばならないのだ。
とてもじゃないが、それには耐えられない。
ぼくはブルリと身震いをした。
すでにぼくの中では、月下奇人があの女のイメージと重なってしまっている。
211:月下奇人
08/04/15 22:43:42 5yECaMUV
――怖ろしい女。怖ろしい、夜見島の記憶―――。
ドアの取っ手を掴む。どうやら鍵は掛かっていない。
ギギィ、と、悲鳴じみた軋みを鳴らし、重厚な扉はゆっくりと、誘い込むように奥に開いてゆく。
同時に中からは、かび臭い、湿った冷気が漂ってきた。
言い様のない悪寒を覚え、ぼくのうなじの毛が逆立つ。
郁子は、何かを訴え掛けるような眼でぼくを見上げている。
でもぼくは、あえてそれに気付かない振りをした。
もう、引き返すことは出来ない。
背後からは雷鳴と―月下奇人の波が、迫っているのだ。
――月下奇人は、夜にしか咲かない花。一晩だけだ。一晩だけ、ここで持ち堪えれば……。
ぼくは、自分自身を説き伏せるように、胸の内で呟いた。
郁子の手を取り、扉の中へ足を踏み入れる。そして。
「……お邪魔しまぁす!」
ワザと馬鹿げた大声で挨拶をし、ぼくは、郁子と屋敷に入っていった―――。
屋敷の中は、真っ暗闇だった。
ライトで周囲を照らしてみる。どうやらここは、吹き抜けの玄関ホールらしい。
まず眼についたのは、正面左右に伸びた階段だ。
ホール全体を抱く腕のように湾曲した階段が、二階へと続いている。
その上には、蜘蛛の巣だらけのシャンデリア。
「あれが点いたらいいのにな……」
こう暗いと落ち着かない。今にも、やつらが出てきそうな気がする。
――でもこんな廃屋じゃあ、電気なんて通ってないだろうなあ……。
「……ねえ、守」
郁子が傍に寄り、妙に小声で話しかけてくる。
「ここ、誰かいる。視線を感じるの」
ぼくは思わず身構えた。
脳裏に、黒い布を巻きつけた白い怪物が、わらわらと寄って来るイメージが甦る。
ライトを四方八方に向け、ぼくは闇の中を探る――。
と。
「うわあっ?!」
突然、眼の前にウルトラマンが現れた。
でもよく見たらウルトラマンじゃなかった―当たり前だけど。
「なんだこれ……鉄の、ヨロイ?」
それは、鉄製の西洋ヨロイのようだった。
ぼくでも着けられそうな大きさのそれは、物々しく剣まで携えて立ち見番をしていた。
「なあ郁子。誰かいるって、まさかコイツのこと?」
「えーっと……」
ジト目で見るぼくの視線を避け、郁子は、ヨロイの後ろの壁に手を伸ばした。
すると、カチッという音と共に、屋敷中の照明が点いた。
「あ……これ、電気のスイッチだったんだ」
「おぉ助かった! きっと自家発電装置があったんだな。しかしよくスイッチを見つけられたもんだ」
「うん、なんとなく、ね」
何はともあれ、明るくなるとホッとする。
ぼんやり灯ったシャンデリア光の下、ぼくらはホール内を見廻してみた。
212:月下奇人
08/04/15 22:44:28 5yECaMUV
ぼくらが驚かされたヨロイの隣には、子ヤギでも隠せそうな位に大きい置時計が据えられている。
チクタクと時を刻んでいるその時計の針は―零時ちょうどを指している。
ぼくは、自分の腕時計を確認した。腕時計は七時三十三分を指していた。
念のために携帯の時刻表示も確認する。やはり、七時三十三分だ。
「まあ、古時計だから狂ってるんだろうな」
あまり深くは考えず、ぼくらは他の場所も見てみた。
ホールの隅には、なぜか巨大な水槽があった。
藻に覆われたガラスの中は、澱んだ水で満たされている。その中身は、ちょっと見には判らない。
「何か居るのかな?」
ぼくは、傍に寄って中の様子を覗った。
「さあね。こんだけおっきいんだから……人魚でも、飼ってんじゃないの?」
冗談めかした郁子の台詞。ぼくは笑おうとしたが―ふと、胃の腑に冷たいものを感じた。
――人魚。
郁子も、言ってしまってから気付いたのだろう。ハッとした表情で、口を押さえている。
一年前のあの日――。
ぼくと郁子は夜見島で―異世界の夜見島で、鉄塔の頂上を目指していた。
異世界からこの世を侵食しようとしていた闇の住人たちは、
皆、鉄塔を通じてこの世に辿り着こうとしていたからだ。
――奴らより先に、鉄塔の頂上に到着しなければならない。
ぼくらは鉄塔を登りつめ―その果てに、あいつと対峙した。
美しい女の顔に、魚のような躰を繋ぎ合わせた、異形の化け物。
まるで、人魚のような姿をした、邪悪な女。
郁子と二人で奴を倒し、現世に帰って来られたものの、ぼくは、あの化け物の姿を夢に見続けた。
あいつの腹から伸びた触手に絡みつかれ、その胎内に取り込まれてしまう悪夢。
夜驚を起こしたことも、一度や二度ではない。
帰った当初は、人魚の絵や映像を見ただけで、吐き気や頭痛を催した。
一時期は、“人魚”という文字すらも、受け付けなかったほどだ。
今はもう、すっかり治ったと思っていたのに――。
「守……」
郁子の気遣うような声音に、ぼくは、我と我が身を叱った。
――こら! 郁子にあんまりカッコ悪い処、見せんなよ。
……判ってるよ。ぼくは眼鏡を直しながら、クールな口調で言った。
「人魚か……人魚のモデルになったといわれるのはジュゴンという海棲哺乳類だが、
あれは体長3メートル、重さが500キロほどにもなるから、ここで飼うのは難しいかもな。
この水槽の容量だったら……せいぜい、シーラカンス程度が限界か……」
「あっ、裏にはしごがついてる!」
郁子は、ぼくの話を全然聞いていなかった。
「上から見たら、何が居るか判るかなぁ?」
「よせよ郁子。あぶないよ」
郁子ははしごに手を掛けたが、不意に顔を引き攣らせて手を引いた。
「どうした?」
「なんでもない、なんでもない! 守、あっち行こ!」
郁子はぐいぐいとぼくを押し遣った。
