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〈秀吉軍の奴隷連行と朝鮮女性たち㊥〉 「故郷にもう一度、帰りたい」
(抜粋)
徳川氏掌権以後、3代将軍家光期の「島原の乱」まで、日本はキリシタンへの血の大弾圧の時代
である。また、この時期の歴代長崎奉行の苛酷にして残虐な弾圧ぶりは、史書千巻にしてなお足ら
ざるものがある。
寛永6年8月3日、竹中は男37人、女27人、計64人のキリシタン宗徒を雲仙地獄に連行した。
「裸体にして両手両足を縛り、首に大いなる石をくくりつけ、背中に温泉の湯を注ぐ。その湯の掛る所
は忽ち爛て傷を生じ、まことに惨酷なる形容なり」(「日本聖人鮮血遺書」明治20年刊)とある。
この中に秀吉軍によって奴隷連行された朝鮮女性、洗礼名イサベルがいるのである。イサベルは、
30年程前の幼い時、日本に連れてこられたものと思われる。刑吏はイサベルに向い、「汝の夫は既
に教を棄てたり、故に汝も教を棄て放免の沙汰を蒙り夫婦睦敷して共白髪の楽となせ」(前掲『鮮血
遺書』)と責められたが、拒否した。