10/11/29 04:55:27 y75TyROw
>>816
法とモラルの分離というのは、近代法の大原則。
もちろん、リーガル・モラリストたちが指摘するように、モラルを使わないと説明できない法はあるが、
R・ドゥオーキンが反論したように、例えば表現の自由というモラルを策定するならば、
論理的にそれが普遍的に妥当するようなモラル体系を作らないと、
相互矛盾や不平等が起きてしまう(それゆえ、ドゥオーキンはポルノ規制やナチ表現規制に反対した)。
モラルは表現の積み重なりで形成されているわけで、
モラルのみによって表現の自由を制限するのは、基本的にはよろしくない。
それゆえ、175条に対する裁判所の判決なども、「最低限の制約」というかたちになっている。
学説・判例いずれの立場に立つにしても、
表現の自由の保障の程度について差を設けるべしという判断は存在せず、
刑法175条を合憲とした場合でも、「性行為の非公然性」という他の法益との衡量の中で制約が生まれているに過ぎない。
したがって、いかなる表現であっても、
表現である限りそれは憲法二十一条一項の等しい保護を受ける。