「なんだよぉ」
ぼくは気になってしまう。だから水槽の後ろを覗き込み―そして、見てしまった。
213:月下奇人
08/04/15 22:45:07 5yECaMUV
鉄のはしごについた、巨大な歯形。
その大きさからすると、人間の頭なんか丸飲みにしてしまえそうだ。
更によく見ると、はしごの下には、郁子の両足がスッポリ入ってしまうほどの、
これもまた巨大な足跡が残っていた。
「ていうか、これホントに足跡なの? こんな、もみじの葉っぱみたいな形の足跡ってある?」
「あるよ。昔、恐怖漫画で見た半魚人の足跡は、確かこんなんだった」
「あー……じゃあこの水槽に居るの、半魚人なんだ」
なんだかこの水槽にはあまり関わらない方がいいような気がしてきた。
ぼくらは、その場からジリジリと後退していった。
「郁子、あっちにソファーがある」
ドンヨリとした空気を吹き飛ばそうと、ぼくは努めて陽気に、水槽の向かい側を指差した。
水槽から見て玄関ドアを挟んだ向こうの壁際には、レンガで組まれた暖炉が設えてあり、
その暖炉の前に、客用のソファーが置かれているのだ。
ぼくらは荷物を置き、ふかふかのソファーに並んで身を埋めた。
「あー、くたびれたねぇ……」
郁子が、お婆さんのようにグッタリと疲れた声で言った。
ぼくもつられて溜息を吐いたら、速攻で「ジジむさい」となじられた。
「色々あったけど、後はこのまま朝まで待てばいいんだよな」
「うん、そうだよね……」
ホールは静まり返っていた。静寂の中、置時計の振り子の音だけが響いている。
ぼくは、隣で眼を閉じている郁子の横顔を見下ろした。
雨に濡れそぼった郁子の髪の毛は、心を奪われるような切ない芳香を発している。
その香りを嗅いだ途端、冷え切っていた躰の奥底に、小さな炎が灯るのを感じた。
ぼくは息をひそめ、首筋に張り付いている彼女の髪の毛をすくい上げる。
郁子は、睫毛を少しだけ震わせたが―嫌がるそぶりは見せなかった。
ぼくは躰をずらし、もう少し、郁子の傍に近寄ってみた。
二の腕がピタリとくっ付くほどに近づいても、郁子はぼくを避けようとはしなかった。
かといって、眠っている訳でもない。
閉ざされた瞼とは対照的に、半開きになった唇が、何かを求めている感じがする。
ぼくは、ゆっくりと眼鏡を外した。郁子の細いあごに指を掛けて、こちらを向かせる。
郁子は一瞬、戸惑ったように薄眼を開けてぼくを見た。
その表情は蠱惑的な、うっとりと性的な陶酔感に浸っているような、なんとも悩ましい表情だった。
ぼくは衝動を抑えきれず、郁子にキスをした。
柔らかな感触。郁子の唇は、抗うことなくぼくの唇を受け入れた。
更に。ぼくの舌は、整然と並んだ歯列を通り抜け、郁子の口の中に潜り込んだ。
郁子の蕩けるような舌に絡みつき、甘い唾液を吸いとり、嚥下する。
ぴちゃぴちゃと粘膜の擦れあう音の合間に、郁子とぼくの、喘ぐような呼吸の音が交じりあう。
――ああ、ついに……ついにやったんだ…………。
興奮にのぼせるぼくの脳裏に、これまでの、郁子に出逢ってから一年間の思い出が、
走馬灯のように駆け抜ける。
そのほとんどが、怒られたり貶されたりしている思い出だけど、今となってはそれも良い思い出だ。
――郁子……郁子……いくこ……!
夢中で情熱的なキスを続けるぼくの股間が、突然、甘美な快感に捕らわれる。
214:月下奇人
08/04/15 22:45:52 5yECaMUV
――郁、子……?
なんと、郁子の手が、その嫋やかな指先が、いつの間にか、ぼくのジーパンのファスナーを開け、
ぼくの、その、アソコの部分を、優しく扱いているではないか!
――郁子! そんないきなり……! な、なんて大胆な…………!!
ぼくは激しく混乱する。まさか郁子が、こんな、こんなテクニックを―――!
いったいどこで覚えたんだ!
ショックだ。でも気持ちいい。もっと、やって欲しい――。
ぼくは、衝撃と歓喜の入り混じった複雑怪奇な官能のさなか、唇をはずして郁子の顔を見つめた。
眼鏡のない若干ぼやけた視界に、漆黒の長い髪が映った。
黒髪に、病的なまでに白い肌が一際映えて――あれ?
郁子は、こんなに髪が長かっただろうか? こんなに、色が白かっただろうか?
それに郁子、君は、いつの間に裸になんかなったんだ?
郁子の白い顔に、ゆっくりと焦点が合ってくる。いや。郁子ではなかった。
濃く長い睫毛に縁取られた黒目がちな瞳。途轍もなく妖艶な、途轍もなく――怖ろしい。
彼女はぼくを見上げて、にっこりと笑う。ぼくは、恐怖に眼を見開いて―――。
頬に、パチンと衝撃が走った。
頭がぐらりと傾いで、ぼくは、ソファーの上に横倒れになった。
「なーに寝ぼけてんのよっ! このムッツリスケベ!!」
「???」
状況が掴めないまま、ぼくは起き上がり、ずれた眼鏡を掛け直した。
「あれ? おれ、眼鏡外したはずなのに……」
「やれやれ。まーだ寝ぼけてる。たく、しょうがないなあ」
郁子は腕を組み、ぼくの前に仁王立ちしていた。そして、呆れた様子でぼくを睨みつけている。
不意に、頬がジンジンと痛み出し、ぼくは郁子に叩かれたことを思い出した。
「ていうか、痛いんですけど……いきなり、ぶつことないだろ」
「はぁ? よっく言うよぉ。そっちこそ、人にいきなり、その……あんなこと、しといてさぁ」
「あんなことって?」
ぼくが尋ねると、郁子は急に、顔を真っ赤にして押し黙った。
「なあ……おれ、なんかした訳?」
「う、うるさいなぁ! もういいよ!」
「よくないよ。教えろよ」
「そんなこと……口で言える訳ないじゃん! ばかっ!!」
ぼ、ぼくは、口では言えないようなことを郁子にやったのか?
さっきの夢を思い返す。
もしかしたら、あの夢の中の行為のどれかを実際にやっていた、とか?
