08/10/19 13:07:18 fGI5j730
なんだかんだ言って京都の貴族連中は明治維新までずっといたしな。
いや、明治維新後も華族に列せられて正真正銘の貴族になったわけだが…
公家華族は半家が子爵、名家・羽林家が伯爵…と続き摂家が公爵にと機械的に授爵
されたわけだが、江戸時代を通してたいした収入の無かった彼らには経済基盤が無かった。
かえって大名華族の方が本国(もと領地。表向きはつながりが切れたものとされていたが、
もちろんそんなことは無かった)からの支援だとかいろいろあってよっぽど裕福だった。
だから、爵位が上の華族の方が貧乏で、爵位の低い華族の方が裕福というねじれ現象が
生まれたわけだ。もちろん例外はあるけど。
でも高貴パワーって凄くて、武家華族たちは自分達に伝統が無いことで多くが公家華族
にコンプレックスを感じていた。だから、経済援助の見返りに子供を預けたり、結婚させたり
して何とか伝統を引き入れようとしたんだってさ。
やっぱ凋落しても高貴の魅力は衰えないようで…まあ零落してなおその魅力を維持したことを褒めるべきか。