うふ~ん DELETED
うふ~ん
251:うふ~ん
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うふ~ん
252:うふ~ん
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うふ~ん
253:うふ~ん
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うふ~ん
254:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 17:43:03 tcyRftdX
デ
255:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 17:46:11 tcyRftdX
リ
256:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 17:49:19 tcyRftdX
ヘ
257:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 17:51:23 tcyRftdX
ル
258:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 17:57:01 tcyRftdX
!
259:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 18:38:47 1Ce9xVvV
于甫甫(うほほ)
于甫の子、後満の相国。後満の事実上の建国者。
主君の満満とは非常に強い絆で結ばれていた。
そのため同性愛者疑惑まで浮上するほどだったという。
260:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 18:39:07 1Ce9xVvV
衛厨(えいず)
斉の将。「斉苗五本槍(後に四天王)」の一人。八十斤の大斧を小枝のように振り回す猛将。
荷洋族の戦士倉観路吾に討たれた。
261:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 18:42:49 1Ce9xVvV
韓燕(かんえん)
斉の将。「斉苗五本槍(後に四天王)」の一人で、二槍の使い手。
荷洋族の戦士経瑠辺洲に討たれた。
262:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 18:43:22 1Ce9xVvV
倉観路吾(くらみじあ)
斉・後満の将。得物は十一尺以上ある長槍。
北方の荷洋族の戦士だったが斉苗の人柄に惚れ親友経瑠辺洲(へるぺす)とともに帰順。
輪鋲・梅読・経瑠辺洲らと「斉苗四天王」と呼ばれ恐れられた。
斉苗の死後は公子斉天桓の腹心となり後満の将として活躍した。
満満の死の前年に荷洋族に討たれ戦死した。
263:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 18:43:42 1Ce9xVvV
佐々木 紺次郎武(ささき こんじろうむ)
倭国出身の剣豪。
剣の道を志し、己を鍛えんがため戦乱の続く厨国へと渡り、斉苗の武勇に惚れ込み配下となる。
三尺余りの長刀「モノ欲しい竿(ものほしいざお)」を自由自在に操り、
落ちてくる栗を相手に編み出した秘剣「万栗返し(まんぐりがえし)」を繰り出す。
264:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:13:07 1Ce9xVvV
斉奕(せいえき)
斉苗の次男。
斉国の文武両道の将で斉苗に劣らぬ将器の持ち主。
対満、陳戦などにおいて兪備曼らと共に作戦立案にあたり、
的確な策で斉の勝利に貢献した。
彼も父と同じく郁々の戦いにおいて性病で死ぬ。
265:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:13:28 1Ce9xVvV
斉昂(せいこう)
斉苗の三男。
斉苗に劣らぬ武勇を誇る猛将。
対満、陳戦など全ての戦いで先鋒を務め、数多の首を取った。
彼もやはり郁々の戦いにおいて性病で死ぬ。
266:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:13:49 1Ce9xVvV
斉嵯(せいさ)
斉天桓の子とされているが実際は養子という説もある。
後満最後の宰相として奮闘したが、
後満4代(満の6代)皇帝満志尾(まんしお)が暴君だったせいもあり、
思うに任せず、結局祖国を陳の魔の手から救えなかった。
陳による病巣占領後自刎して果てた。
267:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:14:12 1Ce9xVvV
斉司(せいし)
斉苗の嫡子。
人海戦術を得意としたが、烏合の衆を金で操ったようなもので、
戦争が終わると軍が全滅状態になってしまっていたという。
実は兄弟一の愚将かもしれない。
彼も郁々の戦いにおいて斉家の祟りか、性病で死んでいる。
268:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:14:38 1Ce9xVvV
斉天桓(せいてんかん)
斉の公子。
一族の病死により王位継承権を得たが、于甫甫の説得により満満に降る。
主に北方守備を担当し、靺腸族や荷洋族に睨みを利かせていた。
殷陶による恐怖政治が起こると、国難に憂いた于甫甫は斉天桓の下に走り助力を求めた。
斉天桓は一計を案じ、自ら女装して殷陶の宴の席に潜入し、彼を討つことに成功する。
その後、満満の長子・満耳流(まんじる)を立て、後満の前座位将軍に任命された。
女性説や宦官説、国のために泣いて一物を切った義侠説など、その素性は謎が多い。
人材不足の斉末期・後満時代において、于甫甫と並ぶ大黒柱である。
269:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:54:35 1Ce9xVvV
斉苗(せいびょう)
字は菅栴(かんせん)。陳歩生涯の宿敵。
「人中に斉苗あり、馬中に赤痢あり」と賞された剛将。愛馬は赤痢馬(せきりば)。
野心高き男で、若くして大兵を擁し、武勇に優れ、前魏を実質的に崩壊させた男である。
やがて、天下統一を目指して動き出した斉苗、
向かう所敵無しであり、大陸の覇者となる日も近いと噂されていたが、
陳を攻めた時に、生涯の宿敵・陳歩と出会う事になった。
その当時の陳歩は、初陣で道卓を失ってから一度も負けたことが無く、脂の乗り切っていた時期である。
そんな陳歩との初戦で、斉軍の中を無人の野を征くが如く縦横無尽に暴れまわる彼を見た斉苗は、
おもわず側近の于甫に「于甫、いい漢だなぁ」と漏らし、
戦時中にも関わらず陳歩の陣に名産の耶羅那烏賊を送らせたという。
それを受け取った陳歩もまた、斉苗の度量の大きさを感じ、お互いを認め合う仲となる。
この戦いは、お互い兵站の問題や、満の圧力によって戦いを続けられなくなり、引き分けに終った。
陳と一時停戦した斉苗は、他の土地に勢力を伸ばそうとし、
王南三兄弟等の豪傑と戦い、その力を更に伸ばしていく。
やがて、満は陳歩の前に大敗を喫し、満の圧力は弱まった。
しかし、斉にとっては、今や満よりも満を大敗させ、
一躍勢力を拡大した陳の方が脅威となり始めていたのである。
斉苗は、陳へ兵を派し、再び陳歩と合間見えることとなった。
陳と斉の総力がぶつかり合った戦いは、勝ったり負けたりの一進一退で、
策を用いて陳歩を討ち死に寸前まで追い詰めた事もあり、
大いに嘆かせた事もある。(郁々(イクイク)の嘆)。
しかし、斉苗は天命に恵まれなかった。
やがて陣中にて性病にかかり、若くしてその命を落とす。
陳歩はその死を聞いた時、身内の死の様に嘆き悲しんだと言われている。
270:>>269の続き
10/09/06 20:54:57 1Ce9xVvV
しかし、袁如と影で手を結んでたという黒い噂もある。
当時、袁如の国で流行ってた性病に斉苗はかかっており、
その性病は斉苗の国では流行ってなかったらしい。
また、これは斉苗の武勇を恐れた袁如の策では無かったのかという説もある。
何にしろ、袁如と関わってしまったことが、
彼の死を早めたと言うことだけは疑いようの無い事実であろう。
追記:斉苗は真性のブス専だったらしく、腐美人という屋追族出身の正室がいた。
271:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:55:28 1Ce9xVvV
■赤痢馬(せきりば)
斉苗の愛馬。
一日に千里を駆けるといわれ、その速さは赤痢菌に侵された腹の如し。
しかし、斉苗が病で没すると後を追うように死んだという。
その死因は赤痢であった。
■汗尻馬(かんけつば)
性域地方産の馬で、痔を垂れ流してでも走り続けるとされる名馬の種。
通説では赤痢馬も汗尻馬の一種と目されている。
■耶羅那烏賊(やらないか)
斉苗出身地の名産品といわれている。
272:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:55:48 1Ce9xVvV
梅読(ばいどく)
斉苗配下の将。
「斉苗五本槍(後に四天王)」のひとり。得物は片方で五十斤ある双戟。
第二次鎮江攻防戦で兵糧庫を守るが油断して酒宴をしていたところを
満軍に急襲され兵糧庫を奪われ敗戦の原因をつくる。
満軍の捕虜となり鼻を削がれた後斉苗のもとに送り返されるが、敗戦の責を問われ処刑される。
273:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 20:56:18 1Ce9xVvV
腐美人(ふびじん)
斉苗の正室。屋追族の人、厨国三大醜女の一人。
たいへん醜い容姿だったが、ブス専であった斉苗に気に入られ正室となった。
虚言癖があり、「後威零帝に犯された」と出鱈目を斉苗に吹き込み岸安事件を引き起こさせた。
(この虚言癖についてだが何故か史書・小説によって記述が異なり、
『下通鑑』『艶義』などでは袁如一人が原因とされているが
ここでは虚言癖説を採る『精子』に準拠した記述なのでご了承いただきたい。)
死後、不美人草になったという伝説がある。
狂劇や『艶義』では悲劇のヒロインとして美化されている。
■斉王別姫(せいおうべっき)
斉苗と腐美人の悲劇的な別れを題材にした狂劇の演目。
かなり脚色されており史実とはかけ離れている。
悲劇のヒロインとされる腐美人役は劇団一の美女が演じることになっている。
274:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 21:51:41 1Ce9xVvV
経瑠辺洲(へるぺす)
斉の将。得物は五十斤以上はある方天画戟。
北方の荷洋族の戦士だったが斉苗の人柄に惚れ親友倉観路吾(くらみじあ)とともに帰順。
輪鋲・梅読・倉観路吾らと「斉苗四天王」と呼ばれ恐れられた。
郁々の戦いで戦死した。
275:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 21:52:06 1Ce9xVvV
兪備曼(ゆびまん)
斉苗配下の軍師にして猛将。
自らの計略、「二穴攻めの計」について、
「あれほど恐ろしい計略は前例がない。
たとえ千年経とうとも、これを越える戦法はないだろう」と語っている。
確かに引っ掛った軍はたちまち敗走してしまう程の恐ろしい策ではあるが、
本人にも多少ナルシスト的なところがあったのかも知れない。
276:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 21:55:23 1Ce9xVvV
劉待(りゅうまち)
斉の太守。
第二次鎮江攻防戦にて満国に捕らえられた後に満国軍に加わり、
第三次鎮江攻防戦では、陳巣肛軍を撃退し勝利した斉軍により粛清された。
277:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 21:55:44 1Ce9xVvV
輪鋲(りんびょう)
斉苗配下の将。「斉苗五本槍(後に四天王)」の一人。
双剣から繰り出される華麗な剣技を武器にする。
同僚梅読とともに斉苗に従い各地を転戦した。
武勇に優れ、陳軍の誇る猛将達を手玉にとる活躍ぶりで
あの陳歩をして
「斉苗ばかりか輪鋲までも相手にしなければならないとは…」
と嘆かせたほどの猛者であった。
医学の心得もあり、性病に苦しむ主君、斉苗の治療にあたったのは彼である。
主君の死後は野に下り、斉苗から与えられた邸宅を斉苗家(せいびょうか)と名付け、
そこで性病に苦しむ人々の治療にあたった。
278:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 21:56:21 1Ce9xVvV
■陳国(ちんこく)
西北、巴蜀、荊州を占める大国。首都は玉京(たまきん)。
陳国国境から首都玉京までを結ぶ街道に尿道がある。
■斉濃(せいのう)
巨山・摩羅(まら)山のふもとに位置するほか、周囲を密林に覆われるという天然の要害を持つ都。
土地は肥沃だったが、摩羅山は当時活火山だったということもあり、
人口は伸び悩んでいたが、なぜか優秀な人材が多く輩出された地でもある。
陳歩は、摩羅山信仰の第一人者でもあった。
■尿道(にょうどう)
陳国の国境から首都玉京までを繋ぐ街道。
近くに川が流れているのが特徴である。
たまに洪水になったときは大量の水や、
臭い白い液が尿道を通ることがあり治水工事の必要性を感じさせるが、
これによって敵を撃退したことが何度もあるのでそれはしないらしい。
陳歩が首都玉京を占領されて復職した時に敵を撃退できたのも、
この洪水で敵の補給部隊が壊滅したためであり、まさに陳国に尿道ありと言ったところだろうか。
279:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/06 22:44:24 /rKy25Lh
こんなに必死になって荒らす程のことかねぇ?