ぼくが考え込み、もう一度、郁子に問い掛けようとしたその時だった。
「待って。……今、何か聞こえなかった?」
郁子は、ぼくの唇に指を押し当て、耳をそばだてた。
聞こえた。確かにぼくも、重いドアが軋んで開くような音を聞いた。
「二階からだったよな」
ぼくの言葉に、郁子は頷く。
「ひょっとして……誰か、居るんじゃないか?」
ぼくらは顔を見合わせた。
「じゃあ……確かめに行く?」
郁子が、おずおずと提案する。ぼくは暫し考えたのち―首を、縦に振った。
215:月下奇人
08/04/15 22:46:51 5yECaMUV
危険があるかも知れないし、このまま放っておくべきかも知れない、とも思う。
だが、得体の知れない何かを、判らないまま放置しておくのは、余計に気味が悪いものだ。
ぼくは、ウエストポーチからサバイバルナイフを取り出した。
夜見島から戻って以来、ぼくが手放せなくなったものは、ライトだけではなかったのだ。
「出来れば拳銃も欲しい処だけどな」
そう言って笑うぼくに、郁子は複雑な視線をよこす。
ナイフを持って笑うぼくは、郁子の眼に、どんなふうに見えたのだろうか――。
ぼくは郁子の前に立ち、慎重に階段を上って行った。
古びた階段は、いくら注意して上っても、踏み締める度にギイギイと姦しく鳴り響く。
そうしてゆっくりと階段を上っている途中、郁子が突然、「あっ!」と声を漏らした。
「ヨロイが……消えてる!」
ぼくは階段の下を見た。
郁子の言う通り、置時計の並びに立っていたはずのヨロイが消え失せていた。
「なんで? さっきまで、確かにあそこに」
「……きっと、休憩時間に入ったんだよ」
ぼくは冗談を言ってはぐらかした。これ以上、郁子を怯えさせたくはない。
しかし、実際ヨロイが自発的にどこかへ行ったりはしないだろう。
つまり、あれを動かした奴が居るんだ。
――やっぱりこの屋敷には、ぼくら以外にも誰か居る。
疑心は、確信になった。手の中のナイフを強く握り締め、ぼくは、薄暗い二階の廊下を目指した。
階段を上りきると、奥のほうに真っ直ぐ伸びた長い廊下が見渡せた。
廊下の左右には、いくつかのドアが並んでいる。
ライトを向ける。
壁に点いた、切れ掛かった照明の向こう側―
正確に言うと左側の奥から二番目の扉が、ちょうど閉ざされる処だった。
「守、あれ……」
郁子がぼくの腕にすがりつく。ぼくらは、おそるおそるその部屋に近づいた。
「……誰か、居ますかぁ?!」
念のため、ノックと共に外から呼び掛けてみるも、やはり返事はない。
「やっぱ、誰も居ないのかな……?」
「でも、ドアが閉まるの見たじゃない!」
「だよな…………」
試しにノブを廻すと、あっさりと扉は開いた。
部屋の中は真っ暗だ。扉の外からライトで照らしてみる。
ここは、家人の居室だったようだ。
ヴィクトリア朝風の調度品で統一された室内は、
きっと、かつては気品溢れる落ち着いた雰囲気を醸し出していたことだろう。
でも今は、荒涼とした廃墟の一室に過ぎない。
寒々と人の気配の絶えた部屋の中央には、白い布に覆われた椅子が置かれ、
その奥には、小さな木のテーブルがある。
そして、そのテーブルの上には、赤い布表紙の分厚い本が乗せられている。
ぼくは興味を引かれ、部屋に入って本を手に取ろうとした――。
と、ぼくの背後で扉が閉められた。
「おい郁子やめろよ! ふざけてる場合じゃないだろ」
「守……私、ここ」
ぼくはギョッとして、隣で泣きそうな声を出す郁子を見た。
216:月下奇人
08/04/15 22:47:32 5yECaMUV
「な、郁……! おま、い、いつの間に横に! つか、じゃ、じゃあドア閉めたの誰よ?」
ぼくと郁子は、蒼ざめた顔を見合わせた。
――ひょっとして……閉じ込められた?
不吉な予感に慄いて、ぼくは、おそるおそる扉を開けようと足を踏み出す。
踏み出した足が、横の椅子に当たった。
すると、椅子はギイと音を立てて動き出し、同時に、被せられていた布がハラリと床に落ちた。
椅子の全容が現れる。
その椅子には車輪がついていた。いわゆる、車椅子というヤツだ。
ただの車椅子じゃない。人が座っている。
ただの人じゃない。その人は―この屋敷同様、干からびて、朽ち果てていた。
「これ……ミイラよね」
「ああ。ミイラだな」
郁子とぼくは、ライトの中に浮かび上がる茶色がかった変死体に眼を向けた。
この作り物めいたミイラは、元は女性であったらしい。
洋風の屋敷に不釣合いな白い着物を身にまとい、束ねた髪を背中に垂らしたそのミイラに、
ぼくは、これでもかとライトの光を浴びせ続ける。
―別に、煙を吹いて苦しんだりはしなかった。
「何やってんのよ……」
郁子は呆れた様子でぼくの背中を叩いた。
「そんなことしないでいいのよ。ここにはもう、あの化け物たちは居ないんだから」
郁子の言う通りだと思う。
でも、頭では判っているのに、こうしなければ気が済まなくて、ついやってしまう。
夜見島に居た化け物共は、みんな光に弱かったのだ。
その後遺症というか。
ぼくは怖ろしいものに遭うと、とりあえず光を当ててしまう癖がついてしまった。
以前、仕事で手違いがあって印刷会社の人に怒られた時、
咄嗟にその人の顔にライトを当ててしまって余計に怒られたことを、今なんとなく思い出す。
……そんな場合じゃ、ないのだが。
「でも驚いたぁ。こんなトコに、まさかミイラがいるなんて」
郁子は、気味悪げにミイラの頬を突付いている。
「けどまあ……このヒトは別に襲って来たりはしないから、そんなに怖くないかな」
そう。夜見島で、さんざっぱら怖ろしい目に遭って来たぼくたちは、
ミイラを見たぐらいじゃ、さほどビビりはしないのだ。ミイラなんて、大したことはない。
ミイラだけなら、ね……。
「この人が、どういった経緯でこんな風になったのかは知らないけれど……
少なくとも、このドアを閉めたりは出来ないよな。やっぱり、他に誰か」
と、言いかけた時、部屋の外で、ガシャンガシャンと鉄の塊が歩いているような音が聞こえた。
ぼくらは、息をひそめてその音に耳を澄ます。
「ま、守……」
「シッ! 静かに」
その音は、この部屋の前で止まった。
ぼくらが緊張して身構える中、音は再び鳴り出し―そして、部屋から遠ざかって行った。
「はぁー……」
全身から、どっと汗が噴き出した。緊張から解かれたぼくは、床にへたり込んだ。
「ねえ守……今のって、ヨロイの足音だったんじゃ」
217:月下奇人
08/04/15 22:48:13 5yECaMUV
「……判らないよ」
「どうなってんの?! ヨロイが、独りでに歩き廻ってるっていう訳?!」
「そうとはかぎらないよ」
ぼくは座ったまま、郁子を見上げて言った。
「あのヨロイの中に、人が入っていたとしたら?
