10/10/30 15:39:40 cKQYQ40r
>>50
ラディカル・フェミニストはこの行為/表現二分法に反対して、
ポルノはそれ自体が暴力行為だという主張を行っているけど、これは法哲学的な反論を受けている。
有名なのがノージックという哲学者が出した思考実験で、
丸いボールをバットで打って、スポーツをする行為は、社会的に認められる。
ところが、丸まった猫をバットで打って、スポーツとして殴殺する行為は、社会的に認められず、
法律で罰せられる。
この二つの行為の間に、一般的道徳以外の理由を見出すのは、きわめて困難でしょ?
猫の殴殺を自由権の行使として承認するのだろうか?
動物愛護法なんかが典型的だけど、
多くの人が嫌っているということは、それだけで法律による規制の理由になりうる。
しかし、表現の自由に関しては、特に憲法で保障されていることからわかるように、
特別の配慮が必要になる。
「多くの人が嫌っている」という意見そのものを作り出すのも表現なのだから、
表現を民意で規制できるようになると、これは戦前日本やナチスドイツのように、
民主主義というもの自体が機能不全に陥る。
それゆえ、実写ポルノの規制のように、明確な被害者がいたり、他者の自由と衝突するというのでない限り、
どんなにえげつない表現であっても、保護されなければならない。