理解出来ないし。しようとも思わんけど。
280:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 00:28:54 w4of3hYZ
何を考えてこういう奇行をするに至って、この行動にどういう意味があるのかが知りたい
百合スレのあいつとか
281:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 01:53:38 ISu6CDtw
早く新作出してほしいなあ
282:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
283:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 06:28:36 l+hxa8zL
止めたいけど小心者だからバカにされるのが怖いんだろ
284:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 06:31:20 cbREHafZ
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
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285:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 06:41:44 cbREHafZ
ここの住人はカスここの住人はカスここの住人はカスここの住人はカスここの住人はカス
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286:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 06:43:08 cbREHafZ
キンタマ屋
287:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 06:43:41 cbREHafZ
いちもつ堂
288:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 11:14:41 /TsAVVgU
こんなことしても君の恨みは晴れないと思うよ
むしろ蓄積されてく一方だと思う
荒らすの止めてもっと自分が楽しいってことをやった方がいいです
289:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 12:29:52 cbREHafZ
チン毛
290:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 12:31:10 cbREHafZ
マン毛
291:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 12:31:50 cbREHafZ
胸毛
292:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 12:32:29 cbREHafZ
脇毛
293:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 12:33:10 cbREHafZ
ケツ毛
294:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 13:37:21 9E6vGbvw
スレ住人を胡散臭く感じてるってのならわかるけど
295:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 13:47:34 CW2kjdFV
ふぐり屋さんは今忙しいの?
296:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 17:21:56 cbREHafZ
ふぬ
297:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 17:22:28 cbREHafZ
け
298:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 17:23:22 cbREHafZ
の
299:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 17:24:35 cbREHafZ
ふぐ
300:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 17:25:21 cbREHafZ
り屋
301:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
302:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
303:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
304:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
305:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
306:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 19:35:18 kk3ur4MP
阿鼻叫漢(あびきょうかん)
五度牡牝行の僧兵武将。
敵を一瞬にして絶頂から苦痛に導き戦闘不能にしてしまう妖術を使う。
彼の戦死が、五度牡牝行が陳国に帰順せざるをえなかった大きな要因となる。
307:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 19:35:39 kk3ur4MP
泡姫(あわひめ)
陳歩の不倫相手。当時厨華一とまで言われた美貌の持ち主。
一族郎党は黄明党に殺され、当時赤子だった彼女を拾った養父郭子呉のもとで美しく成長し、
数々の典籍を修め、礼法にも通じ、稀代の才女と呼ばれた。
才人を好む陳歩が全てを放り出して愛したというのも頷ける。
陳歩との間に陳夏諏という子を授かる。彼もまた一流の教養人であった。
308:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 19:35:59 kk3ur4MP
院歩(いんぽ)
陳歩が雌伏の時に名乗っていた名前。
309:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 19:36:20 kk3ur4MP
殷蒙(陳毛)(いんもう)
殷蒙は陳歩の養子である陳毛(ちんげ)の事。
殷蒙とは、養子に入る前の名。
宮美麗の戦い後、「殷家」に立ち寄った陳歩が一目見て気に入り養子にした。
その後は「陳毛」に名を改めさせ自分の身辺警護などをやらせたが、
いかんせん地味であり、そのちぢれた性格は腐敗のニオイの元とも言われた。
満攻めの戦いにおいて、背貢須に援軍を出さず傍観していたことを咎められ、
陳毛は親子の縁を切られ殷蒙にまた戻った。
そして胤金暗殺事件を期に没落。廃班置漢の際に領地を全て没収された。
しかし陳歩は彼を最後まで殺さなかった。
おそらく陳歩は殷蒙をそれくらい好感を持っていたのだろう。
ただ、殷蒙には将たる資質がなかっただけなのかもしれない。
雲国の丁毛との戦に勝てたのも僥倖であろう。
310:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 19:36:41 kk3ur4MP
淫乱寺尿道(いんらんじ にょうどう)
陳国の老僧。
現在最古の寺院といわれる淫乱寺の教えに、尿道が陳歩から授かった教え、
「イケば天国、イケねば地獄」が残っているという。
陳国が倭国に遣わした僧としても有名。
淫乱寺尿道は技の修得中に死に、天に逝ったという。
アッチを致す際に使う「昇天」はこれが語源となっている。
311:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 20:50:54 JfxlbjDV
そんなことやってるよりハンゲとかモバゲーとかで遊んでた方が楽しいと思うぜ?
一人でできるげームもいっぱいあるから平気だよ
312:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 21:15:26 kk3ur4MP
馬魏納(う゛ぁぎな)
『陳記』には、やや後期の陳歩軍の名簿に初めて名が出てくるため古参の将ではないと伺える。
しかし『陳記』に初めて名がでた時には伍長クラスの兵であったが、
わずか5年後には朕性将軍に出世している異例の奇才児だったと伝わる。
さらに独自の兵法の書を作成し後年日本に伝わり、戦国時代では太原雪斎、上杉謙信、
徳川家康、織田信長、毛利元就、島津義弘などが愛読していたという。
書には「朕朕勇み立っては萬満逃すものなり」など大変ためになることが書かれている。
313:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 21:16:05 kk3ur4MP
木直草(うえくさ)
当代随一の学者でありながら、
手にした鏡を用いた妖術で人心を惑わしたとして陳国から追放された。
その後乙女淫道に入信する。
314:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 21:16:27 kk3ur4MP
阿王漢(おおうかん)
五度牡牝行の七本棒のひとり。
教主絶麟をして、「平野では阿王漢にかなうものなし」と賞賛された野戦の名人。
315:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 21:16:55 kk3ur4MP
於義の方(おぎのかた)
陳歩の妾の一人。倭国出身。
陳歩曰く「彼女に出会ってから人生が変わった」
316:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 21:17:43 kk3ur4MP
快漢(かいかん)
五度牡牝行の七本棒のひとり。
本名は加唐、その迅速な動きは敵をして「鷹」と恐れられた。
317:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 22:13:45 kk3ur4MP
賈于覇(かうぱ)
陳国の将。南蛮夷平定戦に先陣として参加。
始め斉苗の嫡子斉司に仕え常に先鋒を務める。
斉司の死後野に下っていたがその忠義を惜しんだ陳歩は自ら賈于覇の元を訪れ仕官を勧めた。
斉司への忠誠心から仕官を固辞していた賈于覇だったが、
陳歩の(器の)大きさに感じ入り、以後陳歩の幕下に加わり数多くの戦で先陣を務める。
南蛮夷平定戦では、不江羅血王、伊魔羅血王の「吸引の計」による猛攻を受け壊滅寸前の軍を
よく支え、陳歩の「沙亜面埋伏の計」による反撃の好機を演出する。
途中彼は南蛮の猛攻の前に何度も逝かされそうになるが、
その度剣に付いた玉飾りを引っ張り気合を入れ奮戦した。
戦いの後、賈于覇はおびただしい量の汗を掻いており、その姿を見た陳歩は、
「よく南蛮の猛攻を耐え抜いた、賈于覇の汗こそ我慢の証、まさに我慢汁よ!」
と褒め称えたといわれる。
318:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 22:14:07 kk3ur4MP
顔謝(がんしゃ)
陳国末期の名将にして執政官。
陳国正上尉の謝盛(しゃせい)の配下。
『艶義』ではよく副官のような立場で登場する。
瀬宮州の戦い以後に参陣。
主に殿軍をよく任され、監禁城以後の主要な戦いの戦後処理を任される。
もっとも、ほぼ空白地となった地域にダメ押しのように
政役(せいえき)を顔役に押し付けただけ、という見方も出来る。
彼の行為は陳国末期のおごりとも思えるが、
やはり陳国としては顔謝のような役目を持った人物が必要だったのだろう。
後陳王朝に上演された歴史劇・英武威(えいぶい・舞台監督:我奈利)のラストは、
元満国の地域に彼が来、おごり高ぶった態度で村の顔役に政役を押し付けるシーンで終わり、
その後の陳国滅亡をぼんやりと暗示する。
曰く、『本蛮、顔射によりて終わり、後に残るは余韻と後悔とあたり一面の白バラのみ』。
319:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 22:14:35 kk3ur4MP
関遁(かんとん)
字は蓬瓊(ほうけい)。
邦刑夏成の親戚で陳国北東部雄南(おなん)の太守。
満との最終決戦、満光(まんこう)城塞攻防戦では本国に召還された陳歩の代わりに
総大将を務めるなど、軍才は上々で、人望もあったようだ。
その後、連合軍による大反攻作戦の際に雄南城と運命を共にした。
■性溜蜜月刀(せいりゅうみつげつとう)
関遁が愛用した重さ十八斤の大刀。
二十斤、二十一斤ともいわれる。
見た目の巨大さに比べ、意外と軽い。
320:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 22:15:13 kk3ur4MP
魏焔(ぎえん)
字は文鳥。陳の対面側位将軍。睾虫とは汗玄時代の同僚。
元から能無しの汗玄に愛想を尽かしていたが、女に現を抜かし、政治を省みぬ汗玄についに怒り、
斬殺してしまった(これが「美人局の計」)。その後睾虫と共に陳に下った。
将器ならばかなりのものがあったが、主君を裏切り陳に下ったことから尿道炎や諸除易ら文官の信頼は薄く、
ことあるごとに「奴は左曲がりの相を持っております。今斬り捨てねば国家存亡の危機になりかねませぬぞ」
と言われていたが軍権の最高責任者である陳歩は取り合わなかった。
また御主や他の武官からの信頼も厚い将だった。彼もまたその信頼に応え派手さは無いものの確実に戦果を挙げた。
が、陳歩更迭後攻め寄せてきた連合軍と陳陳・陳虎らと共に戦うが惨敗し
陳虎と防衛の要所である処襄を失う。その敗戦の責任を一人で背負わされ殺された。
陳陳ら武官は必死に彼の助命を乞うたが、彼の"天敵"宰相諸除易や
敗戦続きで気が動転しきっていた御主には聞き入れられなかった。こうして忠臣が一人無駄に死んだのであった。
321:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 22:15:33 kk3ur4MP
魏爾(ぎじ)
陳国の文官。
エーロッパの名門校、ペパーダイン大学で性治を学んだ天才として重用される。
彼は巧みなテクニックで一度も戦役に出ることなく、出世街道を歩んだ。
しかし、エロ-ッパ軍襲来時に捕虜の証言などから、
ペパーダイン大学など存在しない事が露見すると偽計の罪で斬首に処せられた。
まさに彼の成功は全部偽りのものだった、と言えよう。
322:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/07 23:21:42 xQBn/6NO
面白いと思ってやってるんだろうけど滑ってて痛いだけだな。
ワンパターンでつまらんな。
323:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 01:11:23 S/sKatzI
引込みつかなくなったんだろ
痛々しいよな
324:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 02:23:45 wvcm7ZfW
荒らしてるのって国民の義務である労働をしてない非国民なんだろうな
325:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 07:07:43 MVOGYo78
↑非国民乙
326:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
327:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 07:10:55 MVOGYo78
ここの住人は非国民
328:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
329:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 07:13:37 MVOGYo78
その花スレに良識無し
至言である。
330:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 08:24:23 MVOGYo78
カススレ
331:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 08:26:42 MVOGYo78
age
332:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 08:27:37 MVOGYo78
sage
333:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 08:28:46 MVOGYo78
名将の采配オモンネ
334:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
335:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 10:34:32 MVOGYo78
うんこしてきた
336:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 10:36:05 MVOGYo78
アナルが痛えwwwwwwwwwwwwwwww
337:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 10:37:05 MVOGYo78
wの数だけケツ毛が生えてる
338:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
339:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
340:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
341:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
342:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 12:24:26 MVOGYo78
(^ω^)
343:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
344:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 12:29:00 MVOGYo78
お好み焼きってゲロ焼いてるみたいですよね
345:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 16:32:00 MVOGYo78
お
346:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 16:32:41 MVOGYo78
前
347:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 16:37:30 MVOGYo78
ら
348:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
349:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
350:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 17:35:03 MVOGYo78
お前らはゲイ
351:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 17:38:47 MVOGYo78
チ
352:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 17:39:42 MVOGYo78
ン
353:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 17:40:12 MVOGYo78
カ
354:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 17:43:35 MVOGYo78
ス
355:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:04:34 gvh/L26m
吉狗(きちく)
屋追族出身の将。
拘束の計や脅迫の計などの姦計を得意とした。
翻能派。周靼令布の戦いに参戦。
356:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:04:55 gvh/L26m
鬼董(きとう)
陳歩が指揮する合戦では常に先鋒を志願した斬り込み隊長。
愛用の武器は名槍で知られる聖死(せいし)。
「生が一番!」が信条で、鎧兜を着けず生身の体で戦場で疾駆する。
その勇姿を見た敵将の英図(えいず)も、「その豪胆並ぶ者なし。」と舌を巻いたという。
彼の武功で最も華々しいのは窒(ちつ)城の戦い。
単身で窒城の奥まで攻め込み、窒城兵を突き殺し捲った。
そして、城の守将欄志(らんし)との一騎打ち。
お互いに死力を尽くした勝負は、鬼董の名槍聖死が欄志の下腹部を捕らえ勝負あり。
しかし、鬼董は重傷を負った欄志に止めを刺さず、逆に、十月十日手厚く看護した。
同僚の一人がその訳を聞くと、「聖死が選んだ。それだけだ。」と答えたという。
話を聞いた陳歩は鬼董の武勇と度量の大きさに感服し、鬼董に根同霧城を与えた。
なお現代で言われている、「十月十日(とつきとおか)」は、
この鬼董の人に対する情け、労りが生んだ言葉である。
■根同霧城(こんどうむ じょう)
陳歩が鬼董(きとう)に与えたとされる根同霧城は、
巨大な亀の頭の形をした楼閣を、ドーム状の城壁ですっぽり包んだ難攻不落の城。
ドームの先端部分には、籠城戦に備えて、雨水を溜めておく、通称「液溜まり」があった。
この様式は、のちにクンニ派スケベイスラーム帝国を経て、東エローパ帝国に伝播した。
今日、我々が使う「ドーム」という言葉は、この根同霧城から派生した言葉である
357:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:05:17 gvh/L26m
許昆(きょこん)
陳国の宦官。陳歩の友人。
廃班置漢や九根官人法などを施行した。
358:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:05:38 gvh/L26m
許勢(きょせい)
陳国の宦官。許昆の一族。
生まれつき睾丸が無く、宦官として一生涯を終える。
359:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:05:59 gvh/L26m
許盛(きょせい)
道卓の部下。
二曾(にぴぃ)の戦いでは、敵の「八穴同攻の陣」を看破した。
入覇普とは『刎陳の交わり』の仲。
360:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:39:52 gvh/L26m
金蛇精(きんじゃせい)
陳国の軍医。
名前が似ているのでよく勘違いされるが、満の北朝太守の金一族とは無関係である。
陳軍の強さを語るとき連戦にも耐えうる持久力がまず第一に挙げられるが、
それを陰で支えたのがこの男である。
連戦の疲労から立てなくなった兵士も彼の処方した、赤マムシ末、赤カシュウ末、イカリ草
などを配合した薬を飲むとたちまち元気に立ち上がったといわれる。
尚、彼の薬の製法は現在でも伝わっており、全国の薬局で購入可能である。
361:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:40:13 gvh/L26m
薫仁(くんにorくんじん)
字は輪具(りんぐ)。陳国の名将。
精一杯武功を立てるも、陳歩になかなか追いつくことが出来ず、やがて彼を憎む事となる。
しかし、陳歩の人柄の素晴らしさに触れるにつれ考えを改め、
彼に敬服し『飲頚の交わり』を結んだ。
みこすり半の戦いでは、先陣の邦刑が菊門の誘引にはまって包囲殲滅された際、
中軍にいた薫仁は引っかからずに済み、その後の見事に撤退戦を戦いきった。
もしも、この時総崩れし、渡河する時間が稼げなかったとしたら、
陳歩も淫水の流れに呑まれ、後世の歴史も変わっていたかもしれない。
瀬宮州の戦いでは敵将万黄に対し、突撃を得意とする陳歩が戦いやすいように先制攻撃を仕掛け、
連続突撃により陳歩軍が疲弊すると代わりに万黄と戦う事と言う共同作戦で見事勝利を収めた。
なお、名前の読み方には「くんじん」と「くんに」の二つの説がある。
362:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:51:55 1KkazJKF
NGIDが 増えていくw
それだけーwww
363:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:59:13 gvh/L26m
・・・w
364:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 19:59:45 gvh/L26m
高願(こうがん)
字は印能(いんのう)。
陳歩の幼馴染で、陳の兵糧軍備の調達・輸送を担い、滞りの無かった能吏。
幼い頃から顔に皺が多く、あまり人前に出ようとしなかったが陳歩は彼を深く信頼していたという。
陳歩は息子たちに「何事も高願に相談せよ」と言い、「誠至(せいし)の人」と慕われた。
また高願は暑さが苦手だったという話も残っている。
陳歩は能吏・高願を評して『球中歩中 倶為一体』
(球中と歩中は倶に一体たり・きゅうちゅうとふちゅうはともにいったいたり)
という言葉を残し、息子らに補給の重要性を説いたという。
365:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 20:01:06 gvh/L26m
黄岩(こうがん)
字は清倉(せいそう)。陳国金玉の人。弩(ど)の名人。
火薬を塗った石で、満国軍を壊滅させたこともあった。
その才を陳歩に認められ前線で活躍した。しかし彼の晩年は悲惨だった。
値丘(ちきゅう)高原の戦いで満国・雲国の連合軍に追いつめられ逃亡。
しかし秩洞窟(ちつどうくつ)の中で発見され、タイーホ。
人質となって幽閉されたが、数日後に満国城の牢屋で自刎(じふん)。
享年29歳。あまりに若すぎる死であった。
死後、陳歩は彼の事をこう述べている。
「ああ黄岩、彼は天下の奇才なり。天よ、我は一人の奇才を失えり」
とかく彼が天才であった事はまぎれもない事実である。
366:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 21:45:13 gvh/L26m
睾虫(こうちゅう)
黄虫とも。字は漢性(かんしょう)。陳の将。
元は汗玄に仕えていたが彼に信頼されず、
疎んじられていた時に汗玄が陳に滅ぼされたため陳に帰順。
斉苗に勝るほどの弓の腕を活かし、対異民族戦で手腕を発揮。
有名な瀬宮州の戦いにも参戦し、敵将房侯淵(ぼうこうえん)を討った。
が、その後の満攻めの戦いにて背貢須をかばい死亡した。
王南一味の康修とは親類とも言われるが定かではない。
だが彼らが似ているのは事実で、老いて益マス盛んな老人のことを厨華では「睾虫」と呼ぶ。
ちなみに似た言葉に「康修」があるが、
変態というニュアンスが強いので間違えると大変なことになるので気をつけよう。
367:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 21:45:52 gvh/L26m
候内舎生(こうない しゃせい)
陳歩の友人。舎生は字と思われる。
竹眉の七賢の筆頭に数えられる詩人であり思想家であり歴史家でもあるという多才な人物。
各国からの仕官要請は絶えなかったがそれを全て
「大義を忘れ争うのみの貴方達に仕える気はない」と言い断っている。
ただ陳歩に対してはあくまで友人としての立場ではあるがアドバイスをしていたようだ。
368:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 21:46:12 gvh/L26m
極太(ごくぶと)
陳歩の雅号。
陳歩は、若くして書画に精通し、鱒の絵を特に好んで描いていたという。
絵画史では古代写生画の代表的人物であり、かなりの教養人だったらしい。
江炉漫画島にある陳歩廟には、陳歩が描いた有名な鱒の書画が所蔵されており、
陳歩が宿敵万黄を想いながら描いた鱒は、あまりの迫力に思わず目を背ける程だとか。
369:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 21:46:34 gvh/L26m
自慰子(じいこ)
陳国の武将。
若いころは猛将として鳴らし、老いてからは軍略家として大軍を勝利へ導いた。
ただ専門家からは「運が良かっただけ」などと批判されているようだ。
晩年、兵法書『自慰子策画』を出版するも、当たり前の内容しか書いておらず、すぐに値崩れしたという。
なお、自慰子は胡人(厨国北方・西方の異民族)だったという説もある。
370:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 21:47:07 gvh/L26m
屍漢(しかん)
五度牡牝行の七本棒のひとり。
猛将ではあるが、残虐な性で、敵の死体を辱めることを好んだ。
371:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
372:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
373:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
374:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/08 22:33:48 MVOGYo78
っ
375:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
376:うふ~ん
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うふ~ん
377:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
378:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
379:うふ~ん
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うふ~ん
380:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
381:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 00:37:18 8f0jNHPM
このスレは・・・
まるで枯れ果て百合の花のようだ・・・
382:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 04:59:35 UpavWdti
百合の花は雨にも風にもあらしにも負けないよ
383:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 07:22:23 zYL/oNCZ
失禁(しっきん)
陳国名将失湖の子。
エンコーのゲームでは
「敗走させられると失禁しながら逃げるから仲間の信頼と配下の忠誠下がる」…らしい。
384:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 07:22:50 zYL/oNCZ
失湖(しっこ)
陳国の名将。
神速の自軍と、精鋭部隊の黄尿隊・赤尿隊・糖尿隊とともに、
満国・北朝の独裁者金玉男を討ち、監禁城を陥落させた。
■金家滅亡と失湖
金家の滅亡は金玉日の跡取り問題で長男の金玉男が、
次男の金玉鉄に家督を奪われたことに始まる。
金玉男は昔から遊びにほうけており、
敵国であるにも関わらず美しいと評判の新出麗羅(しんでれら)城に単身見物に行き捕まり、
諸国に天下第一のうつけ者と評判、
それに反し金玉鉄は品行方正で優秀なため金玉男は退けられた。
根にもった金玉男は数年後、酒に酔った金玉鉄を暗殺し強引に城主につく。
これに万黄は驚くが、喜んだのは陳歩であった。
すぐに失湖に大軍を与え監禁城を攻めた。
お家騒動による混乱と人心掌握のできてない情勢、能力のない大将、
そしてなにより失湖のおどろくべき行軍速度により
天下の名城と云われ恐れられた監禁城はわずか2日あまりであっけなく落ちたのである。
385:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 07:23:11 zYL/oNCZ
謝盛(しゃせい)
陳国将軍。正上尉。
通封仕益田の大戦にて、ペド・ロリーの計にかかり孤立したところを、
フェラー隊の一斉射撃を受け討ち取られた。
これは通封仕益田の大戦におけるエローッパ唯一の勝利であった。
ちなみに彼の部隊はたった一人の騎兵を残し全滅。
これには見せしめの意味があったといわれる。
386:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 07:23:41 zYL/oNCZ
朱自慰(しゅじい)
陳の臣。温和な性格で人に好かれ陳虎や陳陳と親しかった。
後にその親友陳陳の子陳間等の教育係となる。
甘さゆえに失態を犯し、失意の内に死んだ陳陳を見ていた朱自慰は
父に似て甘い陳間等にその轍を踏ませてはいけないと心を鬼にし、厳しく教育を行った。
あまりの厳しさに諸将は「やりすぎではないか」と彼を咎める者もいた。
だがその結果、父似の甘い性格はすっかりなりを潜め冷徹なる知将へと成長。
勝利のためにはどんな手でも使い、腸閉における敵兵40万生き埋め、
性痙で相手の補給線を断つために後満に協力する周辺の村落を焼き払うなど、
彼の手法は時に残虐過ぎるほどであった。
これには朱自慰もさすがに唖然とし、教育法を間違えたのかと悩み苦しみ自害した。
陳による統一のわずか1ヵ月前のことであった。
陳間等は恩人の死にも涙を見せなかったという。
387:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 07:24:02 zYL/oNCZ
寿政(じゅせい)
妊晋(にんしん・後の炉国)国の建国者。
厨国を統一した陳王朝だったが、御主8代目になると腐敗し、帝権は次第に弱くなっていった。
遂には外戚の寿政によって帝位を簒奪され、厨国は再び分裂状態になる(万湖四国時代)。
寿政によってまさに新しい時代が誕生したと言えよう。
388:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 10:08:56 8f0jNHPM
そうか
あらしにも負けないのか
389:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
390:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
391:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
392:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
393:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 12:31:21 8f0jNHPM
ウホ
394:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
395:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
396:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 17:51:58 8f0jNHPM
やらないか
397:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 18:04:18 8f0jNHPM
アッー!
398:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
399:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 18:32:48 8f0jNHPM
ホモ野郎
400:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 19:00:38 8f0jNHPM
オラオラ荒らしが400GETだぜ!w
401:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 19:20:54 zYL/oNCZ
____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\
/ ⌒(__人__)⌒ \ <百合の花は雨にも風にもあらしにも負けないよ
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
ノ \
/´ ヽ
| l \
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
402:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
403:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 19:44:04 24vrhSmN
まだ暴れてるのか、すごい暇人。
普通に生活していたら、そんな暇なんか出来ないと思うけどね。
人生の無駄遣いだな。
404:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 19:50:40 zYL/oNCZ
レス
あ り が と う な
405:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 20:34:00 zYL/oNCZ
徐教志(じょきょうし)
陳の臣。元は菌染の家臣だったが能無しの彼に愛想を尽かし
魏焔と共に彼を斬り陳に下った。その後能吏として名を馳せた。
406:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 20:34:29 zYL/oNCZ
諸除易(しょじょえき)
字は伯濁(はくだく)。陳国の策士。諸除幕の弟。
若い頃は戦争が苦手だったが、その智謀に物を言わせ、詐術姦計・策略陰謀、
なんでもござれの策士として歴史の裏で縦横無尽に活躍した。
しかし、かなりのサディストであったらしく、
非道との呼び声高い満国攻略戦においてて尿道炎の幕下に付き、
やる計、成す計「生ぬるい!」とケチを付けたという。
兄・諸除幕が兵糧攻めにかけられてるのを見て、
「兄も随分バカなお人だ。米が無いなら民を食えばいいじゃない。」との暴言を吐いた。
さらに、満国の皇帝満益が降伏を申し出て来た際も、
「万黄の首を差し出させ服従させたら、搾り取れるだけ搾り取って、
搾りカスになったら攻め殺してしまいましょうぞ」と平気で進言。
その面ようなを陳歩に嫌われ、陳歩の存命中は重く用いられることはなかった。
しかし、陳歩の死後、宰相となり、陳の皇帝に阿り、旨い汁をすっていた宦官を大虐殺。
陳国の内政を復活させ、以後30年にわたって幾多の戦争を乗り越え陳を支えた。
死の真際には、軍の指揮者としても相当の手腕を持っていたといわれる。
諸除易は齢67で没するが、いざ死ぬその時まで、
一日10回ヤっていたというから相当の絶倫者(もさ)ではあったらしい。
なお、厨もアンチもかなり多い。
407:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 20:34:51 zYL/oNCZ
諸除波華(しょじょはか)
諸除易の子。父に似ず温厚で優しい性格であった。
官吏として順調に出世し、弱冠29歳にして都欄樟(とらんくす)太守を拝命。
そこでもきめ細かい誠実な統治で民の評判は高かった。
都欄樟が下夷族の攻撃を受けた際、避難中の民をかばい矢に当たって死亡。
お人よしと父に馬鹿にされた彼らしい最期であった。
408:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 20:35:11 zYL/oNCZ
助平(じょへい)
はじめ満益に仕えたが勘気を被り逃亡、次いで陳に属する。
陳歩失脚後の斉濃篭城戦では、助平の離婚の計により
連合軍の進攻を鈍らすことに成功。陳歩の復帰にも尽力した。
李靖派に付き、翻能派から睦吊(むっつり)助平と侮られる。
陳王朝成立後に権力を握った風呂氏に対し、反風呂勢力をまとめ上げ、
風呂氏を一掃することに成功した。
409:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 20:35:32 zYL/oNCZ
寸止(すんどめ)
陳国の有名な軍学者。
戦術論戦では陳歩に勝っていたという。
御主は寸止を高く評価していたが、務世は、
「寸止が強いのは机上だけでございます、実戦では役に立ちますまい。」と言っていた。
御主の命により、万黄と対戦し、寸止は「逝きそうで、逝かない」という戦法で万黄を迎え撃った。
しかしそのような小細工は万黄に通用せず、万黄の絞まるような攻撃であっけなく逝ってしまった。
寸止は逝く瞬間、恍惚の表情であったといわれる。
410:うふ~ん
うふ~ん DELETED
うふ~ん
411:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 21:33:58 8f0jNHPM
宇宙犬ウンチ
412:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 21:35:10 8f0jNHPM
うんこ食ってる時にカレーの話すんな!
413:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 21:36:54 8f0jNHPM
スカトロトロトロ
414:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 21:38:25 8f0jNHPM
おいお前ら俺の下痢便アナルから直飲みしろ
415:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 22:19:45 zYL/oNCZ
性漢(せいかん)
五度牡牝行の七本棒のひとり。
敵陣地の後方からいきなり襲い掛かる、後門攻めを得意とする。
どのような堅い陣でも一瞬で達したという。
416:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 22:20:05 zYL/oNCZ
精氏(せいし)
陳の正上尉・謝盛の娘。陳歩の第一夫人。
透ける様な白い肌の美人。陳歩との間に陳邦敬を儲ける。
多くの妾をもった陳歩だったが、精氏との仲は円満であった。
佳人薄命、早世する。まるで陳歩によって生を得たような一生であった。
417:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 22:20:26 zYL/oNCZ
正僻(せいへき)
陳国末期の将軍。正翼の子。「異常」のあだ名をもつ。
翻能派。周靼令布の戦いに参戦。
418:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 22:21:00 zYL/oNCZ
正翼(せいよく)
正翼は部下には怒鳴り散らし傲慢で、上には媚びへつらうと『精子』にあるが、
『艶義』でのイメージが圧倒的に支持されていて、庶民に人気がある。
劇などでも、正翼を持てあました陳歩が老婆達に依頼をして、
学を付けさせるために正翼を取り囲んで無理矢理写生させるという有名なシーンがあるが、
その場面になると観客は手を叩いて笑う。
正翼は泣き崩れて萎んでしまうのだが、それが何とも言えずユーモラスなのだ。
また正翼は気分家で、ノりだしたら止まらない性格だった。
其の為、功を焦って「例歩の計(れいぷのけい)」を仕掛けるが、
それを逆手に取られ、逆に相手軍の策にハメられて、敗走した。
(これを、『例歩の計、号館剤(ごうかんざい)の計に責められる』と言う。
今でも一時のノリに任せて痛い目に合う人の事を、年配の人は諫める意味で使うという。)
その後、病で病床に伏した正翼を陳歩が心配して
『正翼が病で衰退している』と側近に洩らしたらしい。
今でもうつ病等で性欲が衰退する人の事を心配する意味で使ったりするとかしないとか。
419:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 22:21:36 zYL/oNCZ
背貢須(せくす)
背貢家22代当主。
背貢家は代々陳家に仕え武術兵法の師として教授していた。
背貢須も陳歩に四十八手の秘技や夜戦の極意などを授けたという。
そういった信頼関係から背貢家は陳家に重用されていた。
背貢須も陳歩に忠節を尽くし数々の戦いで活躍したが、
嶺頭との戦いで下半身を負傷し、やがて立てなくなり失意に暮れて入水自殺した。
420:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:25:48 zYL/oNCZ
関巻(せっかん)
字は無玉(むぎょく)。宦官で、陳歩の側近。
戦争の知識に優れ、万黄軍の策略を破る。
幼少の時に自宮して金玉が無い。字はここから由来する。
『陳古記』の別本『陳古左氏伝』には関巻にいての記述が散見されるが、
節姦(せっかん)という字が当てられており、学説上の対立がある。
陳歩伝の中に、時々陳歩が関巻を恐れているような描写がある。
陳歩が彼に恐れをなしたのは、彼の腕が立つからではない。
なぜなら、万黄軍との戦いにて関巻が敵に手痛い攻めと挑発を受けたときに、
「私には、突きまくって攻めかえすべき精力がない」と号泣したエピソードがあるからだ。
陳歩が関巻を恐れたのは、その名の響きが嗜虐的な薫りを醸し出していると
陳歩自身が無意識に感じていたからだとされている。
そして陳歩が、「お前、実は腕が立つのではないか」と問い詰めるたび、
関巻は「いえ、私は立てて誇るようなモノも力も持ち併せておりませぬ」ときっぱり言い放ったということだ。
※『陳古記』の方がもちろん歴史は古いが、
厨国の醍員清(だいいんしん)大学教養学部国学科の月慶(げっけい)教授曰く、
「古記(コキ)すぎてイキ過ぎた記述がある」との批評がある。
おそらく当時の社会情勢にあわない記述を書くために、そのような事になったのだと考えられる。
421:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:26:09 zYL/oNCZ
絶麟(ぜつりん)
陳国随一の猛将。
最初に戦場に突っ込んでいき、戦いが終わるまで戦場で戦う精力の持ち主だったという。
元は五度牡牝行(ごどおめこう)という宗教国家の教主だったが、
配下の七本棒のひとり阿鼻叫漢(あびきょうかん)の戦死をきっかけに陳国に帰順する。
422:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:26:30 zYL/oNCZ
全律閃(ぜんりつせん)
陳の武将。
没記(ぼつき)村での旗揚げ以来陳歩に仕え参謀役を勤めた人物とされるが
決して表に出ることはなかったため実在さえも疑われている人物である。
その経歴の多くは謎だが彼が病床に伏した後、陳歩は満攻めの戦いなどでしばしば精彩を欠き、
いざという時萎えに苦しんだため『艶義』では陳歩を陰で支えた名軍師として描かれている。
423:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:27:21 zYL/oNCZ
曹布(そうぷ)
陳家に仕え、陳家の兵士の具足鎧を洗ったりする仕事についていた。
また追加料金を払ったものには、「溜まりし液ださせり」ということをしたという。
このことから「風呂+風俗」の店のことを「ソープランド」と呼ぶようになった。
曹布は、数々の洗浄用具を発明しており、
最近出土した凹型の器具「素家兵椅子(すけべいす)」は、
具足の下半身部分を隅々まできれいにできるそうだ。
「兵士が家で素に戻るがごとく清浄なるべし」と、陳国志・陳歩伝に付記されている。
424:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:27:45 zYL/oNCZ
宋狼(そうろう)
陳国の武将。
阜依羅智王の乱の際、主戦論を唱え、陳邦敬と対立。
陳邦敬の宮廷内での勢力を奪った張本人。
智江李望維(ちぇりぼうい)
425:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:49:53 8f0jNHPM
チンコ蹴るぞ
426:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:50:48 8f0jNHPM
S
427:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:52:11 8f0jNHPM
E
428:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:53:46 8f0jNHPM
X
429:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:54:45 8f0jNHPM
このスレも大分伸びたね
430:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/09 23:59:15 FxcAfdfS
随分とレス番飛んだな
431:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 11:39:57 KOgPWYAb
もう9月も中旬に入るのに
新作はまだなの
432:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 11:48:46 qZBhCDhp
848 名前:名無しさん@ピンキー [sage] :2010/09/10(金) 07:01:05 ID:???
>>844
大花どん、榊るな、五行なずな、春奈有美、とこの半年で続々辞めていったからな
若手にそのお鉢がまわってきたって事だろうね
楓の人は事務所を辞めちゃったんだな
433:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 12:20:05 w+K4kqs4
声優業自体をやめてないなら問題は無いんだけど
五行さんはどうなんだろう
434:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 12:45:51 HFmxfFrC
そしてまた声が違うって発狂するんですね
わかりますよ
435:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 12:48:37 w+K4kqs4
優が変更される理由があるなら別に騒ぎにはならんでしょ
春奈さんみたいに引退とかだったらどうしようもないからね
436:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 12:49:11 w+K4kqs4
×優が変更
○声優が変更
437:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:11:00 vVv8lvdR
>>434
あの二人はリメイクもアニメ化もしないから無駄な心配w
438:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:21:04 qSfJAEX6
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439:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:21:54 qSfJAEX6
お前
440:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:22:30 qSfJAEX6
らは
441:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:23:56 qSfJAEX6
カス
442:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:24:29 qSfJAEX6
(^^)
443:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:50:55 5hQYxsfd
智江李望維(ちぇりぼうい)
蛮族っぽい名前だが、れっきとした陳国武将。
三系剣族らしいと『精子』には書かれている。
444:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:51:18 5hQYxsfd
智漢(ちかん)
五度牡牝行の七本棒のひとり。
その名のとおり、計略に長けた知将。
鏡や棒、玉などの道具を使わせれば天下一品である。
445:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:51:39 5hQYxsfd
竹眉の七賢(ちくびのしちけん)
竹眉の七賢とは、
竹林で酒をくみかわしながら性談を行なったと伝えられる七人の自由人の称。
候内舎生を筆頭に、大学者の巴解、哲学者の郭子呉、
知晃(ちこう)こと陳夏諏、慕柔(ぼにゅう)と慕われた柔望などがいた。
446:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:52:27 5hQYxsfd
陳夏諏(ちんかしゅ)=知晃(ちこう)
陳歩と泡姫との隠し子。陳歩50にしての子である。
悪名高い泡姫だが、陳夏諏のあまりのひ弱さ、そして政治的悪臭の温床になると考え、
陳歩と協議した結果「知晃(ちこう)」と名を変えさせ、当時の大学者であった巴解に託した。
学者であり詩人でもあった巴解の影響を受け、世俗を離れ詩歌、そして親譲りの絵画といった文化面で活躍。
後に巴解と供に竹眉の七賢の一人に数えられる。
代表作があの『万功乙杯』(まんこうおつぱい)。
万功を得て旧都に帰するも寂寥
乙なる杯を傾け月に魅るも荒廃
万功も乙杯も 供に寂しからず
いずくんぞ甲(功)乙つけられんや
意
万の功を得て凱旋するのも寂寥を感じるし、いい酒を傾けて月を見るのも荒廃した体たらくだ。
しかし万功も乙杯も、そのものは寂しいものではない。どちらか選べと言われても甲乙つけがたい。
この詩詠んだとき、おそらく陳夏諏は自分の出生の秘密を知っていたのではないだろうか。
名将の子として生まれ、もしかしたら万功を立てる名将であったかもしれない自分と、
今風流に生きる自分の対比が、どうしても結びつかない。そんなもどかしい気持ちがこの詩に現れている。
彼はその後、田代による乙女淫道に触れたことをきっかけに士武堅らのおこした文化運動
「白ノ白ノ白・沈恥炉倫(パイノパイノパイ・チンチロリン)運動」に傾倒、
士武堅らの意志をつぐ形で詩論「阿淫(アイーン)」を表した。
主に音韻の配列等を考察した詩論で、現在もその文学価値は高い。
彼は陳国崩壊と同じ年に性病にかかり死亡。若死にだったという。
ちなみに、江炉漫画島の陳歩廟の鱒の絵の贋作の一つに、この陳夏諏が描いたとされる鱒がある。
父の絵に比べて弱弱しさがあるものの、偉大な父に少しでもへばり付こうとし
川の中に入り込んでなかなか出てこない謙虚な鱒の絵が、繊細なタッチで描かれている。
447:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 14:52:48 5hQYxsfd
陳哥酢(ちんかす)
陳歩の祖父。
牌姉妹による、南方の派婦派婦国の反乱を鎮圧した将軍。
陳家の創始者とも言われる。
448:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 15:26:33 qSfJAEX6
ぬははははは!
いくら消しても無駄無駄無駄ァ!
449:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 15:34:36 qSfJAEX6
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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450:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 15:36:20 qSfJAEX6
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451:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 15:37:56 qSfJAEX6
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死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死
452:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 16:23:24 5hQYxsfd
陳華洲(ちんかす)
陳国の名将。陳鎮の子で階級は正上位大将軍。
騎上位大将軍陳間等と共に陳の厨華統一に貢献した。
北方からの侵略者、華璃句美国の普吐魔羅将軍と幾度もの激戦を繰り広げる。
しかし、普吐魔羅配下の騎馬部隊の機動力にはずいぶん手を焼いたようで、
騎馬部隊が出ると陣に引きこもり防戦一方になった。
それでも北方民族から領土を守り抜き、時の御主から「お主は北の守護神だな!」と激賞された。
陳が厨華を統一し陳帝国となった後も華璃句美国など北の異民族と対峙し続けた。
453:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 16:23:57 5hQYxsfd
陳虎(ちんこ)
陳歩の三男。
次兄陳宝はもちろん、長兄陳邦敬をも越える才智の持ち主で、天才の誉れ高い神童であった。
そんな彼は長じてからは尿道炎、諸除易らと共に陳軍の作戦立案の中心を占めた。
しかし令布の戦いの作戦を巡り急進派の尿道炎、諸除易と対立。
その後幕僚内での彼の立場は日に日に小さくなり、国境守備隊長の弟陳陳のもとへ送られ、
陳歩失脚後押し寄せてきた雲・満残党・北方民族連合軍の猛攻を受けた際、
弟・陳陳を本国に逃がすための囮になり、敗れて連合軍の捕虜となった。
その後雲からの数度にわたる仕官要請を断り続け斬首された。
時の宰相諸除易は玉京陥落後に、
「彼が生きていればこのような屈辱を味わう事はなかった。
些細な行き違いで彼を邪険にした私が浅はかだった」と後悔の言葉を吐いたいう。
それほどの才智の持ち主だったのだろう。
■摘出令(つんでれい)
陳虎の最終官職は摘出令(つんでれい)だったそうだ。
この官職に就くものは皆些細な行き違いで不幸な人生を歩む事が多い。
たとえば前魏の尹殷寵も十八の禁のおり摘出令に就いていたが、
帝に対する不敬罪を押し付けられて処断されている。
彼もまた、職務に忠実であろうとするあまり、
皇帝に対してツンツンした態度で接しており、平素より誤解される事が多かった。
彼の処断後、自宅から皇帝に対する思いをつづった告発文が大量に見つかった。
それは、告発しようにも出来なかった彼のいじらしさがにじむ名文で、
施閥帝は「もっと素直になればよかったのに」と嘆息したそうだ。
454:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 16:24:29 5hQYxsfd
陳子(ちんこ)
陳歩の一人娘、双刀の使い手。
愛用の双刀「不蛇那利(ふたなり)」を振るい、男顔負けの武勇のを誇った。
「両刀姫(りょうとうき)」と呼ばれる。
■不蛇那利(ふたなり)
陳子愛用の双刀。
陰陽の思想に基づき、陽を現す「日の剣」と陰を現す「月の剣」は対になっている。
並みの男性ではもてあますほどの長く太かったといわれる。
455:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 16:24:49 5hQYxsfd
陳康(ちんこう)
陳の臣で陳歩の弟。階級は汁骨勲(しるごっくん)。
兄とは違い凡庸な男ではあったが、堅実な仕事ぶりには定評があった。
兄陳歩失脚事件前後に病を患い隠居。その1年後に死亡した。
ちなみに馬羅は彼の三男である。
456:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 16:25:27 5hQYxsfd
陳沈(ちんちん)
陳歩の父。字は乙規(おつき)。
前魏15代居怜帝(いれてい)の時代に、尚徐令府(しょうじょれいぷ)の位を買い中央政界に復帰した。
これは名族陳氏にとって久しぶりの中央復帰となった。
しかし袁如と対立し3年で岸安(ぎしあん)を追われ、玉京近郊の県尉に落とされてしまった。
地方豪族であった道卓と出会ったのもこのころである。
その後起こった曹賈の乱において道卓と義勇軍を旗揚げし、黄明党に立ち向かった。
その様子を見た後威零帝に認められ道卓とともに前座尉に任じられた。
だが7年後起こった岸安事件後のごたごたの中に巻き込まれ死亡した。
岸安事件直前に盟友道卓が袁如の策略に嵌り、殺されそうになったため故郷に逃げようとした際、
彼に「息子の陳歩と弟の陳鎮を頼む」と言い残している。
死期を悟っていたのだろうか…。
457:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:03:05 qSfJAEX6
オラオラ出てこいよ>>>200w
458:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:04:08 qSfJAEX6
>>201に注意くらって泣いて尻込みでもしたか?
459:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:04:46 qSfJAEX6
散々チキンチキン煽った威勢はどうしたwwwwwwww
460:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:05:38 qSfJAEX6
チキンは>>200だったようだな
461:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:12:00 qSfJAEX6
情けない奴らじゃのうw
462:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:51:55 5hQYxsfd
陳鎮(ちんちん)
陳歩の従兄。
陳鎮はその武勇に慢る事なく全体の戦局を見通す能力は陳軍随一といわれた。
陳歩の初陣である盛漢討伐戦でも敵の策にはまって敗走する味方の殿軍を引き受け、
盛漢の弟盛観岱を逆に討ち取るなどの活躍を見せる。
攻城戦にも優れた力を発揮した。
陳軍の目の上のタンコブだった根同霧城を陳歩が攻めたとき、なかなか落とせないのを見て、
「城門をすべて押さえているからダメなのです。
敵は逃げ道がなくなるから必死になって守ります。
ここはわざと城門を1つ空けておき、そこから逃げてきた敵を殲滅しましょう。」
と進言し、難攻不落と言われた根同霧城を見事陥落させた。
三国志の劉備という武将も、黄巾族という反乱組織を攻めるときに、
陳鎮が使ったこの戦法を用いて勝利を収めたという。
忠侯と諡された曹仁という武将も、陳鎮を手本に戦ったと記されている。
後に陳歩は彼を「我が軍法の師。私は彼の足元にも及ばない」と称えた。
463:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:53:32 5hQYxsfd
陳陳(ちんちん)
陳歩の五男。
性格は温厚で人に好かれた。また美男子として知られる。
父陳歩曰く「あ奴は虎や尿道炎のように派手さが無いから凡庸に見えるが、
あ奴の用兵には無駄が無い。それに兵が絶対の忠誠を誓っておる。
将器は私とて及ぶものではないだろう。」と言わしめた名将。
実際、陳歩の失脚以前は大国雲との国境を卒なく守り抜いていたところをみると父に劣らぬ名将といえる。
欠点は性格が優しすぎるが故に非情の決断ができないところにあり、
実際幼馴染であった配下の愚将法計を部隊長から外せなかった。
それが後に陳の最大の危機を招く。
陳歩失脚後、好機と見て勃った雲・満残党・北方民族連合軍の猛攻を受けた際、
後満君主満満の計略にかかり国境沿いの拠点処襄(しょじょう)を落とされた上に、
敬愛していた兄陳虎が彼を守るため囮となり捕虜になってしまった。
この敗北の原因は愚将法計とその部隊が足を引っ張ったためであり、
彼の美点であり欠点でもあった優しさが招いた大敗であった。
後に陳虎刑死の報を聞いた彼は、
「私が不甲斐無かったがために…おのれ満満貴様だけは!!」と言ったのち卒倒したという。
464:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:54:48 5hQYxsfd
その後騎上位大将軍に復帰した父や玉京の宰相諸除易と合流し、対連合軍戦の最前線で戦い続けた。
この戦いにおける彼は以前とは人が変わったようで、怒りっぽくなり、
意にそぐわぬ部下はその場で斬り捨て、好んで残虐な戦いをするようになった。
特に満満率いる後満軍にはまったく情け容赦せず殲滅戦を挑んだ。
更に彼は満満の姿を見るとただでさえ怒っているのにさらに激昂し、
その怒りのオーラが高く立ち上り、後満軍に恐怖を与えた。
満満は「アレが『満見見珍勃勃』(まんまんみてちんちんおっき)の股事にあった現象なのか…?
私は恐ろしい奴を怒らせてしまった…」と恐れおののき、戦うのを避けたという。
陳がもとの広大な領土を回復した後官位を投げうって
再び江炉漫画島に流された父に付き従い、
そこで兄達や配流されてすぐ死んでしまった父の供養をしながら暮らし、54歳で亡くなった。
江炉漫画島での彼はかつての温厚で優しい性格になっていたという。
彼もまた乱世に翻弄された悲劇の人物といえよう。
465:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:55:52 5hQYxsfd
陳歩(ちんぽorちんふ)
金玉帝19年、満性5年に生殖(せいしょく)省・辺児子(ぺにす)県で陳沈の息子として生を受ける。
(奉桂丹省・ほうけいたんしょうの出身との説もあるが陳歩自身は否定していた。
奉桂丹省は悪名高い陳黒斉・ちんこくさい、を輩出した事で有名である。
陳黒斉は倭から渡って来た倭人といわれているが定かではない。)
幼少の頃から名将道卓に支えられてすくすくと立派な偉丈夫に育った。
彼は幼い頃から支えてくれていた道卓を父とも慕っていたという。
雌伏の時は、院歩(いんぽ)と仮名を使い、只の道卓の従者して過ごす。
その為に満国の諸将から「道卓の従者は、天下無双のうつけもの。道卓も趣味が悪いのう。」
などと馬鹿にされたりもしたが、陳歩は別段意に介さなかったという。
そうして水面下で力を蓄えていた或る日、陳国より登用の使者がやってくる。
一度は断ったものの、使者は陳歩の元を幾度も訪れ、ついには陳の君主自らが仕官の依頼にやって来る程であった。
彼はその心に感じ入り、乱世に身を投じる決意を固め、桃尻で陳国の人々と酒を酌み交わす。
後にいう「珍顧(ちんこ)の礼」「桃尻(ももじり)の宴」である。
没記(ぼつき)村にて、「今こそ陳歩勃つ!」と言って立ちあがり、
陳の宿敵、満の軍相手に強気で臨んだ初陣であるが、敵の計に乗せられ大敗。
従弟の陳鎮に殿軍を任せて一命を取り止めたものの、名将道卓を失ってしまう。
陳歩は道卓の死を深く悲しみ、もう二度とこんな愚かしい戦いはしないと決意。泣いて自らの鍛錬に勤め、
その故事は今も『泣いて陳歩の皮を剥く』として伝えられている。
466:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 17:56:15 5hQYxsfd
その後、陳歩は宮美麗の戦いや尿水川の決戦、膣内平定戦等に参戦。
特に「尿水川の決戦」は陳を併合し、満に対抗せんとする雲の軍勢10万を、陳の主軍が間に合わなかったが為に、
陳歩の先鋒隊2万のみで迎え撃つことを余儀なくされた。陳歩の最初の試練でもあった。
敵将は雲の新鋭の良将、良辱。
序盤は雲軍が陳軍を押しまくって、ついに山頂まで追い詰められ水源も断たれてしまった。
この時、陳歩は覚悟を決め、山頂から生きるか死ぬかの逆落としを決行。
後の無い陳軍の勢いに良辱軍はズタズタに分断され退却を開始する。
良辱は、追撃してきた陳歩を渡河の最中に急反転、総攻撃を仕掛けて破らんとしていたが、
陳歩軍のあまりの勢いに渡河中を狙ったにもかかわらず押し負け、全軍総崩れとなった。
その時のあまりの突撃の凄さは、亀が甲羅から頭を出すかのごとく『亀頭の勢い』とまで言われた。
この戦いの後、陳国は北方一帯の支配権を確立し、
陳歩は後背位大将軍に任命されるという異例の大出世を遂げることとなる。
467:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:30:43 5hQYxsfd
こうして、一周りも二周りも成長した陳歩は後の怨敵、初陣に喜び勇んで現れた万黄を突撃で蹴散らし、
敵将程操を切り、万黄にも瀕死の重傷を与えた。
戦いが終わり、負傷して血を流していた万黄は「程操を奪われた、あの陳歩に!」と泣き叫んだといわれる。
また、人生最大のライバル斉苗とも巡り合う。幾度かの激しい戦いの末、結局決着の着かぬまま双方引き上げとなり、
互いに相手を強力なライバルとして認識したのであった。
斉苗との戦いの後、陳歩にとって眼の上のたんこぶである満軍の根同霧城を幾度も攻めるが、
その度に敗れ、「素股の計」等にも掛かってしまい、幾多の犠牲を出した。
それに苛つき、大兵を起こして揉み潰そうともするが、従弟の陳鎮に諌められ、
陳鎮の提案した策を用いてようやく根同霧城を陥落。
さらに、満火素率いる根同霧城奪還部隊をカントンの地にて殲滅。
膣壁の戦いにおいて、あくまでも根同霧城を奪還し、陰歩と満火素の仇を討たんと
大兵を擁して攻め寄せた満軍を雲軍と共に迎撃。
諸除易の進言で、満軍をあらかじめ性病持ちの娼婦を忍び込ませた売春街に誘導し、
性病を大発生させて戦う意欲を失わせ、
更に雲国の名将美出の策で、味方の将を宦官として敵の陣に潜入させ(苦肉棒の計)、
更に秘密裏に陳軍を満の本陣を取り囲むように配置(輪姦の計)、
そして、激しい嵐のとある晩、この日ばかりは安全日だろうと油断しきった満軍に奇襲を掛けて敗走させたのである。
この戦いは、性病にかかって碌に戦えなかった満軍が奇襲を受けたと知るや大急ぎで逃げ出したことや、
窒城(ちつじょう)の守備隊が守将の欄志の指揮の下、よく耐え、満軍に退却の時間を稼がせた事もあり、
あまり被害自体は大きくならなかったが、兵の悉くを繰り出したのに碌に戦うことも出来なかった満国の威信は地に落ち、以後、満の衰退が始まるのである。
468:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:44:28 5hQYxsfd