最初に見つけた時、ぼくらはあのヨロイの中身までは確認しなかっただろ?」
「…………」
郁子が、何か言いたそうにしている。
本当はぼくにだって判っている。あのヨロイには、人の入ってる気配なんてまるで無かったんだ。
「とにかく、この部屋を出よう。いくらなんでも、ミイラと一晩一緒に居る訳にもいかないからな」
ぼくは、外の様子を覗いながらノブを廻した。
幸い鍵なんかは掛けられておらず、ぼくらは、無事に部屋を出ることが出来た。
「けど、これからどうするの?
私、やっぱりこのお屋敷に居るの、ヤバイような気がしてきたんだけど」
「……とりあえず、いったんホールに戻って考えよう。外の天気の具合を見て……
大丈夫そうであれば、屋敷を出てそれで」
どうしよう。と、考えたぼくの背後で、ミイラの部屋の扉が微かに開く気配がした。
「あれ? 私、ちゃんと閉めたはずなのに」
郁子が振り返る。ぼくも振り返った。
振り返った先には――ミイラが居た。
錆びついた車椅子が、耳につく響きと共にゆっくりと動き出し――
そして急に、物凄い勢いで、こちらへ突進してきた。
「うわあっ?!」「きゃああ!!」
ぼくらは慌てて走り出した。
突如として襲い掛かってきたミイラの車椅子を前に、
ぼくらはなす術もなく、ただ逃げ惑うしかない。
階段にたどり着くと、二人でもつれ合うように駆け下りた。
下りるというよりは、転げ落ちると言った方が正確だ。
転げ落ちる途中、ぼくの胸ポケットから、L字ライトが零れ落ちた。
「あ……」
ライトはホールの床に落ち、衝撃で消えてしまう。
それと同時に、屋敷内全ての照明が、消えた。
「てっ、てっ、てっ、停電か?!」
電気が消えてしまうと、屋敷の中には一切の光もなくなる。
辺りは真っ暗。墨を流し込んだような、真の暗闇だ。
暗黒に視界を奪われて、ぼくは、パニックにおちいった。
――暗いのは駄目だ。闇は、あいつらの世界なんだ。
ぼくは慌てふためき、必死に、手探りでライトを探そうとした。
「郁子? い、郁子! どこだ……?!」
ホールの床に這いつくばりながら、ぼくは、郁子の名を呼んだ。
―返事は無い。ぼくは、更に恐慌をきたす。
ぼくの傍から、郁子の気配が消えている。郁子は―郁子はどこへ行ったんだ?!
――まさか、さっきのミイラに? あるいは……例のヨロイ?!
悪い予感が、止め処もなく浮かんでは消える。
ぼくは、迷子の子供みたいに心細い気持ちになり、ただひたすらに郁子を呼び続けた。
「まもる……」
218:月下奇人
08/04/15 22:48:55 5yECaMUV
床を這うぼくの肩に、しっとりと柔らかい掌が乗せられた。
「あぁ、郁子!」
ぼくは深い安堵と共に、その手をギュッと握り締めた。
「よかった……無事だったんだね」
少しだけ暗闇に慣れたぼくの視界に、白くほっそりとした腕が浮かび上がった。
「まもる……」
郁子はぼくの胸元に頭をもたせ掛けてきた―甘い香りが、ぼくの鼻孔をくすぐる。
「郁子……」
「ねえ、まもる……キスして」
「えっ?!」
「お願い……して」
暗闇の中、郁子はぼくの胸元に手を這わせた。
郁子の手に撫で摩られて―ぼくの胸の鼓動は、早く、激しくなってゆく。
ぼくは、郁子を抱き寄せた。
芳香を放つ髪を撫で、その頭を、ぼくの方に引き寄せる。
濡れた唇が、強く吸い付いてきた。
情熱的なキス――ぼくの理性が、瓦解する。
郁子の勢いに飲まれそうになりながらも、
ぼくは、負けないくらいの情熱を込めて、激しいキスをかえす。
――今度こそ、夢じゃない……。
眼鏡が邪魔だと思ったが、今は外すゆとりもない。そのままぼくらは、絨毯の上に転がった。
郁子はすでに、服を脱いでいるようだった。
裸の乳房が、なだらかな腹部が、そして、その下の柔らかな茂みが、ぼくの躰に密着して蠢いている。
――ああ…………。
ぼくはキスをしながら、夢中になって郁子の乳房を揉みしだき、
その先端の乳首を指で摘まみ上げた。
ぼくの唇の中に、郁子の、桃色の吐息が流れ込んでくる。
「郁子……」
ぼくは両手で郁子のウエストのくびれを辿り、豊かに張り出した腰の線をうっとりと撫で廻した。
「あぁっ、まもる……」
郁子は身を捩り、ぼくの手から逃れんとするように背中を向ける―
でも、ぼくはそれを許さず、彼女の腰を捕まえると、
その大きく突き出された丸いヒップに頬を寄せた。
「あん、いや……」
恥じらいを籠めた郁子の声に、ぼくの興奮は、いやが上にも増大する。
ぼくは郁子の、白く浮き上がる尻の膨らみを、唇で辿った。
絹のようになめらかな肌を唇で愛撫しながら―ゆっくりと、その割れ目の方に指を這わせる。
郁子が、甲高く喘いだ。
ぼくの指先は、郁子の、秘められた部分を静かにまさぐった。
――濡れてる……。
みっちり合わせられた尻肉の下、郁子の女の部分は、しっとりと蜜を湛えてぼくの指を迎え入れた。
「い、郁……っ」
ぼくが郁子に覆い被さり、背後から彼女を抱きすくめようとした時だった。
いきなり、郁子はぼくを振り払い、立ち上がって走り去ろうとした。
「郁子?!」
ぼくは慌てた。
――ちょっと、焦りすぎたか?
