10/11/29 04:51:14 y75TyROw
>>816
もし自由な言論が、これまでその多くの擁護者が考えてきたように真に必要不可欠のものであるならば、
たとえそれが悪い結果を生むものだとしても、われわれはそれを守っていかなくてはならないし、
なぜそうしなければならないかを説明できるようにしなければならない。
しかも、もしわれわれの主張が正しいなら、どんなことでも容認されなければならないことを念頭において、
説明しなくてはならない。
汚職を暴こうとする事件記者や、文学上、知性上の限界を真摯に探究する小説家の権利を擁護することは、
それはほど難しくないように見える。
しかしながら、もし自由な言論が普遍的な権利であるならば、
それは、両足を広げた裸の女性の写真を売ろうとするポルノ製作者や、
かぎ十字や白頭巾を見せびらかして憎しみを売る人種主義者(引用者注:ネオナチとKKK)をも
守るものでなくてはならない。
……この大原則に例外を設けることへの誘惑は非常に強い。
例えば、何人にもわれわれの住む文化環境に、汚らわしいポルノや人種間の憎悪を撒き散らす権利はない、
というような例外である。
しかし例外を設ければ、法律から逸脱した行動を取らないようそうした人々を集団的決定に従わせるための
道義上の資格を手放すことになってしまうのだ。
―ロナルド・ドゥオーキン(戦後の学界を代表する法哲学者の一人)