根同霧城を制圧し、満の脅威がすっかり弱まったことで、陳は再び斉との対立を深める。
そして、陳歩は再び斉苗と合間見えることとなるのだが、その戦いは正に一進一退であった。
陳歩自身も郁々の戦いにおいて斉苗配下の軍師兪備曼の「二穴攻めの計」に掛けられ、多くの兵を失い、
思わず「我、未だ彼に敵わず。」と、長嘆を漏らしたことすらあった(郁々の嘆)。
ところが、斉苗の一族は戦いのさなか病にかかり、あっけなく死んでしまう。
その知らせを聞いた陳歩は、まるで身内の死の様に嘆き悲しんだと伝えられている。
激しい戦いの中で、二人の間にはある種友情のような物が芽生えていたのかもしれない。
あるいは、大いなる目標を失ったことに対する嘆きとでも云うべきか。
しかし、時代の流れは陳歩の悲しみに構ってはくれない。
満攻めの戦いで、かつての同僚陰歩と戦い、立つ事も叶わないままの敗走を幾度も経験し、
陰歩の軍師、出伊の寝返りによって敵の弱点を知り、
出伊の提案した「倍亜具等の計」を用い陰歩を破るが、
陰歩の最後の突撃の時の表情が忘れられず、いざという時萎えに苦しむ事になる。
陳国の諺にある『勃たぬ陰歩、勃てる陳歩を萎えさせる』の元となった出来事である。
また、この戦いの後、陰歩の援軍として送られてきた嶺頭軍と羊水川で戦うが、
その際に四十八手の秘技や夜戦の極意など、多くの武芸、軍略を陳歩に授けた先代よりの忠臣の一人、
陳歩の懐刀とまで呼ばれた背貢須を羊水川で嶺頭に負傷させられる。
立てなくなった背貢須は、絶望して自らの命を絶ってしまう。これにより陳歩は深い心の傷を負うこととなる。
こうした数々の悲劇に見舞われ、酷い萎えに苦しんだ陳歩は、それを友人の宦官許昆に相談したが、
蔭で二人の会話を盗み聞きしていた宦官の李昆にこの際の発言が利用され、後に失脚することとなってしまう。
469:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:45:00 5hQYxsfd
兎も角も、満国の防衛線の一角、満谷(まんこく)関を落とした陳歩は、
満に侵攻する足がかりとして、田代の乙女淫道の土地に足を踏み入れる。
ここを落とされると満が危険に晒されると判断した満は、援軍として万黄率いる満の主軍を派遣。
みこすり半にて対峙した万黄は、かつては陳歩にあっけなく破れたが、
今では幾多の戦いを生き残った歴戦の将として、陳歩の前に立ちはだかったのである。
このみこすり半の戦いで、菊門の計により、先鋒の将にして、旗揚げ以来の臣、邦刑を失う。
自身も危うく淫水の魚の餌となりかけたが、中軍の薫仁に助けられ窮地を脱し、
瀬宮州(せくす)まで引いて陣容を整え、万黄を迎撃。
万黄の旗本四十八騎の一人、驛卞と壮絶な一騎討ちを行い、薫仁の先制攻撃の機会を作り、
驛卞が引いて後は薫仁との息のあった連携攻撃によって満軍を打ち破った。
この戦いで、満はその兵力と領土の半分を失い、陳歩はその大功を称えられて騎上位大将軍の位を授けられた。
この瀬宮州の戦いは、陳歩の人生最大の見せ場とも言われ、
特に驛卞との一騎討ちは人気も高く、高校の教科書にも載っているほどである。
瀬宮州を落とされ、主軍を失った満に止めを刺すべく、陳歩は満北部最強の要害、監禁城に軍を進めた。
陳歩は、満の主力を殲滅して意気盛んな陳軍をもって、一気に攻め落とさんと挑んだが、
拉致(らち)関、手歩呑(てぽどん)関、野呑(のどん)関、などの要害に阻まれる。
守将の金家の采配もあり、13回も敗れて多くの兵を捕虜に取られ、監禁されてしまった。
陳歩は悔やんだがどうにもならず、金玉日(金正日とも)の生きている間は、満北部に手を出すことが出来なかったという。
しかし、やがて金家は跡継ぎ問題で内紛を起こす。
それに目をつけた陳歩は、すぐに名将失湖に大軍を与え、監禁城を急襲させる。
お家騒動による混乱と人心掌握のできてない情勢、能力の無い大将、
失湖の驚くべき行軍速度とその配下の精鋭、黄尿隊・赤尿隊・糖尿隊の活躍により、
ついに天下の名城と云われ、恐れられた監禁城を攻め落とした。
470:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:46:21 5hQYxsfd
監禁城を落とされ、北の大地に足を踏み入れられた満には最早抵抗する力は無かった。
乞遁の戦い、令布の戦い、啓桔の戦いと尿道炎の策を用いて次々に勝利し、
否任、満胡襲、諸除幕を次々に討ち取り、狼佗亜、近衛幕団を殲滅。
豪関(ごうかん)を陥落させ満の重要な都市の満光(まんこう)まで迫り、
満の惰弱な君主満益を脅して万黄を切らせることに成功する。
これら一連の戦いは、尿道炎や諸除易らの策を用いて大した被害を受けずに勝利してきたが、
陳歩自身はあまり楽しまず、暗愚な主君に切られた万黄を哀れみ、丁重に葬って、
「出来れば満の諸将とは正々堂々と戦いたかった」と語っている。
のちに満は陳の属国のような形になり、無理難題を押し付けられ、数年後それを断ったところ、陳に攻められ、
満光に立て篭もったものの、あっけなく攻め滅ぼされてしまった。
その後南蛮夷平定戦では、敵陣をすばやく包囲し消耗させる不江羅血王、伊魔羅血王の「吸引の計」に対抗すべく、
蘇鎮に離反を約させ、周囲に伏兵を配し、敵が沙亜と言う場所まで進軍してくると、
蘇鎮軍と伏兵に岩を投げさせ(岩射・がんしゃ)、敵を一気に打ち破った。有名な「沙亜面埋伏の計」である。
また、陳歩に共同での大陸制覇を申し込み、断られた途端に大軍を送り込んできた遥か西方の大帝国、
エローッパ帝国の軍勢も通封仕益田の要害にて撃退。敵の将軍も生け捕った。
471:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:46:44 5hQYxsfd
屋追族を南征して討ち、満腔鎮も幾多の戦いの末、倭国の援軍などと共に攻め立て、奥地へと追いやる(後、陳歩の死後獲得した領土は殆ど奪還され、以降6代およそ100年間陳家を悩ませ続けた。)等、戦う戦悉く勝ち、
陳歩の行く所平伏さぬ者無く、その名声は遠く西方の国々までも轟いていたという。
しかし、やがて異民族の三駆駄利 汗の援助をうけた宦官李昆の讒言により失脚。
69歳のときには江炉漫画島に流されてしまう。
やがて、彼の失脚を知った雲国や満の残党は、陳を猛攻撃。
陳歩の息子陳陳もよく戦うが、部下に足をとられ続けて結局、首都玉京(たまきん)の占領を許してしまう。
斉濃(せいのう)に遷都し、立て篭もり、
斉濃の密林と摩羅山の要害のお蔭で辛うじて敵を支えていると言う状況に陥ってしまう。
事此処に至って、陳は陳歩の召還を決意。
陳歩は無実の罪によって遠ざけられたとはいえ、陳の危機を見るに堪えず、崩壊寸前の陳軍を率いて奮戦する。
敵を国境線まで押し返し、首都玉京も奪還。晴れて陳の重臣として返り咲いた陳歩であったが、
すぐに李昆の讒言により再び江炉漫画島に流されてしまい、失意のままに死去する。
陳歩、享年72歳であった。
472:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:57:15 qSfJAEX6
あああああああああああああああ
オシッコが漏れるうううううううううううううううう
473:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:57:53 qSfJAEX6
自販機のジュース取り出すところにしちゃお
474:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:58:39 qSfJAEX6
あ、ああああ~ん(はぁと
475:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 18:59:09 qSfJAEX6
超気持ち良い~ん
476:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 19:01:11 qSfJAEX6
477:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:05:29 qSfJAEX6
478:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:06:37 qSfJAEX6
ここの住人はカスここの住人はカスここの住人はカスここの住人はカスここの住人はカス
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479:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:08:03 qSfJAEX6
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
480:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:08:53 qSfJAEX6
呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪
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呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪
481:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:09:43 qSfJAEX6
ホモうんこ君来ねーな。
あの役立たずが
482:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:51:54 qSfJAEX6
ちんこ痒い
483:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:58:19 qSfJAEX6
腐ったスレ
484:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:58:59 qSfJAEX6
sage
485:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 20:59:30 qSfJAEX6
age
486:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 21:00:53 qSfJAEX6
男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男
男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男
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487:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 21:22:08 qSfJAEX6
>>200「・・・(なんで俺が注意されなきゃいけないんだ・・・)。」
488:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 21:25:52 qSfJAEX6
>>200「・・・(俺は悪い事してないのに、ただ荒らしを叩いただけなのに!)」
489:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 21:27:11 qSfJAEX6
>>200「・・・鬱だ死のう」
490:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 21:27:57 qSfJAEX6
491:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 21:49:44 qSfJAEX6
ってのを考えたんだ
492:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 22:55:11 qSfJAEX6
新作どうしたふぐり屋さん
493:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 22:57:16 qSfJAEX6
つくづくやる気のねえサークルだなぁw
494:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 22:57:47 qSfJAEX6
このスレ荒らしてると気持ちが良くなるなぁwwwwwwww
495:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 22:59:49 qSfJAEX6
やはりプロデューサーが屑なんだろうな
こなゆきなんて駄作を輩出するくらいだもん
496:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/10 23:01:51 qSfJAEX6
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
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ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
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ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
497:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 00:17:22 o++A/Q6i
腑抜け屋
498:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 00:17:54 o++A/Q6i
ふぐソ屋
499:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 00:19:00 o++A/Q6i
腐ぐり屋
500:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 00:19:41 o++A/Q6i
オラオラ荒らしが500GETだぜ!!wwwwwwww
501:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 00:52:14 o++A/Q6i
糞スレage
502:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 00:59:13 o++A/Q6i
うんこ
503:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 02:00:32 o++A/Q6i
まんこ
504:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 02:01:24 o++A/Q6i
ちんこ
505:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 02:03:13 o++A/Q6i
くっそう!