ぼくの行為が、郁子に嫌悪感を起こさせたのだろうか。
追い縋るぼくの手が彼女のヒップに触れる。でも、彼女の躰はそのまま遠ざかり―――。
219:月下奇人
08/04/15 22:49:56 5yECaMUV
「守!」
急に背後から呼び掛けられ、ぼくは驚いて振り返った。
なんと、そこには―郁子が立っていた。
ぼくは、ぽかんと口を開けて郁子の姿を見つめた。
郁子は携帯を開き、液晶画面の微かな光でぼくを照らしていた。
もちろん、衣服をきっちり着込んだままで、だ。
ぼくはハッと我に帰り、尻ポケットから自分の携帯を取り出して、開いた。
薄い明かりで床を照らし、少し離れた場所に落ちていたL字ライトを見つけ出す。
……最初から、こうしてりゃよかったんだ。
ライトを点けた途端、屋敷内が一斉に明るくなった。
停電が、直ったらしい。
「……電気、点いたね」
「……ああ」
ぼくらは、微妙に互いの目線を避けながら、ぎこちなく会話した。
――どうなってるんだ?
ジーパンのポケットに手を突っ込み、ぼくは、さっきのことを思い返す。
あの、暗闇の中でぼくと絡み合っていた女は、郁子ではなかった。
――じゃあ、あれは誰だ?
今度は夢なんかじゃない。
あの肌の感触、匂い、それに―この指先についた、女の愛液。
中指と人差し指で糸を引いている液体を見つめ、
ぼくは、ポケットの中で、硬く疼いている部分をそっと押さえる。
――郁子は、知っているんだろうか?
あの女が何者なのか、とか、停電のあいだ郁子がどこで何をしてたのか、とか、
気になることは山ほどある。
しかし差し当たってのぼくの気がかりは、
あの女とのふしだらな行為を郁子に見られていやしないか。ということだった。
――他の女とあんなコトやってたのがばれたら……このあと郁子を口説きづらくなる!
そう。この期に及んでぼくは、郁子と深い仲になる計画を諦めてはいなかった。
共通の恐怖体験。男女の絆を強めるのに、これ以上の媒体はない。
……共通の恐怖体験なら、もう一年も前に経験済みだという事実は、この際忘れることにする。
ぼくは、郁子の様子を覗った。
郁子はぼくに背を向け、最初にヨロイの立っていた辺りをぼんやり眺めている様子だ。
ぼくはその肩に手を掛けた。
「なあ郁子……」
「ひゃあぁっ?!」
郁子はえらく驚いた様子で肩を震わせ、ピョコンと跳ね上がった。
「あ……驚かせてごめん。あ、あのさ」
「え? な、なに? わ、私なんにもしてないよ?!」
―何言ってんだ?
見れば郁子は、妙におどおどした態度でぼくから眼を逸らし、
近付くぼくから、距離を置こうとしている。
――これはもしや……さっきのアレを見て、ぼくに不信感を抱いてるんじゃあ……。
ご、誤解だ! そう思ってぼくは、郁子に弁明を試みることにした。
「あ、あのさ郁子。さ、さっきの女のことだけど……あれは、違うんだ」
220:月下奇人
08/04/15 22:50:31 5yECaMUV
「へ? お、女? 女って何?」
郁子は訳が判らない、といった顔つきで訊き返してきた。
――しまった! 郁子はアレを、見てなんかいなかったんだ!
「ねえ守。女って、何?」
郁子は、いつになく静かな口調でぼくを問い質す。ま、まずいぞ――。
「いやあの……停電の時、例の……山道で見た裸の女が、ここに居たみたいなんだよ」
「え? あの人がここに? それ本当なの、守?」
「ああ……郁子は、見てないの?」
郁子は眉をひそめてかぶりを振った。 ―しめしめ。なんとか話を逸らせそうだ。
しかし――。
口からでまかせで言った言葉が、よくよく考えてみると、意外に真実をついてるように思えてくる。
この屋敷には、あの、裸の女を追ってたどり着いたようなものなのだし―
最初から丸裸だったのも、あの女だったからだと考えれば納得がいく。
「もしかすると……ミイラやヨロイを動かしたのも、あの女なのかもな……」
「じゃあ停電も、彼女が?」
ぼくらは暫し考え込む。
あの短時間に、女手一つであれだけのことをやってのけるのが、可能かどうかは別にしてもだ。
――この屋敷に、ぼくらに悪意を持っている何者かが存在しているのは、間違いない。
ぼくは、未だ女の体液でぬめっている指で、こぶしを握った。
「よし……行くぞ」
ぼくは階段を上ろうとする。
「ちょ……行くって、どこによ?!」
郁子があわ食ってぼくの腕を掴む。
「決まってる。あの女を捜しに行くんだ。
なぜ、コソコソ隠れて、ぼくらをこんな目に合わすのか……
とっ捕まえて、徹底的に、小一時間問い詰めてやる!」
「そ、それサイアク……じゃなくて! なんで二階なの? 女の人がどこへ行ったかも判んないのに」
―それもそうだ。
でもぼくの勘は、なんとなく、彼女は二階に居ると言っている。
「私は……どっちかっていうと、一階に居るような気がするかな……」
ぼくらの意見は、真っ二つに分かれた。
こういう場合はいつも、勘の鋭い郁子の意見を聞くのが定石なのだが――。
「いや。やっぱり二階を見よう……おそらく、二階の方が部屋数が少ないからすぐ済むと思うんだ」
ぼくがそう言うと、郁子はあえて反論することもなく頷いた。
「よし、それじゃあ」
ぼくは、ウエストポーチから、ボイスレコーダーとデジカメを取り出した。
「守、まさか」
「そう。そのまさか」
ぼくはまずデジカメを構え、ホールのスナップを幾つか撮った。
そして、おもむろにボイスレコーダーのスイッチを入れる。
「……現在二十二時〇一分、××山中、廃屋玄関ホール。今から二階の探索を開始」
スイッチを切ると、呆れ顔の郁子に笑いかけた。
「これでも超科学雑誌の編集者だからね。ミステリアスな廃屋敷に起こる超常現象の謎……
こんなおいしいネタを、放っておく手はないって訳」
いきなり記者モードに入ったぼくを前に、郁子は、処置なしといった顔つきで溜息を吐いた―。
221:月下奇人
08/04/15 22:51:07 5yECaMUV
二階に上がろうとした時、ぼくは、サバイバルナイフを失くしたことに気が付いた。
さっきの停電のドサクサで、どこかに落としたのだろうか?
探したけれど見当たらないので、仕方なく、暖炉の火掻き棒を拾って持っていくことにした。
こんなモンでも、ないよりゃマシだ。
「さあ行くぞ!」
と言って振り返ったら、郁子は一人でとっとと階段を上がろうとしていた。
「ちょ、待てよ!」
郁子の後を追って、ぼくも階段を上り始める。
ぼくの眼の前で、郁子のボリュームのあるヒップラインが、左右に揺れている。
郁子は、お尻に特徴のある子だ。
幅広く、大きく後ろに突き出した、肉感的なお尻。
それでいて形良く、引き締まったカッコいいラインをキープしている処がすごい。
全体的には細身だし、腿もウエストも標準より細いくらいなので、このお尻は余計に際立つ。
特に尻フェチではなかったぼくだが、郁子のせいで、最近はすっかり宗旨変えさせられてしまった。
そんな郁子の魅力的なお尻を見ている内に、ぼくの心に、ふと疑問が湧いてきた。
ぼくはさっきの停電のさなか、別の女を郁子と間違って抱こうとした。
これがどうも、おかしい気がするのだ。
そりゃあ、ぼくと郁子はウンザリするくらいに清らかな関係で、
ぼくは未だ、郁子の肉体にろくに触れたこともない。
だけど―いくら触れたことがないとは言ってもだ。
郁子のように判りやすい身体的特徴を持っている女の子を、他の女と間違えるなんて。
暗かったせいと言われればそれまでなのだが―どうにも釈然としない。
あの時聞いた微かな声も、その匂いや感触にも、全てに違和感がなかったのだ。
――単に、おれが鈍いだけなのか?
郁子の尻を目前に見ながら、女が立ち去る直前、一瞬掴んだヒップの感触を思い出す。
――本当に……この尻とあの尻は別尻なのか?
思いつめたぼくは、眼の前の郁子の尻に手を―――伸ばしかけたが、思いとどまった。
そんなことをしでかした日には、命がいくつあっても足りないだろう。
出しかけた手を引っ込めて、ぼくは、しょんぼりと溜息を吐いた。
二階に着くと、ぼくはまず、例のミイラの部屋から検めた。
あのミイラは―と覗いてみると、やはり、車椅子もろともその姿を消していた。
部屋に入ってあちこち調べてみたが、特に怪しいところは無い。
最初に見つけた赤い本が置いたままになっていたので、手に取ってみた。
表紙に金箔の型押し文字で、“Diary”と記されている。
「日記帳だ……」
パラパラとめくっていくと、突然、真っ赤な頁が現れた。
一瞬、血に見えたそれは、月下奇人の押し花だった。
「うっ」
ぼくは思わず日記帳を投げ捨ててしまった。 ―どうもこの花は、苦手だ。
「この部屋には何もなさそうだ……行こう」
訝しげにぼくを見る郁子を促し、ぼくは、ミイラの部屋を出た。
「さて次は……」
「守、こっち」
ぼくが考える間もなく、郁子はもう、ミイラの部屋の隣―廊下左側、一番奥のドアを開けていた。
中を覗くと、なんだか線香臭かった。ライトを向ける。
222:月下奇人
08/04/15 22:51:51 5yECaMUV
そこは、奇妙な部屋だった。
窓のない室内は、床も壁も天井も、あらゆる場所がビロードの赤い布で覆われている。
奥には、やはり赤い布を掛けられた祭壇のようなものがあり―
そこに、蝋燭の立った燭台二本と、それらを従えるようにそびえ立つ、奇妙なオブジェがあった。
「何これ? 十字架とは違うね?」
郁子は、長細い台の先に取り付けられた、眼の高さより少し上にあるそのオブジェを、
しげしげと眺めている。
銅製とおぼしき、若干赤みがかったそのオブジェの形には、見覚えがある気がした。
――どこで見たんだったか……。
あごを捻るぼくの足元で、何かがカサコソと音を立てた。
「うわぁっ!」
それはゴキブリ―ではなく、干からびた月下奇人の花弁だった。
よくよく見ると、祭壇の上も、その周囲の床も、夥しい量の月下奇人の花で埋め尽くされていた。
「秘めた信仰……」
郁子が、ぽつりと呟いた。
「え?」
ぼくは郁子を見る。彼女はなんだか、遠い眼をしていた。
「花言葉よ。月下奇人の。月下奇人は常世の花。神の御許に咲く……」
「おい郁子! なに訳判んないこと言ってんだよ!」
ぼくが声を荒げると、郁子は、夢から覚めたように眼を見開いた。
「あ……れ? 私、なんでこんなことを?」
郁子は、おろおろと取り乱している。ぼくは、郁子の肩を抱いた。
「……まあ、今夜は変な目にばっか遭ってるからさ。調子狂うのも無理ないよ」
フォローしつつもぼくは、心の中で郁子の台詞を反芻していた。
――秘めた信仰。
これは単に、この抹香臭い部屋の雰囲気から連想されたイメージの過ぎないのか?
あるいは―郁子の超感覚が、この部屋で何かをキャッチした結果なのだろうか?
ぼくは、郁子に眼を遣った。郁子の不安げな眼が、ぼくを見返した。
「守……もう、出よ?」
ぼくらは、部屋を出ることにした。
その後、ぼくらは二階の部屋を片っ端から調べたが、特に変わったものは見当たらなかった。
「この部屋で最後だな……」
廊下右側の一番奥。他とは違う黒っぽいドアには―鍵が掛かっていた。
「鍵が要るな」
「鍵だけじゃ駄目みたい……ほら」
ドアの四隅が、釘で打ちつけられていた。
「釘抜きも用意しなきゃ」
「開かずの間……ってとこかな。
こんな風に詰まった場合、ロックの掛かった場所は一旦スルーして、
他の、クリア出来そうなステージを片付けてから、出直すのがセオリーだよ」
「守、それ何の話?」
「この世界の常識の話。じゃ、ホールに戻ろう」
やはり、郁子の勘の方が正しかった訳だ。
二階に何もなかった以上、女も、ミイラも、ヨロイも、全て一階に居る、ということになる。
―なんか、ぞっとしない話だ。
「ねえ、やっぱり、この屋敷から出ない……?」
223:月下奇人
08/04/15 22:52:30 5yECaMUV
ぼくの心中を察した郁子の言葉。だが、ぼくにだって意地がある。
いったん記者モードになった以上、そう簡単に取材先から逃げ出す訳にはいかないのだ。
「最後まで調査しなきゃ。大丈夫。いざとなったら、この火掻き棒で戦うさ」
「もう! 変な処で意地っ張りなんだから!