女のまんこがくっせえ!
いくら舐めても匂いが消えねえ!
どうなってやがんだゴルァ!
506:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 02:04:07 o++A/Q6i
まんこにうんこ詰めるプレイ思いついたw
507:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 02:04:37 o++A/Q6i
臭いものが余計に臭くなるね
508:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 03:02:35 o++A/Q6i
く
509:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 03:10:24 o++A/Q6i
そ
510:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 03:11:08 o++A/Q6i
ス
511:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 03:12:04 o++A/Q6i
レ
512:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 03:12:38 o++A/Q6i
513:>>471の続き
10/09/11 03:57:55 ctq9PSXm
彼は、候内舎生に『坐面知るは苦し(ざめんしるはにがし)』の詩を出すなど禅の教養もあった。
また、若くして書画に精通し、鱒(マス)の絵を特に好んで描いていたという。雅号は極太。
陳歩の鱒画の最古の作としては、陳歩9歳の時のものがある(但し真贋論争中)。
いつも暇さえあれば鱒の絵を描いていたらしく、絵画史では古代写生画の代表的人物であり、
かなりの教養人だったという。吉川英恥著『陳国志』の冒頭にもその様子が活き活きと描かれている。
摩羅山を深く信仰し、高僧だったとも言われる。
また、基本的に温厚な、色の浅黒く小柄な人物ではあったが、戦場ではその気迫により、何倍も大きく見えたと言う。
名将として名高く、鬼謀百出の策士尿道炎、水魚の交わりの許昆に、戦史に精通した関巻(節姦とも)、
能吏の高願らや、務世、出伊らの賢人、万夫不当の豪傑陳宝、絶麟や、
知勇兼備の陳鎮、薫仁、邦刑、馬羅と数多の将を使いこなしたが、
正翼という猛将だけは思い通りにならず、『正翼を持て余す』との言葉を漏らしている。
ファッションについては、姿を隠すために頭まで布を被っていたとか、
口元まで服を上げ「一歩先の男」を演出した等の話が残されている。
514:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 03:58:46 ctq9PSXm
戦法は、若き時代は陣の硬さを武器に敵陣にねじ込む「男根の陣」を得意とし、
老いて後は南蛮夷平定戦に代表される技巧的な戦い方を得意とした。
いずれにしても、敵の弱点を発見し、何回もそこを攻める事によって敵を葬ったという。
さらに、四十八手の秘技という計略を巧みに使ったといわれる。その凄まじい戦いぶりに、
満の領地だった地域では今でも子供が泣くのを止めるのに『陳歩が来るよ』(歩来来)と言う。
陳歩が日本に与えた影響も少なくない。
陳歩自身も倭国(日本、輪国とも)の時の女王於女子(おめこ、汚弥呼や卑目子とも)と幾度か使者を遣り取りし、
於女子の屋敷の裏の可愛らしい栗鼠の住む栗の木を話を聞き、
一目見たいと自身も多数の贈り物と共に倭に渡り、於女子の屋敷を訪ねたという(倭貢)。
また、幾度か倭国から援軍が来たこともあるようだ。
ちなみに、日本では男性生殖器のことを幼児語で「チンポ」と呼ぶが、
これは陳歩将軍が愛用していた媒武(ばいぶ)と呼ばれる槍に由来する。
また、戦国時代に加賀で起きた淫行一揆では陳歩が淫乱寺にあって説いた教え、
「イケば天国、イケねば地獄」を一揆軍が唱え、加賀一国を制したという。
知名な戦国武将達も少なからずや陳歩の影響を受けていたに違いない。
515:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 03:59:31 ctq9PSXm
なお、泡姫とは不義の仲で、子まで設けていた。
更に、側室を多く持ち、倭人の側室於義の方に出会い「彼女に出会ってから人生が変わった」と語っていたという。
また、『陳古記』には両性具有の子を身辺に侍らせていたとの記述があり、
近年、そのミイラらしき物が玉京市内で見つかっている。
性に関してはかなり奔放で好色な人物であったようだ。
いやはや陳歩のような英雄でも、男の性からは逃れられないようである。
江炉漫画島の陳歩廟は観光地として人気が高く、日本からの旅行客も多い。
陳歩直筆の鱒の書画が展示されていたり、珍味「烏賊草」(いかくさ)や、その缶詰「青缶」(あおかん。青色の缶に入っているので、青缶と呼ばれる)や、鱒の絵葉書など色々な土産物を売る店も多い。
516:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 03:59:52 ctq9PSXm
■媒武(ばいぶ)
陳歩愛用の武器。
ぐりぐりえぐる様にして突く槍で満国の将兵を多く討ちとり、
悲鳴をあげて息絶える者が続出したことから、満国に仇なす武器として恐れられたという。
■三節屈手刀(さんせつくっしゅとう)
陳歩の精鋭部隊が使っていたという武器。
三節屈手刀(さんせつくっしゅとう・節屈手刀=せっくしゅとうの表記が一般的)。
鉄器が貴重な時代に切れ味抜群だったとか。
517:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 04:00:12 ctq9PSXm
■逝観帯(せいかんたい)
厨華大陸南方の地理的な自然現象のひとつである。特に女岱(にょたい)に多く見られる。
これは地面に刺激を与えると甲高い音があたりに鳴り響くものであり、音は刺激を与えれば与えるほど大きくなる。
音が鳴る原理は刺激を与えられた地面の下にある特殊な岩盤が音を発生させるものであるが、
昔の人は女神が住んでいるとして祭っていた。現在では観光名所ともなっている。
古くはかの陳歩将軍が南方征伐のさいに、この音を使って敵を撹乱し誘き寄せた後に一気に包囲殲滅した。
このため異民族たちは陳歩将軍に心服し、「セイカンタイを使うのが上手い」
と声を上げて賞賛したという逸話まで残っているほどである。
これは流石に作られた逸話だろうが、「逝観帯を制すものが女岱を制す」ことには間違いが無い。
518:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 06:55:16 ctq9PSXm
■江炉漫画島(えろまんがとう)
『艶義』第49回の「李昆讒言し陳歩失意の江炉漫画島」で有名な陳歩流刑の島。
現在は観光地として賑わっている。
519:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 06:56:00 ctq9PSXm
珍歩(ちんぽ)
陳国の将軍。
陳歩に従い、美人局の計にかかった梅武を討つ。
その功により玉門将となるが、万戸候になれなかった事に不満を持ち、
宰相楊如に讒言し陳歩を陥れようとしたが発覚し平民に落とされる。
珍歩の元の姓は介。彼は玉を食べる夢を見て吉夢と考えた。
そして介歩の介に王とチョンチョンを付けて並び替え、珍歩と改名する。
しかし後になり、きちんと夢占いしたところ、凶夢であることが判明。
「玉」の字は並び替えると平民の「平」となり、これは平民に落ちることを意味する。
その為、彼は69歳で没するまで不遇の晩年を送ったという。
520:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 06:57:12 ctq9PSXm
陳宝(ちんぽう)
陳歩の次男。
堂々たる偉丈夫であり、兄弟の中で随一の武を誇った豪傑。
三丈(7.23m)もある巨大な槍を振り回し、戦場で暴れる姿はさながら悪鬼羅刹のように見えたであろう。
『精子』には、浅黒い顔と精悍な体を持っていたとあり、恐らくは異国人との混血だったと思われる。
性格は豪放だが高慢なところがあったらしく、文官や知将を軟弱者と軽視する傾向にあり、
武勇に欠ける弟陳虎を小ばかにしていたという。
戦場では武を頼りにした無謀極まる突撃をすることが多く、
瀬宮州の戦いでは邦刑敗死、部隊はほぼ全滅という大損害を出した(※)。
それに怒った父陳歩により蟄居とされ、悶々としたまま3年後に病死した。
『艶義』によれば孤高の暗殺者胤金に殺されたとあるが、
彼が死んだ時期は、依頼したとされる斉司は死んでおり、恐らく創作であろう。
(※瀬宮州の戦いに父の陳歩、邦刑とともに出陣。
その際、万黄が配下を麓の みこすり半に残し、自分だけ山上に布陣したのを見て、
万黄が逆落としをかけるつもりだと踏んだ彼は陳歩に、
「父上が敵の逆落としを止めている間に、私と邦刑が麓の阿奈留を倒せば、
敵の水を断つことができ、万黄の如きは簡単に討てる」と二ヵ所攻めを進言した。
明朝、邦刑を先頭に彼は阿奈留の陣へ突撃した。
麓の阿奈留は南蛮出身であり険阻な山路での戦いには不慣れだと油断していた。
ところが、実はこれは敵の軍師菊門の策であった。
万黄は夜の間に下山しており、逆に陳宝・邦刑の軍勢を飲み込んでしまったのだ。
これにより別働隊は孤立し、邦刑も討ち死にしたため、陳宝は本陣に逃げ帰ったという。)
521:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 06:59:38 ctq9PSXm
陳矛(ちんぼう)
陳歩の四男。
学問好きの秀才で将来の宰相候補と言われたが、
玉京で猛威を振るった天然痘に罹り17歳で夭折した。
522:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 07:02:35 ctq9PSXm
陳邦敬(ちんほうけい)
陳歩の長男。
童帝11年に進士。27歳に中出(なかだし)省に入官。
宰相楊如と共に陳の最盛期を築いた。
阜依羅智王の乱のとき和平策を進言し、
武将宋狼らの主戦派と対立し宮廷内で勢力を失うも、楊如の後を引き継ぎ宰相となった。
彼の内政手腕は卓越しており、父陳歩も
「あやつが居てくれるから私は安心して外征が出来るのだ」
と最大限の評価をしており、文官を軽視する弟陳宝も彼だけは尊敬していたという。
父陳歩失脚時のごたごたに巻き込まれ55歳で急死。次の宰相には諸除易が就いた。
523:最後尾の名無しさん@3日目
10/09/11 07:22:08 o++A/Q6i
男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男
男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男
男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男
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