そんな攻撃力なさげな武器で、ヨロイとかに勝てる訳ないじゃん!」
「そんなことはないよ。攻撃力の不足は、頭脳とテクニックでカバー出来るもんさ」
ぼくがそう言った途端、眼の前にヨロイがヌッと現れた。
ぼくらは、仲良く悲鳴を上げた。
ヨロイはガシャンと音を立て、手に持った剣を振りかざした。
「ま、ま、守っ! ほ、ほら、頭脳とテクニックでなんとかしてっ!」
ぼくは頭脳とテクニックを駆使して、逃げた。
「郁子、こっちだ!」
郁子を伴い、ぼくは一階の廊下を駆け抜けた。
ヨロイは、大仰に音を響かせつつ、結構なスピードで追いかけてくる。
必死で走るが、このままではいずれ追いつかれてしまうだろう―――。
と、角を曲がった処に、少し開いたドアを見つけた。
灯りが点いている。 ―少し迷ったが、ぼくらはその部屋に隠れることにした。
ドアを閉め、息を殺してしゃがみ込む。
ヨロイの音が部屋に近付き――部屋を素通りして、遠ざかって行った。
音が完全に聞こえなくなるのを確認すると、ぼくらは、ガックリと床に座り込んだ。
「全く、口ばっかなんだから!」
「だ、だってさ、あいつ、実際向かい合ってみると意外と迫力あってさ……」
「言い訳しないの!」
郁子のキツイ一言に、ぼくはシュンとなった。
「それはそうと……この部屋は凄いな」
ぼくは話題を変えようと思い、部屋についてコメントをした。
ここは、書斎だった。
広い室内をぐるりと囲む本棚。それが、おびただしい量の本で隈なく埋め尽くされている。
「図書館みたいね」
郁子も、圧倒されて溜息を吐く。
ざっとみたところ、様々な学術の専門書らしきが多い。しかも大半が洋書というか、原書だ。
その中には、クロウリー、カリオストロ、ノストラダムス、といった、
有名なオカルティストの本も、かなり多く混じっているようだった。
「この屋敷のあるじは、相当にエキセントリックな人物だったらしいな」
「そんなの……今まで私たちにしてくれた持てなし方で判んじゃん」
「……まあね」
ぼくは、部屋の中央に置かれた書き物机の引き出しを開けた。
中には、割と新しい感じのスクラップブックが入っている。
ぼくはそれを開いた。郁子も横から覗き込む。
スクラップブックには、新聞や雑誌の切り抜きが、几帳面に貼り付けられている。
見ていく内に―段々、ぼくらの表情は曇ってきた。
切抜きの記事は、夜見島事件に関連したものばかりであった。
新聞の自衛隊ヘリ消失事件の報道に始まり―マイナー雑誌のほんの数行の些細な記事や、
ネットの書き込みをプリントアウトしたものまでが挟み込まれている。
中には、ぼくが“アトランティス”に掲載した夜見島レポートも、当然入っていた。
それだけではない。
後ろの方には“アトランティス”の、夜見島とは全く関係ない切抜きばかりの頁があった。
224:月下奇人
08/04/15 22:53:14 5yECaMUV
次号予告や読者プレゼント、編集後記といった、どうってことのない記事の数々――。
それらは皆、このぼくが担当して作った記事だった。
――このスクラップを作った人間は……ぼくのことを、知っている?
ぼくは、ザワザワと身の毛がよだつのを覚えた。
それは今までとは違い、もっと湿度の高い、気持ちの悪い恐怖だった。
「守…………」
蒼ざめるぼくに、郁子は労わるように寄り添った。
郁子の肌の温かさが―なぜか、ホールで抱き合った裸の女の感触を思い起こさせた。
「大丈夫。大丈夫だ……」
ぼくはつい、郁子から離れてしまう。郁子は、ちょっとだけ寂しそうな顔を見せる。
でもすぐにいつもの勝気な表情を取り戻し、ぼくに言った。
「そ。だったらもう行こ! いつまでもこんなかび臭い部屋に居たって、しょうがないじゃん!」
書斎の扉を開けて廊下を見廻す。
―ヨロイの気配は無い。ぼくはビクビクしながら部屋を出た。
「ねえ。のど乾いた」
廊下を歩きながら、郁子はそんなことを言ってきた。
「走り廻ったからのど渇いた。何か飲むもん持ってない?」
んなこと急に言われてもなあ。
スポーツバッグに飲みかけのペットボトルがあったかも知れないが―
いや、あれは車に置いてきたんだったかな?
「そうだ。ここの台所に何かあるかも! 行ってみようよ」
郁子は考え込むぼくの腕を引っ張ろうとする。
「ちょっ、ちょ……こ、こんな廃屋にあるものを口にするなんて」
「ものは試しよ! 瓶詰めの物とかならきっと平気だって!
こんな大邸宅なんだからさぁ。ひょっとしたら、ワイン倉くらいあるかもしんないじゃん」
郁子―。君はこんな処で飲んだくれるつもりなのか――。
逞しいというかなんというか。
でも本当は判っている。
郁子はわがままを言ってる風に見せかけて、
ぼくの気を、さっきのスクラップから逸らそうとしてくれているのだと思う。
ぼくは最近、郁子の思考ルーチンをある程度は理解出来るようになってきていた。
もうかれこれ一年近く付き合ってきたおかげだ。
付き合ってきた、とは言ってもそれがただの“友達付き合い”というのが切ない処ではあるが。
そうこうする内に、ぼくらは観音開きの大扉の前に来ていた。
「これはきっと食堂のドアね。てことはこの奥に厨房が……」
郁子は重そうな扉を両手で押し開ける。ぼくはすかさず、ライトで中を照らした。
真っ暗な中、白いテーブルクロスの上で蠢いていた黒い塊が、パッと散った。
「うわっ」
「いやぁっ」
ぼくらは悲鳴をあげて跳び上がった。
そこは、郁子の言った通り食堂になっていた。
ただの食堂ではない。ざっと見て十人以上は一緒に食事を出来そうな広さ。
縦長の食卓の周囲は暗くてよく判らないが、
英国の古城のように重厚かつ凝った装飾で設えてあるのが、微かに見て取れる。
ただし。この立派な大食堂で食事を取っていたのは着飾った紳士淑女などではなく、
薄汚いドブネズミどもだった。
225:月下奇人
08/04/15 22:58:00 5yECaMUV
「酷いなこりゃ……」
ぼくは荒れ果てたテーブルの上をライトでたどる。
テーブル上は嵐の後のように散らかっていた。
食器やグラスの類だけではない。皿に乗っていたと思われる料理の残骸―。
しかしそれらはここに置かれてからもう随分日が経っているらしく、
ネズミどもに食い荒らされた挙句カラカラに干からびて、
クロスのあちこちにカビとなってこびり付いていた。
そして。そんな、カビとネズミの足跡で汚らしく飾り立てられた食卓の中心には――。
「う……また月下奇人かよ……」
陶製の花瓶はネズミに倒されたのだろう。ひっくり返って挿された花を散らばせていた。
赤い―月下奇人の花束を。
「も……もういいよ! 守、行こ!」
郁子は食堂に入ろうとさえしなかった。
確かにいくら郁子が逞しくったって、これほど不潔な場所に立ち入って、
あまつさえそこにあるものを口にすることなどは出来まい。
一応仮にも、女の子なんだから。だからぼくは言った。
「郁子、ちょっとそこで待ってて」
せっかくこっちに足を運んだのだから、この奥にある厨房の方も覗いてみようと思ったのだ。
「はあ? ちょっと何する気なの?」
当然郁子は不満げな声を上げたが、ぼくは「すぐ戻るから」と言い残し、奥へ続く扉を開けた。
開けるとすぐに使用人用と思しきダイニングキッチンがあり、その更に奥が広い厨房になっていた。
「意外と綺麗だな……」
食堂の惨状から、こちらもかなり悲惨な有様になっているに違いない、と覚悟して来たのだが。
コンロも調理台もほこりが積もってはいるものの、きちんと片付いているし、
比較的清潔に保たれているようだ。
ぼくは、ライトを巡らせざっと辺りを見廻した。
これも一応、取材活動の一環だ。
謎のミイラ。人を襲うヨロイ。そして、夜見島事件についての記事を集めたスクラップ。
この屋敷には、何か途轍もない秘密が隠されているに違いない。
こうなったら、とことんまで突き詰めて調べてやろう。
ぼくは半ばヤケクソのような気持ちになっていた。
前の夜見島の一件でも思ったのだが、人間、恐怖や絶望が臨界点を超えてしまうと、
自分でも思いがけないほどの行動力を発揮するものだ。
こういうのを、火事場のクソ力と言うのかも知れない。
「ただの逆切れなんじゃない?」
うん、そうも言うか。って―。
「わ、郁子?! 結局来たのかよ」
「だあって、一人じゃ心細いんだもん」
郁子ふくれっ面でそっぽを向いた。
「こっちはそんなに荒れてないんだね」
「そうだな。何か飲むもの探してみる?」
「それはもういい……さっきのあれ見たら、そんな気失せた」
郁子は食堂の方を振り向いて肩をすくめた。
「それより守? ここ、何か変な音してない?」
「変な音?」
ぼくは耳をそばだてる。
226:月下奇人
08/04/15 22:58:34 5yECaMUV
どこかで、虫の音が聞こえた。
秋の虫が鳴くにはまだ早い気がするけれど、山奥ってこんなもんなのかもなあ。
などと思いながら聞いていたが、だんだんと違和感が生じてきた。何か違う。
「これ……電話の音?」
ぼくらは顔を見合わせる。
小さく篭った音で判りづらいが、これは間違いなく電話の音だ。
それも昔懐かしい、ダイヤル式の黒電話。
「何でこんな廃屋に電話が……」
「で、でもどこにあるの? 電話なんて」
二人してあちこち見廻してみるが、それらしきものは見当たらない。
「無いな……あとは」
ぼくらの目線は、厨房の奥に鎮座している巨大なステンレス製冷蔵庫に向けられた。
「まさか……この中にはないよな」
ぼくは冷蔵庫を開けてみた。
開けた途端、けたたましいベルの音が鳴り響いた。
―あった。冷蔵庫一杯に詰め込まれたブロック肉に埋もれた、クラシックな黒電話。
冷蔵庫の中から電話が出現するというシュールな事態に、ぼくは一瞬、眼が点になった。
「これって出るべきなのかな?」
ふと気になって郁子に尋ねてみた。彼女は、なんとも微妙な表情でぼくを見上げた。
「出たいんだったら出てみれば?」
「でも……何て言って出たらいいんだろう? おれ、この家の住人でもないのに」
「……とりあえず“もしもし”って言ったらいいじゃん。はい」
郁子はどこか憐れみを帯びた瞳でぼくを見やりつつ、
冷蔵庫から電話を引っ張り出してぼくに手渡す。
ぼくは仕方なく受話器を取った。
「……もしもし」
電話の相手は、何も喋らない。でもちゃんと繋がっているのは気配で判った。
ぼくは、もっと向こうの様子を聞き取ろうと受話器に耳を押し付ける。
『……ふ……くぅ……ふふっ』
微かな息遣いに混じり、女のすすり泣きのような声が聞こえる。
本当に微かなその声は、聞きようによっては含み笑いにも、或いは隠微な喘ぎ声にも聞こえた。
「もしもし?」
ぼくは薄気味悪くなってもう一度呼びかけてみた。
すると突然、郁子がぼくの腕を掴んでめいっぱい揺さぶった。
「守…………これ、繋がってない!」
何事かと思い電話機を見下ろすと―電話のコードが、ちょん切れていた。
ちょん切れていると言うよりは、引きちぎられていると言った方が正確かも知れない。
どちらにしても確かなのはこの電話の回線は繋がってはおらず、
よって受話器から人の声が聞こえてくることも、ありえないということだ――。
と、ぼくがここまで思考を進めた処で、突然、受話器の中で女の甲高い笑い声が聞こえた。
「ぎゃあっ」
驚いたぼくは電話を取り落とした。床に落ちた受話器からは、未だ女の笑い声が漏れ聞こえている。
「ま、守……」
「……こんなのただのトリックだ。絶対に何か仕掛けがあるに違いない」
ぼくは、やっとのことで声を絞り出す。
「でも」